見習い商人の見るヒスイ 作:Cicla
「お前ってよく食うよな」
「か弱い女子の前でその発言をしない方がいいわよ」
かつて二人とも苦しめられた沼地を、二の舞を踏まぬよう慎重に進む。急がねばなるまいという思いはあれど、泥まみれになって体丸ごと洗わなければならない状況になる方が時間がかかると判断した上での行軍だった。とは言ったものの、本日出立してから何本目かの木からきのみを頂戴している最中、少年から投げかけられた不躾な言葉を聞いて、シクラは一度沼に叩き落とした方がいいだろうか? と逡巡する。
通りすがりに見かける度、少女はエルフーンに木を揺らすよう指示していた。二人旅かつ、いくらかの準備をしてからの旅立ちであったにも関わらず、採取隊もかくやというほどの量を毎日得てきては、テルが気付いた時にはすっからかんになっているものだったが故の彼の疑問は、しかし文脈を欠いていたためにただの不躾な質問に成り下がっている。最も、少女はお前とそのポケモン、という隠された修飾語の存在に気付かなかったわけではない。一般的に失礼に当たらないような質問をされたとしても、単に答えたくない事情があったがためだった。
「ああ、いや、すまん。そのえるふーん、というポケモンって、綿の中に食い物を溜め込んででもいるのか?」
質問が絶妙だ。シクラは内心歯噛みしつつエルフーンが落としたきのみを拾う。誤魔化したいが、嘘は嫌い。それは少女らしい拘りだったが、それに背けるほど大人になれもしない。最後の一つを拾いきると、褒めて褒めてとずっとすり寄ってきていた相棒を抱き上げて、少年に差し出す。
「……綿の中に何か入っているか、持ってみる?」
「金輪際御免だ。二度と綿まみれにされたくない」
心底嫌そうな顔をしたテルがどうにもおかしくて、シクラは思わず吹き出した。上手く追求を躱せたことに安堵しつつ、腕の中で引っ付きたそうにしているエルフーンを無理矢理ひっぺがすと頭の上に置いた。綿を汚すと後が大変だが、常に出しておかないと野生のポケモンへの対応で遅れるかもしれない。葛藤の上での定位置だった。重いし、アフロヘアーのようで少女は好きになれそうにない。
「しかし、相変わらず懐かれてるな。おれとピカチュウもこれくらい……いや、いいや。重くて首が折れそうになる」
彼が足元のピカチュウを見やると、側で呑気に欠伸をしていた。以前──ショウが調査隊に入るより前──と比べれば威嚇されることは無くなったし、戦う時に指示は聞いてくれるし、多少ならテルが触れても怒らなくなった。しかしそれでも執拗であればにべもなく跳ね返される程度の仲でしかない、というのが彼らの今の限界だった。
少女にべったりどころか、波長のあった様子で時折テルを毛まみれにして遊ぶ姿を見れば、遥かに好感度の差があることがわかる。それを羨むような、これで良いような気持ちでテルが苦笑を漏らせば、少女は数秒の沈黙の後小さく笑った。
「そんなことないよ」
話題が広がらなかったために、会話が途切れ、遠くに鳥の囀りが聞こえる以外は静かになる。足だけを進めながら、シクラは頭上の重みを感じながら懐かれる、か、と独白する。
そんなものではなかったはずだった。少女とポケモンの関係は、もっと、冷え切っていたように思われた。主観的なことであるため比べようがない中、必死に回想を重ねる。彼女とは、本当に信頼関係にあったか否か?
*
“はじめて”彼女とエルフーンが会話をしたのは、まだ少女がほんの5つの時だった。
親の手持ちだったそれは主人の娘である少女が気に入らないらしく、敵意を全面に押し出して睨みつけていた。少女はそれに反応を示さない。ベッドも、床も、カーテンも白で埋め尽くされた部屋の中、綿毛に隠されたエルフーンの焦茶の肌に、目立つからと言うだけで視線を向けている。無感情そのものであったのは、おそらく彼女を襲っていた疲労感のせいだ。開け放たれた窓から柔らかな光と風がカーテンを数度揺らした後、徐に「ねえ」と舌ったらずな少女が語りかける。それに主人の面影を感じたのか、単に急な呼びかけに驚いただけか。わずかに目を見開いたそれに、微睡むようにシクラが語りかける。
「あなた、わたしのことが好きでしょう?」
同じ顔、同じ声、けれど表情だけが異なった少女のことを、端的にエルフーンは嫌っていた。だが、そのかたちに愛着を抱いていたのもまた事実。
大好きで、大嫌い。屈折した感情を抱き、やや八つ当たり気味に周囲に悪戯を振り撒くエルフーンを見て、事情を知らない大人たちは、大好きな主人の形見を守る健気なポケモンだと的外れな評価をした。
常に側にいるが、一定間隔以上の距離には絶対に近付かない。少女が撫でることは断固拒否する。喋りかけても無視。軽い怪我までなら少女に迫る危機は放置する。ただ、車に轢かれそうだとかの、命に関わりそうな時だけその手を引いて繋ぎ止めた。
それらの行動を具に見ていたのは、そして理解していたのは、皮肉なことにエルフーンが大嫌いなシクラだけだった。ポケモンに進んで関わろうとしなかった彼女とエルフーンは、どこか事務的に、険悪に、けれど互いの存在を大事に思いながら大きく育っていく。
「わたしの大切なフェアリー。わたしの、唯一の命綱」
折りに触れて、彼女はエルフーンのことをそう呼びかけた。
それは、強いポケモンと戦う時。
それは、ドラゴンやあくのポケモンを倒す時。
それは、大きなポケモンに挑む時。
それは、大切な話をしたい時。
それ以外では気まぐれにしか言うことを聞かない困りもののポケモンに対する「ここぞ」を、少女は外したことなどなかった。
*
閃光が収まると共に朧げな輪郭が傾き、まともに機能し続けている耳が倒れる音を拾ってようやく、眼前の敵に打ち勝ったのだと少女は理解した。その輝きの中心にいた真綿の妖精が振り返ると、ぱあっと表情を明るくして後方の主のところまで擦り寄ってくる。彼女が構えてもいない胸に飛び込んで来ても、反射的に動くことができなかった。だって、今までポケモンと抱きしめあったことなど一度もないのだ。
違和感をずっと感じていた。
フワライドとは元より有効な関係を築いていたが、ヒスイに来てからはより献身的になった。彼らの種族的な特性、そこからくる言い伝えとは真逆にどこにも連れて行こうとしないという特異な個性は変わらないが、子分にしたフワンテの群れを連れて来たり、野営をすれば言ってもないのにきのみを集めて来たり──そう、放っておけば全てのものをシクラの元へ連れて来ようとするようになった。
他の手持ちも、多かれ少なかれ変わっている。それはネットワークに接続できないだとか、慣れていない気候だからか、あるいは全く違う世界だからか。感情的に振る舞うことも多くなったし、良くも悪くも距離が近すぎるのだ。
そして、その最たるものはエルフーンだった。シクラがそれと結んでいた関係の名は「契約」だったと彼女自身は認識している。当然ポケモンと書類を交わしたわけでないから「約束」と言い換えてもいい。とにかく、そんな関係だった。こちらから与えるものと、あちらから与えられるものがあって、その天秤が傾かないように、なるべく遠くで、一定の距離を保っていたもの。どちらが間違っても距離を詰めない。エルフーンは少女の姿だけが好きで、少女はポケモンと密着することに慣れていなかった。
ならばなぜ、エルフーンは一方的にそれを破棄したかのようにシクラに強い情を抱いているのか。彼女を悩ませ続ける命題に、答えは出なかった。
「──ねえ、テルくん」
野営地を定め、薪を燃えやすいように成形しながら、きのみを集めて戻ってきた旅仲間に問いかける。あまり会話のないところに投げかけられたシクラの声に彼は少し驚いたような顔をした後「どうした」ときのみを下ろして聴く姿勢を作った。
「例えば、積年の仲の悪いやつがいて。喧嘩した翌日、急に親しく接してきたら、きみはどうする?」
「怪談話の一種か?」
例えばの話、と強調して、呆れ顔の少年に弁明する。彼にとって突拍子もない話を彼女はしがちであったためか、まともに取り合うか絶妙な反応だったが、しばらく少女の顔を見た後、口を開く。
「驚くと思うし、ゴーストタイプにでも憑かれたかと疑うけど……なんで喧嘩したかによるかな」
「喧嘩の理由かあ……自分が悪い場合は、どう?」
出来上がった焚き火の原型から立って離れると、シクラはテルを見やった。会話をしながらの無言の合図に彼は応じて、組み上がった木々に火をつける。石と金を鳴らす音が数度響く間に、少年はその言葉を反芻する。同時に、その裏にある彼女の意図を測ろうとしていた。
「その喧嘩の原因で、相手の人格が壊れたんなら申し訳なく思うけど──別にそんなんでもないんだろ? じゃあ、普通に接するかな」
少女の妙な問答の意図を、テルはなんらかのお悩み相談だと捉えていた。追求をされないように抽象化して、それとなく伝えているのだと。ならば喧嘩した相手が豹変したと言うのはおよそどこかでは事実だろうと思った。それが誰かはわからない。二人にとって接点のないか、あっても薄い人物だろうと思われたが、それで除外できるのはショウくらいだった。範囲が広すぎる。
ただ、ポケモンに憑かれたと言わんばかりの豹変振りを見せたのなら、ヒスイにいる限り風の噂だろうと伝わってくるだろう。なんなら、調査隊になんとかしてくれと駆け込まれたかもしれない。そんな話を聞いていないのなら、本当に、物忘れ程度の変わりようなのだろうと思った。ならば、彼がするようなことはない。
「そっか」
「ところでなんの話?」
妙に納得したような顔をして解決したかのように調理の準備を始める少女をたまらず制す。しかし彼女は「なーいしょ」と意地悪そうな笑みを浮かべると、奇天烈なその服の下、腰元につけていたポーチから幾つかの小瓶を取り出す。かれえ、という少年にとって耳慣れない名前の料理を作ると昼間言っていたことを思い出させると共に、更に彼の意識から今の話を忘れさせようと別の話を持ち出す。
「ところで、今日はどこまで進んだ?」
シクラが組んで来た水を鍋に入れ、きのみを物色する横で、テルが地図を取り出し、焚き火に照らされながらある地点を指差せば、道のりは順調だった。「明日か……明後日の昼前には着くな」と、少年が頭の中で算盤を弾く。
「いえ、ルートをこっちに取れば明日の……ちょっと、重い!」
「やっぱり懐かれてるな」
エルフーンが少女の頭の上に登って来て、重さに耐えられず首を垂れる。喚く少女とその上で幸せそうにしている相棒を見て、テルは愉快そうに目を細めた。不機嫌そうな少女は特に何も言わなかったが、後に振る舞われたカレーはエルフーンが嫌いで、かつテルも慣れていない辛口に仕上げられたことで逆襲を済ませたのだった。
何も見てなかったのでポケマス開いた時の感想は「ビ……??!?!?!」でした。なんかうしろにおる