引退ウマ娘のセカンドキャリア   作:空洞丸

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ケース2. 総合型地域スポーツクラブマネージャー イクノディクタス
前編:持続可能なスポーツクラブ組織について


「われわれ指導者には決して忘れてはならないことがあります」

 

 開口一番、彼女は玲瓏な声で集まった聴講者たちに厳かな言葉を向けた。みな真剣な表情で彼女の講義に聞き入っている。

 

「ケガを乗り越え栄光を勝ち取ったという筋書きはファンやマスコミの大好物です。私たちの世代でいえば、トウカイテイオーさんの復活の有記念はいまも語り草でしょう。3度の骨折を乗り越えて一着を勝ち取ったのはとてもドラマチックですし、私も現役時代に彼女のトレーニングを目の当たりにしていましたから、テイオーさんが並々ならぬ覚悟でレースに臨み、勝利を成就させたのは肌身で理解できました。奇跡の復活と呼ばれたのも納得です。

 しかしそれでも、私は指導者としてこう申し上げなければなりません。テイオーさんの例は美談ではなく教訓にせねばならないと。奇跡とは容易に起こらないからこそ奇跡なのです。

 復活したテイオーさんの陰で、テイオーさんになれなかった何人ものウマ娘がいたはずです。華やかな舞台の裏にケガで涙を飲んだ選手がいる、そういう選手を我々が作り出してしまっているかもしれない恐れを、決して忘れてはならないのです」

 

 

  ◇

 

 

 でこぼことしたひび割れの目立つアスファルト、屋根瓦が欠けて八重葎(やえむぐら)の跋扈した家屋、昼間でも黄色に点滅している信号。今日はひなびた光景が広がる地方の田舎町に足を伸ばしている。

 タクシーに揺られてたどり着いた先は、築戸した建物が目立つ地域にあっては珍しく、比較的新しく小綺麗な状態を保った一軒家だった。深呼吸を一回、姿勢を正してインターホンを押す。

 

「お待ちしておりました。どうぞお入りください」

 

 几帳面に切りそろえられたボブカットに長い三つ編みを垂らした栗毛のウマ娘が玄関のなかから現れた。細身の身体によくフィットしたテーパードパンツとハイネックのセーターに身を包み、(ろう)たけた面差し、端正な切れ長の瞳に細身の丸眼鏡が加わって理知的な雰囲気を醸し出している。

 目の前のこの人物こそ、5年弱の現役生活で51戦ものレースを故障なく走りきり、その頑健さから"鉄の女"と称された稀代のアイアンウマ娘、イクノディクタスである。

 

 

 案内された客間に入ると、壁一面に整然と並んだ蹄鉄の数々が視界に飛び込んできた。重厚感のある光景に思わず嘆声をもらすと、目の前の人物は気をよくしたのか、いくつかの蹄鉄を手にとって説明をはじめた。

 

「こちらは昇り龍のような夏の成長ぶりで菊花賞を制したアカネテンリュウさんのモデル、こちらは強烈な差し脚が"弾丸シュート"と形容されたサッカーボーイさんの使っていた四分の三鉄、これは桜花賞で落鉄したまま出走した逸話から"裸足のシンデレラ"と呼ばれたイソノルーブルさんモデルの蹄鉄です。

 どの蹄鉄も装着者の足に合わせてすり減っていきますからどれひとつとして同じものはありません」

 

 怜悧な声色は次第に熱を帯びはじめ、

 

「どの蹄鉄にもそれぞれ味がありますがなんといっても日本レース史上初の五冠ウマ娘に君臨したシンザンさんの使用した足の爪先まで覆う勝負鉄いわゆる"シンザン鉄"は別格ですね"ナタの切れ味"と称賛されたシンザンさんの地面をかきこむ足先の力に当時のシューズでは耐えきれず破けてしまうのでそれを防ぐためにこのような形状を当時の蹄鉄師さんが考案したといわれていますがこの創意工夫ぶりには唸らされます」

 

 とめどなくつむがれる懸河の弁は縷々(るる)として止まらず、耳道を右へ左へ通り抜けていく。

 

「シンザンさんは国民的なウマ娘ですからこの蹄鉄が好きというとミーハーのように思われるのではないかと危惧するときもあったのですがやはりよいものはよいですねこれは当時使っていたものから再現した復刻モデルで現品は京都レース場に展示されていまして実際に目にしたときは感動というよりもむしろ畏敬の念を覚えましたそれくらい精巧で現代の技術と比較してもまったく見劣りしない一品ですこのために装蹄師さんがどれだけ精魂込めたのかと思うとすこぶる気持ちがかしこまりましたところで話は変わりますが最近の蹄鉄は色とりどりになって華やかになりましたよね昔からのファンには賛否両論のようですが私は歓迎すべきだとおもいます従来の金属感がむき出しの蹄鉄も質実剛健かつ安価でそれはそれで素晴らしいですがカラーリングの種類が増えたことによって選手ファン双方から蹄鉄に注目してもらえるのであれば私としては否やはありませんランドセルが黒と赤しかなかった時代から多種多様な色の製品を出して選ぶ楽しみが増えたように蹄鉄の売り出し方も変えていく必要があると思うのですそもそも蹄鉄とは……」

 

 このままでは埒が明かないと思い、意を決して待ったをかけると、目の前の人物は我に返ったのか決まり悪そうな顔で頭を下げた。

 

「申し訳ありませんでした。私、蹄鉄のコレクションが趣味でして、反応を示してくださる方がいるとつい熱が入ってしまうのです。我ながら悪い癖だとはわかっているのですが……」

 

 ひょっとしてコレクションを自慢したくて自宅に招いたのだろうか。そう疑問を向けると、目の前の人物は目線を外方(そっぽ)に向け、眼鏡のブリッジを押さえた。

 

「いえ、そんなつもりはありませんよ。ええ、そんなつもりでは決して」

 

 

  ◇

 

 

「私の現役時代をご存じの方は、よくあんなに走ったねとおっしゃるのですが、私としてはそれほどたくさん出走した感覚はありません。もちろん当時、必死で走ったのは間違いありませんが」

 

 取材の滑り出しとしてまず当時の鉄人ぶりについて水を向けると、レース通であれば卒倒しそうな所感が彼女の口から放たれた。にわかには信じがたい。

 

「昔の記録を紐解いてみると、私以上に走った方はそう珍しくないのです。

 例えばオートダービーさんという選手は122戦、トキノヒカリさんは128戦ものレースを走り抜いています。もちろんその時代といまとでは環境が違いますから単純に比較はできないでしょう。当時はいまほど高速バ場ではありませんでしたし、スポーツ医学という概念すらまだなかったころです。ケガをしても"走りながら治す"時代だったのかもしれません。

 ですが私と同時代においても、スペインランドさんという方が私よりも早くにデビューし、私より遅くに引退するまでに103戦もこなしています。近年でもハートランドヒリュさんという選手が127戦も走っています。

 軽くあげただけでも私の倍以上走った方がこれほどいるのですから、私の出走数ではさほど自慢にはならないかと」

 

 イクノディクタスは泰然とした表情で語るが、それらの突出して出走数の多い選手を除いたとしても、彼女が平均をはるかに凌ぐハイペースで戦績を重ねた事実に異を唱えるものはいないだろう。

 しかもただいたずらに数を増やしたわけではない。彼女は重賞ウィナーである。最高グレードこそGIIIにとどまったが、勝鞍の一つである小倉記念では当年秋の楯をおしいただくレッツゴーターキンを抑えて制覇している。また、安田記念2着、宝塚記念2着の成績が示すように、GIウマ娘と肩を並べて戦う実力を備えていた。

 人気薄のなかでGIの連対に食い込んだインパクトから、レースファンの間では穴ウマ娘とのイメージを持たれているが、1番人気のレースの勝率は66%(3戦2勝)、1~3番人気に支持されたレースでは連対率53%(15戦5勝 2着3回)とむしろ安定感のあるウマ娘だった。

 同時代人からの評価もみてみよう。現メジロ家当主メジロマックイーンの現役時代の回想録*1には、影響を受けた人物の一人としてイクノディクタスの名前があげられている。少し長くなるが引用する。

 

「イクノさんは寮のルームメイトで大変お世話になりましたわ。恥ずかしながら(わたくし)は体重管理が不得手でして、いつも目標体重をきっかりキープしているイクノさんからよくアドバイスをいただきました。

 身体のケアも丁寧でしたわね。ウォーミングアップやクーリングダウンは人の倍は時間をかけていましたし、トレーニング後だろうとレース後だろうとアイシングを欠かさず、どれだけお疲れでもお風呂の後のストレッチングやセルフマッサージも丹念になさっていましたわ。

 私も何度かイクノさんのマッサージを受ける機会があったのですけれど、足先から腰・背中にいたるまで強弱自在に揉み、押し、なで、さすり、たたき、こね、のばされて……。ここにはとても書けない声をあげてしまいましたわ。揉み返し*2も起こりませんでしたし、メジロ家の医療スタッフと遜色ない玄人はだしの腕利きでしたわね。私と同世代なのにいったいどこであれほどの知識と技術を身に着けたのかしら。もし叶うのであればメジロ家専属のアスレティック・トレーナーとしてお招きしたいくらいですわ。

 ところでイクノさんについての巷間の評価を拝見いたしますと、とにかく身体の丈夫さが称揚されていますわね。けれどそれは本質ではないと思いますわ。

 以前イクノさんのチームと合同トレーニングの機会があったのですけれど、日が傾いてきて、みなさんさあもう一息というところでイクノさんは練習を切り上げてしまいましたの。『筋肉が張ってきてしまいましたので。お先に失礼します』といって早々にグラウンドを後にしてしまいましたわ。

 おわかりになりまして? この凄さ、潔さ。競技レースを走るウマ娘は勝つのが使命です。あるものは幼い日の憧れに挑むため、またあるものは一着をとった歓喜の瞬間を味わうため、そして私はメジロ家の悲願を果たすため、厳しいトレーニングを積むのですわ。

 でもトレーニングの厳しさとケガのしやすさは表裏一体。勝つためにもっと鍛えなくては。でもこれ以上やるとケガをするかも。ウマ娘もトレーナーも日々このアンビバレントな思考に頭を悩ますものですけれど、イクノさんはご自身の身体の状態を適切に把握して、続けるべきか否か迷いなく判断を下せるのですわ。しかもそのときはイクノさんが勝利から遠ざかって久しい時期でした。並のウマ娘でしたら、勝てない焦りと不安を塗りつぶすかのように練習してオーバーワークになり、かえって調子を崩したっておかしくありませんのよ? そんな苦しい時期にもかかわらずイクノさんは練習量をしっかりコントロールして疲労を抜き、調子のピークをレース当日に合わせていたのですわ。

 その後の結果はみなさまご存じのとおり。この徹底したコンディショニング、どんな状況でも自分の判断に身を委ねられる鉄の意志こそがイクノさんの真骨頂だと思いますわ」

 

「懐かしいですね。マックイーンさんのおっしゃるとおり、身体とトレーニングのマネジメントにはいつも気を遣っていました。

 トレーナーさんも私の希望と方針に理解を示してくれて、私の調子を日々モニタリングしてくださったおかげで、いつも万全の状態でレースに臨めました。ですから、世間がいうほど走りすぎでも酷使でもないのですよ」

 

 彼女は涼しい顔で述べるが、"予想の当たらない月があってもイクノの出ない月はない"とファンの間では語り草になっているほど、現役のあいだは毎月のように出走表に名を連ねていた。連戦すら厭わなかった時期もある。いったいなにが彼女をここまでレースに駆り立てたのだろうか。

 

「小学生のころに通っていたレースクラブは、トレセン学園入学を目指す子が入るような名門クラブではなく、ここ地元のクラブでした。

 ケガで走れなかった時期もあって入学時点では目立った実力はありませんでしたし、名門クラブ出身の方たちと違って、こなしてきた練習量もレーステクニックも足りてませんでしたから、他人と同じように練習していても追いつけないだろうと感じたのです。しかし以前ケガした足の状態を考えると練習量を増やして追い込むのもはばかられました。

 そこでひとつ方針を立てました。レースの場数を踏んでコースごとの特徴やレースの駆け引きを身体に叩き込む。つまり、実戦で鍛えることにしたのです。そして勝負どころをシニア級以降に定めました。自分が晩成型であることに賭けたのです。もしシニア級以降も能力が伸び続けるのであれば、それまで蓄積してきたレース経験と合わせて一線級の選手とも渡りあえるだろうと」

 

 本格化後は早期に能力のピークに達する早熟な選手と、晩年まで能力がゆるやかに伸び続ける晩成型の選手、あるいは両方を兼ね備えた選手が存在する。

 しかし自分がどのタイプであるかはある程度の期間走らないとみえてこない。学園に入学したばかりの、まだ本格化前の選手が、実際に成立するかも明瞭でない数年後の成長曲線に望みをかけたとなると相当に大胆な決断である。

 

「トレーナーさんには気苦労をおかけしたと思います。じっくりトレーニングして勝てそうなレースで勝ち星を拾い、ビッグレースに繋げていくという通常の育成方針とはかけ離れていますから。

 批判は免れませんでした。走らせすぎだとか酷使だとか、ファンや関係者からはよくいわれましたし、なかには直接諫言に来る方もいました。ですがトレーナーさんは柔和に、しかし毅然と批判を退けてくださったのです。もちろんそれは私の希望や身体のケア、疲労抜きの方法などをもろもろご理解くださったうえでの行動ですが、それでも頑迷、狷介(けんかい)のそしりは避けられません。

 重賞を制覇するころにはある程度批判も収まってきましたが、一歩間違えればトレーナーとしてのキャリアが傷物になる可能性も十分にあったはずです。にもかかわらずトレーナーさんは私を信頼してくださいました。選手に献身的に尽くす熱意と、その判断ができるに足る知識をもったトレーナーと出会えたのはこの上ない僥倖でした」

 

 まなじりを下げて相好を崩した彼女の目の奥には、昔日の青春がたたえられている。

 

 

  ◇

 

 

 イクノディクタスは現在、地域スポーツクラブのマネージャーを務めている。

 われわれがイメージするスポーツクラブというと、単一種目からなる競技クラブやママさんバレーのようなサークル活動、あるいは個人がお金を払ってプロに習うスクール活動などが頭に浮かぶが、彼女の所属するクラブはそれら従来の活動をすべて含めた、いわば複合的スポーツ事業体として運営されている。

 彼女は創設者の一人として立ち上げの時期から携わっており、マネージャーというよりはむしろ経営者といったほうが実態に近い。

 

「小中学生を対象としてスポーツに親しむことを目的としたスクール事業、年齢・性別を問わない全世代向けのサークル事業、高齢者向けの健康スポーツ事業の3つの事業を主に運営しています。国の言葉でいえば、"総合型地域スポーツクラブ"と分類されるクラブです。

 種目としてはレースを含めた陸上競技のほかに、フットサル、バドミントン、卓球、バレーボール、ダンス、新体操のほか、遠出の難しい高齢者向けには近場の公民館に体育指導員を派遣して健康体操や太極拳などをおこなっています。

 私はイベントの企画や指導者・保護者向けの講習の計画、行政との渉外など主にマネジメント役に徹していますね」

 

 総合型地域スポーツクラブは欧州の地域スポーツクラブをモデルとしている。

 文部科学省の定義によれば、「①子どもから高齢者まで(多世代)、②様々なスポーツを愛好する人々が(多種目)、③初心者からトップレベルまで、それぞれの志向・レベルに合わせて参加できる(多志向)、という特徴を持ち、地域住民により自主的・主体的に運営されるスポーツクラブ」を指す。

 さまざな年代が好き好きにスポーツを選んで楽しむことのできるこのクラブは、たしかに国の定義とも合致する。

 しかしここでひとつの疑問が浮かぶ。結果を残したスポーツ選手が引退後に後進の指導に携わるのは不思議ではないが、なぜレースだけでなくこれほど多種目のスポーツを、それも多世代にわたる人々に対して門戸を開くようにしたのか、その理由を問うてみた。

 

「そのご質問にお答えするには、ポニーレース界にはびこる問題についてお話ししておく必要があります。大きく分けると指導者の質、クラブ運営の負担、メンバー数の減少の3つです」

 

 彼女は次のように話してくれた。

 まず指導者の質についてはピンキリが激しい。常に新しい情報を取り入れ、指導に活かしている聡明な指導者はたしかにいるものの、いっぽうで自分の経験にのみ頼った非効率な指導をしていたり子どもを怒鳴りつける指導者が多いのもまた事実である。監督・コーチがウマ娘でなかったり指導者ライセンスをもっていなかったりする場合も珍しくはない。

 レースに限らず地域のスポーツクラブの指導者は平日昼間に仕事をしているボランティアが大多数であり、指導者としての勉強をする時間がなかなかとれない。そのため指導者の質にバラつきがあるのは避けられない面もある。

 ところが強豪と呼ばれる有名チームでも方向は違えど実情は大差がない。どういう指導をしているのかというと、トゥインクル・シリーズのウマ娘がやるようなトレーニングをさせるという。骨格も筋力も技術レベルもまったく違うにもかかわらずプロと同じ練習を長時間させる。自分が現役時代そうしていたからという理由で。

 

「自分の経験値と目の前の子どもたちとの差がみえていないのです。子どもは大人のミニチュアではなくまったく異なる存在だということが認識されていないのです。本来子どもが必要とする技術指導や体作りとはまるでかけ離れているのにプロと同じような練習をさせて、しかもそれで『どうしてできないんだ』と罵声を飛ばす。これでは子どもたちは楽しくないでしょうし、身体にあっていない練習をすれば故障もします」

 

 クラブ運営の負担も無視できない。

 レースクラブの指導者はただ走りの技術を教えるだけではない。大会や練習試合ではエネルギーのあり余っている子どもたちをまとめて引率し、トラブルのないよう監督しなければならない。保護者から子どもたちを預かって指導する以上、保護者との関係にも気を払わなければならないが、これが想像以上に神経を使う。金銭的な報酬は期待できず、貴重な余暇も子どもたちの監督で潰えるとなれば、積極的に指導役を買って出る気概のある人物はあまり期待できない。

 指導者が仕事の都合かなにかで辞去せざるを得なくなった場合、スムーズに後任が決まればよいが、なかば貧乏くじを押し付け合うかたちで決まってしまい、まともな指導ができなくなる事態も十分考えられる。

 保護者にも多かれ少なかれ負担がかかる。トレーニングでアクシデントが発生したときに備えて見守りの人員が必要なほか、救急箱の準備や病院への搬送などの救護係、練習器具の準備や審判員などの補助業務、遠征のさいの子どもたちの送迎なども求められる。

 

「なかには明らかに理不尽かつ不必要な当番が課せられるクラブもあります。以前見学させていただいたあるクラブでは"お茶汲み当番"なる係がありました。給水用のジャグでも用意する係なのかと思いましたが、信じがたいことに監督やコーチの好みに合わせてお茶やお菓子を準備しお世話をする係なのだとか。

 指導者の権力の強いクラブだといまだにこのような前時代的な係が残っているらしいのです。こうした負担を嫌って子どもにレースを習わせたくないという親御さんがいると知ったときはいたたまれない気持ちになりました」

 

 クラブメンバーの減少も深刻である。近年の洗練されたプロモーションや元選手によるウマチューブ動画、SNSの発達などによってレース場に足を運ぶ人は増えているが、一方で競技人口は減ってきている。少子化のせいだと世間ではささやかれるが、実際には少子化率以上に競技人口の減少が進んでいる。

 

「その背景にはスポーツ種目の多様化や厳しいスポーツだというイメージ、保護者の負担の実態が知れ渡るようになってきたなどいろいろな要因が絡んでいます。子どものウマ娘が集まらず休止・廃止に追い込まれるクラブも少なくありません。私の出身クラブも子どもがなかなか集まらず、数年後にはどうなっているかわからない状況でした」

 

 ほかにも細大さまざまな問題があるものの、以上にあげた問題はどこも共通している。

 

 彼女がこれらの問題を強く意識するようになったのは、URAの職員として全国ポニーレース選手権*3の運営に関わったころの経験からだという。

 

「大会が進んでくるとケガで出場を辞退する選手が増えてくるのです。レース日程の間隔は十分空いていましたが、地方予選を含め大会は負けたら終わりの勝ち抜け方式です。一戦一戦全力を注ぐために無理なトレーニングをしてしまいケガをする、指導者も勝たせるのを期待されているので選手を追い込むようなトレーニングを強いてしまうなどの事情があったようです。

 これには愕然としました。子どもたちの目標になるようにと思ってやってきましたが、かえって子どもたちを追い込んでしまっているのではないかと。実態を確かめたくて個人的に調査をおこなった結果、いま申し上げた諸問題が浮き彫りになったのです。

 指導者の生活事情やレース業界の慣習、社会環境の変化が互いに影響を与えあっているだけに、ひとつずつ地道に課題を潰していくのではなく包括的に取り組む必要があると感じました。総合型地域スポーツクラブという形態を選択したのはそのためです。

 立ち上げのさいにはあちこちのレースクラブに声をかけて、活動の曜日や時間帯が違っていてもお互いに子どもを受け入れていくようにしましょうと話をもちかけ、人数不足に悩むクラブ同士でメンバーや指導者、サポートする大人の融通をきかせられるようにしました。

 多種目を用意しているのは神経系ができあがってくる児童期の発達曲線を考慮した結果ですし、身体動作の偏りとオーバーユースを防いでスポーツ障害を防止する目的もあります。

 大人向けのプログラムを用意しているのは地域貢献の側面もありますが、自分たちの取り組みを認めてもらうための信用づくりでもありますね。指導者予備軍とつながっておく意味合いもあります。指導者志望の方向けの講習や資料もクラブ内に用意がありますからサポートもしやすいですし、見込みのありそうな人がいたらこちらからスカウトする場合もあります」

 

 彼女の話す活動のひとつひとつに込められた意味と意図からは、スポーツ障害防止についての端倪(たんげい)すべからざる情念がみてとれる。

 本章冒頭の訓示は、彼女が直接講義する指導者講習会の一幕である。ともすれば煙たがられがちな教訓的な内容にも自然と傾聴させられる雰囲気と実績とを彼女は持っており、故障防止の啓蒙という点でイクノディクタスほど象徴的なアイコンはほかにそうそう見当たらないだろう。

 しかし今でこそ活動は軌道に乗りつつあるが、ユニークな取組みなだけに立ち上げ当初は困難も多かったという。

 

「そもそも総合型地域スポーツクラブという概念が日本では馴染みの薄いものですし、トレセン学園入学以来、私は地元を離れていましたから、クラブ設立のためのコネクションもありませんでした。

 ですからURAを離れて地元に戻り、いくつかのクラブのお手伝いをさせてもらって関係を構築するところからはじめたのです。地元を選んだのは、十分に人のいる都市部よりも半過疎の地元の方が人数不足による問題が明確で、自分事と思ってもらいやすいのではないかと考えたからです」

 

 親交を深めた知己に彼女のもつ問題意識と総合型地域スポーツクラブの構想を話すと、幾人かが真剣に興味を寄せた。そこで彼らとともに勉強会を開いて事例研究に努め、自分たちの作るクラブの構想を練る運びになった。

 

「総合型地域スポーツクラブを作ろうといっても、いったいどのようなものにすればいいのか皆目見当がつきません。すべてが手探りです。事例研究を進めるうちにいくつかポイントがあることがわかりました。どこまで行政の支援を受けるか、補助金の使途をどうするか、クラブハウスは設置するかという点です」

 

 総合型地域スポーツクラブは地域住民の自主的な活動が建前としてあるが、実際には国のスポーツ振興政策によって行政主導で設立されたクラブが多い。

 行政の影響が強いところは形から作りたがるのか、教育委員会や体育協会、青少年育成協議会やスポーツ少年団連盟などの体育組織が組織図に組み込まれているパターンが散見される。

 しかし組織図に連ねられている体育組織の上役はほとんど名誉職のようなもので、クラブ運営の意思決定にはほとんど関わらないのが実態のようだ。

 

「地域のスポーツ活動に関わる以上、既存の体育組織への協調・協力・説明は必要ですが、私たちは利用者の便益にかなうクラブにしたいと思っていましたから、形ありきではなく提供するサービスに合わせた組織を作るようにしました。疑問点や必要なものは行政に相談させてもらいますが、あくまで活動主体は自分たちだというスタンスですね」

 

 補助金の使途については、指導者養成のための経費やクラブ設立と勧誘のための実働経費、運営スタッフの報酬のために積み立てられることになった。クラブ周知のために地域広報誌に掲載を依頼したり、講演をしたり、イベントを開いたりしたほうがよいのではないかの意見も出たが、先駆例をみる限り効果はかんばしくなく、クラブの内容をまずは充実させるべきだとの方向に折り合いがついた。

 

「ただでさえ聞き慣れない概念を言葉で説明しようとしてもなかなか腑に落ちないものです。当時の私たち自身、これだというイメージ共有ができていたとはいいがたいですし、広報するにしても良質なコンテンツがなければじきに羊頭狗肉に堕してしまうでしょうから、まずはきちんとした活動実績を作ろう、補助金はそのために使おうということになったのです」

 

 クラブハウスの必要性についても是非が別れた。スポーツをする場所なら学校の体育館や公共施設の運動場があるし、クラブの事務局は行政に代行してもらうこともできる。実際、先駆例の半数以上がクラブハウスなしで活動している。だからクラブハウスなどという箱物をわざわざ設置する必要はないのではないかとの反対意見があがった。

 

「私はクラブハウスは絶対に必要なものだと考えました。理由は2つあります。ひとつは信用の問題です。これからクラブを作って利用者を募るにあたって、ただいろいろなスポーツができますというだけなのと、運営拠点となるクラブハウスもありますというのとではどちらが信用してもらえるでしょうか。子どもを預けるのは親御さんですから、しっかりしていて安心できるところに預けたいと思うのが人情でしょう。保護者が集まって茶飲み話に興じても構いませんし、運動後に子どもたちに遊ぶ場所として使ってもらっても構わないのです。

 もうひとつの理由は運営機能の集約のためです。クラブは作って終わりではありません。活動場所の確保や大会の登録、会員情報の管理、会計処理などの事務作業は必ず発生しますし、運動プログラムの計画作成、指導員養成のための研修など必要な業務は多岐にわたります。各部署との連携やミーティングも必要になるでしょう。それらを年単位で続けていかねばならないのです。継続的な活動を前提にするのであれば、そのための拠点を確保しておく必要があると思ったのです。

 実際には小学校の空き教室を使わせてもらえることになりました。校長先生と教育委員会に相談させてもらったところ、はじめはいぶかしがられましたが、専従のスタッフを置いて学童としても使えるようにする、これは子どもたちの居場所を作るための活動でもあるという教育・保育的な面から訴えたところ、最終的には首を縦に振ってくださいました。さすがに設備面ですべてを自分たちで賄うのは無理がありましたから、教育関係者にご協力いただけたのは感謝の念に堪えません」

 

 その後も文部科学省の総合型地域スポーツクラブ育成マニュアルを参考に、地域のスポーツ活動の実態調査や、小中学校、体育協会、スポーツ団体連絡協議会などの関係各所に説明をおこない、設立準備委員会を組織し、近隣のスポーツ少年団を取り込み一体化してまとめ上げる形で彼女らのクラブが発足した。

 主な活動場所は小学校の校庭と体育館、参集したクラブは10にも満たず、会員数にしてせいぜい100人程度の、総合型地域スポーツクラブとしては小規模ではあったが、ようやく彼女の思い描いていた構想が具体的な形をともなって推進力を得たのである。

 

 ここに至るまでにはトゥインクル・シリーズの世代が一回りするほどの歳月を要した。久しく離れていた地元に地盤を築き、影も形もないところから地域や行政を巻き込んで目にみえる姿を示してみせた彼女の計画力、実行力、根気強さは、まさに鉄の女ここにありとの様を如実に表しているといえよう。

 

 従来のスポーツクラブとは異なるアプローチを胡乱な目でみる既存のスポーツクラブ関係者も少なくなかったが、活動を続けるうちに少しずつ増えてきた理解者ともよしみを結び、中高年向けのプログラムも拡充させ、全世代に対応したスポーツクラブとして地域広報紙に取材されるころには、活動当初の批判的な意見は鳴りをひそめるようになった。

 確固とした方針を定めてわが道を行く彼女の競技人生は、引退してもなお健在であった。

 

 

 これほどの傑物ぶりを見聞するに、もといたURAでも順当にキャリアを積めたであろうとは想像に難くない。大組織の印綬(いんじゅ)を解き、野に下ってまでクラブ運営に身を捧げるほどの情熱はどこから来るのだろうか。

 彼女は顎に手を当てて黙考し、言葉を吟味するように、ゆっくりと口を開いた。

 

「私がいまの活動に関わるようになった根源的な理由を突き詰めていくと、私の幼少時代の経験に行き当たります。少し長くなりますが、聞いていただけますか」

 

 イクノディクタスの真剣な眼差しに、拝聴いたしますとうなずく。一瞬目を伏せ、彼女は静かに語りはじめた。

 

「私は子どものころ、屈腱炎にかかって走れなくなった時期があったのです。ウマ娘にとって不治の病といわれている、あの屈腱炎に」

*1
メジロマックイーンのファンを想定読者としているのか、普段の彼女の口調に合わせた口語体で書かれており、某巨大匿名掲示板やウマッターでは現代お嬢様言葉の入門書として評価が高い。

*2
身体に対して誤った施術をしたために施術後に痛みが起こること。

*3
URAが主催している児童レース大会のこと。各地方で予選が行われ、決勝は東京レース場芝コースホームストレッチの直線400mを使って行われる。GIウマ娘にこのレースの上位入賞者が多いことから、スターウマ娘への登竜門と目されている。

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