日が西へと傾き、人々の影が随分と長くなる頃。
襤褸の外套に身を包み、郊外の通りを歩く偉丈夫に道行く人影の多くは足を止め、視線を浴びせる。
だが、その視線の多くは偉丈夫の顔のあたりへと注がれている。
まるで泣きながら笑っているかのようだ。
人々はその偉丈夫のはめている仮面を見ては、どことない不気味さに目を逸らすのだ。
そうして、歩いているうちに、偉丈夫は川端にある一軒の寂れた茶店にふらりと吸い寄せられていった。
まさかそのような身なりのものが茶など飲みにくるとは思わなかったのか、茶店の店主はすこしばかり面食らい、急いで湯を沸かし始めた。
「おや、まだ開店前だったかな?」
「い、いえ。あまりお客さんがこないものですから、最近は輪をかけて閑古鳥が鳴いておりまして」
「悪いが私の手持ちもそう無いのでね。そう飲み食いしてはやれんが…」
そこで偉丈夫は品書きにチラリと目を向ける。
「では茶と団子を二つずつ頼む」
「わかりました、少々おまちを」
頷く偉丈夫に、身体の大きな人は始めから茶を2杯頼むのだと、店主は新たな見識を得た気分になった。
そうして湯の加減を見に店の奥へと消えていった店主を見送り、偉丈夫はポツリとこぼす。
「…いい加減、出てきてくれないだろうか。折角、飲めもしない茶を頼んだんだ。口をつけずに残しては店主に申し訳がない」
偉丈夫の言葉に、そばにある橋脚の陰から一人の妙齢の女性が日除けの傘をさしながら茶店へと寄ってきた。
「ではご相伴に与りましょう」
婦人がそう言って柔らかく微笑むのに合わせるように、偉丈夫は優しげな声色で嗜めた。
「こらこら、一人だけ仲間はずれにしては駄目だろう。もちろん、無理にとは言わんがね」
「っ!いえ、失礼いたしました。愈史郎、あなたもおいでなさい」
婦人が茶店の裏手へ声をかけると、軒の影をつたいながら険しい顔の青年が姿を見せた。
「うむ、ではそちらに座ると良い」
「…珠世様、やはり一度戻りましょう。日があるうちは危険です。今なら俺とあなたの血鬼術で十分引くことができます」
「いえ、この方を訪ねるのならば今しかないのです。日が暮れては別の鬼に鉢合わせてしまうかもしれません」
「おいおい、こそこそとつけてきた君達にわざわざ話を聞いてやろうと言っている。その上で今のような問答をされては、少々不愉快だな」
三者が険悪な空気を作っているとこに、弱々しく声がかかる。
「あのう、お茶をお持ちしましたが、もう一つご用意いたしましょうか」
「いや、結構。茶も団子も私の連れの二人にやってくれ。何、私は宗教上の理由で日中の食事を禁じられていてね。何も頼まずに場所をとるようで悪いが」
「いえ、いえ!どうせ他にお客さんは来ないでしょうし、是非ごゆるりとなさってください!」
そう言って焦るように茶と団子の乗った盆を置くと、その場の異様な空気に恐れを抱いたのか急いで店の奥に引っ込んでいった。
「まさか出されたものに手をつけずに帰ろうとは言うまいな。さあ、座って話そうじゃないか。久しぶりに君たちのような存在と話すのだ。今の暮らしぶりに非常に興味がある」
先程と同じような優しげな言い方ではあったが、婦人と青年の二人には最後通告であることがはっきりと理解できた。
青年は悔しそうにしながらも、偉丈夫と婦人との間に入るように腰を下ろした。
「では、二人の名を聞こうかな」
「私は珠世と申します。こちらは愈史郎。御察しの通り人ではなく、人を喰らう鬼で御座います」
婦人ーー珠世の紹介に、青年ーー愈史郎は僅かな動きで首肯した。
偉丈夫はそれを聞き、顎に手を当て何かを思い出そうとする。
「ふむ、珠世、か。どこかで聞いた名だ」
「…御覚えではないかもしれませんが、鬼舞辻無惨の側にいたころ、貴方様に紹介されております」
偉丈夫は納得すると同時に、珍しいものでも見つけたかのような驚きの声をあげた。
「ほう!『鬼舞辻無惨』か!よもや奴の呪いを外した鬼がいるとは」
興奮した様子を見せた偉丈夫だったが、唐突に冷静さを取り戻し、ふむ、と自身の中の疑問への答えを口にした。
「なるほどな。お前達鬼が何故このような日中に尾行なんぞしているのかと疑問だったが、今わかったよ。無惨に知られずに、私と接触したかった、君達が無惨には見つかってはならない立場にある、こんなところだろう」
「おっしゃる通りです。もう少しじっくりとお話ししたいところですが、そう時間はありません。早速で恐縮ですが、私たちが今回貴方様にお声がけしたのはーー」
「おい!珠世様がお名乗りになられたのだぞ!大体、人が話している時にそのヘンテコな仮面も外さずに失礼だろう!貴様も名をーー」
「愈史郎!」
しかし、と食い下がる愈史郎に珠世は目端を吊り上げて強く嗜める。
目の前で繰り広げられる二人の掛け合いに、偉丈夫は笑いながら謝辞を述べる。
「ハッハッハ、いや、失礼した。愈史郎くんの言う通りだとも。名乗られてそれに返さぬとは、私もまだ寝惚けているようだ」
すまなかった、と続けた偉丈夫は仮面に手をかけ、その皮も肉もない面を露わにする。
その容貌を見て息を呑む愈史郎を前に、偉丈夫は仰々しく名乗りを上げる。
「私の名はアインズ・ウール・ゴウン。君達と同じ、人ならざるものだ」
偉丈夫ーーアインズの名乗りに、驚きと戸惑いを見せる愈史郎とは反対に、珠世は静かにアインズに尋ねた。
「失礼を承知で申し上げますが、その御尊顔をお見せになられてよろしいのですか?客が来る様子はありませんが、店主がこちらを覗いているやも…」
「彼が店の奥へと去った時点で監視と盗聴を防ぐ魔道具を起動してある。たとえ無惨であっても我々のすぐ側まで近寄らなければ、我々を視認することも声を聴くこともできない。只人であればなおのことだ」
「それは差し出がましいことを申し上げました」
アインズの説明に珠世は納得の様相を見せるが、愈史郎は懐疑的であった。
「俄には信じられません。珠世様、本当にこの西洋かぶれの骨にそのようなことが?」
「愈史郎、直ぐに訂正しなさい。このお方は、かつて罪なき人々や強引に鬼に転じられた者達をお救いになられた、我らにとっての恩人です。そして、その御力はまさしく神の域にあります」
これ以上自分が騒ぎ立てても仕方がないと考えたのか、愈史郎は黙り込んだ。
「まあ、良いではないか。私にとって君達は孫のようなもの。多少のやんちゃさも可愛げだろう。さて、君達も日が暮れるまでには戻りたいだろう。本題に入ろうではないか」
珠世は頷き、接触に現れた理由を語り始める。
「継国縁壱より言伝を受けております。『貴方は常に正しかった。私の前で選択を誤ったことなど一度も無かった。だが、奴を選んだことだけは、最初にして最後の過ちだった』と。無惨を後一歩のところまで追い詰めたのち、私にそう言いました」
「そうか…」
アインズは珠世の言葉を呑み下すのに難儀するように俯く。
その姿が、二人の目には酷く弱々しい老人のように映った。
「そうか…、だが、私の過ちはそのときにこそあった。縁壱を行かせるべきでは無かったのだ。彼ならばやってくれると、どこか楽観視していた。そして、私自身で奴を終わらせることを恐れていた。私の罪を直視することができなかったーー」
そう、嘆くように言い連ねると、すくと立ち上がり、続けて珠世に言い放った。
「そして、珠世殿、縁壱にこう言われたのだろう。『これを伝えればきっと手を借りられるだろう』とな」
「…おっしゃる通りです。何故お分かりになられたのですか?」
「分かるさ。彼はただ異常な強さを見せるだけでなく、純粋で義に溢れていたが、それ以上に強かだった。意図してか、そうでないかはわからんがな。まさしく、人類の特異点と呼ぶにふさわしい男だ」
「では、御力をお貸し頂けるのですね!直ぐに我々の拠点へーー」
「いや、君たちへ協力するつもりは無い。これは私自身の罪の清算だ。君も鬼ながらに奴の討滅を強く願う以上、並々ならぬ思いがあるのだろう。だが、安心してくれーー」
必ず私が終わらせる。
「そ、そんなの信じられるか!いくらお前が強かろうと、一人じゃ無理だ!今は奴を倒す仲間を集めてーー」
「さて、悪いが用ができた。先程の言伝を聴いた以上、一言謝りに行かねばならん相手がいるからな。君達はここでゆっくりしてから帰ると良い、縁壱の言葉を伝えてくれた礼だ、足を用意してやろう」
アインズはゆるりと二人に背を向けると、店先に向かって掌を向けた。
「《上位アンデット創造》」
途端、負の暴風とでも呼ぶかのような恐ろしく、怖ろしい気配が二人を包み込んだ。
「
首を垂れて主人の指示を受けた青褪めた乗り手は、より深々と頭を下げるとそのまま地中へと沈み込んでいった。
気配が遠ざかり、珠世と愈史郎はまるで長時間の潜水を終えた後のように、呼吸を荒げた。
ようやく息ができると言った風情でありながら、珠世はアインズに尋ねる。
「呼吸すら、ままなり、ませんでした。今のは?」
「すまないな、君達を護るのに十分な僕として、あれが適任だった。あれは青褪めた乗り手。時間になれば実体化し、君達を送り届けるよう言ってある」
「やはり、ともに来てはくださいませんか」
「ああ、私はどちらにもつかない。それと、ようやく思い出したよ。君はよく無惨の側に居た鬼だろう、あのときもわずかに殺気が漏れていた。だがね、君の殺意の理由も、これまで奴を殺すために生きてきたであろうその覚悟も、はっきり言って興味がない」
「…わかっておりました。無惨もまたよく溢していましたから。貴方を畏れる理由は、星を降らせる超常の術でも、遥か未来を見通す叡智でも無い。人とも鬼とも異なる、圧倒的に異質なその精神性にこそある、と」
ですが、と珠世は続ける。
「必ずや、奴を、鬼舞辻無惨を滅殺してくださいませ…!」
鬼気迫る表情の珠世に、アインズは振り返り鷹揚に頷く。
「各々の事情やそれまでの過程は違えど、最終的に目指す到達点は同じだ。アインズ・ウール・ゴウンの名にかけて奴を"殺す"と約束しよう」
《
その言葉を最後に、異形は姿を消した。
「珠世様が無理にでもお会いになった理由が分かりましたよ。あんな化け物を僕だとか言ってるし、簡単に無惨を殺すとか言うし、鬼殺隊よりもよっぽど頼りになります。でも、初めに自分の名前として世界最古の神の名をあげる程不遜だし」
俺たちのことを孫とか、きもいし。結構偉そうなことも言ってましたけど。
と愈史郎は最後に付け足した。
おおよそ否定のしようが無かったのか、珠世は誤魔化すような笑みを浮かべる。
「…それではお茶を頂きましょうか」
「奴の言うように手もつけないのは失礼でしょうけど、珠世様が無理して飲まれるような茶ではないでしょう、これ。それに、客だなんだと言っておいて結局代金も払わずに行ってしまったし…」
急いで出したからか、随分と薄い茶を啜りながらどこか納得のいかない終わり方に、愈史郎がごねる。
「あら、代金ならそこに頂いていますよ。少々貰いすぎかとは思いますけれどね」
そう言いながら珠世が指した先では、盆の上に数枚の金貨が散りばめられていた。
「"数百年"の間眠っておられたのですから。まあ、色々とズレておられるのでしょう」
珠世は金貨の一枚を手に取り、その形を確かめるように指でなぞる。
その金貨には、何かを見つめる女神と、巨大樹に絡むようにうねりをみせる円環の龍が象られていた。