古来より、日の本には鬼がいた。
伝承や創作の中の空想上の存在ではなく、歴とした生命体として各地に潜んでいた。
鬼は人を殺し、その肉を喰らい、血を啜る。
また、鬼は不死である。
陽の光を唯一の弱点とし、個人携行可能な銃火器や長物では精々が怯ませる程度が限界。
それも、そう人を喰らえていない、鬼へ転じたばかりの者たちだ。
長く生き、人を喰らい続けた鬼は生命としての位階を高め、身体はより強靭に、より力強くなる。
中には、異能を身につけ、それを用いて人を狩る者も現れる。
そんな超常の存在に只人は抗うことなど出来ようはずがない。
鬼との邂逅とは、すなわち人の屠殺である。
出会えば最期。
生は諦めることだ。
しかし、それを良しとしない者も居る。
その者たちは特殊な呼吸法と太陽の性質を持った刀により、鬼の首を断つ。
非力ながらも鬼を狩り、いつか鬼らの親玉を滅さんがために命を賭して一矢報いる。
鬼との戦いの歴史は千年を越え、同時に、互いにその勢力を増していた。
命の奪い合いは終わらない、否、『奪い合い』から『捕食』に転ずるのも時間の問題であるのやもしれぬ。
「と、言い伝えられております」
床の間で黒檀の長い座卓を挟み、一人と一体が向かい合う。
片や、歯が抜け落ち、落ち窪んだ眼孔に影の刺す老婆。
片や、頭蓋は悪魔の如き形相を模り、超常の理でもって今尚動き続ける骸骨の怪性。
ともすれば、死神が命の炎が燃え尽きる者を迎えに来たように見える状況だが、老婆はまるで『生を諦めた』のではなく、『生あるうちに間に合った』かのように安堵した様子である。
「なるほど。しかし、今がいつなのかと尋ねたのは私だが、なぜそのようなことを?いや、おかしなことを聞いているのは重々承知の上だったが、私の風貌から揶揄っているわけではないと察していただけると助かるな」
何もないはずの眼孔に、まるで眼球のようにある血色の光を幽かに揺らし、問いかける。
「『彼の神は調停の神、その御体は枯骨にあらず、万人の素たる人の柱なり。彼の神は調停の神、御前には鬼も人も畜生も皆等しく供物たる命なり。』鬼狩りの宗家であらせられる産屋敷様から、我ら藤の家のものに伝えられる唯一の掟でありまする。しかし、その御尊顔を民衆にお見せになるのはお止しになられたほうが良いでしょう」
老婆は粛々と丁寧に答えながらも、その役目を果たすことのできた喜びを感じさせる高揚を覚えている様子だった。
「…私は神などという大それたモノではないよ。…それよりも、その言いようだと鬼、というよりも人外の存在が世間に知れ渡っているというわけでもないようだ」
「仰る通りにございます」
当てが外れた、と言わんばかりのため息混じりに骸骨が言う。
対する老婆は、答えたものの、その言葉の意味を理解できずに、否、昔ほど働かなくなった頭が理解を拒んでいた。
藤の家紋を掲げるものたちは、産屋敷家、ひいては鬼殺隊への協力を惜しまない。
それはつまり、かつて鬼によって何らかの被害をもたらされたと言うことに他ならない。
ゆえに、まるで"人外が世に認められる日が来る"かのような言い分は、如何に神の仰せと言えど易々と認められない。
「…あのような者ども、闇に居るうちに全て滅するべきなのです。私の息子は鬼に喰われ、孫は鬼殺隊に入ると言い最終選別に出たきり戻りませぬ。彼奴等は世の理を曲げる異物なのです」
「だから鬼を憎み鬼殺隊に手を貸していると?鬼が人を喰うこともまた理の一つではないか」
「何を…」
「貴様は肉を食ったことが無いのか?鶏も、猪も、牛も、あるいは魚も」
「ありまする、しかしそれは生きるためにございます。米や稗だけではこうも長く生きては来れませぬ」
「ほう、では教えてやろう。鬼にとってはその米や稗が人の血だ。つまり、血すら啜れぬ鬼は飢える。だが、鬼は飢えたところで容易く死ぬことはない。餓死の苦しみを延々と受け続ける。人のそれよりも遥かに長い間な」
「それゆえ残虐に人を殺し喰らっても良いと?人は獣を惨く殺す事はございませぬ。命に感謝し、有り難く余すところなく頂くのです」
老婆は淡々と、しかし確かな怒りを孕んだ声色で言った。
だが、その真剣な様子こそを眼前の異形は嗤うのだ。
「面白いことを言う。では想像してみたまえ、鬼が人の肉を喰らい、腑を喰らい、余すところなく、と骨で出汁をとり、『あなたのおかげで私は生きられる、ありがとう』などと念じながら食後の挨拶を述べる様を」
「人は畜生ではありませぬ」
「鬼にとっては畜生以下の存在だよ。大した危険も犯さず腹を膨らませられる"食料"だ」
老婆はそこでようやく気付く。
この異形は神仏の何某であれど、人の神ではないのだと。
「人の心情を推し測れない私ではない。人間性など、とうの昔に擦り切れてしまったがね。親しい者の命を奪われ、その相手を憎むのはおかしなことではないだろう。だが、私が解せんのはその原因たる鬼を理から外れたものなどと宣ったことだ」
そこに先程までの無味な骸骨はおらず。
老婆にはまるでこの世の負を押し固めたかのようななにかが見えていた。
「高々百年も生きんような矮小な生き物が、言うに事欠いて理を騙る」
途端、まるで心の臓をその手に握られたかのような、あまりにも重く、現実的な"死の予感"が老婆を襲った。
「身の程を知れ」
老婆は眼前の異形を見誤っていたことを恥じた。
この不思議な生き物をどこか侮っていた。
しかし、そこに後悔はなかった。
なぜなら、その異形こそ間違いなく人も鬼も超えた神であるという確信を得たからだ。
己の役目を果たしたことを誇りに思いこそすれ、それで命を落とすことを惜しく思うものか、と。
「安心したまえ、命は取らん。生い先短い君の命をとったところで罰にはならんからな。故に君の思い出の中の息子と孫を少しばかり頂いていこう」
駄目だ。
いかな神といえど、己の限りある宝物を奪わせてたまるものか。
老婆は全力をもって異形の神に飛びかかるが、聞き覚えのない語感の一言を耳にしたところで、意識が途絶えた。
「《
廃人一歩手前といった風情の老婆を背にし骸骨は語る。
「ああ、少しやり過ぎてしまったお詫びに、鬼から生き延びるための魔法の言葉を教えてやろう。小心者の奴のことだ、これを聞けばリスクを考え手を引かせる可能性が高い」
アインズ・ウール・ゴウンが鬼舞辻無惨に死を告げにゆくぞ。