「クロ、母親に会いたいっすか?」
『会えるんですかい?』
「会えるっすよ」
『やったー!』
と、生沿に言われてからあれよあれよとする内に。クロスクロウ、馬運車に乗せられて移動してます。
……あっるぇ?
(スペと離れ離れじゃないですかヤダー!!)
アカン仲間を独りにしちまうぅ!大丈夫かな、キングとなかよくやってくれれば御の字だが……。
(しかも
いよいよ出発の準備が進んだタイミングで、一時的とはいえ引き離される事にようやく気付いた俺は、なんとかして休暇辞退を生沿越しに臼井さんへ告げようと騒いだのだが。見かねたスペから、
〜〜
『行って来てよ、クロ』
『でもなぁ』
『馬のお母さんなんでしょ?会える内に、会わないと』
〜〜
『よりにもよって!スペにそう言われて!引き返せる訳無ぇダルルォオオ!?』
「おうおう、何だクロ。珍しいなぁこんな騒ぐなんて」
『厩務員くぅん……』
聞いてくれよぉ。生まれてすぐ母を喪ったスペに気を遣わせちまったよ。兄貴分失格だよ俺ァ*1。
ええい、こうなりゃ覚悟を決めねば。母さんに会って、元気って事をちゃんと伝えるんだ。そんで帰って、スペとちゃんと向き合うんだ。
「エクスプログラー、お前を育児放棄してたもんなぁ。会いたがってるって生沿さんは言ってたけど、やっぱり嫌なのか?」
なんて意気込みが、昔馴染みとはいえ生沿以外の人間に通じる筈もなく。うーん、元芸人なんだから人間相手のリアクションはちゃんと把握して欲しいなぁ。あっ俺馬だったの忘れてたわ!
「おっ、着いたぞ」
っとと、もうそんな時間か。言われてみりゃ空気も懐かしい匂いを漂わせてる。
しかしまぁ……前よりもかなり綺麗になった?
「お前が有名になった事で、芋蔓式に杜撰な管理体制が公になってよ。相次ぐ非難と行政介入を前に、経営陣は逃げたり逮捕されたり他所に流されたり」
『草』
「で、今はちゃんとした所──射代のお膝元で、生産牧場として再スタートしたってワケ。俺の相方は真面目に働いてた数少ない従業員だったから奇跡的に残れた」
なんか離れてる内にえらい事になっとるやんけ。いや生まれた時から厩務員二人組以外の人間はやる気無さそうだったし他の馬さん方もピリピリしてるしで、ヤバいとこに生まれちまったかと不安になったモンだけどさぁ。
「と、いう訳で。よう相棒、クロ連れてきたぞ」
「おぉ〜!元気だったかクロ坊〜!!」
んな事考えてたら、もう何年振りかも分からない*2厩務員の片割れ!おっす、そっちこそ元気だったか!?
いやが時が経つのは早いもので、別れの季節が顔を出したと思ったら再会も早いモンなんですなぁ。
「わぱぱ、舐め過ぎ舐め過ぎ」
「コイツも見かけによらず寂しがり屋だからな」
「俺たちで面倒見た日々が懐かしいっすねぇ」
はー!?俺が寂しがり屋?情報が古いんだよぉ、もうスペという弟分を得た俺は成長したんだ!舐めんじゃねぇぜー!!
……まぁ、強がりは置いといてだ。そのスペがいなくなったら多分精神崩壊するし俺。
それよりもさ、早く会わせてくれよ。
「おうどうしたどうした。イレ込んでるな」
「エクスプログラーに会いたいんじゃないっすか?生沿騎手もそう仰ってたじゃないっすか」
「うーん信じられないけどやっぱそうなのかぁ…」
おうおうそうだ、はよ頼む。生みの親なんだから、ちゃんと挨拶しないと礼儀知らずになっちまうよ!話したい事は山程積もって……
……あー。
『母さんの方は違うかも知れないか……』
「急に落ち込んだ!」
「コイツの情緒不安定っぷりを見るのも本当に久しぶりだよ」
生まれた時に蹴られかけたぐらいだもんなぁ。その後もマトモに目を合わせてくれなかったし、ちゃんと正面から顔見たのって多分生まれた時以来だぞ。そんぐらい忌避してる相手が来たんじゃ、母さんからすれば迷惑もいいとこじゃないのか?
やべ。鬱。
……でも、来ちまったんだ。ここまで。
『覚悟決めるかぁ』
スペに後押しされたんだ。無下にしたら、息子としてどころか兄貴分としても失格になっちまう。
案内よろしく頼むわ、厩務員コンビ。もう決心はついたから。
「落ち着いたか」
「じゃ、放牧地行くっすか」
それを皮切りに、かつて見慣れた道を行く。でも何だろうな、なんか感慨が湧かない。生まれた場所なのに、故郷の筈なのに。
そう考えて、ふと気付いた。
(ああ、そっか)
楽しいって記憶、グラスと会ってからが初めてだったわ。
「着いたぞー」
ああ、分かってる。
「喧嘩はしないでくれよ〜」
分かってる。
隣の柵で佇む彼女が誰なのか、よく分かってる。
『…え……?』
サクッ、と生い茂る芝を踏み締め歩いた。それだけで気付いてくれた。恐らく匂いでも。
振り向いて交わった視線、その瞬間に見開かれる双眸。おいおい、予想は出来てたけど……流石に目の前でやられちゃ、俺も傷付いちゃうよ。
『嘘……』
ま、何の予兆も無く連絡も無く現れた俺が悪いんだけどさ。ごめんな。
そして、久しぶり。
今、帰ったよ。
『
『………!!』
『うおおおおもう助からないぞぉぉぉ』
「ちょっ、待っ」
馬が掛かる。こういう時にどうするかは、競馬学校で教わった。
教わった、けど……!
《メーデーパン落ち着かない様子。折り合いを欠いてますかね》
《生沿騎手の落とし所に注目ですよ》
「これ相当キツイな!?」
注目受けた緊張が伝わっちゃったか!?くそ、クロの時のようにはいかないか!
……いや、逆か。
(俺が乗るのはクロだけじゃない)
他ならないクロが、捲し立てるように言ってくれたじゃないか。他の馬に乗る運命が待ってるって*3、必死に伝えてくれたじゃないか。
そうだよ。俺の騎手人生はクロだけで終わりじゃない。正直終わりにしてもいいぐらいクロと相性良いけれど、でもまだ満足したくない気持ちが確かにここにある。
その為にも、この程度で躓いてる場合じゃないんだ!
(だから──っ!!)
クロとは違う?それは当たり前だ、今跨ってるのはメーデーパンなんだから。そりゃそうだろう、生沿健司。
だから、ここで重要なのは
「
いつでも、クロとの走りが出来るようにするんだ!!
《最終コーナーを前にして、先陣を切るのはカンタスコック……ここでメーデーパン下がった?》
メーデーパンの声に耳を澄ませろ。詳細は分からなくても、機微を読み取って要求を知れ。その上で、取捨選択し応えていく。
どうだメーデーパン。今、何がしたい?
『許さない!走る前に挑発された!』
……ふむ。つまりだ。
なんだかよく分かんないけど、この隣の馬が嫌いなんだな。了解。
ここら辺かな?
『許さない!絶対許さな……あれっ?あのバカどこ?』
他の馬の死角になんとか誘導して、相手が見えない位置へ。それでメーデーパンは困惑と共に落ち着いた。
よし、あとは最終直線まで待って……
『あっ皆本気出し始めた。あれ?僕は?』
惑いが鞍越しに伝わって、宥めるようにしながら待った。“機”を。
……今!
「いくぞ!!」
微妙に位置を横にズラしてから手綱を扱く。そう、前を見るんだメーデーパン!
憎っくきアイツが、スパート掛けてるぞ!?
『あー!見つけた!その頭を真水に漬けてやるからな!!』
「よーし!」
「何だぁ!?」
『うわ!あのバカ来やがった?!』
相手が先頭に躍り出た瞬間、追撃。レース後半からマーク戦法に切り替えだなんて自分でも訳分かんないけど、取り敢えず上手くいってよかった。メーデーパンが目論み通りに加速していく!
掛かった分のスタミナ消耗が不安だけど、一回息入れたし問題無い!よな!?
《メーデーパンきた!デーシーテンに詰め寄る詰め寄るっ》
『見たかコラァァァ!!』
『ヒエッ』
ああっ、並んだけど今度は斜行しそうだ!?ごめん今は待って!煽り返すのは勝った後!あのゴール板を過ぎるまで待ってくれ!!
《メーデーパン先頭!新進気鋭生沿健司、若手の星を証明するか!!後ろからはセキガンガルーダも来ているがどうか!》
よーし差したぞ!でも油断はするな!
最後まで行け行け行けいっけぇぇぇえええええああああスタミナ切れぇええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ………………
《セキガンガルーダ差し切ってゴールイン!2着にメーデーパンとデーシーテンがもつれ込み、4着には───》
「うーんこの」
「なんともまぁ判断に困る負け方を……」
観客席で臼井は思案に耽る。その内容は勿論、今日の生沿の騎乗についてである。
「テキ、点数としては?」
「60点。満点は100」
「手厳しいですね」
「負けとるからな」
そう言って、さらに顔つきを険しくする臼井。深く刻まれた眉間の皺は、最早谷と言って差し支えない程に深い。
そうまでして彼を悩ませるのは、案の定というか何というか、やはりクロスクロウに纏わる事象であった。
「生沿に海外遠征、行けると思うか?」
「行けはしますよ、誰でも」
「茶化すな」
「……経験ですねぇ、やはり」
気掛かりなのは、と付け足した助手に臼井は無言で同意。騎手2年目、洋芝どころか日本のレース場にすら慣れ切ってない人材が大手を振れるほど世界は甘くないのだから。
「馬も騎手も、海を越えるってのはそれだけで大きな負担になる。せやからクロスの方は、相次ぐマスコミの取材から離す意味でも放牧に出して英気を養わせてるが……」
「騎手は人ですからねぇ」
「むしろ扱いに困るわ」
働かざるもの食うべからず。経験を積む意味でも生沿は他の馬に乗ってレースに出なければならず、四六時中クロスクロウとの調整に打ち込める訳ではないのだ。
それを踏まえた上で、臼井一行はこのレースでの生沿の調子を見極めに来たのだが……。
「本来なら乗り替わりの判断を下す所ですが」
「出来る訳無いわ」
「ですよねぇ」
明らかに、クロスクロウのスペックを100%引き出せるのは生沿健司ただ1人なのだ。比べられるのは拓勇鷹とサイレンススズカのコンビくらいで、それ故にそんな人材は手放せない。海外経験の有無を差し引いて尚、無理。
あのジャパンCのレコード勝利を踏まえてしまうと、もう完全に無理。
「あ゛〜、新人でさえなければ」
「あと5年くらい早く生まれて欲しかったですねぇ」
海外遠征はもう止められない。自分から言い出した事でこそあるが、もう臼井本人だけでなく日本社会全体から、クロスクロウは競馬の本場・ヨーロッパへと推されてしまっている。
と、その時。
「あっ。拓からメールや」
「なんと?」
「待てぃ、今見るんやから」
急いでケータイを開き、操作。映し出されたのは「70」と記された本文。
今日、現場に来れない勇鷹なりに、中継映像で見届けたレースの点数だ。
「似たようなモンか」
「10点の差はどこから」
「弟子への贔屓目やろ。本人の前では50くらいにするやろけど」
しかしまぁ、と付け加えて臼井は言った。眼下のターフで、ションボリとしながらも馬を撫でて励ます生沿に向けて。
「頼むで若造。お前が1番、あの癖馬を御せるんやからな」
ちなみに、これは余談であるが。
臼井と勇鷹の基準において、1着を逃した事における減点は30であった。