あなたは全きものの典型であった。知恵に満ち、美の極みであった
わたしはあなたを油そそがれた守護者ケルブとともに、神の聖なる山に置いた。あなたは火の石の間を歩いていた。
エゼキエル書28章12-17節
☆
空は暗黒に染まっている。今にも雷雨が降り出しそうな天気だった。
そんな空を間宮恵(まみや・めぐみ)は学校の窓からボンヤリと眺めていた。
「おい、間宮」
誰かに声をかけられているが、恵は気付くことなく、そのまま空をぼんやり眺める。
そこで声をかけてきた少年は大きく息を吸いこみ、怒鳴る勢いで恵を呼びかけた。
「オイ!恵ッ」
「わ、わっ!何?雄也」
恵は我に返ったように振り返る。
声をかけてきたのはやや背が高く、赤い髪を整髪料でオールバックにした少年だった。
「おい、大丈夫か?ボーッとしすぎだろ」
少年は呆れたような口調で言う。
彼の名は坂本雄也(さかもと・ゆうや)。恵のクラスメイトで、恵と同じ、学生でありながら、上級騎士の階級に昇り詰めている。
「今日も、真那は来ないのか?」
「うん、今朝もメール見たら来ないって言ってたよ。」
それに、雄也は素っ気ない口調で、
「へぇ、大変だな。国家騎士様は。で、今回は何の任務で居ないんだ?」
「京都の神無神社って聞いたことある?」
恵の問いに雄也は「ああ」と、声を低くして頷いた。
神無神社というのは嘗て寺社勢力の中でも最も権力をもった社だった。ただ、約二十年程前から激的に衰退していって、その要因は誰も知らない。
「あの神社で何をするつもりだ?」
「うん、どうやらあの社の衰退の原因を突き止めるのとそこの巫女達をフミヅキの騎士勢力に加えようというのが陛下のお考えらしいけど…。」
「成程、悪神や悪魔が群がるこの世界には確かに霊力が高い巫女の力ってのは必要不可欠だろうからな。だが、オレはそう勧誘が上手く行くとも思えないがな。」
「そうね。私もそう思う。」
雄也の言葉に恵も頷く。
寺社勢力というのは元々フミヅキのような騎士勢力と争っていた間柄だ。
まだ、この日本が小国に分裂し、戦闘を繰り広げていた時代、東国で最も最強と言われていたのがいわゆる騎士勢力のフミヅキで、西国最強と言われていた国が神無神社率いるシワスの国だった。
しかし、シワスの国がフミヅキとの戦いに負け、降伏し、日本という一つの国に統合されても、東国では武力的考えが強く、西国では司祭的考えが強く、意見が一つに纏まることは中々なかった。
そのため、今回、神無神社の勧誘もそう上手く行くはずもないと思ったのだ。
「もう、四、五日は経つだろ。神無神社をフミヅキ側につけるというのは諦めた方が良い気もするな。」
恵もそれに頷こうとするが、途中首を振る。それは違う、と。
「どうしたんだ?」
「確かに、この任務の成功率を言えば無に等しいのかもしれないけど…。真那は人を惹かせる何かがあるから。もしかしたら成功するんじゃないかな~って思ってみたり。」
「それは長年、友人として付き合ってたから分かるのか?」
恵はそれに肯定し、
「ずっと私は真那を見てきたからね…。例え、この任務の成功が無に等しくても私は彼女の成功を祈ってる。」
そんな恵の言葉に雄也は「あ、そう」と適当に受け流す。
しかし、内心は感嘆するほどの者があった。長年付き合ってきた友人との信頼関係というのは此処まで深い物があるのか、と思ったのだ。
別にそれは、雄也が友人が居ないという訳ではなく、彼にも無論、何人もの友人がいる。しかし、恵と真那のような深い信頼関係を築いたことはなかった。
雄也はそんな二人を羨ましいと思った。
☆
この日の京都の天気は雷雨だった。空はゴロゴロと悲鳴を上げていた。
そんな中、真那は今日も神無神社への道を歩いていた。今日で六日目になるのか。
短い期間ではあるが、真那は少しずつ咲夜という少年の性格を理解してきた。話をしていると、真那の話に関心を沸かせ、また時々見せる笑顔が真那には微笑ましく思えた。
ちなみにそれまでの期間は当然、寝泊まりする場所がないと困るので、近くの旅館で宿泊していた。その旅館は割に人が集まる場で普段は予約が必要ということだったのだが、真那が自身の名を告げると「是非、泊まって欲しい」と女将が言った。どうやら真那の名は京都でもそれなりに有名であり、またこの地でも真那の信心深さの故か「聖女」などと呼称する者が多いようだ。
確かに神を信仰している。だが、それは心の拠り所としているだけだ。拠り所となる物があれば良いだけで、その対象は別に神でなくても良いのだ。ただ、拠り所のない自分はどうしようもなく臆病で一人で立てる勇気がないから、絶対的存在である神を慕っているだけだ。だから聖女でも何でもないのだが…。
本来ならば、二、三日でこの任務を達成しようかとも思ったが、それは出来なかった。
その理由は昨日咲夜が告げたあの言葉にあった。
『この社には堕天使が封印している。その封印は人柱であるオレの役目でもある。だからオレはこの土地を離れる訳にはいかない。離れれば確実に京都に災厄が訪れる。』
まだ自分と同じ十七という年齢でありながら、その経歴からは苦難が見られる。
真那も国家騎士という十七にしては重要な役職を担ってはいるが、それは真那も望んでなったものであり、後悔はない。
だが、咲夜という少年はそうではない。望んでなったものでなければ、人生の大半が苦痛を伴っていたに違いない。
ヒメージ三世はこの少年をフミヅキに勧誘するよう真那に指示したが、真那はまず少年の心を第一と考える。当初はヒメージ三世の言う通り勧誘を優先しようと思ったが、少年の心境を知って、無理に勧誘するのは酷であると思うようになってきてしまった。
そんなことを考えながら歩いていると、気付けばもう神無神社前に立っていた。真那は迷うことなく社の階段を上り詰めていく。
そして鳥居のところまで行くと目の前には傘をさした少年が立っていた。少年と言うのが疑わしいほどの端正な容姿だ。咲夜だ。
「また来たのか…。貴女はオレの話を聞かないのだな。」
咲夜は溜め息をつく。咲夜は毎日別れ際に「此処には二度と来るな」と言うのだが、真那はそれを無視して、来ている。
しかし、溜め息をついてるものの、少年には何処か笑みが浮かんでいるようにも思えた。
「ええ、私は私のやりたいようにします。」
真那はニコリと微笑む。
このまま外にいて雨にうたれる訳にもいかないので取りあえず寺の中に入ることとする。
「で、今日は何の用で来たんだ?」
「いえ、特に用という用がある訳でもないのですが…。」
最初の初日はフミヅキの騎士としての勧誘を目的にやって来たのだが、二日目あたりからは何となくというのが理由である。
だが、敢えて今日此処に来た理由を述べるのであれば…。
「昨日、この社には堕天使が封印されていると言いましたよね…?」
「ああ、それがどうかしたのか?」
咲夜はキョトンとした表情で訊き返す。
「封印されている堕天使の名前を教えて頂こうと思って…。」
だが、それに咲夜は首を振って言う。
「貴女はこれ以上この社に関わるべきではない。この社の問題は全てオレの問題だ。貴女が知る必要もないことだ。この問題の生贄となるのはオレだけで十分だ。」
少年は真那の質問に答えるどころか、何処か拒絶を顕わにしているようにも思えた。
確かにこの少年は堕天使の封印の人柱であり、堕天使が現界しないようにするためにはこの少年の問題とも言える。
だが、この少年は問題を全て自分で抱え込み、誰に頼ることもなく今日まで生きている。
「そんな貴方だからこそ私は協力したいのです」
まだ会って間もない、自分のすることはもしかしたら大きなお世話かもしれないが、この少年を放って置きたいとも思えなかった。救えるものがあるのなら救いたいと思う。
「何故だ?何故貴女はそうまでしてオレを気遣う?周りの者はオレが死にかけても何も言わないのに、自発的なものと考えるのに…貴女はどうして…。」
その後の言葉は声にならなかった。咲夜は下を俯いたまま顔を上げない。ただ、そこからかすかに見える瞳が潤んでいるのが分かった。
「咲夜くんは人に頼ることが間違っていると思いますか?」
「…え…」
虚を突かれたのか、咲夜は顔を上げる。
「私も嘗て貴方と同じようなことを思っていた時がありました。両親を失い、毎日が孤独で、その気持ちは恐らく他人に告げても何も変わらないと思っていました。」
でも、と真那は話を逆説的にもっていく。
「でも、孤独ではなかった。孤独と思っていたのは私だけで周りは常に私を思ってくれた、私に優しく微笑んでくれた。それに気付くのが大分遅かったとは思いますが、私は自分が孤独でないと知って救われたような気がしました。」
真那は微笑む。だが、咲夜は、
「それは貴女が周りに貴女を慕うような人々が居たからだ。オレには居ない。オレはずっとこの社でしか生きられないから他人を知らない!他人を知らなければ孤独になるしかない!」
咲夜は怒気を孕んだ声で言う。
しかし、真那はそんな咲夜に怯むことなく、
「周りがどんなに貴女に目を向けなくても、私だけは貴女を見ている。私だけはずっと貴女の傍に居る。」
そう真那は言う。
咲夜は今までずっと堪えていたが、ついに限界が来たのか涙がボタボタと床に零れていた。
今まで泣くことすら出来なかったのか咲夜は子供のように声を上げ、泣いた。それを真那は優しく子供をなだめる母のように抱擁した。
黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。
もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。
あなたはさきに心のうちに言った、
『わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、北の果なる集会の山に座し、雲のいただきにのぼり、いと高き者のようになろう』。
しかしあなたは陰府に落され、穴の奥底に入れられる。
イザヤ書14章12―15
昔は神に仕えていたこともあった。それは本当に幸福な日々であったと思う。
だが、ある日を境に天使の象徴とも言える羽が捥がれてしまった。
その日から憎悪を心に宿して生きることとなった。
彼の名は―――――。