98戦。
それが、僕とクロの走った回数。皐月とダービーも勿論含んでるけど、多くはウスイさんの下での本気の練習だ。
その内の69。
これは、クロが勝った回数。
そして……今。
『そうらよっと!』
そこに1、足される。
僕も、一緒に駆り出されたキングも諸共に。帰ってきた銀の閃光が、追い抜いていく。
『こんのおおおお!』
キングも必死に追うけど届かない。足の回転から違うんだもの、差し返せる筈が無かった。
……一方、僕は。
「スペシャル、どうした?」
『っ』
乗ってるニンゲンさんの手綱捌き。でも、動けない。
応じられない。
まるで固まってしまったかのように、足の筋肉が言うことを聞いてくれない。
そのまま僕は、見るのも憚られるような
「テキ、スペシャルは一体……」
「分からんなぁ…崩し始めた時期的に、ステイゴールドに脅かされたんが効いてしもたんかな」
ウスイさん達の視線が痛い。目を背ける事しか出来なくて、悔しくて。
でもそれ以上に、
『くそぅ!まだやれるよな、クロ!!』
『人間達の意向次第だけど、まぁな。最終手段としては、人間を振り落として勝手に走るって選択肢もある』
『……やるか』
『冗談ゾ!?』
『冗談だよ!』
そうこうしている内に、クロとキングが帰ってくる。胸を張って、堂々と蹄を鳴らして。
『スペ、大丈夫か?どちらにせよ、今から馬なり3ハロン反省会やるからちょっと休むけど』
『3ハロン?』
『馬が全力疾走出来る距離……だっけ?』
『俺が聞いてるんだが?』
凄いなぁ。本当に凄いなぁ。
前を見てる。
決して挫けない。しっかりとした芯を持って、先に進んでる。
その果てに、クロは“
それに比べて、僕は。
ねぇクロ。
『なんで』
『『ん?』』
『なんで、
あの問い掛けに。ステイゴールドの威嚇に晒されて。なんであんなに毅然と対峙できたの?
『死ぬかも知れないのに、なんで』
人間に殺される未来を突き付けられて、なんで。
あの場にいなかったキングはともかく、クロはどうして。
『……ステゴ先輩の件、引き摺ってんのか』
『何の事だ。死ぬ?俺達が?』
『お前達は頑丈だから大丈夫だとは思う、んだが……後で教えるよ』
流石はクロ、その賢さですぐ察してくれる。そういう点も僕とは大違い。
『スペ、何も人間達は俺たちを殺したい訳じゃない。寧ろ生かしたいと必死で考えてるんだ』
『でもその上で、際どい場所を走らされてるのは事実でしょ?』
『……それはまぁ、そうなんだが』
僕の叫びに対し、言葉を選ぼうとするクロ。慎重な彼の合間を縫うように、次はキングが口を挟んでくる。
『走らされてる…?それは違うだろう、スペ』
『分かってるよ!』
分かってる。プライドが強い君の事だもん、言いたい事は分かってるし共感もある。
『走りたいのは、ニンゲンの事情なんて関係ない僕の気持ちだよ。それは分かってるよ』
『じゃあなんで、まるで強制されてるみたいに』
『ニンゲン達からすれば、きっとその認識だもの!』
僕はクロじゃない。クロじゃないから、彼みたいにイキゾイさんのようなニンゲン達と会話なんて出来ない。
だから、分かんないんだよ。彼らがどんな理由で、何を思って僕達を死地に送り込んでるのか。
『ユタカさんも、ウスイさんも、キュウムインさんも良いヒトなのは分かってるのに』
僕は、もう。
『ニンゲンを、
乗せる事に、躊躇いを覚えてしまった。
手綱を引かれる事に、嫌だと思ってしまった。
鞭を、打たれたくなくなってしまった。
僕は、ニンゲンが好きな筈なのに。
『……おい、おい。どうしたんだよスペ、お前らしくないぞ!?』
『キング、少し待ってくれ』
『お前も何か言ってくれよ!あんなにニンゲンに懐いてたスペがこうなるだなんて、俺達2頭がかりで時間を掛けてでも話し合わないと……』
『……その時間が、無いんだ』
クロが漏らした暗い声音。そうさせてしまうのが、あまりにも申し訳ない。消えてしまいたい。
あのね、キング。
『もうそんな時間は無いんだよ。ね、クロ』
『なに?』
『…!』
ほらクロ、言ってあげてよ。僕は頭悪いから、君が説明した方がキングも理解し易いでしょ。
『キング、俺……海外に行くんだ』
『……は?』
キングは、意味が分からないと言いたげに。クロは、それに応じて。
『カイガイ?』
『グラスやエルが生まれた、
暫く会えない、と。
行ってしまう。
一度追い付いたと思ったのに。
さらに突き放して、届かない場所へ。
クロが、僕の届かない“先”へ。
追い付けないまま。追い付けない場所へ。
『は!?お前つまりそれって俺達と走れなくなるって事じゃないか!スカイが聞いたら今度こそ殺されるぞ?!』
『だだだ大丈夫だ!年末には、来年のジャパンカップまでには帰って来れる!有馬には出れる!』
生沿にそう確認したからな!と言うと『本当かぁ?』と訝しみながらも納得してくれた。いや俺としても仰天だったのよ、マジで。
だって、凱旋門だぞ?
日本馬の壁だぞ?
なんか公式な格付けではジャパンカップの方が上って扱いだけど、それでも競馬の本場である欧州の最高峰のレースだぞ?
俺の記憶じゃ、前世では2022年でも制覇した馬いなかったじゃん。
そこに俺が行くって、いやいやいや。
『母さんに頑張ると言った手前なぁ』
やるしかねぇ!今!やるしか無ぇんだ!!ではあるんだが。いや、本題の問題はそこじゃねぇんだわ。
スペがヤベェ。放っておける状況じゃねぇ。
ステゴ先輩の件をここまで引きずってるとは思わなかった。言い訳になるが、本当にここまでそんな素振り見せなかったんだよ。
スペの事だ、今までずっとずっと、1人で答えを出そうと悩んで悩んで……ダメだったんだろうな。
ああクソ。あの里帰りはして良かったと思ってるけど、こうなるって分かってたら……くそっ。ダメだ、後悔出来ない。他ならないスペ自身が、背を押してくれた事だったから。
という訳で、俺だけじゃ答えが出なかった。だから。
『生沿ー、どうしたらスペを慰めれるかな』
「俺達人間が1番解決から遠い気がするぞ」
『そっかぁ』
キングと別れて、臼井厩舎に戻ってもう晩。スペは篭ってしまい、俺は俺の馬房に入ってきた生沿と話し合う。
でもなぁ、なんとかならないやっぱ?
「勇鷹さんを含めた人間が信じられないんじゃ、その人間である俺が何かしたって受け入れられないよ……でもそうだよな、改めて考えるとマジでごめんなクロ。お前達サラブレッドを危険に晒して」
『それで役に立てるんなら俺個人、じゃなかった個馬としちゃ願ったり叶ったりだから良いよ』
つーか俺の事はどうでも良いんだよホント。スペがここで落ちるのは不味いんだって。
アイツはこれから、日本を背負って引っ張っていく名馬になるんだ。俺に関わる事でその道から外れたんなら、戻さないとおちおち遠征にも行けない。
「……そんなに、スペシャルを買ってるのか」
『アイツは日本総大将になる馬だから。俺よりもその座に相応しい』
「………うぅむ」
納得いってない顔してるけど、これマジなんだって。いやどこまで説明して良いか分からんし上手く解説出来る自信も無いから言わんけど、俺知ってんだよ。スペが物凄い馬だって。
そんな俺の想いを汲んでくれたのか、生沿は顔を上げて。
「取り敢えず、次の集中講義*1の時に勇鷹さんに伝えてみるよ。彼自身がスペシャルと人馬一体で何かしら通じ合えば、解決できる点もあるかもっすし」
『助かりますねぇ!』
「それと、グラスワンダーには相談した?」
そう告げた。
へ?グラス?
『や、海外遠征の件も含めてまだ』
「じゃあ彼を頼ってみなって。必要なら俺が引き合わせる手配を……頑張ってみるから」
『いやでも、そこまでして貰うのは申し訳ないし……俺の所為で起こった事だから巻き込めないし……』
秋天から始まったステゴ先輩との因縁に、ジャパンCでスペを派手に巻き込んだから発生した問題だ。俺が責任取らないまま、お前やグラスを直接巻き込むのは流石に気が引けるって。
と、いう思いが伝わったのか。生沿は深く深く溜息。
「あのさぁ……逆の立場で考えろよクロ。お前がグラスワンダーで、親友クロスクロウから頼られたらどう思う?」
『怒る』
「!?」
『面倒ごとに巻き込むな、ってキレる』
「お前の信じるグラスワンダーが、そう言うと?」
『グラスみたいな優しい奴がそんな事思う訳無いだろいい加減にしろ!』
「二言で矛盾してるっす!?」
と思ったら変な質問してひっくり返りやがった。「俺がグラスだったら」って言い出したのお前じゃん。俺は俺みたいな木偶の坊に良いように使われたら嫌だぞ?
やられたら嫌な事は他者にやらない。これ、群生哺乳類として当然の事!
「……質問を変えるっすよ。お前がグラスワンダーに頼られたら、どんな気持ちになる?」
『クッッッソ嬉しい』
「それだよ!なんでそれが分かっててさっきの答えになんの!?」
いや、勝手にやらかす俺の悩みと違ってグラスの悩みはマジで本人にはどうしようも無いパターンに決まってんだろJK。手を貸すのに何ら躊躇は要らないし、何よりあんな可愛くて格好良い同期の助けになれるなんて光栄の極み!やろがい!
「……相手もそう思ってる、って考えた事は無いのか?」
……へ?
いや…考えた事も無かったな。グラスがそう思ってるとしたら、畏れ多いというか、何というか。是正したくなるようなしたくないような。
………ううん?俺、何がしたいんだ?
「──たはっ。俺はお前の事を神馬だと思ってたけど、初めて“可愛い”って思ったわ」
『ファッ!?知らん所で変な方向に好感度上下させるのヤメルルォ』
「安心しろって、下がる要素無いから」
だからさ、と一つ置いて。生沿君はまっすぐに、俺を見つめて言った。
「騙されたと思って、信じてみろよ。お前が信じた、お前の仲間をさ」
『───っ』
そう、告げられて。
俺は今度こそ、抗えなくて。
ある種の恐怖を抑え込みながら後日、マンボに「海外行くから暫く会えないけど、有馬には帰ってこれる事」「スペがヤバイ事」を伝言頼んだ。
そして最後に「差し支えなければ助けて欲しい」とも。
返事を待つ間、怖かった。
嫌われるんじゃないかと心からヒヤヒヤした、でもスペの助けになって欲しかった。
かくして。
帰って来た答えは。
『嬉しいです!クロがボクを頼ってくれるなんて!!やっと役に立てる!!!あっ海外遠征頑張ってください!もしマm、ううんお母さんに会ったら“グラスワンダーは元気にやっている”と伝えて頂けたら嬉しいです!お母さんもきっとクロを気に入ってくれると思います!そしてスペさんの件ですが、ボクに出来る事があるなら何でも!!まずはマンボ伝いにボクから相談に乗ってみますね?必要なら脱走してでも
追伸
……取り乱しました。海外の芝は
ッテ、イッテタ』
……何だ、これ。
可愛い。
いじらしい。
ありがたい。
頼もしい。
俺の為にここまで言ってくれるのか。
どうして。
『……応えてぇなぁ』
こんなの……こんなの、嬉し過ぎるよ。俺に都合良過ぎるよ。夢か何かなのか?
『
『分かってるよ』
噛み締めるように、踏み締めるように。贈られてきた誠意と好意を確かめる。
『なぁ、マンボ』
『ナンダ?』
『俺は、どうすれば良い?』
グラスも、スペも、生沿も。馬の皆も人間の皆も、こんなに俺に尽くしてくれてる。
それに報いるには、どうすれば良いと思う?
『クロスノ、ヤリタイヨウニ、ヤレバイイトオモウゾ』
……そっか。そうだよな。結局は俺次第だ。
決心は、固まった。
『獲るか、凱旋門!』
それがどれほど難しい事かなんて、分かってるとは言い難いけど。
愛されるに相応しい俺でいたい、その為ならば。
良いじゃねぇか。持ち帰ってやるよ、日本最初の栄光。
その為にも……まずは!
『スペに良い背中、見せつけてやらねぇとな……!』
それが、もう残り少ない時間の中で、兄貴分としてしてやれる唯一の事だから。