また君と、今度はずっと   作:スターク(元:はぎほぎ)

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2006仏 - 銀なる呪怨

少しだけ、言い訳する。

お化けを見た。銀色のお化け。ぼんやりと透けた銀の馬。

それは滑る地面に苦労する僕と同じように苦しそうで、そして僕以上に遅かった。ズルズルと下がっていく様子がまるで他馬事に思えなくて、目を逸らしさえした。

 

 

勿論、これは理由にならない。例えレースに完全に集中できていようが、ノイちゃんに粉かけた不成(ならず)者──リオ、と言ったっけ──の強さには及ばなかっただろうから。

 

悔しい。ノイちゃんに負けたくなかった。リオとやらに勝ちたかった。そのどちらも叶わずに、原因を墓へ押し付けようとしてるのが今の僕。情けないったらありはしない。

 

変わらなきゃいけない。

もっともっと、強くならなきゃいけない。

 

そう自分を急かすのは……今目の前の、絶望的な光景があってこその物だった。

 

『……プイちゃん、私……』

『謝らないで。ノイちゃんは悪くないよ』

『でもっ』

 

ニンゲンさん達に馬房から連れ出されるノイちゃん。どこに連れて行かれるかは、テンポ(マンボ)さんから聞いている。

帰るんだって。大舞台を、本番を前に、体調を崩した彼女だけ。

 

『もう治ったのに、私……ゾイっぴ達を喜ばせてあげられないなんて、そんなのヤダよぉ!』

『どうどう!ノイジー、ごめんな。俺達が不甲斐無いばっなりに……』

『…………しょうがないよ。万が一があったらいけないって、それがニンゲンさん達の判断だってマンボさんも言ってたじゃん。僕だって、ノイちゃんには元気でいて欲しい』

『いられないよ!約束何も守れてないもんっ!!』

 

ニンゲンさん達が持ってきた変な機械(マスク)を大人しく着けたノイちゃんは、最初よりかなり元気にはなっている。でもそれまでの間に走れなかったブランクは大きくて、本番までに調整し切れない・走らせて問題を起こす訳にはいかない、と判断されたんだって。

 

だから彼女は走れない。ニンゲンさん達から期待されたレースを。

競えない。リオと約束した決着を。

一緒にいられない。僕と。

それが悲しくて、それを悲しんでくれて、ノイちゃんは叫ぶ。

 

『勝ちたかったよぉ!なんで、どうしてこんな……!』

『僕が勝つ!!』

 

泣き声が止まる。当然だ、それぐらい驚かすつもりで叫んだんだから。

僕らしくもない嘶きだけれど……好きな牝馬(女の子)が泣いてるのに、何も出来ずにいられるか。

 

『僕がノイの分まで、皆の為に勝つよ!』

『プイちゃん……』

『だから君も!()()()()()を走り切って!!』

 

ここが終わりじゃないんだって伝えたくて。皆から愛されるノイちゃんには、まだ絶対やる事がある。その為にも、ここに未練を残して欲しくない……じゃあ、僕が背負うしか無いだろ。

 

だから信じて欲しい。頼って欲しい。君の目の前にいる牡馬は、それに足らないくらい情けないの?

 

『……あはっ』

 

その問いを念じながら送った視線に、返ってきた答えは「否」だった。

 

『悔しいなぁ。プイちゃんにそんな格好良い事言われちゃう日が来るなんて、ノイ思わなかったよ』

『えっ格好良いってホント!?……いや待って。それ以上になんか侮辱された気がするっ!』

『あははっ!ううん、そうじゃないの。なんだか安心しちゃって』

 

軽快に笑いまくってから、再び開かれる瞼。そこにさっきまでの惑いや悲しみは無くて、誠実な光が僕を射抜き返してくる。

良かった。ノイちゃんはもう大丈夫だ。

 

『──分かった。皆の願いを叶えてあげてね、プイちゃん。ここからいなくなる私の分まで』

『任せて。ぜったい、ぜったい、ぜっっったい……』

 

絶対に勝つ。約束を託され、新たに誓う。去っていく可愛い栗毛の尻尾を見つめながら。

 

もう僕一頭の戦いじゃないんだ。ユタカさん、ヌマエさん、タンボ(マンボ)さん、故郷のたっくさんのニンゲン達。そこは更に、ノイちゃんとノイちゃんに託された願いまで。

その全てを背負うと思ったら、ズシンと背が重くなった気がした。思わず悲鳴を上げそうになった。

 

『──応えなきゃ…………!』

 

速く在れなきゃ勝ってきた意味が無い。

強く在れなきゃ生まれてきた意味が無い。

この重圧を背負い切る力が欲しい。この苦しさをパワーに変える、そんな力が。

 

お化けさん。

貴方も、あそこを走ってるんですよね?

 

僕はなんでも利用して、何をしてでも勝たなきゃいけないんです。

それが皆の願いなんです。

 

だからお願いします。

 

他馬事とは思えなかった貴方の力を、どうか。

 

この僕に、貸して下さい。

 

 


 

 

『……()()()()()()()んすかねぇ』

 

モニターに映し出されるのはフォア賞の最終直線。逃げて差し、差して逃げ切ったノイジーの姿が輝きを放っていた。その鞍上で、確かな手応えを得ていた俺の姿も。

競り合う相手(スペリオルワンダー)は、なんとスペの子供でグラスの甥。なんとなく顔立ちも似てる気がして、いざ対面したらビックリしたのも記憶に新しい……でも、それ以上に結果が重要過ぎた。

 

届く気がしたんだ。あの日、眺めてる事しか出来なかった紅蓮の光景に。

初めての海外遠征であっさりと。拍子抜けだと自分で思うぐらいに。

 

ひょっとして。これはまさか、もしかすると。

 

そう浮かれてしまった罰なのかもしれない。

 

「……?」

 

バキッ、と手元から音。持っていたコップに罅が入っていた。

心拍が高まっている。息も浅い。その事を今になって自覚。

 

「あ〜あ〜……何やってんすか俺。苛つくなよ、なぁクロ」

 

こういう時はお守りだ。その中にいるクロを握りしめて深呼吸、自分を鎮める。物に当たる権利は俺には無いと、ちゃんと思い出すように。

今大事なのはノイジーだろ。しっかり治して、次のレースに備えないと。主戦である俺がそれに遅れてたら世話が無い。

 

今回は縁が無かった。まだその時じゃなかったって事だ。クロ、もう暫く待っててくれな。

 

これは仕方がない。仕方がないんだ。

本当に、仕方が──

 

 

「えっ」

「……やぁ」

 

気付くのが遅れた。

勇鷹さんが隣にいた。俺と同じように、水の入ったコップ片手に。

あんなに避けられていたのに、一転して距離1馬身。なんで?

 

「……」

「……」

「「…………」」

 

数秒視線を交わしてから、互いに目を逸らしてモニターへ。今、後方から上がって来れないディープが微かに映る。

分からない。なんで今になって?

そして俺は、どうして何も言えずにいる?

 

(話したい事はいっぱいあるのに)

 

喉につっかえた言の葉が息を阻む。ジットリ汗が滲み、空気さえ湿らせるよう。

勇鷹さんは何も言ってくれない。画面の中のディープを見つめて……俺を一瞬見て、またディープを見ている。

彼の意図は何だ?どうしてこのタイミングで?慰め?叱咤??激励???分からない、何を言いに来たんだろう。

彼は彼で、ディープとやらなきゃいけない事がある筈なのに──

 

──まさか。

 

「生沿君」

 

彼が口を開いた。幾年かぶりの、一対一での、師匠からの声。

逡巡を経て、迷いを孕みながら紡がれた言葉を、発そうとしていた。

 

「待って下さい」

 

でも言わせない。きっとその言葉は、貴方の口から出てはいけない物だ。

そう考えたら、思わず差し止めていた。思考よりも行動が早かった。

 

「それ以上はダメっす。もしここで()()()ようものなら、俺は貴方を軽蔑してしまう

「……!」

 

その反応で、自分の妄想が正解だったと分かってしまう。今彼は、7年前の俺と同じ過ちを犯そうとしてたんだって。

 

……俺に屋根を譲る気だったんだ。三冠牡馬の、ディープの!

 

「ディープインパクトは三冠馬っす。勝ったのは皐月だけじゃない、ダービーも菊花も獲った」

「それは……」

「その時、跨ってたのはアンタでしょう?」

 

そして、これからもそうであるべきだ。例えディープがどれだけアイツに似てたとしても。

 

世間は、ディープインパクトを“後継者”と騒ぎ立てている。

人懐っこい追込馬。三冠を狙い、白銀以来の第四次競馬ブームかと見紛う程の熱狂を呼んだ英雄。強さと人気を兼ね備えた偶像(アイドル)

気持ちは分かる。だからこそ期待されて、願われて、ここにいる。

 

でも俺は認めない。

 

()()()()()()()()()()()

 

ディープインパクトはクロスクロウの跡を継いでなんかないし、クロスクロウはディープインパクトの前任じゃない!

 

「俺じゃないんだ。アンタなんだ。そうじゃなきゃいけないんだ!」

 

言ってる間に腹が立ってきて、コップの底をテーブルに打ち付けた。罅が進行して割れてしまったけど、それはそれでコレはコレだ。

 

勇鷹さん。アンタの強さはよく分かってるつもりだ。今回だって、ロンシャン・着外・ノイジー離脱が重なって揺らいだだけなんでしょ。

それでも……アンタがそれでどうすんですか!

 

「…………ああ。そうだな。その通り、だ」

 

その想いのどれだけが伝わったか、俯いた表情からは分からない。でも出来る事は全てやった、後は彼次第だ。

俺達(ノイジーコンビ)の海外挑戦がここでお終いなのは変わらないんだから。

 

「後は頼みます、なんて言いません。でもアンタの後悔はアンタで晴らしてくれ」

「……君の後悔は?」

「俺は必ずここへ来ます」

 

いつかまた、必ず。

そこで終わり。かつての恩師へ背を向けて、俺はノイジーが待つ場所へ歩き出した。

彼女を労う為に。今出来る事を為して、いつか来たる“次”へ繋げる為に。

 

勇鷹さんの視線は、そんな俺の背中にずっと突き刺さっていた。

 

 


 

 

(こうなってしまうとは、ナ)

 

イキゾイに宥められて車に乗り込むノイジーを見ながら、マンボは溜息を吐く。マンボもまた、彼女に身勝手な期待を抱いてしまっていたから。

 

(アーッ、ノイジーはシーラ達に任せれば大丈夫だろう。問題はディープ、そしてスペリオル……)

 

片や一頭、取り残された相方。片や負けたまま、勝ち逃げされたライバル。助けになるつもりで来たディープは勿論のこと、知り合ってしまった上に友人の親族でもあるスペリオルだって、今となっては捨て置けない。

でも今はそれ以上に……

 

『ノイジー』

『あっ、マッピー!』

「お前も来たんすか。一緒に帰るっすか?」

『アーッ、マダヤル事ガアル。ノイジー、チャント休ンデ元気ニナレヨ』

『分かった!プイちゃんともそう約束したしねっ』

『ナラヨシ!ジャーナー』

 

別れの声掛けと挨拶も程々に、マンボは飛んだ。ノイジー達は強い、彼女についてはもう心配ないだろう。問題は()()()()()だった。

もうここの地理も覚えた。2回目だけれど、あの場所までは滞りなく辿り着ける。

 

『……来タゾ』

 

フランスの空も、風も、地平線も。あの日から何ら変わり無い。

このロンシャン競馬場も。

 

そこは今、ニンゲン達が整備中だった。芝に水を撒き、生い茂った並木を刈って、ゴミを掃除し綺麗にする。その目を掻い潜って、まずはいつもの観戦場所──屋根の上に降り立った。

お気に入りの場所だ。ここからなら全体を見渡せるから、コースの全景も馬群の全体も。どこに誰がいるか、誰が上がってきたかがすぐ分かる。そうやってマンボは馬達のレースを見て、応援したり、情報をエル達に教えたりしてた。

この前のフォア賞も、あの日もそうだった。マンボ自身も変わってないって事だ。

 

『オ前モ、ソーナノカ?』

 

呟き、次に降り立ったのは芝。観客席前の、レースなら最も盛り上がる所。ゴール板が建てられるそのライン。

ここだ。ここで全てが変わった。歴史が捻じ曲がり、爪痕が地球に刻まれた。今もそれが見える。

 

ここを……クロスの蹄鉄が、踏んだんだ。

 

『オ前モ、変ワラナイノカ?』

 

カフェの遠征には付いて行()なかった。当時、エルの事で、マンボはそんな場合じゃなかったから。カフェにはすまない事をした。

タップの遠征には付いて行()なかった。単純にマンボのミスで、ニンゲンの検査をすり抜けられなかったから。タップにも悪い事をした。

でも帰ってきた2頭(ふたり)の証言を聞いて……絶対に行かねばならないと決心したのが、今回だった。

 

何も答えは無い。誰もいなくて、誰の気配も無い。忘れる筈の無いあの気配なら、近付いた瞬間に分かるのに。

じゃあ、ここにはいないのか?カフェ達は勘違いしただけ?

 

(……違うよな)

 

そうじゃない。なんだか、“正解”な気がする。此処に来れて、その実感が増している。

だったら答えてくれ。呪詛でも良いから声を聴かせてくれ、帰る為にマンボに取り憑いてくれ。どんな事になっても良いから、頼むから。

 

そんな念を込めて、マンボは縋る。ゴールラインから数m、今となってはなんでもないその地点へ。

 

『ソコニ……イルノカ……?』

 

彼が死んだ場所。クロスが逝ったその場所で。

芝に頭を擦り付け、マンボは乞うた。

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