転生TSサキュバスは独占欲が強い   作:葛城

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初めて予約投稿ってやつをしたけど、うまくできたんやろか


第十二話: 侵略の産声

 

 ──江戸は今、飢饉の最中である。食料の不足は、治安の悪化に直結する。

 

 

 町民たちの顔色を伺う限りでは、今年も不作なのだろう。御上は口を閉ざしているが、人々の口を塞ぐことなんて不可能だ。

 

 例えどれだけ隠そうとしても、噂という形で伝わってくる。特に、何もかもが人力でやるしかない、この時代であるならば。

 

 誰も彼もが暗い顔をしており、『岡場所』が繁盛しているのも、もしかしたら不安からの逃避が原因……いや、気にするのはそこではない。

 

 重要なのは、御上は今、治安の維持や食料の確保などの対応に追われているということ。『岡場所』があれだけ野放しになっているのも、その証左。

 

 

 つまり、いくら『吉原』が御上に『岡場所』摘発の陳情を上げたとしても、御上にはその余力が無いのだ。

 

 

 どれだけ訴えても、そんな事よりも、で終わってしまうのだ。

 

 それこそ、空き家になっている西の長屋を放置しなければならない程なのだ。

 

 他所から人が入ってくる(無差別に入れると、確実に治安が悪化する)のだけは抑えているようだが……それが限界なのだろう。

 

 

 だからこそ……今しかない。

 

 

 いくら『吉原』とはいえ、結局は御上の許しが有ってこそ。

 

 今は無理だと首を横に振られれば、『吉原』は唇を噛み締めて耐える他あるまい……というわけだ。

 

 

 ──故に、今がその時なのだ。

 

 

 多少なり彼らも巻き込まれるが、耐えるしかない。

 

 この混乱に乗じて、江戸に食い込まなくてはならない。

 

 この期を逃せば、次は何時になるか……やる以外の選択肢など、あるわけもない。

 

 

「……さて、まずは店の場所だが……空き家になっている西の長屋を使うとして、だ」

 

 

 まず、御上にバレないように幾つか偽造工作をするなり、魔法を駆使して誤魔化すしか方法はないだろう。

 

 私が店を開くのは、それらを終えた後だ。

 

 

 ……というのも、通常、余所者の私がいきなり店を開くなんてのは不可能である。

 

 

 それこそ、商人として動いていた実績が有るか、あるいは伝手を頼りに江戸の商店で働き、そこから……ぐらいしかない。例外は飲食店だろうが、それもいきなりは無理だ。

 

 

 なので、魔法によって人々の認識を阻害する。

 

 

 ちゃんと御上の規則を守っているし、何一つ不審に思う必要はない……そう思いこませる魔法を、来店した者に掛ける。

 

 ……前世の世界には有った、『映像機器』なんてものはまだ、開発されてはいない。だから、今はまだ人々の認識を誤魔化すだけで良い。

 

 多少なり音を拾ってしまって違和感を覚えても、見えず触れないのであれば、存在していないのも同じ事。存在していないモノを調べる事など、出来はしない。

 

 

 要は……愛しき彼らの間にだけ伝われば良いのだ。

 

 

 江戸に住まう全ての者たちの認識を変える必要はない。集団心理というのは時に、魔法以上の魔法のように強力に作用する。

 

 冷静に考えれば不自然極まりない事でも、自分一人だけがおかしいと思っている間は、その不自然をありのままに受け入れてしまう。

 

 最初のうちは混乱するだろうが、そう長くは掛からない。食い込んでしまえばもう、こっちの勝ちなわけなのだ。

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………とはいえ、だ。

 

 

 江戸から己の屋敷へと戻ってきた私は、さて、と室内を見回す。

 

 時刻は夜、営業中の『吉原』を幾らか見学してから戻ってきたので、お月様は空高くに上っている。明かり一つ灯っていない室内は、手元すら分からないぐらいに真っ暗だ。

 

 

 まあ、町民どころかだいたいの人が寝入っている時間帯だ。

 

 

 今後、店を構えて愛しき彼らを客として迎えた際には気を付けなければならないが、今はまだいいだろう。

 

 すっかり見慣れた内装を一つ一つ確認してから、思考を切り替える。

 

 

「当面は仕方ないとして……さすがに、あんな狭苦しいのでは風情も何もあったもんじゃないな」

 

 

 我が屋敷は、金を掛けただけでなく、魔法によって復活した。正しく、全盛期に戻った我が屋敷は、『吉原』の表通りに引けを取らないだろう。

 

 加えて、今はかつてとは違い、魔法が屋敷の隅々にまで及んでいる。

 

 つまりは、だ。

 

 魔法で修繕したから、魔法で作り変える事も出来る。夜伽の場所として使えるばかりか、何時でも内装を作り変えることが出来るのだ。

 

 

 ──それは、強みになる。私以外に作り出せない、強みになる。

 

 

 『岡場所』では到底成し得ない豪華絢爛さと、『吉原』では絶対に成し得ない気安さの両立が出来る。

 

 その人の好みに合わせて、何時でも、どのように、あらゆる形に……ああ、いかん、身体が火照ってしまう、気が滾ってしまう。

 

 

「……いかん、落ち着け、落ち着くのだ、私。まだ、まだだ。まだ、それは速い。この屋敷を使うには、まだ仕込みが足りない……!」

 

 

 薄らと掻き始めた汗を拭いながら、大きく息を吐く……よし、落ち着いた。燃え上がろうとしていた頭を冷ましながら、さて、と私は再び思考を切り替える。

 

 

 ──優先順位を決めよう。

 

 

 長屋の改築は、最後で良い。認識魔法があるとはいえ、最初の内は魔法が掛かっている者と掛かっていない者の間に混乱が生じてしまうだろう。

 

 

 まずは……そうだな。

 

 

 長屋を中心にして、『以前は質の良い『岡場所』が有って、今は一時的に他者が住んでいた』という具合に記憶を植え付けておこう。

 

 そう決めた私は、さっそく『扉』(その先は、あの無人の長屋)を作って、例の長屋に出る。

 

 誰かが勝手に入り込んでいる事もなく、気配を探っても探知に引っかからなかった。

 

 

 ……で、早速魔法を発動させる。

 

 

 これは24時間常に発動し続ける魔法故に、相当に『力』を消耗するが……仕方がない。

 

 ここが勝負の時、危険は承知のうえで、投資としてリスクを受け入れる他あるまい。

 

 

 それから……長屋全体の掃除と改装(一部、改築)だ。

 

 

 衛生観念という言葉は、未だ江戸には馴染みが無い。

 

 生肉や生魚はアタるから、しょう油や塩や砂糖に浸けるという経験則はあるが、あくまで経験則。薬だって、効能が不安定な漢方薬がせいぜいだ。

 

 万が一にも、此処より伝染病を流行らせるわけにはいかない。

 

 そうなれば、私は私を許せない……故に、私はコレにも『力』を注ぎ、魔法を発動させる。

 

 

 ……まあ、さすがに屋敷にやったように徹底的なのは無理なので、あくまで、予防になればという程度の修繕に留めておく。

 

 

 具体的には、長屋全体に降り積もった砂埃と、室内に入り込んだ砂埃の除去と、住民たちの痕跡(生活するうえで付着した汚れ等)の除去と……穴の開いた障子などの軽い修繕だ。

 

 幸いにも、長屋には代用できる素材がこれでもかとある。

 

 解れてぼろぼろになっている畳は分解され一回り小さくして新品同然にしたり、木材の一部を削り取って、障子の材料にしたりなど……だ。

 

 

 ……それと、だ。私の視線が、外へと放り出されて行く砂埃に留まる。

 

 

 江戸を訪れた時にも思ったが、どうも江戸は乾燥している。

 

 これまた幸いにも地下水が使え、江戸湾が整備されているが……だからなのか、なおの事乾燥が酷い。

 

 その酷さは、閉め切られた室内であっても相当な砂埃が積もっていたぐらいだ。

 

 そんな場所では、愛しき彼らが病を患ってしまう……ので、掃除は念入りにする。

 

 

「落ち着いたら、諸々の事は金で解決するとして……あ、後は防音と……そうだ、これもやっておかねばな」

 

 

 他に何かやっておく事は……と思いながら長屋を回っていた私の視線が、放置されたままになっている共同井戸と、共用厠(共用便所の事)を捉えた。

 

 

 ……水か。ふむ、そうだ、水と厠は必要だ。

 

 

 サキュバスの性質を持つ私は常に身体が身綺麗のまま維持されるが、愛しき彼らはそうではない。中には、仕事帰りに寄ってくる者もいるだろう。

 

 当然、彼らは生きている。生理現象は起こるし、意図せず腹を下してしまう者もいるだろう。

 

 そういう時、清潔な水と厠は……絶対に必要になる。

 

 

(たしか……そうだ、ソープとかいうやつだな)

 

 

 前世の記憶を頼りに、思い出す。

 

 まあ、直近の前世では水は貴重だったので、風呂に入ることなんて早々なかったが……まあ、そこはいい。

 

 

(……ふむ、そういうのは金が掛かり過ぎるから『吉原』でもやってはいなかったが、私には出来る……よし、やろう)

 

 

 薪を使った普通の湯沸しに、魔法を併用する。

 

 これは、偉大なあの御方より魔法を得る前からやっていたこと。

 

 言い換えれば、貧弱なサキュバスの魔法でも出来たことで……今なら、その時以上に効率よくやれるだろう。

 

 感覚的な話だが、それなら薪の消費量は通常の半分……いや、4分の1以下になる。沸かしたお湯も魔法で長く維持できるし……よし、やらない理由がない。

 

 井戸へと駆け寄った私は、まず、魔法で井戸の具合と、水脈の様子を探る。本当に、彼女より与えられた『魔法』は便利だ。

 

 

(……ふむ、井戸は壊れていない。水の量が少ないのは、ただ、水脈の流れが少しばかりズレただけのようだ)

 

 

 おそらく、どこかで起きた地震なり日照りなりが原因だろう。これなら、少しばかり魔法で水路を通してやれば……今の私でも直せる。

 

 軽く息を整え、目を瞑って集中し……『力』を注いで魔法を発動する。目視は出来ないので、感覚を頼りに……塞がってしまった水路を突いて……よし、これで良い。

 

 

 ──途端、ごぽり、と。

 

 

 井戸の底から響いて来た、地下水が湧き出し始めた音に目を開ける。水面に(サキュバスの暗視能力は伊達ではない)、少しずつではあるが、ぷくぷくと気泡が湧いているのが見えた。

 

 

 ……しかし、長屋の人達が暴走してしまうのは分かる。気泡を眺めていた私は、ふと、そんな事を思った。

 

 

 水の不足は、食料不足以上に死に直結する。

 

 飢饉による先の見えない不安に加え、井戸の水まで少なくなったのだ。悲観のあまり、自棄(やけ)になってしまうのも無理はないだろう。

 

 

 まあ、全ては後の祭り……水はこれで良しとして……次は、厠だな。

 

 

 傍の厠へと、向かう。

 

 汲み取り式の厠の作りは単純なもので、排泄物を落とす穴が一つあるだけ。出入り口の扉はなく、前と左右と天井に板を張っているだけの、機密性も糞もないものであった。

 

 

(臭いは……しているが、軽いな。最後に汲み取られた後は、そのまま放置されてそれっきり……といったところか)

 

 

 ──くん、と。

 

 

 顔をしかめながらも鼻を鳴らして状態を確認した私は、次いで、井戸と同じく魔法で詳しく調べる。

 

 便所の中なんぞ調べたくはないが、今後の事を考えれば避けては通れないので、我慢する。

 

 

 ……江戸に限らず、河川敷などの水場に構えていないかぎり、基本的には何処も汲み取り式(あるいは、穴を掘って埋めるだけ)になっている。

 

 

 理由としては水洗式にする必要性(金銭的な意味もある)を誰も感じていないのと、糞尿は肥料として農民などへ取引されるからだ。

 

 

(……特に修繕しなくとも使えるな。さて、水洗式に改装するのは論外、汲み取り式のまま使うとして……問題なのは、兎にも角にも臭いと衛生面だが……どうしたものか)

 

 

 糞尿というのは、雑菌の塊であり不潔の象徴でもある……が、しかし、魔法で消すわけにもいかない。

 

 何処の長屋も家賃の一部として取引していると予測できる。そうなると、ここだけ一切取引しないといのは……少々、不自然だ。

 

 

 いくら魔法による認識阻害があるとはいえ、限度はある。

 

 

 万能ではあるが、全能ではない。何でもかんでも魔法を使っていては、私の命が先に尽きてしまうだろう。

 

 愛しき彼らもある程度は慣れているだろうから気にはしないと思うが……それはそれ、これはこれ。

 

 どうにも出来ないならいざ知らず、出来るのにしないというのは、私の矜持が許さない。

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………仕方ない。今はまだ、無理だ。

 

 

 伝染病と臭いへの対策だけにして、しばらくは距離を離すだけにしておこう。

 

 諦めた私は、天井に開いた穴を塞ぐなどの軽微な修繕を魔法でこなしつつ、同時に、臭い対策等の魔法も掛けて……さあ、水と厠は終わった。

 

 

(後は、迂闊に誰かが入り込まないよう、『人払いの魔法』を掛けておくとして……これで、ここで今やれることは全て終わった)

 

 

 残存している『力』は……よし、まだ余力はある。

 

 次は、屋敷に戻ってから……そう判断した私は、『扉』を出して、屋敷へと戻った。

 

 

 

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………さて、月明かりがあるとはいえ辺りは真っ暗で、私以外ならば、辛うじて屋敷の輪郭を察知できる……程度の暗闇の中で。

 

 

 

 ……まずは、食糧だな。

 

 

 

 そう、私は最初にやることを決めた。これは、私なりに考えが有っての判断である。

 

 というのも、まず、大前提として、江戸全体(もちろん、愛しき彼らも含まれている)は飢えているという現実を考慮せねばなるまい。

 

 何せ、蕎麦の値段が40文(本来は、もっと低いはずだ)にまで高騰しているのだ。あの店が特別高くしている可能性を考えても、相場が値上がりしていると考えるのが自然だろう。

 

 

 ……生きる為には、物を食べる必要がある。

 

 言い換えれば、食べられなければ弱るのだ。

 

 

 どれだけ屈強な者であろうと、どれだけ精力的な者であろうと、食べなければ弱り、『吉原』だ何だと言っていられる場合では無くなる。

 

 さすがに町民たちが壊滅するような状況にまでは陥っていないし、『吉原』にも客が入っているので、今すぐどうこうなるわけではないが……余裕の無い暮らしが長らく続いているのは明白である。

 

 加えて、『吉原』でも食事は提供されているが、基本的に割高だった。

 

 これは『吉原』の格を維持するのと、お金を使わせて気を大きくさせる意図もあるのだろうが……私はそこを逆手に取る。

 

 

「まずは……畑だな」

 

 

 ぱちん、と指を鳴らす。

 

 一拍遅れて発動する魔法によって、屋敷の周辺……植えられた花畑のさらに向こうに広がっている雑木林が、一斉に捲り上がった。

 

 

 ばきばき、と。

 

 

 まるで、巨大なクワで根ごと大地を掘り越したかのように、隆起した土塊に塗れた木々がなぎ倒されて行く。大人の胴回りよりも太い木々が、べきべきとへし折られる。

 

 折られ、砕かれ、磨り潰され、掘りこされた土に塗れ、ごあんごあんと混ぜっ返される。その勢いは凄まじく、何一つ突っかかることもなく、規則的に繰り返されている。

 

 そうして、ものの5分と経たないうちに屋敷の周辺にて無造作に広がっていた木々は無くなる。粉々になるまで粉砕された木片が混ぜられた大地は……あっという間に、畑へと姿を変えた。

 

 

 続けて……魔法による、『土地』の活性化を……おお? 

 

 

 これまでとは違う手応えに、思わず目を見開く。

 

 『力』を余計に注いだわけでもなく、補助具(前世では、魔法の杖などが有った)を利用したわけでもないのだが……あ、なるほど。

 

 

 原因を考えてみれば、すぐに思い至った。

 

 

 元々ある力……つまり、土中の微生物たちが持つ生命力の上に、私の『力』を上乗せしている分だけ、他の魔法より負担が軽いのだ。

 

 例えるなら、走っている者の背中へ追い風を吹かせるようなもの。

 

 そして、ついでに魔法で調べてみた(けっこう、『力』を消耗してしまった)が……どうやら、この手の魔法は構造的に単純な造りをしているモノほど、より強く働くようだ。

 

 

(そういえば前世でも、土魔法だとかいって種を一晩で鮮やかな花にまで成長させる魔術師がいたっけな……そうか、こういう感覚なのか)

 

 

 正直、これは嬉しい誤算である。

 

 実際に試してみないと分からないが、この調子だと食糧の確保に必要になると思っていた負担が、幾らか軽くなるかも知れない。

 

 欲を掻くのであれば、作物の成長も同じぐらいに出来たら……そんな事を考えつつも、魔法は続ける。

 

 おかげで、どこかぱさぱさとしていた眼前の大地の色合いも変わり始め……何気なく指で触れば、ふわふわとしていて、何とも表現し難い臭いを放っていた。

 

 

 ……うむ、良い感じだ。一つ、私は頷いた。

 

 

 本当は畑だけでなく田んぼも作りたいが……あいにく、ここらに川は取っていない。

 

 いちおう、何十年か前、屋敷の裏に気紛れ(待機中の暇潰し)で井戸を掘ってはあるが……田んぼを作るだけの水は、用意出来そうにない。

 

 

 何せ、長屋の井戸とは違い、こっちの井戸は初めから湧き出している水の量が少ない。

 

 

 つまり、通っている水脈自体が細く、詰まりを直せばハイお終い……というわけにはいかないのだ。

 

 米の収穫量がそのまま収入になるぐらいに米の需要が高いから、出来るなら田んぼも作りたいが……無理だ。

 

 しばらく考えてはいたが、仕方がないと私は己に言い聞かせた。

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………そうして、色々とやっている内に……夜が明けた。

 

 

 もちろん、夜が明けたからといって、私は休むつもりはない。

 

 変異サキュバスの体力は、伊達ではないのだ。溜め込んだ『力』が枯渇しない限り、基本的には不眠不休で動けるのだ。

 

 それに、慎重のあまり期を逃してしまう間抜けになるつもりはないし、幸いにも、私には間溜め続けた『力』という名の貯金がある。

 

 既にけっこうな金額を下ろしてはいるが……ここで怖気づくわけにはいかない。半ば賭けのような強引さだが、ここで引くつもりはない。

 

 

 引けば、負けるのだ。

 

 既に、私はサイを投げた。

 

 

 泣こうが喚こうが、もう引き返せない。

 

 後は、そのサイの出目を如何に良くするか……ただ、それだけ。

 

 

 ここが勝負の分かれ目……ここで失敗したら、次の機会が何時になるかは分からない。

 

 

 だから、やるしかない……そう、己に言い聞かせる。

 

 

 けど、それでも……心のどこかで、立ち止まろうとする私がいるのを、自覚する。

 

 だが、だからこそ、どうしても湧き出してくる不安を堪えながら、私は残された『力』を使って……再び『扉』を作り、江戸へと向かうのであった。

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………そうして、前回よりも詳しい情報収集(江戸の暮らし全般等々)と、細々とした準備に20日間ほどの月日を費やした後。

 

 

 私は……屋敷の中にて、ひたすら物を食べ続けていた。何故かと言えば、それが必要だからだ。

 

 今後を左右し、かつ、100年以上前から……いや、もしかしたら私(自身)が私(変異サキュバス)と成ったその時より、心の奥底で抱いていた悲願。

 

 

 それを成す為に、私は食べ続ける。

 

 

 江戸……で下手に買うのはまずいので、山中をうろついている猪や、少しばかり遠出をして川魚等を中心に仕留めて捌いて調理して……ひたすら、食い続けた。

 

 

 ──ある意味、こっちで正解だったのかもしれない。

 

 

 そう思ったのは、食事を始めてまる一日が過ぎた頃であった。

 

 何せ、江戸で出回っている食べ物は、基本的にはヘルシーな物が多い。すなわち、雑穀(米、麦、豆腐等)と野菜などだ。

 

 肉も買えるが、市場に出回るまでには日にちが経っているのであまり出回らない。鮎なんかも時期によっては買えるのだろうが……それでも、数は少ない。

 

 普通に暮らす分には十分(あくまで、江戸の基準で)なのだろうが、今の私には不十分過ぎる。

 

 率直に言えば、肉が足りない。動物性タンパク質が、圧倒的に不足している。

 

 これから私が成そうとする魔法の負担を減らすには、兎にも角にも肉だ。

 

 しかし、肉だけでは駄目。雑穀もバンバン食べて、水も飲んで、塩も舐めて……食事を終えた頃には、私の腹ははち切れんばかりに膨れていた。

 

 

 ……とまあ、だ。

 

 

 そんな感じで決行前の最終段階……という前に、私はしばしの睡眠を取ることにした。それは回復……というよりは、高ぶった心身を休める為のものであった。

 

 というのも、今回の大事を達成する為には、絶対にクリアしなければならない条件が一つある。

 

 それは、今後も含めて絶対に成功させておかねばならない……最大の難関である。

 

 何せ、魔法を使う私にも、どのような結果になるかがサッパリ分からない……いや、まあ、『彼女』が与えてくれた『魔法』なのだから、失敗することはないだろう。

 

 問題なのは、それを成すことで……どれ程の『力』を消耗するかが分からない点だ。

 

 いちおう、思いつく限りの対策はしてあるつもりだ。

 

 理想的ではなく、現実的に。最善を尽くすよりも、必要最小限の機能。それでもなお不安は残るが……ここまで来て、後には引けない。

 

 

 ……そのようにして。

 

 

 自信なく鼓動を繰り返す胸中を宥めながら眠りに着いて、目が覚めた私が最初に感じ取ったのは……それまでには無かった、ひやりと肌を刺す……寒々とした冷気であった。

 

 

 むくり……と。幾らか消化して吸収したとはいえ、限度はある。

 

 

 一回り以上太さを増している身体を起こした私の目に映るのは、鮮やかな花々が彩られた襖と、それはそれは見事な欄間と、青々として鮮やかな畳の色合いと、障子の和紙を透かしている陽光の輝きで。

 

 くん、と鼻を鳴らした私は……おや、と目を瞬かせる。

 

 てっきり、雨でも降っているのかと思ったが……そういう臭いはしない。

 

 ここは山の中なので、雨が降ると途端に臭いが変わる。

 

 というか、雨が降る前から青草の臭いが強くなり、ともすれば咽てしまうぐらいの……そういえば、雨音もしていないな。

 

 

 ……こきり、と。気持ちを切り替える意味も込めて、首の骨を鳴らす。

 

 

 この身体の地味に良い点は、目覚めがいつもスッキリしているところだ……一つ伸びをしてから立ち上がり、縁側へと向かう。

 

 その度に、腹の中に溜められた栄養の塊ともいえるスープが、たぽたぽと揺れる。

 

 けれども構わず、スーッと、特に思う事もなく開けた私は……眼前の光景に、思わず言葉を失くした。

 

 

 一言でいえば、雪であった。

 

 

 一面が真っ白で、思わず別の世界に紛れ込んでしまったのかと思うぐらいに、がっつりと積もっていた。

 

 ……というか、現在進行形で振り続けている。

 

 大粒の雪が、ぼけっと突っ立っている私の前で落下し……そのまま、雪原の一部になってゆく。

 

 

(だいたい、二日後には目が覚めるようにしていたのだが……え、その二日の間にこうなったのか?)

 

 

 にわかには信じ難いが、紛れも無く現実である。しかし、眠っている間に降ったのだとしても、それにしても急すぎる。

 

 何気なく、真っ新な雪原に足を踏み下ろせば……恐ろしい事に、脛の辺りまで足が沈み込んだ。

 

 

 ……ああ、うん。異常気象というか、自然の力って凄い。

 

 

 思わず、私は今を生きる者たちに同情した。

 

 そりゃあ、夏は涼しく冬は暖かいという異常気象とはいえ、だ。そのうえ、こんなん見たら長屋の人達のように、自棄になるやつが出てきて当然だろう。

 

 前世の記憶を持つ私だからこそ、季節風だとか何だとかで理由を付けられるが……江戸の人達からすれば、この異常気象を凶兆の前触れと考えても何ら不思議ではない。

 

 実際、江戸に限らず古来より、異常気象が起きた後では何かしらの凶事が起こるのはだいたいセットだ。

 

 もはや、抱き合わせと考えた方が楽なぐらいに、だいたいセットで来る。

 

 まあ、その凶事の内訳は、これまただいたいが不作であったり流行病であったりと、何処も同じだが……と、無駄話をつらつらと考えたところで意味はない。

 

 

(……うむ、魔法のおかげで、畑の作物は無事だな。なら、私は予定通りに事を成すとしよう)

 

 

 しばし、外を眺めていた私は……己に対して頷くと、サッと気持ちを切り替え……己が今しがたまで寝ていた布団へと戻る。

 

 

 ……寝るのではない。これから、魔法を成すのだ。

 

 

 その為に、布団の傍には事前に手拭い等が置いてあり、湯の入ったタライ(魔法は本当に便利だ)も有って……掛布団を背もたれにするようにして、股を大きく開き……いざ! 

 

 

 

 ──ふう、と。

 

 

 

 息を吐くと共に魔法を……己の、膨れ上がった腹に行う。

 

 ガリガリと、『力』が削られていく感覚。それは、これまで体感してきたモノよりも激しく、はっきりと命が削られている感覚だと思えるほどであった。

 

 引きずられるように、痛みが出始める。

 

 ズキン、ズキン、と。心臓の鼓動に合わせて、痛みが腹から腰へと突き抜ける。常人なら、堪らず蹲るほどの痛みだろう。

 

 

 ──が、その程度は予想の内だ。

 

 

 だからこそ、私は溜め込めるだけの量を腹に納めたのだ。

 

 睡眠を取って体力を回復し、少しでも負担を軽くするために液状にして、材料として使いやすくすらした。

 

 

(おかげで……ほら、出来たぞ)

 

 

 ぷくり、と。

 

 腹の……いや、胎の中に生まれた感覚に、目を細める。全身から滴り落ちる汗が、ぼこぼこと内側から飛び出さんばかりに脈動するソレの上に落ちて、布団へと流れてゆく。

 

 合わせて、太くなった身体が細くなってゆく。いきなり、ではない。だが、急激に。

 

 と、同時に、写真で見比べれば一発で分かるぐらいの速度で痩せてゆく四肢を尻目に少しばかり萎んでいた胎が……再び、膨らみ始める。

 

 

 ……はあ、はあ、はあ。

 

 

 等間隔で起きる痛み……陣痛の痛みに、顔をしかめる。痛みには強いが、この痛みはどうにも慣れ難い。

 

 だが、耐えねばならない。いや、私なら耐えられ──ぐっ!? 

 

 

「──ぎっ!?」

 

 

 これまでで最大級の、強烈な痛みが来た。反射的に胎に手を添えた私は……堪らず笑みを浮かべた。

 

 もう、間もなくだ。

 

 そう、思った瞬間──再び走る痛みと共に、胎の中のソレが動き出す感覚を覚えた。

 

 ハッ、と気づいた私は、背中を預けている布団へ更に体重をかけ、股も出来る限り開いて──あ、来た。

 

 

「──ふっ、ふ~~、ふ~~、ふ~~……」

 

 

 膣の一部が裂けた──が、今はいい。

 

 

 どうやら、サキュバス云々を抜きにして、本能がやり方を知っているようで……無意識の内に、私は力を抜いてイキんでいたようだ。

 

 大きなソレが、ぬるり(擬音としては、スポン?)と胎から完全に飛び出したのを感覚的に察した──直後。

 

 待っていましたと言わんばかりに、ソレが……否、赤子が、ぎゃあぎゃあとナキ始めた。

 

 

 ──泣いているのではない。ナイているのだ。

 

 

 それが、私にはよく分かった。何故なら、私より生まれ落ちたのは、私の一部だから。

 

 かはぁ、と大きく息を吐いて硬直していた四肢から力を抜いた私は……ふらつく身体にむち打ち、未だ繋がっている臍の緒を断って、赤子を抱き上げる。

 

 

 赤子は……すぐさま、ナキ止んだ。

 

 

 分かる、私には分かる。何故なら、この子は私だから。中身は私でも、それを動かす身体が未熟だから。

 

 ハードとソフトがまだ、上手くかみ合っていないのだ。言い換えれば、ただそれだけのこと。

 

 身体が赤子なだけである私の考えが、手に取るように分かる。何故なら、私だから。

 

 赤子の私も、己を抱き上げている私の考えが、手に取るように分かる。何故なら、私だから。

 

 身体が離れていても、私たちは同じなのだ。ただ、使っている身体が異なるだけ。

 

 そして、私は既に成熟して、私はまだ生まれたばかりの未熟である……ただ、それだけのことなのだ。

 

 だから、この子は母に抱かれて安心しているのではない。『未熟で動けない私』よりも『成熟して動ける私』が傍にいることに安堵しているのだ。

 

 全て、私は把握している。出産によって変形した自身の肉体を、元の状態へと調整しながら……ふふ、と笑った。

 

 

「……まずは、身体を洗うぞ。私と違い、そちらの身体はまだ、人とそう変わりないのだから」

 

 

 既に目も耳も使えているのは分かっている。

 

 なので、そう促せば、赤子の私は素直に頷いた……湯気が出ているタライに入れて、肌に纏わりついた体液を洗い取ってやる。

 

 次いで、私は……以前よりも大きく張り出した乳房を着物より取り出し、小さな体を更に抱き寄せて、膨らんだ乳首を赤子の口元に宛がう。

 

 間を置かず、意図を察した赤子の私は迷う事なく咥えて……こくこくと、小さな喉を鳴らし始めた。

 

 その勢いは、中々に見応えはある。見たままを語るのであれば……正しく、飢えた赤子といったところだろう。

 

 だが、実際のところは少し違う。私と、己の乳房を吸う私だけが、その事実を知っている。

 

 お腹は空いている……だがそれは、あくまで器である肉体の成長に利用するだけであって、結局のところは代用品に過ぎないのだ。

 

 故に……本当に求めているモノを得る為に、赤子の私は必死なのだ。

 

 少しでも早く大きくなって、少しでも早く愛を得る為に……だからこそ、私は、赤子の私が向けてくる視線に苦笑しながら……そっと、枕元に置いてある袋に手を伸ばした。

 

 

「──ぁ、うぁ、ぁあ!」

「気持ちは分かるから落ち着け。私だって我慢しているのだからな」

 

 

 途端、赤子の私は仰け反るように乳房から顔を逸らし、母乳を飛ばしながら叫び始めた。

 

 私が逆だったら同じ反応をするだろうな……と思いつつ、袋の中にある白い塊を一つ抓むと、それを、そっと小さな唇の中へと押し付ける。

 

 塊の正体は、魔法を使って、飴玉のように凝固した愛しき彼らの精液である。

 

 常人ならば、とてもではないが二口と舐められる代物ではない(少なくとも、前世の私なら無理だ)だろうが……今の私にとっては、この上ない美味な飴玉である。

 

 

 当然……赤子の私は大喜びだ。

 

 

 赤子とは思えない血走った形相で、小さな舌で器用に飴玉を転がし……溶けだした味を感じ取った途端、それはそれは蕩けるような笑みを浮かべて大人しくなった。

 

 

 ……些か反応が激し過ぎると思う者がいるかもしれないが、まあ、仕方がない事だ。

 

 

 何せ、赤子の私は生まれたばかり……つまり、飢えている。

 

 例えるならそれは、半日砂漠をさ迷ってカラカラに乾いていたところに、冷えた水が入ったジョッキを置かれたようなものだろう。

 

 私も、気持ちは分かる。というか、伝わってくる。

 

 我ながら力作だぞと思っていた飴玉の味が、感触が、ころころと自らの口内を転がっているのが分かる。

 

 

 ……実際には、私は何も口に含んではいない。でも、分かるのだ。

 

 

 何せ、赤子の私も、私自身だから。肉体的には離れていても、私たちは同じ。私たちは、常に魂の部分で繋がっているのだ。

 

 だからこそ、気持ちもよく分かる。逆だったら、私も必死の形相で飴玉に舌を伸ばして……いや、止めよう。

 

 無駄な事はここまでだと気持ちを切り替えた私は、「眠る前に、話しておく事がある」今にも眠らんばかりに忘我の境を行き来している赤子の私を揺り起した。

 

 

「お前も分かっていると思うが、私は今後も私を増やさねばならん。その為にも、お前は少しでも早く大人になって、愛しき彼らの愛を得る必要がある」

「……あぅ」

 

「今はまだ私のように私を増やせなくとも、いずれは成れる。何故なら、私とお前は同じで、私たちは今後、少しずつその数を増やしていくのだから」

「……あぅ!」

 

「7日だ。7日もあれば、愛しき彼らを受け入れられる程度には成熟する。そうしたら……分かるな?」

「──っ、あぅ!」

 

 

 赤子の私の頬が、ほんのりと紅潮する。私には分かるぞ、想像したのだろう。

 

 ぬるりと、何気なく赤子の尻を抱えている私の指先が、手拭い越しにべたつき始める。

 

 

 ……第三者が見たら、さぞ仰天した事だろう。

 

 

 何せ、生まれたばかりの赤子が男を求めて発情しているのだ。

 

 それも、まるで恋い焦がれた相手を想って己を慰めているかのような、淫靡な微笑みを浮かべながら。

 

 有るか無いのか分からない乳首は傍目にも分かるぐらいに勃起していて、抱き上げた瞬間に分かるぐらいの粘液を、性器から滲ませている。

 

 そっと鼻を鳴らせば、乳臭さよりも……女の香りの方が強いぐらいだ。

 

 

(……我ながら、好き者よな)

 

 

 それは、紛れも無く己自身に対する言葉でもあったが……私は何一つ気負う事もなく、そっと……赤子の私へと、再び乳房を寄せるのであった。

 

 

 

 




初めて、彼女は攻勢に回るための行動を始めました
この時点で人類がその危険性に気づいていたら回避出来たのでしょうけど……手遅れってやつですね
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