【Ep.40】健司!
思い返せば、俺にとってのクロとは何なんだろうか。
あの冬。このままの調子なら騎手学校を主席合格というタイミングで、あの人──宮崎さんが訪ねて来たのが、全ての始まりだった。
「君、名前は」
「……?生沿健司っすけど」
「…そうか」
ファーストコンタクトはその会話。そこから、なんか高い飯屋を奢って貰ったり色々便宜図って貰えるようになって。妙に手の込んだ持て成され方に疑問を抱いていた所に、宮崎さんの悪評を聞いて。でも能天気だった俺は、まぁいいかと不安ながらもノコノコついて行って。
まんまと、“運命”に引き合わされた。
「おーい、聞いとるかー」
初めて会った日。お前はそっぽを向いて、俺と視線を交えなかったよな。
「聞いとんのかー?」
それが、若葉Sで乗って、俺は慄いて。
「ちょっとー?」
皐月で、ダービーで。
お前に託される期待と、それに応えようとするお前を見て来て。
「生沿ー?」
夏、調教に参加した俺を労わるように擦り寄って来たお前と一緒にいて。
「アカンわこれ」
毎日王冠。お前と、本当の意味で初めてコンビを組んで挑んだレースで悔しさを覚えて。
天皇賞・秋で、お前は勝利より先を見抜いてみせた。
凄いよ。凄過ぎるよお前。
つまりなんだ、その。
お前が好きだ。
尊敬してる。
お前を目標にしてる。
いつか勇鷹さんは、俺にとってのスーパークリークはお前だと言ってくれた。それは確かにその通りで、でもそれ以上だ。
毎日王冠で確信したんだ。お前は、俺をどこまでも連れて行ってくれる。
お前とならどこへだって行ける。行くべきだ。
いや、違うな。
俺は……
「生沿!戻って来い!!」
「……ウェッ!?」
ななな何すか臼井さん!って違った、変だったのは俺の方だ!今は会議中だった、何で思案に耽ってんだ俺!?
「ったく、これまでのクロスの戦績を省みてたら急に放心しよってからに」
「まぁまぁ、良いだろう臼井」
「……この馬主にしてあの馬、そしてこの騎手ありやな」
「なんか凄い括り方された気がするぞ」
庇ってくれる宮崎さん。彼もまた、この一年で大きく変わった。クロが変えたんだろうか。
って、このままだとまた自分の世界に逆戻りだ。集中、集中!
「次戦を含めたローテーションの話っすよね?」
「さっきからそう言うとろうが。さて、情報を整理し直すけど……この時点で、正直選択肢はほぼあらへん」
そう言ってホワイトボードを叩く臼井さん。そこに記されていたのは、「ジャパンカップ」の7文字。
そうか、もう……そこまで来たんだなぁ。
「なんで他の選択肢は無いの?」
「マスコミだけでなく、世間全体からクロスへの注目度が高まっているからな。ジャパンカップのような大きなレースに早く出して欲しい、という圧力に臼井氏が耐えられなかったんだ」
「誰が圧力に屈したって?……いやまぁ実際、その側面も否定は出来んが」
美鶴ちゃんの質問に対する宮崎さんの応答に、臼井さんはバツが悪そうに頭を掻く。でも、圧力の有無に関わらず、この選択は“アリ”だと思う。
「美鶴ちゃん、マイルCSの賞金って知ってるっすか?」
「実はまだ……教えてください」
「1億3千万っす」
「……おく」
「億っす」
「せんまん」
「千万っす」
あらら、呆けちゃった。まぁまだ子供ですし、実感湧かないのも当然っすよね。
ちなみに。
「ジャパンカップはその3倍入ります」
「!?」
「ちなみにマイルCSは去年10万人弱の観客が入ったっすけど、ジャパンカップは《15万人》っした」
「!?!!?」
おお、驚いてる驚いてる。可愛らしいっすねぇ、こりゃ話し甲斐があるっすねぇ!
「娘をあまりイジメないでくれるか、生沿君」
「サーセン」
「い、いえ……でもそうか、そんなにジャパンカップって凄いレースなんだ」
「マイルCSも充分凄いんやけどな。日本やと
臼井さんの解説に首肯で追随。ジャパンカップの場合、日本ダービーと同じ2400mってのも一因にあるかもっすね。
という訳で、今挙げられたのは「賞金」と「人気」の2点。特に後者は、クロに箔を付けたい宮崎さん親子的には魅力的な筈だ。
でも、それだけじゃないんすよ。クロにジャパンカップが最適な理由。
「ジャパンカップは、その名の通り
「……つまり?」
「クロスが世界に羽ばたくチャンス、って事っす」
日本総大将。日本のトップ。
それを示すのに、最高の舞台だから。
「ジャパンカップには海外の有力馬も出走する。無論、年度によってその質にも差はあるが……対抗して日本側の中距離最強馬が集まるのはほぼ確実や。他ならないサイレンススズカも、秋天でクロスを破っとったら出る予定やったらしいで」
「そしてその後、海外遠征する予定だったと。勇鷹さんがそう教えてくれました」
「「……!」」
宮崎さん達が顔を見合わせる。彼らにとってもサイレンススズカは少なからず意識した相手、だからだろう、その表情には複雑な物が垣間見えた。
そう。有馬こそ取り沙汰され易いけれど、ジャパンカップもまた年内総決算のラストステージ。そしてクロの“次”を見据える為に最適なレースなんだ。
「クロは世界でも通用する、というのが俺と臼井さんの共通認識っす。世界級であるサイレンススズカに追随して見せたあの末脚は一級品っすし、肝心の上がりタイムもそれを証明しています」
「そしてそのサイレンススズカがいない今、もう国内にクロスの敵はおらんっちゅう訳や」
そう言って、臼井さんはホワイトボードをバン!と叩く。思わずそちらへ目を向ける俺達三人。
彼は、こう告げた。
「コイツら以外は」
指し示された写真は2枚。写るは二頭の黒鹿毛。
スペシャルウィークと、エルコンドルパサー……!
「この二頭がジャパンカップに出る。特にスペシャルにダービーで負けたのは、まだ記憶に新しいよな?まぁそのスペシャルを育てたんは俺なんやけど*1」
「……*2まぁそのスペシャルにクロスは勝ち越している訳だが」
「「ア゛ァ?」」
「煽り合う大人2人は置いといて。この二頭の陣営もクロスとの再戦を望んでるっすし、無視は出来ないって話っす」
「でもエルコンドルパサーには前勝ってますよね?スペシャルちゃんと並んで取り沙汰するのは違和感あるような……」
「とんでもない!一回で格付けが決まると思ったら大間違いっすよ美鶴ちゃん」
あの時のエルコンドルパサーは、騎手が窓葉さんから海老奈さんに変わったばかりでとてもじゃないが本調子とは言えなかった。そしてそうでなくとも勝負は時の運、クロスやエルコンのレベルにもなると同条件で複数回やり合ってもその度に結果が変わりかねない。
なんたって、向こうもまた世界レベルだから。
「ほひゃほひゆうほひへは、ふほふろひょーひらへっほーろーっれろほはるんら。ほろほひへろはろっはらら、ふひろれーふりふふひはい」
「クソ親父と取っ組み合ったまま話すのはちょっと……」
「他の理由としては、クロスの調子が絶好調ってのもあるんや。このモチベを保ったまま、次のレースに進んでおきたい」
「………馬の調子はいつ崩れるか分からないからな。昔、父からそう聞いた事がある」
そうそう、今臼井さんと宮崎さんが言った理由もまた大きい。
という訳で、これらの理由を整理した結果。ジャパンカップに出ない選択肢はほぼ無くなったって事っすよ、美鶴ちゃん。
「生沿さん」
何すか?質問ならどんどん受け付けてるっすよ。
「勝てるんですか?クロスは、ジャパンカップで」
……そりゃあ。
「勝ちますよ」
当たり前じゃないっすか。
「あんなに強くて、頼りになって、何より優しいサラブレッドっすよ?」
勝たない訳が無いじゃないっすか。
負けさせて良い訳が無いじゃないっすか。
「アイツの努力を報わさせてやりますよ。絶対に」
この身を賭してでも。
絶対に。
「生沿、ツラ貸せぇ」
臼井さんに手招きされたのは、会議後に宮崎さん達が帰ってからの事。
まぁ十中八九、あの件。
「分かってるとは思うが、クロスとの意思疎通の件は……」
「言いませんよ、誰にも」
言う訳が無い。言える訳が無い。それこそ、馬を大事にしてくれる確証のある勇鷹さんのような人でも無い限り……いや、たとえそんな人が勇鷹さん以外にいたとしても。これ以上話す事は無い。
「せやな、分かっとるんやったらええわ。もしクロスが人語を理解するってバレたら、もうレースどころじゃなくなるからな」
「何より、クロスがスペシャル達から引き離される未来が透けて見えますしね。それだけはなんとしても避けたいっす」
「……の割には、勇鷹には喋ったようやが?」
「いやだって明らかに関係者ですもん。何より勇鷹さんっすよ?」
「前半は分かるが後半の理屈はてんで理解不能やな……」
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秋天から数日後、今から数日前。「クロスに聞いてくれ」と言う俺の言葉通りに、勇鷹さんは臼井厩舎に来て、俺達の付き添いの下、クロに騎乗した。
でも結果は空振り。流石の勇鷹さんでも、クロと言葉を交わす事は出来なかったようで。
「生沿君。ハッキリ言って、君とクロスの相性は“異常”だ」
「いじょっ……!?」
降りるなり彼は、俺にそう告げる。
「決して悪い意味じゃない、だが幾ら何でも早過ぎる、そして
「あれっ、人馬一体って相手の考えてる事が日常会話レベルまで理解し合えるんじゃないんすか?」
「それが出来た君達がおかしいって話なんだよ。単純に考えても奥分さんとルドルフのコンビ以上、下手するとおそらく人類史上で最も同調率の高い騎手と馬のコンビである可能性がある」
「……俺達が?」
「君達が」
やべぇ。気絶しそう。気絶したい。
人類史とかそんなレベルの重圧を受け、そんな情けない事を思った俺を知ってか知らずか、勇鷹さんは一つ嘆息を吐く。
「……救えた訳だよ。僕とスズカを」
そう言いながら彼が撫でると、クロは鼻息で応じた。あっ、今コイツ「どうも」って言った!多分!
「
「……やっぱり異常だよ君ら」
「サーセン……」
「いや謝って欲しい訳じゃなくて……ああ、もう!」
頭をガシガシと掻く勇鷹さん。そんな彼が次にとった行動は──えっ!?
「ありがとう生沿君、クロスクロウ!助かった!」
「
「ちょ、顔上げてください勇鷹さん!」
90°の礼なんて今じゃほとんど見ないっすよ!?そもそも俺はクロに従っただけで……
「いいや、これは僕が払うべき最低限の礼儀だ。ケジメぐらいつけさせてくれ」
「でも……」
「だけど、今返せる物は何も無い!」
だから、と。そう口にした彼の顔は、使命感に燃えていて。
かつて憧れた、ギラついたその瞳に俺は。
「
「……!」
噂には聞いていた。なんとか戻ってこれたサイレンススズカだが、その調子は芳しくないのだと。
でも、勇鷹さんがそういうのなら。
彼らのコンビは、必ずターフに帰ってくる。そう信じられる。
「じゃあ、その時は……」
「ああ、その時こそ………」
秋天の、決着を!
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「戻って来ますよ、彼らは」
「いや、何なら勇鷹の方はスズカ関係なくジャパンカップでスペシャルに……そういう事やあらへんか」
約束が増えた。いよいよもって負けられない、いや負けられないのは最初からか。
でも、勝利への思いが強まったのは確かだ。
「臼井さん」
「何や生沿」
「凄い物を見せてやりますよ、ジャパンカップ」
勇鷹さんと奥分さんが、毎日王冠後に秋天に向けて交わしたという宣言。本来なら縁起が悪いであろうそれに、敢えて肖る。
クロなら……俺とクロなら、そんなジンクスなんて蹴散らせるから。そう、信じてるから。
「日の本の杯の歴史に、クロスクロウの名を刻んでやる……っす!!!」
「気合い入れ過ぎて逆に締まらん語尾やな」
「言わないでくれると嬉しかったっすよぉ……」