【Ep.4】共鳴!
『そういえば、クロのお母ちゃんってどんな馬なんですか?人なんですか?』
『馬だよ』
『どんな馬でした?』
『育児放棄されたゾ』
『えぇ…』
俺に困惑されても……てな感じで駄弁りながら、コースへの道をパカラパカラと歩く俺たち。
グラスが去ってからスペと一緒に走る日々を送って来たけど、コイツの吸収力やべぇ。俺が教えた事は何でも吸収するし、悪い所は自分で考えてオミットしてやがる。日常生活のオドオドっぷりはともかく、レース技術に関してはとっくの昔に追い越されちまってんじゃねぇかなコレ?
…っと、危ない。
『スペ、こっち』
『えっ、なn…あぁ』
今すれ違ってた馬、気が立って荒れてた。スペがギリギリ視界に入りそうだったから、なんとか寸での所でこっちに引き寄せれて良かったわー。
『……ありがとう』
『どーも。お前もいつか、後輩とかをこうして守ってやれよ〜』
まぁこんな感じで、ちょっと抜けてるスペをカバーしたり、悩みを聞いたりしながら仲良くなった訳。
で、話を戻すが。基本的なレース技術に関しては、とっくの昔にスペに抜かされてるんですけれども……
『ところで、今日は何を教えてくれるんですか?』
『うむ。お主は既に免許皆伝じゃ』
『はぐらかさないで下さいよー!』
コイツ、まだ俺から何か学べると思ってやがる……やめろやめろ、俺はもう出涸らしなんだ!これ以上絞られたらミイラになっちまう!
『嘘です、だって前の競走だと抜かせそうだったのに抜かせなかったんですもん!何したんですか!?』
『いやアレは…』
ヒトソウル故の小賢しさというか……ここ通りそうだなって所に寄って事前に進路を塞いだって事なんだけど。そういうのは基本騎手に任せれば良いので、その中でも特に大当たりSSRであるトップジョッキー・拓勇鷹さんに乗ってもらえるスペにとってはマジで不要の技術だと思うの。
いやでも、俺のせいで起こったバタフライエフェクトによってスペの鞍上が拓さんにならない可能性も無くは無いのか?やべぇ、何がどう転ぶかいよいよ想像つかん…!
『小賢しいとかそういうのドンとこいですから!教えて下さいよー!』
『まぁまぁ、今は基本を抑えて力をつける時だから。技術よりもフィジカル優先よ』
『……はーい』
やっっっと納得してくれたぁ。良かった良かった、下手な進路妨害癖をスペに付けたら今度こそ悪影響を与えたって事になっちまうからな。俺の矜恃的にそれだけは控えたい。
「っと、そっちじゃないぞー。キャンペンの子、今日はこっちだ」
『ヤダァァァァ!クロさぁぁぁん!!』
『死ぬ訳じゃねぇんだ、また後でな〜』
薄情とも言える軽快さでスペを見送る俺。いや懐いてくれてるのはとても嬉しいんだけど、だからと言って依存し合い過ぎて俺以外との調教を拒否し出したら目も当てられないからだ。何より、さっき言ったように出がらしな俺だけじゃなく、色んな馬と関わりを持って走りを見せてもらった方が、スペの今後の成長にも寄与するだろう。
という訳で、頑張るのじゃスペ!(師匠ヅラ)
……まぁ、かくいう俺の方が「頼ってくれるスペ」を拠り所にしそうな雰囲気を自覚してるし。俺自身の自律の為にも、引き離してくれるのは助かるかも知れない。
グラスが去っちゃって、なんだかんだで俺も弱ってるっぽいんだよなぁ……しっかりしないと。
「よーし始めるぞー」
りょうかーi…
……
えぇ………。
「……どうした?」
「クロが急に止まってしまいました」
いや、だってさぁ。
あそこにいるのさぁ。
「……彼か」
「いつもと変わった条件といえば、彼ですね」
俺の馬主じゃん。
今も血走った目でこっち見てんじゃん。その隣に立ってる別のオッサンも呆れた目で見てんじゃん。
「とうs…臼井調教師も大変だなぁ」
「血の悪縁というか、先代からの恩を返せと言われてしまえばなぁ。逆に言うと、クロで義理を果たせばもう縁切りと言える」
悪評塗れやんけェ!どーすんのコレ、いやそんな人の所有物である俺ってどーなっちまうの。
つーか、話の流れ的に、もしや馬主のオッサンの隣にいるオッサンって臼井調教師その人か?えっ、もしかして俺を見定めに来てる?
……媚び売っとこ!臼井最強!臼井最強!!臼井最強!!!
「どうどう」
ごめんなさい。
「…で。今回は単走調教でしたよね」
「ああ。コイツの進退はその出来による…という条件を臼井は彼に突き付けたらしい」
「そっかぁ。頑張ろうな、クロ」
うへぇ、なんつー日だ。今日が試験だって分かってたら、もっと昨日の晩飯減らしたし寝る時間だって早くしたぞ。日々万全を尽くしてるつもりだけど、そういう準備はやり過ぎるって事は無いし。あっでも気にし過ぎるとそれはそれで際限無いのか。どーしよ、どっちにしろデメリットが浮き彫りだぞ。まぁ過ぎた話なんだけどさ。
……パニクると思考がとっ散らかるな。落ち着け、俺。
促されるまま所定位置に。全員の目が俺に集まる。
そして───俺の命運を決める単走が、スタートした。
手綱の扱きを合図に駆け出す俺。見守る人間達。
ただなぁ……俺、併せに誰かいた方が調子上がるんだよなぁ。単独だとこう、先行でも追走でも自分のペースが分からなくなるというか…イカン、また気が散っとる。瀬戸際やぞ、走れ走れ!
ええい、こうなったら初っ端から全力だ!目標になる相手がいないんなら自分で頑張るしか無ぇんだもんしょうが無いだろ!
「っ、クロ……」
どうしたよ厩務員の
「……いや、好きに行け」
りょーかい!!
▼▲▼▲▼▲▼
「条件は…えぇと、何だったか」
男───宮崎は俺に問いかけた。真面目にやってるとは思えないその質問に、俺は一層不機嫌になる。
「今回の走りで俺を納得させられたら、やろ」
「ああそうだ、それだ。悪いな、最近物忘れが酷くて」
悪いと思うなら、そもそもこの世界に戻ってくるなと言いたい。
だが流石にそれを我慢出来る程度には人生を経てきたつもりや。グッ、と喉元で押さえ込んだ。
宮崎氏は商売の天才やった。目の前の男やなくて、その父の方な。
宮崎は競馬を愛していた。これも、父の方な。
俺はかつて、宮崎の父に助けられた事がある。その恩返しを、いつかしたいと思ってたわ。
……目の前の男が、父親を死なせるまでは。
「何で戻ってきたんや」
「必要になったから」
思わず歯軋りしてまう。必要とされる努力をしなかったクセに、今更何を。殺したも同然の相手の遺産に縋って。
その男の視線を辿ると、彼が目を向けられているのは一頭の競走馬の卵だと分かった。その背に跨るのは俺の息子。酷い巡り合わせだと、心の底から思うた。
「アレなら。あの馬なら、俺の全てを取り戻してくれるんだ」
「本気でそう思っとんのか?」
「でなければ買わない」
宮崎が浮かべる笑顔は、仄暗い。
「良いんだよ、分かってる。けれど私は確信してるんだよ」
「宣言通りの三冠を…」
「その前に3歳牡馬の頂点だな」
絶句。我ながら情けなくも、開いた口を閉じられなかった。
エクスプログラー1995の情報はセリの映像を見て、まるで素人が無闇に筋トレしたかのようなアンバランスな肉付きに「これは大成しない」と判断し、その後ここにゴリ押しで預けられた後も、例のアメリフローラの1995相手に先着出来なかったと聞いている。そんな馬に、コイツは何を期待しとんのや。
「あの馬は間違えない。方向さえ定めてやれば、勝手に自分で強くなる」
「なら俺じゃなくてもええやろ」
「アンタが一番、“正しい”に近い道を示せると思ってる」
アンタ以外に言われたなら嬉しかったわ、と心の中で毒づいた。その瞬間に、馬───クロが、走り始めた。そして次に瞬きしたら、もう掛かり始めとる。
(これはもうアカンな)
実の事を言うと、私はエクスプログラー1995の引き取りに関しては、ここに至ってもなお断るつもりしかあらへんかった。「私が納得したら」という基準の曖昧な条件だってその一環や。むしろ、断固として拒絶し続けたのにしつこく粘られ、実際に走りを見るまで譲歩した事を褒めて欲しいぐらいやで。
やから、これで終わり。自他共に認める失敗で、宮崎も引き下がるやろ。
「いいや」
そうやと、思っていた。
「ここからだ」
▲▼▲▼▲▼
ヤバイ。
飛ばし過ぎた。
息が苦しい。
ここが限界か。
「まだだ」
マジ?
マジで言ってる?
「お前ならいける」
何でそんな事言えるんだよ。
サンデー以外は血統不明な馬の骨なんだぞ、俺は。
「見てきたから」
……アンタはそうだったな。でも、なんで……
ああ、そうか。
アンタ、俺に期待してくれてんのか。
「お前なら、出来る」
期待には、応えなきゃな。
「アメリの子に、勝とう」
約束、したからな。
「キャンペンガールの子と、走ろう」
まだ、終われないもんな。
「認めさせてやれ、クロ…!」
ああ、やってやる。
やってやるさ。
夢見た明日を、この足で掴まえてやるよ───!!
▲▼▲▼▲▼▲
馬の雰囲気が変わった。
調教師としての勘が、自分の慢心に警鐘を鳴らした。
エクスプログラー1995が伸びる。伸びる、止まらない…!?
「嘘やろ……!」
あり得へん。素人目に見ても分かるほど、つい数瞬前まで疲弊していた筈やのに。
「あの馬は応えてくれる」
宮崎がほくそ笑む気配。けれどそれに対応する余裕なんて無く、蘇った馬の走りから目が離せない。
「鏡なんだよ、あの馬は」
躍動しとる。筋肉が跳ね、萎えていた筈の活力が漲り、弾ける。
そのまま黒の疾駆は、定められた道を走り抜いて見せた。
胸に上る熱。無視出来ひん。席を立ち、駆け寄る。
「オイ」
「えっ……あっ、ちょっと待って父さん!今コイツ、ちょっと興奮してるから…」
「やかましいわ」
制止を振り切って肩に触れれば、薄い皮膚を越して伝わってくる脈動。自分の内側で、跳ね回る心臓と同じ。
ああ、クソッ。なるほど鏡や。何の光も返さない暗黒の見た目と見せかけて、この馬は……!
「おいヒデ」
「何だよ父さん」
「何で隠しとった」
キャンペンガールの子を
なのにコイツは、この馬に関する事を
「そりゃあまぁ……親へのサプライズプレゼント、って事で」
「ほざきぃ…これほどの馬やったなら、アメリフローラの1995に容易く負ける筈無いやろ!」
「実際負け続きだったよ。あっ、でも最後の一回は今みたいな末脚で差し切ってましたね。キャンペンガールの子も諸共」
「だから、何でそれを!」
「だって父さん、コイツを預からない気だったろ」
図星を突かれて、俺は何も言えんかった。事実、俺はこの馬を……
「あの馬主の人となんか因縁あるのは知ってるけどさ。でも父さんは父さんで、明らかに目が曇ってたよ」
「お前……」
「だから、ショック療法を…ね」
照れ隠しの笑みを浮かべる我が子に、俺は苦渋を噛み締める。してやられてもうたわ、まんまとな…!
振り返れば、宮崎は既に背を向けて帰っとった。勝ち誇った勝者の背中で、それがひたすらに悔しかった。
「……帰る」
「あ、待ってくれよ!キャンペンの子の様子とか見ないのか!?」
「お前が隠さなければ充分やろ!隠さんかったらな」
「キレんなって悪かったから!ちょ、せめてビデオ!俺の机の上にあるビデオと、管理馬二頭の調教データは持って帰ってくれよー!?」
親を嵌めておいて図々しい奴や。
が、ええやろ。今回ばかりは負けを認めてやる。
栗東に帰って見た、1995生まれ三頭の併せ馬で発揮された末脚の映像。
データに現れている、キャンペンガールの子がエクスプログラーの子と共にいる時の好調ぶり。
それらを見比べて俺は───渋々と、宮崎に押し付けられた契約書に判を押したった。