引退ウマ娘のセカンドキャリア   作:空洞丸

30 / 33
中編:心のある場所

 悪夢をみては外に飛び出す生活をしばらく続けていると、ある日、サイレンススズカは足の激痛で気を失って倒れ、救急車で運ばれ緊急入院した。下肢全体が動かなくなった。当初は足首のケガが再発したのかと考えられたが、精密検査を受けても不具合はみつからなかった。

 

 いくつかの病院を受診後、大学病院の心療内科でようやく確定診断が下された。転換性障害だった。身体的には問題がないにもかかわらず、随意運動機能や感覚機能に異常をきたす障害である。

 彼女の場合、下肢の感覚喪失とそれにともなう歩行障害という形で症状が現れた。葛藤やストレスといった心理的要因が身体症状として転換された結果だった。

 

 症状が改善するまで生活に車椅子が必要となったが、地元の学校にはバリアフリー設備がじゅうぶんに整っておらず、また転換性障害の治療には信頼のおける医師のもとでの環境調整が推奨されたことから、特別支援学校に編入する運びとなった。ここが彼女の転機となる。

 

 特別支援学校には障害や病気により学習および生活の支援を必要とする小学生~高校生相当の子供が在籍しており、通常の学校と異なるカリキュラムとして自立活動という時間がある。心の問題を抱えていた彼女は、自立活動で担当医との継続的なカウンセリングを受けた。

 

 担当医はカウンセリングの一環として芸術療法を導入しており、そのプログラムのひとつとして「風景構成法」を用いた。

 内容は次のとおりだ。A4用紙と黒のサインペン、クレヨンを用意し、サインペンで枠取りした用紙に風景を描いてもらう。ただし描くオブジェクトは次の順だ。川、山、田、道、家、木、人、花、 動物、石。最後に描き足したいと思うものがあれば加えてもらう。オブジェクトごとの配置や数は自由だ。描き終わったらクレヨンで色を塗る。

 説明を受けているあいだ彼女は表情なく沈黙し時折うなずくだけであったが、一点だけ質問を挟んだ。「人は、描かなければいけませんか」。担当医は首肯した。

 

 そうして描きあげられた彼女の風景構成は以下のような特徴がみられた。

 

・後景の双子山に向かって前景から道が続いているが、画面中央に真横に流れる川で道が分断されている。

・道が山に続く途中で岩に遮られている。

・田、家、木などの各オブジェクトは後景に集中しており、前景との物体密度が対照的で、全体的に殺風景である。

 

 そして、左上に目のついた円を描いた。彼女によればそれが人らしく、地上を俯瞰して見渡しているのだという。"あちら側"と"こちら側"のどちらが自分のいるべき場所なのか判断しかねており、地に足の着かない状態を示していた。

 

「小さなころから走って、走って、走って、思春期もずっと走りっぱなし。レース業界という村社会のなかで生きてきて、世間を知らなかったんです。ですから、走れなくなったらどのように生きたらいいのか、わからなくなっていました」

 

 サイレンススズカは走ることを自らの使命と至上価値だと無意識のうちに考えてきた。ケガによって走れなくなった挫折経験により彼女のアイデンティティは大きく脅かされた。その結果、転換性障害に繋がったと医師は考えた。

 美術に造詣のあるこの医師は、彼女にデッサンの手ほどきをした。走ること以外に興味の希薄なウマ娘のよるべない鬱屈した精神を解放するために、興味の対象を与えなければならないと考えたのである。

 

 これが彼女の精神を慰撫した。手を動かしているあいだだけは余計なことを考えなくてよかった。毎日1枚以上のデッサンを仕上げ、自立活動の時間に医師に講評してもらう。そのやりとりを続け、彼女は次第に落ち着きを取り戻していった。

 

「描くという行為自体が、瞑想みたいな役割を果たしたのかもしれません。このポーズ、わかりますか?」

 

 彼女は腕を伸ばして拳を握り、親指を真上に立てて、片目で親指をみた。

 

「芸術家の記号みたいなポーズですけど、これは格好付けのためではなく、対象の大きさ、角度、長さの比率、物体の前後関係などを正確に捉えるためにおこなう実用的な動作なんです」

 

 デッサンや風景の写生のように、モノの形をそのままとらえて描くのは予想よりもずっと難しい。われわれは物体を捉えるとまずそれを記号的に認識する傾向がある(幼児の絵がたいてい立体感のない図形の集合体であることを思い出してほしい)。

 したがって、記号的な見方を抑制し、目の前にあるモノをそのままの形で写実的に捉えるには訓練が必要なのだ。デッサンは目の前の対象を観察し、形、空間、質感を平面に描き起こす行為である。換言すれば、目の前にある現実と意識的に接地しようとする行為であるといえた。

 

「対象と何度も向き合って、形を写しとろうする時間が、当時の私にとって癒しになったのだと思います。私にとって描くという行為は、芸術表現というよりは身体的な探索です。手を動かすことが、運動することと似た意味を持っているんです。動いているときの感触が、現実と触れている感覚とつながるんです」

 

 鉛筆を紙につけると点が生まれる。動かすと線が現れる。手を動かしているうちに、筆記具と紙との対応づけを理解していく。自分の動きがそのまま描線となって、いろいろな動きを試すうちに、描線のレパートリーが増えてくる。さらに手首や指を連動させて、より細かな制御ができるようになると、物体の質感や濃淡の階調を捉えられるようになってくる。

 視覚的なフィードバックだけではない。鉛筆が紙とこすれる触感、画用紙の手触り、鉛筆の芯のにおい。近づいて細部をみる、遠くに立って全体のバランスを確認する。身体全体で探索するのだ。五感を使った探索が、停滞していた彼女の心身に新たな刺激を与えた。精神衛生上の慰めとしてはじまったデッサンが、結果的にサイレンススズカの芸術を生みだす道を描いた。

 

 また、特別支援学校に通う生徒との交流も彼女の立ち直りに一役買った。

 

「特別支援学校は病気と向き合ってきた子が多いんです。とくにふたり、印象に残っている子がいます」

 

 ある生徒は筋ジストロフィーにかかっていた。成長するにつれて身体を動かしにくくなり、生活上の補助具が増えていく。

 

「年々、自力では生きられないやるせなさを感じるんだそうです。小さいころに同級生が小児ガンで亡くなったのを看取ったらしく、自分はいつまで生きられるんだろうと心細そうに話してくれたのを覚えています」

 

 もうひとりは骨肉腫で脚を切断したウマ娘だった。ポニーレースで結果を出し、トレセン学園を受験する予定だった。

 

「あるときから足に違和感が出て、そのうち治るだろう、なにか不具合が露見したら合格できないかもしれないと思って、周囲にひた隠しにしていたんだそうです。でも隠しきれないほど痛みが強くなって、結果手遅れに。いまだに幻肢痛がするといっていました。お分かりですか? 幻肢痛のこと」

 

 処置が完了しているにもかかわらず、切断箇所から原因不明の痛みや不快感が発生する現象を幻肢痛という。

 

「『まだ走れるんだ、走らせてくれって、あたしの脚が訴えてるんだよ。どうして奪われなくちゃならなかったの』と震えた声で話してくれました。将来はダービーウマ娘になりたかったそうです。でも夢のとばぐちにも立てなかった。挑戦権すら与えられなかったんです、その子は。私はなにもいえませんでした」

 

 それから彼女は意識が変わってきたという。

 

「あの子たちに比べて私はまだましだったなどというつもりはありません。私が走れなくなったつらさ、苦しさは私だけのものであって、他人と比較するものではありませんから。ですが、もう走れなくなったとはいえ、私は五体満足で、身体は健康そのものでした。ですから、私にもまだなにかやれることがあるのではないかと思うようになったんです」

 

 そうして彼女のなかで意識改革が起こると、彼女は車椅子から立ち上がれるようになった。

 最後に受けた風景構成法では、画面を分ける川には橋がかかり、岩で塞がっていた道が三叉に分かれ、道の上を人が闊歩する先行きの可能性を期待できる内容に変化していた。

 

 

 特別支援学校を卒業したあとも彼女は素描を続けた。自宅近くの山からみえる風景をモチーフとして好んで描いた。ほとんど位置を変えずに同一の景観を繰り返し描くこともあれば、わずかに位置を変更しながら異なる構図をとり、天候や時間により少しずつ移ろいゆく戸外の光、輝く風、新鮮な空気をスケッチブックに描出し続けた。

 美を求めたわけではなかった。ただ自分自身の答えを探そうとしていた。鉛筆と紙面の境界線に、生きる意味を、新しい生の形を描き出そうとする試みであった。増えていくスケッチブックのひとつひとつに、他人には語りえない煩悶が表れていた。

 

 来る日も来る日も写生を続ける彼女の姿をみて、両親は彼女に絵画教室に通ってみないかと提案した。ひとり孤独にペンを動かすよりも他者との交流のなかで腕を磨いたほうが彼女のこれからの人生の一助になるのではないかと願っての提案だった。彼女自身も行き詰まりを感じていたため、両親の提案を了承した。

 

 ここで彼女は画材の使い方を習得し、絵画の腕を砥礪(しれい)していった。思わぬ才能の開花だった。

 毎日取り組んできたデッサンが上達の下支えになった。デッサンは運動選手でいえば筋トレや走り込みなどの基礎トレーニングにあたる。こういった泥臭い鍛錬を継続すると上達の過程で大きな差がつく。一見すると子供の落書きのようにみえるキュビズムの大家も、若いころから天才的なデッサン力を発揮していた。画力の証明としてデッサン力があると説明する批評は多い。

 

 くわえて彼女がほかの絵描きと比べて有利な点がもうひとつあった。体力があったことだ。

 

「絵を描くには存外アスリート的な要素が必要なんです。ひとつの絵を仕上げるためには何時間も集中して眼の前のモチーフや画板と向き合わなくてはなりませんから」

 

 芸術系の大学を志望するものであっても、長期間にわたって描き続けていると、身体か精神か、あるいは両方に変調をきたす場合が少なくない。

 彼女は制作をはじめると長時間作業に没入することができた。走ることで身に付けた基礎体力にくわえ、目の前のメニューに意識を傾注する集中力。レース選手として流してきた汗の大河が異分野の支流に流れ込み、豊穣な芸術の土壌を涵養したのだった。

 

 ある日、彼女の上達ぶりを間近にみてきた絵画教室の講師のすすめで、彼女は自分の絵を公募展に出展する機会を得た。

 

 出展した絵は次のような構図だった。画面右上の遠景から左真ん中にかけて雪を冠した碧山が広がり、画面左側1/3を木立が占め、画面の下半分を野原の広がる丘陵が覆い、画面右下には緩やかに蛇行した道がある。丘陵地帯は若草色にところどころレモンイエローを織り交ぜた草原のみずみずしさで彩られ、木立はビリジアングリーンの力強さ、碧山は白群青の爽やかさをまとっている。黄、緑、青の色調の変化と細やかな筆のタッチが、光と大気を冴え冴えと含んだ大自然の風景を表していた。

 いっぽうで対照的な点もあった。風景のオブジェクトはみずみずしいにもかかわらず、画面上部の空はセルリアンブルーに黒を少量含めた重苦しい色になっており、灰色の雲のかすれたタッチが侘しさに拍車をかけていた。また、丘陵から山にかけて伸びているうねった道には人間がひとりだけ豆粒のようにぽつんと描かれており、画面の雄大さと比べると寂寥感を帯びていた。

 

 この絵画は公募展で入選して好評を博し、美術専門誌に取り上げられた。企画画廊の画商からグループ展で展示販売してみないかとの交渉も持ちかけられたが、突然の事態に困惑した彼女はその申し出を固辞した。

 

「賞をとってやろうだなんて気は毛頭なかったんです。ただ当時の自分の気持ちを素直に絵に乗せただけで……。ですから、自分の絵に急に評価や価値がついたことに混乱してしまいました」

 

 そんな彼女のもとに懐かしい名前から連絡があった。美術雑誌にサイレンスズカの名前があると気づいて連絡をよこしてきた主は、かつてアオハル杯で彼女とともにチームを組んだライスシャワーからであった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。