スペが来た。
何も変わってなかった。
『クロさぁぁぁぁん!!!」』
主に、甘えん坊な所が。
いや訂正、変わってるわ。成長してる。フィジカルが。
俺の馬房とアイツのそれを隔てる柵を、ブチ破らんばかりに。
『って待てや!!』
『待ちませんッ!』
『ええぃやめろ例の顔が浮かぶッ!ちょストップ!柵軋んでるぞ!?』
「スペシャルウィーク号を止めろぉぉぉ!!」
『止まりませぇぇぇんッッ!!!』
『ホァァァァッ!!?』
「わぁぁぁぁあっ?!」
押し戻そうとした俺を逆に押し込み、引き戻そうとした厩務員をも寄せ付けなかったスペは。
たまたま近くにいた先輩馬さんに『やかましい!うっおとしいぜこの青二歳!!』と喝入れられてようやく止まったのだった。先輩…一生ついて行きます!
『俺はもうすぐ引退だ』
マジすかぁ……。
でだ、スペ。
俺明日、新馬戦なんだわ。
『えっ!……新馬戦って何ですか?』
ズコー!と故郷の厩務員譲りのズッコケを披露。せやった、そら馬なお前はレース名なんか知らんわな!
『新しい馬が戦う、って書いて新馬戦。初めて公式に競走する馬達が出るレースで、ここを勝たないと話にならん大切なヤツ』
ウマ娘で初手敗北した時の絶望感はヤバかったわー。完全に勝つ事を想定してるからこそ、スケジュール大崩壊するんよな。まぁ即終了にはならないだけ、マックEーン案件よかマシと言えるけど。
本来の競馬だと、予定レースが決められてない分柔軟に対応でき…ると見せかけて、命懸かってるのでもっとシビア。ままならんね!
『それって…大丈夫なの?クロさん勝てるんですか!?』
『勝てるかじゃなくて、勝たなきゃいけないんだよ』
なんせ俺が目指してるのは天寿を全うしてのウマ娘転生なんだからな!って言っても通じる訳がないのでここは黙秘。しかし実装されてるウマ娘ってホントやべぇよ、どいつもこいつも無敗記録なり前人未踏なり半端じゃないドラマ持ってんだもの。えっ神様、まさかとは思うけど俺もそれぐらい功績積まなきゃ転生無理とか無いよな!?
……でも、それよりも大きな問題なのは。
『グラスは勝ち抜いてる。ここで躓いたら追い付けない』
『っ…そんなに、速いんですか』
『そりゃあもう』
スペの顔が険しくなった。そうだよな、もう負けてらんないもんな。
俺の知る本史グラスワンダーの別名は“怪物二世”。コレの由来は確か、マル外と同じく海外で交配された持ち込み馬の身で朝日フューチュリティ
『グラスと、戦うんですね』
『約束したからな。スペ、お前もいつかアイツと
『当然です!』
フンス!と鼻を鳴らすその姿に思わず微笑。相変わらず、可愛いツラと仕草の下にとんでもない闘気を隠しやがってからに!
『つー訳で、吉報を待っててくれや。精々後ろから、俺の華々しいデビューを見守ってやがれ!』
『そうはさせませんよ!僕だってすぐにデビューして、クロさんを負かしてやりますもん!』
『言ったな〜?』
夜は更ける。俺たちは戯れ合いながら英気を養い、来たる未来への決意を固め合った。
そして、当日。
馬運車に揺られ揺られて、到着したのは競馬場。否が応でも昂るテンションを必死で抑え、多くの人の目に晒されながらパドックを回った。
そして現在、地下馬道。
「クロの仕上がりは…まぁ、アンタは分かっとるか」
「まだ1週間の付き合いですが、彼自身が分かり易く接してくれたお陰でなんとか。賢い馬ですよ」
『そりゃ何より』
だってレジェンド奥分ですぞ!?こっちの情報全開示して当然ですよ、っていうか逆によく全部読み取れましたねホント!俺がどう歩み寄ろうが所詮馬としての動きしか取れないのに、その日の調子を1回触れただけで毎日しっかり言い当ててくるとかウッソだろお前。
『で、今日の調子は?』
「ほならどないや?」
「絶好調。体温は安定、馬自身のメンタルもバッチリで、良いパフォーマンスを期待出来ます」
「お見事!馬体重も目標を維持しとるわ」
『やったぁ!』
お墨付きいただきましたぁ!コレで負けたら末代までの恥になっちまうぜ、頑張ろう(小並感)。
いやしかし、奥分さんってマジで上手いわ。さっき本人が言ってたように、この1週間で乗って慣れさせてもらったんだけど、体重の消し方がヤバくて乗られてる気がしねぇの。これがルドルフ直伝の騎乗法*2ですかヤバイですねぇ!
「いやぁホント賢い、それでいて大人しい馬ですよ。宮崎氏は良い買い物をしましたね」
「うーん…馬主がアイツでさえなかったらなぁ」
……いやマジで嫌われ過ぎィ!何やらかしたんだ、刑法のヤバイのでも犯しちゃった?いやでも馬主資格って結構厳格な筈だし、だとしたら一体どんな事を……
「まぁ今はそんな事はええんや。気張れやクロ、引き取った事を後悔させんな?」
っと、気を向けるべきはそっちの方でしたな。
了解ですぜ臼井氏、サクッと勝ってやりまさぁ!!
「よーし…さぁ行こう、クロス」
『了解ー!』
手綱で促されるままに、光の差す出口へ。
一歩、踏み出した。
世界が、そこにあった。
吹き抜ける風が、全身の毛を撫でた。
緑色の、果てしない世界だった。
「…クロス?」
ハッ!いけねぇいけねぇ、知らん間に我を失ってた。
けど、正気を取り戻した今ですら、目の前に広がる光景が別世界であるという認識を拭えない。先ほどまでいた場所とは明らかに違う、ここが本来の居場所だと本能が叫んでいる。
ヤバイ、今すぐにでも走り出したい──けど!
(うおおおお!唸れ俺のヒトソウル、馬ソウルを全力で封印しろ……!!)
「落ち着いてる…というより、興奮を自分で制御しているのか」
っふう!落ち着いた、やっとこさ落ち着けた!スマン奥分さん、気にしないでくれ。
いやぁ本能とはかくも恐ろしいもので、危うく本番前に体力使っちまう所だったわ。これが府中の魔物*3…!
「いや本当に馬かい君は…?」
『
「……まぁ、自律出来るのは良い事だ」
……っぶね〜〜〜!天下のレジェンド様に元人間である事を見破られる所だったんじゃね今の!?ヤバイって、住処がトレセンから研究所の冷蔵庫の中になるのは不味いですよ!
まぁ脱した過去の危機は現実逃避気味に置いといて。ここで俺は、ようやく観客席や周囲の馬たちに気を向けた。ううむ席はまばら、入りはあんま良くなさそう。まぁ新馬戦だしこんな物なのかな?馬の方は、おぉ選り取り見取り。毛色も姿形も十人十色ですねぇ。人間の頃は分からんかったが、やっぱ同族になると流石に見分け付くモンなんやなって。
『ん?何ー?』
『や、適当に眺めてただけ。気にしないで』
『えぇー、じゃあオイラもアンタの事見るー』
『えっ』
あらま、そんなつもりじゃなかったのに……深淵を覗くものは深淵を覗いている、じゃなかった深淵に覗かれてるってか。
ところで君の名前は?
『フレアカルマだよー。君は?』
『天下のクロスクロウぞ。道を開けい』
『テンカノクロスクロウ…長い名前』
『ネタだから。“天下の”はオミットして下さい何でもしますから』
ええい、競走馬の名前は9文字以内が規定だというのに何だそれは!馬のクセに知らんのか!?いや馬だからこそ知ってる訳無いわな!
まぁ良いやフレア君、これからよろしく。
『これからってー?』
『えっ知らんかったの?俺達、これから一番速いのが誰かを巡って競うし、そんな戦いが何回もあるよ』
『へー』
へー、ってそんな他人事…ならぬ他馬事みたいに。君の馬生に関わる事なんだぞ?
『そんな事急に言われてもピンと来ないし…ケンカする訳じゃないし、速く走れば良いんでしょ?仲良くしたいなぁ、オイラは』
『……まぁ、概ね同意ではあるんだが』
俺自身、スペやグラスとそうなれたように他の馬達とも仲良く在りたいと願ってるしな。目の前のフレア君だって、この会話でもう結構気に入ってしまってる。
『おっとっと、上のニンゲンが引っ張ってる。オイラ、もう行かなきゃ』
『おけおけ。お互い頑張ろうなー』
『だねー』
そんな緩い会話を最後に、俺達は離された。
……勝てなかった先に待つ未来について、話さなかったのは正解だったのだろうか。
「話してたのかい?」
「
分からない。何が正しいかなんて、勝った先にしか分からない。
その為にもまず、俺が生きなければ。
勝って、生きるんだ。
───
《サラ系3歳新馬戦、芝コースの1600m13頭立て。各馬スルスルとゲートに収まっていきます。態勢完了しました………スタートです!アークレイズがハナに躍り出て2番手にコスモネビュラ》
よしスタートダッシュ成功!練習した甲斐があったぜ、臼井さんナイスゥ!
さぁて、次は奥分さんの導きのままに中段につけて……
《キリエルビトが外を回ってその半馬身後ろにペンダコペンダ、ペンタゴニウムが続きます。中段の位置には、》
先行。そう、先行だ。全体のペースに追随して、最後にそつなく抜け出るんだ。練習したんだ、いける。
その為にも足を抑えて…
溜めて……
抑え込んで………
《セイカツヒカケルとクロs…おおっと!》
キツイイイイイイッ!?
前も!後ろも!馬ばっか!!存在感過密過ぎて呼吸が止まりそうだぁ、とてもじゃないが出力調整なんて出来ん!
奥分さん、ゴメン!前に出るか後ろに下がるかして良い!?
「まだだ…っ」
『ですよねぇぇぇ……!』
ええい堪えろ俺!!追い込みは性に合ってるけど、やっぱ先行をこなす方が順当に勝てるって理屈で分かってるだろ!?後はそれを実践すりゃあ良いじゃねぇか、ホラ!
《鞍上奥分、一瞬クロスクロウの制御を失ったかのように見えましたがすぐに立て直しました。戻りますが、クロスクロウの内に控えるのはアイアムアイアン、そのすぐ横につけるようにして───》
コーナーだ!曲がる!!これは流石にいつも通り!出来た!
よぉしこのまま先頭って待てや俺!また早まりかけた、クソがッ!!
『何これ』
『どこまで行くの』
『うるさい』
『帰りたいよ』
耳に入ってくる戸惑いの鳴き声。そうだ、悪戦苦闘してるのは俺だけじゃない。ここにいる皆が皆、サラブレッド1年生で悪戦苦闘してんだ。
そんな中で…っ。
『燻ってられるかよ……!』
直線に入る。落ち着け、ペースを保つんだ。置いていかれないようにさえすればって先頭遠いィ!大丈夫なの、追いつける?もう行った方が良くない!?
「落ち着いてくれ!」
了解!!!
《入れ替わりも無く最終コーナー、いえアークレイズに代わりキリエルビトがここで先頭。各馬それを追走し、いよいよ最終直線へ》
まだ?
まだ?
まだ?
「………」
ねぇまだ?
あっ無理だ。
「よし今d…クロス!?」
《ここでクロスクロウ上がった、上がってきたぞ?奥分騎手にしては早い仕掛けだが掛かってしまったか。そしてその後ろからフレアカルマもギアを上げるっ》
うわぁぁぁんごめんなさぁあああい!前も後ろも情報過多過ぎてパンクしかけてたんだよォ!!
ええい出ちまった、どうしましょうレジェンド様!?
「ふむ……このまま行こう!」
『ラジャー!!』
手綱を扱かれたので加速。賽は投げられたのでヤケクソ加速。勝ちゃ良いんだろ勝ちゃよぉ!
……お?
『クロス君だっけ?大変そうだね〜』
『おおおおおおまっ』
あのー、フレア君。何で君は俺の隣にいるんでしょうか?
割とスパート掛け始めとはいえ、結構な力で走ってるんですが。
『だって楽しいんだもの。そぅ、れっと!』
『…っ!!!』
やべぇぞ離される!ここでこの事態不味いだろ!!
《フレアカルマ躱して先頭、いやクロスクロウも釣られて加速!他の馬もスパートを掛けるが、これはどうなるか?》
(クロスが攻めあぐねている?いつもの力を出せてない)
うぐぎぎぎ、思うように力が入らねぇ!なんか加速に必要な何かが擦り切れてる感じ、気持ち悪いなコレ!
奥分さぁん、無敵の騎乗テクでなんとかして下さいよォーッ!!?
「っ…!」
『あ痛っー?!』
尻にちょっとした衝撃、あっコレが鞭かぁ!!ちょっとスッキリした気がする、サンキューですわ!
『行くぞオラァァァァァッッ!!!』
『うわぁ、凄いよクロスクロウ!こんなに速いなんて…』
感嘆してる場合か?そんな奴に負ける訳にはいかねぇな!
《今度はクロスクロウが躱しました、二頭の争い!後ろからセイカツヒカケルが飛んでくるがコレは間に合うのか?》
『勝利は…ッ』
勝って、次に行く。
だから。
「俺の物だぁぁぁっ!!」
全力で走り抜けたゴール板。それを自覚したのは、数瞬遅れての事。
《クロスクロウ1着!1馬身離れてフレアカルマ、続いてセイカツヒカケル。4着はキリエルビトで5着に───》
『ゼヒュー、ゼヒュー…えっ、勝った?』
点灯する掲示板に目を向けると、一番上に輝く「11」という数字。それが俺の番号である事を確認した瞬間、力が抜けた。
『アイエエエ……危なかった』
「良く頑張ったな、クロス」
喜びというより安堵。達成感は無くて、でもこれが俺のこれから歩む道なんだと自覚する。この緊張と、切迫を、何回も。
……やるしか無ぇ。
『凄かったねぇ、凄かったねぇクロス君』
『フレア君か。俺ァ、お前に並ばれた時にゃもう駄目かと』
『何言ってんの、勝ったのは君じゃん』
よく言うよ、と歩み寄って来たフレア君に吐き捨てた。奥分さんが鞭で脳内をリセットしてくれなかったら、俺はあのまま負けてたと思う。
『次の勝負がいつになるか分からんけど、君のそのスタミナと末脚は素直にヤベェと思う。上手く活かせば勝ち上がれるぜ』
『ホント?じゃあまた一緒に走ろうね!』
『ああ。またな』
『うん!!』
それだけ言って、フレア君は去っていった。その時、首筋をポンポンと叩かれる感触。
「良くやったな、クロス」
『奥分さぁん……』
「でも帰ったら反省会だ」
『ヒエッ』
うぇー。大変申し訳ない、俺が我慢出来なかったばかりに…
「…さ、悔やむのは後だ。今は勝者として、その義務を果たそうじゃないか」
『……はい!』
誘導されるままにウィナーズサークルに向かう俺。そうだ、今だけでも雄々しく気高く。
この一戦を、そしてこれからの一戦一戦を大切にしていく為に。
ちなみに。
これ以降、俺がフレア君の姿を見る事は無かった。
「奥分騎手。ちょっと良いですか」
「えっ…あっ、こんにちは。貴方がクロスクロウ号の馬主でしたね」
「クロスクロウ号が世話になっています…が、一つ質問を」
「何でしょうか?」
「クロスクロウ号に関する方針は、固められているのでしょうか」
「……そうですが、何か不都合な点がおありですか?」
「…いや、お気になさらず」
「……ありがとうございます」
場面転換に使ったスクロール部分は、うまよんのスペ疾走カットインをイメージしますた
あと先輩馬さんの誤字っぽいセリフは仕様です