前編:人生は続く
最強のウマ娘がだれなのか知りたければ、あなたの所属しているグループのメンバーに訊いてみるとよいだろう。職場で、酒場で、ネットの海で、いい年をした大人が、答えのない議論に侃々諤々と興じるはずだ。
七冠ウマ娘シンボリルドルフか。芦毛の怪物オグリキャップか。 "スーパーカー"マルゼンスキーか。古参のファンなら戦後初の五冠ウマ娘シンザンをあげ、マニアがいまや神話と化した幻のウマ娘トキノミノルを支持して議論をかき乱す。
この着地点のない問答は、叶わなかったマッチメイクに夢を馳せ、終わってしまったレースが終わらないでいてほしいという、人生をレースにかこつけて過ごすファンたちの敬虔な奉拝にほかならない。
では少し質問を変えよう。最速のウマ娘はだれか。レース結果に一喜一憂する殉教者たる彼らも、この質問については答えが衆目一致する。
そのウマ娘の走りはスピードの次元が違った。後ろを置き去りにし、自由で楽しげに走る姿に、みるものみな呼吸を奪われた。人々は、実現不可能な憧れを彼女の走りに投影し、彼女が走るたびに夢の実現を実感した。勝敗すら度外視して彼女の生命の光輝に酔っていたのである。
「本当に速いウマ娘には、なにも関係がないんです。駆け引きも、天気も、バ場の状態も、レース展開も」。かつて彼女の担当トレーナーは彼女の強さについてそう評した。彼女を追えるものはだれもいない。ファンも関係者もだれもがそう確信していた。
それだけに、ある年の11月1日、1枠1番1番人気でゲートを飛び出した彼女が大差をつけて先頭で戻ってくる光景を、われわれは微塵も疑っていなかった。夢は、どこまでも続いていくはずだった。「もしも」。必ず浮かぶフレーズだ。彼女を思い出すときは、いつも。
◇
コツ、コツ、コツ、コツ。油絵の具のねっとりとしたにおいが満ちるアトリエの壁の前に彼女が立った。下から上へ、上から下へ、ピアノを弾くように指先で壁を叩いていく。
「これをやると全身の神経が冴える気がするんです」
指先から乾いた音を響かせながら彼女はいう。
「指先には神経が集まっています。指、手首、肘、肩。コツコツ叩きをすることでその日の身体の調子が把握できるんです。今日の調子は悪くなさそうですね」
作業前のルーティーンを終えた彼女がこちらに振り向く。彼女はかつて稀代の大逃げでレース場を沸かせたウマ娘、サイレンススズカである。
作業服として使っている絵の具の染みた割烹着に身を包み、髪をポニーテールにまとめた姿は、現役当時の格好から様変わりしている。
現在彼女は、風景画、レース絵画、ウマ娘の肖像画を主に描く若手画家として画壇から評価を集め、辣腕を振るっている。
大小さまざまな大きさのキャンバスが置かれたアトリエの隅から、彼女はF100号という彼女の身長ほどもあるまっさらな麻布張りのキャンバスを取り出し、北向きの窓の側壁に置かれたイーゼルに据え付けた。窓からみえる景色はなだらかな起伏のうねる草原の丘が広がり、ペンション風の建物が点在し、遠景にはこの地を囲う山々が錦繍に染まった稜線を描いている。高原にある景勝地に彼女のアトリエはある。
「アトリエを高原に構えたのは、ここにいると私の原風景を感じられるからです」
窓から採光した天然の照明をもとに、イーゼルの位置を微調整しながら彼女はいう。
「夏は緑の萌える原っぱが広がって、ターフの上にいるような気になれますし、冬になれば雪が積もって、子どものころに雪原を駆けたときの、走るのが好きになったきっかけを思い出せます。現役を引退して久しいですし、絵を仕事にするようになりましたけど、走っていたときに感じていた気持ちや感触は、いまも私の活動の原動力になっているんです」
彼女はスケッチブックに描いた
時折イーゼルから離れて正面から、左から、右からキャンバスを眺めて全体のバランスを確認する。凪の湖面のような、山頂からの眺望のような澄みわたった目で彼女は画面全体を熟視する。その様は絵そのものよりも、絵に宿った命をみつめている。
黙々と作業を進めること数時間、張り詰めた空気を裂くように彼女の携帯電話からアラーム音が鳴り響いた。作業に没頭していた彼女が我に返って目をしばたたかせた。彼女は作業道具を置き、割烹着を脱ぎ、髪を解いて、休憩にしましょうと提案した。
「私、いちど作業に入ると寝食を忘れてしまいがちなんです」
彼女は面映そうに告白する。
「そのせいで画業をはじめたころには貧血になったり、倒れてしまったりして。それからは作業タイマーを設定して、必ず休憩をとるようにしています」
もう倒れたくはありませんからね、といって、彼女はダイニングに足を向けた。
彼女はキッチンからいちご大福とコーヒーを携え、食卓に置いた。皿とカップを配膳する彼女の指から絵の具のにおいが漂った。
「いちご大福は毎年この時期になるとトレーナーさんが贈ってくれるんです。いまだに気にかけてくれているんですね。もうあの事故からは立ち直っているから気にしなくて構わないのですが、トレーナーさんなりのけじめなのでしょう」
コーヒーは彼女が手ずから淹れたものだ。煎香が鼻腔をくすぐり、いちご大福の甘味と調和する。
「ご存知ですか? コーヒーにほんのちょっとだけ塩を入れると、苦味と酸味を感じづらくなって、飲みやすくなるんです。もし味が気になるようでしたら試してみてください。カフェオレにしても美味しいですよ」
彼女のすすめを私は意外に感じた。現役時代のサイレンススズカといえば、走ることを至上の喜びとしている
「走れなくなってから、走る以外の方法で社会と関わらなくてはいけなくなりましたから。できることを増やそうと思っていろいろ試した結果ですね」
彼女は足元を一瞥した。タイツに包まれた左足首にはいまもなお手術痕が残っているという。
「絵を描くことも、そのひとつです。走りに変わる新しい表現手段を手に入れられたのは幸いでした。絵のおかげで、わたしはいまだに先頭の景色を追えています」
◇
サイレンススズカは芝マイル~中距離路線で活躍したウマ娘である。タンチョウのようにしなやかな脚線、均整のとれた柳腰、シルクと見紛う腰長の栗毛と陽光にきらめく尻尾、透き通った鈴声、芝空を映した遥かな瞳が、白と緑を基調とした勝負服と相まって、しんとした雪景色を思わせる儚さをまとっていた。
だがそれとは対照的な、他者を置き去りにする快速は唯一無二の存在感を放った。"逃げて差す"と賞揚された天衣無縫の大逃げは、対戦相手からすれば疾雷耳を
彼女の強さは当時のレース四季報からも読み取れる。サイレンススズカのページを確認してみると、各コーナーの位置取りは、彼女が自身の戦法を完成させたバレンタインステークス以降すべて「1」が刻まれている。
つまり当時リアルタイムでレースを追っていたファンは、彼女が常に先頭にいるのを目の当たりにしてきた。それがずっと続くと思っていた。したがって、あの天皇賞(秋)についても、彼女が勝つのが当たり前で、"異次元の逃亡者"としてどのような勝ちっぷりをみせるのかがもっぱらの話題だった。
天皇賞(秋)当日、ゲート最内からはじけるようにスタートを切ったサイレンススズカはいつも通りに背景をちぎっていった。だれも追いかけてはこなかった。彼女の首に鈴をつけにいこうとすれば自分が潰れてしまう。そのことをどの選手も理解していた。
後続の戦慄を一顧だにせず彼女は自分のペースで悠々とレースを進めていった。5バ身、10バ身。多士済々の集まるGI天皇賞(秋)の舞台で、明らかに彼女ひとりだけが別次元でレースをしていた。
前半1,000mの通過タイムは57秒4。並のウマ娘なら完全にオーバーペースだ。というよりこんなタイムは出せない。普通、レースは駆け引きをするものだ。つまり、予想される展開を頭に入れて最善の位置取りを模索しつつ、天候とバ場状態を考慮した最小ロスのコースを走り、ペース配分やほかのウマ娘との競り合いを意識する。しかし彼女には相手の有無は関係なかった。普通の選手のオーバーペースが彼女にとってのマイペースだった。
とんでもないレコードが出るにちがいないとスタンドが喝采をあげた。東京レース場のシンボルである大ケヤキにさしかかった。スパートをかけるべく彼女が芝を踏みしめた。そのとき彼女は周囲と隔絶された不思議な領域へ進入した。
「信じてもらえるかはわかりませんが、私にはたしかにみえたんです。スピードの向こう側、ずっと追い求めていた景色が……。大ケヤキの影に足を踏み入れたとき、私はまったくの別世界にいたんです」
彼女は慎重に言葉を選びながら訥々と語った。
「真っ暗な空間に自分がいて、足元が引きずり込まれそうになって、動けない。でもそこでトレーナーさんや友人みんなの声が聞こえて、目の前に大きく明滅した光の出口が見えたんです。その先はだれの邪魔も入らない、広くて自由で、明媚で静かな、思いきり駆け回れる青野が広がっていました。いままでみたことのない、とてつもなくきれいな景色で、そこに行かなきゃと思って、足を踏み出しました」
彼女の言を信じるならば、先頭の景色とは、身体の興奮・緊張・集中のバランスの一体感がもたらした忘我の境地だったのかもしれない。
そこに踏み入れてから覚えているのは、骨の折れるくぐもった音だった。
「左足首からゴキッという擬音が響いてきました。鈍くて嫌な音……。いちばん聞きたくない音です。そして周囲が元の景色に戻って、信じられない痛みがほとばしりました。焼け火鉢を押し付けられたようで、走るどころではありません。転倒だけは避けなきゃって、頭が真っ白になって……」
サイレンススズカの体ががくんと揺れ、一気に速度が落ちた。後続との差がみるみる詰まった。14万人の観客はすぐにはなにが起きているのかわからず、スタンドは水を打ったような無声に支配された。
彼女はカーブを曲がりきれなかった。ぎくしゃくした動きのまま惰性でコースの外側へと流れていく。はるか後方にいたはずの2番手のウマ娘が彼女を追い抜いた。
事ここにいたりファンは府中の魔物が彼女に襲いかかったことを理解した。スタンドに悲鳴がこだました。「サイレンススズカ! サイレンススズカに故障発生です!」。実況アナウンサーが抜き差しならない声をあげた。「なんということだ! 4コーナーを迎えることなくレースを終えたサイレンススズカ!」そしてこう続く。
「沈黙の日曜日!!」
実況アナウンサーがとっさに発したこの即興詩が、この日の悲劇を象徴する言葉となった。
その後のサイレンススズカはすぐに救急車に運ばれて病院に直行したらしい。らしい、というのは彼女の付言だ。彼女は事故が起こった直後の記憶がおぼろげになっている。
「救護班が来るまで
彼女の左足に下された診断は
事故直後は患部が大根のように膨れあがった。イリザロフ創外固定器により足首を固定し、1週間ほどかけて腫れが落ち着いた後に観血的骨接合術をおこなった。砕けた骨をプレートで接合し、整復固定したのである。現役選手が足首にメスを入れなければならないほどの大事であった。
事故の原因については当時から現在にいたるまで百家争鳴されたものの、確固たる原因はわからずじまいであった。まるで甲子園優勝投手がプロ入りしてから突然壊れてしまったかのようだった。
「決して無理な走りをしていたわけではありません」
彼女は当時を述懐する。彼女は静かに、しかしきっぱりと告げた。
「事故が起こる瞬間まで、気力も体力も最高、まだまだ私は走れると全身が感じていたんです。原因はわからないんじゃありません。ないんです」
天皇賞(秋)で起きた悪夢により、永遠の連勝劇も、予定されていた海外遠征も、すべて幻となった。 速さの代償か、それとも神の嫉妬だったのか。輝けるスピードの伝説は一瞬にして幕を閉じた。
ウマ娘がトップスピードのまま転倒すれば命の危険性もあることを考慮すると、命拾いしたのは不幸中の幸いだった。だが待っていたのは長い長い治療とリハビリの日々だった。
手術後の説明で担当医からは次のような所見を述べられた。「負傷箇所を目にしたときは、交通事故にでもあったのかと思いました」。
脛骨天蓋骨折は自動車事故や高所からの落下などが多くの原因であり、レース中の事故によるケースは珍しい。
そしてこうもいわれた。「これほどひどいケガだとは思いませんでした。手術は成功しましたが、競技への復帰は難しいでしょう」。
そう告げられたときの彼女は言葉の意味を理解できず、なかば呆けた調子で医師に問うた。
「いつ復帰できますか」
医師は答えられなかった。彼女はすがりつくような声で医師に迫った。
「復帰できますよね」
医師は答えられなかった。彼女の必死さを思えば、あだやおろそかな返事などできるものではなかった。
復帰の可能性はゼロではないことを信じて療養生活に入ったサイレンススズカをまず襲ったのは手術箇所の痛みである。手術が終わった当日に麻酔が切れてから、熱い万力で挟まれているかのような鈍痛に襲われた。痛み止めの点滴も飲み薬も効かない。夜半まで顔を歪めながら耐えていたがとうとう堪えきれず、夜勤の看護師に、痛すぎてなにもできない、とにかく痛い、と半泣きで訴えたところ、座薬を注入された。痛みはそのときがピークであったものの、手術後数週間は疼痛がついて回った。
手術の翌日には早々にリハビリが開始された。松葉杖や平行棒を使った歩行訓練にはじまり、車椅子を用いた移動、術後数日たつと上半身のウェイトトレーニングも加わった。
故障した左足は10週にわたってシーネ固定がなされ、荷重を許されなかった。代わりに足首や足趾の可動域を確保するため、足の指・足首・膝それぞれの曲げ伸ばしといった地味で地道な訓練をこなさなくてはならなかった。
「トレーニングの単調さもそうですが、なによりつらかったのは走りに行けなかったことです。それまでの生活は、寝て、起きて、走って、食べて、トレーニングしての繰り返しです。身体を酷使しなければいけない状況には慣れていましたが、まったく足を動かしてはいけないという経験ははじめてでした。身体を動かせないほうが、かえって苦しかったくらいです」
患部以外の筋トレは続けていたものの、日に日に筋肉が落ちて細くなっていく下肢の状態に不安になることもあった。しかしリハビリは一進一退である。安静、立つ、歩くなどの段階をひとつずつ踏んでいかなくてはならない。痛みが出るのであれば次のステップには進めない。そのもどかしさも彼女の焦燥感に拍車をかけた。
本当に元の状態に戻れるのかと気を揉む彼女を、友人たちが勇気づけた。しばしば見舞いに訪れ、彼女と他愛のない話をし、絶対にターフに戻ってこいと発破をかけた。また、たびたび渡された差し入れも彼女を慰めた。そのひとつに塗り絵がある。
「エアグルーヴと(メジロ)ドーベルが選んできてくれたんです、お花の塗り絵を。輪郭線に沿って色鉛筆を動かして、面を塗りつぶしていくのが、空き時間のよい暇つぶしになりました。私が美術に抵抗なく取り組めたのも、この経験があったからかもしれませんね」
もうひとつ彼女がリハビリに気を吐いたのは彼女のトレーナーの存在も大きい。毎日のように様子をみにきてくれた。鼓舞してくれた。いっぽうで彼女がケガを負って以来、トレーナーはどことなく悄然とした雰囲気をまとうようになった。
「あの事故が起こったあと、トレーナーさんにはずいぶんと批判や中傷が寄せられたそうです。カミソリの入った怪文書が届いたことも。げっそりと痩せてしまった姿もみました。心労を抱えて、責任を感じていたのでしょうね」
いまでも彼女は元担当トレーナーに心からの謝恩を感じている。
「誓っていいますが、トレーナーさんは悪くありません。大逃げというリスクの高い、けれど私にとっては自然な走り方に理解を示してくれたのはトレーナーさんです。一時期は抑える走り方も試しましたがうまくいきませんでした」
走り方に悩む彼女にトレーナーはこのような助言を贈った。「無理に抑えるより行きたいまま行ったほうがいい。それで負けるならしょうがない。スズカらしく、楽しく走ろう」。爾来、彼女は大逃げに開眼した。
「トレーナーさんがアドバイスしてくれて、シンプルに考えられるようになったんです。もしトレーナーさんと出会わなければ、私は自分を見失ったまま走るのが嫌になっていたかもしれません」
だからトレーナーのためにも早く復帰したかったのだと彼女は結んだ。
術後10週間でようやく荷重を伴わない接地を開始し、12週で1/3部分荷重、14週で1/2部分荷重に移行し、16週で全荷重が可能となった。20週で病院を退院し、その翌週から外来リハビリテーションを受けるとともに、競走能力を取り戻すためのトレーニングも開始した。回復は着実かつ順調で、術後半年ほどで
事故から約1年で左足首を固定していたプレートの除去手術を終えると、彼女は
しかし現実は非情だった。スパートをかけるべく足を強く踏み出すと、左足の関節に無視できない痛みがほとばしった。
「痛み以上に、両足が地面を蹴るバランス感覚が以前とはぜんぜん違うことに愕然としました。思ったより足に力が入らなくて、まるで規格の合わないパーツを無理やり接合したかのような違和感がありました」
走行中に視界に入る光景も以前とは様変わりしていた。彼女はクロッキー帳に説明用の図を描いた。一点透視図法を用いた簡単な風景イラストを描き、画面中央を強調するように集中線を入れた。
「通常、速度が上がれば上がるほど顔に風がかかってきて目が開けづらくなるんです。周辺視野がぼやけてきて、上下の揺れも相まって、目に映る光景のすべてがちゃんと見えるわけではないんです。でもケガをする前はその分だけ目の前の光景が輝いているようにみえました。まるで世界を独り占めしたような気分になって……」
しかし負傷後に目に入る景色は一変していた。
「速度を出せなくなったぶん、走るときに目に入る建物の輪郭だとか、スタンドにいる見学者の表情だとかがはっきりと捉えられるようになってしまって、以前とはまったく違う光景になりました。私の求めていた"景色"はみえなくなってしまった……。それがなによりも痛かった……」
すぐさま再検査がおこなわれた。骨癒合は問題なくみえたが、足関節面が軽度の変形性関節症に移行してしまっていた。脛骨天蓋骨折は、骨折形態や靭帯の損傷状態により、すべての症例で完璧な整復ができるわけではない。今度こそ本当にドクターストップがかかった。
仮にこのまま現役復帰し足首に負荷をかけ続けた場合、変形性足関節症が重度になり、足関節の固定手術ないし人工足関節への置換手術を受けなければならなくなる可能性があった。
足関節固定術を受けると足関節が動かなくなるし、人工関節にしても破損やトラブルから被施術者の1割がのちに再手術を受けているとの報告がある。そのような爆弾を抱えた選手を復帰させるわけにもいかず、引退後の予後を鑑みても、復帰させるべき理由はどこにもなかった。
「ドクターストップを聞いたとき、もうレースに出られないとは思わず、この痛みが治まれば、また足に力が入るんだと思っていました」
しかし彼女のトレーナーは冷静だった。ひどく優しい声音で「引退しよう」と彼女に諭した。そのときはじめて、彼女はもう自分が走れなくなるという現実に思い当たった。
「うそでしょと思いました。だってそうでしょう? 思いきり走りたくてトレセン学園に入学して、練習して、レースに出ていたのに、そのせいで……走れなくなるなんて」
納得がいかないとトレーナーに抗議したものの、トレーナーの意見は変わらなかった。いわく、今回命を拾えたのは奇跡だ。もし再発して今度こそ不幸が起こったらどうする。もしレース中に事故が発生して自分だけでなく他者を巻き込んでしまったら?
なおも現役復帰を主張する彼女に対してトレーナーは頑として首を縦に振らなかった。
「リハビリに励んできた君をみていると走りたい気持ちは痛いほどわかる。でも身体が無事なうちに引退させることも、トレーナーの役割なんだ。トレーナーとして、スズカをターフに戻すわけにはいかない」
度重なる説得の結果、最終的に彼女も折れて引退を受け入れた。
「私の走りを見出してくれて、ずっと選手生活に付き添ってくれたトレーナーさんが、涙目になりながら私を失いたくないと必死に訴えかけてくると、本当に私はもう元には戻れないんだと理解するよりありませんでした」
彼女はトゥインクル・シリーズで実績を残していたため、サポート役としてトレセン学園に残る選択肢も残されていたが、彼女は退学して故郷に戻ることを決めた。
「友達は熱心に引き止めてくれました。とくにスペちゃんは涙を流して、私の脚にかじりついてでも止めようとする勢いでした。けれど、これ以上学園にはいられないと思いました。走れなくなった私がいても気を遣わせてしまうでしょうから……いえ、これは言い訳ですね。なんの不自由もなく走っている子たちをみると、羨ましくて、気がついたらいつまでも眺めてしまっていました。そのうちつらくなってくるんです。私だってそこに立っていたはずなのに、どうしてって」
故郷に戻ったサイレンススズカは茫洋とした日々を過ごすようになった。全力で走れなくなった自分を、レースができなくなった現実を受け止めかねていた。ふたたびレースに出て先頭の景色を追えると信じていたからこそ、地味で退屈なリハビリも、筋力を取り戻すための地道なトレーニングも続けられた。その努力がもはや意味をなさないのだ。
ヒーローの復活に欠かせないスパイスとなる「痛みに耐えて頑張る姿」は、日の当たる場所に戻ったときにこそ意味を持つ。そのときが訪れなければ、復活までのプロセスは雲散霧消していくだけだ。
これからなにをすればいいのだろう。喪失感と不安を抱えたままなにもやる気が起きず、家でただぼんやりとしたり、かと思えば日が落ちるまであてもなく家の周囲の田舎道を彷徨した。レースをテレビ観戦することもしなくなった。できなかった。ケガさえなければいまも現役選手としてターフに立っていたと思うと、いたたまれなくて、チャンネルを合わせられなかった。できるだけレースの情報から離れたかった。
夜はたびたび悪夢に見舞われた。内容はいつも同じだった。東京レース場の大ケヤキのところで足を踏み出そうとすると、足元が崩れて、奈落に落ちてしまう。真っ暗で、どれだけもがいても脱出できない。やがて息が詰まり、窒息しそうになったところで目が覚める。目覚めたときはいつも、自分の身体があるのかどうかを疑った。
「思い出そうとするんです。自分はどこにいるのか。
再び寝ようと思っても眠れず、落ち着かなくなるばかりで、立って部屋をぐるぐると左旋回し、そのうち矢も盾もたまらず、たとえ夜半だろうと衝動的に外に走りに出た。足のケガの再発の懸念は頭から吹き飛んでいた。かつての自分を追い求めるように、走りにすがった。しかしいくら走っても、ケガをする以前の自分との懸隔を目の当たりにするだけだった。
「フォームはバラバラで、手足の動きもぎこちない。どれだけ走っても、ぬかるみから抜け出せない閉塞感が振り払えなかったんです。信じられませんでした。走るのがこんなにつらいなんて」
ケガをする前には感じられた、風の音と心臓の鼓動だけが響く静かな世界はもはや感じられなくなっていた。意識と身体の違和を振り払おうと全力で左足を踏み込むと、やはり足首に疼痛が閃いた。その痛みによって、ようやく彼女は夢現から此岸に戻れた。悪夢をみるたびにこの七転八倒が繰り返された。
「以前とはなにもかもが違っていると、何度も何度も骨身にしみて、そのたびに痛感させられました」
当時の感触を思い出したのか、彼女は表情に影を落としてつぶやいた。
「レース選手としてのサイレンススズカは死んだのだと」