引退ウマ娘のセカンドキャリア   作:空洞丸

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後編:私はここにいる

「お久しぶりです、ライスさん」

 

「久しぶり、スズカさん。また会えてうれしいな」

 

 府中本町駅近くの喫茶店で、サイレンススズカとライスシャワーは再会を果たした。注文もそこそこに、両者は旧交を温めあった。

 

「ライスさんはいま、絵本を作っているんですよね」

 

「子供たちに読み聞かせしたりもね。短いページでおもしろくわかりやすく、それでいて考えさせられるお話を作るのは大変だけど、子供たちが喜んでくれると心が温かくなるの」

 

 現在のライスシャワーは、現役時代に取り組んでいた絵本製作を現在も続けており、プロの絵本作家になるべく、出版社への持ち込みや、絵本の展示を取り扱う画廊での個展に精魂を傾けていた。

 

「絵本の挿絵の参考になるかと思って図書館で美術雑誌に目を通したんだけどね、そこにスズカさんの名前があってびっくり。ちょっと悩んだけど、思い切って連絡しちゃった」

 

「ライスさんから連絡をもらったときは正直驚きました。チームメイトだった時期はありますけど、適正距離も脚質も世代も違ったから、あまり個人的なお話はしたことがありませんでしたし」

 

「スズカさん、ストイックだったもんね。でもライスはスズカさんのこと、結構気にしてたんだよ? とくに、スズカさんが引退してからは」

 

「それは……いったいなぜでしょうか」

 

 少し間をおいて、ライスシャワーは答えた。

 

「スズカさんはライスと同じだったから」

 

「私と、同じ?」

 

「うん……レース中の事故で、引退せざるを得なくなったところ」

 

 ライスシャワーもまた、レース中のアクシデントでターフに散ったウマ娘だった。サイレンススズカが故障する数年前、阪神レース場の工事のために京都レース場で開催された宝塚記念での出来事だった。

 第3コーナーの下りで、ライスシャワーは突如として前のめりに倒れた。左足関節の開放脱臼骨折。骨片が皮膚を突き破っていた。即座に競走能力喪失の判定が下され、レースへの復帰は叶わなかった。

 自身と同じくレース中の事故が原因で蹄鉄を壁に掛けたもの同士として、ライスシャワーはサイレンススズカに情が移っているのだった。

 

「そうだったんですか。気にかけていただいて、ありがとうございます」

 

「気にしないで。ライスが勝手にシンパシーを感じているだけだから」

 

 そして話題は公募展で入賞したサイレンススズカの絵におよんだ。

 

「どうして自分が評価されたのかよくわからないんです。私よりもずっと長く描いていて、技術的にも優れた描き手はいっぱいいたはずなのに」

 

 彼女の疑問に、ライスシャワーは確信めいた調子で返答した。

 

「スズカさんの絵は物語を感じられるからじゃないかな」

 

「物語、ですか?」

 

 腹落ちできかねているサイレンススズカの様子に、ライスシャワーは続けて述懐する。

 

「そう。ストーリーを感じられるの。ライスも自分でお話を書いているからわかるんだけど、物語の力ってすごいんだよ。人の気持ちを動かす活力を与えられるんだから。雑誌の講評も太鼓判を押してたよ」

 

「そうなんですか。私、まだそれを読んでなくて。人からの評価ってあまり気にしてこなかったものですから」

 

「そうなの? ライス、雑誌持ってきてるからみせてあげる」

 

 ライスシャワーがバッグから美術雑誌を取り出し、講評ページを開いてみせた。

「祈り」と題した彼女の絵画は次のような講評が添えられていた。

 

 草、木、山の緑を中心とした配色は生命力にあふれ、自然の雄大さ、美しさとともに描き手の再生をも想起させる。いっぽうで、空と雲の重々しさは先行きのみえない不安感を掻き立てる。このようなコントラストのある画面構成に、ぽつんと配置された小さな人が儚く道の上にともなってこの絵は完成している。

 この絵からは、新しい人生を進もうという決意と希望、いっぽうでどのような未来が待ち受けているかわからない不安と繊細さがみてとれる。題名の通り、祈るような描き手の揺れ動く心情の色彩を、風景の彩美に重ね合わせて表現した優れた一作であるといえる。

 

 この講評を読んで、サイレンススズカは紅涙を絞った。

 

「わわ、スズカさん大丈夫?」

 

 ライスシャワーは慌ててハンカチを取り出し彼女の泣きそぼつ顔を拭った。

 

「はい……すいません、大丈夫です。その、私の意図が、ちゃんと伝わっていたのが、嬉しくて……。レースを引退して、絵をはじめてからも、ずっと悩んでいたんです。自分にはなにかができるはず、でもなにができるんだろうと、輪郭のみえないものを、追いかけていて。この絵を描いたとき、自分の正直な気持ちを、乗せたんです。わかってもらえなくても、仕方がないけれど、乗せずには、いられなかった。自分の気持ちを、大事に、したかったんです」

 

「気持ちが伝わってよかったね。絵は文字じゃない言語だから、言葉以上に伝わるものがあるんだよ。『見る』以上に『知れて』、『描く』以上に『わかった』んだと思うよ。この絵をみた人は」

 

「はい。はじめて、絵を描けて、よかったと思いました。久しぶりに、人とちゃんと話が、できた気がします」

 

 サイレンススズカの嗚咽をライスシャワーがなだめ、その後も両者は絵と講評に見入った。

 

「この絵と講評をみてると、絵を始めてからスズカさんがどれだけ努力して新しい人生を歩んでこようとしたのかが伝わってくるよ。こういうストーリーを、人の心を震わす力を、スズカさんの絵は持っているんだよ。羨ましいな。ライスも自分の大切な人にちゃんと物語を伝えたいんだけど、なかなかうまくいかないんだ」

 

「ライスさんの、大切な人」

 

「うん。お兄様……。ライスの元担当トレーナーさん。いまでもなにかと、ライスの世話を焼いてくれるの」

 

「そのトレーナーさんに、伝えたいメッセージがあるんですね」

 

「そう。ライスがケガで引退してからも、お兄様はトレーナーライセンスを返上してまでライスのそばにいてくれるの。ケガから日常生活に復帰するまでつきっきりでいてくれて、大好きなお兄様と一緒にいられるのは嬉しかった。だけどお兄様はずっと罪悪感を抱えてた。自分のせいでライスが再起不能になってしまったって。でもライスはお兄様と一緒にトゥインクル・シリーズで走ったことを微塵も後悔してないの。だからお兄様に、ライスはもう大丈夫だよ。自分を責める必要はないんだよって伝えられる絵本を作りたいんだ」

 

 ライスシャワーが絵本を書くために覚悟のほぞを固めているのを察知したサイレンススズカは、静かにうなずいた。そしてライスシャワーがこう付け加えた。

 

「人は誰しも物語を必要としているの。続いていく人生を進むために」

 

 

 喫茶店でしきりに話をしたあと、ライスシャワーはおずおずと提案を切り出した。

 

「ねえスズカさん、これから東京レース場のメインレースを観に行かない?」

 

 その日はちょうどその年の天皇賞(秋)が開催される日であり、喫茶店の利用客から漏れ聞く話も天皇賞(秋)の話題で持ちきりであった。

 

「すみません、私、レースは……」

 

 レースをみるとつらくなるからと拝辞しようとする彼女にライスシャワーは諭すように告げた。

 

「今日はね、大逃げを得意にしてる子が出場するんだ。それもただの大逃げじゃなくて、GIのドバイターフを勝っている強い大逃げをする子だよ。その子がどういう景色をみせてくれるのか、興味はない?」

 

「大逃げ……。先頭の景色……」

 

 ライスシャワーの誘い文句に、サイレンスズカは抵抗はありながらもうなずき、一行は東京レース場に向かった。

 

 

 レースは壮絶な展開となった。大逃げを敢行した鹿毛のウマ娘が、前半1,000m57秒4のタイムを記録し、サイレンススズカの天皇賞(秋)の再現だと観客が揺れた。大ケヤキも無事に越えて15~20バ身ほどの差をつけて最終直線に入ると、スタンドのボルテージは最高潮に達した。

 しかしレースはそのまま決まらなかった。天才と形容されたクラシック級の青鹿毛のウマ娘が上がり3ハロン32秒7の豪脚で迫り、ゴール寸前ラスト2完歩で鹿毛のウマ娘を抜いてゴールを決めた。

 

 ゴール直前で抜かされた鹿毛のウマ娘は、しばらく天を仰いで呆然としていた。だがやることはやったと吹っ切れた顔になり、勝者となった青鹿毛のウマ娘のそばに寄って祝福の言葉と握手を交わした。

 お互いの力量を認め合ういさぎよい姿に、レース場につどっていた観客たちも清々しい気持ちで選手たちを称えた。それは、サイレンススズカにとっても同様だった。熱に浮かされたような表情で鹿毛のウマ娘に視線を送っている。

 

 サイレンススズカはライスシャワーに興奮気味に話しかけた。

 

「なんて言葉にしたらいいかわからないくらい、とてつもないレースでした。最後には青鹿毛の子に抜かされてしまいましたけど、大逃げの子も、間違いなく主役だったと思います。最終直線に入ったとき、鹿毛のあの子はとても楽しそうに走っていました。すごくいい景色をみていたんだと思います」

 

「うん! ライス、まだドキドキしてるよ。ね、スズカさん。レースっていいものでしょ」

 

「はい。いままで目をそらしていたのがもったいないくらい。それと思い出しました。先頭の景色というのはひとりでは決してたどり着けない場所であることを。全力で競って、だれにも譲らない、絶対に追いつけない場所まで足を伸ばしたからこそみえるものであることを」

 

 そして、彼女は発心した顔つきで宣言した。

 

「私、いまとても描きたいと思いました。この胸の高鳴りを。大逃げの子がみたはずの先頭の景色を。たくさんのウマ娘の鼓動をかき分けた先の、静かできれいな、私のみたかったものを。いまなら取り組める気がします。いえ、取り組まなければなりません。私が失ったものを取り戻すために」

 

 

  ◇

 

 

 それ以来、サイレンスズカはレースを描写した絵画を積極的に制作するようになった。躍動感あふれる場面を大胆に切り取った構図、奥行きのある質感、開放感を感じさせるみずみずしい色使いで、GI優勝経験者ならではの生きたシーンを活写した絵の数々で好評を博した。

 現在では直接の注文や画廊を通じた注文を大小合わせて年間60作以上を制作しており、個展も年に1、2回ほど定期的におこなっている。

 

 こんにち彼女の脚は、走るためではなく制作をするための乗り物(ヴィークル)として機能している。

 

「あのときケガをしていなかったらどんな人生を歩んでいただろう、ひょっとしたらふとした拍子に治るんじゃないかといまでもたまに思います」

 

 走りに対する未練が完全になくなったわけではない。それでも彼女は現在の自分を肯定している。

 

「もう自分の脚で先頭の景色を追うことはできません。ですがかつてみた景色を再現しようとすることはできます。あの日みたはずの、スピードの向こう側の景色は、いってみれば鍵穴からのぞいた一部分でしかなくて、そこから全体を想像するのは途方もないのかもしれません。でもたしかにあるんです」

 

 彼女のいう先頭の景色の概念は、彼女独自のものではないという。

 

「いまの子に聞いてみても、やっぱりあるみたいなんです。"景色"が。私とは条件がちがってて、最終コーナーで後ろから追い抜くとか、最終直線で競り合うとか。呼び方も人によって違っていて、"領域"といったりする人もいますね。つまり、たしかにあるんです。ウマ娘には、ウマ娘にしかない感覚が。絵筆を通して、それらの景色(せかい)を伝えていくのが、いまの私にできることなのかなって思っています」

 

 彼女は満ち足りた表情で語ってみせた。そこには新たなアイデンティティを得、目標を追う充実感が表れていた。

 

「ケガで現役を引退してから長いあいだ、生きている実感が持てませんでした。ですが、ライスさんに連れて行ってもらった天皇賞(秋)をみてから、レースの絵を描くようになってから、私の心臓はようやく動きはじめた気がします。この鼓動を、いつまでも絶やさずに過ごしたいですね」

 

 最後に、彼女は1枚のチラシを取り出してこちらに渡してくれた。

 

「今度、また個展を開くんです。いままでの活動の集大成を披露できると思います。もしよかったらお越しください」

 

 

  ◇

 

 

 サイレンススズカの個展は都市部の商業施設の展示スペースを2階層使って開催された。

 

 まず下階の入口に入ると、正面にはパドックを模した形の展示スペースがあり、花道の部分を中心として、パドックでお目見えする人物のさまざまな振る舞いが浮世絵のような縦長のタブローに並列展示されていた。愛嬌を振りまいている選手、自信満々に胸を張っている選手、緊張で表情が硬い選手など、サイレンススズカがその場に立ってみてきたであろう選手たちをモデルにした肖像が細密に描かれていた。

 パドック側から入口の方をみてみると、入口を隔てて左右に観衆が黒山の人だかりとなっている絵がパネルに映し出されており、出場選手が感じている観客の目線やプレッシャーを追体験できるようになっている。

 

 上階に続く階段の側壁には、地下バ道を進んでいるウマ娘たちの絵が掲げられている。ひとり静かに決意を秘めた表情でこちらに迫るように佇む選手、仲のよいウマ娘同士で歓談しながら自然体で地下バ道を進む選手などが描かれている。絵に映った選手とともに来場者は階段を進んでいく。

 

 階段を昇りきると、上階の展示順路の入口はすだれが掛けられており、よくみるとゲートに入ったウマ娘の視点からみた光景が描かれている。

 窮屈さが伝わってくる入口をくぐってみると、ゲートから解き放たれた選手たちがみるであろう、レースコースを模した開放的な展示空間が広がっていた。中央に楕円形のラチが敷設され、ラチの内側はダートの土色、外側はターフの黄緑色に染まっている。

 絵画は外ラチを模したパネルに掲げられていて、東京レース場でいえば第1コーナー奥のポケット地点が展示室の順路のはじまりとなっていた。すなわちこの空間は東京レース場芝2,000メートルのコースを再現しているのである。

 

 ここまできて察しがついた。ここまでの順路は、パドックから地下バ道、そしてレースコースというように、選手がターフに現れるまでの道のりを描いている。つまりこの展示空間そのものが出場選手のみている光景を体感できるインスタレーション(空間全体をひとつの作品とする没入体験重視の芸術表現)として機能しているのだ。

 それは、サイレンススズカの目を通してみた世界の創生だった。レースに没入するウマ娘たちの一瞬を永遠にするために執念を燃やした結果だった。

 

 スタートしてから最初に入る第2コーナーでは、バ群を後方から斜め俯瞰視点で捉えており、スタート直後のポジション取りの駆け引きを描いている。

 向こう正面では、普段観客がみることのないバックストレッチ側からみた光景を描いた絵が新鮮に映る。栗毛のウマ娘が後方を突き放して先頭に立っている。

 第3コーナーを回ったところでは、画面の左側から大ケヤキが伸びてゴールとスタンドが隠されている地点、いわゆる三分三厘の勝負どころを回るウマ娘たちが芝を蹴り上げる迫力のある絵が掲げられている。

 第4コーナーから最終直線に入る地点では、画面上部中央から右下に向かって、地平線の向こうから手前に波が押し寄せるように最終直線が広がり、栗毛のウマ娘が手前に大きく、2番手以降が消失点近くに小さく描かれている。栗毛のウマ娘の独走だった。

 

 ゴール手前の最終直線に展示されていた絵は、それまでの作品とは劇的に絵肌が変わった。油彩で描かれていたここまでの生命力あふれる作品とは異なり、この絵は水彩とパステルを用いた幻想的な雰囲気を醸し出していた。ゴール板が据えられている、暖かく明るい日差しを浴びた野原を、上気した頬、恍惚の表情で駆けている栗毛のウマ娘を真横から捉えた作品だった。だれも追いつけない自分だけの世界を手に入れた栗毛のウマ娘の心の内側に吹き込んでくる風や光を、淡い塗りを使って輝くように示していた。

 

 最後に、ゴール板を越えた位置、展示順路の最終地点にF100号の大判な作品が佇んでいた。

 画面左下に栗毛のウマ娘が奥に向かって駆ける姿勢が配置され、左下から中央右に向かって草原の道が続いていく。右端に屹立するポプラの木に視線を追っていくと、遠景の地平線には山々が広がり、山あいから陽が射して光条が空気を揺らし、空と大地のコントラストが爽やかで、草木の匂いを含んだ瑞風が流れ込んでくるようだった。

 この絵は直前にみていた水彩画からまた油彩画に戻っており、雄渾かつ紗々とした質感を感じられる。直前にみていた心象風景は幻ではなく、たしかに存在し、現実と地続きなのだという描き手の確信を主張していた。自分の人生に真剣に向き合い、身命を賭して芸術活動に身を捧げるサイレンススズカの命そのものが伝わってきた。小手先の技術を凌駕した、彼女がいまその場所に生きている瞬間の随喜、原風景をひたむきに追い求めてきた純粋な姿勢が、この場に来ていた鑑賞者たちに光を投げかけていた。

 

 この個展は展示とともに販売もおこなっており、すべての作品に買い手がついていた。写真でもなくCGでもない、絵画という芸術様式は一点物で複製がきかない。

 だからこそ、手にした人が生活のなかの束の間に玩味し、また別の愛好家に引き継がれ、世人の口の端に上ることで重みも増していく。作品にミューズが宿る。ときに優しく、ときに激しく波打つ、感情を越えた思いが傑作となっていく。

 

 最後にもういちど、彼女の個展を知らせる看板に目をやった。この個展で鑑賞した作品を反芻しながら、今日という日があった事実を確かめるように個展の題名を口にした。

 

 

サイレンススズカ個展 ──栄光の日曜日──

 

 

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