「あら、綺麗になってる」
スラリと背を伸ばしたたおやかな金糸をもつ女がジョセフィーヌに手を伸ばした。
「風呂に入れた」
「セクハラです」
「洗ってやっただけで!?」
「残念、私が洗ってあげようと思っていたのに」
「君はなあ、お風呂が長いから」
「相変わらずね」
クスクスと小さく笑いながらカリファはジョセフを撫でる。その優しい手付きにジョセフは気持ち良さそうに目をつむった。
「みんなこのくらいの距離感なら苦労なかったのになあ」
「無理よ、男だもの」
「そっか……そっかあ…………」
「何だったらうちの子になる?」
「やらんぞ」
「うん、私の主様はスパンダムだけさ」
「残念」
ほんの少し、少しだけ本当に残念そうにしたカリファは、するりとその黒い手袋に包まれた手を離した。ジョセフが目を開いた頃にはもう、口惜しそうな表情の欠片も残っていなかった。
その様子を黙って見ていたスパンダムの表情は、カリファにしか見えない位置だったけれど、カリファは興味もなかったので誰もそれを知ることはなかった。
「気が向いたらまたおいで」
「ええ。今度は私とお風呂に入りましょう」
「ゲ。お、お風呂じゃなくて添い寝なら……」
「フフ、それもいいわね」
私達に背を向けて、くらりと左手首を私達へ向けて折る動作が、しなやかで美しかった。
「お前、おれとの添い寝は嫌がるくせに……」
「お、お風呂と比べたらマシってだけさ」
「ケッ!どうだか」
無理やり顎をしゃくれさせて、スパンダムはいつものようにガニ股で歩き出す。その足音はいつもと比べれば随分雑把だった。
「拗ねないでおくれ。困っちまうよ」
「拗ねてない!」
「そうか、じゃあ今日は一緒に書類をまとめてしまおうね」
「イヤだ!」
「ほら拗ねてるじゃないか」
「拗ねてない!!」
「大丈夫、まだ昼間は長いから」
「もう夕べだっつーの!」
いちいち律儀に憤怒を返すのは、外見がスパンダムでなければ可愛らしい。ジョセフィーヌはスパンダムの腕の中で、その憤怒に揺られながらばっちり笑っていた。
もちろんスパンダムには見えない角度だ。
「なんだ、騒がしいと思えばジョンじゃねェか」
「おや、ジャブラ。帰ったのか」
「オウ」
ジョンとはジャブラが付けたジョセフィーヌのあだ名である。ジャブラ以外に呼ばれたことはまだないけれど。
「暴れずに帰って来られたかい?」
「……マズマズだな」
「ありゃりゃ、これはまた書類の束が増えちまったね」
「勘弁してくれ!!」
「あーなんだその、今回は不可抗力っつーか……」
「毎度それじゃねェか!!!」
「仕方なかったんだッての!!」
ギャンギャン吠え始めた二人はどうにも宥めるのが難しい。だけど今のはきっかけを与えてしまった責任があるからと、ジョセフィーヌは仲裁を担った。
「あーゴメンよ、悪かったから。よしておくれ」
「ジョン!なんだってコイツをそのままに放っとくんだ!!」
「ウルセェ!おれに指図すんじゃねェ!」
「二人がどつき合ってると困るなあ」
スパンダムを指差すジャブラとその指に食ってかかりそうな勢いのスパンダム。ジョセフィーヌが困ったと小さく首を傾ければ、途端に二人は勢いをなくした。
「ま、まあ今日のところはこのぐらいにしといてやろうか!」
「ハ、止めてやらんこともない」
チラチラとジョセフのほうを伺いながら言葉だけ強がってみても、迫力はイマイチだった。
「言っとくがジョン、コイツァ貸しだぜ」
「うん、ありがとう。今度釣りにでも行こうか」
「ホントかッ!?……ゴホンッ!あー、言ったな?」
「もちろん。約束しよう」
「オウ、忘れんなよ」
これ以上の長居は何も生まないと判断したのか、ジョセフィーヌの口元を一回ぎゅむうとつまんで満足したのか、ジャブラは部屋に戻ると歩いていった。
すると残ったほうのスパンダムが、ジットリと己を見ていることにジョセフィーヌは気が付いた。
「主様」
「そうだよ」
「?」
「お前の主人はおれだろ」
吐き捨てるような言い方だった。思ってもないことを八つ当たる思春期の子どもみたいな、情けない幼さが残っていた。
「そうだね」
「ッ!!」
スパンダムはハッと酷く傷ついたような顔をして、そのあといまいましげにしかめっ面をした。
ジョセフィーヌはそれを、デタラメな両目で静かに見ていた。
「……もういい時間だ、夕食をとろう」
突っ立ったまま動かないのでは埒が明かないと、重々しくジョセフが告げる。
それに何か反発するでもなく、スパンダムは気の抜けた様子で唯唯諾諾と頷いた。