翌日、シカの痕跡をあらためてたどり直したところ、このあたりの山中には珍しい平坦な疎林地帯に出くわした。
シイやカシといった常緑樹、ヤマボウシやカエデなどの落葉高木も点在する明るい森だ。
木々の密度が薄く、陽樹の色づきが終局を迎えつつあり、木の葉を散らした樹冠から陽光が差し込んでいる。
セイウンスカイは周辺を見回って、この一帯が狙い目だと結論付けた。
「糞があちこちに転がってるし、足跡もいくつも交差してる。近くに沢があったから水飲み場として利用してるんだろうね。それに、ほら」
彼女は視界に映る景色に指を伸ばし、左から右に水平に動かした。彼女の引いた線を境として、下草も枝葉もほとんどなくなっており、奥の林間の見通しが明瞭になっている。
「このあたりを根城にするシカに下草が食べ尽くされちゃったんだよ。樹木のほうもシカの口の届く高さに枝葉が揃えられてる。
シカは大きな身体を維持するエネルギーをほとんど植物だけで確保しなくちゃいけないから、口の届く範囲の植物を見境なく根こそぎ持ってっちゃう。残ってるのはシカの嫌いな毒草ばかり」
数ある野生動物のうち、シカは森林そのものに大きな影響を与える。幼木が食べられれば森林の更新は阻害され、高木以外は存在しない歪な森となる。
笹薮が食い尽くされれば茂みに隠れる動物は去り、棲み家にしている小鳥や虫がいなくなり、動物媒の草花も衰退する。実際に世界遺産のある高山帯の希少植物がシカの食害によって絶滅の危機にさらされている。
裸地化した地面は雨水を受け止められなくなり、洪水や崖崩れの原因ともなる。
シカは、のほほんとした人畜無害な顔つきとは裏腹に、実際は暴食の使徒なのだ。
「このあたりはまだ目立たないからいいんだけど、師匠にいわせるなら『10年後をみてみたい』そうだよ。
まあ将来のことはわからない。私は自分の趣味をやるだけだよ。そろそろ次の作業にとりかかろう」
彼女は携帯電話を取り出して電話をかけた。この一帯の土地の所有者に罠を仕掛けてよいかどうか許可を取っているのだ。
法律上は猟期であれば一部の場所*1を除いて自由に猟をしてよい規則になっている。だが土地所有者に話を通しておかなければ後々トラブルの種になる。面倒であってもつつがなく狩猟をおこなうためには必須の手順だった。
電話を切った彼女はOKサインを向けた。
「自由にやってくれていいってさ。地主さんの畑も被害にあったんだって。これで後顧の憂いはなくなったね。いったん家に戻って罠を取りにいこう」
セイウンスカイは自宅倉庫から格子状の金網板を6枚と取付部品を取り出し、軽トラックで林道まで運んだ。停車したあとは人力で先ほどの場所まで運んでいく。金網板は総計で成人男性一人分以上の重量があるが、ウマ娘特有の膂力で彼女は軽々と運搬する。
続けて、運び入れた金網板を組み立てて直方体の檻を作った。高さ120cm、幅90cm、奥行180cmの無骨な箱だ。檻正面は落とし扉となっており、吊り上げて固定できるようになっている。底面は土をかぶせて格子をみえないようにする。
「これは箱罠っていうんだ。餌を使って獲物をおびき出し、檻に入ったらトリガーが発動して落とし扉が閉まる仕掛けだよ。身体まるごと捕らえるからくくり罠と違って獲物が逃げ出しにくい。駆除捕獲でよく使われるね。
これはイノシシやシカ用の大型のやつだけど、タヌキとかアライグマとかの中型獣用のもあって、農家さんが自衛のために設置したりもするんだ」
トリガーには踏み板式、蹴り糸式、回転式といったさまざまな種類があるが、今回使うのはセンサー式だ。
センサーと蓄電池の入った小型のボックスを箱罠奥の天面に結束バンドで架設し、ボックスと一体化している電磁石つきフックにロープを通し、落とし扉上部の格子と結んで滑車のように固定する。獲物がセンサーの感知範囲に入ると電磁石が外れ、扉が落ちる仕組みだ。
センサー式は獲物の体高に合わせて反応する高さを調節できるメリットがある。ニホンジカの成獣の肩高である70~80cmに合わせてセンサーを設定しておけば、小中型動物の錯誤捕獲を防ぐことができる。しかしまだセンサーのスイッチは入れない。
「餌でおびき出すっていっても、いきなりは中に入ってくれない。どう考えてもこの檻は不審物だからね。自宅の庭にいきなりUFOが出現したようなもんだよ。まずはこの箱は怖くないよって慣らす必要があるんだ」
具体的には、箱罠の周囲に撒き餌をし、食べはじめたら今度は罠の入口付近、最終的には檻の中と、徐々に撒く場所を変えていき、箱罠が餌場であると学習させる。
「目にみえないくくり罠は相手に気取られないよう気を遣うけど、箱罠ははじめからみえている異物だから、警戒心を解かせて油断させる必要があるんだ。
知恵比べの方向性が違うんだよね。ここからは根気勝負になるよ。罠の道は一日にしてならずだ」
そして彼女は箱罠とともに持参したサイコロ状の餌を、箱罠から数メートル離れたあたりに広く浅く撒いた。ヘイキューブという牧草を乾燥させたもので、もともとは牛用の飼料だが植物食のシカも好んで食べる。
撒き餌には米ぬかを使う場合も多いが、米ぬかだとイノシシも寄ってきてしまう。今回はシカをピンポイントで狙うため万全を期す。
最後に、箱罠の側方の木にネームプレートとタブレット状のカメラを巻きつけた。
「
動物が夜間侵入してきても自動で撮影をおこない、さらにはSIMカードの利用により携帯電話回線を通じて撮影データを送信し、PC・スマートフォンの専用アプリで家にいながらにして撮影記録を動画で確認できる。
伝統的な狩猟の知識に情報革命の恩恵を組み合わせた現代的なハンターの手法である。
「普段の生活もあるから見回りが省力化できてありがたいんだよね。猟師っていったって原始人じゃないんだから使えるものは使っていかないと。さて、これで細工は上々、あとは成果を御覧じろってね」
箱罠を仕掛けて1日目は空振りに終わった。
撮影動画を確認すると、赤外線を反射して発光するシカの両眼が白黒画面の視界の端に映っており、遠巻きに出現している様子は判明したが、罠には近寄ってこず、餌も食べていない。
「餌を撒いてもすぐには食べないよ。やっぱり最初は警戒する。そのうち1頭が食べると、少しずつほかのシカも寄ってきて食べはじめるって感じかな。ま、辛抱辛抱」
2日目。セイウンスカイの予測通り、1頭のシカがおそるおそる近寄ってきて撒き餌を口にした。身体の大きさから判断すると初夏に生まれた当歳の仔ジカらしい。
しばらくすると画面の外から成獣も映り込み、餌に首を伸ばした。角がないのでメスだと判別できる。食べているときでも耳を四方八方に動かして周囲を警戒し、ときどき頭を上げてあたりを見回し、外敵の不在を確認してまた食事を続ける。
仔ジカがカメラに気づいた。無警戒に寄ってくる。愛くるしい団子鼻をカメラに寄せて画面を占有する。だがカメラから反応がなく食べられもしないとわかると、またヘイキューブを食みに元の場所へ戻った。
「おとなのほうは見覚えがあるなあ。たぶん去年猟に出たとき森ですれ違った個体だ。四肢が短くて体高が低い。耳の先がずいぶん尖ってて、耳の縁の黒ずみがはっきりしてる。子供のほうも似たような特徴があるね。たぶん親子だな。お母さんのほうは新ママじゃないかな。おばちゃんだったらもう数匹いるはず。畑についてた足跡からするとあの親子が犯人だろうね」
シカは母親を中心とした群れを作る。母子のほか祖母が加わったり別の母親グループとゆるく紐帯して母系社会を形成し、メスは一生をその社会で過ごす。オスの場合は生後1~2年ほどで母親から離れ、単独行動をとるようになる*2。
シカの母子は腹が満たされると、1時間ほど座って食餌を反芻*3し、その場を離れた。
「去年からいままで生き延びてくれたと思うとなんか嬉しくなっちゃうな。あの小さかった子がこんなに立派になってって感じ。まあこっちにも事情があるから容赦はできないんだけど」
映像を確認し終えた彼女は、感慨ときまり悪さの混交した苦笑を浮かべた。山を同じくする朋輩への感傷と、結局は非情を為すのだというよんどころなさとが呼気にないまぜていた。
3日目。食べられた分の餌を補充して再び待つ。今度は別の群れもやってきて、箱罠周辺には5頭のシカがたむろした。
4日目は箱罠の入口付近に餌を寄せた。
距離の近づいた無機質なケージの威容にシカの群れは当初警戒していたが、餌の魅力には抗えなかった。
好奇心旺盛な縁黒耳の仔ジカが率先して餌にありつくと、ほかのメンバーも警戒を保ちつつ箱罠に近づき、餌に食指が動いた。
すると散布された餌山をめぐり、距離の縮まったシカ同士でいさかいが発生した。口吻で牽制しあったり、前脚を振り上げてボクシングのごとくはたき合いを演じた。しかし食事が終わるとシカたちは互いに
母親から顔、首、耳をなめられている仔ジカはすこぶる気持ちがよいらしく、目を細めて恍惚の表情を顕著にしている。その様子だけみれば、奈良公園の神鹿となんら変わりがない。
「ここまでは順調順調。でもまだ道半ばだね。明日からは檻のなかにも餌を入れるよ」
5日目。箱罠の入口手前に加えて、入口を少し越えた内部にも餌を撒いた。
この日は箱罠手前の餌だけが食べられた。さすがに檻の内部に進入するのは抵抗があるらしい。
されども翌6日目にはその均衡も破られ、入口手前から首を伸ばして箱罠内部の餌をあさった。
7日目にはついに檻の外への撒き餌をやめ、箱罠の中心部に餌を置いた。
ここに来れば確実に餌が食べられると学習した無邪気な仔ジカが先導する形で檻内のヘイキューブを消費する。母親は警戒心が強く、箱罠の周辺を徘徊するにとどまった。
「よし、そろそろ勝負どころだ。明日はいよいよセンサーのスイッチを入れるよ。ここまで美味しい思いをしたぶん、目を白黒させてあげよう」
彼女のにやりと広げた口角には自信が満ち、天色の瞳が爛々と輝いた。
運命の8日目。ついに檻の最奥に餌が設置された。
未明にトレイルカメラからの通知が届く。例の黒縁耳の仔ジカが一番乗りで現れ、もはや日常と化した檻の餌場に疑いも持たず歩みを進めていく。センサーはまだ感知しない。仔ジカの体格では設定した高さに触れていないからだ。
しばらく間を置いて母ジカも画面の奥から立ち出で、訝しげに箱罠を周回する。仔ジカは悠々と食事を続ける。
母ジカも空腹に我慢ならなくなったのか、あるいは未知の物体の腹内で安閑としている我が子を案じてか、痺れを切らして檻に進入し、愛し子に身を寄せた。
その親心が仇になった。設定高度の物体を感知したセンサーがトリガーを作動させた。扉を吊り下げていたフックの電磁石が外れ、落とし扉が耳障りな金属音を立てて落下し、シカの母子を閉じ込めた。
突然の事態に母子はパニックに陥った。牢獄を所狭しと駆け回り、脱出を図ろうとその身を頭から格子壁に打ち据えた。
しかし頑強な檻はびくともしない。体当たりの残響音が鹿鳴の宴の終了を告げる鐘となって樹海へと吸い込まれていった。
「にゃは、ハマったね。大物いただきだ。母ジカも一緒に捕えられたのは大きいよ。繁殖能力のある個体を捕まえたほうが駆除効果が高いからね」
狙い通りの顛末にセイウンスカイは満足げな表情を浮かべた。シカの捕獲を確認し終えた彼女はふたたび出猟の準備をするべく立ち上がった。
「レースだったらこれで終わりなんだけど、狩猟だとまだ続きがあるんだよね。それがまたけっこうタフな作業なんだ。もうちょっと付き合ってもらうよ」
箱罠の設置場所近くの森を通りがかると、ガァンガァンと檻の鳴る音が
シカは聴力に優れる。こちらの足音を遠くからでも察知し、外敵からの逃走を画策しようともがいているのだろう。
彼女が檻のそばに寄るといよいよ恐慌は極まった。
母ジカは七転八倒、たおやかな前肢を格子に叩きつけて暴れ、頭からタックルを繰り返す。その衝撃で格子がたわみ、鼻先の皮膚がえぐれて口元が血染めになる。生き延びようとする本能が私たちを拒絶する。従容とした観念など微塵もない、優美で逞しい野獣の姿だった。
いっぽうで仔ジカは出産直後に戻ったかのように脚と体毛を戦慄させ、セイウンスカイから離れるように後じさった。いたいけな瞳が恐怖に満ちている。
彼女は次におこなう止め刺しのために、軽トラックに積んできた角材を箱罠中央に横から隙間なく挿し込み、母子を分断する。
「ビャァッ」。母とのみえない紐帯を遮断された仔ジカが不安と怖気の浸潤した黄色い震え声を絞り出した。
「今回の止め刺しはこれを使うよ。電気
そういってセイウンスカイは塩ビパイプに部品を取り付けた槍状の止め刺し装置をみせた。
柄の後端から伸びたコードが腰袋につけたインバーター内蔵ポータブル電源につながっており、スイッチを入れると先端の電極針に電気が流れる。これを使って獲物を刺突し、感電させて動きを止める。
従来、銃が使えない状況*4での止め刺しは次の方法が主流だ。
獲物の頭部を棍棒で強打し無力化させてからナイフで失血死させる方法、あるいはナイフを棒にくくりつけて即席の槍をつくり、罠にかかった獲物の行動範囲外から急所を突く方法。
しかしこれらの方法は一撃で相手を昏倒させるのが難しく、獲物の苦痛が長引きがちだ。また、接近のさい思わぬ反撃をもらう危険もある。
その点、電気ショッカーは獲物の胴体に電極針が刺さればイノシシやシカなどの大型獣でも一撃で無力化できる。
「荷物がかさばるのが難点ではあるけど、安全に勝るものはないからね。ケガしたら治療のあいだ狩猟ができなくなっちゃう。フィールドに立てなくなるのは嫌だな」
感電防止のためにゴム手袋をつけ、装置の各パーツの点検を終えると、アースクリップを箱罠の角部分にとりつけ、槍先のキャップを外して電源を入れる。
いよいよ準備完了だ。まずは出口に近い母ジカを狙う。
箱罠の右側面から槍先を少し入れ、母ジカの心臓周りに狙いをつける。獲物が槍を嫌って隅に寄ったタイミングを見計らい、電気ショッカーを持った手をまっすぐ突き伸ばした。
「キュゥゥゥイ!!」。母ジカの断末魔の金切り声が山中にこだまし、しなやかな肢体がびくと跳ねて倒れた。反撃はなかった。電流により全身に痙攣が起こる。ブルブルと振動する四肢が命乞いのようで憐憫を誘った。セイウンスカイは表情を変えない。
彼女は母ジカの意識が昏睡したのを確認すると、電殺器の電源を切り、箱罠の格子の隙間から母ジカの脚をつかんで手元に寄せた。
腰につけた鞘から大ぶりのナイフを手に取った。引退した猟師から譲り受けた刃渡り15cmほどの剣鉈だ。彼女が独自にカスタマイズして鍔をつけてある。刃先を左前肢の付け根付近にあてがった。頸動脈を狙うのだ。
彼女はひとつ深呼吸をした。大きく息を吸い、吐く。再び軽く息を吸い、呼吸を止め、手に持った業物を刺し込んだ。一気に。躊躇なく脳へのバイパスを断つ。握り手が鍔に当たった。刀身を引き抜く。すべらせるように素早く。
まだ動いている心臓がポンプの役割を果たし、傷口から生命の甘露がしたたった。溢れた器質が本来入るはずのない気道に流れ込み、
やがて母ジカは、目を見開いたまま静かにこと切れた。
彼女は曼珠沙華の広がった剣鉈をアルコールシートで拭いて鞘に納めた。
箱罠の扉を開けてとどめを刺した母ジカを引き出し、頭を下にして屍を斜面に横たえる。重力にしたがい茜川が勢いを増した。亡骸を運ぶためにつかんだ脚にはまだぬくもりが残っている。
「こうすると血が早く抜けるんだ。血には微生物の栄養になる糖分や酸素がいっぱい詰まってるから腐敗しやすい。手早く放血すれば食中毒や感染症のリスクが下げられる。調理器具やお皿についた血から二次感染する例もあるからしっかりやらないとね。
血を抜けば体温も低下するから腐敗の進行を遅らせられて、肉質も良くなるんだ。一挙両得ってこと」
彼女は業務説明のように淡々と放血の意図について説明する。彼女のハンティングベストには返り血が点々としている。
「さて、血が抜け切るまでに残ったほうもやっちゃいましょうかね」
箱罠に戻ると、罠のなかに取り残された仔ジカが私たちに背を向けた。白い尾っぽを広げて小刻みに震え、華奢な脚をすくませている。
数日前まで食欲も愛情も満たされていたのになぜ? 事情を知らない仔ジカからすると私たちは得体の知れない化物にみえているだろう。
「仔ジカまでとどめを刺すのはかわいそうだと思う?」
しかつめらしく彼女が問う。おためごかしを求められているわけではないだろうと思い、素直に首肯した。
「うん、そうだよね。そう感じるのは当然。まだ小さい子にまで手をかけるのは心が痛むよ。実際、逃しちゃう猟師だっている。私も釣りだったらリリースしただろうね」
しかし、逃したさいの影響を考えると駆除せざるをえないという。
「この子も親と一緒になって畑を荒らした。親はダメで子は許すっていうのは筋が通らない。情状酌量は人間社会の観念だからね。
もしこの子がメスなら1年後にはもう妊娠可能になる。逃してしまったら毎年子供を産んで、手に負えなくなるかもしれない。しかもいちど捕まったシカは学習して罠にかからなくなる」
そのような個体はスレジカ、あるいは
「そうなったら村の数少ない農家さんも、細々と続いてる林業も、草や虫や鳥も大打撃を食らうことになる。だから、後味が悪くても、非難されても、ほだされちゃいけないんだ」
鳥獣駆除に関する巷間の反応は、とくに地方と都市とで意識の乖離が激しい。
地方在住者の多くは生活防衛のために必要な措置だと理解しているが、都市住民を中心に、感覚的には抵抗のあるものも多い。生理的な嫌悪感や菜食主義の観点から非難するものもいる。
また、野生動物が市街地に侵入し、やむなく射殺されると、過激な動物愛護家から自治体に抗議の電話が殺到するという。
セイウンスカイにもその矛先が向けられた過去がある。
かつての二冠ウマ娘が現在は狩猟に従事しているという耳目を集める話題を追ってTVカメラが入った。農地に忍び寄り作物に被害をもたらす野生動物を罠にかけて捕獲する姿を映した内容だった。
現役時代に受けた取材の数々でマスコミ慣れしていた彼女は取材陣に如才なく受け答えた。出没する動物の生態や習性、捕獲方法、果ては止め刺し、解体まで含めて開けっ広げに明かしたが、放送後の反応は予想以上に賛否両論だった。
動物愛護団体からのクレームは言うに及ばず、SNSでは、炎上とまではいかないまでも、感情的な反応や心無い中傷、なかには明らかに侮辱とみなせる発言もあった。
「私は自分のために猟をしているわけだからとくに弁解はしないしその必要もないと思ってるよ? だいたい猟師は昔から嫌われ者なんだ」
肉食が大手を振って解禁された明治期ですら屠殺は被差別部落の仕事とみなされ、近代文学でも猟師はしばしば悪者扱いされる。
例をあげれば、岩手県出身の有名な童話作家の作品に登場する猟師は報いを受ける存在として描かれている。
「だけど、里山に守られた都市部に住んでて、誰かが屠畜・解体したお肉を、そうとは意識もしないでムシャムシャ食べながら、考えなしに反射で文句つけてる人がいると思うと、ちょーっとだけ腹が立つかな。
猟師のおこないが道徳に反するっていうなら、年端もいかないウマ娘をいっぱい集めて衆人環視のなかで見世物にするのはどーなの?」
彼女はぷりぷりとむくれ顔をみせる。本気で怒っているわけではないが、狩猟や獣害についてなにも知らない、知ろうともしない口舌の徒に思うところはあるようだ。
直接的に淘汰圧を加えている猟師のほうが、野生動物と伴侶動物とを同一視する都市住民よりも動物の生態について詳しいのは皮肉な倒錯かもしれない。
「『笑いながら動物を殺している』って批判もあったね。私、そんなに邪悪にみえたのかなー。むしろ技術を磨いて、苦しませずに逝かせてやりたいと思ってるくらいなんだけどね。
まあ私も少し世間と感覚がズレてきたんだと思う。猟の経験を積むにつれて、止め刺しにも慣れていくのがわかるんだ。命を奪う感覚が鈍くなっていくんだよ。そんなときに下手打ってケガしちゃってさ。何針か縫うハメになった。これ、みてよ」
彼女は左袖をまくってみせた。うっすらとではあるが腕に手術痕が残っている。
「オスジカを仕留めたと思ったら最期に暴れられて、角で突かれちゃったんだよ。それまで猟やら駆除やらでいっぱい獲ってたから、バチが当たったのかなと思った。山の神様にちゃんと祈るようになったのはそれから。
はるか昔の猟師も、狩猟の怖さと向き合ってきたんじゃないかな。生活のために狩りをするなかで、ふとしたときに獲物が、自然が牙を向いてくる。自分の傲慢さをとっちめられて、謙虚になっていく。それが猟師の分際だと思う。
私がガイドしてあげるから試してみてほしいよ。笑いながら動物を殺せるのかどうか」
彼女はふたたび電気ショッカーのスイッチを入れ、槍先を仔ジカに向けた。
「結局さ、とどめを刺すにしろ逃がすにしろ、その行動に責任がついてまわるのが猟師なんだ。でも難しい話じゃない。立場は違ってもみんなやってることだよ」
朝、目が覚めたらそのまま起きるか、それとも二度寝するか。食事にサラダをつけるか、つけないか。どこからスパートをかけるか。今行くか、いやまだか、いや今か。そして、現役を続けるか、引退するか。
取るに足りないものから人生の岐路にいたるまで、われわれは断続的に選択を強いられる。
「猟師の場合、たまたま命のやりとりを決する立場に置かれるというだけ。どの立場でも、とった行動の最終的な責任を踏み倒すことはできない。だったら私は、人の側に立つよ」
いうがいなや、彼女は電槍を仔ジカに仮借なく刺した。母ジカと同じように失神する。流れるように剣鉈を抜き、刺突点に刃先をあてがう。
いじらしい仔ジカの命運を扼する瞬間、彼女はかすかな、しかし確かな声でぽつりと漏らした。
「ごめんね」
木枯らしに吹かれて紅葉がひとひら、仔ジカのそばに落ちた。
親子ジカの止め刺しを終えた彼女は、剣鉈を鞘に納めると、天に向かって大きく息をつけた。シカを相手にした持久戦にようやく決着が着いたのである。
「命に向き合う点ではむしろここからが本番かもしれない。次は解体をやっていこう」