見習い商人の見るヒスイ 作:Cicla
空が曇っても、原野に吹く風の心地よさは大差ないように思われた。警備隊に感謝を告げ、テルは深呼吸をする。朝の空気、という匂いがあるわけではないものの、そこにある朝露の気配は確かにあった。
そのことに安心感を覚えながら、よし、といつも被っている帽子の角度を正し、気合を入れてから待ち合わせ相手を探す。夜の内にと言っていた少女のことだから、普通に考えれば先に着いているはずだが、と坂の先を見下ろすが、ポケモンたちがいるばかりで人の姿はとんと見ない。
後輩から聞いた話が正しいならば雪原を全速力で駆け回り、オヤブンを笑いながら赤子の手のように捻り倒す傑物だとか言うのだから襲われて怪我をするなんてことはないだろうが。ショウの話がどこまで本当なのか、筋骨隆々な男かと疑いそうな逸話と、テルが実際見た昨日の華奢な様子の乖離に疑念を呈さざるを得なかった。
「いないなあ」
ぽつり、と呟く。ふわりと吹く風を浴びながら、しばらく腰を下ろして休みながら待っていようかとも考えたとき、不意に彼の頭が軽くなったことに気付いた。
手をやって確かめれば帽子がなく、代わりに真綿が髪の毛に絡まっていた。きょろきょろと焦って周りを見渡せば自らの象徴たる赤帽子はすぐ見つかった。坂を少し下ったところで、真白い綿の塊のようなものに攫われている。
坂を駆け下りればそれも速度を上げ、風に逆らって西に逃げていく。それを見てテルはポケモンの仕業であることを理解した。一瞬ちょこんと見えた暗い手足に、がらるのポケモンだといつか見せられたウールーに少し似ているような気もしたが、それにしては小さい。
まだ見ぬポケモンにしてやられたのか、と調査隊として不甲斐ないようなわくわくするような気持ちを抱きながら、途中からピカチュウもボールから出して共に追いかける。坂を斜めに転げ落ちた後、急旋回して今度は開墾地の奥へと飛んでいく。
付かず離れず、あるいは遊ばれているのか。体力が尽きかけ、帽子も泥沼に飛び込まれてしまうと思った矢先、数十歩先の木の陰からぬっと手が出てきて、帽子ごと跳ねていた綿の塊をがしりと掴んだ。
そのままテルが息を切らしながら近づけば、姿を見せて帽子を手渡しながら「思ったよりは早かったわね」と呟いた。シンジュ団でも着ないほど丈が長く分厚い外套をテルは見た覚えがなかったが、緩くまとめられた栗毛と人好きそうな丸い目は、昨日さんざ目にした色だった。ありがとう、誰かと思った。そう一言だけ先に言ってから呼吸を整え、帽子についた綿を払って被り直してから頭の中で用意していた言葉を紡ぐ。
「……なんだその奇天烈な服。遠征なめてるのか袴みたいなの着て。商会がいつも着てるつなぎでいいだろ」
ただのお説教から始められた会話が不服な様子で口を尖らせると、少女は「奇天烈じゃないもん!」と吠えた。
「商会関係なく動くんだから制服着れるわけないでしょう?」
コート、なんて言ってもあなたには通じないでしょうけどね! と捨て台詞のように少女は吐くが、少年には何も伝わっておらず、ただ曖昧にはあ、とため息のような相槌を打った。なおざりな対応にさらに腹を立てたシクラは左手に掴んでいたままのポケモンを振りかぶり、そのままテルの顔面目掛けて投げつける。
「エルフーン! 綿まみれにしちゃって!」
「わわっ!」
エルフーン、と呼ばれたポケモンは主人に似て悪戯好きそうに鳴き声を上げ、指示された通りにテルにまとわりつく。よく見ればくさタイプらしい見た目をしている、白と緑のコントラストを振り払おうと暴れ回るテルを満足げに少女は眺め続けた。
足元のピカチュウになんとかしてくれ! と一度叫んだが、技を放てば主人も倒してしまう。以前ならそうしていたかもしれないが、最近ではショウの影響を受け主従関係は至って良好になってしまっている。
躊躇して結局何もできなかったピカチュウを尻目にエルフーンが綿をつけきった頃には真っ白なテルと幾分かすっきりとしたシルエットになったエルフーンを胸に抱くシクラがいた。
「あー楽しかった。じゃ、行きましょっか」
流石に可哀想だから払ってあげなさい、と胸元のエルフーンに言いながらも歩いていくシクラに追いつくために走りながらなんと恨み言を言おうか、それとも諦めた方が早いのかと迷ってれば少女の肩越しにぼうふうを放たれ、そのことにさらに文句を叫ぶことになる。もみくちゃになりつつ追いつけば、疲れた身体には腹正しいほどのいい笑顔でさらに神経を逆撫でにされることになる。
「ところであなたの名前ってなんだっけ」
「テルだ!!」
「そっか。わたしはシクラね」
よろしく、と能天気に微笑む少女に鬼の面影を感じつつ、テルは酷く今後を憂うことになった。
*
「そういえば、ショウを探すと言ってもアテはあるのか?」
二人の腹時計が揃って太陽が中天に差し掛かったと告げる頃、川浜を視界に入れながらどちらともなく休憩を提案した。テルとピカチュウが揃って喉を潤したところで、先程まで迷いなく歩みを進めていた少女に問いかければ、シクラは通りがかりにもぎ取ったきのみをエルフーンに与えながら答える。
「別に確信があるわけじゃないけれど……まあ、おおよそは。あなたもそうでしょう?」
「アテが? そんなもの……いや、まさか」
あるわけないと否定しかけて、しかしはたと思い至って胸元から紙を取り出す。ヒスイを大まかに形取っただけの粗末な地図には、今まで調査をしながら自ら書き込んだ覚書と共に、出立前に隊長から指示された地点に印が付けられている。一目それを覗き込んで「そう、そのへん」とだけ頷いてもう一切れきのみを手持ちに給していた。
「シマボシ隊長がなんでここを……? お前もどうしてここだとアテが付いてるんだ?」
自分が気付いていない、見落としている証拠でもあるだろうかと日々の記憶をフル動員する。ヒスイのあちこちでキングやクイーンを鎮めて回った後輩でもこの場所を訪れたとは聞いていない。隊長の立場で知り得る情報があったにしては、しかし目の前の少女はギンガ団ですらない。悩むテルを見て少し気怠げに「説明が面倒くさいなあ……行けば分かるよ」と先延ばした。
「あなたたちも食べる?」
自らの相棒を満足させた少女は自分の分を数個分けると、余ったきのみを投げて寄越す。慌てて地図を片手にまとめてから空いた手でテルが受け取り、軽く礼を言いながらその内のひとつをピカチュウへ流した。きのみをほおばるテルの相棒を二人で見つめ、しばし静寂が流れる。
川のせせらぎと自らの咀嚼音がうるさくなるほどに、二人は他人だった。
十分に休んだ頃にシクラが静寂を破り「よし」の掛け声と共に立ち上がると、近くで転がっていたエルフーンの綿をむんずと掴み上げれば、テルはピカチュウをボールに戻して歩き出す。
「今日中に原野は抜けたいなあ」
「同感。もう少しスピード上げないか?」
テルが提案すればすぐさま同意が返ってきた。沼地を横切らなければならない都合上、歩きやすい今のうちに距離を大きく稼いでおきたいという結論に両者とも至るのが必然だった。共有こそしていないが、片方は行商、もう片方は調査であの沼に苦しめられた経験がある。
穏やかなせせらぎが小さく聞こえる中で、しかし清澄な昼下がりというには空は暗かった。
あにめたのしみですね
友人の誕生日近くに公開日があるせいで本人発狂してました。あーあ