金鹿組が好きな方はどうぞ読んでやってください。
金鹿組の食事の挿絵はこちらから(目次に書かれているのと一緒の絵です)
https://www.pixiv.net/artworks/96936414
(1) 二人の少女
その日、訓練所は異様な熱気に包まれていた。
時刻は休日のお昼時、にも拘らず大勢の生徒が詰めかけ、もはや溢れんばかりとなっている。遅れてやってきて、会場からあぶれてしまった者達はそれでも諦めきれず、訓練場には天井がなく吹き抜けになっているのを良い事に、ペガサスナイトやドラゴンナイトの知り合いに乗せてもらうよう頼み込み、空からでも見ようとする始末。
そこまでして生徒たちを駆り立てるもの、観客達の目的は中央で対峙する二人の可憐な少女であった。
一人はかの黒鷲の学級の級長、帝国の次期皇帝であり才女である彼女には、知だけではなく武の才能もあった。女性という身にも関わらず、剣よりも重い斧を我が手のように軽々と扱う剛の者、エーデルガルト。その一撃はまさに必殺、噂ではアーマーナイトの装甲ですら貫いたと言われており、怪力無双と言っても過言ではない。
そのエーテルガルトと対峙しているのが誰かといえば、驚く事に彼女よりもさらに小柄な少女であった。コーデリア伯爵家の長女であるリシテア。彼女は15歳という若さで士官学校の試験を合格した天才で、特に魔道の扱いについてはずば抜けているものがあり、すでに並の魔道師では太刀打ちできない程である。
ガルグ=マク士官学校で毎節祝日に行われる武術大会、その決勝戦の火ぶたが今切って落とされようとしていた。
これから始まるであろう激戦を期待する数多の眼差し、人の波が生むうねるような暑さ、審判にいつも以上の緊張が走り、その額から汗が滴り落ちた。
というのもこの武術大会、大会という名こそついているが、毎週行われており、参加義務はないものの授業の延長に見られている。いわゆる特別感がないため、参加者も観客も常に一定数はいるが、大会と言うには些か寂しいというのが通例であった。
そもそも生徒達は普段から授業でみっちりしごかれている。課外授業では盗賊退治など、騎士団に見守られているとはいえ、実際の命のやり取りまでしているくらいである。本物に比べれば武術大会は日常の範囲内で、刺激が足りないのは無理もない事であった。
今日だって初めはいつもの例にもれない普通の大会であった。だが少女達が屈強な男を倒していくにつれ、徐々に観客が増え、気づくと大盛況である。それも納得できる話であった。単に女性が男性に勝ち続けたという話だけでなく、二人の場合その勝ち方が実に見事なのだ。
武術大会は基本同じ武器種で戦うのが原則で、今節に選ばれたのは剣。
エーデルガルトの本来の武器は斧ではあるが、同じ近接用武器の剣を使えないわけでもない。たとえ自分の武器でなくとも、エーデルガルトは決勝に至るまでの戦いで、すべて一撃で試合を終わらせていた。
無論それまでの相手が無策だった訳ではない。筋力自慢の者は真っ向勝負を挑んだし、力では劣ると察したものはその技と速さで翻弄しようとした。
だが彼女の体重を乗せた、全力の振り下ろしに耐えられるものは誰もいなかった。それではと横へかわそうとした者には上段の構えを解き、回避が困難な横に剣を凪ぎ払う。咄嗟に守りが間に合ったとしても、体重が流れてしまっている状況では耐えきれず、その体ごと吹き飛ばされた。
圧倒的なパワーもさる事ながら、恐るべきは判断の切り替えの速さである。エーデルガルトは対峙している段階から、明らかに相手の行動を読みきっており、そこから繰り出される迷いなき一刀は、対応するだけの間を与えずに粉砕した。
ただでさえ力の差があるのに搦め手も一切通じず、その圧倒的強さはどうすれば彼女に一矢報いられるのか、いつしか生徒の間で議論が盛んに交わされた。
一方魔道系からの異例の参戦であったリシテアであったが、彼女も彼女で非凡さを見せつけていた。魔法が使えない制約の中、リシテアの力に頼らない方法で剣を扱って見せた。エーデルガルトと比べても遜色ない洞察力で相手の攻撃をすべていなし、隙を見つけてはカウンターを叩き込む。
相手の行動を読むのは同じであるが、常に先手を取るエーデルガルトに対し、リシテアは後の先を狙う戦法を貫き通した。
特に準決勝で当たったフェリクスとの一戦は芸術的とも言えた。それまでとは段違いに鋭い斬撃に対しても、リシテアは一歩も引かずその場でいなし続ける。そしてフェリクスが満を持して放った、それまで見せていなかった胴狙いの渾身の突きを、狙いすましたかのように半身の姿勢でかわし切り、完全なタイミングで下段からの振り上げによるカウンターを決めて見せた。
あの時の突きは間違いなく誘われたとはフェリクス本人の談である。
フェリクスはいわゆる剣術馬鹿で、剣術での優勝候補筆頭であり、この大番狂わせに生徒達は大いに熱狂した。生徒達はエーデルガルト、そしてリシテア、どちらが勝つか興味津々であったが、生徒に紛れて見ていた実力者、正規騎士団の者などは両者の決定的な差に気づいていた。
リシテアはあれだけの洞察力を持ちながら、何故エーデルガルトと違ってカウンターを狙うのか。答えは単純、彼女は小柄ゆえに力も早さもない。前線で戦う者達と比べて非力なのは疑いようもなく、地力で劣るゆえ、先に攻めても返り討ちに逢うのが関の山、フェリクスとの戦いなど、一見すると達人のようにも見えるが、実際のところ相手の振り終わりを狙うしかなかったのである。
それを正しく知る者達はリシテアの技量は認めつつも、流石にあのエーテルガルトには勝てはしないと思っていた。それは長年試合を見てきた審判も同じ予想であったが、ふと偶然、審判の目にリシテアの担任となったベレトの姿が目に留まった。どういうわけか彼の瞳には純粋な期待が浮かんでおり、心配なぞ微塵もしていない様子であった。
何か、ある。
審判の直感がそう告げていた。
この試合で一体何が見れるのだろう? 今まで感じた事のない期待に胸が膨らむ中、審判は盛大に決勝戦の開始の合図を告げた。
開始と同時に飛び出したのは皆の予想通りエーデルガルトであった。一直線にリシテアの方へと向かい、剣を大きく振りかぶると、雄々しい叫びと共に渾身の一撃を振り下ろす。
「せやぁぁぁぁぁ!!」
凄みすら感じられる圧力で迫るエーデルガルトに対し、リシテアは慌てる様子も見せず、あろう事か深く腰を落とし受けの姿勢を取った。
それを見た観客達は唖然とした。大の男でも受けきれなかったそれを、小柄な少女が真っ向から受けるなんで酔狂にも程がある。その後の惨事を予測して観客達は青ざめ、見ている誰もが息を呑む。
直後けたたましい金属音が辺りを木霊した。
「……嘘だろ?」
それは誰のつぶやきだったのか、リシテアの姿は健在で崩れ落ちる事なく、歯を食いしばりながら耐えていた。今まで誰もが止められなかったそれをリシテアは受けきってみせたのだ。
驚愕の表情を浮かべるエーデルガルト、リシテアはさらにはそこから剣を打ち払って見せた。まさか力負けすると思ってなかったエーデルガルトは虚を突かれたが、それでも咄嗟に剣を握る力を込め、自分の手から逃げようとする剣を強引に押さえた。
それ故エーデルガルトは武器を失う事はなかったが、その代わりに体勢を大きく後方へ崩してしまう。リシテアはその隙に剣を構え直し、一直線にエーデルガルトに向かって駆け出した。
エーデルガルトがなんとか浮いた体を戻して地に足を着けた時には、すでにリシテアは目前まで迫っており、上体はなおも流れてしまっている現状では受けは間に合わないのは明白であった。しかしエーデルガルトは自分が酷く冷静である事を理解していた。極限の状況の中、彼女の頭がフル回転する。
剣は近接武器ではあるが、だからといって零距離で使えるわけではない。最低限剣を振るだけの空間の確保が必要である。リシテアは体制を立て直す前に決着をつけようと、全力で駆けながらの斬撃を狙っている。この状況で後方に避けるのは愚の骨頂、むしろ剣にとっての最高の間合いを晒す事になる。だが逆にこちら側から距離を詰めたら? 今でも足だけならすぐに動く。
相手は急には止まれない。距離さえ詰めたら剣の振れる間合いはなくなり、できる事はただの体当たりだけになる。そうなったら体格で勝る私が勝つ!
エーデルガルトは確信を持って一歩前へと足を踏み出した。
「ちぃ!」
距離を詰められたリシテアは舌打ちすると、直進から次の一歩を斜め前に変え、エーデルガルトの側面に抜ける事で、無理矢理に剣を振れるだけの間を作り、すれ違いざまに相手の胴めがけて横へと振り抜いた。
だが鈍い手ごたえであった事からリシテアは顔をしかめる。進路を変えさせられた事によるちょっとした遅れが、エーデルガルトの防御をぎりぎり間に合わせたのだ。
「惜しかったわね」
エーデルガルトが笑みを見せたその瞬間、言いようのない寒気がしたリシテアは、その直感に逆らう事なく大きく飛びのく。その直後、リシテアのいた場所にエーデルガルトの拳が空を切った。何時から片手になっていたのか、斬撃を防いでいる剣の下から伸びてきた鳩尾を狙った一撃、それを喰らっていたらひとたまりもなかったであろう。
エーデルガルトはそのまま追撃する事はせず、距離が開いた二人はそれぞれの獲物を構え直し、勝負は仕切り直しとなった。
「うぉぉぉぉぉ、すげーぞぉぉぉぉ!!」
「二人ともかっこいぃぃぃぃぃぃ!!」
それまで二人の勝負を見守っていた観客達は、この瞬間にとうとう感動を爆発させた。予想だにしなかったハイレベルな戦い、両者の紙一重の攻防、職種の差こそあれど、生徒達が魅了されないわけがなかった。
「全く驚かせてくれる。何か隠しているとは思ってはいたけれど、私の一撃を受けきるなんて予想だにしなかったわ」
「その割には冷静ですね。私としてはとっくに決着がついている予定だったのですが」
エーデルガルトはリシテアを見て心底愉快そうに笑った。
全く何て恐ろしい奴、武術大会は言ってしまえば「遊び」であるが、それでも戦いは戦いである。これが実際の戦争だったら、何人の者がリシテアの可憐な姿に騙されて地獄に送られたであろうか。それだけでも凄いのにさらに上の実力を今の今まで隠していたなんて。
実力の温存を卑怯とは思わない。正しく自分の力量を把握しているのはむしろ誉められる事だ。加減を間違えて途中で負けてしまう可能性もあっただろうに、あくまでこの一戦に合わせてきた。策を使ってでも全力で勝ちに来るリシテアの姿はエーデルガルトには好ましく映った。
自分も大概であるが、目の前の少女もとんでもない怪物だ。
そして彼女の背後にいるのはきっと―
「これは師の策?」
「……確かに戦い方については先生から学びましたが、これは私自身の策です。先生の指揮は素晴らしいですが、それに頼りっきりなのは何か違うと思いますから」
そう、とつぶやくエーデルガルトが一瞬見せた穏やかな表情が、リシテアの心をざわつかせた。しかし何故そう感じたのか理由を確かめている時間はない。すでに目の前のエーデルガルトは臨戦態勢なのだから。リシテアは己に沸き上がった疑問を隅に追いやり、剣を構えてエーデルガルトを睨みつけた。
エーデルガルトは挑発的な笑みを浮かべてリシテアに問いかける。
「あなたの策は失敗に終わったわけだけれども、次は何か用意していて?」
「さあ、それはどうでしょうか? とりあえずあなたに退屈はさせませんよ」
「フフ、楽しみね。では遠慮なく本気で行かせてもらうわ!!」
「望むところです!!」
そしてまた二人の剣閃が交錯した。
(2) ヒルダちゃんはすべて知っている
たまにはテラスで茶でも飲んで、ゆっくりしようと思ったのが運の尽きだった。
「しっかし凄い試合だったな! あーゆーのを見せられると滾るぜ!」
興奮冷めやらぬ様子で、訓練槍をぶんぶんと振り回すレオニーを、ヒルダは冷めた表情で見やりつつ、目の前の茶菓子をかじる。これだったら昼過ぎの半端な時間であっても、めんどくさがらずに買い物にいけば良かったか。
「凄かったのは同意するけども、何もあたしの目の前で振り回さないでくれるかな? 正直暑苦しい」
せっかくゆっくりしようと思ってたのに、とぼやくヒルダにレオニーは非難めいた視線を向ける。
「なんだよう! お前あれを見てわたしもやってやろう! とかならないのか?」
「ヒルダちゃんは後方支援希望!」
「普段斧振り回してるくせに」
「あれは先生のせいです! なんで先生はあたしを前線に放り出すんだか……」
だってお前力むちゃくちゃ強いし、レオニーは言いかけたその言葉を飲み込む。誰がどう見てもヒルダの前衛職は天職である。それにレオニーは知っている。嫌だ嫌だ言う割には斧以外を使おうとはせず、ヒルダ自身案外気に入っているという事を。
だがそれを指摘する勇気はレオニーにはなかった。これ以上怒らせるのは得策ではないだろう。彼女のヘッドロックは二度と喰らいたくない。
頭抱えるヒルダにどう声をかけたものかとレオニーが考えていると、遠くに無表情の男と白髪の小柄な少女が歩いているのが見えた。我らが先生のベレトと先の試合の主役の一人、リシテアである。
「なんつーか……うん、すげーないろいろと」
「何がって、ああ」
レオニーにつられて二人がいる方を見たヒルダであったが、確かに奇妙な光景がそこにはあった。
先の試合で有名になったリシテアは最早生徒達の注目の的である。周りから羨望、妬み、などのあらゆる視線がぶつけられているわけであるが、当の本人は全く意に介せず。リシテアはうきうきとした様子で、ベレトとの会話を楽しんでいるようであった。
ベレトはベレトで如何せんえっらく無表情なので、はたから見れば冷たい印象を受ける。それでも無口というわけではなくしっかり返事はしており、会話はきちんと成立していたりする。楽しさを爆発させているリシテアは微笑ましく、憧れの存在に話しかけてみたいけども、二人の空気に割り込めない生徒たち、どんな状況でもマイペースな先生、それの織り成すカオスさはとてつもなかった。あそこだけ明らかに空気が違う。ヒルダはふと思った。
「ここにベルちゃん(金鹿移籍済み)放り込んでみたいな」
「やめたげて!!」
それはレオニーが突っ込みに回らざるを得ないレベルの暴挙であった。思わず叫んでしまい、注目を集めてしまったレオニーは赤面すると、その視線から逃げるようにヒルダの向かいの席に着席する。
さっきまで槍ぶん回して散々目立ってたのに、こういうところで恥ずかしがるのか、ヒルダはレオニーの羞恥のスイッチがどこにあるのか疑問に思いつつも、ポットに余っていたレオニー分の茶を入れた。それを飲んで一息つくとレオニーは改めて渦中の二人を見る。
「しかし二位だったにもかかわらずここまで注目されるのは意外だな」
「内容が内容だもの。あたしたちの身内びいきがなくたって普通に凄いわよ」
私でも買い物そっちのけで見てしまったくらいだし、とヒルダは付け足す。
二人の勝負の結果はリシテアの負けであった。実力はまさに五分五分であったのだが、勝敗の差を分けたのは体力。元から斧を愛用し、近接に長けていたエーデルガルトは、基礎体力がずば抜けている。ベースは魔術特化で、ベレトに教わってから初めて剣術を始めたリシテアとは、雲泥の差であった。
拮抗していたはずの勝負であったが、急に燃料が切れたかのようにリシテアの動きが鈍くなり、エーデルガルトの攻撃をさばき切れなくなってきた。そこにエーデルガルトは意趣返しとばかりに、リシテアの武器を弾き飛ばしたところで勝敗は決したのであった。
ヒルダはふと兄を思い出した。今もなお同盟内で武勲を挙げ続けているホルスト、紋章を持たずして己の力のみで這い上がってきた真の武人である。
「兄さんが見ていたら興奮してそう」
ヒルダが思うに今回の試合はエーデルガルトとリシテア、勝負内容としては単純に力比べではなく、打ち合いの中で相手の隙を探り、策をめぐらしつつ追い詰める、まさに技巧戦で兄好みであったかのように思う。めんどくさいが今度手紙で内容を伝えてみようか。
「お前の兄ちゃんすげー強いんだっけ?」
レオニーの反応にヒルダは一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、すぐに合点がいった。ヒルダ自身普段は気にしてはいないが、こういうところでレオニーが平民出身というのがよく分かる。兄のホルストはレスター諸侯同盟に属する貴族であれば、知らない者はいないくらい有名である。知らない反応されるとかえって新鮮な気持ちになった。ご機嫌取りで近づいてきて、にわかの知識を披露されるよりかは潔くて断然いい。
ヒルダはレオニーに兄についてどのように説明しようかと口に手を当てる。強さに焦点を当てるとしたらやはり……
「あたしたちで分かりやすい例を挙げると、鷲獅子戦ね」
鷲獅子戦、それは年に一度行われる実際の戦争を模した学級対抗戦、そこで活躍したものは将来を約束されるようなもので、騎士を目指す者達にとってまさに一大イベントである。
「個の勝負じゃなくて群での勝負だから、普通であれば生徒達の連携が重要で、戦略がものをいうのだけれども、お兄ちゃんはひたすら突撃しまくって、ほぼ一人で勝ったとか」
「おお、それはすげーな」
「……へぇ」
「……なんだよ?」
「もっと対抗意識燃やすのかと思ってた」
「流石に身の程を弁えてるよ。対抗意識なんて今のわたしが持っていて良いものじゃない。もちろんわたしはこれからまだまだ強くなるし、将来的には追いついて見せるけどな!」
かつてのレオニーは騎士への憧れのせいなのか、男への対抗意識を一際持っていた。当時のレオニーだったらもっと挑発的な事を言っていたに違いない。他の事では柔軟に対応する事ができ、臨機応変さも持っているのだが、「強さ」に関して言えば素直に男を称賛するほどの余裕は、かつての彼女にはなかった。
つまり「強さ」はレオニーにとっての譲れない一線だったのだ。昔は男との勝負は必要以上に敵意むき出しであったが、今ではライバル視こそすれ、客観性を失うほど己を見失っておらず、相手の事を認める余裕もある。
今の彼女は悪くない。ヒルダはそう思った。
「先生に噛みついていたころが懐かしくなっちゃう」
「うぐ、それは言わないでくれよ」
ヒルダのからかいにレオニーは罰が悪そうに眼を逸らす。そう、このレオニー、かつて特に先生であるベレトに対抗意識を燃やしていたのである。というのもレオニーは過去にベレトの父、ジェラルトから教わっていた時期があったらしい。
本人曰く一番弟子との事であったが、レオニーの子供の頃、もちろんベレトもいたはずである。騎士であるアロイスなどもかつてジェラルトの部下であったらしい事から、何とも良く分からない話である。真相はともかくとして、当時のレオニーはベレトを認めないというスタンスを取っていたが、今やこの通りだ。
金鹿の学級初の盗賊征伐の時、功を焦って突っ込んだ際に罠にかかり、死にかけたのが効いたのであろう。後に救助されたレオニーであったが、彼女はその時に思い知らされたのだ。
レオニーはジェラルトがいなくなってからも努力していた。自主鍛錬はしていたし、猟にも出ていて腕を磨いていた。だがそれも所詮井の中の蛙でしかなかった。狩りで中途半端に経験があったのも悪かったのだろう。どこかで彼女はそれが実戦経験であると勘違いし、『私は戦える』と慢心していた。
しかし逃げる獣とは違い、人間は本気で殺しにかかってくる。そのために知恵だって使ってくる。本物の殺意は震えるほど恐ろしいものであったし、もし生存したとしても、そのまま救助されなかったら、悲惨な末路しかなかったであろう。
この時の出来事は金鹿の学級全員にとって教訓として胸に刻んでいる。
当事者のレオニーは本来トラウマになっても良かったが、本気で怒られたのが良かったのだろう。あの無表情のベレトが烈火のごとく怒り、レオニーを殴り飛ばしたのである。怒りの深さはそれだけ心配されていた証拠であった。
恐怖を乗り越えたレオニーは、それから心を入れ替え、真摯に訓練に励むようになった。今では金鹿一の槍使いだ。
「あー、わたしも出てみたかったなぁ。槍だったら良かったのに」
「もし槍の大会があったとしたら、ライバルは青獅子の学級の級長だったかもね?」
「おおー、級長との決勝戦。リシテアと同じシチュエーションてわけね。そいつは燃えるな。女っぷりが上がりそうだ」
「……かねてからの疑問なんだけど、あなたの中の女っぷりってなんなのよ?」
男を叩きのめす事がそうだとでも言うのだろうか? 良く分からない基準に頭をひねっていると、横からにゅっとが手が伸びる。そのまま皿の上のお菓子を摘まんでパクリ。
渦中の人、リシテアがいつの間にかやってきていた。その後ろにはもちろんベレトの姿もある。
「こら、お行儀が悪いぞ」
「すみません、あまりにも美味しそうなので我慢できませんでした」
「……まあ今回は頑張っていたので不問としましょう」
「流石はヒルダです!」
満面な笑みを浮かべながら菓子を頬張るリシテアの後ろで、早速レオニーがベレトに絡んでいる。
「先生、今から稽古つけてくれよ。あんな試合見せられちゃうずうずしちゃってさ。槍の武術大会だってこれからあるんだろ?」
レオニーはもう訓練したくてしょうがないようで、やっぱりヒルダは疑問に思うのだ。彼女は女っぷりについて、腕っぷしと勘違いしているのではと。
「分かった。今から訓練場に行こう。ただ今日はちょっと粗っぽくなるぞ? 良い試合を見せられてうずうずしているのは俺も同じだ」
無表情で言われても説得力ないが、ヒルダは知っている。ベレトの場合は下手に表情を見るよりも、言葉をそのまま受けた方が良い。二人がやる気を見せている中、『良い試合』と間接的に褒められたリシテアは嬉しそうにほころばせた。
「よーっし、わたしもリシテアに続くぞー」
「それじゃあリシテア、俺はこれからまた訓練所に行ってくる」
「分かりました先生。夕飯は忘れないで下さいよ」
「ああ、もちろんだ。後ヒルダ」
「はい、先生。分かってますよ。ちゃんと責任持って、リシテアがお菓子食べ過ぎないように見張ってますよ」
「宜しく頼む」
ベレトは気づくか気づかないかの微笑を浮かべて、レオニーの後を追っていった。ヒルダとベレトのやり取りを見てリシテアは不満げな視線を向ける。
「うむう、二人とも私を子ども扱いしすぎじゃないですかね? 流石に夕ご飯食べられなくなるくらいお菓子は食べませんよ。自制くらいできます」
「だったらつまみ食いはやめないとね」
「くうう、やってしまった手前、言い返せない!」
くそう、いちいち反応が可愛い。ヒルダは悶えそうになるのを抑えてポットに手をかける。
「ちょっと冷めちゃっているけど一杯いかが?」
「いただきます!」
おいしー、と言いながら紅茶を飲むリシテアを見て、ヒルダは感慨深いものを感じていた。先生が来てから金鹿の学級は間違いなく良い方向に流れている。
暗い表情だったマリアンヌは少し笑うようになったし、居場所を求めて移籍してきた引き籠りベルナデッタも興味ある事なら、部屋から出てきて意外と乗ってきたりする。本人曰く金鹿の学級は「求めてこない」から落ち着くらしい。飄々としているクロードも表向きは変わってないように見えるが、仲間内でだけなら極まれに素の表情を出す事も。
そんな金鹿の学級で一番変わったのは間違いなくリシテアであろう。リシテアは出会った頃には張り詰めた空気をまとっていて、こんな子供のような所を絶対見せようとはしなかった。
一言でいえば背伸びをしたい子供、であったのだが、ただの子供のそれではなく、何かに追い立てられるように早く大人になる事と望んでいた。それが今や子供である事を隠さずに楽しむようになった。
そこにどれ程の決意を込められているのか、ヒルダ達金鹿の皆は知っている。
基本怠けたいヒルダではあるが、リシテアは個人的に応援したくなるし、また彼女の頑張りを見ていると、柄でないのは分かっているが、もう少し頑張ってみようかと思ってしまう。自分もいつの間にか変わった内の一人なのだろう。
「やっぱり甘いお菓子と紅茶の相性は抜群ですね!」
「ほらほらその辺にしておきなさい。せっかくの先生の料理が食べられなくなるわよ。今度ヒルダちゃん秘蔵のクッキー御馳走してあげるから」
「ほ、本当ですか!!?」
満点の反応にヒルダはとうとう笑いをこらえきれなかった。どういう因果か、めんどくさがりのはずの自分が、皆の世話を焼いてしまっている事実が心底おかしく、しみじみと思った。
どうにもあたしは金鹿の学級というものがたまらなく好きになっているようだ、と。
(3) すべての始まりは食事から
リシテア=フォン=コーデリアは大の野菜嫌いである。故に大人を目指すリシテアにとって他人との食事は試練であった。野菜嫌いは子供っぽいの代名詞、周りにばれるわけにはいかない。しかし我慢して食べるなどとても出来ない。出来てたらとっくにやっている。
そんなリシテアが処世術として覚えたのが、徹底して野菜を食べさせられるような機会を潰す事であった。食事はなるべく一人、しかし曲がりなりにも貴族、付き合いが悪いと思われるのも良くない。よって野菜が出ようもない、午後のティータイムの誘いなどは断らないよう勤めていた。決してお菓子につられたわけではない。
以上のようにリシテアは相当な努力をしていたわけであるが、実のところ周りにはバレバレであった。というのも彼女は演技下手が過ぎるのだ。野菜の話題を出すと顔が凍り付き、あからさまに話を逸らそうとするし、その様子は挙動不審そのもの。その惨状たるやあのラファエルでさえ察したほどである。
幸いだったのは金鹿組は割と空気読める者が多かった事である。金鹿の生徒達は生暖かい視線で最年少の同級生を見守っていた。クロードなどは野菜の話題を匂わせ、リシテアのその反応を面白がって遊んだりしていたが。
背伸びしたい子供でしかなかったリシテアが変わったきっかけは、授業でも訓練でもなく、ベレトの姿を食堂の厨房で見かけた事であった。 竪琴の節、ベレトが担任になってから一か月ほどたった時の事である。当時はまだ出会って日が浅かったため、ベレトは凄腕の傭兵のイメージが強く、どう接していこうか考えている時期である。
リシテア本人の当時のベレトの心象としては、悪い人ではなさそうとは思っていたものの、とにかく無表情のため、近寄りがたいというのが正直なところであった。しかし授業に関してはこれほど分かりやすい事はなく、ベレトの授業はリシテアの知識欲を大いに満たしてくれた。
というのも彼の教える事は本で学んだ知識ではなく、そのほとんどが実体験を踏まえているため、いわゆる生きた知恵であるのだ。ベレト自身専門外である魔法であっても、自分が魔を操る者と相対したときにどういう事されれば嫌だったか、距離を取ってくる者にどのように接近していくのか、それらの経験を踏まえてリシテアがどう動くべきか、場面場面に応じて丁寧に教えてくれる。質問にもすぐに答えが返ってきて何度「なるほど」と唸った事か。
魔法はその威力こそ絶大だが、弓などの他の遠距離武器とは違い、詠唱に時間がかかる。故に撃つタイミングと当てる技術こそが最重要というのは、目からウロコであった。
最高の詠唱で最高の一撃をお見舞いする、これにこだわる者は存外に多い。だが実際の戦場では満足に詠唱できるタイミングなど早々ない。言われてみれば当たり前だが、そんな当たり前な事すら想定しなかった。
戦闘は別に一対一に限らないし、一人倒したとしても、再詠唱前に別の誰かに斬られる事だって想定しなければならない。自分と同等、あるいはそれ以上の射程を持つ遠距離武器にはどう対抗する? 考える事は山積みだ。
結局いかなる武器、魔法であっても状況把握、さらに突き詰めると間合い管理こそが最重要なのだ。普段知る事の出来ない、圧倒的とも言える知恵の数々は、リシテアにとって実に刺激的だった。リシテアがどれだけ魔力に優れていて、魔法を使う才があっても、それをどう使うかについては、欲しても学びようがなかったため、ベレトはまさに彼女の欠けていた部分を埋めてくれたのである。
だからか、リシテア自身表情が読めない相手は苦手だが、それでもベレトの持っている知恵は魅力的で、近寄ってみたい気持ちは割と強かった。
そんな彼がせっせと料理に勤しんでいる。初めリシテアはその姿が意外過ぎて呆気にとられたが、話す良い切っ掛けになるかもしれないと声をかけてみたのであった。
「先生って料理できるのですか?」
「ん? ああ、リシテアか。大したものを作れるわけじゃないが」
謙遜するベレトであったが、リシテアとの会話に応じつつも調理する手は動いており、素人目に見てもその手際は良かった。ベレトの後ろでは、生徒達の食事を担う厨房のおばちゃん達もメモを取っているくらいで、生半可な腕ではなさそうなのは明白であった。
今でこそ昼時を過ぎているため人はまばらであったが、もしも皆が昼食を取る前であったのなら人だかりができていたであろう。ただでさえベレトは今話題の人であるのだから、意外な特技に注目を集めないわけがない。
生徒で発見した第一号であるリシテアは、そのまま特等席で興味深そうにべレトの調理光景を眺めていたが、ふと美味しそうな匂いが鼻をかすめ、思わずお腹が鳴ってしまい顔を赤らめる。リシテアは己の失態を誤魔化すかのように尋ねた。
「い、良い匂いしていますが、一体何を作ってるのです?」
「野菜をこしてじっくり煮込んだス―プ」
それを聞いた瞬間リシテアは凍り付いた。
……え、私なにやってんの?
野菜を避けるのに全力を尽くしていたはずの自分が、己自ら死地に飛び込むとは!! 鍋を使う料理は基本的にいろんな具材を入れる場合が多い。つまりは野菜混入の恐れも相当に高い。
だから調理中の鍋を見かけたら逃げる、それを徹底していたはずなのに。
なぜ? なぜだ?
聡明なはずのリシテアの頭は混乱の極地にあった。長年培ってきた野菜センサーは完ぺきなはずなのに、今の今まで完全に思考の外にあった恐るべき事実。ただでさえ状況はまずいのに、あろう事か何を作っているのか聞いてしまった始末。この流れで次に言う事は決まっている。
「良かったら味見してみるか?」
リシテアにとってそれは死刑宣告であった。ここでNOと言ってしまえば野菜嫌いを晒す事になる。子供っぽいと見られるのはリシテアが一番我慢ならない事だ。そしてここは学校、話題に飢えた学生たちには格好の餌だ。ここでの失態は学園すべてに広がると言っても過言ではないだろう。それは絶対避けなければならない。
刻一刻と審判の時が迫る。リシテアは頭の中で色々考えるが、状況はすでに詰みであった。ベレトはおたまでスープをすくい、小皿に取り分ける。
「ほら」
とうとう目の前に出されてしまったそれ、退路は完全に塞がれた。
「あ……う……」
何か言い訳しようにもベレトにじっと見つめられてリシテアは言葉に詰まる。小皿はさらに距離を詰めリシテアの口元に。もう唇まで届きそうなそれにリシテアは息を呑む。もうやるしかない。
野菜を食べ、何ともない顔をし、「美味しいです」と言うだけの簡単なお仕事だ。大したことではない。大丈夫、私ならやれる!
「い、い……いただきます!!」
覚悟を決めたリシテアは、親の仇を見るように小皿を睨みつけ、それはもう大げさに小皿の中のスープをすすった。
途端に口に広がる風味豊かな濃厚な味、程よい酸味と旨味のバランスが絶妙でリシテアは思わず目を見開いた。
「嘘……? 美味しい……すっごく」
予想していた野菜独特の渋みと苦みがない。それにこの味は……
「野菜だけじゃ、ない?」
確証はなかったが、この新鮮な味の裏には慣れ親しんだ物も含まれているような気がした。相変わらずの無表情であったがどこか満足げにベレトは肯定した。
「ああ、コクを出すために肉も使っている」
ベレトは自分の分を取り分け、味をチェックするとうんと頷いた。リシテアは興味深げに鍋の中身を見る。苦手である野菜がどうしてこのような味になるのか不思議でしょうがなかった。
直接リシテアが質問したわけじゃないが、ベレトには彼女が料理の仕組みを気にしているのは丸わかりであった。今の彼女は授業で質問するときと同じ顔をしているのだから。
「ジェラルト傭兵団の皆は肉好きで野菜嫌いが多くてな」
野菜嫌いでびくっとしたリシテアをあえて指摘せずにベレトは話を続ける。まだまだ新米教師でリシテアとの付き合いが深いわけではなかったが、それでも彼女が野菜を苦手にしているのはとっくの昔に分かっていた。なにせリシテアの反応は傭兵団の野菜嫌いの者達と一緒だったから。
「当たり前の事だが俺も初めから傭兵だったわけじゃない。子供だった頃はいくらジェラルト、父さんの教えがあったとしても、体格差だけはどうしようもない。力負けしてしまうのであれば戦闘に出たってたかが知れている」
ベレトの言葉はリシテアの心を揺さぶった。いくら大きくなりたいと願ったって一朝一夕ではままならないもの、いつだって子供と大人の差は時だけが解決してくれる。現実を知らしめられる辛さもあったが、ベレトにも似たような経験があったのだと思うと、いつものような反骨心は沸いてこなかった。
「だから訓練には参加していたが、実際の傭兵の仕事が入ると子供の俺は留守番をしているわけだ。ただ待っているというのも不安でな。なにせ仕事が仕事だ。傷が絶えない皆を見て黙っていられなかった。それで何かの役に立ちたくて傷の手当の仕方とか、料理とか始めたわけだが、そこで初めて皆の偏食を理解してな。何とかしようと躍起になってたら、それなりにできるようになっていた」
「いえ、それなりというか、すっごく美味しいですよ?」
何せ野菜嫌いのリシテアが美味しく食べる事ができるくらいなのだから。料理もここまで来ると魔法のようでもあった。きっと傭兵団の人々もそうであったに違いない。
「そう言ってもらえると嬉しい」
「いえ、本当の事を言ったまでです」
「野菜と肉の組み合わせというのは食生活の改善として定番なんだ。野菜は基本的には火を通せば甘くなるし、独特の青臭さなどは薄まるが、問題は味だけじゃない。苦手意識がある人は見た目だけでも拒否反応を見せる。一度嫌いと認識されたものはそのちょっと残った味すらも嫌がるくらいだからな」
まさに自分だとリシテアは内心頷いた。一応野菜を食べてみようと努力した事もあるのだ。結果は散々たるものであったけれども。
「重要なのはとにかく野菜の見た目を残さない事。「こす」とは要するにひたすらに細かくして固形として残さない事だ。すると野菜スープではなく、ただのスープとなる。肉のだしも使えば野菜の要素はうまい具合に隠されて、ただ美味しい料理となる。苦手意識の外から食べる事ができるんだ」
苦手意識の外から攻略する、目からうろことはまさにこの事だ。苦手意識があるせいで野菜を食べていると思うだけでまずくなる。今になって思えばリシテアがベレトの野菜スープに近づいてしまったのは、匂いが野菜ではなく、ただの美味しそうな何かであったからだ。
「嫌いなものを無理矢理に好きになれといったってうまくいくわけがない。直接対決したって余計にこじれるだけで良い事はない。苦手なものを克服する方法は真っ向からぶつかるではなくて、見る角度を変えてみる事が一番だ」
ベレトの説明は実に論理的だとリシテアは思った。
「ところで今料理しているのはひょっとして……」
「ああ、実は今日は傭兵団の皆からのリクエストなんだ。ここに来てからは作っていなかったから懐かしくなったとか。それであまり人のいない昼過ぎのこの時間に厨房を貸してもらったんだ」
表情にこそ表さないが、ベレトの声はどこか弾んでいた。なるほど、この無表情な先生は根っからの世話焼きらしい。最初傭兵が先生という、全く違う職種でやっていけるのか疑問であったが、意外に先生というのは天職なのかもしれない。
思えばかねてからベレトの知識量は豊富であった。戦闘技術や戦略だけでなく、狩りや釣りによる食材の確保をはじめ、天候を読む力も異様に高い。野草などにも精通していて、簡単な傷薬などは現地で調合してしまうし、ケガをした際の応急処置の方法なども実に的確だ。そして今度は料理である。
リシテアにとって傭兵と会話するのはベレトが初めてだったため、傭兵とはそういうものなのかと思っていたが、どうにもベレト個人がそういう人物で、自身の努力による結果らしい事を理解した。
当時子供であったベレトが、自分がどこで一番役立てるかを考えた結論が、傭兵団のサポート役に徹する事だったのだろう。その経験こそが今のベレトの強さを支えている。
だが一番リシテアの心に響いたのはベレトの心構えそのものであった。リシテアはただの興味本位で大人になりたいわけではない。早く大人にならなければならない理由があるのだ。だがそうして焦った結果はどうであろうか?
優秀な生徒として見られた事はあれど、一人前として見られた事は今まで一度もなかった。一方でベレトの実年齢は例外であるリシテアはともかくとして、他の生徒たちとほぼ変わらないように見える。だが実に大人びて見えた。
私は、無理をしているのでしょうか?
思わず出かかった言葉をリシテアは飲み込む。一瞬でも内心を吐露しようとしていた自分自身に驚きを隠せなかった。
見た目と年齢の幼さはリシテアにとっては枷でしかなかった。最年少ってだけで必要以上に世話を焼こうとする人達の、善意の押し付けに辟易していたリシテアはすべて突っぱねていた。自分の意思でここに来たというのに、どうして可哀そうだと思うのか。
特にその中でも貴族は質が悪い。その瞳の奥に優秀な人材を取り込み、あわよくば紋章持ちの血統も得たいという欲望が透けて見えた。人を人として見ないのは殺意すら覚えるほどだ。リシテアは人を道具のように見る事が許せない。誰だってそうであろうが、リシテアのそれは他の人の比でない。
だからこそリシテアが貴族、平民、出自がバラバラな金鹿の学級になったのは必然だったのだろう。他の学級、例えば貴族が多い黒鷲であったとしたら、衝動のまま誰かを殺してしまっていたかもしれない。
一度押し黙ってしまったリシテアであったが、気を取り直してベレトへと質問をした。
「ところで野菜ってどうして必要なのでしょうか?」
「ふむ」
「健康に良いと言われてますが、好きなものだけを食べているときと、そんなに差があるのですか?」
それはかねてからリシテアが疑問に思っていた事であった。リシテア自身偏食である事は自覚してはいるが、正直不調と思った事はない。だからこそ今一健康と関係があるとは思えなかった。
「実際のところ野菜が特別に優れているわけでもないんだ。肝心なのは体に合わせてバランスよく取るという事だからな。肉には肉の利点が、魚には魚の利点がある。野菜だけ特別なように言われてしまうのは、相対的に野菜を不足としている人が多いからに過ぎない。野菜そのものの良さを説明するのは難しいが、かいつまんで言うと体全体の調子を整えるような役割を持っている」
説明受けてもリシテアにはピンとこない。しかしベレトにはそういう反応が来る事は分かっていたようで、一呼吸置くと別の側面から説明し始めた。
「人はいつだって主観的だ。人からこれが正しいと言われても、感じた事がないものは信用できない。リシテア、もし君が野菜嫌いだと仮定して、調子が悪いと感じた事がないと思うのであれば、君は君自身、本当に調子が良い状態というのを知らないって事になるな」
リシテアは驚いたように目を見開き、その顔をしかめた。いろんな感情がごちゃませになっていた。初めから野菜嫌いを知られていた事、にもかかわらず今の今まで知らないふりをされていた事、それはさながらリシテアの嫌う、大人にからかわれる子供そのものである。
しかし結果として美味しい野菜の料理というものを初めて食べられたし、本当に調子の良い状態というのがどういうものなのか、自分の知らない未知の世界に興味引かれているのを自覚していた。知識欲と健康、的確にツボを突いてくるのだからたまらない。
一番癪なのが多分これがすべてベレトの想定内である事だ。腹立たしさよりも興味が勝ってしまった。こうなってしまっては怒るに怒れない。
「……先生はずるいです」
完全敗北を喫したリシテアがせめてもの抵抗としてできたのは、むすっとふくれっ面を見せて文句を言う事だけであった。心の奥底に、ちょっとした嬉しさを忍ばせながら。
(4) 才能の目覚め
知識で知っているのと実際に経験しているでは雲泥の差である。その言葉に抗いがたい魅力を感じたリシテアは、厨房での出来事の後、己をハメたベレトに対し、言ったからには責任を取れと、ベレトが傭兵団の野菜克服に利用した料理の数々を要求した。
勢いに任せての発言で、今思えばかなりむちゃくちゃであったが、ベレトがあっさりと快諾したため、ベレトによるリシテアの食管理生活が始まったのである。まさか了承されると思っていなかったリシテアは、慌てて撤回したが後の祭りであった。
なし崩しに始まってしまったリシテアの食生活改善計画、冷静になってみるとやっぱり食べたくない。自分の犯した失態にかなりナーバスになっていたリシテアだったが、その不安は杞憂であった。ベレトの出してくる料理にはずれがなかったのである。根っからの野菜嫌いな大人達を陥落させてきた手腕は流石であった。
またリシテア自身、ベレトの言った知らない自分を知りたい欲求が、彼女の高いモチベーションを維持させていた。
ただリシテアは一つ懸念があった。ただでさえ慣れない教師生活であるのに、ベレトの負担が大きくなりすぎるではと。しかしそれは杞憂に終わった。
何故なら料理の極意とは効率化である。いかに美味しく作るかとは別にいかに楽をするかこそが重要なのだ。これは単に手を抜くという事ではない。食事は不変の日常であるからこそ、それ自体が重荷になってはいけないのである。
傭兵団という大所帯の食事をまかなっていたベレトは手の抜き方も一級品だ。ベレトは今までも厨房を借りて自炊する事はあったらしく、一人生徒が増えようが全く苦ではなかった。かえって一人分より作りやすいらしい。リシテアにそれが嘘か誠か判断つかなかったが、素直に受け止める事が出来たのは、本当にベレトに疲労の色が見えなかったからである。
ちなみにこの食管理生活、クロード辺りにはすぐにばれた。彼はたまに相伴に預かるという条件で、リシテアの秘密を隠してくれた。本当は周りの皆に気づいても知らないふりをしてくれと、通達されていたわけであるが。そもそも金鹿の学級にとって、リシテアの野菜嫌いは本人がばれてないと思っているだけで、周知の事実なのだ。
こうして皆にひっそりと見守られ、リシテアの食改善は彼女が想定するよりも、はるかに楽な形で進んでいた。一方で体調はどうであったかというと、それまでも「何となく良くなっているのかな」というのはあったが、正直半信半疑な面は拭えなかった。
しかし改善生活が始まってからちょうど一ヶ月経った早朝、何気なく鏡で己の顔を見た時に、それまで感じていた『何となく』が『確信』へと変わった。
明らかに顔色が良くなっていたのである。それを己自ら知覚した瞬間、一気に体の中から力がみなぎってくるのを感じ、誇張でも何でもなく『世界』が変わった気がした。
「これが先生の言っていた世界……」
まさに感動的であった。気分が高揚しきっていて早く何かしたいと体が疼く。座学をすればいつもよりも集中できて『大成功』を連発、実戦訓練では視野が広くなった。今まで見えなかった仲間の配置が分かるようになっており、そこから適切なタイミングで魔法が狙えるようにと、何もかもが劇的に変わった。
その成果の一つとしてあげられるのはベレトとの演習である。それまでベレトには金鹿の学級総出の攻撃であっても、すべてかわされていたのだが、初めて剣で受けさせる事ができたのである。
金鹿の学級の皆ははじめての快挙に沸いた。ありがたいお褒めの言葉をもらった後、一段階強さをあげたベレトにぼこぼこにされるのであったが。
明確な成長を感じられ、充実した学生生活、成長する事に貪欲なリシテアが新たな事に興味を示したのは当然の帰結であった。
リシテアは成長するにつれて一つ分かった事があった。魔法は決して万能ではないと。かつてベレトで座学で教わっていた事を実感として得たのだ。
魔法は防具を貫通する一撃必殺の技だ。だが如何せん距離が半端なのが厳しい。射程では同じ遠距離の弓には叶わず、接近戦主体の相手にもある程度近づかなければならない。一撃で止めを刺しきれなければ確実に接近戦に持ち込まれるのである。だからこその前衛との連携が重要なのであるが、敵だって馬鹿の一つ覚えじゃない。隊列をどう崩すか考えて当然なのである。
実際ベレトと相対して崩された事は多々ある。彼だけが規格外なのかもしれないが、少なくとも彼の父、ジェラルトはそれと同等か、上であるわけであって、まさかが起きる可能性はゼロじゃない。
今はただの訓練だから良いが、実戦だとそれこそ命の危機だ。もしも魔法で仕留めそこなったら、後は大して抵抗もできずに斬り殺されるだけ。
リシテアとしてはそれはまっぴらごめんだ。接近戦のノウハウを知っておけば、もしも危機に陥った時、倒すのはともかく粘るくらいならできるのではないか。戦いは個ではなく群、時間を稼ぐ事で変わる事もあるはずだ。そして接近戦を知るという事は前衛がどう動きたいかを知る事でもある。仲間との連携を高める上でも有益に違いない。
リシテアが剣を手に取ったのはそんな理由であった。本人はそれがハマるなど予想だにしなかったのである。
魔法主体のリシテアとしては、まず剣の授業を受ける事を承諾されるかの問題があったが、これはベレトがあっさり了承したため特に問題なかった。しかし如何せん彼女は非力だ。
リシテアは剣術を専攻している他の生徒に混じって、早速訓練用剣を持ってみたわけであるが、非力な彼女では、初心者用に設計されている最軽量の剣でも重く、振る以前に構えるのも困難な状態であった。
だがリシテアとしては、そうなる事が分かっていたので特に気にもしなかった。無茶なのは初めから分かっている事、健康な体は気持ちの余裕を生み、リシテアは焦らず一歩ずつ進める覚悟を決めていた。
リシテアが剣術を専攻してまず第一に始めたのは筋力をつける事、そして空いた時間には訓練中の生徒達の動きをつぶさに観察する事、であった。ベレトが良くやっている体の動きを見て相手の次の行動を判断する、それを知識として蓄えようと思ったのである。
途中からは気を利かせたベレトから、リシテア専用に木刀が用意され、訓練内容に素振りが追加された。力の差が大きすぎるため、別の生徒と打ち合いはできなかったが、素振りをする事は剣を扱う上で、体の動きを理解するのに有意義であった。
徐々に力がついてきて剣を持てるようになったと喜んでいると、今度は身を守る鎧が追加され、リシテアはさらなる重さに耐えられる体づくりに奔走する。
なかなか剣を扱う必要最低限まで満たない日々であったが、リシテアは全く苦ではなかった。普通なかなか成果が上がらないと焦るものであるが、リシテアの場合、ベレトの幼少の話を聞いていた事もあって、忍耐を知っていた。
地道にやってきた結果は着実に現れる。基礎体力と筋力の向上はリシテアの体調をさらに良くし、疲労を感じなくなった分集中力が増した。その効果は魔法の方にも如実に表れる。
例えばドーラ、攻撃魔法でも初級に位置する基本魔法だが、集中する事によって、燃費が良くなり、かつ威力も向上するという相乗効果を生んだ。さらに進軍にも遅れる事がなくなったので、連携の密度も格段に上がった。
そう、リシテアの一見無意味な行動は、彼女の魔導士としての実力も大きく上げたのである。自分の方針が間違っていないと確信したリシテアは、より一層訓練に励んだ。
そしてとうとう剣術でもリシテアが他の生徒と並ぶ時がやってきた。お互い鎧を付けた状態で訓練用剣を利用しての模擬戦である。
最初リシテアの相手をベレトに命じられた生徒(以降○○)は困惑を隠せなかった。同じ学級のため彼女の努力を知ってはいたが、打ち合うだけの力は持ちえないと思っていたからである。
しかしながらリシテアと実際立ち会って見て、その考えは改めた。絶妙にやりにくいのだ。○○が構えを変えるとリシテアも合わせて変える。距離を詰めるとその分だけ離される。剣を振ってもぎりぎり届かない位置をキープされ、攻撃に移れない。
それでも勝負を急がなかったのは、○○もまたベレトの訓練を受けているからだ。リシテアのそれを誘いと認識し、焦らずじりじりとつめてリシテアの陣地を削っていく。訓練所の空間は狭くはないが有限だ。焦らず壁まで追い詰めてから仕掛ければいい。
○○があと少しで壁を背にするところまで追い込んだ時、彼の詰める一歩が大きくなった。その焦りを見逃さなかったリシテアは初めて一歩踏み込む。早く勝負を決めたいという、心の隙をつかれた○○は慌てて剣を縦に振り下ろすが、その前にリシテアの剣が彼の胴へと届いていた。
「それまで!」
ベレトの掛け声で二人は張り詰めていた緊張を解き、大きく息を吐いた。
「やられたよ。ここまで読まれては完敗だ」
「いいえ、こちらはずっと訓練中皆の動きも見ていましたから。ずるをしたようなものです」
「それでもだ。リシテアの事だから読み合いで不利になるのは予測していた。それでも力でねじ伏せられると思っていたんだけど、距離を徹底的に管理されてしまっては力も振るいようがない。勉強になったよ」
「えっと、そう言っていただけると嬉しいです」
正直リシテアとしては恨み言でも言われるかと覚悟していたのだが、むしろ褒め称えられて恐縮する。慣れない事態にリシテアがどうしたものかと考えていると、それまで審判をしていたベレトがやってくるのが見えた。
「良い試合だった」
「「先生」」
「○○、勝負を急がなかったのは良い判断だったな。リシテアの間をじっくり削るのもさしの勝負であれば正解だ。君は冷静に戦えている」
「あれしかなかったっていうのが正直なところですが。それに結局最後は焦ってしまいました」
「正直俺も予想外だった面がある。リシテアにあそこまで『見る』力があるとは。まだ先の予定だったが、今度○○には待ちの相手に対する戦い方も教えよう。それとリシテア、踏み込みに合わせての一撃は見事だった。俺が見てもあれは最高のタイミングだ」
「ありがとうございます!」
「また再戦願うよ。今度こそ負けない」
「はい、望むところです!」
こうして剣術の授業でも正式な一員として認められたリシテアであったが、それでもリシテアにとって剣術はあくまで守るための力であった。知識として知り、実際に体験する事で『魔導士』として剣術に対抗しよう、そう考えていたのである。
それもそのはず、先の模擬戦で勝利したリシテアではあったが、致命的な欠点があった。リシテアがようやく扱えるようになった訓練用剣では、相手の鎧は貫けないのだ。攻撃を当てられたとしても、実戦を想定した場合、ダメージはさして与えられないのである。だから剣で攻撃するという発想がそもそもなかった。
しかしベレトは知っていた。非力な者でも必殺の一撃を出す術を。
「魔法剣……ですか?」
「ああ、リシテア。世には魔力を秘めた剣が存在する。例えばサンダーソードなんかが挙げられるな」
「それを使えば私も?」
「ああ、君が使えばサンダーソードは無類の力を発揮するだろう。だが残念ながらサンダーソードはなかなかの貴重品でな。よって今回は代用品を用意した。と言っても使う武器はこれまで通り訓練用剣だ」
今まで使ってきた訓練用剣でどうやって、とリシテアは首をかしげるが、ベレトの次の言葉は衝撃的であった。
「俺が言う魔法剣、それは君が自力で生み出すものだ。魔力を帯びた剣を使うのではなく、使い手が直接剣に魔力を込める技としての魔法剣、魔力量が豊富な君ならそれができる」
「そんな……そんな事が可能なのですか?」
「ハンネマン先生に聞いたが、魔法剣自体は魔力を籠めるだけでいいので簡単との事だ。君もやればすぐにできるだろう」
魔力を剣の攻撃力に加算する。リシテアにとってそれは夢のような話だった。しかも特別な事は必要ないと言う。だからこそ疑問が残った。
「そんな簡単なのになぜ広まってないのですか? 私は今回初耳でしたけど」
「そもそも魔導士は剣を使わないからな」
「あぐっ!?」
当たり前っちゃ当たり前の答えにリシテアは顔をしかめる。普通の魔導士は確かに剣を使わない。思いのほか楽しくて続けてしまったが、剣を学ぼうとしているリシテアが普通でないのだ。リシテアは自分が一般の魔導士から乖離してきている事を今更ながらに理解し、何とも言えない気分になった。
「心配するな。接近戦を身をもって知る今の君の実力は、中途半端では決してない。むしろ並の剣士よりも強く、魔導士としても一人前だ。俺が保証しよう。君がやってきた事は正しい」
「先生……」
「それでも心配なら己自身の力で証明してやれ。自分は間違ってないと」
訓練用剣を投げてよこすベレトにリシテアは力強く頷いた。目を閉じて魔力を剣に注ぎ込むと、それに呼応するかのように淡く光を放つ。十分に魔力が行き渡ったのを確認したリシテアは、意を決して剣を目の前にある人を模した打ち込み台へ振り下ろした。
「……えっ?」
はじめ空振りしたのかと思った。何も抵抗を感じなかったから。
だがリシテアの目の前に映ったのは、一刀両断された打ち込み台が、無残に地面に転がっている姿であった。纏っていた鎧ごと真っ二つになっており、想像を超えた威力に目を見開く。
「……何て、威力」
「リシテア、これが魔法剣だ。魔力に対して防具は意味をなさない。魔力に対しての防御は抗魔力だけ。しかし接近戦をするのは鎧を着こんだ兵士、魔に対して対抗手段を持たない者達だ。故に一撃必殺」
今もなお己の成した事が信じられないといった様子のリシテアに、ベレトはどこか満足げな表情で告げた。
「これが、君が、君だけが得た力だ」
「私だけの……力」
弱点を埋めるために始めた剣術、それが最大の技になった瞬間であった。
(5) 命をむしばむ呪い
新たな力を得たリシテアはその才能をめきめきと伸ばし、いつしか金鹿の学級で有数な実力者となっていた。彼女がそこまで成長したのは、彼女自身戦略を考えられる人物であったのが大きい。
魔法剣を身に着けた後、リシテアはこの技をどう効果的に使おうか頭を悩ませていた。一番不足していた攻撃力を得たわけであるが、それでも速さがまだまだ足りない。せっかく得た攻撃力も当てられないのでは意味がない。
そんなリシテアが熟考の末編み出したのが、一度受けてカウンターを叩きこむ戦術であった。相手にわざと先に打たせ、魔力を込めた剣で武器ごと吹き飛ばす。その隙に必殺の一撃を叩きこむ。ただやるのは模擬戦のため、最後の一撃は魔力をきちんと抜いていたが。
魔法もとうとうダークスパイクを覚え、金鹿の学級で最大火力を持つようになっており、剣と魔法の二刀流はますます冴えわたった。
一方プライベートの方でも特に問題もなく、本人はあまり得意とはしていないと言っていたものの、生徒同士の交友は思いのほかうまくやっていた。
これは健康面が劇的に良くなったのが大きい。人は疲労がたまるとネガティブになる。今までのリシテアは体力不足でイライラしがちであったが、今では大分丸くなった。
クロードのからかいにはすぐに怒らなくなったし、以前は同情はいらないと突っぱねていた、ラファエルの手助けも素直に受けて感謝する。逆に女性に声をかけて失敗を繰り返しているローレンツには、貴族は無自覚に人を物として扱いがちだから気をつけろと諭したりした。
同性としては女の子としてのファッションはヒルダに教えてもらったり、ネガティブなマリアンヌを運動不足として同じ剣の道へ引き込んだりなど、協調性が増した事で周りからはちょっと小生意気だけど、理知的で努力家の良い子と認識されている。
移籍してきたベルナデッタの引きこもりに対しても、ただ檄を飛ばすのではなく、甘味やぬいぐるみで釣るなどで部屋から誘い出すなど、ちょっとした知恵比べを楽しんでいるようで、なかなかに楽しくやっているようであった。
リシテアにとってすべてが充実した日々、だからこそ油断してしまったのだろう。練習に熱が入るあまり、己の限界を超えてしまったのだ。
その日リシテアが行おうとしていたはダークスパイクからの魔法剣、持ちうる最大火力の2連撃である。魔力保有量がずば抜けているリシテアのそれはまさに必殺であるが、その分消費量も桁外れのものであった。
故にリシテアもそれが実戦で使えるものとは考えてはいなかった。己の魔力量を鑑みて、放つ事自体は出来るだろうとリシテア自身想定していたが、その後が問題なのである。威力と引き換えに激しく消耗するため、放った後は満足に動く事すらままならないだろう。つまりはただの役立たずが残ってしまうのだ。その一撃で戦いが終わるというタイミングでないと使える代物ではない。
扱いどころに困る大技であるが、それでも試してみるべきだと思ったのはもしものためである。何せ戦いの相手は人間だけではない。魔獣のような強大な相手だって存在する。
リシテアは一度だけ遠征で魔獣と対峙した事があったが、その暴力的な強さを身を持って知った。だからこそ思ったのである。今後圧倒的火力が必要になる時があるかもしれないと。
2連撃は速さが勝負、ダークスパイク直後に斬り込むにはダークスパイク後に魔法剣を用意していては間に合わない。詠唱と魔法剣生成は同時に行い、発動タイミングのみをずらす。ただでさえ消費する大技を2つ同時に使用する、これこそが必殺の2連撃が難しい理由であった。
1つずつであれば数回は使用できるのはすでに実証済み、では2つ同時使用はどうなるのか、リシテアは一際集中力を高め、ダークスパイクの詠唱をしつつ剣には魔力を送る。そして魔法発動と同じタイミングで打ち込み台へと駆け出した。
その打ち込み台は廃棄処分となったアーマーナイト用の鎧をまとった特注品、頑丈さは折り紙付きだ。だが魔力にはそんなもの関係ない。空より飛来する闇の針達はたやすく鎧ごとくし刺しにし、人であれば身動き取れなくなっているであろうところを、心の臓に狙いを定めて鎧ごと叩っ斬る。あわれな打ち込み台は真っ二つにされ、そこから刺さっていた闇の針達が炸裂し、木っ端微塵になって辺りに飛び散った。
まさに圧巻の威力だった。間違いなく瞬間火力としては最大である。これが直撃したら生きていられるものは誰もいないだろう。人に対して過剰な威力は強大な魔獣に対しても致命の一撃になりうるほどだ。
かくしてリシテアの望んだ2連撃は成功した。大量に魔力を消費した反動で虚脱感がリシテアを襲う。それでも歩く事くらいならできだそうだと安堵し、このまま鍛えれば一回くらいであれば実戦でも使用できるのではなど、結果をリシテアは冷静に判断していたが、その時に事件は起こった。
突如体が燃えるように熱くなり、激しい痛みが体中を襲った。体が激しく痙攣し、声を上げる事もままならず、リシテアはその場に崩れ落ちる。意識がなくなる寸前に彼女が見たものは、慌てた様子で駆け寄ってくるベレトの姿であった。
陽の日差しが顔にかかりリシテアはゆっくりと目を開けた。意識がはっきりしない中、ぼんやりと窓の外を眺める。最近ではなかった寝起きの気怠い感じを不思議に思いながらリシテアは体を起こす。気分は最悪だった。頭痛が酷く吐き気すらする。
重い頭を抱えつつベッドから抜け出そうとしてリシテアは異変に気付いた。立ち上がろうとしても足に全く力が入らないのだ。訳が分からないとリシテアが混乱する最中、部屋に入ってきたのはマヌエラであった。
「リシテア、目が覚めたのね!! 良かった」
「マヌエラ先生? 私は一体」
「あなた訓練中に倒れたのよ」
「そう言えば……」
ここに来てようやくリシテアは自分が倒れてしまった理由を思い出した。体を貫く激しい痛み、気を失ってしまうほどの激痛、リシテアにとってそれは初めてではない。リシテアはそれまでに死の淵を彷徨う程の痛みを何度も経験していた。すべてが変わったあの日から。
「何日……経ちました?」
「……一週間よ」
「そうですか」
「リシテア……その……」
マヌエラはいたたまれない表情を見てリシテアは全てを察した。目が覚めるまでの一週間、記憶にはないがそれこそ生死を彷徨っていたのだろうと。
治療のためにあらゆる手を尽くしたに違いない。そうして九死に一生を得たという事は、正しく処置されたという事、言い換えれば原因を究明できたという事だ。それはリシテアが隠しておきたかった秘密を知られてしまった事を意味していた。
「……いえ、ここで話すべきは私じゃないわね。ベレト先生を呼んでくるわ」
マヌエラが部屋からいなくなり、リシテアは再度一人になった。
訪れた静寂の中、リシテアの気分は沈みに沈んだ。最悪と言っても良い。誰にもばれないよう、ひた隠しにしていた秘密を皆に知られてしまったショックは大きく、またそれが己の失態からによるものであるのが一層腹立たしい。
リシテアはどういう顔をしてベレトに会えばいいか分からず途方に暮れる。今自分がどうしたいかすら分からないのに、人とどう接するなんて考えられなかった。
しかし時間は待ってくれない。リシテアが覚悟する前にベレトは彼女の前へとやってきた。ベレトは相変わらずの無表情であったが、纏う空気がどこか重く、リシテアはベレトも真相を知っていると確信するに至った。
「気分はどうだ?」
「良い……とは言えないです」
重苦しい空気が二人を支配した。
「先生は知ってしまったんですね」
「ああ、あの時君の状態は普通じゃないのは分かっていた。君に紋章の姿がくっきりと浮かび上がっていた。それもいつも見ている文様と違うものが。だからマヌエラ先生だけじゃなく、紋章に詳しいハンネマン先生も呼んだ。そこで……」
「そうですか」
リシテアが隠す事をやめた事を理解したベレトはあえて核心へと切り込んだ。もうこの場に建前は必要ないのだから。
「紋章が二つ、ハンネマン先生はあり得ないと言っていたよ」
「意図的に体を弄ったりしなければ、ですよね?」
「……ああ」
それこそがリシテアの秘密であった。持ち主に特殊な力を与える紋章は本来血筋とも言ってもよく、代々親から引き継がれるもので、先天的なものである。しかしながら遺伝する可能性は高くはなく、両親が持っている紋章が子にも必ず発露するとはかぎらないという代物だ。
たとえ両親が別々の紋章を持っていたとしても、両方引き継ぐなんて事はまずないであろう。仮にあったとしてもただでさえ強大な紋章の力、それが二つともあれば負荷に体がまず耐えられない。
紋章の二つ持ちはどうあっても自然に発生するものではないのだ。だからこそ可能性は一つとなる。生まれた後に意図的に加えられたものであると。
「何時かバレるときは来る、そう思っていましたけど……」
「話してくれるのか?」
「むしろ私から聞きたいです。これから話すのは虫唾が走るほど酷い話になります。それでも先生は聞きますか?」
リシテアは密かに思っていた。ベレトは凄く良い人であるが世事に疎いと。何せ彼には誰もが持っている紋章に関する感情があまりにも薄い。傭兵と言う一つの場所に腰を落ち着けない特殊な事情だからこそなのか、普通であれば多かれ少なかれ紋章に関するいざこざはあってしかるべきなのである。
だがリシテアは別にそれを蔑む気持ちは毛頭ない。世事に染まっていないベレトだからこそリシテアは心を開けたのだから。
「ああ、頼む」
ベレトの返事はリシテアの予想通りであった。先生として責任感が人一倍ある彼の事、ここに来る前にすでに覚悟は決めていたのだろう。淀みない返事にリシテアも覚悟を決める。
「私の家元、コーデリア家は貴族ではありますが、父の代で内乱に巻き込まれたのです。その際不幸にも内乱を起こした側と繋がりがあった事から責任を取らされ、貴族として名を残すのは許されたものの、貴族としてのの力はすべて奪われました。その後私の家は帝国の監視下に置かれたのですが、程なくして怪しい魔導士達がやってきたんです」
リシテアはそこで一度言葉を区切り、ゆっくり目を閉じる。頭の中で当時起きた事を思い返す。そうして開かれた眼は淀んでいた。
「そこで行われたのは悪魔の実験でした。本来は先天的にしか得られない紋章を人に植え付けるという狂気の実験です。対象者は私含め、屋敷にいた若者全てです。そして生き残ったのは私一人でした」
「なんていう……どうしてそんな……」
ベレトは言葉に詰まった。戦いのスペシャリストで経験豊富なベレトは悲惨な現場を数多く知っていたが、人をモルモットのように扱う地獄は想像以上であった。
「リシテア、君は生き残っている。そして二つの紋章、君は……」
「ええ、私は紋章を宿す事が出来た唯一の存在でした。でもその代償がこれです」
そう言うとリシテアは己の髪を指さした。
「この色は本来の私の髪の色じゃありません。実験の後に代償としてこうなったのです。そして代償は見た目だけではありません。私は長く生きられないと宣告されました。ただそのおかげで私達コーデリア家は解放されたのです。奴らが求めたのは完全な存在でした。私は無事に生き永らえこそしましたが、奴らにとって失敗作だったのです」
ベレトの顔が歪んだのを見て、リシテアは彼がすべてを理解したのだと察した。
仮に実験が成功したとしよう。その場合リシテアは寿命は得られたであろうが、まだ利用価値があるとみなされていた可能性が高い。それはすなわち奴らの支配下から抜け出せなかったという事だ。そう、リシテアは己の寿命を犠牲に、ようやく自由を手に入れたのだ。
「ただただみじめでした。両親は泣きながら私に謝ってきました。力がなくて申し訳ない。守ってやれなくてすまなかった、と。でも私は知っています。あの時はどうにもならなかったと。私達に……私に道などなかった」
生まれや育ちは選べない。それはよく貧しさによる悲劇に使われる言葉であるが、貴族という上流階級だからこそ避けられなかった運命というのもある。世の皮肉がそこにはあった。
「紋章は強力な力となりますが、それ以上に厄介なもので、個人の意思で制御する事は出来ません」
同じ紋章持ちであるベレトは頷く。傭兵として戦闘を知り尽くした彼であっても、意図して紋章を発動できた事など皆無であった。ベレトにとって紋章は強力であってもあやふやなものでしかなく、到底頼れるものではなかった。
「今回はたまたま訓練の後でしたが、紋章の活性化による発作はいつも突然です。いつも、いつだって私の体は私が希望を持ち始めたときに裏切るんです。実はちょっと思っていたんですよね。このまま頑張ってしっかり健康になれば、耐えられるようになるんじゃないかと。紋章の暴走は起きなくなるんじゃないかと。でもやっぱり……駄目でした」
リシテアの自嘲めいた笑みは痛々しかった。
「何回騙されれば気が済むんでしょうかね。私……本当に馬鹿でした」
項垂れるリシテアにベレトは無言であった。しかしながらリシテアは答えは期待していなかった。これはどうしようもない問題であるから。
どうにもならないとしてもリシテアとしては、信頼しているベレトに身の上を聞いてもらえた事は思いのほか嬉しかった。話すだけでも楽になる、本当にそんな事があるんだとリシテアはその時初めて実感した。
「今後は治療法を探すのと授業を同時にやらなければならないな」
だからベレトのその言葉に耳を疑った。
救いは当に諦めていた。ここまで健康になっても意味はなかったのだから。にもかかわらずベレトは今後の話をする。
「先生、話を聞いていたのですか!? 私はどれだけ頑張っても長く生きられないんですよ! それなのにどうして……」
「答えは単純だ。リシテアは諦めていないから」
何の躊躇もなくベレトは断言して見せた。全く予想だにしていなかった答えにリシテアは心が波立つのを感じた。このままでは自分のすべてを暴かれそうで、怖くなったリシテアは必死に抵抗を試みる。
「さっきまでそうだったかもしれません。でも駄目だったんです! 先生も見たから分かるでしょ!? 医者に診てもらっても、紋章学者に見てもらってもダメだったんです。むしろ皆二つの紋章を羨ましがるくらいなんですよ!? 私の命なんかより紋章が大切なんです! こんな世界でどうしろって言うんですか!! こんな、こんな最低な世界で!!」
しかしいくらリシテアが拒絶するように捲し立てても、ベレトはビクともしなかった。ベレトは確信に満ちた視線でリシテアに問う。
「それでも君はここに来た。それは何故だ?」
「それは……」
「何故君はここに来た?」
「…………」
「生きたいと願ったからじゃないか?」
「…………」
「本当に諦めたのであれば君はここにいない。人は死ぬために努力などしない。人が何かするのはいつだって生きるためだ」
リシテアは何も言い返せない。ベレトの言った事はすべて真実なのだから。リシテアが心の奥に秘めた思いなのだから。
「ここは残酷な世界、そうなんだろう。人が物のように扱われる世界、そうなんだろう。それでも君はここに来た。リシテア、君は諦めてはいない。諦めきれない。だから俺は言う。どれだけ過酷な道だろうと。リシテア、君は頑張るべきだ。俺も一緒に頑張るから」
「先生、あなたは何を言っているのか分かっているのですか? 私と同じ境遇の人なんて誰もいない。答えなんて探しようがないんです。そんな中で直す方法を探すなんて何年かかると思ってるのですか? そんなものに付き合うっていうのですか!? 先に死んでしまうかもしれないのに? ふざけないで!! 私は同情なんていらない!! お願いだから、希望なんてもう持たせないで……」
希望なんて持つから絶望が大きくなる。期待するたびに裏切られて、今もまた裏切られたというのにそれでも希望を持てというのか、そんな残酷な話、もう耐え切れない。
リシテアの心からの叫びを受けても、ベレトは視線をリシテアからそらさず、彼女の思いのたけを正面から受けきった。
「リシテア、残念ながらそれは無理だ。俺はもう知ってしまった。知ってしまったからには助けたいと思う。君が嫌がったとしても。それをしなければ俺自身後悔するからだ」
お互いの主張がぶつかり合う。リシテアはベレトの事を尊敬しているし、優しい人であるとも知っている。だがその優しさが今は煩わしかった。
どうして放っておいてくれないのか。先生に期待している自分がいるのは事実、だからこそリシテアは余計に頼るわけにはいかないのだ。もしも次が駄目になったら、今度こそ駄目になってしまう。それが分かっているが故にリシテアは抵抗し続ける。
しかしリシテアの牙城はベレトの宣言によって呆気なく崩された。
「もしリシテアが本当に駄目だと思ったのなら、苦しみから解放されたいと思ったのなら、死にたいと思ったのなら、俺に言ってくれ」
「俺が殺してやる」
リシテアは絶句した。ベレトのそれはまさに究極の優しさであった。生きる事に疲れてしまった場合の唯一の救いは死である。体であれ心であれ、何かが致命的に壊れてしまった場合、元に戻る事は叶わない。そこまで落ちてしまえば死は救いとも足りえるのだ。
もしもリシテアがそこまで落ちそうになったら、ベレトが責任をもって殺してくれると言う。孤独ではなく信頼する他者によってもたらされる死、なんという甘美な言葉だろうか。
「リシテア、俺を君の人生に付き合わせてくれ。どのような結末であれ、俺は決して後悔しない」
「どうしてそこまで……」
「君は俺の自慢の生徒だからな」
冗談でも何でもなく、本気なのだろう。ベレトの妙な説得力はリシテアの心に染みわたった。我儘の限りを尽くしたはずだ。ただ授業をしてもらうだけでなく、食生活を管理してもらい、魔法職なのに剣術までも教えてもらった。金鹿の学級だけでなく、他の学級でも求められたら教えてしまうベレトは多忙極まりない。
与えてもらったものに対して、リシテアが返せるものはあまりにも少ない。それでもベレトは言った。言ってくれた。自慢の生徒だと。
「先生は馬鹿です」
「そうだな」
「大馬鹿者です」
「そのとおりだ」
「私、一度決めたらしつこいですよ?」
「分かってる」
「死ぬまでずっと付きまといますよ?」
「望むところだ」
もう我慢はいらなかった。余計なものはすべて取っ払ってリシテアは本音をベレトにぶつける。
「私、本当は生きたいです」
「ああ」
「生きたいんです!! でも何も見つからなくて。泣きそうな両親の顔を見るのが辛くて。諦めずに頑張ってもやっぱり駄目で……何度も何度も、何度も何度も……」
「リシテア、今までよく頑張ったな。これからは先生も一緒だ」
「先生……先生!! うわぁぁぁぁぁぁぁぁ」
ベレトの胸に顔を押し付けてリシテアは泣いた。それは今までの悲しみすべてを洗い流すかのようだった。
ありったけの涙を流し、感情の波が落ち着いてきたリシテアであったが、まだ疲労の色が濃く、安心したせいか、程なくして眠ってしまった。それを見届けたベレトが部屋から退出すると、クロードが壁を背に預けて待ち構えていた。
「先生、あんな約束しちゃって本当に良いのかい? お人好しなのは良いが、あれはあんたの今後の人生を左右する選択だぜ?」
「見てたのは知っていたが、隠そうとしないのは珍しいな」
「どうせバレバレだからな。あんたが本気だったら俺なんて速攻でとっ捕まっていたさ。でも何もしないって事は聞いていても構わないと俺は受け取った!」
「物は言いようとは言うが、ここまで堂々としているといっそ清々しいな」
「お褒めに預かり恐縮の極み」
クロードは大げさに胸に手をやって会釈をする。
「で、どうなんだい?」
「覚悟の上だ。紋章は俺の専門外、そんな俺にどこまでできるか分からないが、全力は尽くそう」
ベレトは相変わらずの即決であった。それまで陽気な雰囲気を纏っていたクロードだったが、不意に真剣な表情になり、ベレトに問いかけた。
「聞いても良いか? 何故あんたはそこまで生徒に尽くす?」
この人を見定めたいというクロードの勝負の問いかけ、それに対するベレトの答えは至極単純なものであった。
「それが『先生』と言うものだろ?」
何を当然な事を、と首をかしげるベレトにクロードは頭をかいた。人の心情を読むのに長けたクロードもベレト相手となっては形無しだ。裏を読もうとしても空振りばっかりで、今回も完全にやられた形となったわけである。
「……ったくあんたって人は」
「クロード?」
お人好しにも程がある。クロードはその言葉を飲み込んだ。あまりにもまっさらでベレトはさながら純粋無垢な子供のよう。だがその一方で戦いが何であるかここまで熟知している者もいない。隙だらけのようで全く隙がない、捉えどころのない人物像にクロードは振り回されっぱなしであった。
誤解なきよう言うとクロードはベレトの事が殊の外気に入っている。裏を探してしまうのは疑い深いクロードの元の性格もあるが、どうすればベレトを自分へと引き込めるかを探っている意味合いが強い。だがクロードはようやく悟った。この人にからめ手は通用しないと。
「あー、もうやめだやめ!!」
正面からぶつかる覚悟を決めたクロードはベレトに向けて啖呵を切った。
「先生、決めたぞ! あんたは今から俺の兄弟だ!」
いきなりの宣言に流石のベレトも困惑し、妙な沈黙が辺りを支配する。だがクロードにとってはこれこそが畳みかけるチャンスと受け取った。
「兄弟と言われても俺には姉や妹はいないぞ?」
「本物の兄弟になりたいという意味じゃない。要するに心の兄弟とか、そういうのだよ。俺はもうあんたを疑うのを一切やめる」
「ふむ」
「卒業した後はあんたを絶対雇って俺の片腕になってもらうからな」
「何とも急な話だが……さっきリシテアと話した手前、確約はできないぞ?」
「問題ない。俺が治療に対してもすべて援助してやる。俺自身はこんななりでも『家系』は結構凄いんだぜ。造作もない事さ」
「なぜそこまで俺を?」
「あんた自分がどれだけ優秀か気づいてないみたいだな。他の組長だって隙あらばあんたを狙ってるんだぜ? 俺が欲しがらない道理はないだろう。ただ俺の場合はあんたが優秀だからっていう理由だけじゃない。あんたが信用に足ると確信したからだ。あんたがリシテアに言っていたまんまだな。俺はあんたを得られないとなれば、それこそ一生後悔するだろう」
クロードは常々思っていた。人の縁こそ変えようのない何よりの宝だと。だからこそ誰が敵で誰が味方か、しっかり判別する必要がある、それがクロードの今の世で生きるための知恵であった。
そして目の前の存在は絶対に逃してはならない相手である。もしもここで失敗して敵として表れでもしたら目も当てられない。ベレトは大局を作用しうる稀有な存在だ。
クロード自身強欲である事は自覚している。クロードの目指している夢が苦難の道であるからこそ、ベレトを欲しているのだから。それはすなわちその苦難を半分負担してくれと言っているようなものだ。
それでもクロードが今このタイミングで勝負に出たのは、リシテアとベレトのやりとりを覗き見て確信に至ったからだ。今のセイロス教によって作られた社会ではなく、自分の夢に描いた世界こそ、二人は生きるべきなのだと。
「何より、あんたに見せたい世界があるんだ」
「見せたい世界? それは……」
「今はまだ半人前の俺じゃ口に出せたものじゃないが、絶対あんたは気に入る自信がある。間違いない」
この人を今の社会の常識で染めさせてなどなるものか。籠の中の鳥で終わらせるなんて事はしない。常識に染まらず、正しく物事を判断できる彼こそが、新しい世界で羽ばたける存在なのだから。
「俺の夢、俺が一人前になったときにちゃんと話すよ。その時改めてまたお前さんを誘うつもりだ。もちろんこっちも愛想を尽かされないよう最大限努力する。だから楽しみに待っていてくれよな、兄弟」
「君がそこまで言うとは逃げられそうもないな」
「おう、逃げられると思うな」
「分かった。楽しみにしているとしよう」
(6) ハンネマン
困難な道になるであろうとされたリシテアの治療方法の模索、それはあろう事か決意を新たにした翌日に呆気なく見つかった。ベレトとリシテアが驚嘆したのは無論の事、裏でこっそり聞いていたクロードですら目が点になったほどだ。
救世主の正体はハンネマンであった。彼はいわゆる紋章学者であり、今回紋章の暴走状態にあったリシテアを助ける上での立役者である。ハンネマンは初めこそ二つの紋章という状況に驚いていたが、状況を受け入れるのは誰よりも早かった。リシテアの症状は二つの紋章が同時発動し、一気に負荷がかかったからと推測した彼は、紋章を鎮静化する事に尽力し、事なき事を得たのであった。
もちろんベレトはハンネマンのやった事は覚えていたし、リシテアの今後のために彼の元へ通う必要があると思っていた。ベレトのイメージしていたのは処方箋を授ける医者と、それを貰う患者だ。
ハンネマンが適切な処置をしていく様子を直に見ていたベレトは、定期的に状態を見てもらってさえいれば、少なくとも学校に在籍中はリシテアの体調は安定するだろう、そう考えていた。しかしハンネマンがベレトとリシテアの前に持ってきたのはとんでもない代物だった。
「この腕輪はなんでしょう?」
「それは君の症状を改善するためのものだよ」
「これが……ですか?」
リシテアは興味深げに腕輪をいろんな角度から見ていた。デザインは女性のアクセサリーと言われても分からないくらい洒落ているが、うっすら魔力を感じる事から何かしらのマジックアイテムのようであった。
「それを持っている限りは君の紋章の暴走による発作は起きないだろう」
「……はっ?」
「今まであった体への負担も軽くなるから、寿命の方も前例がないから絶対とは言えないが、ある程度改善できていると思う」
「はぁっ!!?」
あまりにも衝撃的な事実にリシテアは開いた口が塞がらなかった。ベレトはベレトで一件無表情のように見えるが、よくよく見ると凍り付いており、瞬きを忘れている。今までどんな専門家に聞いてみてもダメだったのに、あっさり大丈夫と言ってのける髭の叔父様は何者か? 当惑する二人に対し、ハンネマンはどういう事か説明を始めた。
「先に誤解のないように言っておくと、これは君を完治させるものでは決してない。常に身に着けてなければ効果は発しないから注意したまえ」
「……分かりました。それでこれはいったいどういうものなのでしょう?」
「一言で言えば紋章の力を無力化するものだ。本来の用途は治療ではないのだがね。というのも実はこの腕輪は罪を犯した囚人用なのだ。元の見た目は手錠なので、女性が身に着けても変にならないようアレンジさせてもらったがね。出自があれなのは申し訳ないが、効果はすでに実証済みだ」
実証済みとの言葉でベレトは察した。
「まさかあの時」
「ああ、そうとも。リシテア君が倒れた時にした処置は実に簡単だ。これの元となった物を押し当てただけだよ。本来は紋章を無力化させることにより、投獄された囚人が、万一にでも抵抗できないように作られたものであるが、イチかバチか試してみたら暴走が収まったというわけだ。物は使い方次第という事だな」
リシテアにとってそれはまさに目からウロコであった。
「驚きました。そんなものがあったんですね」
「無理もない事だ。これは公にはなっていない技術であって、ここガルグ=マクでしか使われていないものだ。紋章に関しては今だ謎が多いが、ガルグ=マクには紋章に関して他国に伝わってない多くの知識と技術がある。だからこそ私は帝国を抜けてここで紋章学者になったのだよ」
それにしたってとリシテアは思う。あまりにも出来すぎた状況に喜びを通り越してしまい、ただただ途方に暮れる。どう感情を表現していいか分からないのは初めての事であった。それもそのはず、これからスタートと思っていたのにすでにゴールにいた、なんだそれはと思うのは無理もない。
「重ね重ね言うが君は完治したわけではない。だから『治った』ではなく、あくまで『時間』を稼いだ、と思っておいてほしい」
リシテアの今の心情を察してかハンネマンは念を押す。
「分かりました」
リシテアが頷いた後、ベレトは己に沸いた疑問について尋ねる。
「ハンネマン先生、ひょっとしてあなたは紋章の暴走の原因についても答えは出ているのだろうか?」
「これでも紋章学者を自称しているのでね。あくまで推測ではあるが、リシテア君に起こった紋章の暴走、それは本来あるはずのない二つ目の紋章に対して、リシテア君の体が拒絶反応を示したから起こったものだろうと私は思っている。免疫機能と言って、人は元から体に害するものを追い出そうとする機能が備わっているのだが、どうにもリシテア君の体は、本来彼女のものではない二つ目の紋章をそれと認識しているらしい。だが体が排除しようと動けば紋章は活性化する。紋章は意図的には発現できないが、生存本能に作用されるのか、主の危険を察知して発動する事も多い。しかしこの場合それがまずいのだ。体は発現した紋章を排除しようとさらに動く。紋章はそれが強くなれば強くなるほど反発する。体を守るための機能がお互いを攻撃し合う。これが紋章の暴走の正体だ」
仮説にしては非のうちようがない内容であった。だがリシテアは一つ解せない事があった。
「きっとコーデリア家で実験の犠牲になった人達のほとんどがそれで亡くなったのでしょう。でも私は生きています。紋章の暴走だって過去に何度か起きているのに、どうして私だけが生き残れたのでしょうか?」
「紋章にも人との相性があるのであろうが、リシテア君の場合は拒絶反応が出る事から合ってはいないと推測する。となると生き残れた理由は突出した魔法の才能があったから、であろうな」
「魔法が? どうして?」
「詳細は分かりかねるが、君が今回倒れた理由は一瞬で魔力を大量に消費したからだ。過去に何度か暴走が起こったと言っていたが、魔法の道を志してからは今回の件が起きるまで、倒れるような事はなかったのではないかね?」
「言われてみれば……」
「一方で体力的な疲労で暴走は起こっていない。君が体力を付ける訓練していて、疲労困憊になっていたのは私も知っている。そして今回の件との差はなんであるかというと、体力ではなく魔力を一瞬で大量に消費したという事だ。つまりは君は普段己の魔力を利用して、拒絶反応を抑え込んでいる状態だったのだろう」
「魔力が……私を守っていたのですか」
「過去に拒絶反応が起きて死を意識した際、咄嗟に魔力をそのように使うようにしたのだろうが、まさに驚異的な才能だな」
「意識してやったわけじゃないです。今初めて知った事ですし」
「幸運だった、としか言えないな」
ハンネマンの言葉にリシテアは頷く。他の者達だって生きたかったはずなのだ。もちろんその中には魔法の才能があった者もいる。リシテアだけが魔力をそのように扱えたのはただの偶然の産物に過ぎない。
「しかしながらそれは正常ではない。常に魔力を使うという状況は大きな負担となっているだろう。君にとっては当たり前だったのかもしれないが、君が特別体力がなかったというのは、常に疲れる状況に置かれていたからだ」
ハンネマンの説明を受けて、リシテアの中で今までばらばらであったパズルのピースが組み上がる。
「あいつらが私を失敗作と言った意味が分かってきました。あいつらが求めていたのは、仮初ではない本当の意味での二つの紋章の適合者、あいつらが私が短命であると言ったのは、私の体がどうなっていたか見抜いていたから」
リシテアは怒りに震えて拳をきつく握り締める。
「いつしか人は紋章を神聖視するようになった。金や権力では得る事が出来ないそれは正統な力の象徴に見えたのだろう。それこそ誰もがなしえなかった紋章を二つ持つ者は神とでも言いそうだな。実に盲目的過ぎる」
感情のない声で淡々とハンネマンは紋章について語る。ハンネマンは窓の外を眺めつつベレトに問うた。
「時にベレト先生」
「なんだろうか?」
「ベレト先生は何故私にすべて話そうと思ったのだ? 紋章学者に話すのは危険だとは思わなかったのだろうか? かえってリシテア君を危険にさらすとは思わなかったのだろうか?」
ベレトは迷いなく答えた。
「ハンネマン先生、あなたは俺をよく実験に誘ってきたが、それは強制じゃなかった。いつだって俺には選択権があった」
「そういう演技だとしたら?」
「違う。演技であればさりげなく自分が欲しい答えに誘導するものだ。それに」
「それに?」
「ハンネマン先生にリシテアを見てもらっていた時、あなたの表情を俺は見ていた。あの時あなたの顔は怒りに染まっていた」
驚きに満ちた表情を浮かべるハンネマンに対し、リシテアが言葉を引き継ぐ。
「その話を聞いて私も思ったんです。きっと今まで私を見てきた人達とは違うって。だから先生に話してくださいって言ったんです」
あの場で怒れる者であったからこそ信用できる。ベレトはその時ハンネマンが理不尽を許せない人であった事を見抜いた。そしてベレトは紋章の暴走について、二人だけで調べていく事に限界もある事も理解していた。故に包み隠さず話すと決めたのであった。
「くっくっく、参ったな。見られていたか。私もまだまだ甘いな」
あっぱれと言わんばかりにハンネマンは盛大に笑う。いきなりの事にリシテアは目を丸くするが、ベレトには分かっていた。今この瞬間、ハンネマンは何か覚悟を決めたのだと。
「世界は今だに神話に捕らわれている。私はそれが許せないのだよ」
言葉そのものは感情を感じさせない平坦なもの、だがハンネマンの瞳の奥は憎悪に満ちていた。まるで視線だけで人を殺せそうで、思わずリシテアの身をすくませる。それに気づいたハンネマンはいつもの理知的な姿へと戻った。
「すまない。怖がらせてしまったか」
「い、いえ」
「つい昔を思い出してね」
普段から紳士である事を崩さないハンネマンが見せた憎悪、リシテアはそこに自分の姿を見た。
「何か……あったんですね」
「ここまで来て話さないわけにはいかないな」
ハンネマンは一度言葉を区切り、髭を整える。ベレトとリシテアはそこに悲劇の重さを感じ取った。怒りに狂わないよう平静を務めつつ、ハンネマンはゆっくりと話し始めた。
「家族を、妹を失ったのだよ。人よりも紋章の方が価値のある、それが当たり前の世界だった。私の妹はその価値観によって殺された。私の家系は紋章持ちでね。両親が持っていた紋章を私も妹も引き継ぐ事ができた。紋章の価値を知っていた私達は初めこそ幸いと思っていたのだが、それこそが不幸の始まりだった。妹が貴族の中でも有数の良家へ嫁いでいったのだが、妹はそこで心身共にボロボロになって帰ってきたのだ。どうしてだか分かるかね?」
「……そういう事、ですか」
リシテアが答えにたどり着くにはそう時間はかからなかった。リシテアは知っているのだから。紋章崇拝をする貴族達の本音を。彼らが婚約する一つの大きな理由は紋章を引き継がせる事。すなわちハンネマンの妹に起きた悲劇とは
「子が引き継げなかったのですね。紋章を……」
紋章の遺伝は必ず起きるものではない。ハンネマンはリシテアの答えを肯定するように頷くと、深い悲しみをにじませながら話を続けた。
「生まれた子は人間扱いしてもらえず、また紋章持ちを生めない母は用済みとされた。妹は帰っては来たものの、世のすべてを信じられなくなっていた。家族である私達ですらも。そして妹は絶望の中で死んでいった。私はあまりにも無力だったよ。何故なら私も貴族であったから、他の価値なんて知りようがなかった。それが当たり前だと思っていた。だから妹を絶望から救ってやれなかった」
紋章至上主義、それは世俗に疎かったベレトには分からない世界であった。ベレトはこの学園に勤めるようになってから常々不思議であった。何故に父であるジェラルトは紋章の事を自分に話さなかったのだろうかと。だが二人の悲劇を知り、ようやくジェラルトの真意を理解できた気がした。
ベレトの持つ炎の紋章は紋章の中でも特に希少だ。そして二人の話を聞くに貴族は紋章の持つ価値に狂っている。死に物狂いで奪いに来るなんて、普通は馬鹿げた話すらもこれなら起こりうるはずだ。
つまりは守られていたのだろう。ベレト本人に知らされなかったのは万一に本人からバレるのを防ぐためであった。傭兵と言う一つの場所にとどまらない職業も、定住する事でバレる危険性を排除しきれなかったなのかもしれない。
(まったく父さんには頭が上がらないな)
己の持てる全てを持って守ってくれているジェラルトに心からの感謝をし、ベレトはリシテアの方を見る。そしてベレトは改めて彼女を救って見せると決心した。父が自分を守ってくれたように。
「後悔したよ。ひたすらに後悔した。でも時は決して戻ってはくれない。どれだけ嘆いたとしても。私は紋章学者を目指したのはそれからだ」
「いったいどうして?」
紋章によって悲劇をもたらされたのであれば、紋章にかかわるのをやめるべきであるが、ハンネマンはむしろその中へと飛び込んでいった。リシテアは常々『紋章なんてなければよかったのに』と考えていた故の疑問であった。
「私はね。紋章のすべてを解き明かしたいのだ。紋章は特別なものではないと証明するために」
「そんな事が、可能なのですか……」
「可能か、不可能かではない。やるのだ」
リシテアはハンネマンの描く壮大な夢に圧倒されていた。紋章から逃げるのではなく紋章を知る事でぶち壊そうというのだ。だからこそ紋章にあれだけの熱意をかけられる。リシテアでは思い至らなかった場所にハンネマンはいる。
「ベレト先生、リシテア君、私が君達と出会ったのは運命なのかもしれないな」
リシテアも同感であった。今の状況は偶然にしては出来すぎだ。そして誰一人として欠けていたらこの光景はなかったはずだ。同じ紋章による被害者であっても、ハンネマンとリシテアにとって紋章の事はお互い隠したい過去である。故に二人だけでは繋がらなかった。
差別を持たないベレトがいたからこそ内面をさらけ出せた。そして幸か不幸か、リシテア自身の油断があって、倒れたからこそこの場がある。思い出すのはリシテア自身がガルグ=マクに来る事を選んだというベレトの言葉。
すべてはここに来たからこそ起きた事。この奇妙で貴重な縁、会うべくして会ったと思うのは考えすぎであろうか? それを肯定するかのように、どん底にいたはずのリシテアにさらなる追い風が吹く。
「リシテア君、私も君の治療に協力しよう」
「え? ですが」
「私の夢は君の治療とも通じる。私の目標は紋章を誰でも道具のように扱えるようにする事。望めば誰もが紋章をつけたり、消したりできるようになる事だ」
「誰でも使えるようになれば……」
「そう、紋章は特別でも何でもなくなる。私が望んだとおりに」
紋章の世界からの脱却、それは世界を作り変える事に等しい。価値観の崩壊は貴族達からの強い反発を生むだろう。ハンネマンも貴族の出だからそれを理解しているはずだ。それでもやると決めたから、彼はこのガルグ=マクにいる。
きっとハンネマンは胸の内の怒りが燃え続ける限り、先へ進み続けるのだろう。そこに危険が待ち受けていたとしても。そしてリシテアにも気づいた事を、傭兵のベレトが気づかないわけがない。
「レアさん、セイロス教は紋章についてはどのように思っているのだろうか?」
「こうして私が秘密の一端を持っていてもお咎めなしなくらいだ。意外かもしれないが、セイロス教は紋章については特に重要視していないのだろう。紋章を神聖視しているのはどちらかというと貴族の方だ」
「いざという時のためにハンネマン先生には護衛が必要になるな」
「今のところは問題ないかと思うが、誰かに気づかれでもしたら確かに厄介かもしれないな。だが君は彼女の体調管理は続けてくれたまえ。いつだって体は資本だ。強い体になればなるほど生き残る可能性は高くなる」
「それはもちろんだ。代わりにジェラルト傭兵団から何名か用意しよう。警戒は常にしておくべきだ。ただ護衛する側としては護衛とバレていない方がやりやすい。ハンネマン先生にとっては、誰が守ってくれているか分からない状態で、ある意味監視に近い形になってしまうが良いだろうか?」
「私は研究の邪魔さえされなければ問題ない。宜しく頼む」
「了解した」
リシテアは目の前の光景が信じられなかった。自分を助けるためだけに協力してくれる二人の存在に心が震える。味方がいるのはここまで心強いのかとリシテアは思い知った。
「ああ、それとリシテア君」
「何でしょう?」
「その腕輪の効力で君は常に魔力を使う状態から解放される。結果、体の調子はより良くなるだろう。だがその代償として紋章は一切発動しなくなる。恩恵がなくなるのだ。注意したまえ」
それは貴族達にとっては絶望的な事なのかもしれない。だがリシテアが思うに紋章は人には過ぎたる力だ。強力であっても、魔法と違って自分で制御できない代物に何の価値がある? ただ背伸びをしたい者達の遊びに付き合ってなぞいられない。私は私自身の力で私の価値を証明する。
「むしろ望むところです。私は紋章があるから私なんじゃない。紋章がなくたって私は私です」
「うむ、間違いない。君は君だ」
リシテアの答えにハンネマンは満足げに頷いた。根本的な治療ではないとはいえ、紋章から解放される喜びは格別で、リシテアは強く拳を握る。病と闘う覚悟を新たにしていると、ふとドアが開く音が聞こえた。
「話はまとまったみたいだな」
「え、クロード!? 今の話を聞いて……」
「おう、全部聞いたぞ。頭に一字一句記憶した」
「な、ななな、なにをしてるんですかあんたはぁー!!?」
「そう邪険にしなさんな。リシテア、今からお前は俺に感謝する事になるぞ」
「はあ」
得意げに笑うクロードに怪訝な表情を見せるリシテアであったが、しばくのは何時でもできるのでとりあえずクロードの言い分を聞いてみようと思った。
「何せお前が倒れたのはすでに周知の事実なわけだからな。今まで誰が周囲に漏れるのを押さえていたと思ってる」
クロードの言葉にそう言えばとリシテアは考える。リシテアが倒れたのは訓練所で見ていたのはベレトだけではない。それに一週間も気を失っていたのだ。普通の出来事でないのは明白だ。知りたがりがいても不思議ではない。
「ま、そういうわけだ。情報統制役に級長という身分はちょうど良くてな。そのためには俺も事実を知っておかなきゃならんかった。どの情報を出してどの情報を隠さなければならないか。それを正しく判断するには正しい情報がないとな」
「私の事は皆にはどのように説明されているんですか?」
「ただの貧血って言えれば良かったんだが、寝込んだ時期が長すぎるし、お前が倒れた時に紋章が発現しているのは数人に見られている。だから紋章の暴走という情報は出さざるを得なかった。といっても他の紋章持ちには暴走は起きないから、リシテアだけが持つ持病という事にしてある。だが原因となっている二つの紋章について、その負担から来る寿命、暴走による死の危険性などについては伏せてある。だから復帰後皆から心配されるだろうが、過度な事はないはずだ」
「なるほど」
本命を隠すために真実を織り交ぜる、クロードの行った事は実に適切であった。嘘のみで固めると流石にぼろが出てくる可能性が高いため、出しても良い真実は出してしまった方が良いのだ。
「一方で貴族達からの評判は地に落ちたと言ってもいいだろう。問題ありの紋章持ちって事になったからな」
「余計な虫がつかなくなって清々しますね」
一刀両断するリシテアにクロードは肩をすくめた。
「まあお前からすれば貴族達からの評判はどうでも良いか」
「全くもってかまいません」
むしろ最高だとリシテアは思った。これまで貴族の家系の生徒達の誘いは何度かあったのだが、いちいち角が立たないように断るのは非常にめんどくさかった。個人の問題で済むのなら、しつこい奴はぶっ飛ばして終わるのであるが、なまじ権力がある故、敵対すれば後々苦労するわけで。
「これで今まで以上に勉学に集中できますね」
実にリシテアらしい反応に一同頬を緩めた。
「だがその前にやらなければならない事が一つある」
「何でしょう?」
「俺らの学級はどういうわけか世話焼きが沢山いるからな。いい機会だ。心配かけた分は甘やかしてもらえよ」
「普通、恩返しとかじゃないですか?」
「だからこそ世話を焼かしてあげるんだろうが。あいつらそれが一番喜ぶと思うぞ」
ここで確かにと納得してしまうのが金鹿の学級たる所以である。妹がいるラファエル、姉御肌のレオニー、面倒くさがりの様で世話を焼かずにはいられないヒルダ、ぱっと思いつくだけでこれだけだ。復帰一日目はとんでもない事になりそうだと苦笑した。
しかし特別嫌な気がしないのは、彼らは貴族のリシテア=フォン=コーデリアではなく、リシテア本人を見ているからであろう。
「えっと、その……ありがとうございますクロード」
リシテアは帰る場所を整えてくれていたクロードに感謝を告げる。するとクロードは満足気な笑みを浮かべた。
「ほら、言ったとおりになっただろ? 俺も一応は級長だ。二人ほど力はないがこれくらいはするさ。まあ俺は二人ほど純粋な善意じゃないけどな。この貸しはいずれ返してもらう……ってどした?」
きょとんとしたリシテアを見てクロードは首をかしげる。ここはクロード的にはツッコミを入れてもらうところなのだが、皆の予想外の反応に戸惑いを隠せなかった。
「こうしてみると案外クロードって演技が下手なんですね」
「俺もそう思う」
「んなっ!?」
リシテアの指摘にベレトも続く。生徒と先生の2連携にクロードはあっさりと抜け目のない男という仮面を取っ払らわれた。
「自分を悪く見せようとしているみたいですけど、本当に悪い人は逆にこの場では善人振るものですよ?」
「自分の力をそれほどでもないっていう謙遜も『悪い人』はしないな」
「よく言動に行動が伴っていないってのはありますが、クロードの場合、行動に言動が伴ってないですね」
二人の止まぬ追撃にクロードの顔はみるみる赤く染まっていく。悪意には強いクロードも好意には存外に弱かった。
「彼もまだまだ若いって事だよ」
それまでの緊張感はどこへやら、ただの紳士と戻ったハンネマンもその言葉がトドメだった。クロードはむず痒さでもう辛抱ならんと頭をかきむしった。
「あー、まったくもう調子が狂うぜ!! 兄弟、あんたの観察眼がリシテアにも移ったのか? 弱っているどころか強化されてるじゃねえか」
「今の私は仮とは言え呪いから解放されていますからね! 当然です! ところで兄弟ってなんですか?」
「ん? それはだな……」
「ちょーっと待ったぁぁぁ! それはここで話すな」
クロードはあっさりと答えそうなベレトにストップをかける。別にやましい事はないが、あの時のこっ恥ずかしいやり取りを他人に話されるのは、クロードとしてもたまったものじゃない。
「でもクロード、あんたが言い出しっぺじゃないですか?」
「それはそうなんだが!!」
「……スウィーツのフルコースで手を打ちましょう」
「そこでたかるとかお前逞しくなりすぎ!! こうなったら皆にある事ない事吹き込むぞこら!!」
「クロードは『良い人』ですからね。信頼してますよ」
「その妙な持ち上げはいい加減やめてくれ! むず痒くなっちまう!!」
漫才のような二人のやり取りにベレトは微笑む。いつもはクロードにからかわれるリシテアという構図であったが、今回に限ってはリシテアの方が一枚上手である。ここぞとばかりに反撃するリシテアにクロードは防戦一方だ。
ベレトの目の前にいる二人の生徒は賢い子達だ。クロードはあえてからかわれ役を演じている面もあるのかもしれない。一方でリシテアもクロードの意図を裏では知っているのかもしれない。
きっと二人はこの場には笑いがふさわしいと考えている。笑顔こそが明日への活力となる。些細な不幸なぞ笑って吹き飛ばしてやればいい。今の二人の間にあるのは信頼、身分関係なく信頼をもってお互いを助け合う。それはベレトが好きないつもの金鹿の学級の光景であった。
「ベレト先生、あなたの生徒達は本当に良い生徒達だな」
「ええ、本当に」
ベレトは本心からそのように言った。
(7) 金鹿という学級
「おかわりください!」
「うむ」
小柄な体のどこにそれが入るのか、リシテアは満面の笑みを浮かべ、空の皿をかかげる。
「オデもだ!! おかわり!!」
「分かった」
それに対抗するのは金鹿の学級で屈強な体を誇るラファエルだ。お代わりを望む二人にせっせとご飯を装うベレト、最近では定番になってきた光景であった。
大柄なラファエルはともかく、その半分くらいのサイズのリシテアが同じくらい食べ、良い勝負しているのはなかなかに面白い。
ベレトの料理は最初はリシテアと、ちゃっかりご相伴にあずかっていたクロードのみの特権であったが、どこからか彼の料理の評判が漏れた事で、今では生徒全員に振る舞われていた。
しかしながら流石に量が量故、ベレト一人ですべて作るのは無茶な話で、毎日ローテーションで生徒から二名手伝う事になっている。
ちなみに今日の手伝い役の一人はイグナーツである。商家出身の彼は手際が良く、適切なタイミングで飲み物が注がれる。そのため金鹿の食事はノンストップであった。訓練が全力であれば食事も全力といった感じとでも言えばいいか。ただの食事であるはずなのに真剣味が凄い。
生徒は基本的に食べ盛りだ。訓練後は何時だって腹ペコの彼らにとって、旨い飯は何よりのご褒美なのである。訓練後に手伝いは体力的にきついが、それでも旨い飯は大正義であった。
「何と言うか、先生と言うよりもおかんだな」
「クロード君、それあたしも思った!」
皆の食事を世話をするベレトの姿を見ていて、ヒルダが賛同する。エプロンしてしゃもじを持つ姿は傭兵にはとても見えない。意外にフリフリエプロンとか似合うんじゃなかろうか。これで洗濯とか掃除をやっていたら、完全に母親そのものである。
昼の訓練時はやったらスパルタであるが、夜のおかん力も尋常じゃない。今や金鹿の皆は例外なく胃袋を掴まれてしまった。完全無欠の引きこもりであるベルナデッタが、食べるためだけに外に出てくるといえば、その凄さが分かるであろうか。
マヌエラもハンネマンも個性的ではあるが、ベレトは頭一つ抜けていて、授業後に皆集まって仲良く食事なぞ、つくづく異例な学級であった。
ただ実のところ、クロードは前よりも今の光景の方がしっくり来ていた。学級の皆が実に自然体なのだ。慣習に倣って見ればおかしくても、金鹿の皆が望んでいるのはまぎれもなく今の光景だ。
「まあ、悪くないよね。周りから見れば変かもしれないけれどさ」
ヒルダの言った事はクロードの内面を代弁していた。
「ああ、悪くない、な」
釣られて発してしまった言葉にクロードは驚く。ひねくれ者の自分が、素直に内心を吐露するなんて今まであり得なかった事だ。変わりゆく自分がおかしく、クロードはリシテア復帰直後の事を思い返した。
リシテアが戻ってきた時、それはもう凄まじかった。最年少というのもあるだろうが、何より金鹿の学級の皆は彼女の努力を知っている。
貴族、平民問わず、皆の目にはリシテアの全力を尽くす姿は好ましく映っており、リシテア自身が思っている以上に、金鹿の皆は彼女の事を気にかけていた。
矢継ぎ早に声を掛けられ、もみくちゃにされるリシテアを見て、クロードはやっぱりこうなったと笑っていたが、よくよく考えればそのように予測していた事自体が、今までのクロードからすればあり得ない事であった。
他人は所詮他人、完全に心を許してはいけない。そんなかつての自分自身が今の自分を見てどう思うだろうか? 甘くなったのかもしれない。それでもまあいいか、と思ってしまうのだからこの金鹿の学級は始末が悪い。卒業後も皆と付き合っていけたら良いと、そんな事を思わされる日が来るとは思いもしなかった。
絆されたのはクロードだけではない。それからも皆に甲斐甲斐しく世話をされていたリシテアであったが、とある日に彼女は大きな勝負に出た。己の症状について学級の皆にすべて話したのだ。
リシテアの過去を知った時の皆の反応は、怒りを示す者、悲しみでうつむく者など様々であった。だが表情には見せども言葉が出てこない。同級生に起きていた悲劇と、紋章という存在の業の深さ、価値観をひっくり返すには十分で、感情に言葉がついてこなかったのだ。
クロードはこの重苦しい空気をどうするかとベレトに視線を送るが、ベレトは何もするなと首を振る。真っ先に声を上げたのは意外にもローレンツであった。
「貴族は……貴族は紋章があるから貴族ではない。領民に尽くし、良きリーダーであればこそ貴族は貴族足りえるのだ。僕は紋章があるから優れているなんて認めない! 人として素晴らしいからこそ優れていると言えるのだ!!」
ローレンツは貴族としての誇りを強く持っていたため、クロードとしては一番どう出るかが分からない存在であったが、その誇りが欲と権力にまみれたものではなく、熱き思いであった事に驚きを隠せなかった。
「……あたしの兄さんってさ。紋章は持ってないのだけど、同盟随一の勇将って言われてるんだよね。そしてそれは頑張って、必死に頑張って得たもの。紋章がどうかとかじゃないよ!」
「ベルはベルであるというだけじゃ駄目なんですか? リシテアさんはリシテアさんじゃ駄目なんですか? 貴族と言う価値がなければ、紋章と言う価値がなければ駄目なんですか? どうして皆力にこだわるんです!? そんなんだからベルは! ベルは!!」
ヒルダとベルナデッタも後に続く。リシテアほど悲惨ではないにしろ、二人も貴族や紋章について、昔から悩んできた者達であった。
紋章がないからと馬鹿にしていた者達を、実力で見返したホルストはヒルダにとって自慢の兄であり、またコンプレックスの象徴でもあった。紋章なしの兄がここまでなら、紋章持ちの妹はどれほどか、その期待の眼差しがただただ怖かった。勝手に期待して勝手に失望する、なんて身勝手な奴ら。
ベルナデッタは帝国でも有数な貴族であり、紋章も持っている。だが彼女には紋章持ちの貴族としての、強者としての振る舞いが出来なかった。親が与えた世界で居場所を見いだせなかったから引き籠るしかなかった。
「リシテアさん、質問があります」
珍しく皆の場で声を上げたマリアンヌであったが、その顔はいつも以上に悲痛な表情であった。
「なんでしょう?」
「……どうして話そうと思ったのですか?」
隠しておく事もできたはずである。クロードが作り上げたもっともらしいウソは確かに成功していた。それなのにどうしてわざわざ話したのか、マリアンヌは聞きたかった。リシテアは思案顔になったが、答えは思いの他早く返ってきた。
「なんか、馬鹿馬鹿しくなっちゃったんですよね。己を不幸だと一人で嘆いている事が」
「そんな事……」
「これ、見てください」
「腕輪、ですか?」
「たったこれだけで私の病気って治っちゃうんですよ?」
「え?」
「実際は症状の抑制なので根本的な問題が解決するわけではありません。ですがこれを装着しているだけで普通の人と同じ暮らしができるようになるんです。こんな、ちょっとした重さを我慢するだけでいいんですよ? 笑っちゃいますよね」
リシテアはおどけた様に腕輪をした腕をブンブン振って見せる。全く今までの苦労は何であったのか。運命があっさり覆された衝撃は今でも忘れられず、リシテアは笑わずにはいられない。
「私はこういう成り立ちですから人を疑う事が普通でした。ヒルダやベルナデッタが悩んでいたように、世界は偏見で満ちています。ほんとどこもかしくも嫌な人だらけ。でも、だからこそ信頼出来る人をきちんと信頼する事が大切なんです。私はそれに気づけました」
「信頼する事……それで何かが変わるのですか?」
「私がこの腕輪にたどり着いたのは先生を信頼し、また先生が信頼したハンネマン先生を信頼したからです。でも正直腕輪はさほど重要じゃないんです。先生たちは私をただのリシテアと見てくれました。私にとって一番大事なのはそこ。紋章をなくしてしまえばいい、そう言ってくれたからこそ、私は心が救われました。例え腕輪がなかったとしても、私の意思は揺るがなかったでしょう」
マリアンヌの2度目の問いに対しても、リシテアの答えは明瞭であった。ポジティブな姿勢を崩さない彼女に、マリアンヌは激しく感情を揺さぶられ、顔が歪む。
「それからしばらくしてふと思ったんです。では皆はどうなのかと。皆こんな生意気でしかない私に良くしてくれます。倒れたときは本気で心配してくれました。だから決めたんです。知られちゃってもいいやと。私はこの学級を、金鹿の学級の皆を信頼しようと」
「信頼したからって信頼されるとは限らないじゃないですか。勝手に事情を押し付けて……そんなの、ただの自己満足です。そうじゃないと私は……」
最後まで言い切る事なく、マリアンヌはうつむいて唇を噛み、肩を震わせる。マリアンヌの様子を見たリシテアは悟った。彼女も絶望に染まるような何かをかかえているのだと。リシテアは自分が一番不幸だと思っていた。だがふと周りを見回すと世界は不幸で溢れていた。
不幸に慣れてしまっている者が這い上がるのは並大抵の覚悟ではできない。心の中で葛藤しているのだろう。私の決意が彼女に勇気を与えてくれますように、そう切に願ってリシテアは言葉を続ける。
「そうですね。勝手に期待して、勝手に失望して……押し付けられるのは私もごめんです」
「だったらなぜ!?」
「だって人って群れなきゃ生きていけないじゃないですか」
リシテアの人生全てを込めたその言葉は、マリアンヌの強固な心に突き刺さった。最年少であるはずのリシテアの顔は酷く大人びて見え、一種の世捨て人のような雰囲気すら感じさせる。
「私は思い知りましたよ。かつて色んな人に裏切られてきました。だから一人で頑張ろうと思いました。でも私がいくら努力しても何も変わらなかった。一人じゃ何もできなかった。世界はひらけるどころか狭くなるだけだった」
頑張っても追い詰められていくかつての自分を思い出し、リシテアは物憂げな表情を浮かべる。
「どれだけ酷い世界であっても、人は孤独になってはいけないんです」
それこそがリシテアの得た一つの答えであった。
「確かに皆に話したのは正直、私の自己満足です。わざわざ知りたくもないであろう重い話を聞かせるのですから。助けてもらいたいって気持ちがゼロだとは言いません。ひょっとしたらまた何か見つかるかも、っていう打算的な私ももちろんいます。でも私が話したかった一番の理由は、助けてほしいのではなくて、知ってもらいたかったんです。私が堂々と生きられるように」
リシテアの言葉は多くの者の胸を打った。皆多かれ少なかれ悩みは抱えているが、そのすべては結局のところ、『堂々と生きたい』それに尽きた。
「私は皆に心配して欲しいのではなく、それに負けない自分を見てもらいたい。変な話ですけども感謝している分もあるんですよ。私を不幸にしたのは紋章ですけど、だからこそ私はここに来れた。先生に会えた。皆に会えた。信頼できる人達に出会えた。過去に何も起きなかったら、私は今も自国の領内で平穏に過ごしていたのでしょう。それはそれで幸せだったのかもしれませんが、少なくとも私は『平和に過ごした私』ではなく『今の私』の方が好きです」
過去の不幸もひっくるめて己が好きと言うリシテアは底抜けに明るく、悲劇のヒロインの姿はどこにもなかった。
「私は自分に起きた不幸を笑い飛ばしてやりたい。あんたの言いなりになるもんかって。だから皆私には今までと同じく普通に接してください。大丈夫です! 腕輪のおかげで私の寿命は延びました。原因だって分かったんです。ここまでくると後は時間の問題。体の事は絶対治して見せますよ!!」
皆の前で堂々と宣言したリシテアは今、元気にラファエルの隣でご飯にがっついている。いつしか周りからは生徒達の声援が飛び交っており、金鹿の学級の最大と最小の勝負を見守る。
リシテアの事情を知った後、金鹿の学級の中で何かが劇的に変わった、という事はなかった。本人が心配いらないと言っていたのもあるが、それを証明するかのように元気だったので、気の使いようがなかったのだ。
そもそもリシテアの体の事は素人の生徒達がどうにかできるわけでもない。ヒルダやベルナデッタが抱えている問題だって、結局のところ、今の価値観を生んでいる社会によって引き起こされているもので、子供に分類される生徒の身分ではどうにもならない部分である。
それでも些細な変化はあった。金鹿の学級はかねてから生徒同士の仲は良かったが、今はより近しくなっていた。今までは仲がいいとは言っても貴族と平民、紋章持ちと紋章なしでは、お互いタブーに触れないよう、気を使い合っていた部分があった。
それがもはや互いに無遠慮だ。特に顕著なのはローレンツかもしれない。リシテアの告白の時に見せた怒りの怒号は、どちらかというと-であった彼の貴族に対する拘りを+に転じさせた。
彼の貴族の誇り談義はあしらわれる事が普通であったが、今はそれがなくなり、話しかけられる事も増えている。当の本人は困惑していたが、彼のようなまともな貴族の方が少数だったのだから仕方がない。
今の金鹿の学級は無数の価値観を共有できる学級となっていた。奇しくもクロードが望んで止まない世界がそこにはあったのである。それをはっきりと自覚したクロードはもう動かずにはいられなかった。
「先生、俺にもおかわりくれよ」
「およよ? クロード君も参戦?」
「二人の様子見てたら腹が減ってしょうがない。たまには参加してみるのも一興ってな」
「よし、ここで男を見せてよクロード君」
「おう、まかせとけ!」
「ならば僕も参戦しようではないか!」
リシテアとラファエルの勝負にまさかの級長の電撃参戦、そこに張り合おうとローレンツが続く。
「じゃあ僕は審判やりますね」
ここで参加ではなく裏方をやるのがイグナーツである。いつもなら参戦していた彼は、今日のところは己の仕事である手伝いに徹するようだ。
ヒルダは楽しそうに二人を見送ると、勝負事が好きであるはずのレオニーに声をかける。
「レオニーはこの勝負やらないの?」
「あー、やりたいのは山々なんだけどさ? その、体重が……さ?」
苦笑するレオニーの横で戦々恐々としているのはベルナデッタだ。
「先生の料理は悪魔です! なんでただのお米だけであんなに美味しいんですか! 傭兵って一体なんなんですか!?」
「エプロンが妙に似合ってるのがまた、な。女っぷりでも負けてると思うと複雑な気分」
騎士を目指していると言っても女の子、体重は気になるお年頃である。沢山食べても全く太らないリシテアは羨ましい限りであった。体重を気にしている二人に忍び寄るのは、えらくごつい物を持っているマリアンヌである。張り付いた笑みが何とも不気味だ。
「ベルナデッタさん、痩せるのに良いものあるのですが」
「マリアンヌさん!? なんでそこで鉄の斧をベルに持たせようとするのですか? というか何で今持ってるんですか!?」
「いえ、重たい武器の素振りはなかなか良い運動なんですよ」
「そういうのは同じ接近戦で槍を扱っているレオニーさんに言ってくださいよ! なんで弓使いのベルなんですかぁぁぁ!?」
「普段使ってない人こそ効果があるんですよ。思わぬ才能が開花するかも」
なんとも無茶苦茶な屁理屈であった。実際にそうして開花したリシテアがいるにはいるが、普通は弓使いに斧を持たせようとは思わない。そんな無茶苦茶な指示を飛ばすのは一人しかいない。プライベートでは優しくとも訓練では鬼のあの人だ。
「マリアンヌさん、あなたさては先生の回し者ですね!!」
「……是非、鬼神の一撃を目指してくださいね。今後私があなたの訓練パートナーとなりますので。傷を負ったらばっちり回復しますよ」
にっこり微笑む姿は清楚なイメージからかけはなれた悪魔そのもの。先のリシテアの告白で思うところがあったのか、最近はっちゃけてきたマリアンヌはただただ恐怖で、ベルナデッタはたまらずヒルダに泣きつく。
「ひ、ヒルダさん助けてくださぁぁぁい」
「あ、ベルちゃん前衛に行くならあたし後衛になるね」
しかし彼女も無慈悲だった。
「こんちくしょぉぉぉぉぉぉ!!」
日常は慌ただしく過ぎていき、その中でリシテアは今まで以上に活発になっていった。ハンネマンの腕輪の効果は抜群で、紋章が使えなくなるデメリットよりも、体に負担がかからなくなったメリットの方が大きかったのである。
紋章なんてまがい物に頼らないで、自分自身の力をつけると、明確な目標を持ったリシテアのモチベーションは常に高く、めきめきと力をつけていった。
魔法のみならず、剣術の訓練ももちろん続けており、リシテアは己の編み出した戦法をひたすら磨き、とうとうその実力は武術大会の剣部門、金鹿の代表に選ばれるまでになった。金鹿の学級で行われた選考を兼ねた模擬試合ですべて勝ち残り、正真正銘己の実力でもぎ取ったものであった。
大会当日の朝、リシテアは皆から盛大に見送られ、控室で出番を待つ。剣を使うには力がいるため、体格に勝った者が多く集う。その中で一際小柄なリシテアはかなり目立っていた。信じられないものを見るように目をこする者までいるほどだ。皆の奇異の視線を集めるリシテアにベレトが声をかける。
「リシテア、大丈夫そうか?」
「その、緊張はあるにはあるのですが、思ったほどじゃないんです。こういう視線が向けられるのは分かっていましたから。昔ならともかく今の私には些細な事ですよ」
「なるほど、頼もしい限りだ」
「先生」
「なんだ?」
「今の私はどのように見えますか?」
リシテアの問いに対してベレトの答えはいつもどおりであった。
「リシテア、君は何時だって俺の自慢の生徒だ」
満点の解答にリシテアは笑みをこぼした。あの病室でのやりとり以来、リシテアはベレトからこの言葉を引き出すのを好んでいた。そう、ここでは貴族のリシテア=フォン=コーデリアは関係ない。紋章があるかないかも関係ない。ただの金鹿の学級の生徒、リシテアとして勝負に挑む。
「ええと、金鹿の学級、リシテア=フォン=コーデリアさん。次の試合になるので会場前で待機していてください」
そしてとうとう出番が来た。リシテアは気合を入れなおすように、己の両頬を叩いて立ち上がった。
「自信を持って行ってこい!」
「はい!」
さて只の小娘と侮っている連中の度肝を抜こうか。
後の結果は知ってのとおりだ。リシテアは晴れの舞台で次々と勝ち進み、決勝までたどり着いたのであった。
(8) 未来への夢
「エーデルガルト様、此度の武術大会はお見事でした」
「ありがとう。たまにはこういうのに参加するのも悪くないわね」
優勝した喜びもつかの間、早々に私室に戻ったエーデルガルトは書類仕事に勤しんでいた。級長である以上に皇位継承者である彼女は多忙だ。会話はしつつも目線は書類にあり、流れるような動作で筆を滑らせる。
「してどういう意図があったのですか? 貴方様が強いのは分かり切った事です。それでも参加したという事は、武力を示す以外に何かあったと愚考しますが」
ヒューベルトの質問に対し、エーデルガルトの筆を止める。そして何を思ったのか、エーデルガルトは窓の外を眺めた。しかしそれからいくら待っても返事が来ず、いよいよヒューベルトが諦めようとした時、エーデルガルトはゆっくりとその口を開いた。
「……あの子が参加すると知ったからよ」
「リシテア=フォン=コーデリアですか。察してはいましたがやはりあの者は……」
「私も半信半疑だったわ。このフォドラの地に白い髪なんて早々にいないから。 確信に至ったのは一度彼女が倒れた時よ。クロードは紋章の暴走と言っていたけれど、あれは間違いなく紋章の拒絶反応。拒絶反応が起きるという事は彼女も私と同じ。紋章を移植され、生き残った存在。今コーデリア家の資料を送るように指示しているけども、正直見るまでもないわ」
エーデルガルトの話を聞いて、ヒューベルトは早速その先を読む。ヒューベルトも試合を見ていたが、リシテアの才能は特筆すべきものがある。エーデルガルトが直々に実力を測るくらいだ。となると考えられることは二つ。
「引き入れるおつもりですか?」
「いいえ」
「では殺すおつもりですか?」
「いいえ」
エーデルガルトはどちらでもないと言う。頭が切れるヒューベルトであったが、今のエーデルガルトの考えは全く読めない。悩むヒューベルトに対し、エーデルガルトは実に晴れやかな表情で告げた。
「ヒューベルト、喜びなさい。もはや私達の勝利は必然よ」
「ハッ! せやっ!」
訓練場に今日もまた威勢の良い声が聞こえる。自己鍛錬しようと思って足を運んだベレトであったが、先客である白髪の小柄な少女を見て顔をほころばせた。
「リシテア、自主練か? 精が出るな」
「先生!」
「ちょっと俺も気になるところがあってな。忘れないうちに確かめに来たんだ」
ベレトは訓練剣を手に取ってリシテアの横に陣取ると、自身も打ち込み台に打ち込み始める。一方でリシテアは一度打ち込みをやめ、ベレトの鍛錬内容に集中し、見て学ぶ方向へとシフトした。
ベレトの強さは初めて会ったときから凄まじかったが、ベレトの得意武器である剣を学ぶようになってから、リシテアは彼の強さを理屈で理解できるようになっていた。
動きの一つ一つが洗練されていて、一振りの重さがまるで違う。純粋な剣術であれば、雷霆と呼ばれるカトリーヌの方が上だろう。だが対応力ではベレトの方が勝る。
危機察知能力がずば抜けていて不意打ちはまず受けないし、数多くの実戦経験に基づいた徹底した間合い管理は難攻不落だ。それを証明するかのようにベレトの打ち込みはかなり特殊であった。
何回か普通に打ち込んだ後は、立ち位置を変え、いろんな角度、距離から打ち込む。初めてリシテアがベレトの訓練を見た時は、状況事を想定してやっている事はすぐに察したが、具体的に何であるかは分からなかった。だが成長した今なら分かる。
今日のベレトは中距離を重視していた。横に体を翻し、一歩大きく踏み込んで斬撃を放つ。突きを回避してからの飛び込み、つまり今回のベレトの想定敵は槍である。
ベレトの動きはリシテアから見て十分早いが、彼の表情はどこか不満気だ。何回か繰り返すうちにベレトは横への動きを小さくしていく。回避の隙を短くする事で事で、前進する速さを上げる算段のようであった。
攻撃寄りにシフトしていった事で鋭さはさらに増していくが、それはリスクを上げる事に他ならない。僅かでも読み違えれば凶悪なカウンターを受けてしまう事になる。
ベレトがそこまでぎりぎりの勝負を望まなければならない槍使い、リシテアには一人心当たりがあった。
「先生の想定相手はジェラルトさんなんですか?」
「…………」
「あ、いえ、何でもないです!」
何も答える事なく固まってしまったベレトに、リシテアは変な横やりを入れてしまったと慌てて訂正を入れる。だがリシテアの想像とは逆で、ベレトの沈黙は正解を当てられたが故のものであった。
「驚いたな」
ベレトは打ち込みをやめてリシテアの方に向かい合う。
「リシテアの言ったとおりだ。この前久々に父さんと訓練する機会があってな。槍の間合いからずらしたくても、なかなか近寄らせてもらえなくて、今どうしようか試行錯誤しているんだ」
「私達が束になってもかなわない先生が近寄れないってどれだけ強いんですか。正直想像もつかないです」
「力をとっても速さをとっても強いんだが、一番恐ろしいのは技だな。出所がつかめないんだ。読めないから遅れるし大きく回避せざるを得なくなる。だがそうすると攻撃に全く移れない」
「事前動作は盗めないのですか? 最初は分からずとも繰り返し受けていれば」
「それをするには技の引き出しが多すぎるんだ。父さんは同じ技は決して連続では繰り出さない。答えを解く前に次の問題を吹っ掛けられてしまう」
「流石は先生のお父様、徹底してますね」
ベレトから聞くジェラルトの異常なまでの強さに、リシテアは乾いた笑みが出てくる。見る力に優れ、間合いの鬼であるベレトに、読みきらせない多くの技を持つジェラルト、まさしくこの子にしてこの親ありだ。
「でも先生楽しそうです」
「そうだな。目標があるって事は悪くない。相変わらず散々ではあったが前よりは戦えた。自分の成長を実感できるのは嬉しいよ。だがな」
「なんでしょう?」
「最近になってやっと分かったんだが、人の成長を見る事ができるは自分の成長以上に嬉しく思う。リシテア、君は本当に強くなったな」
「先生……」
「正直自信はなかったんだ。傭兵の俺がいきなり教師なんて。だが皆ただの素人の俺についてきてくれた。慕ってくれた。それだけで十分なのに結果も残してくれた。皆が成長してくれるほど、俺は先生として自信が持てた」
ベレトのまさかの言葉にリシテアはむずがゆくなる。
「そして今君は俺の剣の話を理解出来るほどになって、相談にも乗ってくれている。それはとても幸せな事だなと」
「それは当たり前ですよ。先生が良かったですから」
リシテアは意趣返しとばかりに反撃する。
「先生がちゃんと見てくれるから皆張りきっちゃうんです」
ベレトが担任になる前の金鹿の学級を知るからこその発言であった。リシテアはそれまで誰かに見てもらっていた方が、力を発揮できるものとは知らなかった。自分の成長を喜んでくれる人がいる、そこから生まれる嬉しさと活力は苦難をものともしない。
リシテアは思う。教え方ももちろん重要であるが、生徒を見る事こそが教師の本質ではないかと。しっかり見てくれているからこそ、リシテア含む生徒達は、自分たちが成長したいと思うのと同時に先生を喜ばせたくなるのだ。
「よし、決めました! 先生の目標がジェラルトさんなら、私は先生を目標にしますね!」
「俺を?」
「ええ、しかも追いつくんじゃなくて、超えるんです!」
真っ先に解決しなければならない己の体の問題を無視して、声高らかに宣言するリシテアにベレトは笑みを見せた。彼女の中ですでに体が治るのは確定事項なのだ。しかし目の前で超えて見せるとは、挑発とも激励ともとれるそれにベレトも応える。
「俺もそう簡単に抜かれないよう精進しないとな。しかしせっかくだからまだ上を目指してみないか? もし俺が父さんを超えて、その後に君が俺を超えたら、君は灰色の悪魔、そして壊刃を超えた事になる。だが今のままでは俺が父さんを超えるには時間がかかるだろう。だから君の知恵を借りたい」
知恵と言われてもリシテアでは戦いの知識において、ベレトに到底かなわない。だがリシテア自身の得意とするところと、ベレトの悩んでいると事を示し合わせれば答えはすぐに分かった。
「なるほど、模擬戦に立ち合えばいいのですね?」
「流石だな。そのとおりだ。俺一人では父さんの技の秘密を明かせない。だが二人なら分かるかもしれない」
立会人であれば違う視点で二人の戦いを客観的に見る事ができる。そしてそれを見るのは、ベレトと同じように見る力を有しているリシテアだ。もしそれで攻略の糸口が見つかれば、最高に面白い展開だ。
「ふふ、生徒と先生合わせての総力戦ですね」
相手を見て対応するスタイルと徹底した間合い管理、似たような戦い方をする二人はさながら弟子と師匠のよう。人と人の関係は持ちつ持たれつ、協力によって何かを成し遂げられたらそれは何て素敵な事か。
「ああ、是非とも父さん攻略に協力してくれ」
「ええ、任せてください」
リシテアは二つ返事で了承した。そして悪戯っぽくベレトに提案する。
「では先生、早速ですが稽古つけてください。先生の案ですと私がもっと強くなれば、先生の目標にも近づきますよ!」
「違いない! ではリシテア、遠慮なく行くぞ!」
「望むところです!」
そうして二人の剣閃が交錯した。二人の関係は当人同士では信頼で結ばれた先生と生徒、だがはたから見ればその心象は異なる。
「なるほどな」
二人が訓練する中ジェラルトはひっそりとその光景を覗いていた。普段忙しいジェラルト代わりに、ベレトの任務について行っている傭兵団の一人から、リシテアについて聞いていたのであるが、実際に目にしてみて納得した。
その者は「年齢差はあるが、ひょっとすればひょっとするかもしれない」、そんな事を言っており、父親として許可するのか待ったをかけるのか迷っていたのであるが、ジェラルトの目から見ても二人の仲はしっくり来ていた。
ベレトが熱心に教えている生徒の噂は知っていたが、まさかベレトと打ち合えるほどになっているのは驚きであった。しかも小柄な少女がである。
実のところジェラルトは鍛錬前の会話から聞いていたのであるが、剣術についてベレトと対等に話せるだけでも一目置くくらいなのに、あまつさえ二人協力してジェラルトを倒そうとしているのだから愉快。理詰めが好きな者同士、話も合うのだろう。
だがジェラルトにとって、これまでの理由付けは大したものではなかった。良いかどうかなんて、何よりもベレトの顔がそれを物語っていたのだから。
「あいつ、あんなに楽しそうにしやがって」
ジェラルトは言伝に、ベレトにも少しづつではあるが、表情が出るようになったとは聞いていた。しかしながら父親であるにもかかわらず、任務でなかなかタイミングが合わない日が続き、今日までそれを目にする事はなかったのだ。
父親として息子の成長を見れないのは残念に思う日々であったが、初めてベレトの表情らしい表情を見た日に、あろう事か息子の未来の嫁さんになるかもしれない人を見つけた。それはジェラルトにとって、すべてが帳消しになるくらいの喜びであった。
「運命の女神もなかなかに粋な事をしやがる」
気づくと頬に涙が伝っていた。悪意から守るためではあったが、ジェラルトはベレトに傭兵生活を強いるのには複雑な思いを抱いていた。それが本当に正しいのか問いたださない日はなかった。人間性を失ってしまっているのは自分のせいじゃないか、そう思わずにはいられなかった。
だが普通の生活を望むには世界はひどく歪んでいて、もしもベレトが炎の紋章を持っていると知られたら、と思うと動くに動けなかった。
このガルグ=マグに戻ってきてしまった事は正直後悔していたが、ここで培われた人間関係はベレトの人生を間違いなく豊かにしている。結果としてベレトにとって教師として過ごす生活は最高の環境であった。
ジェラルトが一番来たくなかったところで、それを理解させられたのは皮肉も良いところであったが、嬉しさが振り切れていて悔しさを感じる暇もなかった。
しかしながらレアはきっとベレトの正体に気づいている。だからこそベレトを逃がそうとはしないだろう。だがどこにいようがジェラルトのする事は変わらない。愛しい息子の未来を守る。ベレトがここから羽ばたきたいと思った時にはその自由を守ろう。
「願わくばこのままうまく行ってほしいものだな。なあシトリー」
ジェラルトは亡き妻へと言葉をかける。そして彼は楽しくてしょうがないといった二人の姿を、目に焼き付けるかのように見守り続けた。
というわけでレトリシ長編、いかがだったでしょうか? 書きたいままに書きなぐって、相当に長くなってしまいました。
FE風花雪月は設定が難しく、各話に分けて投稿したら、どっかで整合性の部分でミスりそうと思って、安心できるところまで書こうと決めたら、こんなに膨れ上がってました。
また風花雪月は魅力的なキャラも多いので、気づくとリシテア以外の話を書いているという、脱線事故が多発して苦労しました。上手く書けたけど、これ違う方向行ってるじゃんって泣く泣く削除したりも。でも生徒同士のやり取りを書いている時なんかは本当に楽しかったです。
クロードとヒルダは凄く良く動いてくれるし、ベルナデッタの暴走も楽しい。
性格が掴みづらくて苦労するかなと思っていたベレトが、思いのほかすんなり行けたのは面白かったですね。料理上手などの本来ない設定ですが、ゲーム中ひたすら料理して食わせまくってるから、実際のプレイ内容を反映して、世話焼き特化でも面白いかなと。
心残りとしてはモブ生徒のあたりですか。金鹿の学級で剣を使うキャラって思いつかなくて。しいていえばイグナーツなのですが、人によっては彼をソードマスターにする場合もあるかと思いますが、性格的に剣専門ではないのでこの場では違うなぁって。そんなわけで見せ場をなくしてしまったイグナーツですが、彼の活躍は次にありますのでご安心を。
なおすでにお分かりかと思いますが、この世界でのリシテアの上級職はエピタフの予定です。当時プレイ時に和風、白髪がかっこかわいい! と思ってたので。あと魔法剣がアバンストラッシュ世代には刺さる。マリアンヌもpixivイラストで和風美人を押していた方がいて、私の初回の金鹿のデータはエピタフがやったら多い学級でした。でもエピタフはエピタフで、魔法のモーションがネタにされるくらい微妙だったのは笑い話ですね。ちなみに先生もエピタフです。
……正直あのニルヴァーナの服装に耐えられなかった(汗)
腕輪の件は本編にそういったものはなく、完全にオリジナルですが、ハンネマンが将来紋章の付け替えを発明する事から、そのひな形みたいなものというイメージで用意してみました。彼の過去の背景から、一部の時点でもある程度は進んでいるのだろうなぁと。
なおこの作品はpixivでは3話(厳密的には2話と短編集が1つ)まで投稿しており、現在ちょうど3話の方を執筆中です。これでやっと2部に進めそうだよ。