「いよいよ始まりますね」
「ああ。スペシャルにとっても、クロスにとっても大一番や」
大歓声の中、それぞれの馬が喝采を浴びる。ようここまで来てくれた、それだけで快挙や……と言ってやりたいが、ここで満足してやる訳にはいかへん。
「どっちが勝つと思いますか」
「スペに決まっとるやろそんなん」
「……えっクロスは!?」
「既にそっちの応援枠は埋まっとる」
まぁ、お察しの通り俺の隣におる奴でな。
「大丈夫だ……クロスクロウなら、大丈夫だ。大丈夫だ」
「なんや宮崎、不安か?」
「……当然だろう。貴方は違うのか?」
意外やな、と素直に思った。こういう時も薄い笑み貼り付けて、上から目線を注いどると思うとったわ。
「やる事やったんやから、今更クヨクヨしとってもしゃーないやろ。あぁ、お前は何もしとらんから不安なのも当たり前か」
「……そう、か。成る程、納得が行った」
なんや張り合いの無い。こっちも調子狂うわ、やめやめ。
……とはいかず。
「なぁ、臼井」
「呼び捨てにすんな馴れ馴れしい」
「あの芝は、
……ちっ!
この素人が。ニワカのクセに目敏く、俺があえて目を逸らしてた事に気付きよってからに…!
「……
「……!」
その時、俺らには知る由も無かった。
ある一人の少女が。
俺らから遠く離れた席で1人、クロス号の写真を握り締めてる事なんて。
▼▲▼▲▼▲▼
うー。ゲート苦手なんだよねぇ、オレ。
でも我慢我慢、がm……
ねぇ騎手さん、やっぱコレなんとかしてもらえませんか?
「落ち着け、スカイ」
『ですよねー』
手綱で窘められ、意気消沈。まぁ良いや、これでもマシになった方だって自覚はあるし。
さて今目の前の皐月賞、いよいよスタートが近付いて来ている訳ですが。はてさて、スペさん達に“仕込み”は効いてくれてますかなぁ?クロスさんって馬には、ちょっとばかし効き目薄めに感じたけどね。
《最後に、17頭の枠入りを確かめて悠然とスペシャルウィーク……》
よし、これで18頭全員が入った。閉塞感で今にも気が散っちゃいそうだけど、耐えて、耐えて──ッ、
ガチャン
今!!
《スタートしました!好スタートはボールドエンペラーとタヤスアゲイン、内から押してコウエイテンカイチが果敢に出て行きます》
まずは上手くいった!オレの位置取りとしては一先ず上々、この位置を譲らないよう気を付けよう。
さて、他の要注意馬さん達は……?
『えっ、えぇ!?前行くの?ぐぅぅぅ…分かったよもう!』
《楽にキングヘイローが2番手にスーッと上がって参りました!3番手には内から接近するセイウンスカイ》
あちゃー、駄目だったか。本馬は後ろから行く気満々だったみたいだけど、乗ってる人は前に行くつもりだったみたいだね。うわスッゴイ睨んで来るじゃん、楽に行きましょうよぉ。
スペさんは……後ろ!やった!!
後はクロスさんも、グラス君から聞いた通り後ろに着いて来れれば……ッ!?
《3番手には……おおっとクロスクロウも上がって来ているぞ?これは朝日杯の再現か!》
『よっ、ほっ、よっと。あっ
『うわぁ…!』
よりによって君が前に来ますかぁ…!いや待て落ち着けセイちゃん、これはきっと罠だ。グラス君だって言ってたじゃないか、序盤に馬群を率いてハイペースにして来たって。そうはいかないぞ、僕は自分のペースを乱したりしないんだから。
ここからゆるりと下がって行くんでしょ?それをした時が君の最後だよ……!
『おっ、おい!後ろからの方が得意なんじゃないのか!おいクロス!?』
『あー……今日は気が変わった。そういうキングも
(……え?)
良い位置?
まさか。
『良い位置?僕に後ろから行く方が合ってるって教えたのは貴方だろ!』
『いやぁスマン、状況が変わったんだ。気張ってくれよキング、俺だってそうする…ッ!!』
いや、考え過ぎだセイちゃん。良い位置ってのは、好位置って以上の意味は無いんだ。そうに決まってる。
キングと軽く会話をしてから、さらに前に行くクロスさんの背中。大丈夫だ、惑わされるな。コウエイさんが今1番手、クロスさんが2番手。僕は3番手で機を窺えば良いんだから。
今、観客席のどよめきが一番遠くなるところ。騎手さん──
さぁ、落ちろ。落ちてこいクロスクロウさん。
落ちろ!
《第3コーナーのカーブに向かって残り800通過!………だが!?》
……あれっ?
なんで、まだ真っ黒の背中が前にいるの?
《先頭はコウエイテンカイチ、そしてクロスクロウここにいる!これまで見せて来た追い込みとも先行策とも違う逃げだ、奇策ではなく純粋な逃げで来た!セイウンスカイがっちり3番手!》
なんて、事だ。
(コイツ……“理解”してるっ!!)
不味い、不味い不味い不味い!このままじゃ
『タテミネさん!』
「ああ、行くぞスカイ!」
『はい!』
『っ、待てよ!』
息の合ったギア上げ。コーナーの内に抜かしとかないと、このままじゃ……クソッ、邪魔だ!恐れていた事態だ、前が塞がれちゃってるよ!?コウエイさんどいて!
『このままじゃっ、このままじゃぁ……っ』
『
その声が聞こえた時に浮かんだのは。
やっぱり、という絶望。
『なんで分かった?クロスさんさぁ……!』
『知ってるからだよ、セイウンスカイ…!!』
《横一線に5番手ぐらいの集団が広がって400切りました4コーナーカーブ!さぁ大外にスペシャルウィークが回って!》
黒い馬体が抜けた。皮肉にも、オレの残された勝機はそこにポッカリ空いた穴。
誰よりも早く身体を捻じ込め、抜け出せ…っ!
『よし!』
『あぁもう、邪魔!』
これで、初動の遅れたキングに対しては先手を打てた。けどここからが大変だ、なんせ一手どころじゃない差で先に出たクロスを追わなきゃならないんだから!
《直線に入ってクロスクロウ先頭!セイウンスカイが2番手を追走しキングヘイローもそれに続く!早々とスペシャルウィーク3番手、誰が捉えるのか!?》
大丈夫だ、加速度は僕の方が良い!ちょっとずつ距離を詰めれてる、後は右にズレて躱せば……っ!?
『よっと…!』
『くっ!』
アイツも右によれた!?だったら左へ……
『そぅ、れ!』
『ッ……何だよお前はァ!?』
『俺は俺だぁ!!』
何だよそれは!?意味分かんないよ!
『邪魔するな!どけぇ!!』
『どいたら1着くれるか?!』
『それはオレの物だッ!』
『じゃあやらね!!!』
コイツ、コイツっ!
コイツコイツコイツコイツぅぅぅ!!!
「クロスッ…クロォォォォ!!』
▲▼▲▼▲▼▲
グリーンベルト。
芝の生い茂った、走りやすい
この事を知ったのは、ウマ娘1期の皐月賞に興味を持って軽く調べたのが切っ掛けだった。なんでも、芝を保護する為の“仮柵”を取り払ってコース幅が広がるから起きる現象だとか。詳しい事は分からないけれど、皐月賞で勝敗を分けた一因がそれだ、とも。
実際に見て、感じて。その重大さを、身に染みて理解した。
これは……後ろからじゃ、ベルトを踏めない。内側にごった返す馬を押し除けて進むなんて至難過ぎて、大外を回る事の多い差し追い込みじゃ、とてもじゃないが大ハンデだ。
だから俺は、逃げた。先頭で、グリーンベルトに乗っかる為に。
きっとセイウンスカイは、それを分かってたから“後ろから来い”と誘導したんだ。俺達有力馬に、ベルトを踏ませない為に。
しかし奥分さん、今回はしっかりこっちに合わせてくれた。それも尋常じゃないまでの適応、即座に逃げ体勢を整えてくれる手際よ。俺でなきゃ見逃しちゃうね。
……いや、茶化してる場合じゃねぇわ。ごめん奥分さん、この俺の蛮行に今一度付き合って下さい。
逃げの経験?ある訳無ぇだろ。準備?無ぇよそんなの。
いつも通りのゴリ押し、根性論。気持ちでひたすら前に行く、単純なバカ戦法だ。
もっと利口に立ち回れないかって?違うな、俺の強みはきっとそこじゃないんだ。
俺の、強みってのは……!
『行き当たりばったりの小賢しさだぁぁぁ!!』
先頭で逃げてベルト疾走!自分の馬体でスカイとキングをブロック!!後は気合でスパート!
どれもこれも、レース直前とその最中にアドリブで考えた付け焼き刃だ!だってグリーンベルトを把握したのついさっきだし。
リスクも反動も何も考えちゃいない、けどそれが一番合ってんだからしょうがねぇだろ!!
『クロスッ…クロォォォォ!!』
スカイ、俺はお前のように大局は観れない。キングのような強い自分も持ってない。グラスやスペみてぇなポテンシャルなんか秘めてる訳が無い!!
だが土壇場の理解力と適応力に関しちゃ……ヒトソウル持ちとして、譲れねぇんだなぁコレが!
背後で右から躱そうとする気配、すかさず俺も右に重心。そしたら左、俺も同様に。
何度でも繰り返す、それだけでスカイは俺を抜かせない。いつかスペに見せたこれも、また小細工の一つだろう。
………大丈夫だよな?そんなに大きくよれてる訳じゃないし、斜行判定で降着とかされないよな??距離はそこそこ空いてるから大丈夫な筈、多分きっと……!
《さぁ先頭はクロスクロウ、2馬身のリードをキープ!懸命にセイウンスカイが追っt…スペシャルウィークだスペシャルウィークが飛んできた!!》
『クッッ……ロオオオオ!!』
ファッ、あの位置からすっ飛んで来るとかウッソだろお前!?変な声出るわこの日本総大将が!
えぇいコレじゃ気を抜いたらどうなるか分かったモンじゃない、粘れ!走れぇぇぇぇ!!
見えたゴール板!これで、これで……っ。
《クロスクロウ、粘って粘って……ゴールインッ!!!》
よっしゃ勝ったどー!見たかワレェ、これが朝日杯馬の底力……って危ねぇコケるゥ!?
「クロス、ストップだ!」
サンキュー奥分さん、なんとか立て直せた!手綱でのフォロー感謝!
あーやべぇ、思ったより消耗激しい。慣れない事はするモンじゃねぇわ、俺に産駒が出来たら伝えていこっと。緊張が解けた今、アドレナリンも切れたのかまた耳鳴り起きてるし……。
『クロ、クロ!大丈夫ですか!?』
おースペ、えーと…心配してくれてんのか?大丈夫大丈夫、一過性のモンだから。
『……これが、GⅠ馬の実力か。そしてこれが、今の俺の……』
あっ、キング。もしかして落ち込んでる?心配するなって、キングもいつか獲れるから!
きっと、なんて言わない。絶対に!!
『……やめろ。気持ち悪い』
うぅ、また嫌われた感。イントネーション的に『キモい』に類する事を言われたよね今?
……さて。ちょっと離れた所で立ち竦んでる芦毛君にも、離される前に言う事言わなきゃな。
『セイウンスカイ』
『……何ですか』
『グラスに伝えてくれ。“焦らないでくれ、俺は待てるから”って』
『……!』
気配が変わるのだけが感じられた。
そうだよスカイ。嘲るような挑発をしてくれたけど……最近のグラスを知ってるお前が、アイツが陥っている状況を知らない訳が無い。
『…知って、るんですか。グラス君の足が、どうなっているか』
『……』
疑問に思う声音、そりゃそうだよな。でも俺自身も、スカイのこの反応で確信した所なんだよ。
そっか、グラス……やっぱり、骨折しちまったんだな。
『グラスの分も、勝ちに来てくれたんだろ』
『っ………!!』
図星か。だってわざとらし過ぎたもん、あの挑発。変に感情こもってたしさ。お前多分、そういう他人を悪し様に罵るやり方合ってないよ。
しかし見たかったなぁ、策士スカイの驚き顔。なんだか視界もボヤけてよく見えなくなってきて、マジで勿体ない。
『グラスも美浦で良い友達持ったみたいで安心したよ。これからもよろしく頼むな』
『……!待ってよ、オレからも話が……!』
ダーメ、待てって言ってるんだろうけど待たない。つーか待てない。今にもぶっ倒れそうだから、この後の優勝レイとかも早めに済ませたいんだ。
ほな、また!
(……にしても、これで一冠目か)
実感は無い。デカいレースを勝てた自負はあるけれど、歓喜とかそういうのは……うーん。
(ま、これで今は満足してくれよな。馬主のおっさん)
次はダービーだけど……その間、ちょっと気を休めるぐらいは許して欲しいモンだ。
皐月賞【G1】 1998/4/19 | ||||
---|---|---|---|---|
着順 | 馬番 | 馬名 | タイム | 着差 |
1 | 10 | クロスクロウ | 2:01.2 | |
2 | 3 | セイウンスカイ | 2:01.4 | 1 |
3 | 18 | スぺシャルウィーク | 2:01.4 | ハナ |
4 | 12 | キングヘイロー | 2:01.5 | 1/2 |
5 | 1 | エモシオン | 2:02.2 | 3.1/2 |