《今日1999年1月24日。クロスクロウ、遠征前の最後の花舞台となります》
《いやはや、朝日杯から追って来た訳ですが西さん。ここまで来るとは当時思いもしませんでしたね!》
《ええ、まったく天晴れと言う他無いというか。AJCCもいよいよ40回目を迎えた訳ですが、これまでこんなに多くのお客さんが詰めかけたのは初めてですよ》
《それだけ皆さん、国内で見られるクロスクロウ最後の勇姿を見に来たという事ですね。厳密に言えば年末辺りには国内レースに復帰予定なのですが、事がどう転ぶかなんて分かりませんから》
《見られる内に、語れる内に。私もその為にここに来た1人、と言っても差し支えないかも知れません》
《して、芳田さん。本日のレースの見どころと言えば》
《クロスクロウの門出は勿論のことですが、スペシャルウィークがどう出るかにも注目ですよ。この二頭が叩き合うのはこれで3回目、お互いに手は知り尽くしてる訳で、だからこそどう動くか》
《やはり臼井厩舎の二頭が台風の目となると……さぁ、ここでファンファーレです!》
ガチャン、ガチャンと音が鳴る。ゲートに入って、僕達の退路が断たれる音。
一頭と1人、また一頭と1人、そしてまた。
『うわぁクロスクロウおる……』
『えっ何すか何すか俺が何すか』
『知ってるのかハンター』
『うむ。スズカと一緒に走るのやめたかと思えば、次の競走だと全部ちぎったりとよく分からん』
『知ってねぇじゃん』
『俺そう見られてんの?イロモノ枠か何か?』
『『本馬は黙ってろ』』
『えぇ……生沿ぃ』
「俺にどうしろと」
横からの声に耳を澄ませば、歓声に紛れてクロ達の会話。こんな調子なのに、いざ始まったら豹変するんだから手に負えない。
でも。僕も、君にとってそう在れたら。
「
『?』
『
何かを感じ取ったのか、僕の上でニンゲンさんの雰囲気も変わる。ただでさえ分かりにくいニンゲンの言葉の中でも、特によく分からない種類のを使う彼。ユタカさんともまったく違うタイプのニンゲンさん。
……それでも。
「
『勝つんですよ』
「!!」
心なら、通い合わせられる。きっとその筈。
ね、クロ。
一瞬交わされた視線に乗っていたのは、「当然だ」の意。少なくとも僕は、そう捉えたのだった。
そして。鉄格子が、開く。
始まった。
『どうする!?』
「どう来る?」
「
『アイツはどこだァ!?』
いの一番、最初に皆して彼らを探す。凄いや、皆が君に夢中だ。僕だってそう。
まぁそれも仕方ない。だって、彼の動きによってこのレースの全てが変わってしまうから。
……そして、彼が見つかった。
「「「『『『そこかぁ!!!』』』」」」
『全員血眼じゃねぇかたまげたなぁ』
「こぇえ〜……」
《本日のクロスクロウ、追い込み!逃げではありません、ジャパンCの時と同じ!!》
サラリと、素知らぬ顔で最後方。序盤の混乱に付け込んで全員の意識外にいた辺り、本当にそういう抜け目の無さが恐ろしい。日常とはまるで大違いだよ、自覚は無いんだろうけど。
そんな結果を受けて、それぞれが動きを見せた。
「逃げるぞハンターッ」
『任せルルォォォォォ!!』
『逃すかっ』
『突き放せ!!』
「うわぁ掛かりだした!?」
ほぼ全員が前の方へ。後ろから迫るクロを相手にするんだもの、リードを稼ごうとしたらそうもなる。問題なのは、それを分かってるらしい騎手と分かってない騎手、そして分かってる馬と分かってないけど取り敢えず付いて行ってる馬が入り混じってる事。必然、ハイペースだ。
……まぁ、どう足掻こうとクロは跳んでくるんだけど。なんなら寧ろ、どんな状況でもスパート出来る彼にとって、ハイペースは思う壺まであるんじゃないかな?
「離サレ過ギナイヨウニシヨウカ」
『そうだね』
意見が一致したおかげか、若干だけニンゲンさんの意向が分かるようになった。という訳で、僕は今回先行策で中段へ。末脚には自信があるけどクロ程じゃない自覚はあるし、ちゃんと先頭を狙える位置取りをしておかなきゃ、という判断だった。
その最中、追い越し追い越されを繰り返して、囲まれないように速度を上げたり。
《さぁ、縦長の馬群を形成して各馬向正面へ。全馬がクロスクロウからセーフティリードを取ろうと試みる展開》
《もうこの時点で歓声が凄いんですがっ》
《サイレントハンターの逃げがどこまで
……でも、不味いなぁ。この位置から、僕がクロを差し返すビジョンが見えない。後方から差し返すのはダービーでやったけど、今回僕は前めにつけてるし。
今回、本番でそういう形になってしまっている。不味い。
(でも、ここで焦ったら元も子もない)
気を鎮めて、爆発までとっておく。いつでもどこでも、自分を保つ。
日ごろ、お腹いっぱい食べて来た分の栄養を今ここで全身に回す。疲労を抑え、さらに前へ。僕の強みを活かして、立ち回る。
後ろのクロに、これが僕だって見せつける為に。自律して、自立した僕を見せる為に。
《さぁいよいよ向こう正面も終わりに近づき、そろそろ仕掛け始める馬も出てくるか?》
《クロスクロウはまだ来てませんよ!》
クロが安心して、遠い所に行けるように。
そして、何よりも。
『クロを、超えたい……!』
『アア、勝トウ!』
十字に煌めく星を追い掛け。
ニンゲンさんと一緒に、僕は空を駆けた。
《スペシャルウィークここで進出!先手を打った形となりますがどうなるか!?》
スペが
いや、凄いなお前。初めての騎手なのに、もう通じ合いやがった。そんだけ人間をよく見て、寄り添ってきたからこそってか?
……中途半端な自分が嫌になるぜ。
(嫉妬したのか?)
(まぁね)
つーか、羨望?何だろうな、人間と接して来た時間も距離も俺の方が近い筈なのに。俺よりもアイツの方がちゃんと見ていたんだなって、現実を突きつけられたというか。
うーん言語化しにくい。対人を疎かにしてきた自分への腹立たしさ、って感じ?
(お前ほど、人間をよく分かってる馬もいないと思うけどなぁ)
(20年以上付き合って来てやっとこの領域だよ。遅いぐらいだ)
(そうかな…そうかも……それはそれとして、20年って前も言ってたよな?前世?)
(色々あるんだ。今は余裕無いから、次に人馬一体出来た時に教えるよ)
そうだ、スペが頑張って魅せつけてくれてんだ。生沿の心遣いは嬉しいが、ナヨナヨしてる場合かクロスクロウ。
俺達が、ちゃんとしねぇと。
(スペが安心して、俺を送り出せない)
力貸してくれ、相棒。
ライバルの所へ行く為に。
(勿論だ、クロ)
(サンキュー)
やっぱ、お前もスペも最高だわ。
さぁ。行くぜ、
閉ざされた門を開いて、お前の待つ地平へ。
《……!ここでクロスクロウ上がって来た!場内中に歓声が轟いて、実況席が揺れるようです!!》
《さぁ全てが覆りますよぉ!?》
来た!
それはもう、本当にすぐに分かった。あの足音を、忘れる訳が無い。
『行くぜェェェェッ!!!』
もう最後の
負けてられない、なぁ!!
《スペシャルウィークが先陣を切る、クロスクロウそれを追撃!最終直線だ!!》
『差してみなよ!?』
『上等だぜ!!』
ブロックは出来ない、クロの頭の良さなら難無く躱してくる!だからとにかく前を行く事に集中、集中、集中ーー!!!
ってもう並ばれかけてる!?ダメだこのままじゃ、もっと加速しないと!
『どうした?勇鷹じゃないと力出せねぇかァ!?』
「っ!!」
『そんな事ないもんっ!!!』
ニンゲンさんから微かに醸された不安、それを振り払えるように反論した。僕は、そんなヤワな奴じゃない。
「……流石ハ、ダービーホース……カ」
そうだ。僕はダービー馬なんだ。
「何カ違エバ、海ヲ超エテイタノハ、クロスデハナク君ダッタノカモナ」
クロと距離を隔てても、クロと競い合える強さを持ってるんだ。それを示すんだ……
……あれっ。
「ドウシタ?」
『スタミナ切れ、近い、かも』
ハイペースで削られちゃった。これはヤバイ。最後まで保たない。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。そもそも、この
「……根性ヲ、後押シ出来ルカナ」
『ニンゲンさん?』
「スペシャル、“海”ヲ知ロウ」
海。伝わって来たそのニュアンスに、僅かに活力を取り戻す。
そうだ、海、クロが飛び越えて行く、僕達の境界線。
『知りたいです!!』
即答だった。人馬一体になれてる今ならきっと、朧げにでも伝わる筈だから。
「……ダッタラ」
するとニンゲンさんは、一層深く僕に体重を掛ける。走るためというより、これは僕自身に強く踏み込む為の姿勢。歩み寄りの第一段階。
僕もまた、それに呼応するようにニンゲンさんの鼓動に、自分のそれを重ね合わせた。
コポリ、と。
そんな音が、聞こえた気がした。
次いで、ザァという静かなさざめき。
青くて、広い水溜まり。
これは、僕に乗ってるニンゲンさんの景色?
つまりこれこそが。
『───海』
感覚で分かった。これは命の源だ。
僕達の源流だ。
この穏やかさ、力強さ。
それを、僕の中にも持てたら。
これを越えていく君の強さも、抱けるのかな。
力が、漲る。
『行ッッッけェェェェ!!!』
「
まだやれる!流星が潮風に押されてまだ止まらない、止めやしない!
クロ!君とどこまでも!!
《スペシャルウィークがここで再加速!臼井厩舎のツートップ、並んで対決だ!!》
差す、差される、それでもその度に差し返した。永遠に続くように、続いて欲しいとさえ願う時間。
楽しい、楽しい。やっぱり君と。
『お前と走るの、やっぱり良いなぁ!』
『うんっ!!』
心の底から同意した。やっぱり僕達は、こうやって一緒に走ってる時が一番良い。
………でも。
『もう、終わりなんだよね』
『………』
もうゴール板は見えている。でもそれだけじゃない。
クロとはもう、しばらく走れないんだ。
だから悔いのないように…と、そんなつもりだった。
でも……ああ。
嗚呼!
『寂しいなぁ……!』
君と走るからこそ、抑えられない感情。素直な本心なんだ。
君と、ずっと一緒に走っていたいんだ。
おかしいよね、自立した所を見せたかったのに。今僕は全く真逆のことをしてる。
『離れたくないよ………』
一緒に連れて行って欲しい。
それが叶わないなら、どこにも行かないで欲しい。
ニンゲン達の気持ち次第じゃ、そのままずっと会えなくなるかも知れないんだよ。そんなの嫌だよ。グラスだって嫌がるよ。
ねぇ、クロ。
君は、どうなの?
『大丈夫さ』
何が?
『お前なら大丈夫だよ、スペ』
何でそう思えるの?
ここに来て駄々を捏ねる、僕なんかに。
『ずっと、見て来たから』
そうだったね。
僕達、ずっと隣だった。
嫌になった事は無いけど、嫌というほどお互いを見てきた。
『お前自身は負けてるつもりでも、頑張るお前の姿は……俺の、希望の光だったんだぜ』
僕が?
クロの、希望?
『そうだよ。お前は他者の希望になれる立派な奴なんだ。その自分を誇ってくれ』
そうなの?
……えへへ。嬉しいな。
『俺は照らされ切った、充分だ。もう自分で輝ける』
『えー、やだよ。クロはずっと僕に照らされてて』
『お断りっ。俺にだってプライドがあるもんでな』
あははっ、そっかぁ。僕ばっかりが自立する事を考えてたけど、クロも僕から自立しなきゃいけなかったんだ。お互い様なんだ。
……じゃあ、迷う事は無いね。
『終わりにしよう、クロ』
『おう……って待って待って、まだこのノリが続いてる内に言いたい事が!ああああ待て待て待て待て!』
『その焦り方の時点でノリは台無しだよ!?』
もうゴール板はすぐそこだっていうのに、本当に最後まで慌てん坊だねぇ。そういう所が、どこまでも……!
『食い過ぎ注意!』
『分かってる!』
『運動後のストレッチ!!』
『忘れる訳無いよ!!』
『敬語とタメ口入り混じってるけど、次会う時は敬語禁止な!!!』
『自分で決めるってば!!!』
今言う事?とか、世話焼きさんめ、とか。そんな事をここで詰め込む考え無し。聞いてるこっちの気が抜けちゃうよ、もしかしてこれも作戦なの?
……じゃあ、こっちからも一つだけ。
『クロ!』
『何だ!?』
『元気で!!』
『ったりまえだァ!!』
うん、そうだ。それでこそクロだ。
僕は、ここで。クロは、ここじゃないどこかで。
それぞれ、羽ばたいて。いつかまた、同じ場所で。
『あぁ。なんなら、来世でだってまた会える』
『へ?』
『深い意味は無ぇさ。まぁなんだ、スペ』
最後に、クロは僕に託してくれた。
これからの僕の、走る理由を。
……ありがとう。
いってらっしゃい。
『
『……っ、うん!!』
アメリカジョッキークラブカップ【GⅡ】 1999/1/24 | ||||
---|---|---|---|---|
着順 | 馬番 | 馬名 | タイム | 着差 |
1 | 6 | クロスクロウ | 2:15.1 | |
1 | 4 | スペシャルウィーク | 2:15.1 | 同着 |
3 | 5 | サイレントハンター | 2:17.3 | 大差 |
4 | 8 | メジロスティード | 2:17.4 | 3/4 |
5 | 1 | メジロランバート | 2:17.5 | 3/4 |
もう少し書きたかったけど、長くなり過ぎるので断念