転生TSサキュバスは独占欲が強い   作:葛城

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第十一話: 亀裂の始まりは何時からか

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………時代に合わせて増減する多種多様な職業の中でも、飲食(あるいは、ソレに関わるモノ)というのは時代に関係なく数が多い。

 

 

 それは紀元前であろうが近世であろうが、例外はない。

 

 

 そして、開発もひと段落し、慌ただしい発展から安定へと時代が移り変わろうとしている江戸でも同様で……その中でも数が多いのは、茶屋と蕎麦屋であった。

 

 単に、茶屋と蕎麦屋といっても、店ごとに特色(要は、味付けだったり、蕎麦や丼物も出したり等)が異なる。

 

 しかし、その中でもお茶と団子だけは、蕎麦屋も特別に出している事が多かった。

 

 理由としては何と言っても、そば粉や茶葉や団子の原材料が他の食材に比べて安価であることに加え、単純に人気があるからだ。

 

 それに、調理機器や魔法等が当たり前のように使えた前世とは違い、この世界では何をするにも人力だ。

 

 火を起こすのも、水を蓄えておくのも、薪を割っておくのも、食料保存も、何もかもが人力。

 

 当然、食材を集めるのも全て人力で、農作業もほとんどが手作業だ。

 

 なので、基本的に安く抑えることが出来ない中でも、比較的安く抑える事が出来る(つまり、赤字に成り難い)この二つの店は、江戸の至る所に見受けられた。

 

 

 私が……情報収集がてら足を止めたのは、だ。

 

 

 そんな、通りを歩けば5分と経たずに見付けられるだけの数が有る、その中の一つ……とある蕎麦屋であった。

 

 

(蕎麦……ああ、ソバか。昔は慳貪屋(けんどんや)(今で言う蕎麦屋のこと)なんて呼ばれていたが……この頃ぐらいから名称が変わったのか)

 

 

 例年なら賑わいをみせているであろう(立地だけでなく、店を維持出来ている点を踏まえたうえで)その店は思いのほか人気がなく、外から見える限りでは静かであった。

 

 

 ……ついでに言えば、中も静かだった。ただ、それは雰囲気が悪いわけではない。

 

 

 並べられた机や椅子を含めて店内はしっかり掃除がされているようだし、蕎麦も美味だ。

 

 不本意ながら店員(30後半ぐらいだろうか)である『敵』も、愛しき彼らに不快感を与えるようなモノでもない。

 

 なのに、客の数が少ない。この味なら、もう少し人が入っても良いのに……不思議だ。

 

 他に有名所があるのかもしれないが、それにしても……そう思いつつ食べ終わり、お勘定を催促すれば……値段は40文だと言われた。

 

 

(よ、40文だと? さっき通りで見掛けた飴や団子一本が、4文だぞ……)

 

 

 いくら何でも、高すぎるのではないだろうか。

 

 ……ますます強まる嫌な予感に戦々恐々としつつも、表面上は顔色一つ変えない。

 

 懐から取り出した巾着袋より取り出した四文銭を金額分手渡し……次いでだと言わんばかりに、店員に尋ねた。

 

 

「もし、宜しければ一つ聞いていいでしょうか?」

「ん? ああ、いいよ。どうせ客もそう来ないしね……で、なんだい?」

「実はわたくし、兄に呼ばれて江戸に参ったのですが……いったいぜんたい、江戸はどうなさったのでしょうか? 以前、お聞きしていた限りでは、大そうな賑わいだと……」

「……あ~、なるほど。あんた、西から来た人だね。京都の方からかい?」

 

 

 何かを察した様子の店員に、私は頷いた。

 

 

「はい、少しばかり都からは外れておりますが……一生に一度は江戸を見ておきなさいと言われまして……」

「なるほど、遠路はるばるご苦労なこった。関所を通るのはさぞ難儀したんじゃないかい?」

「事前に兄からの言伝がありまして……大変ではありましたが、特に見咎められることもなく、ここまで……」

「ほお、そうなのかい。見た所、良い所のお嬢さんに思えるけど、一人で江戸を回るつもりなのかい?」

 

 

 ジロジロと、不躾な視線が向けられる。

 

 不快極まりないが、言いたい事は分かる……ので、誤魔化す。

 

 

「いえ、兄と回るつもりです。ただ、荒事が起こったとか急用が入ったとか、詳しくは知りませぬが、今は席を外しておりまして……」

「荒事……ああ、お兄さんはお奉行様の関係者なんさね。そりゃあお忙しいだろうよ。この前も、西の長屋の人達が何処ぞに押し入って、全員打ち首になっちまったからね」

 

 

 ──西の長屋? 

 

 

 もしかして、私が見た、あの空っぽの長屋の事だろうか? 

 

 

「全員……となると、空き家になったそこには誰が住んでいるのですか?」

「いや、今は誰も住んでいないよ。今は御上の指示で移住を断っているらしいし、勝手に住み着いたのがバレたら問答無用の打ち首だからね。怖がって、近づかないのさ」

 

 

 気になって尋ねれば、意外な答えが返ってきた。

 

 

「まあ、こんなご時世さ……盗みだけならまだしも、勢い余って殺しちまったらお終いさね。可哀想なのは巻き込まれた他の人達だろうけど、運が悪かったと諦める他ないさな」

 

 

 非常に気になる話だ……が、視線で促す前に、店員が自ら語ってくれた。どうやら、客が少なくて相当に暇を持て余したようだ。

 

 ……ちなみに、私の素性は全て真っ赤な嘘だが、勝手に誤解して納得してくれるならばそれで良い。ついでに、そのまま色々と世間話の感覚で話してくれれば良い。

 

 そう思いつつ話を続ければ、「でも、妹思いのお兄さんだね」想定通り、店員は納得したように頷いた。

 

 

「……あ、そうだ、活気がどうして無いのかって話だったね。すまないね、血なまぐさい話をして……まあ色々と理由はあるけど、兎にも角にも一昨年ぐらいから酷くなった不作のせいだよ」

「不作、ですか。話には聞き及んでおりましたが、相当に酷いとか……」

 

 

 嫌だよ聞きたくないなあ……と思ってはいても、「ああ、やっぱり西の方にも噂が行っているんだね」店員は気にした様子もなく、それでいてどこか疲れた様子で溜息を零した。

 

 

 

 ……店員の話をまとめると、だ。

 

 

 

 どうも、一昨年ぐらいから夏は涼しく冬は暖かいという異常気象が続いており、作物が以前のように育たないのだという。

 

 特に酷い被害を受けているのが、東北だ。

 

 噂でしか話は聞かないが、実のところは5年ほど前から少しずつ悪くなっているらしく、目に見えて影響が出て来たのは一昨年から。

 

 酷い事に、去年は例年の7割しか収穫出来なかったらしい。

 

 おまけに、一部では風土病が出たらしく、大勢の死者が出たのに弔いも出来ず、今だ埋葬されないまま野ざらしになっているのもあるのだとか。

 

 そして、その影響で江戸の方にも深刻な問題が生じている。

 

 まず、米の値段が跳ね上がった。以前よりもだいたい3割ほど値上がりしている。

 

 また、米に限らずどの食品も軒並み値段が上がっていて、以前のように気軽に客が来なくなったのだという。

 

 加えて、7年前に起こった火事で燃えた家屋等の再建が済んでいないばかりか、殿様たちの懐事情の関係から、一部のぜいたく品の販売が禁止されてしまった。

 

 それが原因で、家を焼け出されてしまった者たち等が請け負っていた日銭の仕事も激減した……なのに、支払う税は以前とほとんど(一部、免除になったとはいえ)変わらない

 

 そのせいで、一部の長屋住まいの人達が更に困窮する(貧乏な者は多いが、その度合いが更に悪くなっているのだとか)事態に陥っており、耐え切れず江戸を離れ……行方知れずになる者が続出している。

 

 

 ……幸いにも、だ。

 

 

 魚などは変わらず獲れている事に加え、西の方ではそこまで影響が出ていないから、幾らかこっちにも米が回ってきてはいる……らしいのだが、それでも相当の値上げなのだ。

 

 空腹に耐えきれず商店などを襲う者が頻発し、それを守る者たちが雇われ……その繰り返しのせいで、今の江戸は何処となく空気が悪くなっている……というのが、店員の話であった。

 

 

「でもまあ、商人のやつらも汚い事をしていたからね。足元見てどんどん値段を吊り上げていくから、中には多勢に無勢な時もあって……正直、気持ちがスカッと晴れはしたね」

「……何時も、そうなのですか?」

「何時もではないけど、先月は酷かったよ。川向こうの……佐藤って名前の米屋があるんだけどね。そこに大勢が押し入って、踊りながら米を奪って……ほら、これを知らないかい?」

 

 

 そう言うと、店員は両手を頭上に掲げ……まるで盆踊りを舞うかのように、身体をくねく……うわ、気持ち悪い。

 

 

「『ええじゃないか』って踊りながら、店や蔵に押し入るんだよ。ええじゃないか、ええじゃないか、あそれ、ええじゃないか……ってね」

 

 

 嫌悪感に絶句する私を尻目に、店員は当時の様子を語って──って、ちょっと待て。その言い回しには、少しばかり覚えがあるぞ。

 

 

(だが、待て。たしか、飢饉の際に押し入りが多発したのは『打ち壊し』で、『ええじゃないか』はたしか幕末で、そもそも始まりは……いや、違う。気にするのはそこじゃないな)

 

 

 問題なのは、やはり飢饉が起きたか、起ころうとしているという点……嫌な予感が、的中してしまったようだ。

 

 思わず零れそうになった溜息を、私は寸でのところで堪える。

 

 

「……まあ、今は少し落ち着いているから心配することないよ。とはいえ、今は長屋の方には近づかない方が良い。みんな気が立っているし、お兄さんから離れないようにしなよ」

 

 

 そんな私の反応を察したのか、店員はそう言葉を続け……ふと、「……あ~、これはお兄さんには秘密なんだけどね」思いだしたように手を叩いた。

 

 

「出来ればで良いんだけど、もしお兄さんが『赤坂(あかさか)』の向こうに行こうとした時は、それとなく引き返すように気を逸らしてやってほしいんだ」

「……それは、どうして?」

「御嬢さんのあんたに言う話じゃないけど、『赤坂』の向こうには『岡場所(おかばしょ)』が多いんだよ。あそこに手入れが入っちまうと、食いっぱぐれる女がわんさか出て来ちまうのさ」

「『岡場所』?」

「……あー、うん。『岡場所』っていうのはね、要は御上の許しが出ていない遊女屋のことさね。目立たないようにはなっているから、迷って入り込むんじゃないよ」

「……詳しく聞いても?」

 

 

 聞き慣れぬ言葉、意図が分からず率直に尋ねれば、店員は軽く店内を見回した後。

 

 私に顔を近づけ、(正直、鳥肌が立ちそうになった)周囲に漏れないように声を潜めた。

 

 

 ……そうして、説明を始めた店員のソレは……私にとっては、実に興味深い話であった。

 

 

 

 ──『岡場所』とは、店員の言葉通り非合法の遊女屋である。

 

 

 

 その点については、言うのも何だが、ありふれた話でしかない。

 

 どんな商売であれ、時代であれ、正式な手続きを取らずに商売を始める者が後を絶たないことを、私は知っているからだ。

 

 しかし、私が気になったのはそこではない。

 

 私の気を引いたのは、岡場所に対する……というより、『吉原』を始めとした、江戸の風俗に対する認識であった。

 

 

(これは……)

 

 

 一通り話を聞いた私は、店員に挨拶をしてから店を出る。

 

 まだ、店員は話し足りなさそうではあったが、後はもう愚痴だろうと判断した私は……その足で、『岡場所』が有る方へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 ……その道中、きょろきょろと首を左右に振って街並みを見回していた私は、ふむ、と内心にて頷いた。

 

 

(全体的に活気は無いが、最悪な状態ではない。これは……もしかしたら、気軽に風呂に入れているおかげなのだろうか?)

 

 

 チラリと、私の視線が……これで5件目になる『銭湯』に向けられる。昼間とはいえ、どこの銭湯もそれなりに人が出入りしているのが見受けられる。

 

 

(……まあ、こうまで埃っぽければ銭湯に行く人も増えるだろう。強い風が吹いたら板戸が白くなるぐらいなのだからな)

 

 

 次いで、私の視線が……サラサラとした砂だらけの地面へと向けられる。銭湯が繁盛しているのは、おそらく、コレが原因だろう。

 

 しかし、季節風の影響でこうなるのか、それともそういう土地なのかはさておき、結果的にとはいえ身綺麗にする習慣が付いているのは、良い事だ。

 

 いくら『魔法』でも、『病』に手を出すのは腰が引ける。

 

 何せ、『病』と一言でいっても、至る要因は山のようにある。未知の塊である『病』を治そうと思ったら……うむ、考えると怖くなりそうなので、止めよう

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………さて、無駄話はこれぐらいにして、だ。

 

 

 これは、店員からの話を聞いたうえでの私の推測であるが……まず、私が危惧していた通りの事が起こっていると考えるべきだろう。

 

 売春業は全て『吉原』と呼ばれる一角に集められ、『そこでなら何ら恥じる必要はない』という認識が浸透し、女を買うなら吉原という常識になってしまっていると思われる。

 

 

 それは、かつての私にとっては、非常に由々しき事態であった。

 

 

 何せ、わざわざ一角に集中させる理由の一つが売春業の管理だからだ。

 

 何時までも若々しい私がそこに入る危険性を前に、私はどうすることも出来ずに危機感を抱いていた。

 

 だが……最近になって、その『吉原』に変化が起きている可能性が高い。

 

 あの店員の周囲には遊女を兼業している者がいないようで、情報が全て人伝だが……信頼性は高いと思われる。

 

 

(……やはり、危惧していた通りになったな)

 

 

 これまでの『吉原』が辿ってきた経緯は、大方想像出来る。

 

 おそらく、『吉原』は進めている。以前、私が想定していた『吉原』のブランド化……つまり、高級化の方向へ、だ。

 

 

 ……何時の頃からかは分からないが、『吉原』は自らを只の遊女屋ではなく、特別な遊女屋に成ろうとしている。

 

 

 明確な差別化を図っているのが、店員の話から推測出来た。

 

 

 ……まずは、だ。

 

 

 手始めとして、『吉原』に集う遊女たちが見に纏う着物や化粧が派手にした。香を焚き、楽を奏で、教育を施し、夜伽以外にも楽しませる手段を遊女たちに行い始めた。

 

 次に行われたのは、おそらく遊女そのものの差別化だろう。

 

 これまでも器量の良い女を買い取っては来ていただろうが、それが今まで以上に顕著になった。相応しいと判断した女を伝手と金子で買占め、育てて、遊女にしてゆく。

 

 元々の素材が良い以上、育てれば必然的(病など、どうしようもない場合は除いて)に美しくなる。美しくなれば、必然的に客は集まり……そして、『吉原』は更に差別化される。 

 

 遊女を兼業するのではなく、相応の技術を学んだ専業の遊女に。

 

 要は、『吉原』は夜伽のプロを作ろうとしているのだ。

 

 そして、現時点ではもう手順が確立され、『吉原』には大勢のプロがいて……なるほど、何もかもが私の危惧した通りになっている……が、しかし、だ。

 

 

(……ふむ、匂うな)

 

 

 傍を通り過ぎてゆく飴売り、シジミ売り、を横目に、私の視線が……本通りとも呼べる表通りから逸れて、幾らか捕捉なっている脇道へと向けられる。

 

 そちらにも、店が見受けられる。まあ、本通りには幾らか劣るが……茶屋の旗や、飯屋を意味する暖簾がちらほら、と。

 

 店の前を通る客層も、表通りよりは幾らか下がってはいるようだ。

 

 

 ……風に乗って嗅ぎ取れるソレを頼りに、足をそちらに向ける。

 

 

 近くで見やれば……アレだ。

 

 

 名の売れた大店ではない、意欲満々で売り出し中の店はあるが、大半は細々とやっている店で、客たちも皆がみな顔馴染みといった様子だ。

 

 いわゆる、近場の常連たちが利用する個人店……みたいなやつだろう。

 

 その中で、ふと……最も強く匂いがしている店に入る。そこは一般的な茶屋であり、1階と2階とで客を振り分けているようであった。

 

 

「──いらっしゃい! お1人ですか?」

「ええ、茶と、団子を2本いただけますか?」

「へい、只今用意致します!」

 

 

 先ほどのよりは混雑している店内に目を向けていると、店員と思わしき少年が話し掛けてきた。

 

 ぷくぷくと愛らしい頬をしていて、思わず抱き締めてあげたくなるぐらいに可愛らしかった。

 

 促されるがまま、空いている席に腰を下ろす。

 

 パタパタと元気よく厨房へと戻って行く、その後ろ姿に思わず笑みを浮かべながら……私の視線は、2階へと続く階段を見やる。

 

 

「──お待ちです! 茶は熱いので、お気をつけて」

 

 

 その直後、少年……いや、坊やが戻ってきた。

 

 盆に乗せた団子とお茶を手早く私の隣に置いて「あっ、待って、坊や」すぐに戻ろうとしたので、私はその前に声を掛けた。

 

 

 すると、坊やは不思議そうに首を傾げた。

 

 

 そんな仕草すら愛らしく、今が夜でここが私の屋敷であるならば、明日の朝まで布団の中で愛でてやりたいところだが……気合で欲求を堪えた私は、たった今思いついたフリをした。

 

 

「悪いのだけれども、席を2階に変えることって出来ないかしら?」

「えっ?」

 

 

 その瞬間……先ほどまで談笑していた他の客たちの声が、止まった。

 

 

「せっかくだから、2階から外を眺めて食べたいの……駄目かしら?」

「……えっ、と」

 

 

 頬をほんのり染めつつも、何処か困ったように視線をさ迷わせる坊やを見つめれば、「あ、あの、ちょっと待っていてください」坊やは少しばかり焦った様子で厨房へと駆けて行った。

 

 

 ……あの焦りよう、間違いない。

 

 

 何も知らない素振りで店内を見回せば、目を見開いて動きを止めていた客たちが一斉に動き出す。

 

 一見するばかりでは、不自然な点は見られないが……チラチラとこちらの様子を伺う者たちの視線に、私は確信を抱いた。

 

 

 ──その、直後。厨房より、坊やが戻ってきた。

 

 

 返事は、想定通り『2階へは案内出来ない』というものだった。

 

 なので、特に拘るつもりはなく分かったと伝えれば、目に見えて安堵している坊やの姿が……と。

 

 

「──あんた、見ない顔だけど何処からきなすった?」

 

 

 眼福だと目を細めている私の前に姿を見せたのは、ねじり鉢巻きを頭に巻いた30歳ぐらいの男で「あ、父ちゃん!」……なるほど、坊やの父か。

 

 

「西の方より、兄から呼ばれまして……江戸へは先ほど到着したばかりでして、右も左も分からぬ有様でして」

「なるほど、道理でね」

「他所でも尋ねられましたが、やはり、すぐ分かるものなのですか?」

「まあ、見る者が見れば……気を悪くしないでくれよ。お前さんを悪く言っているんじゃないんだ」

「分かっております。その子を困らせるつもりはなかったのですが、あんまりにも驚いたもので……」

「はは、驚かせて悪かった。この子には後で言い聞かせておくから……っと、そうだ。お前さん、今日みたいに茶屋に入った時、2階が使えるかどうかは聞かない方が良いぜ」

「……何故?」

 

 

 既に見当は付いているが、あえて目を瞬かせると、「2階はどこの茶屋もだいたいが特別なのさ」坊やの父は、そう答えて真実を誤魔化した。

 

 

「うちもそうだが、茶屋の2階はだいたいが夫婦か連れがいるやつの貸切でね。納得出来ないかもしれないが、まあ、これも江戸の流儀ってことで納得してくれや」

 

 

 ……なるほど、そう来たか。

 

 

 笑顔で頷きながらも、私は内心、とても感心していた。

 

 夫婦か、あるいは好い人を伴ってでないと入れない場所。

 

 言葉だけを聞けば、夫婦(あるいは、恋人同士)がゆっくり二人の時間を楽しめるようになっている……と、取れるだろう。

 

 だが、真実は違う。変異体であるとはいえ、サキュバスの嗅覚は伊達ではない。

 

 

 ちらり、と。

 

 

 気付かれないよう横目で階段を見やる。掃除や換気程度で誤魔化してはいるが、私には分かる。

 

 2階より嗅ぎ取れるのは……紛れもなく、情交の香りだ。

 

 それも、一人や二人ではないし、坊やの父の匂いでもない。

 

 ここ3日の間に、少なくとも5,6人が……いや、人数はいい。とにかく、これで一つ分かった事がある。

 

 

(やはり……吉原とは別に、隠れて近しい事を行う者がいたな。それも、彼の言葉から推測する限り……『岡場所』なる非合法の所以外にも、様々な形で行われていると見て間違いない)

 

 

 ……いや、少しばかり違うな。

 

 

 内心にて、私はたった今出した結論を訂正する。

 

 庶民の間では区別が成されているのだろうが、分類として考えるならば、御上の許可を得ていない遊女屋(あるいは、それに準ずる事)は全て『岡場所』なのだろう。

 

 坊やたち(あの店の客を含めて)の反応と、場の空気から推測する限りでは、場所を提供するのも違法と思った方が良い。

 

 だから、表向きは夫婦などを楽しませるという名目で誤魔化しているが……あの店は、連れ込み宿(現代で言う、ラブホテルのようなもの)も兼ねているのだろう。

 

 

 ……おそらく、あの店だけではない。

 

 

 くんくん、と鼻を鳴らして通りを歩けば、けっこうな頻度で匂いを察知する。

 

 そのほとんどは名残でしかないが……中には真っ最中のもあるばかりか、まるで日常の一部であるかのように誰も気に留めていない。

 

 

 ……期待に、自然と歩調が速くなるのを私は抑えられなかった。

 

 

 周囲の視線に気を付けながらも、以前調べた時の記憶を頼りに『赤坂』へと向かい……そこで、私は興奮のあまり我を忘れなかった自分を褒め称えたくなった。

 

 

 ……何故なら、『赤坂』には私が期待していた通りの光景が広がっていたからだ。

 

 

 一見する限りでは、『赤坂』は表通りとそう変わりない。

 

 茶屋があって、蕎麦屋があって、煙草屋があって、鮎売りが歩いていて、飴売りが歩いていて、飛脚が走っている……そこらへんに、変化はない。

 

 

 だが、よく見れば違う。パッと見ただけでは見過ごしてしまうが……よく見れば、店の作りが違う。

 

 垣根などを使って表からは見えないようにしているが、明らかに売春宿と思わしき建物が幾つもある。

 

 

 そのうえ、少し覗けば……そういう店なのだと一目で分かる恰好をした『敵』たちが、視線で愛しき彼らを誘っているのが分かる。

 

 そして、何よりも……私の目を引いたのは、そんな『敵』たちに袖を引かれて店に入ってゆく愛しき彼らの顔ぶれだ。

 

 大半は町民……いわゆる、平民に分類されるだろう顔ぶれだが、中には明らかに公職に就いていると思わしき者もいる。

 

 佇まい、体格から考えて、非番の武士か、あるいは……なのに、誰も気に留めない。本来であれば、咎めなくてはならない彼らが、だ。

 

 それはつまり……御上は、見て見ぬふりをしている事の証左であって。引いては、『吉原』の現状を推測するに足る……状況証拠でもあった。

 

 

(あせ、焦るな……あくまで、状況が物語っているだけだ。明確に……実際にこの目で見なければ……慎重に……)

 

 

 最後は……『吉原』だ。

 

 しかし、そこで……私はふと、足を止めた。

 

 

 ……以前よりも拡張が成されているだろうが、そもそもが、『吉原』自体が江戸の僻地にある。

 

 

 さすがに、場所そのものを移したりはしないだろうし、女一人で向かえばまず魂胆を疑われるだろう。

 

 実際……『吉原』へと通じる道を進み、近くまで来たことで……私の危惧は的中した。

 

 というのも、『吉原』の周囲には田んぼや畑が広がっていて、農作業に従事する『敵』の姿は見受けられるが……それだけだ。

 

 誰一人、『吉原』に近づいていない。『吉原』に入って行くのは愛しき彼らだけで、『敵』は1人も入ってくのを見られない。

 

 

 ……これは、うっかり入り込むなんてやり方は無理そうだ。

 

 

 町中であるからこそ、女である私が独りで歩いていても、そう咎められなかったが、ここはさすがに……ええい、仕方がない。

 

 

 これも、念のためだ。

 

 

 一部を除いた女人禁制の可能性や、顔が割れる危険性もある。途中より、魔法で私自身の姿を隠してから進むことにする。

 

 姿を消す魔法は、常に『力』を消耗し続けるので燃費が悪いのだが……仕方ない。そう、己に言い聞かせる。

 

 

 ……まあ、おかげでどうしても落ち着けない私の挙動不審が周囲にばれなかったのは、良かったのだけれども。

 

 

 逸る気持ちを抑えながら、最後の確認だからと己に言い聞かせ、荷物を運び入れている人たちに紛れるようにして……『吉原』の敷地内に潜入する。

 

 

 

 ……『吉原』は、単純に遊女屋を指し示すものではない。

 

 

 

 つまり、『吉原』とは敷地内全てが『吉原』であり、御上が宛がった土地に建てられた施設や設備、それら全てが『吉原』なのだ。

 

 なので、『吉原』に入ったとしても、すぐに店に到着するわけではない。

 

 まっすぐ伸びる通路(おそらく、表通り)の奥は行き止まりで、そこに至るまで左右に建物が立ち並んでいる。それらは全て遊女屋……かといえば、全てが全てそうじゃない。

 

 その内の大半は、『吉原』にて住み込みで働く従業員たちのものと、様々な理由でここに変われてきた遊女たちのものだろう。

 

 表通りに面した部分は遊女たちが格子越しに顔を見せており、愛しき彼らを誘っている。

 

 ここで気に入った遊女に声を掛け、建物の中に入って……という流れになっているようだ。

 

 

 ……さすがに、まだ日が高いから、実際に客となる彼らの数は少ないようだ。

 

 

 実際、通りを歩いている彼らの表情を見た限りでも、冷やかしに来ているのがほとんどなのは明白であった。

 

 故に、本当の『吉原』を知るには夜もここにいる必要がある……私の堪忍袋の緒が耐えきれるかは分からないが、我慢するしかあるまい。

 

 

(……外へと続く出入り口は、大扉が開閉する大門のみ。四方は忍び返しが取り付けられた分厚い板で囲われ、囲いの外には深めに掘られた堀に水が張られている……か)

 

 

 普段は閉じていて、必要な場合にだけ開く。また、先ほど通った時に横目で見たが、どうも通行証か何かが必要なようだ。

 

 これはおそらく、遊女たちが脱走するのを防ぐためと、江戸とは異なる隔絶した世界であると思わせる意味もあるのだろう。

 

 あの時は建物の数も少なかったが、さすがにもう、全てが形になっている。一番奥へ進みながら、表通りを突っ切って行く。

 

 

 その際、きょろきょろと遠慮なく辺りを見やる。

 

 

 不躾なのだろうが、今だけは誰にも見られないので建物の中も片っ端から覗いてゆく。

 

 それが終われば……『吉原』の裏手だ。

 

 そこはすなわち、裏通りと呼ばれている(あるいは、悪い意味の呼び名)であろう、人通りの少ない通りへと回る。

 

 

(……うむ、これは酷いな。年齢も高く、全体的に痩せている者が多い。それに、この臭い……風呂もまともに入っていないばかりか、病気持ちも相当に多いな……)

 

 

 そうして目にした、裏の店。想定していた以上に酷い有様に、私は思わず目を瞬かせた。

 

 

 正に、安かろう悪かろう、だ。

 

 

 皺が目立つ顔ぶれもそうだが、何よりも目立つのは、その不潔さだ。酷い者だと、赤茶色に汚れた着物の、元の色が分からないぐらいに……止めよう。

 

 考えるまでもなく、表通りの店から流れて来た遊女たちだろう。

 

 下手に交わると病気を貰うだろうから、愛しき彼らの為にもさっさと外へ放流してほしい。

 

 だが、そうしないのは、おそらく彼女たちが未だに背負っている借金と……それしか知らないせいだろう。

 

 

 ……とはいえ、彼らも彼らだ……あのような婆を買わなくてもよいのに。

 

 

 そう、思ってしまう己を、私は抑え付ける。

 

 私も、元は男だったから想像が付く。

 

 出せればそれで良いという層が一定数あることを知っている。あのような輩でも、愛しき彼らの中には買う者がいるということだ。

 

 

 ……憐れな。思わず、私はため息をついた。

 

 

 あのような者たちを買うのであれば、私が同じ額で相手になるというのに。

 

 表通りの『敵』どもなんぞ目ではない天国を、共に過ごせられるというのに……だが、しかし

 

 

 

 ──これで、確信が得られた。

 

 ──今が、今こそが、好機なのだと。

 

 

 

 何故なら、おそらくは数十年ぶりに見るであろう『吉原』は……私の想像通りに高級路線に舵を取り、差別化を図ってはいた。

 

 だが、同時に、差別化を図ることで……『吉原』は無視できない問題点を抱えていた。それは、初見である私ですらすぐに分かる事であった。

 

 

 ずばり……高いのだ。

 

 

 程度にもよるが、総じて値が張る。表通りの安い店ですら、一般の者たちではおいそれと手が出せないぐらいに値が張っている。

 

 まあ、表通りの豪華絢爛な様子から考えても、設備だけで相当な金を掛けているのが分かる。修繕費を含めて元を取ろうと思ったら、相応な値段にしないとならないというわけだ。

 

 

 だがそれは、客を選ぶという事態に陥る。

 

 

 誰も彼もが遊べるだけの金を持っているわけではないし、かといって、『吉原』も、せっかくここまで積み上げた『格』を落としたくはない。

 

『格』というものは下げるのは非常に容易いが、上げるのはひたすら時間と労力が掛かる。そして、上がった『格』に比例して……矜持も跳ね上がってゆく。

 

 その結果、値段を下げられないまま、非合法の売春……すなわち、『岡場所』があれだけ繁盛する下地になった……というわけだ。

 

 

(おそらく、『吉原』も御上に頼んで『岡場所』の排除に乗り出しているはずだ。だが、ここまで値段が上がれば利用できる者も限られ……なるほど、上も見てみぬふりをしているわけか)

 

 

 殿上人と呼ばれる一部の特権階級を除けば、ほとんどが庶民たちとそう変わりない暮らしをしている。

 

 当然、そんな彼らもまた……時間の経過と共に、溜まってゆくわけで。

 

 時々はやり過ぎた店に対し、見せしめの為に警動(けいどう)(今で言う、一斉摘発の事)を行って。

 

 後は、免れた他の店から幾らか袖の下を受け取って……ふむ、分かった。

 

 

「……まずは、『岡場所』からだな」

 

 

 ぽつりと呟いた私の、その呟きに反応したのは……傍の老婆ではなく、その老婆の近くにいた雀であった。

 

 

 

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