引退ウマ娘のセカンドキャリア   作:空洞丸

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あとがき
それぞれの道へ


 行進を終えたブラスバンドが第1コーナーの近くで待機していた。たちまち人が増えて、それらの目は一斉にコースの外に設けられた地下バ道の出入口へと注がれた。本バ場入場曲が満場に響き、誘導ウマ娘に連れられて出走ウマ娘たちが地下バ道を昇ってきた。1番人気のウマ娘が姿を現すと、黒砂をモザイク状に散らしたような7万人超の大観衆から歓声と拍手とが割れんばかりに起こった。

 

 今日ここ東京レース場では日本ダービーが開催される。クラシック級数千人のなかから選ばれた18人から世代の頂点が決まるのだ。

 

 

 この時期になると決まって自分の現役時代を思い出す。レースの内外で奮闘し、光彩を放つウマ娘を追ってトレセン学園に入学し、身近な距離から彼女らの努力を目の当たりにし、あまつさえ同じターフの上で(くつわ)を並べる幸福にひたることができた。たしかに存在した昔日の記憶。私はそこにいた。そう、私はそこにいた。ああ、私の青春!

 しかしその渦中において、学園を去る背中も幾度となく目にしてきた。競走成績が振るわず、あるいはケガや病気などで走る機会を失い、故郷へと帰っていく夢破れたものたちの寂寥とした姿は忘れられない。

 

 そのうちに後ろめたい思いが湧いてきた。自分はいたいけな少女たちのひたむきな姿をダシに上澄みの感興をすすってきただけではないのか。(よう)として知れない去ったものたちのその後はあまりにも見過ごされてきた。

 もちろん当時も今も私はレースとウマ娘が大好きだ。しかし心に刺さった棘は胸中をかき乱して抜けないままだった。どこかでこの罪悪感と正面から向き合わなければならない。

 

 そう決心し、本書の企画を現役時代から懇意にしている月刊トゥインクルの乙名史悦子記者に話したところ、深甚な関心と激励とを寄せられ、方々に散った元選手の連絡先をつきとめていただいた。そのおかげでどうにか原稿をまとめ、出版にこぎつけられた。

 光栄にも私の過去作品をご存知の方々は作風の変化に戸惑ったかもしれない。文章、イラスト、あるいは漫画という媒体で、ウマ娘の尊さを衝動的に叩きつけ、同好の士以外は生理的に忌避されかねないオタク特有の放埒な怪文を過去の拙著で書き散らしてきたのだが、今回、ターフとステージから去ったウマ娘を題材にするにあたり、彼女らを偶像ではなく意思ある個人として描写するため、平素のトンチキなテンションは極力抑え、彼女らの現在の生活を写実するよう心がけた次第だ。

 

 取材にあたった元選手の方々も昔と変わらず私と接してくださった。

 ナイスネイチャさんは現役時代と変わらぬ面倒見のよさでインタビューに快くお答えくださった。

 イクノディクタスさんは自らの使命を真摯に語ってくださった。

 ヒシアケボノさんはお腹だけでなく心も満たすおもてなしで迎えてくださった。

 マチカネタンホイザさんは新米ママだったころの大変な思い出を開けっ広げに語ってくださった。

 メイショウドトウさんは人と動物のために優しさと強さを発揮なさっている。

 セイウンスカイさんは山の暮らしという独自の幸せと生活の形をご披露くださった。

 サイレンススズカさんは、絵筆とともに彼女が新しい生きがいを持って日々を過ごしているのをみられただけで安心できた。

 紙幅の都合で残念なら掲載できなかった元選手にも同様にお世話になりました。本書の発刊にあたってはご協力者各位の尽力によるところ多大であり、ここに篤くお礼申し上げます。

 

 もし本書を読んでレース選手の引退後について興味関心を社会に喚起できたのならば、元業界人として微力は尽くせたのではないだろうか。

 そして、もしも本書が、過去の、現在の、そしてこれから生まれてくるウマ娘のお目にかかる名誉に浴せたのであれば、これほど嬉しいことはない。

 

 

 スターターがゲートに向かって歩きだした。それまで外柵の芝生で座ったり寝転んだりしていた第4コーナー付近の観衆が立ちあがった。 スターターが赤い小旗を振り、ファンファーレが天穹に鳴り響いた。選手たちが目もあやな勝負服を日輪にきらめかせながらスターティングゲートに向かう。奇数番のウマ娘が先にゲートに誘導され、次いで偶数番のウマ娘がゲートインしていく。18番のウマ娘がゲートに収まり、係員がそそくさとゲートから離れて数瞬、ゲートが開いた。各ウマ娘が一斉に飛び出していき、観客の号叫に熱気が加わって音の塊が弾けた。

 ここから彼女たちはほんの2分半のあいだ、息を切らし、喉を枯らしながら、いまこの瞬間を走る喜びを全身にめぐらせるだろう。そしてゴールを駆け抜けたとき、会場全体が一体となった地鳴りのような興奮に、恍惚のひととき、ウマ娘としての冥利を感じるに違いない。

 

 私は心から祈っている。優駿になれるか否かにかかわらず、すべてのウマ娘に光ある道を末永く進んでほしい。自分だけのペースで、自分だけのコースを、どこまでも、どこまでも──

 

 

☓☓☓☓年5月某日

初夏の香風が芝をなでる東京レース場にて

アグネスデジタル

 

 

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