「行け。勇鷹、スペシャル」
ある者は私財を賭け。
ある者は時間を掛け。
ある者は矜恃を懸け。
「獲れ」
ある者は……人生を、賭ける。
そしてそれを託されて、彼らは夢を駆ける。
「勝て、クロスクロウ」
ある男は手すりを握り締めた。
時を同じくして、すぐ側で己が娘もまた祈りを捧げてるとも知らずに。
「報われて……どうか……」
淡い言葉は宙に消える。より大きな音、轟く歓声に呑みこまれて消える。
ここは願いの集う場所。
熱狂と、喜悦と、絶望が入り乱れる緑色の大舞台。
東京競馬場。
東京優駿。
日本ダービー。
2400mの彼方に待つ、輝かしい栄光。
60を超えて繰り返されたそれが、今年もまた幕を開けた。
始まった!
視界が開ける。開け放たれた格子から、俺達は一斉に飛び出した。
『どけよ!』
『やかましいわ!!』
流石は日本ダービーという訳か、周囲の馬達もバチバチ火花を散らし合ってる。それに跨る騎手さん達は罵り合うような事はしてないけれど、お互いの良い位置を奪い合うのに必死だ。
そんな中、殿が一番得意な俺は悠々と後方待機。追い込みはこういう所が楽で良いね。馬群を視界に収めれるから情報整理しやすいのマジで最高。
さて、スカイとキングは……
『俺が、先だっ!』
『げぇっ!良いのキング君、君後ろの方が得意でしょ?』
『お前に自由に逃げられちゃ堪らないからな。今度はこっちから封じてやる』
『ふぅん。じゃ、オレは控えさせて貰いますよっと……!』
ふむ、先頭でめちゃくちゃ競り合った末にキングがハナを取ったのか。意外というか何というか、でもそれがキングの考えた作戦なんだろうな。キングの騎手──確か福延さん──もそれを邪魔してないし、思惑は同じという事かな*1?
にしても先頭集団の争い凄いな、最初なんか5頭くらいが抜け出ようとして破茶滅茶な事になってたぞ。もし位置取りに負けた奴がズルズル下がってきたらこっちの進路にも関わるし、序盤からデッドヒートだなんて熾烈極まりねぇよ。
……いや、そうか。このレースは、それ程までに削り合ってでも獲る価値のある頂きなんだ。
勝ちに行く以外の道なんて無いレースなんだ。
これが。
これこそが、日本ダービーなんだ……!
(正直に言うと、ちょっと舐めちまってたかもな……)
万全の調子に整えて来た、覚悟もして来た。けれどこの大舞台の前じゃ、そんな物はいくら積んだって足りる事は無い。先頭だけでなく、中位から後方集団に至るまで全員が全員で激しく牽制し合う、それでもまだ足りない。
命を懸けて、“世代最強”というたった一つの頂を奪い合うレースなんだから。
『奥分さんは……』
「クロス、今回も自由にね」
『あざっす!』
そんな中でも流石はレジェンド、見事に体重を消してくれたままサポートしてくれる。これで憂いの一つは消えたと言えるかな。
後は……
(スペはどこだ?)
隣の枠で、一緒に飛び出した親友。けれど、オレと違って中段に留まったアイツの姿がさっきから見えない。
どこだ?どこにいる?
『うーんと、えーっと』
「……あ、そういう事か。こっちだよ」
え、なに奥分さん。左に半歩くらい引いて……っと、見つけた!他の馬の影になってたのか、ありがとう奥分さん!!
そうして捉えたスペの背中は、馬群に挟まれながらも自分のペースで追走。折り合いも良さそうで、傍目から見れば問題は無い……ように、俺には見える。
(大丈夫、かな?ウマ娘だと変に馬群に囲まれたら根性削れちゃった筈だけど)
「弟分が心配かい?」
(………っ!)
掛けられた声で我に返る。ああそうだ、親友でも他の馬に気を取られてる場合じゃない。勝つ為にも、まずは自分からだ。
そうだ、一旦忘れろ。スペへの心配も、さっき覚えた恐怖も!
「
「集中し直せたようだね。さ、向こう正面だよ」
《なんと先頭に立ったのはダービー初騎乗、福延優斗とキングヘイローです!》
『フクノベ、ボーッとするな!勝つんだろ!?』
「…っ、すまないキング」
焦燥が伝わる。あれっ、作戦じゃないのか?もしかすると、想定より早く落ちて来るかも知れないな。
《そしてセイウンスカイ、縦峰は抑える作戦に出ました》
「先頭に行くのは……いや、もう少し待つか」
『ううん、気持ちいい逃げとはいきませんなぁ。やってくれましたねキング君…!』
あっ、スカイと目が合った。こっちも妙に焦りが見える、さては俺の追い上げを警戒している形かな?
その危惧、正しいよ。この距離なら充分ひっくり返せる。
《そして5番のスペシャルウィーク、拓勇鷹はこの位置から狙います!》
スペの姿が見えるのは途切れ途切れだ。どんな顔をして走ってるのかなんて想像もつかない、微かに聞こえる息遣いから察するしか無い。
……それが、不気味だった。
《11番のミツルリュウホウ最後方、そしてその隣にクロスクロウとレジェンド奥分!今回の作戦は追い込み、ここからどう巻き返すのか?こんな体勢ですが、ゆったりしたペース、なんというスローペースでしょうか?!》
どう来る?いつ来る?この緩やかな流れで全員が足を溜めてる状況なら、先頭の奴ら以外に対してスタミナ切れは望めないだろう。ならば、その中で抜きん出る為には最低でも先手を打つ必要がある。
そうしなければならないと、脳が警鐘を鳴らしていた。
『……奥分さん、行くぜ』
「ああ、行ってくれ」
最終コーナーにもまだ差し掛からない直線。そこで俺は、本腰を入れた。ロングスパートだ。
《福延折り合っている、折り合っているキングヘイロー!どこで仕掛けるかセイウンスカイ!そしてスペシャルウィ……クロスクロウ来た、外から上がって来た!ロングスパートだ、ここで来た!!もう中段を通り過ぎた!》
一つ一つ順位を上げる最中、スペとすれ違った。
チラ、と視線を向ける。けれどアイツは返してこない。
じっと前を、見据えて。
(……またやっちまった。自分の事だって、まずは!)
フォームを乱さない程度に頭を振って、追い出される邪念。よし、集中だ集中!
噂に聞く大ケヤキを通り過ぎる頃合いだけど、見えた先頭だ!よおキングにスカイ、元気?
『ゼェッ、ゼェッ、クロ、ス?』
『げっ、もう来たのか……!』
『チンタラやってるモンだから、我慢出来なくて…なぁ!!』
『ああもうもっと早く出とけば良かった!こうなったら末脚勝負だ!』
良いねぇそういう競り合い。んじゃここから更にギアアップ、最後の追い上げ・追い越しと行くぞオラァ!!
《セイウンスカイ先頭に立つがクロスクロウ並んだ!いやもう抜かした!?馬群を丸ごと貫いたクロスクロウ先頭で最終直線!!》
よし勝ちパターン……どころじゃない。やべぇ、なんか体の躍動が半端じゃないぞオイ?キングがスローペースにしてくれたお陰で、今までで一番気持ちの良いベストな走りが出来た気がする。これ下手し、根性スパートしなくてもいけるんじゃねぇか!?
だって身体がこんなに軽い…止まる気がしねぇ。あり得ないぐらい心臓が跳ねて身体中を血液が駆け巡って。なんつーか、後もう少しで
《さぁ二冠か、戦士の二冠か!もはや怪物すら下したこの猛者に敵はいないのか、差がどんどん開いていくぞ!?》
『くそっ、ここまでか……』
『……なん、で、っ………』
いける!勝てる!おい馬主のおっさん、喜べ三冠王手だ!
グラス見てくれ!俺が頂点だぞ!!お前のライバルに相応しいだろ、俺?!
奥分さん、アンタのお陰d……え?
何だよ奥分さん、そんな手綱扱いて。
言っちゃなんだが、もうセーフティリードだと思うんだが。
待ってくれ、風切り音で何も聞こえない。耳元に遠慮なく大声で言ってくれ、じゃないと拾えないんだ。
一体、何を───
次の、瞬間。
開き掛けていた“世界”を。
一筋の
▼▲▼▲▼▲▼
スタートした直後、僕は馬群の真ん中に身を置いた。ここが僕の一番好きな位置……というのはあるけれど、それと同時にライバル達を一番平等に把握し易い場所だったからだ。
とは言っても、僕はクロ程賢くないから情報処理なんて出来ない。だからそういうのは、ユタカさんに全部丸投げしている。
でも、これで良い。僕の代わりにユタカさんが頭を、ユタカさんの代わりに僕が足を。そうやって補い合って、僕達は“完成”するから。
(キングは前。ユタカさんは意外そうだったけど……僕は、知ってたよ)
キングと併せ馬する度に、彼がセイウンスカイに対して燃やす情念をまざまざと感じ取っていた。だからもし騎手さんに止められなければ、スカイの逃げを潰す為に前に出るだろうと。
ニンゲンの言葉が分かれば、その事をユタカさんに伝えられたんだけどね。まぁ過ぎた事は仕方が無いし、改めて頑張るとしよう。
セイウンスカイはキングと同様に前、これは当たり前か。キングの後ろに控えて温存する方針っぽいけど、詳しい事はよく分かんないや。
そしてクロは……一番、後ろ。彼が一番強い場所。
でも見ない。振り返らない。僕の中で燃えてる炎を絶やさない為に、クロを視界から遮断する。でも同時に、火に焚べる燃料を絶やさないように意識し続ける。
「ふっ──」
『───っ、…』
その時、ふとユタカさんとの息が合いそうになって──そして霧散してしまった。ああ、惜しい!でも焦らない、焦らない。
今の感覚をもっと頻繁に、もっと長く。その果てに、ユタカさんが散々言ってた“
「良いぞスペシャル、このまま行こうな」
『はい!』
言ってる事は分からず、でもニュアンスで全ては通じた。大丈夫、こんなに理解し合えてるんだもの。必ず……!
その瞬間。後ろで気配が爆発した。
「『ッッ!!!!』」
ユタカさんと揃って、危険信号に灯が点く。クロが、来る!
「スペシャル!」
『うんっ!!』
遅れないように、ユタカさんの誘導通りに馬群から抜けてスパート。位置取りを押し上げろ、条件を五分に戻せ…っ!
……そう、力を振り絞っても。
《クロスクロウ来た、外から上がって来た!ロングスパートだ、ここで来た!!もう中段を通り過ぎた!》
一手遅れた分、彼の方が加速が速い。
並ばれ、躱される。
けど振り向かなかった。クロから意識を向けられてると分かっていても。もう、意地だった。
それでも、前に出られてしまえば、視界には入ってしまって。
離れていく。
またあの背中が、離れていく。
「くっ……!」
《セイウンスカイ先頭に立つがクロスクロウ並んだ!いやもう抜かした!?馬群を丸ごと貫いたクロスクロウ先頭で最終直線!!》
『我慢出来なくてなぁ!?』
『こうなったら末脚勝負だ!』
喚き立てるニンゲンの声、そして悔しそうなユタカさんの声に混じって、クロとスカイの小競り合いが聞こえた。
ああ、そんな。
僕も、そこに行きたい。
でも、届かない。そんな。
『やだ』
「まだだ」
『まだ、僕は……っ』
黒い絶望が視界を染める。皆と走ってるのに、たった1頭で走ってるような感覚に陥っていった。
────いや。
違う。
手綱を引く力を感じる。
鞍の上に、重みがある。
乗ってくれる、ヒトがいる。
(ユタカ、さん)
半ば縋るような気持ちで、その扱く力に意識を委ねた。
鞍越しに伝わる重みに、鼓動に、身を委ねた。
深く、深く。もっと、深く───
「……え?」
気が付くと、広い広い草原にいた。
どこだろ、ここ……いや、覚えがある。ここは、僕の生まれた場所。
お母ちゃんと遊んだ牧場に、そっくりな草原なんだ。
──サッ
踏み出すと同時に、足の裏に感じた若草の柔らかい感触。そして、頬を撫ぜた暖かい風。
そして、その向こう側に。
「……人?」
栗色の髪を靡かせた、綺麗なヒトが、1人。
軽やかに、涼やかに。風を切って、走っていた。
美しかった。
「うわぁ……!」
思わず追い掛ける。クロとはどこか対極的なその走りに、対極的でありながらどこか同じ物を感じたからこそ、その走りに魅せられて。
「あ、あのっ!」
呼び掛けても返事は来ない。こっちを見もしない。
「すみません、ちょっと!!」
本当に楽しいのだろう、走るのをやめようとしない。
なら、気付かせる方法はただ一つ。
僕は、
全力で。
追いかけた。
距離が縮まる。相手が全力でないからこそ、辛うじて縮まっていく。
「あの!」
後、少し。
「待って、」
今。
「下さぁいっ!!」
「えっ!?」
肩を掴むと、心底驚いたのか振り向くニンゲンさん。見開かれた薄緑の瞳に、汗だくの僕の姿が写っていた。
「あのっ!僕、ユタカさんと一緒に走ってたらここに来て!そしたらあなたがいて!」
「嘘でしょ……ここ、私の夢の中だよ?」
「えぇっ、じゃあもしかして僕もレース中に寝て……ってアレェ!?僕ニンゲンになってますぅ!!!」
本当に今更ながら、ニンゲンさんの瞳に映った自分の顔と、そして見下ろした手足で自覚した。えっ、僕ニンゲンになってる!なんで!?
「夢の中だもの。私も馬だから、ここに最初に入った時は驚いたけれど…そういう物なんだよきっと」
「飲み込み早過ぎませんか……?」
「そういうあなただって、すぐに二本足で走れたじゃないか」
それはそうですけど、と言い返そうとした。けど、それよりも先に口を開いたのは相手の方。
「ところでだけど。あなた、ユタカさんを知ってるの?」
「……?はい、さっきまで僕に乗ってました」
「そうなの。奇遇ね、私もだよ」
「……あなたもユタカさんに乗って貰ってるんですか?」
「うん。ユタカさんが私に自由に走らせてくれてから、ずっと勝てるようになってるんだ。不思議なくらい息も合って……」
おお、流石ユタカさん。このヒト……いえ、馬なんでしたっけ。に乗って勝ちまくってるらしいです。
……そんな凄いヒトに乗って貰ってるのに、僕は。
「はぁ」
「えっ、どうしたの?具合悪いの?」
「……ユタカさんに乗って貰ってるのに、負けそうなんです」
このままじゃ、クロに勝てない。スカイやキングにすら怪しい。
やだ……やだ、負けたくない!
『ユタカさんと一緒に、勝ちたい!クロに勝ちたいんです、僕は!!』
今度こそ行けると思ったのに。また僕は、同じ所で堂々巡りをしてしまう!それが悔しくて、悔しくて仕方が無いんです!!
そんな僕の叫びを、彼は黙って聴いてくれた。憚る事も無く、恥も外聞も無く喚き散らした僕に、じっと向かい合ってくれた。
そして、沈黙。声を荒げた僕の、息遣いだけが草原に響いていく。
「……うん、分かった」
そして、彼は。
「多分、あなたがここに来たのは偶然じゃないんだ。黒鹿毛君」
「……え?」
そっと、頬に添えられた小さな手。でも確かに温かいそれは、僕にゆっくりと熱を伝えて。
「ユタカさんの縁が、そして、彼に応えたいあなたの気持ちが、ユタカさんを通じて私達を出会わせた。あなたを勝利に導く為に」
「なんで、そんな事が分かるんですか」
「……何でだろうね。でも、ユタカさんと息を合わせたい、って思ってるのが伝わってくるんだ」
図星だった。けれど、何故かそれに対する妙な納得と確信があった。
彼は……もう“答え”を持ってるんだ。
「……教えて、くれませんか。“人馬一体の境地”っていうのを」
「もちろんだよ。あなたが望むなら、ユタカさんの為ならいくらでも」
でもね、と付け足す栗毛さん。その声音はどこまでも優しくて、まるでお母ちゃんみたいで。
けど、甘えてられないんだ。僕は……!
「私が教えられるのは、ユタカさんのクセまで。私と彼の“境地”を伝えても仕方が無いから、後は黒鹿毛君が、あなただけの、あなたとユタカだけの境地を編み出すんだよ。良いね?」
「……はい!」
充分だ。本当に充分過ぎる、感謝しても仕切れない。
そこでふと周りを見ると、草原が崩壊して光の中に消えて行っていた。そうか、もう限界なんだ。
そう思うと急いで、栗毛さんと額を合わせた。触れ合った肌に、何かが伝わった。
「頑張って。ユタカに、勝利をプレゼントしてあげてね」
「ありがとうございます…!」
どうしよう。恩返ししたくて仕方が無い、でも時間が無い。肝心の名前すらも聞きそびれた。
えぇと、どうしようどうしよう……そうだ!馬である僕達なりのやり方!
「も、もしレースで会ったら!勝って恩返ししますから!!」
……あれ?これ、恩を仇で返してない?
一拍遅れて自覚した僕に対し───栗毛さんは、淡く微笑んで返してくれた。
「待ってるよ。黒鹿毛の新星君」
光が。
記憶が。
ユタカさんの、呼吸が。
戻って来る。
白い景色から、ターフの上に。
ユタカさんの息が聞こえた。僕にタイミングを併せようと必死だった。
ここだ。
ここしか無い。
「『フッ──』」
あぁ、そっか。
これなんだね、ユタカさん。
これなんですね、栗毛さん。
待ってて、クロ。
───
「そうだ…それだ、スペシャル!!」
バチンッ!と鞭がしなった。
ユタカさんが手綱を引いた。引っ張られる頭。その反動と
同時に。
同時に。
『「 蹴 り 出 せ ッ ッ ! ! 」 』
《怪物すら下したこの猛者に敵はいないのか、差がどんどん開いていくぞ!?なんて強さだクロs……いや違う!まだだ!!後ろから間を割ってスペシャルウィークやってきた!!》
今まで、体重を消してくれる乗り方が最高だと思っていた。
それ以上の物があると知ったのが1週間前だけど、それが具体的にどのような物なのかは分からなかった。
これだ。これなんだ。
体重が
『……ははっ。こりゃもう笑うしか無いや』
スカイ。諦めるの?
僕は、諦めないよ。
あの黒い背中を超えていくまで、諦めないよ。
スカイを躱した瞬間。
先頭を行くクロを、今度こそ捉えた瞬間。
カチリと、僕の中でスイッチが入った。
また、景色が変わる。
あの草原。でも栗毛さんはいない。僕の身体は馬のまま、走っていた、
代わりに、星一杯の夜。星の光の下を、走り続けていた。
次の瞬間。
星が、降りて来る。
眩く煌めいて、閃いた。
いや違う。降りて来たんじゃない。
この光こそが、僕だ。
『───貫け』
駆ける。
《スペシャルウィークとクロスクロウが、あっという間に!並ばない並ばない!!》
『……スペ?』
駆け巡る。
《あっという間に躱した!あっという間に躱した!!》
『ッ、スペシャル……!』
駆け抜ける。
《いいやまだクロスクロウ粘る!粘るが届かない!星だ、流星が戦士を制した!》
『スペシャル ッッウィィイイィクゥゥゥ!!!』
……これが。GⅠ。
これが。日本ダービー。
これが。勝利の味。
ああ───なんて、嬉しいんだろう。
《越えた、超えたッ!今度こそ!
夢を掴んだ拓勇鷹──ッ!!!》
……え?
あ、そうか。終わったんだ。勝った……んですよね?
「やった!やった……やったぞッ……!!!」
《このガッツポーズ、このガッツポーズ!最後まで残っていた夢、日本ダービー制覇!その夢を今掴んだ拓勇鷹とスペシャルウィーク!》
ユタカさんも喜んでる。勝ったんだ。
勝ったんだ、うん。
そうだ。
勝ったんだ!クロに!!
『やったぁぁぁぁ!!』
体の内から迸る何か、それに突き動かされて身体が跳ね回る。ダメだ、止められない!抑え切れない!!
「よくやった、やったなスペシャル!」
『ありがとうユタカさん!ユタカさんだから、ユタカさんとだからこそ勝てましたー!!』
「ははっ、そうかやっとダービーを……!あれ、鞭どこやったっけな。まぁいっか!!」
『わーい、わーい!!嬉しいなぁ、嬉しいなぁ!!!』
気持ち良かった、楽しかった、嬉しかった!もう一回やりたい、皆と走りたい!!今のをもう一回味わいたい、力だってホラ、こんなに湧き出て……
あれっ。
地面って頭の上にあったっけ?
「『どわゃーっ!?』」
「「『『《ええええええええ!?》』』」」
ズドーン、と体に衝撃!え、何!?僕何されて、スタンド攻撃!?
ユタカさん、ユタカさんは……ホッ、無事だ。えーと、僕の方は…何だろう。痛みは無いのにうまく立ち上がれない。腰に力が入んないや、どうしたのかな?
『おう、どうしたよスペ』
『ク、クロ。僕、立てません』
『えっマジか!?…つっても折れてるとかそんな感じじゃねぇな、腰抜けただけか。ったく、ヒヤッとさせるじゃんかよ』
うぅ、ごめんなさい。
『気にすんなって、勝った奴がそのザマじゃ示しがつかないってだけで……ほれ、手伝うからさ』
そう言って、クロは僕の手綱を引っ張ってくれる。その助けのお陰で、僕は何とか起き上がる事が出来た。一瞬遅れて、立ち上がったユタカさんが僕に乗り直した。
「「「わぁぁぁあーーーっっっ!!!!」」」
瞬間、大音量。耳を塞ぎたくなるような、それでいてどこまでも聴いていたいような喜びの音色。
ニンゲン達の声が、芝の上に木霊した。
『お前に向けた歓声だよ、スペ』
『僕に?』
『あぁ。勝者の特権だ』
そうか。これが、クロが今まで浴びていた祝福。
そしてそれを今、僕が──
『いやぁ、やられましたよ』
『スカイ…』
『諦めない強さ、よく見せてもらいましたとも。作戦の練り直しが必要ですねぇ』
『……それに関しちゃ、俺もだな。今回のレース、反省点が多過ぎた』
『キングも……』
話しかけてきたライバル達は、その顔に悔しさを滲ませて。でも同時に、どこか清々しげな雰囲気を漂わせている。
『……でも、一先ず勝者を称えるとしますかねぇ。おめでとうスペ君、君は強かった』
『このキングを置き去りにするなんて只者じゃない。誇れよ』
『…ありがとう!』
『『でも次は負けない(ません)から(な)!!』』
それだけ言って──正確にはスカイはクロに一度視線を向けてから──二頭は去っていく。残された僕と、クロはと言えば。
『約束通り、死ぬほど悔しがるよ。つーか現在進行形で死ぬ程悔しがってるよ、俺』
『……どこが?』
『信じられないと思うんだけど、それを塗り潰すぐらい嬉しさが
むぅぅぅ、子供扱いしてません!?なんか勝ったのに負けた気分です……!
と、そんな事を考えている内に僕に背を向けたクロ。去り際に彼は、こう言い放った。
『これでお前も、“追われる側”って訳だ』
『……そう、ですね』
『だから、簡単に負けてくれんなよ?俺が追い越すその時まで!』
……そっか。僕、追われる側になったんだ。
その事を自覚させてくれた上で、クロは先に戻って行った。残された僕とユタカさんは、ニンゲン達のどよめきに包まれる。
途端、襲ってきたのは重圧。
GⅠを勝った自負と義務が、全身に強くのしかかったようだった。
負けられない。今回負けた馬達の名誉を守る為にも。その重みを、背負ったんだ。
クロやグラスに対して、だけじゃない。ここからがきっと、本当の戦い。
「行こう、スペシャル。ウイニングランだ!」
『……はい!』
喜びとプレッシャーを同時に噛み締めて、僕達はカケる。明日を懸けて、夢を駆ける。
その先に待つ、栄光を信じて。
東京優駿【G1】 1998/6/7 | ||||
---|---|---|---|---|
着順 | 馬番 | 馬名 | タイム | 着差 |
1 | 5 | スペシャルウィーク | 2:25.3 | |
2 | 6 | クロスクロウ | 2:25.7 | 1.1/2 |
3 | 12 | セイウンスカイ | 2:26.3 | 3 |
4 | 16 | ボールドエンペラー | 2:26.4 | 1/2 |
5 | 11 | ダイワスペリヤー | 2:26.8 | 2 |
《勝ちタイム
《……あの。それってアイネスフウジンのレコードタイムじゃ》
《えっ。でも勝ち時計にはそう書いて…えっ!?》
《ゑぇっ!あのスローペースからコレ!?!!?》
《……この世代、もしかしなくても相当ヤバくないですか》
※実はクロが
あと、途中にある「下手し」は誤字じゃないので悪しからず
スペシャルウィーク×ワンダーアゲインの産駒は
-
クッソ強い
-
かなり強い
-
程々に強い
-
ふつー