金切り音と共に引き裂いた先には、暁が待っていた。
虚空に浮かぶ太陽。暑く、暑く肌を焼く熱線。
触れたら灼かれる、その程度の危機感はある。何だったっけな、空に焦がれ過ぎて翼を失った……そんな伝説を思い出させるなぁ。
触れたら。
どうなるのか。
墜ちるのか。
墜ちる代わりに──どこまでいけるんだ?
「今はやめとこう」
俺の口から出た言葉。
『そうだな』
自分で答えた。きっと、今じゃなくて良い。今する理由が無い。必要が無い。
だって、触れなくても。
俺達が、俺である限りは───
『クロ〜!!!』
「生沿君!!」
「『!?』」
その呼びかけで、急に現実に引き戻された。景色が消える。視界に広がったのは、いつも通りの芝と。
そして。
「「「わああぁぁぁ………っッ!!!」」」
『ヒェッ…』
なんだこの歓声は!?たまげたなぁ……えっ、何?皆俺の方向いてるよ。俺何かやっちゃいましたか?
おいスペ!コイツは一体どういう状況なんだ!!
『ぜぇ、ぜぇ……やっと止まったと思ったらそれ………?』
「大偉業を為して、放心状態になってたみたいだね」
「『す、
『そっかぁ。じゃ、
板?競馬場で板っつったら、そりゃ掲示板の事だろうけど。一体何があるって……
| 東 京 | 10R | 確定 | ||
| ❶ | 10 | |||
| ❷ | 6 | >1 | ||
| ❸ | 7 | >4 | ||
| ❹ | 2 | >8 | ||
| ❺ | 11 | >7 | ||
………あ?
なんだこれ?
10って……ああうん、俺の番号だよな
6はエルだ。間違いない。問題はそれ以降だ。
俺とエアグルーヴ先輩の間にある、1+4。つまりは5。
俺とスペの間にある、1+4+8。つまりは13。
「『………???』」
いや、おかしいだろ。俺の認識が間違ってなければ──いや多分確実に間違ってるんだが──
《大記録達成です!!》
鳴り響く実況も、どこか他人事ならぬ他馬事に感じられて。何だ?俺は今、何の喧騒の中にいる?
何が、起こった?
「やれやれ、全力を振り絞って負けちゃったってのに」
『負かした相手がその有様じゃ、締まりマセンネェ』
エル。海老奈さん。
『いい加減、Wake upしてくれないと困るデスよ。ホラちゃんと見て』
そう促されたのは、俺をガン見してくる他の人馬の方向。俺へと熱狂を注ぐ観客の人々。次いで、もう一度掲示板。
《ジャパンカップ!芦毛のヒーロー!刻む爪痕はオグリキャップの敵討ちかッ!!》
『──あぁ』
ああ、そっか。
「あぁ………!!」
ああ…そうなのか!
やった!
やった!!
やったんだ!!!
「『よっッしゃあああぁァアアアアッッッ!!』」
グラス、見てるか!やったぞ俺は!!
ああ、最高だ!お前がここにいてくれりゃもっと最高なんだがなぁ!!
だから届け!届くぐらいに叫べ!!!
《クロスクロウ咆哮ォ!!生沿ガッツポォーズ!!!沈黙を超えた勇姿を焼き付けるは、永遠に語り継がれる
「「「クーロース!クーロース!!クーロース!!!」」」
ははっ!やったやった、やっちまったぁ!!こんな声援受けんの初めてだ!俺、皆の期待に応えられたんだよな!?
うわっ、コール恥っず!キングがドン引く訳だよ、ごめんな。でも後悔はしてねぇ!まじで気持ちいい!!勢い余って馬っけ出しちまいそうな程にな!!!
発散しねぇと!走るぞ
「だな!ウイニングランだ、クロ…!!」
《いやぁ、
《分からない訳無いでしょう?!改めて考えたら訳分かりませんけど!!》
《芝2400mの世界記録とG1最年少制覇を同時達成。それも片やホーリックス以来、片や成人もしてない19歳とは……!》
《レコードというのはいつかは超えられるものですが、生沿健司の記録はもう今後暫くは無理でしょうね……現状考え得る最短ルートですし》
なぁなぁなぁ、これ良い事だよな!皆喜んでくれてるよな!?母さんも認めてくれるかなぁ!?!!?
「エクスプログラーの事か?ああ、きっと…!」
サンキュー生沿!優しさが心に染み渡るぜ!!
あー!歓声を独り占めするのは気持ちええんじゃ^〜〜!!グラスにも見て欲しかったなぁ、この光景!自分で言うのもなんだけど今の俺、最ッ大級に輝いてるだろうしさぁ!
「間違い無いよ。お前は──」
お?何ぞ??
「──世界で最高の、名馬なんだから」
………言うねぇ。言ってくれるねぇ。
けど残念!ここに来て見解の相違ってヤツだな、初めての!
「えっ」
えっ、も何も無いっての。良いか。最高なのは俺じゃない。
俺は。いや、俺
『世界最高の
お前が俺を導いてくれる。
俺がお前を乗せていく。
どこまでも。
俺達なら。
「………だな!!」
『ああ!!!』
喝采という名の、祝福の花吹雪。
その中を俺達は、いつまでも駆け続けたのだった。
『……行っちゃいマシたネェ』
『………』
『くそっ、くそっ…クソッ!!勝ちたかったデェス!グラス持ってかれちゃいましたヨォ!!!』
『………』
『デモこのままじゃ終わりマセン!どこまでも追っかけて、地の果てまで追っかけて次こそ勝ちマァス。その時まで、グラスの視線は預けて置くデェス!!!』
『………』
『…で。どしたんデス、さっきから黙りこくっちゃって?グラスをクロスに持ってかれたのがそんなにショックでしたか』
『ううん。そっちじゃなくて…色々、考えなきゃなぁって』
『まぁ課題だらけなのはお互い様デスからネェ。お互い頑張りマショー!!』
『……うん』
後ろから見ていた。見てろって言ってたから、その通りにやってやった。
結論?くだらねェ、の一言に尽きる。やっぱり人間共の都合で身を擦り減らしただけじゃんかよ。何を見せたかったんだお前。バカか?
『見事にやられたな。我々二頭とも』
『誰かと思えば、数字通りに3着になった3号か。傷を慰めたいなら他の奴を当たりやがれ』
そんな苛つきを分かりやすく表していた筈なのに、考え無しに寄ってきたのは
いや、コイツの事だ。何か思惑でもあんのか?まさか負けた身で煽りに来ただけとも思えねェし。
『そうか?傷の舐め合いをするなら、今この場ではお前が最善だと思ったんだがな』
『はァ?気持ち悪ィ事言うな』
何だ何だ、慰め合いを肯定するだなんて女帝らしくもねぇ。皮肉だよな?
仮に皮肉だとして……俺が最善?はァ?
それ以上何も言うな。
『無自覚か?それこそ“らしくない”ぞ』
『何を──』
言うな。
『我々に人間のような“手”は無い。故に頬に掌を当てて確かめる事は出来ないが……お前ほどの者ならば、落ち着けば分かる筈だろう』
言うんじゃねェ。
『自分が今、』
言うな……
『どんなに悔しそうな顔をしているか』
『言うなァ!!!』
気付けば、エアグルーヴを跳ね除けて走り出していた。方向は、
『……そうだろう、ステイゴールド。私もまた同じ気持ちだ』
ああ、そうだよ。ああそうだよ。クソが。
俺は後ろから見ていたんじゃない。見ている事しか出来なかったんだ。
走らされる事を下らないと思っていたし、今も思っている。それは人間が心底嫌いだったからだし、でもそれだけじゃなくて、この持論は“本気で走れば負けはしない”という余裕があって初めて成り立っていた。
それが今日、初めて打ち崩された。
本気で走っていたとしても、その想像上の俺を
『チクショウ!』
後ろから見てた、ただ見送るだけだった。躍動する芦毛の馬体を、陽を浴びて輝く銀の背を眺めるしか無かった。
眩いそれが。
忌々しい人間共の喝采を浴びて、それを祝福として満たされるアイツの笑顔が。
『
俺の馬生は不満の連続だ。どこにいようと何をしようと、人間の用意した“フタ”に頭打ちする日々。それは柵だったり、手綱だったり、乗っかってくる人間そのものだったり。
いつだって、満たされなかった。満たされた事が無かった。
なのに、何だ?
何故アイツは。俺と同じく人間に縛られている筈のアイツは、あんなに満足を得ているんだ?
何でそんな幸せそうな顔が出来るんだよ。オイ。
なんで俺は、お前と違って幸せになれないんだよ。
オイ。
『ふざけんな!!』
何が『見てて下さい』だ。こんな物見せつけやがって。当てつけか?
チクショウ。人間さえいなけりゃ俺だって。俺だって!
『何を以て“充足”とするかなんだよ、ステイゴールド先輩』
アイツの言ってた事が嫌に響いていた。知ったようなクチを聞きやがって、あの青二才が。
冗談じゃない。あんな満たされ方、許容なんて出来るか。結局人間も得してんじゃねぇか。
『………見つけ出してやる』
探して、探して、掘り起こす。俺が俺にとって、俺を満たせる生き方を。
人間に一泡吹かせて、クロスクロウに『参った』と言わせる満足を。
『それまで、折れてくれんじゃねェぞ……!!』
見守っていました。
『こじ開けろォッッ!!!!』
見届けました。
芦毛の馬体が、どこまでも己の生き方を貫いて得た栄光を。
《クロスクロウ止まらない、誰にも止められない!もう誰もあなたを止められない!!》
聞き届けました。
黒い
「『よっッしゃあああぁァアアアアッッッ!!』」
感じ取りました。
朝日のように輝いた瞳が、魂が、激闘の果てに掴み獲った勝利を。
エルと
それでも、クロとエルのぶつかり合いに少しでも近く在りたくて。わざと夢に落ちて、エルと繋がろうとした。
流れ込んできた。
エルの意気が。
彼を取り巻くレースの空気が。
そして。
『俺は信じる。諦めない先輩を、先輩を支え続ける人間達を。だから俺も、俺の道を信じて曲げない!』
クロの、心が。
『皆を喜ばせたらさ、俺さ……すっげー幸せになれるんだ』
祈りが。
そして。
『俺の中に
ボクへの。
『ずっと、グラスが俺の中を満たしてくれてんだ』
想いが。
『……アハッ』
何だ。
こんな、簡単な事だったんじゃないですか。
『何を悩んでたんでしょう、ボクは』
無様を晒した。それが何だ?
クロに醜態を見せた。それが何だ?
ボクは、クロを舐めていたんだ。
『クロは……クロはボクを絶対に見捨てない…!』
あんなにボクを想ってくれる彼が、ボクを捨てるなんて有り得ないじゃないか。
待たずに、でも追い付いてくるって。信じてくれてるに決まってるじゃないか。
嬉しい、嬉しい。うれしいうれしいうれしい!
『ああ、クロ───!!!』
応えたい。
貴方の無償の優しさに報いたい。
皆を喜ばせる貴方を、喜ばせたい。
皆に全てを捧げる貴方にこそ、ボクの全てを捧げて満たしたい!
そうと決まれば、やる事は一つだ。難しい事なんて何一つ無い、最初から決まり切ってた。
『彼を満たすのは、ボクだ』
エルにも。
スカイ君にも。
キングヘイローさんにも。
スペさんにも、その座を渡すものか。
もう二度と、渡して堪るか!
覚悟は決まった。後はぶつけるのみ。
クロが言っていた、冬の大レース“有馬記念”。夏の別れ際、そこでまた会えると伝えてくれた大一番。
今年かは分からない。来年かも知れない。でもまた会える、戦える可能性があるのなら、そこに全力を注ぐまで。
逃げ道は無い、要らない。不退転の覚悟を決めろ。
『絶対に、勝つ……!!』
そうして、いつか。
貴方の
1週間以上空いちゃった訳ですが
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待てた
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待てなかった