見習い商人の見るヒスイ   作:Cicla

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10.罪と贖罪

「ねえ、ショウちゃん」

「ガラルのダイマックスは知ってる? オヤブンよりもずっと大きなポケモンが、強い技を繰り出すの。天気を変えて、全てを薙ぎ払って、場を支配する強大な力なのよ」

 

「ねえ、できるよ。わたしなら」

「全部壊しちゃおっか。あなたを追い出したムラも、あなたを迎え入れなかった集落も」

 

魔が差した、とは少し違う。非常に良くないことに純粋な好意と献身から、彼女は失言を犯したのだ。少女自身がそれと気付かないまま。

やっと自覚したのは、いつも柔和な笑みを浮かべるその友人がシクラの予想に反して、冗談でしょうと笑い飛ばすのではなく、咄嗟に鋭い目と共に胸倉を掴んだ後だ。

 

「──いくらあなたでも、言って良いことと悪いことがある。二度と、そんなことを口にしないで」

 

私は誰も恨んでなんかいない。絶対に、と呟きながら、ショウはその手を離した。友人という立場では終ぞ見ることの叶わなかったであろう真剣な面持ちに対する感慨か、あるいは単純に踵が不意に浮いたことへの驚愕か。僅かに目を見開いた少女だったが、やがて大層気まずそうな顔を浮かべて一言告げる。

 

「ごめんなさい。冗談が過ぎた」

 

物理的なものか、心的なものか判別のつかない胸の痛みを、掴まれた手を軽く振り払うことで誤魔化しながら、「ウォロさんと話してくる」と言って逃げるようにその場を離れた。

 

 

再会は突然だった。森の中で偶然出くわした男女の二人組は、心の用意のできていないままお互いの無事を確認し、喜びあった。ショウとウォロが現在拠り所としている庵の主は「うるさくなったのう」などと嫌そうな表情を浮かべていたが、それがおよそ本心でないだろうことか理解できたのは旧知のウォロただひとりである。

一通りお互いの持つ情報を交換した後、これからどうするか、何をするかまで話し合おうとすれば、日が暮れても終わらない。そう判断した彼らは、とっくに忘れていた昼餉の分も併せて、盛大な夕食を囲もうという話になって、準備している最中での一幕だった。小さな祝いの雰囲気を台無しにしてしまったことへの罪悪感を抱きながら、シクラは火を起こし終わったらしいウォロの側に水を汲んだ鍋を置いた。

 

「辛気臭い顔ですね」

「嫌われちゃったかなあ」

 

昼間も見たのと良く似ている、しかし心底嫌そうな表情の男にせっつかれ、起こったことを話せばそれは呆れ一色に変わり「馬鹿ですか」とだけ漏らす。ただ、見習い商人であるところの少女に対して本気で咎めたり叱ったりしないのは、本質的なところでのお互いに対する無関心が故だった。

 

つくづく謝らなければいけないことが多すぎる。声に出したことはないが、シクラが内省する時の決まり文句だった。

人間は他人に迷惑をかけながら生きていくものだとは言うが、彼女のそれは一種の悪癖のように他人を振り回すのだと自覚するのに時間はかからなかった。肝心なことをあえて語らなかったり、誤解を招くように嘘ではない範囲で事実を歪めたり、あるいは空気の読めない発言をしたり。

それらの行動が何かしら不都合な結果をもたらす度に、やらかしたことを自覚こそすれ、それが少女に重く苦い後悔を与えるのは初めてのことだった。

 

今までは。何があっても、何が起ころうとも、シクラは反省こそすれ自戒しなかったし、誰かがそれを罪だと糾弾することもなかった。

ほんの10になったばかりの少女に罰を与えてくれるほど、世界はやさしくもなければ、周囲の人々も厳しくなかった。

きっと、今回初めてその感情に気付けたのは、ショウがこのヒスイでほぼ唯一、同じ世界を共有しているからだろうか。同じ境遇だというノボリとは歳も立場も差があることからほとんど関わったことのないため、それが正しいかを確かめる手段は彼女の中にはなかった。

 

「今の目標は」

「泉の3匹。あかいくさりの入手ですね」

 

少女が短く呟けば、端的な答えが返ってくる。周囲には誰もいないのがわかりきった上で、誰にも聞こえないように抑えられた声量のやりとりは数度続く。

 

「ふうん……鎖で捕物でも始める気ですか?」

「さあ。それが良いとコギトさんが」

 

彼女の話は信用できますよ、と語る男は、周りのほとんどを信じてなどいないことをシクラは知っていた。珍しい、と漏らすと同時、鍋の水が充分に沸騰したことに気付く。

 

「今日のご飯はなんですか?」

「カレーは作らないんですか? アナタ、お好きでしょう?」

 

今度の会話は、いつも通りの声色で始められた。遠くまで届く少女らしい甲高い声と、世の中の全てが楽しそうな笑顔。最も、先のことがあってかそれは少し控えめだが。

遠くの足音に言って聞かせるようなニュアンスを含んだ調子に、同時に気付いたウォロも合わせてやる。

 

「昨日食べましたよ。スープにしましょうよ。イモモチでもいいですよ」

「残念ながらスープは昨日食べました。イモモチなんてものここでは作れませんし、カレーにしましょうよ、いろんな味があるから飽きないでしょう?」

 

話は堂々巡りだった。シクラがふざけて「ガラル人の七つ道具」と称したそれが真面目に受け取られるほど自然に所持していたスパイスを、同じ商会として野営を何度も繰り返してきたウォロは当然のように味わったことがあった。

別段カレーがすきだというわけでもなかったが、持っていても持ち腐れだし──粉末状のスパイスに腐敗という概念はないが──と時折振る舞ってきた彼女にそれを頼むのは、暗に「作るのが面倒だから代わりに作れ」と投げるのと同義だ。

 

「味は入れるきのみ次第なんですけど──あ、テルくんおかえりなさい。きのみは見つかった?」

「お、おれは辛いきのみは拾ってないからな!!」

 

採取から帰還して早々向けられた視線にたじろぎながらも少年が主張する。昨日嫌というほど味わった、口の中を焼くような辛み、口直しにと渡された温かい茶を飲めば更に増す痛み。わざとだと明らかに察せられるほど良い笑顔の悪夢が想起させられる。

テルは少女の笑い声に紛れて「洗礼ですねえ」とどこか懐かしそうに遠くを見る青年を見て、再び少女の正気を疑った。

 

「全く、騒がしい」

「何やってるの……」

 

少年を横目にきのみの見分と、同時に料理のシミュレーションも済ませたシクラは、それぞれの方向から食器と水を汲んだ大鍋を抱えて来た女性二人にも向かって「今晩はあまくちカレーだよ」と目を細めれば、ショウが嬉しそうな、気まずそうな曖昧な声色で「そっか」と小さく笑ったのが彼女の視界の端に映り、また胸が小さく痛んだ。

 

 

「さっきはごめんね」

 

再度の謝罪は、月明かりの下で囁くように告げた。疲れたと言いながら早々に寝たコギトを除いた全員での交代制の夜番、その僅かな重なりの時間。

およそ時間通りに出てきたショウに視線を向けると、皆の前で見せる元気いっぱいの無邪気さを潜めた様子で謝罪をした。

昼間はティータイムの場であったガーデンチェアの片方にショウが腰掛ければ、対面の少女は茶会の主人を装うように、端に置かれたポットの中身を注いで手渡す。就寝前にも入れていたハーブティーを、継ぎ足しながらずっと飲んでいたのだろう。僅かに煮詰まったような、けれど変わらず美味しい茶を一口飲みると、口を開いた。未だに燻り続ける篝が仄かに二人の影を揺らしている。

 

「……別に、もう怒ってないよ」

 

また、少女に罪などないことを告げる言葉は、寝ている者たちに配慮している以上に小さく、彼女が耳をそばだてても途切れてしまいそうなほどだった。

静寂が夜を支配する。シクラは席を立って眠りについても良かったし、ショウがそれを促しても良かった。ただ、どちらもその選択をすることはなく、ただただ二人して庵の庭を見つめていた。

 

「……ジムチャレンジの」

 

シクラが不意にそう語り始めて、しかし正気に戻ったように口を噤んだ。5秒ほどの沈黙をショウが切り裂いて「続けて」と促せば、目を閉じて、言葉を選ぶように語り始める。

 

「……恩を、返そうと頑張ってる子がいたの。ジムチャレンジの同期に。ガラルのジムは、偉い人に推薦してもらわないと挑戦できないから」

 

懐かしむような目だった。あるいは、海を眺めていたときに似ていて、あるいは、曇り空を見上げたときのようだった。回想はむしろショウにというより、シクラ自身に語り聞かせるおとぎ話のような調子で続けられる。

 

「必死に頑張ってたけれど、結局報われることはなくて。……いや、ジムに勝てなかったわけじゃないの。星を集めろなんて言われたから、たった一度やりすぎて、遺跡を壊しちゃっただけ。それで失格だって」

 

星、とは何かの比喩だろうか。ショウには検討がつかなかった。バッジのことではないだろう。相槌すらないが、不思議そうな顔は浮かべていた彼女に気付けば、少女は懐を弄って小さな塊を机上に差し出した。

 

不思議な色だった。夜空の青い黒のような、その中に鮮烈な赤の印象もあるような結晶体をひとつ、月の輝きに透かして見せる。

 

「ねがいぼしって言うの。ガラルの地中にはこれがたくさん埋まっていて、エネルギーを秘めてるんだとか」

「へえ……」

 

これはその小さな一欠片なのだけれど、とシクラが手渡したねがいのかたまりを、ショウもまた手のひらで転がしてみる。ほしのかけらのような不規則の多面体だが、それらとは違う、温度のない熱を感じた。

 

「それで……失格になったときね、誰も庇ってあげなかったの。見損なったってさ。その瞬間だって、あの子は彼のために尽くしていたのにね。チャレンジの世界から、モラトリアムの終着点でいられたあの世界から弾き出されたあの子は、ちょうど今のあなたと似ている」

 

ショウから返された欠片を、ポケットの中に突っ込み、強く握りしめているのだろう、肩を僅かに震わせたのは、その人物が、おそらくは少女と親しかったからだろう。ゆっくり閉じて、そして開かれた瞳は、深い後悔と、固い決意の色を宿していた。

 

「あのときのわたしは、何もしなかった。だから、さっきは空回った。あの時の焼き増しのように感じたから」

「けれど、その人と私は違う。シクラちゃんも、テル先輩も、ウォロさんだってここにいる。ここにいなくても、隊長は私のことを案じてくれたし、セキさんとカイさんだって陰ながら手を貸してくれた。誰にも庇ってもらえなかったのは錯覚でしかない。ひとりじゃないのよ」

 

半ば言い聞かせるようにショウが彼女の錯誤を否定する。究極的には世界の全てが敵になったかのような絶望は事実であれど真実の全てではなく、名も姿も知らない友人の友人は、ショウのことではないのだと言い聞かせるべきだった。

知っている、と。既知を勿体振っておそわった時のような辟易と安心とをないまぜにしてシクラが答えた。友情の衝突は、それで幕引きにしてよかった。

 

 

「わたしはシンオウ神殿の麓に行くわ」

 

4人所帯に現地で1人、計5人での探索を想像して、その賑やかさが脳裏をよぎれば自然に笑みが漏れてくる。表情筋が緩み切ったそんな状態でさあ発とうとショウが意気込んだその時、少女ががちょっとそこまで、と告げるような軽い口調でそう言うものだから、彼女の口からえ、という音が吐き出されると同時、思考が歩みを止める。なんで、と問いたくても追いつかない口元を見兼ねたシクラが、その思考を受け取って答えた。

 

「ギンガ団としては何がなんでもあの裂け目を調査しに行かなきゃいけないもの。きっと彼らは麓にやってくる。それがいつなのか、誰かがそれを見張ってないといけないでしょう?」

 

それを否定する者はない。ショウとテルには言葉が浮かばなかったし、その気もないウォロはさっさと「そうですね」と同意した。テンガン山は危険だと言おうにも、少女の実力ならそれが問題ないと言うことを目にしてしまっているし、そんなことする必要はないと言おうたって、ぞろぞろと意味もなく大人数でいることの方が必要のないことだと言われてしまうのが目に見えている。結局ショウがなんとか「大丈夫なの?」とだけ口にして、ノータイムで大丈夫と返されたことで離別は決定付けられる。

 

「正直裂け目には興味があるもの。観察日記でも付けてよっかな」

 

そういうものだから能天気なのか、それともその後に続けられた「何かあったらフワライドに手紙でも持たせるね」と言うほどに真面目なのかわからないまま、少女たちと少女は真反対に歩き出した。




ひとりになるということ
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