【Ep.69】開明!
《スペシャルウィーク、超長距離をなんとなんとの逃げ切り勝ち!驚異のGⅠ2勝目!!》*1
ポカン。
その時のオレの姿に効果音を付けるとしたら、多分それ。
「……んだよ、これ……」
タテミネさんの声が聞こえた。ニュアンスだけでなくハッキリ聞き取れた気がしたのは、多分全く同じ気持ちだったから。
何がダメだった?
何を間違えた?
完璧だった筈だ。スタミナは足りてた、周りも策に巻き込めた、スペ君に先頭を押し付けた。オレは、ぬくぬくと二番手で温存出来てた。領域だって完全に発動した、スペ君のを奪ったお陰か、今までで1番発揮出来たくらいだった。
なのに、結果は。
「………また、」
結果は、
《菊花賞のリベンジとばかりに逃げで差しましたね!まさかあのままトップを独走するとは、しかしこれはセイウンスカイというより……》*2
また、逃げで負けた。
皐月賞の時と同じ。
《ええ、その止まらなさはサイレンススズカ!まるで
クロスさんに。スペ君に。
後に残ったオレは、何だ?
───それだけじゃない。
スペ君がやったのは、ただの逃げじゃなかった。
大逃げ。そう、大逃げなんだ。
このオレが。
逃げの得意なオレが。
その得意分野で。
完全に、
『──ぁ──』
擦れるような声が、喉から漏れる。
クロスさんに負けた時とは、対等な逃げ同士で負けた時とはレベルの違う屈辱に、絶望に、心が軋む。
『あ、ぁっ…………!』
悲鳴だと自覚するのに時間は要らない。
限界が刻一刻と迫り。
『ああ、あ……──────ッッ!!』
破裂しそうになった、その瞬間だった。
『スカイ』
『!?』
目の前に、いつの間にかスペ君の顔。オレが狂い掛けて注意散漫になっていたのか、それともスペ君が気配を消す術まで身に付けていたのか。
いずれにせよ、たった今自分に理想の姿を見せつけてきた仇敵が迫っていた。
『………っ!!』
(う、わぁ……!)
何だこの声は。怯え?情け無い。
そんな自嘲の色をした内心の声も霞む。そんな圧が、スペ君から漏れている。
これが。これが勝者。勝つに値する実力を積み、弱者の小細工を蹴り飛ばし、獲るべき座を勝ち取った強者にして王者。その、オーラ。
間違いないと断言できる。今のスペ君は……オレが菊花以降で見てきた馬達の中で、最強だと。
だって、沸き立つ湯気が既に恐ろしい。ゆらめく煙の向こうから睨みつけてくる瞳が、オレを貫いてさらにその向こうまで縫い付けてしまうかのようで。
何故、こんなのに勝てると思ってしまったんだ。菊花賞の時とはまるで別馬じゃないか。
……そんなスペ君は、オレに何を言いに来たんだろうか?
分からない。今更、完全に“過去の壁”でしか無いオレにどんな用事があるのか、話しかけて何の意味があるのか。スペくんは黙して覇気を放ち、未だ口を開いてはくれなかった。
ならば、待つしか無い。この圧に耐えて、聞き出さなければならない。そう自分に言い聞かせる。
10秒。まだ口は開かれない。
20秒。言葉は紡がれない。
30秒。………
あれ?
スペくーん?
『……ゼェ……ヒー……コヒュー……』
『いや呼吸困難だったら早く言ってよぉ!?』
『あー、ヒェー、ごめ、プフーッ、いろいろ、限界フェーッ』
良いから!わざわざ話さなくて良いから、取り敢えずこっちに寄ってくる前に呼吸整えてって!
あーもう、ビビって損するどころか
『スカイはさぁ、すごいよねぇ』
あぁ!?何が!
『こんなの、ぼくはかんたんには、出来ないや』
その言葉に支えようとした体が立ち止まる。何言ってんの?
『今やってみせたじゃん』
『むりむり、もームリ。二度とやりたくないし、出来るかどーかも分かんないもん』
そう宣うスペ君は、改めて見ると確かに“疲労困憊”の4文字が妥当過ぎるほどにフラフラだった。
とはいえ、だ。
『逃げが本領の馬の目前で大逃げ成功させといて、そんな弱音吐かれちゃ立つ瀬がありませんっての』
皮肉混じりに告げたら、帰ってきたのは曖昧な笑み。絆されるやらなんとやら、こんな対応されたらついさっきまで内心で悶えてた自分がバカらしくなってしまいそうで。そんなオレに、追撃とばかりに(当馬はミリも自覚してないだろうけれど)スペ君は言った。
『そうだよ。スカイが逃げを見せてくれたから出来たんだよ』
『……へ?』
『へも屁もへのへのもへじも無いよ。君が菊花賞で見せてくれたあの逃げ……アレがどれだけ、僕の脳裏に焼き付いてたか』
いや、その……えぇ。多少面と向かってそんな事言われたら、その。照れるんだけど?
『謙遜しないの、実際すごい勝ち方だったじゃん。多分だけど今回、僕が栗毛さんの真似をスムーズに出来たのは……きっと、あのスカイの背中がずっと頭にあったからなんだ。君の逃げが無きゃ、僕は勝てなかった』
『そうかなぁ…』
『そうだよ』
『そうかも?』
不味い。なんか調子に乗り始めている自分を自覚してる。なんで褒められて一喜一憂してるんだ、子供かオレは?
『でも先陣押し付けてきたのは許さないからね!!』
『えっこの流れで怒る!?』
『当たり前だよー!どんだけ苦労したと思ってんの、ユタカさんと一緒に立て直すのに無茶苦茶苦労してグチグチグチグチグチグチほへぇ』
『あらら、それ以上怒るのは今は無しで。休んでからにしましょうねぇ』
文句を言いたげにしながらも、目眩を治そうと四苦八苦するスペ君。これではどちらが勝者なのやら、オレは心配なので寄り添って歩いていく事にした。全く、世話の焼ける……
『ライバル』
『……!』
『良いライバルに恵まれたなぁ、僕』
ちょっと?スペくーん、それオレが先に言おうとしたとこだったのに。こんなとこでまで先を行くだなんて、ホント傲慢な奴ですこと。
でも、そうか。お互いにライバルだって思えてるんだ、オレ達。それだけで元気が湧いてきた。
(逃げを挫かれたくらいで、止まってられないや)
1度や2度の負けがどうした。グラス君の分も含めればもう三回目、今更だぞセイウンスカイ。
スペ君は、俺によって与えられた敗北を糧に飛躍した。それがオレにも出来ないと何故言える、誰が言える?
『クロスクロウの前に、まず君に勝たないとね』
『んぇ?』
『独り言だよ。まず治すのに集中して下さいな』
『あ、うん。ありがと』
『どういたしまして』
大逃げを間近で見せて貰えたんだ。これは寧ろ、千載一遇のチャンスと言っても良いだろう。
あの走りをモノにして、スペ君を倒し、クロスのいる高みへ辿り着く。この一年はきっと、そういう一年なんだ。
(いい加減、勝ちたいもんだね……!!)
隣を行く最強馬。緩くも覇気を纏うその横顔に、オレはギラつく視線を注ぐ。
そうしないと、再燃した闘志で体が破裂しそうだから。
『……スカイ。見つめてくる所ゴメンなんだけど僕、クロとグラス以外でそっち方面はちょっと……』
『オレにだってそんな趣味無いよ!…えっクロスさんとグラス君はアリなの!?』
『“今日”でしたか』
マチカネフクキタルは言う。
『ええ。残念ながら』
メジロブライトは答える。
一頭は7着、もう一頭は前年度王者にして2着。だがしかし思う事は、感じる事は同一。
最早、自分達の時代は終わってしまったのだと。もう戻りはしないのだと。
『抗う気持ちは一欠片も揺らぎませんが……理性で理解してしまうと、元の高揚は取り戻せませんね。ままならない物です』
『ぐぬぬぬ、菊花賞から大きなレースを一度も勝ててないのに。このまま新しい波に流されるのは嫌ですよぅ……!』
『気にするから引っ張られんじゃねェのか、そういうのって』
最後の一声に振り返ると、そこには腐れ縁の青鹿毛。ステイゴールドその馬だった。
トゲトゲとホワホワで相性が良いのか悪いのか、そしてそのホワホワ故に良悪に頓着しないブライトが応じる。
『あ、ステイゴールドさん。今回の競走は如何でしたか?』
『やっぱりお前らバカだなァと思った。が、ま……好きにすりゃ良い』
『おや、怒らないなんて珍しい』
『オメー俺がいつも怒りたくて怒ってると思ってんのか』
『ハイ!』
『……“ハッピー噛む噛む”、とか言い出したのはお前だからな』
『意味がまるで違フンギャー!?!!?』
そして始まる追いかけっこ。側から眺めながら、ブライトはつい笑みを漏らした。
何故なら、ステイゴールドの顔には。
(……何か、掴めそうなんですね)
走りへの欲望。
人間への反骨心。
楽しそうに走りあっていた後輩達への、
今まで彼に無かった、レースへの
ふと見遣る。視界の端に、連れ添って退場する
確かに時代は変わったようだ。これからは彼らの世界だ。
───だが、自分達の命が潰えた訳ではない。
『この芝に在る限り……!』
また何度でも、壁として立ち塞がってみせましょう。
そう誓いを新たにして、ブライトは漸く喧嘩の仲裁へと向かったのだった。
フクキタルがオチに適し過ぎている……!