見習い商人の見るヒスイ 作:Cicla
じっとりと張り付くような湿気が満ちる中、大きなリュックと荷馬車で大量の商品を運ぶ一行はようやく川のせせらぎを聞くことができた。3人と一匹は会話を交わすこともなくただ歩みだけを続けていたが、川の直前まで辿り着いたところで男がふと口を開いた。
「大丈夫か?」
「だいぶダメです」
掠れた声で、それでも即座にきっぱりと否定を返す。ただでさえ湿気の高い中、ほんの小さな少女には過酷な旅路を歩いた上、先ほど足をもつれさせて沼に突っ込んだせいで、指紋も溶けてしまいそうなほどにびっしょりと濡れていた。
沼地の真ん中で立ち止まって休憩するわけにも行かず、しかも鮮度が大事なきのみもいくらか積んでいるため速度を落とすことも出来ない。少女であるとはいえ見習いの身分で、無理矢理休憩を取ってもらうことも難しかった。
「川を越える前に休憩しましょう。さすがにシクラも限界そうだし」
川を渡るのも大変だしね、とツイリが口にし、ギンナンがそれに同意すればシクラはまるで救いの手が現れたかのように顔を輝かせたのだった。
「とりあえず下流で泥まみれのブーツを洗ってきます!」
比較的乾いた草の上に荷物を下ろし、水を口に含んだシクラはそういうとタオル一枚を引っつかんで走るように歩き出す。子供特有の素早さで急速に遠ざかる少女に、水筒から口を離したツイリが慌てて口を挟む。
「乾かす時間があるほどは休まないよー!」
「ポケモンに乾かしてもらいますから!」
二人からは本来朱と白のコントラストが眩しいはずのモンスターボールが一色にしか見えないほどの遠さでそれを掲げると、そのまま相棒であるフワライドを繰り出しながら少女は駆ける。
100メートルほど離れたところなら問題ないだろうと小さく見える二人を横目に川縁に腰掛けると、腕を捲ってからするりとブーツを脱いで水につける。擦らずとも染み込んだ泥が川を茶色に染めて流れていくのを見ると、そのままじゃぶじゃぶと水中を暴れさせ、汚れを落としていく。
「フワライド、好きにしてていいよ」
ポケモンが来たときだけよろしくね、と声をかけると、所在なさげに浮いていたフワライドは一声返事をあげてどこかへ飛んでいく。
そのまま両方のブーツを洗い、ついでに汚れていた服の裾も水につけ、汚れが落ちたところで相棒に風を起こしてもらおうと名前を呼びながら周囲を見渡すと、それではないがよく知る人影を見つけたのであ、と少女は呟く。
「ウォロさんだ」
「おや、どうしたんですかこんなところで」
声をかけられた長身の青年は少女の近くまで歩み寄ると、また転んで泥に突っ込みましたか? と商会の荷馬車から離れていることを冗談めかして指摘する。少女は苦虫を噛み潰したような顔を一瞬浮かべるも、努めて無表情にその通りですが、と渋々肯定した。
「ウォロさんもまたサボりのくせに。今度はなんで言い訳するのかしら? 道に迷った?」
返す刃で突くも、青年は「ちゃんとした理由ですよ」とどこ吹く風だ。
それが強がりではないことを少女は知っているが、商会の皆が納得するような理由なのかは信じがたかったため「それはそれは楽しみね」と嘲った。
「わたし、フワライドに靴を乾かしてもらわなきゃいけないの。あの子はウォロさんのこと苦手だから、先に二人のところへどうぞ」
しっしっ、と手から滴る水分を飛ばしながら追いやると、笑みを崩さないままながらも少し気分を害した様子で上流へ向かっていった。
しばらくしてどこからともなく戻ってきたフワライドに「ほんと彼と相性悪いのね」と微笑むと、シクラはもう一つ別のモンスターボールを繰り出して、二匹がかりで服の水分を飛ばしてもらう。生ぬるい空気が重く漂う湿地で、冷たくはなくとも風が優しく頬を撫で上げるのは大層心地よかった。しばらく経ち完全にからっと乾いた後には、満面の笑みで感謝を告げると、少女が大食漢と誤解されているように、内緒でもう一匹に携行食を分け与えるのだった。
「それでその方はなんと、時空の裂け目から落ちてきたとか! 不思議な方で──」
「裂け目から?? なになに、わたし抜きで面白い話してるんですか?」
フワライドだけをボールから出したまま三人に増えた仲間の元に戻れば、ウォロが「ちゃんとした理由」を説明しているところだったらしい。興味を持ったシクラが食い気味に尋ねれば、ツイリが呆れ顔で「ここは興味持つと思った」と肩をすくめる。
「コトブキムラに時空の狭間から落ちてきた少女がいるのですよ。キテレツな格好でしたが、ポケモン勝負がべらぼうに強かったんです」
ギンガ団の入団試験でポケモンを捕獲するとか言ってましたが、きっと合格したでしょうね、と言えば少女は目を一層輝かせる。
「素敵ね! 空から落ちてきただなんて、童話でもそう見ませんよ?」
ムラに着いたらぜひ会ってみたいですね、と高揚を隠しきれない様子の少女に、周囲の大人たちは一様に呆れ笑いを浮かべる。
ギンナンも小さく笑った後「止めはしないが、仕事はサボるなよ。誰かみたいにな」と少し戯けて釘を刺す。ツイリもそれに便乗して「誰かさんはコンゴウの集落で合流する予定だったのにね」と彼がよくするように右の人差し指を真似て立てれば、それに少し申し訳なさそうながらも「でもお客さんと良好な関係を築く為ですから!」と弁明を始め、堪えきれなくなった女性二人は腹を抱えて吹き出した。
ひとしきり楽しんだ後、4人に増えた一行はコトブキムラへの旅程をまた歩み始めた。川を越え、湿地を抜け、原野の比較的乾いた、穏やかな風が感じられるようになる頃には陽が傾き始め、空も地も淡く朱色に色づき始める。
水辺に程近く、しかしポケモンの邪魔はしないであろうあたりに目をつけると、今日はここで野営だとギンナンが一声。沼地よりは歩きやすいとは言えそれでも歩いた距離が距離のため、シクラは元よりツイリも少し疲れた顔でそれを受け入れた。
比較的けろっとしている男性陣が率先する形で火を起こし、野営の準備を整えると、荷物の中から鍋と適当な食材を取り出した女性陣が何を入れる入れないと話し合いながら、実際はツイリのワンマンでシクラがそれを手伝いながら夕餉を作る。スープを椀に注ぐ頃には、夕日は完全に落ちきってしまい、闇夜を焚火だけが照らしていた。
深夜。不寝番としてぱちぱちと燃える焚火を眺めていたウォロの背後で、ぱきりと枯れ枝を踏む音が鳴る。音の高さからその人物を判別した彼は、特に振り返ることもなく声をかけた。
「寝とかないと明日体力持ちませんよ」
特にアナタはね、と言われれば少女は決まりが悪そうに舌を出し、笑って誤魔化す。
「疲れてはいるのだけれどね。まだ湿地に近いからかしら、どうにも寝苦しくて」
シクラは昼間商会でかけあっている時とは違って少女性を抑えた口振りでそういうと、寝汗を拭ってウォロの左隣に腰掛けた。しばらく居座るらしい様子に彼はため息をついて「明日知りませんよ」と咎めるも、彼女はあっけからんと「もう諦めた!」というものだから、彼もまた諦めてそのまま静寂を過ごす。
「……しんどいですか、商会の仕事は」
唐突に口を開いたウォロの顔をシクラは仰ぎ見る。表情は前髪に隠されて読み取れない。今更何を、と声に出しかけたのをすんでで留まり、努めて冷静に言葉を紡ぐ。
「めちゃくちゃしんどいに決まってるでしょう。わたし、箱入り娘だもの。旅なんて名ばかりの散歩しかしたことないし、野を駆け回ることもほとんどなかったし」
「やめたいですか? やめても行く当てはありませんよ」
初めてこちらを見たウォロの目は挑発的な表情を浮かべていた。その目を見て少女が商会に入りたいと言ったときのことを思い出した。
大人と比して小柄な少女でしかない彼女に過酷な行商はできやしないと、一度は嘲笑った彼の顔を思い出して、ああざまあみろやっぱできないじゃないかと責めているのか、と理解して反抗的に振る舞いたい気持ちがふつふつと沸き上がる。
「やめたいとか言ってないけど」と前置きしてから、彼女にできる満面の笑みで答えてやる。
「仮に辞めたら、あなたがわたしの面倒を見てくれるの? 拾った子供の世話は責任持ってやってくださるのよね、ウォロさん?」
「アナタに拾われた自覚があったとは。あの時ご自分で否定されたのでは?」
バチバチと煽り合い、数秒睨みを交わした後、ふっと少女は笑って降りた。そのまま立ち上がると、昼間荷馬車をずっと引いてくれていた仲間であるゼブライカを撫でる。もうウォロに目線を寄越すこともなく、ゼブライカに着いてくるよう言うと、ひらひらと手を振り「お花摘んできますね」と言い捨てて歩き出した。
野営地から少し離れると、そこは森と林の中間とでもいうべき木々の密集具合で、視界はそれなりに通るがまっすぐ歩くことが難しそうだった。少女は不意に立ち止まり、一匹もそれに従うのを見ると、静寂が覆う森の中声を発した。
「いるのでしょう、野盗さん」
気になって眠れないわと眉を顰めて吐き捨てれば、所在のバレた野盗が三人、木々の隙間から出て来る。女性三人組と言うところでシクラははた、と以前も彼女らに商会が襲われたことを思い出した。答え合わせのように「久方ぶりだね、お嬢ちゃん」と揶揄うような視線を向けられるも、少女は頭の中で前はどうやって撃退したんだっけ、わたし荷台で半ば寝てたんだっけなどと能天気に考えていた。そのまま数言放たれたのを聞き逃していたが、一人がドクロックを繰り出したことで現実に引き戻される。ゼブライカ、と名を呼ぶまでもなく、そばに連れ立った仲間は一歩前に出て戦闘体制を整えた。それをみてにやり、とポケモンを、繰り出した一人が意地悪そうな笑みを浮かべる。
「甘ちゃんだね、ちょっと痛い目見てもらうよ! ドクロック、ベノムショック!」
「でんこうせっかで避けてほうでん!」
シクラ側が指示した通りに行動すれば、それが予想外だったようで野盗は目をぱちくりと見開く。信じられないと言いたげな表情のまま固まった主人の様子に、相棒であるそのポケモンが対応できる由もなく。倒れるとまではいかないが良い一撃の入ったドグロックの様子に、少女は満足げに笑みを浮かべた。女は叫ぶ。
「なぜだ?! そのポケモンは商会長のあのおっさんのだろう? お前みたいな小娘の言うことをなぜ聞く!?」
自分の身の丈より強いポケモンや、人から譲り受けたポケモンは言うことを聞かない。そんな常識から離れて、以前商会を襲った時にも彼女らが苦しめられた俊敏にて強靭なポケモンを、まるで自分のものかのように的確な指示を出して扱ってみせた少女の異様さに驚いた。一方の少女は心当たりのなさそうな顔を浮かべると、薄っぺらな愛想笑いをわざとらしく浮かべて「わたしが弱い少女ですから、憐んで手を貸してくれているんですよ」と嘯いた。
「戯言を……! もう一度ベノムショックだ、前方を狙え!」
「動くな。そのままもう一度ほうでん」
指示を出したのはほぼ同時だった。読み合いとも言えぬほど完璧に行動を掌握したシクラによって、なすすべもなくグレッグルは倒される。
顔を歪めながらボールに相棒を戻す様子を横目に「ま、嘘どころか全く真逆なんですけどね」と冷たい視線を向け、エプロンの内側に隠したホルダーからボールを取り出した。
*
遠くから微かな戦闘音と、野生の生物とは思えない鳴き声を聞きつけたウォロは、見張り番を放棄して少女が先程去っていった方向に向かう。
木々を数本超えたところに本来ヒスイには生息しない、確実にギンナンの手持ちであろうゼブライカを目にしたため、それに案内してもらいつつも少女の元に辿り着いた。
そこは戦闘の跡か、おそらくほうでんあたりによって黒く焦げた枯れ木と不自然に抉れた地面があり、その中心で揺れるボールを片手にシクラは立ちすくんでいた。
赤いモンスターボールばかり使う彼女は、しかし一つだけ青いボールも持っていることをウォロは知っていた。現在手に持っているのは青。
面倒くさそうな予感を感じつつも、平静を装ったまま声をかける。
「摘む花もない荒地のど真ん中で何やってんですか」
「野生のポケモンがいたから脅かしただけよ」
ただの野生にしては脅かしが過剰すぎるだろうに。そう思ったのを飲み込んで「そういうことにしますか」と匙を投げる。
これが寝ている二人にバレなければ良いが、と明朝どう意識を逸らそうか算段をつけながら、深呼吸をした少女がボールをポケットにしまうのを確認して、ウォロもまた更なる厄介ごとが起きなかったことに安堵した。
「完全に御しきれないものは利用しないでください。それがバレると、アナタを招いたジブンの立場も危うくなりますから」
戻りますよ、吐き捨てると踵を返し、先ほど通った道をまたわけ入っていく。その後にゼブライカが続き、更に数歩後ろに少女。
二人と一匹はしばらく会話もないままだったが、焦げた匂いが消える頃になるとシクラがようやく口を開く。
「招かれざる客、と呼んだのは誰かしらね。……大丈夫よ。ギリギリのところは見極めているから」
現に今回も、万が一これが暴れてもあなたがいるでしょう? と首を傾げる。
ちらりとウォロが背後を確認すれば、その瞳になんとかできなきゃ困るだろう? と言う挑発じみた信頼が託されていることに気分を悪くし「出来た試しはないでしょう」と吐き捨てる。予想した通りに「試したのも一度でしょう、次はできるって!」と強者の余裕から来る能天気さが返ってきたため、青年の機嫌は地の底まで下降するのだった。
捏造は捏造ですが、別に根拠なくゼブライカを手持ちにしたわけじゃなくて。
そもそも商会の露店の後ろの荷台、確実に手押しの構造をしていないので馬(にあたるポケモン)に引いてもらう前提のはずです。素直に考えればリーダーのギンナンさんがポケモンを持ってるでしょう。
馬形、かつ子孫繋がりから電気タイプ。公式設定として商会は他地方から来てるのでヒスイ外のポケモンを持っていても不自然ではない、というかそっちの方が自然かもしれない。該当するゼブライカさんはたしかPWTあたりで子孫が手持ちに加えていたので……まあ、良いよねって。
どちらかと言うとモチーフ的に馬力出すよりは早駆けする方に適性はあるでしょうが、どのみち人間よりは力あるだろうしいっかと思っています。
続きは友人の2週目限界オタク晒し上げライブで続きのストーリー再確認したら書きます。お前これ読んでるだろ、早く予定空けてね♡