今回もお楽しみいただければ幸いです。
グロンダーズ平原、平原の名の通り平地が大半を占める広大な土地だ。真ん中には人工的に作られた高台があり、上からは辺りすべてが一望できる。戦略的に要と言われる場所だ。その最重要ポイントにベルナデッタはいた。
「ひぎゃーーーー、至る所から攻めてきてますよぉぉぉ!!」
ベルナデッタは半泣きになりながら弓を撃ちまくる。一見めちゃくちゃ撃ってるようで命中率が八
高台を狙っている部隊は一つだけではなく、皆寄ってたかってベルナデッタを落とそうと躍起になっているが、一応これでもベルナデッタは将であり、彼女率いる弓の部隊は精鋭である。意外な事に統率力も高い。このベルナデッタ、頭の回転はなかなか速く、声がうるさいだけでやる事はやっているのである。
「状況報告ぅぅぅ」
「南、西側はまだ持ちます。しかし東側から青獅子の部隊が……」
「なんですとぉぉぉぉ!? じゃあ私が東側に入りますよぉぉぉ。それと南側、わざと距離開けているようです。こちらの矢が切れるのを待っているみたいですのでぇ、無駄うちは避けてくださいねぇぇぇぇ」
「了解です!」
ベルナデッタはその後も絶叫しつつ的確な状況判断で指示を与え、高台のアドバンテージを最大限に活用する。一か所にこもらせたら天下一品、これぞ穴熊ヴァーリの伝説の始まりであった。
(1) 鷲獅子戦
鷲獅子戦、大樹の節に行われるガルグ=マク大修道院士官学校における最大の催し、三つの学級すべてで行う三つ巴の総力戦だ。この勝負は生徒達にとって大きな山場で、特に平民にとっては己の実力を示す最高の機会であった。何せここで華々しく活躍した者は騎士としての将来を約束されるのだから。
また不思議な事に今回の鷲獅子戦では各学級で勢力が綺麗に分かれていた。本当の戦争ではない摸擬戦とは言え、アドラステア帝国、ファーガス神聖王国、レスター諸侯同盟、三国が介するこの場はまさにフォドラの縮図である。今後の未来を左右するかもしれない戦いに、見守る側の視線も熱くなる。
この鷲獅子戦を勝利する上で重要なのが、最高の立地である中央高台をどうするかである。ただ先に制すればいいというわけではない。この戦いに参加する勢力は二つではなく三つ、黒鷲は南西側、青獅子は東、そして金鹿は北に位置しており、それぞれ高台までの距離はほぼ同じとなっている。
三つ巴の戦いのため、勝つためには一番優勢である勢力が狙われるのは自明の理であり、優勢になれる高台を制するという事は、他の二学級を即座に敵に回すのと同じ事であった。
さらに言えばこの高台はあえて不完全に作られていた。嫌らしい事にこの高台はどこも緩やかな傾斜で、すべての場所から登れるようになっている。いくら高所と言えども全方位をカバーするのは至難の業だ。
よっていくら有利な地形であっても物量でこられたら守り切れず、この高台はどこかの陣営が脱落し、差しの勝負になってから奪いに行くのが通例とされていた。
しかし今回に限っては全く違う展開になった。ベレト率いる金鹿の学級は開戦後、セオリーを無視して真っ先に高台を取りに行ったのである。他の二学級が面食らったのは言うまでもない。両陣営ともベレトの事は警戒していたので、まさかの強引すぎる作戦に出鼻をくじかれた形だ。
高台を制されたからには、黒鷲と青獅子総出で下ろしにかからざるを得ないわけだが、それに対して金鹿の方は何か策を使う様子はなく、純粋にベルナデッタの実力だけで抑え込まれているのだからたまらない。
特に黒鷲の陣営にとって、高台で孤軍奮戦しているベルナデッタはかつての同級生だ。彼女にしていいようにやられているのは面白いものではなかった。
「才能のある子だとは思っていたけれどもここまでとは予想外も甚だしいわ」
「ええ、誘いにも乗ってきませんし、金切り声に反して恐ろしいほど冷静です」
エーデルガルトは内心頭を抱えたくなったが、士気の低下を避けるため冷静に勤める。
「……このまま高台に固執するのは良くないわね」
エーデルガルトの意見に副官のヒューベルトも賛同する。
「ええ、あそこに居座られるのも厄介この上ないですが、他の金鹿の連中の動きが気になります。彼らは高台を制圧した後ベルナデッタだけ置いて引きました。そして我々から高台の北側は死角。裏で待機しているのか、あるいは迂回して密かに進軍しているのか……とにかく情報が欲しいところです。後は青獅子がどう動くか、ですね」
「青獅子も馬鹿じゃない。今一番脅威である金鹿を放っておいて、こっちを攻めてくる事はないと思いたいけれど……駄目ね。考えが後手に回っている」
ベルナデッタ隊はたまに相手ではなく、矢を上空に打ち上げる。それは誤射なんかではない。矢は何か仕込まれているのか、空中ではじけると視認しやすいよう色のついた煙が霧散する。つまりあれは情報伝達なのだ。何を伝えているか謎であるが、いずれにせよこれでは動きにくい事この上ない。
エーデルガルトは考える。ベレトは元傭兵だ。戦いのプロであって戦争のプロではないはずだ。にもかかわらずこのような連絡手段を使ってくるとは。一体どこから学んできたのか。ベルナデッタ隊を落とすのは勝利のために必須、だけれどもそれに時間をかけすぎると、今度は未だ姿見せぬ他の金鹿の者達に足元をすくわれかねない。
「厄介ね……本当に厄介だわ」
まだ戦いは始まったばかりだというのにひしひしと圧を感じる。エーデルガルトはすでに己が劣勢に立たされているとはっきり自覚していた。たった一人の活躍でこれだけかき回されているのだ。今の苦境はあくまで相手にとっての第一手にしか過ぎない。それでは金鹿の学級の真の実力はいかほどか。
エーデルガルトはまだこの戦場で過去に剣を交え、強敵と認識していたリシテアをまだ見ていない。他の金鹿の学級の実力はいまだに未知数だ。瞳を閉じるとふと金鹿の学級の担任、ベレトの姿が映った。彼はエーデルガルトの前に期待通り、いや、期待以上の壁となって今立ち塞がっている。
「でも……それでこそよ!」
心が震えるのを感じた。敵が強大であれば強大であるほど私は強くなれる。好敵手と戦える幸運をかみしめながら、エーデルガルトはその瞳を燃え上がらせた。
一方その頃、金鹿の本隊は青獅子のいる東側へと進軍していた。黒鷲ではなく青獅子の方を選んだのは二つ理由があった。まずは単純に黒鷲よりも距離が近かった事、もう一つは青獅子にペガサスナイトのイングリットがいた事である。空を飛べるペガサスナイトは弓に弱い弱点こそあれど、移動に制限がなく、さらには俯瞰的に戦場を見れるため、目としては高台にいるベルナデッタよりも優秀である。隠れる場所が少ない平野が主なこの地では真っ先に落としたい対象であった。
ペガサスナイトの弱点となる弓をメインに扱っているのは、ベルナデッタを除くとイグナーツとクロードがいる。クロードは級長であるのもあって、隊の真ん中に位置し、前衛はローレンツとラファエル、横にはヒルダ、もう一人の弓使いのイグナーツは後方でしんがりを務めていた。
クロード達はそのままイングリットのいる方を目指して進軍するが、もちろんそれを黙って許す青獅子ではない。
「高台は囮ってわけですかい」
「ここは通さん!」
最初に金鹿を出迎えたのはシルヴァンとフェリクスの両名であった。奇しくもローレンツとシルヴァンは共に騎兵のソシアルナイトだ。一方のラファエルとフェリクスは兵種こそ違えど歩兵同士、自然とお互いの相手は決まった。
「僕はシルヴァン君と戦う! ラファエル君はフェリクス君を。彼は剣の手練れ、気を抜くなよ!」
「任せておけ! 剣士との戦いはオデの筋肉にしみついている! 強いったって先生ほどじゃねえさ!」
ローレンツとラファエルはそれぞれ武器を構え、二人に突撃していった。
「とうとうローレンツ君達が交戦に入ったね」
「ああ、ベルナデッタの方は……優勢状態はまだ維持、残りの矢は半分か。普段はあれだが、一度籠らせれば本当に恐ろしいな」
「でもちょっとかわいそうだから、あたし達もなるべく急がなきゃ」
「ああ、頼むからちゃんと守ってくれよ?」
「保障はしかねるかなー。でもやるだけやってみる」
実に呑気に会話しているクロードとヒルダであったが、横から迫ってくる部隊を見て眼を鋭くさせる。それはディミトリとメルセデスの部隊であった。
「おいでなさったな」
「ペガサスナイトは囮、お互い考える事は一緒だね」
「ああ、でも俺らは初めからこうなる事を予測済みだ。ディミトリを止めるぞ!」
「全くあたし女の子なのにね。なんでこんな事してるんだかさぁ!!」
ディミトリは脇目もふらず真っ先にクロードへと向かって行き槍を振るうが、そうはさせまいとヒルダは身を挺して受け止める。ずしんと重い一撃に体ごと持ってかれそうになるが、腰に力を入れて歯を食いしばって耐えきった。
ディミトリは見た目こそ細いが、その力はエーデルガルト以上ともいわれる剛腕だ。それをしっかり力で受けきるヒルダも相当であるが、そんな自分を棚に上げ、ヒルダは力こそすべての脳筋共に怒りをぶちまけた。
「全くどいつもこいつも力馬鹿! うちの級長を見ならえぇぇぇ!!」
「おい、それはどういう意味だよ!」
ツッコミを入れつつクロードは正確に後方にいるメルセデスを弓で狙う。だがそれを察したディミトリは槍で矢を打ち払った。
「一体どんな動体視力してんだお前さん。おっと危ね!」
クロードはお返しとばかりに飛んでくるメルセデスのファイヤーをかわす。
「プリーストの割に前線に上がってくるから何事かと思ってたが、そういうわけか」
メインはあくまで信仰であるが、回復だけでなく攻撃もできるよう、同じ魔力が肝となる理学も専攻していたらしい。力自慢二名(一名は否定しているが)に遠距離二名、先と同じ似た者同士の勝負となり、クロードは苦笑する。
「違うのは男女が逆な事ってね。よっと」
槍を思いっきり地面にたたきつけるディミトリに対し、メルセデスはその隙を埋めるようにファイヤーを放つ。メルセデスの本職は回復のため、威力と精度はリシテアよりはるかに劣るが、魔法は矢と違って打ち払えないため、回避を余儀なくされる。苦戦は必至だった。
青獅子と金鹿の戦っている最中、イングリットはその様子を空の上からじっと眺めていた。彼女は青獅子の目を任されており、高台攻略へと乗り出したドゥドゥーとアネットの状況も押さえておかなければならず、この場から動けない事に歯がゆい思いをしていた。
あえてここにペガサスナイトがいると、目立たせるよう飛び回った囮作戦は成功したとも失敗したともいえない。何故なら本来は部隊を分ける気はなかったのだから。金鹿の初手高台という奇策のせいで、一部をそちらに回さざるを得なくなった。
その結果、策にはめたはずなのに五分五分の勝負へと持ち込まれている。級長同士の戦いは見ていてハラハラし、今すぐにでも飛んでいきたかったが、それでも騎士の忠義として、イングリットは偵察という己の使命を全うしていた。
だが彼女は気づいてしまった。
「黒鷲が……こちらに進軍してきている?」
イングリットは背筋が凍りそうになった。金鹿と青獅子で戦いが始まった事に気づいたのだろう。このままでは挟み撃ちにされてしまう。一刻も早く金鹿との戦いを勝利で終わらせなければならない。金鹿は弓使いが多く、ペガサスナイトのイングリットにとっては危険な相手であったが、そのクロードはディミトリ達と交戦中だ。
「今なら……今ならば行ける!」
イングリットは確信を持って、ディミトリ達に加勢するために急降下する。そして死角からの狙撃を受けてあえなく戦死判定を受けた。
「……え?」
「あなたが焦れるのをずっと待っていましたよ」
イングリットを撃ち抜いた者の正体はイグナーツであった。アッシュの部隊と交戦していたと思われた彼は一人だけ戦線を離れ、戦闘には参加せずにイングリットだけを狙っていたのである。
「これで目は潰しました。後は……」
イグナーツは上空へと矢を打ち上げる。矢がはるか上空で色のついた煙を巻き散らしたと思ったら、北の空から影が迫ってくるのが見えた。
「あれは……まさか!?」
「待ちくたびれたよ! レオニー隊、いっくぞぉぉぉ!!」
満を持して登場したのはイングリットと同じペガサスナイトのレオニーであった。
「金鹿にもペガサスナイトがいたなんて。でもどうして今まで出し惜しみを?」
「だって接戦にしておかないとあなたは決して降りてこなかったでしょう? 伝達役のあなたが劣勢と判断すればこの交戦もなかったはずだ。接戦こそが必要だったんですよ。あなたたちの退路を断つために」
レオニーの加入で金鹿の戦力は青獅子を上回る。そして後ろからは黒鷲が迫ってきている。ドゥドゥーとアネットは無事だが、本隊が落ちてはどうにもならない。この瞬間青獅子の敗北は決まった。
「あれは……本隊の方はうまく行ったようですね」
イグナーツの打ち上げた合図を見てベルナデッタはほっと胸をなでおろす。だが高台の状況はあまり良くはなかった。場所を死守できてこそいるが矢の数は有限、節約して使っていても流石に数が心もとなくなってきた。一
「あちらさんに行った黒鷲の部隊は数を見るに三分の一程度ですか。となるとあくまで狙いは青獅子、金鹿とそのまま交戦する意思はなし、と。青獅子を落としたら一旦引くでしょう。つまりは本命はこっち。私達が本隊と合流する前に、本気でこっちを落としにかかってくるつもりですね」
ベルナデッタは残りの三分の二が一気に高台に迫りくると予測した。いずれ青獅子は落ちるであろうから、青獅子が引いた後東側からも黒鷲が来る可能性がある。先ほどまでは黒鷲と青獅子でお互い牽制し合っている面があったが、一色に染まればもはや遠慮なしだ。高台を奪取するためにより攻撃は苛烈となるだろう。
ベルナデッタの予想が現実となったのはそれから間もなくであった。青獅子の敗北が明らかとなり、それまで東側で懸命に登ろうとしていたドゥドゥーとアネットが、呆然と自陣があった方を見つめる。そして悔しさをにじませながら撤退していった。
後は黒鷲の軍勢との勝負だ。ベルナデッタは金鹿の本隊が合流するまでひたすら耐えなければならない。矢の数は今にも底をつきそうである。そんな危機的な状況にもかかわらずベルナデッタはにやりと笑った。
「しかぁぁぁし! ベルはまだまだいけますよぉぉぉぉ!!」
声高らかに叫び、合図の矢を打ち上げる。すると突如高台の一角で空間が歪み、その中からなんとマリアンヌ隊が現れた。それも大量の矢を持って。両腕に矢、背中にも矢、行軍を無視した重装備だ。
「ベルナデッタさん、矢を持ってきましたよ」
「待ってましたぁぁぁぁ!」
「私も防衛に参加しますね。どこが手薄になってますか?」
「西側にブリガンドの部隊がいます。弓が効きにくいのそっちを魔法でお願いします!」
「分かりました!」
大量の矢束を下したマリアンヌ隊はあっという間に配置についていく。魔法を主体とする彼女たちは武器を必要としない。故にすぐに攻撃態勢に移れた。
「ベルナデッタ隊のみなさぁぁん、矢が届きましたよぉぉぉ。こっからはじゃんじゃん撃ってくださぁぁぁい!!」
ベルナデッタは周りに叫びつつ情報の伝達を忘れない。今度は補給完了の合図を打ち上げ、自らも矢束を手に取った。
「ふう、無事に完了ですね」
ベルナデッタの合図を視認し、安堵したリシテアは額の汗をぬぐった。これまで動きらしい動きを見せなかった彼女こそが今回の補給の要であった。
「この魔法、便利なのは便利ですが、消費が半端ないですね」
リシテアが使った魔法はワープと呼ばれる物、信仰で覚える白魔法でも珍しいものだ。その効果は一部隊まるごと転移させるというとんでもないものである。
そんな絶大な効果を持つワープの魔法だがデメリットももちろんある。ワープは高等な魔法で消費も馬鹿にならないため、リシテアの才能を持ってしても使えるのは一回のみ。また転移した者を戻す魔法はレスキューと言って別物だ。
下手に敵の背後に送ろうものならかえって孤立させてしまい、しかも助ける手段もないという最悪な状況を生んでしまう。故にワープは使い所こそが肝心の魔法であった。強力な事は確かなので使わない手はないわけだが、不意打ちを目的とするには『戦争』という戦いでは些か心もとない。
そこでベレトが目を付けたのは高台であった。ベレトの推測では高台のデメリットは、どこからでも登れる以外に補給の難しさもあった。だからといって事前に沢山持ち込もうとするとその重量で行軍が遅れ、坂道に阻まれて辿り着くのもままならない。
仮にすべての学級が同時に高台を取りに行くとしよう。そうすると何より速さが必須のわけであるが、速さを重視すると当たり前だが物資が足りなくなる。物資の量を増やすと今度は速さが足りず先に行かれてしまう。一方を立てればもう片方が立たない。
理想的なのは他の学級よりも早く高台を制し、かつ最後まで戦い切るだけの物資もあるとなるが、相反する二つの両立なんて土台無理な話である。
こうした事情から初手高台は無謀な策とされたのではないか。補給がままならない事こそが高台の本質的な問題と踏んだベレトは、裏付けを取るために過去の鷲獅子戦の資料を漁ったのであるが、結果は大当たりであった。過去の記述では、開始直後に高台を取りに行って失敗した者の大半が、補給が必要になったタイミングで攻め落とされていた。
つまり高台そのものはそう簡単に攻め落とせないほど強いのである。どこからでも登れるなだらかな坂でと言っても、頂上までの距離はそれなりにあり、その間隠れられる遮蔽物は一切ない。射程距離はもちろん撃ち下ろす方が長いわけで、相手の攻撃が届かない位置から一方的に攻撃できる。
とりわけベルナデッタ隊は他の弓隊よりも長距離射撃に特化しているため、高台を守る者としての適性が非常に高い。この組み合わせが弱いわけがない。後は物資さえ足りていれば、穴だらけと思われていた高台は難攻不落の地となる。
そういうわけで金鹿の切り札であるリシテアのワープは、高台の防衛をする上で盤石を期する一手として利用されたのであった。
「あとは……特にする事がないですね」
この一手のためだけにリシテアはずっと開戦の時から、金鹿の学級の初期位置に待機していたわけであるが、物資と共にマリアンヌを送り届けた後は手持ち沙汰となってしまった。
これから味方に合流しようとしてもリシテアは歩きだ。今からではとても間に合わない。もう一度ワープを使うにしてもすでにガス欠である。仮に合流できたとしても、今回のリシテア隊はワープを使う最小限の人数だけで編成されているため、そもそもあまり戦力にもならないのだが。
今の彼女にできる事は見晴らしの良いところから戦況を眺めるだけ。といっても高台が邪魔で奥にいる黒鷲は見えないから良く分からない。ベルナデッタと共に作戦の要のリシテアであったが、何とも釈然としない思いであった。
「戦うだけがすべてじゃないのは分かってますが、妙な疎外感が……」
何かしたくてもどうにもならないので、リシテアは近くにあった岩に座り込む。そして手にアゴを乗せると一人ぼやいた。
「……今度、馬術も始めてみましょうかね」
それからの黒鷲はエーデルガルトの指揮の元、高台奪取に尽力したが、矢が尽きるどころかより攻撃が激しくなり面食らう事になる。さらには魔法も飛んでくる事態に足を止めざるを得ず、とうとう本隊が合流するまでに高台を落とす事は叶わなかった。
地の利の恐ろしさを存分に思い知らされる事になった黒鷲であったが、それでも士気は高く保ち続け、劣勢を跳ね返そうと抵抗し続けた。しかし勢いだけで戦いがどうにかなるものではない。金鹿の盤石の布陣を止める事は叶わなかった。
こうして鷲獅子戦は見事金鹿の学級の勝利で終わったのである。
「オデ達の勝ちだぁぁぁ!!」
「隠し玉の理学が決め手となったか、本格的に始めて見るべきだろうか?」
喜びを爆発させて筋肉ポーズを取るラファエルに、思いのほかしっくりきた魔法に己の将来を考えるローレンツがいる。
「イグナーツ、よくあそこでイングリットを仕留めてくれたな」
「柄じゃないけれども作戦がはまった時は思わず叫んじゃったよ」
「えへへ、なんだか照れちゃいますね。相手の皆すごく強かったので加勢しないよう我慢するのが大変でした」
クロードとヒルダはイグナーツを褒め称え、イグナーツは己の役割を無事果たせた事に安堵する。
「よしよし、よく働いてくれたな」
レオニーはペガサスナイトになってからの自分の愛馬を労わっていた。途中から参戦した彼女はまさに獅子奮迅の活躍をしたわけだが、それが可能になったのも機動力に優れたペガサスのおかげである。愛着も湧こうというものだ。
「え゛、胴上げするって? いえ、気持ちだけでいいですって。それよりもまずは休ませて……ひやぁぁぁぁぁぁぁぁ! ちょちょ、助けてくださぁぁぁぁぁい!!」
今回のMVPであろうベルナデッタは緊張の糸が途切れた瞬間ぶっ倒れたのであるが、劇的な勝利に感極まったベルナデッタ隊とマリアンヌ隊の面子が暴走し、高台を死守した英雄のベルナデッタを持ちあげ、わっしょいわっしょいする。死体に鞭打つむごい光景であった。
「なんだかすごい光景ですね。5Mくらいは飛んでます?」
「リシテアさんお疲れ様です。リシテアさんのおかげで無事補給任務達成できました」
「いえいえ、あれくらいならお安い御用です。邪魔も入らずじっくり詠唱できるんですから。むしろ私としてはちょっと楽させてもらっちゃったみたいで」
「そんな事ないですよ。各学級とも明らかに物資を切れるのも待っていました。その裏をかいたんですから最高の一手でしたよ」
「勝負は戦う前から決まっているって言いますが、作戦って凄いですよね。戦は個の戦いではないとはいえ、ここまで圧倒できるなんて」
「ええ、貴重な体験でした」
リシテアとマリアンヌは喜んでいる皆を見て感慨深くなる。結果を見れば今回の鷲獅子戦は金鹿の圧勝であった。しかしながら個人個人の実力は他の学級と比べても大差ない。実際の所、青獅子との戦いはイングリットが落ち、レオニーが参戦するまでは拮抗状態であった。勝利に一気に近づいたのは数の利が明確になったからだ。
黒鷲戦でもベルナデッタとマリアンヌが地の利を生かして、倍以上の部隊と渡り合っていたため、有利な状況を作りだす事ができた。
「正直戦いに参加できないのは微妙だったんですけども、こうして皆喜んでいるのを見るとどうでもよくなっちゃいました」
「そうですよ、リシテアさん。皆の勝利はリシテアさんの勝利でもあるんですから」
楽しそうなマリアンヌを見てリシテアは嬉しくなる。そう、今回はまさに皆の協力あってもぎ取った勝利だ。それぞれが己の役割を全うしたからこそのもの。
「そうですよね。私達は勝ったんです。楽しまなきゃ損ですよね!」
「ええ!」
まだ何かできたはず、心の内に悔しさはあるものの、リシテアは今はこの勝利を素直に喜ぶ事にした。何故ならリシテアには分かっていた。今この時がどれだけ得難い時間であるかを。卒業してしまえば皆各々の道に行く。付き合いが途切れるわけではないだろうが、こうして一致団結して何かやるというのはないはずだ。
「皆、よくやった」
「先生!」
いつかは終わってしまうからこそ限られた時間を楽しもう。そう心に決めたリシテアであったが、運命は何時だって過酷なものだ。現実は思い通りになど行かせてくれはしないのだから。
(2)うごめく影
兆候はそれまでもあった。女神再誕の儀の際の襲撃事件、そして生徒の行方不明事件からの地下道の戦い、そのどちらにもいたのが死神騎士と呼ばれる者。角が生えた骸骨という異様な面をつけている騎士は尋常じゃない強さで、灰色の悪魔と呼ばれたベレトと互角の勝負をできるくらいの実力を兼ね備えていた。その裏には炎帝と呼ばれる存在も確認できている。
リシテアにとってこの両者の印象は、会話を交わした事などなく、姿を確認できた位という理由も相まって、ただの得体のしれない奴らでしかなかった。もちろん彼らは人攫いをしていたのは事実であるし、ベレトと死神騎士の壮絶な戦いは見ているだけでも恐怖を覚える程で、彼らが悪という認識はあった。
認識が一転したのはトマシュに成り代わっていたソロンがその正体を現した時だ。リシテアがソロンの姿を見た時、それまでにない強烈な嫌悪感を覚えた。彼が行った所業は村人を狂暴化させ、正気の村人を襲わせる事。リシテアにはそれにどんな意味があるのかは分からなかったが、人の命を何とも思わないそのやり方に既視感を覚えた。
そう、ソロンの嗜虐的な笑みはリシテアの体に紋章を植え付け、その人生を狂わせた者達を彷彿とさせた。リシテアの感は告げていた。ソロンが属している謎の勢力こそが、あの時コーデリア家をめちゃくちゃにした者達と通じていると。
しかし証拠が何もない事から誰かに話す事は躊躇われたのであるが、彼女を良く知っているベレトがそれを見逃すわけがなかった。
「リシテア、何か話したい事があるんじゃないか?」
「……全く先生には隠せませんね。考えている事は確かにあります。でも今の時点で確証がないんですよ。だから確証を得てからって思っていたのですが」
「リシテアの言う事は最もだ。論より証拠、これは間違いないだろう。だが直感を疎かにしてはいけない。特に悪い予感はな」
人には生存本能があるとベレトは信じていた。それは長年の傭兵生活によって培ってきたものだ。嫌な予感、あるいは違和感でも良い。普通とは違う何かを感じた時、十中八九それは現実となって起こった。もしもその時にベレト自身己の直感を信じなかったら、彼はここにはいなかったかもしれない。
そしてリシテアの異変を感じ取った者はもう一人いた。
「似ている……そう思ったんだろ?」
「クロード!? いつの間にか後ろに立つのやめてもらえませんか!」
「すまんすまん、だがお前の反応が面白いのが悪い」
「全く子供ですかあんたは。それで何で私の予感が正しいと?」
昔のリシテアなら本気で怒っていただろうが、今はお互い気心が知れているからこそのじゃれ合いだ。早々に切り替えて本題に入る。
「お前が話してくれたおかげで情報があったからな。そしておあつらえと言わんばかりに妖しい奴らが暗躍している。調べて見たくもなるだろう? お前を不幸にした奴ら、このままじゃ呼びにくいな。仮に『闇に蠢くもの』とでもしようか」
「『闇に蠢くもの』? クロード……あんた……」
何とも大層な名前に引いているリシテアにクロードは待ったをかける。
「やっぱりそう言うよなぁ。でもこれは俺が名付け親じゃない。この名で呼ばれる者達はかなり過去から存在しているようだぜ」
「随分なお名前ですが、どういったものなんです?」
「端的に言うと秘密結社みたいなやつだな。歴史書の数々から、表沙汰にできない事件に山を張って調べていたんだが、その時に見かけた名称だ。俺は初めこれは不都合な事実を埋めるために、架空の組織をでっち上げたと思っていたんだ。実際そのように使われているように思える奴も数多くある。ただ、そのうちの何件かは明らかにおかしいんだ」
「表沙汰にできない事件を調べていたって……相変わらず裏を探るのが好きな人ですねあんたは。それで何がおかしかったんですか?」
「こういうのは普通何か目的があってするだろ? 本来の目的は後にどうなったかを見れば自然と透けて見えるもんだ。でも俺が調べたうちの何件かはそれがないんだ。誰も得する者、いわゆる勝者がいない。誰も得をしないのであればそもそも事を起こす意味もない、だろ?」
クロードの説明を受けてベレトは一つの結論に達する。
「本物の『闇に蠢くもの』と、それに便乗した偽物……か」
「ああ、俺もその線を疑っている」
「本当にそのような組織があったと仮定して、権力者が表立ってできない何かをするときに、その秘密性を利用したわけですね」
3人はすぐに考えを共有するものの、真の問題はその次にこそあった。
「政争の道具であった偽物はともかくとして、本物の狙いはなんだろうか?」
ベレトの問いかけに早速クロードは次の情報を提供する。
「奴らの名前が出てくるものの一つに村が壊滅したってのがある。村人が忽然といなくなり、代わりに得体のしれない化物が暴れて村を破壊していたとか」
得体のしれない化物、クロードの言わんとしている事を察したベレトは言葉を繋ぐ。
「……クロード、つまり君は村人が魔獣化したと?」
「ない話ではないだろ? 俺達は紋章がない者が紋章を扱おうとした場合の末路を知っている」
「マイクラン……シルヴァンのお兄さんですね」
過去に起きたゴーティエ家督争乱、それは紋章を持たない者が紋章を使用した故に魔獣化したという凄惨なものであった。理性を失い敵も味方もなくただ周りを破壊し続ける姿は、恐怖を感じる以上に憐みを覚えるほどであった。
「今回のルミール村の件に関しても、村人の狂暴化だけで魔獣化よりもましではあったが、俺らが行ってなかったら結果はきっと同じだったはずだ」
助けられなかった場合の末路はただ一つ、村そのものの消滅、それしかない。
リシテアはクロードの自論を吟味しようと務めるが、冷静さが欠いているのを自覚せざるを得なかった。リシテアは理屈じゃなく心がそれを真実としてしまっていた。人を人と思わない所業、その残忍さは疑いようもない。
「紋章を二つ持つものは神……か」
「ハンネマン先生が言っていた言葉だな」
「『闇に蠢くもの』の目的は神を作る事なのか? 誰か掲げる者を欲している? だが政争には関わっていない。いや……まだバレていないが正しいか?」
「流石だな先生。トマシュの正体がソロンであったからには、誰かが今も成りすましているのかもしれない。例えば権力者なんかにな。そしてそれは」
「私の、コーデリア家に奴らがやってきた理由にも繋がる!」
コーデリア家の悲劇が誰に咎められる事なく行われたのは、帝国に誰かその存在を許している権力者がいるからこそだ。
「どうだ? この線は」
クロードの問いかけに対し、ベレトは熟考しながら腕を組む。
「憶測の域は出ない、が、限りなく黒に近い。そう思う」
「先生、話してくれないか? 短くない付き合いだ。あんたが俺らを知っているように、今なら俺らもあんたの事は少し分かる」
クロードの話にリシテアも頷く。表情で察したという二人を見てベレトは目をぱちくりさせた。完全に図星だったのだ。リシテアがそうだったように確かにベレトにも何か引っかかる事はあった。
ベレト本人としては別に隠すつもりはなかったが、言う前にばれた事は驚きであり、簡単に悟られてしまった不甲斐なさよりも、理解された喜びの方を感じたのは、それまで傭兵として生きてきていた本人にとっても不思議な感覚であった。
「例の死神騎士なんだが、手を合わせたとき違和感があったんだ。あいつ自身恐ろしいほど強いが、苦戦した理由はそれだけじゃない。あいつは戦う前から少なからず俺の剣を知っていた」
ベレトの言わんとしている事を理解したクロードは乾いた笑みを浮かべ、リシテアは頭を抱えた。
「……なんでこうも節穴かね俺らの目は」
「消えた人は一人だけじゃありませんでした」
「つまり死神騎士は俺達の訓練を見ていた。一体どこで? 訓練所だ。そして訓練所によくいた人物と言えばイエリッツァ先生しかいない」
イエリッツァは武術師範として生徒を師事していた者だが、謎が多い人物である日忽然とと姿を消した。当時はその失踪を重要視してこなかったが、今になって重い事実としてのしかかってくる。
二人目の潜伏者の存在に辿り着いた三人は沈黙せざるを得なかった。リシテアがかつて体験した闇が手が触れられるほど近くにあったのだ。それは皆に少なからず動揺を与えた。暗雲たる空気が立ち込める中、最初に口を開いたのはクロードだった。
「正直な事を言えばだ。俺はこの件には関与しない方向で行こうと思っていた。触らぬ神に祟りなしだ。薄情かもしれないがわざわざ正義の味方をやってやる義理もないしな。俺じゃない誰かがやってくれればそれでいい。それこそこの大修道院の騎士団はこういうのにはおあつらえだ。そう思っていた。だがこれはあまりにも……」
「もはや他人事で済ましていい問題ではないな」
ベレトの言葉にリシテアも頷く。対岸の出来事として処理するには皆関わりすぎていた。リシテアは当事者と言っても良いし、ベレトは天帝の剣を手にして以降、相手から特別視されているようなきらいがあった。出身が異なるクロードだけは特別な因縁はないが、それでもフォドラの地が混沌と化すのは望ましくないし、ベレトを引き抜こうとしている彼にとってここで降りる選択肢は存在しない。
当事者でもある事から特に険しい表情を浮かべていたリシテアであったが、腕を組み熟考する姿勢のままクロードに問いかける。
「ところでクロード、一つ聞きたいのですが……」
「なんだ?」
「あんたの見た歴史書、それはここの書庫で見たものですか?」
「すべてではないが、そこからも結構ある」
「調べたのは何時頃?」
「地下道での事件があった直後かな。本腰を入れようと思ったのはそこからだったから」
「……申し訳ありませんが二人とも書庫まで付き合ってくれませんか」
思わせぶりなリシテアの態度にクロードは深くため息をついた。
「良い話ではなさそうだな」
「残念ながら」
それから脇目も振らずすぐに書庫に直行した3人であったが、リシテアは時間が惜しいとばかりに直ちにクロードへ指示する。
「クロードは該当する歴史書を集めて持ってきてください。全部じゃなくても覚えている範囲でもいいです」
「分かった」
事の深刻さから、クロードは迅速に己の役目をこなす。その間リシテアは書庫の蔵書一覧表を手に取り、歴史書リストが描かれているページを開いた。唯一手の開いたベレトはクロードが取り出した本を受け取り、リシテアの前へと持って行く。
リシテアは積み上げられた本のタイトルを見ては、リストと照らし合わせていった。
「やっぱり」
「リシテア?」
「これらの本、本来ここにある蔵書じゃないです」
「なんだって?」
「先生、ここ見てください。この蔵書一覧表は本の内容ごとに分けられていて、そこから順にリスト化されているんですが、クロードの持ってきた本はここに書かれてません」
「つまりは本を勝手に増やしている? やったのはソロンか?」
「だと思います。擬態していたトマシュは書庫番でしたから」
「リシテアはどうしてこの事に気づいた?」
「私もよく書庫は利用しますから。理由の一つは見た目の差異ですね。何度も来ていると好きな本がある位置とか覚えているものですが、何回かずれていたのたのを思い出したんです。当時はそんな事もあるだろうとその都度記憶しなおしたのですが、よくよく考えればおかしいなと。ここは閲覧こそ許されていますが貸し出しはしていません。こっそりやりそうな人はいますけど」
リシテアの視線を感じて、クロードは肩をすくめる。
「なんでそこで俺を見るかね。まあ自分でもやりかねないとは思うが。ただ俺の場合はちゃんとバレずにやるぞ。夜に借りて朝に返す」
「そういう問題じゃないですよ。それで話は戻しますが、要するに書庫では基本的に本の位置は固定なんです。新しい本が入らない限りは」
「位置がずれているのは本が増えていたから。そして本を増やしても怪しまれないのはトマシュだったソロンのわけか。筋は通るが、意図が分からない」
ベレトの言葉にリシテアが頷く。書庫の本を増やしたからといってどうなるというのか。身バレするリスクに対し対価がまるで見合っていない。動機の件は一度置いておいて、リシテアは別の理由を語る。
「もう一つの理由は聞いた内容に違和感を覚えたからですね。歴史書は特別好みではないのですが、それでも何冊かは読んだ事はあります。ですが私の読んだものにはクロードの話しているような内容は一切ありませんでした。言っては何ですが、ここにある歴史書のほとんどが徹底したセイロス教賛美です。全部読んでないからあくまで憶測ですが、それでもここの歴史書はそうした傾向が強いはず」
一通り探し終えたらしいクロードが二人の元にやってくる。
「つまりは印象操作しようとしてたって事か? いや、セイロス教賛美がそもそも過剰なくらいから、むしろ印象操作されていたのを正そうとしていた? しかしその割には中途判場だな」
「中途半端と言えば拉致の件もそうだ。これらの本の内容が正しいとすればだが、本の記述によると『闇に蠢くもの』は隠れるように活動していたはずだ。だが今回拉致されたフレンはここガルグ=マク大修道院にとって重要な人物だ。バレないわけがない」
「さらに言えばあの過保護なお兄様もいるしな」
クロードの一言で思わずベレト、リシテアの両名は今にも泣き出しそうだったセテスの顔を思い出してしまい苦笑する。しかしながらこうして笑えるのはフレンが無事だったからこそだ。一歩違えば結果は違っていたかもしれない。
3人で話し合った甲斐もあって情報そのものは思いのほか集まった。しかしながらそれが有益かどうかは別問題だ。得られた情報はむしろ余計な混乱を招く。己の所業の数々を隠す事をせず、むしろその存在を知らしめるように行動している彼ら、『闇に蠢くもの』。何とも言えない気持ちの悪さをリシテアは一言でまとめた。
「まるで挑発されているみたいですね」
こちらがどう動こうがまるで意に介さない。つまりいようがいまいが構わないと見られている。蔵書を入れ替える事だって、言い換えれば情報を意図的に与える事で、敵に塩を送るようなものだ。どこかうんざりした様子でクロードが言った。
「舐めた事してくれる、と言いたいところだが、俺らだけじゃなく騎士団ですらも後手後手に回ってるのは確かだ」
「セイロス騎士団の練度は高いし、何より今は灰燼ジェラルトや雷霆カトリーヌがいる。強さで劣るとは思えないが、情報戦で負けているのが厳しい」
ベレトの言葉に二人は深く頷く。戦いは一対一ならともかく、群での勝負は作戦がものを言う。そして正しい戦略を練るためには正しい情報こそ必要だ。鷲獅子戦を経験した二人はそれを身をもって知っていた。
「さらに良くないのは潜入者が二人以外にいないとは限らない事だ。むしろいると想定した方が良いだろう」
「無口だったイエリッツァはともかくとして、トマシュは正直分からなかったよな」
「あの人を人と思わない顔を知っているはずだったのに、正体を現すまで私も分かりませんでした」
屈辱と言わんばかりにリシテアは肩を震わせる。それほどトマシュの他人に完全になりきる技は完璧であった。
「どう動くべきか、難しいな。ただの先生と生徒である俺達ができる事はたかが知れている。情報収集に徹するのがおさまりが良いんだが……」
「どういうわけか私達の学級ばかり鉢合わせするんですよね。顔も覚えられているのは面倒な部分でしょう」
「偶然、だとは思いたいが……断言するのは軽率だな」
リシテアとクロードの話を聞いてベレトは考える。ここまで深刻な状況、一字一句漏らさずレアに伝えるべき案件だろう。しかしベレトの傭兵として長年培われてきた感は、どうにも躊躇いがあった。
それはベレトがレアから『信用されすぎている』と思っている故の事であった。元騎士団所属の父のジェラルトなら長い付き合いだろうからまだ分かる。しかしベレトは正真正銘あの級長達が危機にさらされた盗賊の襲撃の後が初対面だ。彼女の視線から感じる絶対的な信頼はいくら知人の息子だからと言っても些か度が過ぎている。
それにハンネマンからの情報で気がかりな事があった。マヌエラがフレンの診療をしていた際、掌に小さい傷を見つけたらしい。特に毒とか盛られた様子はなく、マヌエラにはその意図を掴みかねていたらしいが、ハンネマンはそれを血液を採取されたのではないかと推測した。
ハンネマンから紋章を調べたいと言われた際、微量ながらも血液を取られたのをベレトは覚えている。そこで初めてベレトは己が紋章持ちである事を知った。ベレトにとって紋章は専門ではないが、それでも血と紋章の関係は深い事は容易に伺え、血液を取られたというのは十分にあり得る話であった。
たまたまフレンをだったのか、意図的にフレンを狙ったのか、ベレトの勘は後者を告げていた。何故ならフレンもまたレアのような浮世離れした雰囲気を感じたがゆえに。彼女の血にどのような価値があるか分からないが、セイロス協会に何かがあるのは間違いない。
「先生?」
「ああ、すまない」
どうにかしなければならないはずなのに、どうすればいいか分からない。敵と味方がはっきりとしないのはベレトにとって最悪な状況を意味していた。もしもの時があったら命に代えてもこの子達を、生徒達を守る。
ふって湧いてきた使命感にベレトは戸惑いを覚えざるを得なかった。自分の大切なものを守る、それ自体はいつだって持っていた。だがここまで強く思ったのは今回が初めてであった。しかしとベレトは考える。
ベレトにとって大切な人は父と傭兵団の皆であった。父は肉親だから当然と言えば当然だが、傭兵団の皆だってベレトの幼少の頃から常に一緒だった。つまりは身内、家族の感覚に近い。一方で生徒の皆はベレトにとって外側の人、他人の領域である。
ベレトが他人に対してここまで心を許したのは初めての事であった。初めて得た守りたい「他人」、その事実をこの時ベレトは初めて客観的に理解出来た。「先生」、それは灰色の悪魔とすら呼ばれたベレトにとっては魔法のような言葉だ。恐れもせずに慕ってくれる生徒達は、ベレトにとってすでにかけがえのないものになっていた。
守りたい、守らなければならない
固い決意を胸に秘め、ベレトは二人との会話へと戻って行った。
(3)白鷲杯
3人はそれからも闇に蠢くものについて相談したりはしたが、結局のところベレト達にできる事は何もなかった。とにかく彼らの動機が分からなすぎるのだ。情報収集自体は行っていはするものの、学園生活を疎かにするわけにもいかない。ベレトとしては自身の教える授業こそがいざという時、生徒達を守る力になると信じるしかなかった。
また地下道でさらわれたフレンであったが、身の安全のためという名目でベレトの学級の生徒となった。彼女は余程の箱入り娘だったのか何をするにも楽しそうにしている。念には念を入れて、協会に対しても油断はするまいとしていたベレトであったが、少なくとも彼女自身は生徒として楽しみたい意思しかなさそうであった。
彼女の天然っぷりは、用心深さの塊であるクロードすらも毒気が抜かれてしまう程だ。明らかに冗談なのに『そうなのですね!』と本気に実行しそうになって、慌てて止めるという光景を何度見た事か。クロードとしては探りも含んでいたのだろうが、フレンの無知さには完敗であった。そしてベレトと金鹿の生徒達は思った。
セテス過保護過ぎ! ……と。
ちなみに同じ兄持ちのヒルダの兄鑑定としては『ちょっとないかなぁ』との事である。ヒルダの兄も同様に過保護であるにはあるが、いくら何でも自立の妨げになるような事はしないとの事。ただの箱入り娘であったのならヒルダはこの士官学校に来ていないであろう。
最近では金鹿の学級全員がこの子は守らないとまずいと思うようになっており、あのベルナデッタですらいつもの芸をやめて、人にあっさり付いていきそうになるフレンを真顔で注意したりする程であった。
そして時は星辰の節(12月)、この節には鷲獅子戦のような一大イベントがあった。それは将来の優秀な人材を育成する士官学校としては異例の、戦いではなく踊りで勝負する舞踊対抗戦「白鷲杯」である。
各学級の代表一名が踊りで対決するわけであるが、どちらかと言えばそれは前哨戦とも言えるもので、学級対抗戦をやった後は、全員参加可能の交流を主としたダンスパーティーがある。メインはむしろこっちであろう。
貴族は己の社交性の証明になるし、一方で平民出身者は仕える貴族の世界の一端を知る事ができる、といった有用性はあるにはあれど、このダンスパーティーは士官学校では珍しく完全な娯楽目的で、この後に控える最後の追い上げ前の息抜きとして捉えるのが一般的だ。
要は堅苦しい事一切ぜす、楽しくやれれば良いだけのもののはずなのだが、ベレトは思いっきり頭を悩ませていた。ベレト自身息抜きをしないわけでないが、彼にとっての息抜きは釣りだったり、栽培だったり、料理だったり、見事に皆で遊ぶという事から離れていた。一人っ子にとって一人遊びは苦じゃないのである。
「先生、なんでそんなに難しい顔してるんです?」
ベレトの無表情は有名だが、付き合いの長い金鹿の生徒は容易に彼の表情を読み解く。その第一人者であるリシテア曰く、表情を読み解くコツは顔だけでなく、全体の仕草を見る事こそが重要らしい。表情こそ固いが体の動きは一般人のそれと一緒のため、見るべきポイントを逃さなければ意外と分かりやすいのだとか。
今ではこの知識は金鹿の生徒で共有されている知識だ。ちなみに当のリシテア本人はベレトの表情だけでも、ある程度何考えているか分かるレベルになっている。今回途方に暮れるベレトを見つけたのはヒルダとマリアンヌであった。
「いや、今節の日程についてレアさんから貰ったんだが、白鷲杯というのがあるみたいでな」
「白鷲杯? ああ、ダンスパーティーの事ですね」
「それがどうかしましたか?」
「俺は皆が知っている通り傭兵で生計を立てていたから貴族のマナーには疎いし、ダンスはそもそも踊り方を知らない。先生として何をすればいいんだ? 予習するにも踊りが得意な人が分からないしどうしたものかと」
ベレトの発言に初めきょとんとするヒルダとマリアンヌであったが、訓練時には到底見ようがない困った様子の彼を見て微笑んだ。取り付く島もないと思われがちだが、ベレトはむしろ空気をよく読む方で、こういうイベントでも真面目に考えるところが、金鹿の生徒から慕われる理由の一つだった。
「先生そんなに固くならなくても大丈夫ですよ。これは流石に学級の評価に関係ないですし、息抜きのようなものですから」
「私もそう思います。何か問題行動さえ起こさなければ特に問題ないかと」
「つまりはクロード君を押さえていれば大丈夫です!」
流石は鷲獅子戦の前日に下剤を盛ろうと本気で考えていたクロードである。仲間からも大きい催しの時に真面目にやるという信用がない。いや、ある意味信用があるのか? とベレトは思い直す。
「クロードには念を押しておくとして、気になってるのは息抜きとはいえ、学級ごとの対抗戦がある事だな」
「それはまあ、諦めましょう」
苦笑するヒルダにベレトが疑問符を浮かべていると、マリアンヌが説明してくれた。
「今年は黒鷲の学級にドロテアさんがいますから」
「そう、踊りと歌の本職がいるんですよ。黒鷲の学級は間違いなく彼女でしょうし、勝てないから適当にやるってわけじゃないですが、彼女が歌姫になるためにしたそれまでの努力を、こんな短い準備期間で超えられるとも思いません」
なるほどとベレトは思った。どうしたって経験の差は埋めがたいし、ヒルダの言っている事は正しい。しかし目標設定がないとどうにもしっくりこない。ヒルダはそんなベレトの思考をお見通しだった。
「でも先生の事だから、きっと半端は嫌ですよね? だったら目標を変えましょう」
「というと?」
「全力で勝ちに行く、ではなく全力で楽しむ! あたしたちの学級の生徒が皆楽しめたらあたし達の勝ち! これでどうですか?」
「それは……最高だな」
ベレトは控えめながらも笑みを見せる。これは彼が最高に喜んでいる証だ。うまく行ったとヒルダは後ろ手にピースをして見せる。マリアンヌは穏やかな笑みを浮かべてベレトへ提案した。
「じゃあ早速その方針を学級の皆に発表しましょう」
その日の内に打ち出された方針は、基本ノリのいい金鹿の皆に好評であった。早速白鷲杯満喫大作戦が始まったわけだが、いつもと違った光景がそこにはあった。
教鞭を取るのはベレトはなく、ヒルダ、ローレンツなどの貴族組だ。踊りは貴族のたしなみの一つだ。実際個人の好き嫌いはあるだろうが、社交界が主となる貴族であれば必ず覚えさせられる。
一方で平民出身の方はというと、貴族と話したのはこの士官学校が初めての者が多く、社交界のルールなどさっぱりのわけで、平民の数が最も多い金鹿としては、白鷲杯はある意味一番大変なイベントであった。
このままでは楽しむなんて到底無理なので、今回の作戦の趣旨は、金鹿の全員が楽しめるように、ダンスそだけではなく、人を誘う時のマナーなど、最低限必要なものを皆へ標準装備させる事にある。
いつもなら頼りになるベレトは、貴族とは一番遠い位置でそれまでを過ごしてきたため戦力外、この中ではむしろ最底辺だ。よって今彼は生徒の席に座って真面目にノートを取っている。
その横にはフレンもいて、こちらはこちらで嬉しそうに話を聞いている。フレンはどちらかと言えば貴族側に見えるのであるが、今の今まで誰かと踊った事はないらしい。金鹿の中でまたセテスの評価が下がった瞬間であった。
ちなみに用意されたテキストなどは知識の虫であるリシテアのお手製で、言葉で説明しにくい踊りの動きに関しては、絵心のあるイグナーツが協力していた。普段控えめの彼が自ら立候補してのもので、己の趣味が皆の役に立つ事に彼はご満悦の様子だった。
一方、踊りの実技の方で意外と戦力になったのはベルナデッタである。コミュニケーションレベルがようやくDからCくらいまでなった彼女だが、出身は帝国で貴族の名門である。教養のレベルはトップクラスであった。
ただそれを誰かに教えるのは致命的に向いていないため、彼女の仕事は専ら参考モデルだ。貴族勢が代わる代わる説明をする中、ベルナデッタはその動きを実際にやってみるといった形だ。
皆に注目されながら踊るのは、彼女としてはありえないくらいの進歩であったが、それもクロードに対抗戦の代表となるか、モデルとなるかの二択を突きつけられた結果であった。なまじ実力がある故に選出されてしまった悲しみ、その日ベルナデッタは父を恨む理由が一つ増えた。
こうして生徒主導で隙のない計画が組まれたわけであるが、肝心の金鹿の代表は誰になったのか、それは何と
ラファエルであった。
繰り返す。
ラファエルであった。
別にふざけているわけではなく、今回の趣旨として楽しむ事がメインだったため、代表もあえて踊りを知らない人から選出しようと決めていたのだが、その中で一番上達したのがなんと彼だったのである。
普段から肉体を鍛えているせいか、体のキレが格段に良く、またリズム感も悪くなかった。だからか不思議と見栄えが良かった。女性とのペアだと大柄の彼の場合、体格差がありすぎて見た目が今一になってしまうが、ソロで踊るとその巨漢はむしろ迫力がある。
流石にラファエル自身、自分が選ばれると思ってなかったので初めこそ戸惑い気味だったが、大らかな性格の彼の事、納得すれば対応は早い。今では踊りを全力で楽しんでいる。
なお体のキレだけならベレトも負けてはいないが、ベレトは残念な事にリズム感が致命的だった。女性側に先導されてやっと踊れるくらいで、どんな時にもペースを乱さない戦場でのメリットは、曲に合わせる踊りに対して真逆に働いた。
元傭兵の性なのか、自分が信用していないリズムに合わせるのは、ベレトにとって凄く抵抗があるらしい。故にベレトは曲がない状況で、勝手に躍らせた方が上手いという面白い事になっていた。本来曲なしの方が難しいのであるが、こういう部分でも普通と違うのは何とも興味深く、もし先生と戦う事になったら音楽を流せと言われるくらい、曲ありのベレトの動きは珍妙だった。
しかしながらネタをネタで終わらせないのが金鹿の級長である。クロードはベレトと生徒が訓練している時にこれを実際にやろうと試みたが、曲を流そうとした矢先に目の前に剣が飛んできて、慌てて飛びのいた。ベレトいわく、いつかやると思ったとの事。先生直々の厚い信頼にクロードは涙した。
そしてネタをネタで終わらせないのはベレトも一緒だ。どこで魔が差したのか分からないが、案外これも有用じゃないかと思い至った彼は、この珍妙な動きを自身に取り入れた。
それはリシテアとの剣の訓練時の時であった。ふとベレトの動きが止まったのを見て、リシテアは何かする前兆として身構えた。目を凝らして彼の動向を伺う。
「とあぁぁぁぁぁ!!」
直後ベレトは雄々しく叫び、ピーヒャララーと擬音がつきそうな謎の踊りをした。
「ぶふぉ!!」
ベレトのいきなりの奇行にリシテアの腹筋は崩壊し、そのまま一本失った。ついでにベレトの中にいるソティスも腹筋に大ダメージを負った。その後も、
「今度こそ先生を「とあぁぁぁぁ!!」ぶふぅっ!!」
「ペガサスナイトの速さなら「とあぁぁぁぁ!!」 ぶはっ! ちょ、落ちる落ちる!!」
「狙撃で狙い撃ちま「とあぁぁぁぁ!!」 な、なんなんですかその動きぃぃ!? ね、狙いが、うっふ「とあぁぁぁぁ!!」ちょ、その動きで近づいてこないで「とあぁぁぁぁ!!!」嫌ぁぁぁぁぁ!!!」
この真面目な顔して奇妙な踊り作戦はあまりにも効果的過ぎて、生徒から使用禁止を言い渡される程だった。また笑いの沸点の低いソティスからも死にそうになるからやめてと封印指定をくらった。
そんな珍事があったが、金鹿の白鷲杯向けての準備は順調そのもので、昼は訓練、夕方から踊り、めいっぱい詰め込んだ日常は慌ただしく過ぎていく。その節の金鹿の学級の食費は2割増しであった。
そして――――
「オデの筋肉を見ろぉぉぉぉぉ!!!」
金鹿一、否、全生徒一のラファエルの筋肉が躍動した。
一番踊りからほど遠いイメージの生徒の選出、そんな彼の意外な才能は会場の空気を一変させる。荒々しさと力強さ、女性では持ちえない男性ならではメリットをフル活用した踊りは、審査員のみならず、優勝候補であったドロテアも戦慄した。というのも劇場では基本的に優雅な踊りが求められるので、ラファエルのようなアプローチは前衛的であったのだ。
勝負そのものはドロテアの勝利であった。歌姫だけあってやはり洗練されているし、表現力だってずば抜けている。彼女とラファエルにあるレベルの差は歴然であるが、強烈に記憶に刻まれたのは間違いなくラファエルの方であった。しかし審査員は受けた衝撃をどう扱っていいか分からなかった。彼の踊りは良いも悪いも関係ない所にある。つまりそれは評価の基準が出来ていない「新しさ」そのものであった。
ドロテアは己を殴りつけたい気持ちでいっぱいだった。士官として訓練しつつも、歌姫として自主トレをかかした事はない。だがドロテアは決められた事しかしてこなかった。自身の持つ技をより洗練させる事のみに尽力し、新しい何かを取り入れようとしてこなかったのだ。
慢心していた、そう言わざるを得ない。その新しい何かはドロテアこそ生み出さなければならなかったのだから。新たな可能性をあろう事か素人に見せつけられた事実、情けないと思う以上に心から沸き起こる情熱は彼女の身を焦がした。
この後のドロテアは女性らしさのみならず、あらゆるものを表現しようと努力するようになった。歌の技量だけでなく物事に対する理解力を深め、表現力へと昇華していく。伝説の歌姫はこの悔しさから生まれたのであった。
学級対抗戦の表彰が終わると、生徒達がそわそわとし始める。見る方ももちろん楽しいが、生徒にとって白鷲杯のメインイベントは、やはり自分たちが主役になるダンスパーティーの方だ。生徒達はパーティーの開始を今や今やと待ち望む。
そんな彼らの前に現れたのは大司教レアだ。いつもなら大司教らしい荘厳な振る舞いをしている彼女だが今日ばかりは違う。長年の経験から白鷲杯に参加する生徒達を熟知しているレアは、堅苦しい挨拶などは早々に終わらせて、会場にいる全てに人に向けて開催を告げ、各所から喝采が上がった。
しかしすぐに踊りが始まるわけではない。今だけはこの場所は貴族の社交場であり、決められた格式を守らなければならない。まずは各学級の級長がパートナーを決めてホールの中心へと向かう。それから他の生徒も続き、それぞれ位置を確保する。生徒達が位置についたのを確認すると、この白鷲杯のために呼ばれた一流の交響楽団の生演奏が始まり、生徒達は優雅に踊り始めた。
そこからはもう堅苦しい話はなしだ。皆が思い思い楽しむ中、ベレトは教員席で生徒達の様子を眺めていた。それを見たハンネマンが意外そうな顔をして尋ねる。
「ベレト先生は踊らないのか?」
「生徒達が主役ですし、教員の俺が出るのはおかしいのでは?」
「別にそんなルールはないぞ? ほら、あそこを見てみろ」
ベレトがハンネマンの指さす方へ視線を向けると、そこには生徒にまじって踊るマヌエラの姿があった。若い男子生徒と一緒にいる彼女はとても楽しそうだった。いや、笑顔の裏に執念が見える。まさか生徒の中から伴侶を探しているのか? 彼女の必死さに思わず閉口してしまったベレトであったが、ハンネマンは慣れているのかスルー安定であった。
「私からすれば彼女よりも若い君が踊らないのは変に思えるが」
「……正直に白状すれば下手なんです。踊りが」
練習はしたんですが、とベレトは付け足す。意外な答えにハンネマンは笑いを禁じ得なかった。
「君にも苦手なものがあったか」
「音に合わせる事がどうにも苦手で」
「なるほど、曲に合わせられないと。全く持って君らしいな。まあ苦手なら無理する必要はない。ただ生徒達は君を放っておかないと思うぞ?」
「そうですよ先生!」
ベレトがハンネマンの真意を汲み取る前に背後から声がかかる。そこには一曲終えたのか、ヒルダが立っていた。
「あたし達の目標は『学級の皆全員で楽しむ』です。それには先生も含まれているんですからね!」
ヒルダはベレトに有無を言わさず手を差し出す。これは逃げられそうにないと観念したベレトは、彼女の差し伸べた手を取って立ち上がった。
「お手柔らかに頼む」
「任せてください! ちゃんとリードして見せますから。後先生には金鹿女子全員と踊ってもらいますから覚悟してくださいね!!」
その後ベレトの前には有言実行とばかりに代わる代わる金鹿の女子生徒が訪れ、何故だかエーデルガルトにも誘われる始末。そして視覚出来そうなほどほとばしる執念を発するマヌエラ、彼女との踊りは隙を見せたらヤラれる、そうした凄みがあった。
ベレトが真剣勝負を繰り広げる中、他の金鹿の生徒の方は平和に楽しんでいた。これはあらかじめ作戦があったのが大きい。こうした優雅な雰囲気の大舞台、平民出身の生徒達は慣れない環境からどうしたって気後れしがちだ。
だからこそ金鹿の貴族組は異例ともなる、級長のクロード以外、ダンス開始から同じ組の平民の生徒を誘うようにしたのであった。また金鹿の事情は他の組にもちゃんと根回し済みだ。青獅子のシルヴァンなんかはすぐに別の組の子を誘いそうだから、真っ先に釘をさして置いた。
こうして平民組は知っている顔のおかげで緊張が和らぎ、2、3回ほど繰り返して慣れた後、本番と言わんばかりに他の学級の生徒達へと混じっていった。結果は大成功、こうして金鹿の学級は目標であった皆が楽しめる白鷲杯を完遂したのである。
ダンスパーティーが始まって一時間は経っただろうか? 知人とはほぼ一通り踊り終えたベレトであったが、ダンスパーティーはまだまだ続きていた。生徒達が楽しんでいるのを確認し、安堵の息をつくと、ベレトは外の空気が吸いたくなった。
隣のハンネマンに伝えた後、ベレトはこっそりと会場から抜け出した。外に出ると大きく深呼吸をし、肺の中の空気を入れ替える。普段は感じない疲労感に首をかしげる。体力的なものではない。精神的な疲弊であった。
ベレトとしても白鷲杯は楽しくはあったし、生徒が充実している様子を見るのは好ましかった。ただ貴族の文化に慣れていない彼としては、どうしても気苦労があり、途中退室したのもそれが限界を迎えてしまった故の事であった。
ベレトはふと思った。景色の良いところに行きたいと。慣れない事をし過ぎた影響か、いつもと違う事がしたくなったベレトが周囲を見回すと、普段はあまり気にもしない塔が目に映った。景色が良いところと言えば高い所である。見つけたからには即決だった。
塔の屋上は吹き抜けになっており、満天の星空があった。「ほう」と思わずため息が出る。しばしその光景に見とれていたベレトであったが、徐々に体がうずうずしてくるのを感じた。どうにも慣れない動きを強制され続けたせいで、自分のペースで体を思いっきり動かしたいらしい。
しかしながら今から訓練場行くわけにもいかないし、どうしたものかとベレトが悩んでいると、まさかの来客が現れた。
「こんなところにいたんですか」
「リシテア?」
「結構探しましたよ。まさか塔に登ってるなんて」
何故とベレトが問いかける前にリシテアは答えた。
「相当ストレス溜まっていたみたいですからね。それこそ塔なんて登ってしまうくらい」
「確かに慣れない環境で苦労したけれど楽しかったには間違いない」
「そこは疑ってませんよ。でも楽しさと疲れは別です。貴族である私だってこの堅苦しさを苦手に感じる部分もあるんですから、貴族の風習に慣れない先生なら尚更かと」
くすくすと笑うリシテアにベレトは多少気恥ずかしさを覚える。つまらないわけではないと弁明しようとしたが先回りされてしまった。ベレトの内面は身内以外でとても分かりにくいと言われていたのであるが、最近生徒達には結構バレる。特にリシテアに至ってはかなりの確率だ。
訓練で対峙しているかぎりでは読み負ける事は早々ないが、戦闘以外ではこうして先を取られる事も増えてきた。そして彼女はさらに先を予測している。リシテアが持っているのは何と訓練用の剣2本だ。つまりリシテアはベレトが今したい事を完全に読み切った上でここに来たわけだ。わざわざ訓練場に取りに行ったのだろうか、実に用意周到であった。
「先生は先生自身のペースで踊るのが好きなんですよね? というわけで一曲如何でしょうか?」
どこか挑発的な笑みを浮かべてリシテアはベレトに剣を差し出す。断る理由はどこにもなかった。
(4) 女神の塔での逢瀬(物理)
リシテアはふと思った。こうして剣を持ち、ベレトと正面から対峙するのは何度目だろうか? 初めはしっかり数を数えていたが、当たり前の日常になってからはカウントするのをやめた。それくらいリシテアの日常は彼と共にあった。
ベレトは初め、剣先を相手に向ける、いわゆる正眼の構えを取っていた。剣術の基本中の基本である。しかし今のベレトは半身の姿勢から剣を担ぐようにして構えている。剣での受けを想定せず、かわす事を前提とした異端ともいえるその構え、かわしてからの必殺の一撃で沈めるのはカウンター型の極致であった。
やっとベレトからこの構えを引き出せた時、リシテアは己の成長と共に未熟さをも痛感した。何せベレトがこの構えになってからは、彼女はいつもあっという間にやられてしまったのだから。
リシテアの基本は魔法剣を元にした受けからのカウンターで、ベレトのそれとは似て非なる。同じカウンタータイプでの戦いはフェイントと本命を織り交ぜた思考戦になる。しかしながらベレトの剣が後方にあるという特性は、『相手の剣を弾いてトドメの一撃を入れる』という戦略上、一度相手の技を受けたいリシテアにとっては非情に厄介で、かつてベレトがジェラルトと対峙するとき問題としていた技の『出所が掴めない』を、リシテア自身体感させられる羽目となった。
『ジェラルトさんも凄いですが先生も大概です!』と思わず文句たれてしまったのは仕方のない事だろう。何せいくらリシテアが受けようとしても、悉く打ち合いを避けられ、一度も剣に触れさせてもらえなかったのだから。そのすべてが視覚の外から一撃をもらっていて、実戦だったら何度死んでいた事か。
それでもリシテアは運良く一度だけ読み合いで勝った事がある。ベレトは上段の構えに入っており、リシテアはそれに合わせて剣に魔力を送り込み、受けの構えを取る。リシテアとしては会心といっても良い流れであった。リシテアの脳裏に勝利が見え始めた時、突如ベレトの剣は軌道を変え、上から来ると思っていた衝撃は横っ腹に突き刺さっていた。
理解が及ばず唖然としたリシテアに対して、ベレトが告げたのは恐るべき事実であった。強靭な腕力に柔軟性に優れた体、そしてどんな体制でも崩れない体幹、それらが揃った時何が起こるのか。答えは至極単純でベレトは力技で無理矢理剣の軌道を曲げたのだ。
ただでさえ難攻不落なのに、『見る力』と『体の強さ』でいざという時も無茶が効く。無茶苦茶であるがそんなベレトもさらなる上の存在、ジェラルトを超えようと切磋琢磨している。生徒でもあり弟子と言っても過言でないリシテアも、実力の差に慄いて諦めるわけにはいかない。
それからも愚直にベレトに挑戦し続けたリシテアであったが、勝てこそしないが数秒で倒されるという事はなくなり、カウンター成立までは行きはしないものの、何度かは打ち合えるレベルまでになっていた。
その中でリシテアが理解した事がある。肝心なのはお互いの位置という事だ。たった一つの距離感だけがリシテアにとって勝負が許される。
リシテアが必殺の一撃に繋げるために必要な受けを成立させるためには、ベレトがもはや変えようもないくらい、ぎりぎりのタイミングで受けの構えを取らなければならない。重要なのはベレトの剣が届く距離ではなく、リシテアの剣が届く距離じゃなければならないという事だ。何とかベレトの攻撃を受けれたとしても、リシテアの間合いの外であれば返しの攻撃へ続けられないのだ。
小柄のリシテアの場合、ベレトに攻撃を当てるためには一歩踏み込まなければならない。だが近づいたら近づいたで罠がある。密着しすぎるのも駄目なのだ。何故ならベレトは片手持ちのため前の手は開いており、この手はただの飾りではない。
リシテアは一度思い切って突っ込んだ事があったが、踏み込みに合わせて重心を後ろに下げたベレトに腕を掴み取られ、そのまま軽々と放り投げられてしまった。
攻撃が届く距離まで近づいたとしても、近すぎると手と剣の両方を相手にしなければならなくなり、状況としては非常に厳しい。つまりリシテアはベレトの手が届かず、彼女の剣が届く距離でのみ、まともに戦う事が許された。
経験から修正し、経験から修正し、一歩一歩進んできて今のリシテアがある。それは誰だってやってきている事、才能ある者とない者の違いは『気づく』か『気づかない』かだ。
対等で戦える場所を見つけたのは良いが、一つの距離でしか良い勝負できない状況では、結局のところ先がない。相手は遠距離以外ならどこでも戦えるのだ。ご丁寧にリシテアが望む距離で戦ってくれるわけがない。ベレトと攻略するには何か根本的な部分を変えなければならない。
問題に直面した時、彼女のする事は決まっていた。
『見る』事である。
ベレトと戦っていない時、彼女はずっと他の生徒と訓練するベレトを見ていた。対峙している時と違って感覚で学ぶ事はできないが、知識として得るにはこうして客観視できる観客でいた方が遥かに良かった。リシテアが注目したのはベレトの利き腕の反対、何も持っていない腕の方だ。
剣とは関係ない場所であったため、リシテアはそれまで特に注視してこなかったのであるが、実際に戦ってみるとこの左手ほど嫌なものはない。物を持っていないからリーチそのものはないが、一方でその使用法は多岐にわたる。
例えば単純に手を突き出されて視界を遮られるだけでも厄介で、切り払おうとしてもベレトは手甲を装備しているので軽くではびくともしない。だからといって思いっきりやろうとすれば、その隙に本命をねじ込まれている。
この視界を遮る技は立ち合いだけでなく、ベレトが攻撃する時にも使われる。ベレトが剣をふるう時、左手の位置が絶妙に剣筋を隠すようになっていて、どこから攻撃が来るか見にくいのだ。
これだけでもリシテアは頭の仲が一杯一杯なのに、フェイクでも何でもなく直接拳が飛んできたりもする。さらに手の場合、ここから打撃か投げかに派生するのだから対応する方はてんやわんやだ。
リシテアがベレトに勝つためにはこのベレトの左手が届く距離を制さなければならない。あの左手から逃げ回るのではなく、真っ向勝負して振り回されないようになって、勝負は初めて対等になる。
そしてリシテアは『気づいた』。
両者の違いは純粋に手数の差から来るものだと。ベレトもリシテアも得物は剣一本だったが、リシテアは剣を両手で持っていた。一方でベレトは左手と剣、手数にしてみれば単純に倍だ。剣二本持ちの二刀流じゃなかったから分かりにくかったが、ベレトの左手は明確な武器であり、剣と拳、その両方が達人レベルであるのだから、リシテアがどうにもならなくなってしまうのは当たり前の事だった。
気づいたからにはリシテアは考えた。ベレトに並び立つにはどうすればいいのか。単純に真似ればいいものではない。剣は鉄の塊だ。その重量は相当なもので、だからこそリシテアは両手で振るっていた。片手剣ももちろんあるが、軽くなった分耐久力は下がり、何より長さが短くなる。攻撃範囲が狭くなるのは思いのほか影響が大きい。ただでさえ小柄な身、リーチを犠牲にするのはできれば除外したい。
ベレトの強さは読み合いに長けているのもあるが、本来両手で持つ剣を軽々と片手で扱える力があるのも大きい。適性があったとはいえ、あれだけ重さのある天帝の剣を縦横無尽に振り回すのだから、体そのものの強さだって相当であろう。
手数を増やさなければならないのは必須、しかし前に比べて健康で強くなった体であっても、剣士としてはまだ一年にも満たないリシテアでは、ベレトの体の強さには到底及ばない。だがリシテアにはベレトにはない利点もある。
剣と拳で行けるのであればきっと……
(先生、これが私の答えです!!)
リシテアはベレトと相対する中、片手を剣から手放し、半身の姿勢で空の手の方を前に突き出した。ベレトと似たような構えだが、違いはベレトが剣を肩に担いでいる事に対し、リシテアは腰より下の位置で構えているという事。
「………」
見慣れぬ動きにベレトは警戒の色を濃くする。張り詰めた空気の中、先に仕掛けたのはなんとリシテア側だった。彼女は全力疾走して思いっきり下から斬り上げる。だが片手のせいか振れてはいるが、いつもよりも遅い。ベレトは難なく軌道を見切り、横、ではなく斜め前に踏み出す。攻めの回避だ。
そこから最速の攻撃である拳を突き出そうとした矢先、ベレトは彼女の異変に気付いた。空いている手がベレトの方へ向いていたのだ。ベレトにとって幸いだったのは攻撃の手段として剣ではなく拳を選んでいた事。ベレトは己の直感に従い、咄嗟に地面に剣を突き立て、その勢いで跳躍する。その僅かの後、漆黒の塊が先ほどベレトのいた場所を通過していった。
「これは……ドーラ?」
「まったく何でそこで『下がる』ではなく『飛ぶ』なんですか」
リシテアとしては決めるつもりの一手だった。横に逃げたら手先を変えるだけで、容易に軌道を修正できた。下がるのは魔法であり飛び道具でもあるドーラには無意味だ。故に詰み。上なんて選択肢は予想外も甚だしい。
「でも……これでやっと勝負になります。行きますよ!!」
そう、リシテアの得た答えは剣と魔法の二刀流であった。かつてもリシテアはダークスパイクからの魔法剣の2連続攻撃を試みていた。しかし単純に最大火力を求めていた前回と今回では意味合いが異なる。今回はベレトの主戦法を元に論理的に考え、対ベレト用として一から考えたのだから。
リシテアの空いた手は常にベレトに照準を定めており、ガードが不能で対魔力でしか防げない魔法という事が強さを後押しする。
ドーラは闇の攻撃魔法の中で最弱だが、その分詠唱も短く出が早い。そしてリシテアのドーラは普通とは違う。彼女には豊富な魔力があるため、初級魔法であってもその威力は無視して良いものではないのだ。
またリシテアが剣を下段に構えているのは振る瞬間以外は魔力を抜いているからであった。魔法剣を維持したまま戦っていると燃費が悪いのだ。片手持ち故にまだ筋力が足りず、魔力を込めても鋭く打ち込めない未完成品ではあったが、それは後々詰めればいい事。今は立ち回りで負けない事が最重要だ。
牽制のはずのリシテアのドーラは、それが決まり手になりかねないほど凶悪な性能のため、受ける選択肢がなくなってしまったベレトは照準を絞らせないよう、細かく位置を変えざるを得なくなった。
リシテアにとって魔法牽制による恩恵は大きく、ベレト自身、リシテアのような戦略を取る相手と相対するのは初めての事もあって、形勢としてはリシテアの方が有利に運んでいるように見えた。だがリシテアとしても実のところ余裕なんてあるわけなかった。左手と右手のマルチタスクは想像以上に忙しく、集中力はガンガンと持って行かれる。ベレト相手ともなれば尚更だ。
距離を放していても、一瞬でも目を離せば死角に入りこまれそうになる。最初は前後左右と位置を入れ替えていたベレトであったが、徐々に横の動きをなくし、小刻みに前後へ動くようになる。リシテアはそれがドーラを誘う動きであると見なした。横ではなく直線にしか動かないのは、リシテアに当てられると思わせるため。
だがここで釣られて撃ってしまうのは愚の骨頂である。何せドーラはいくら回転率が良いと言っても所詮魔法だ。詠唱がある以上最低でも数秒は掛かるし、すぐに連発できない。牽制そのものに威力があるのと引き換えに、リシテアはタイムラグという弱点を持っているのだ。魔法の先出しだけはしてはならない。
しかしこのまま待ち続けてもらちが明かない。先に剣で仕掛けるかとリシテアが考えた矢先の事、ベレトは何かを拾う動作をした。そのまま振りかぶったのを見てリシテアは気づいた。何も飛び道具は弓に限った事じゃないと。予想外の行動故、リシテアにはベレトが何を拾ったか見えなかったが、状況から察するに石と断定し、回避するために備える。
構えるリシテアなどお構いなしにベレトは豪快なフォームで投げつける。それと同時にリシテアはたんと両足で地面をたたいた。それは素早く行動するための予備動作だ。
だがリシテアにはベレトの腕から放たれたものは何も見えなかった。
(……あれ?)
一瞬の困惑の後、リシテアはベレトの真意に気づいたが時すでに遅し、彼はもうリシテアのすぐ前まで迫っていた。
(しまった!!)
ベレトはリシテアに隙を作るために一芝居うったのである。彼は投げるフリをしただけであった。実に単純な手だが、ベレトの攻撃は一級品、例え石でも油断すれば無事では済まない、それはリシテアがベレトの強さを知るからこその揺さぶりであった。
「ぐぅっ!!」
間をずらされた事により反応が遅れたリシテアは、ベレトの斬撃を両手で受けざるを得なかった。ベレトの渾身の一撃は魔力を通しても跳ね返せないほどの重さで、リシテアは歯を食いしばる。
このまま力比べは分が悪いと踏んだリシテアであったが、突然それまで感じていた重さが消えた。その意味を察したリシテアは慌てて次の攻撃に備える。右からか左からか、リシテアは少しでも情報を得ようとベレトの体の動きを凝視する。しかしベレトはようやく構えなおした程度で、次の攻撃動作に入っていなかった。
普通であればチャンスである。だがリシテアは自分の想定しているベレトの速さと、今のベレトの速さが一致しない事に困惑し、どう動けばいいか分からなくなってしまった。そして
「あ……」
「勝負あり、だな」
気づくとベレトの剣が目の前にあった。やられた、とリシテアは項垂れる。初めこそペースを握ったが、その後は翻弄されっぱなしであった。悔しさをにじませつつ、リシテアはすぐに先の戦いを考え直す。
間違いなく呼吸を読まれていた。リシテアが何かしようとするタイミングにかぎって、ベレトは行動してくる。先手先手を取られてしまい、思考力が落ちていってしまった。それから満を持しての『あれ』だ。
ベレトはフェイントも多用するが、最後の一手として使ったフェイントに、リシテアは今までにない強烈な違和感を覚えていた。感覚的な話になるが、あの一瞬だけリシテアの相手はベレトではなかった。まるで素人のようなぎこちなさ、それを何であるかリシテアは知っている気がした。
「先生、さっきの決める前の動きですがひょっとして……例の踊りから、ですか?」
「ああ、良く気付いたな。音楽を流すとリシテアも知っている通りだが、頭の中で曲を流しても、途端に変な動きになるのに気づいてな。初めは妙な弱点もあったものだと思ったんだが、剣の面で考えればこれも変調という技巧の一種、磨けば光るんじゃないかと思い至ったんだ」
「先生があの踊り戦法を始めた際、そうした意図があるだろうなぁとは思っていました。でも完成形がここまでのものなんて……」
例え同じ仕組みであったとしても、最初の頃の奇妙な踊りと今回のそれは全く別物だ。最初の奇妙な踊りでは相手にそれが踊りであると理解させる必要があり、ベレトはその弱点をオーバーリアクションで注目を集める事で埋めていた。
だが今回に至っては事前の仕込みなどない。ベレトは一瞬で強烈な違和感を生み出し、相手にそのすべてをぶつける。予測の外から来る思考の断絶は玄人ほど凶悪に作用し、剣の腕に自信がついてきていたリシテアも頭を真っ白にさせられてしまった。
ここまで見事にしてやられると感心せざるを得なかった。戦いを理解してきたリシテアだからこそ分かる事だが、己の中のリズムを崩すという事は並大抵の事ではない。普通はむしろ自分のリズムは死守するべきであって、崩されないように尽力するものだ。それをいくらフェイントのためとはいえ、あえて自ら崩すなんて自殺行為に等しい。人は思った以上に感情に左右される生き物で、自分の思い通りにならないストレスは尋常じゃないのだ。
こんな危険な博打みたいな行為は、すぐに自分のリズムに戻せるベレトだからこそできる芸当であった。否、そうできるように訓練したのであろう。元から切り替えられるよう努力はしていたのだが、出来なかったからこそ勢いで押し切った、その産物があの奇妙な踊りだったわけだ。
ベレトですらすぐにはモノにできなかった奇策中の奇策、それは間を支配しうる強力なもの。それこそ彼は今に至るまでずっと訓練していたのだろう。皆に禁止されてからも一人でずっと切り替えを繰り返し……踊りを……
「くふふっ」
想像したら笑いがこらえきれなかった。
「失礼」
慌ててリシテアは真面目な顔を取り繕う。そしてリシテアは尊敬の念をベレトへ告げた。
「先生は凄いですね。私一生懸命考えたのに追いつくどころか、先生の方がもっと強くなっちゃってました」
「生徒が優秀だからこそ、だ。負けられないと思えば熱も入るさ。剣と魔法の組み合わせ、見事だった」
優秀な生徒と呼ばれ、リシテアの頬が緩む。でも悔しいは悔しいので文句は言っておくのは忘れない。
「その割にはあっさり攻略してくれちゃいましたね」
「そうでもないさ。リシテア、君はきっともう投げたフリには引っかからないだろう?」
「当然です」
「となるとこっちも接近する手を一個なくした事になる。今から次はどうするか考えている最中だ」
「奇遇ですね。私も早速次どうするか考えています。一つ確認したいのですが先生……」
リシテアは一呼吸置くと、真剣なまなざしでベレトに問うた。
「私の考えた剣と魔法、今後も使っていけますか?」
その道に先があるか、リシテアはどうしても知りたかった。
「君の剣は前例がないから、俺にはっきりとした事は言えない。君が開拓した道は君自身で判断しなければならない。だから俺が言えるのは、敵として対峙した感想になるが……」
ベレトはリシテアに向き直り、己の正直な感想を告げた。
「最高に厄介だった。もし戦場で出くわしたら真っ先に倒さなければならない、そう思うほどに」
表現が物騒だったが最高の誉め言葉だった。リシテアはぐっと己の拳を握りしめ、ベレトの言葉をかみしめる。また一つ成長が出来た、それは今のリシテアにとって何より嬉しい事であった。
「ところでリシテア、この戦法は訓練の時やっていなかったが今ぶっつけ本番だったのか?」
「部屋でこっそり動作の練習はしていましたが、実際に魔法を使ってやったのは初めてです。先生には隠しておきたかったですし、他の皆との訓練でやると……その、魔法がですね」
「ああ、当たってしまったとしたら確かに危険だな」
基本的に武器を扱う者達は対魔力は低いとされる。一度対魔力検査をした事もあったが、鋼の肉体を持つラファエルがその典型的な例で、サンダーソードに軽く触れる実験で動けなくなるくらい痺れていた。そんな彼がリシテアのドーラに当たったとしたら、あの巨漢であっても相当のダメージを負ってしまうだろう。
ドーラの魔法は飛び道具、かわしたらそのまま飛んで行ってしまうので、訓練場で使ったらそれこそ大惨事だ。リシテアの判断は賢明であった。
「威力が高すぎるのも困りものだな」
「ちょっとビリってするくらいに力加減出来ればいいのですが、なかなか難しくて……」
「動作が違うから投剣も無理か。いや、魔力で飛ばすアイテムがあればいいのか?」
「なるほど、それだったら確かに調整はたやすいです」
裏で二人の会話をこっそり聞いていたクロードは失笑した。
「……まったく何でこんないわくつきの場所にいるのにするのは訓練の話かね」
と言うのもベレト達がいるのは女神の塔と呼ばれていて、とある逸話で有名な場所であった。
女神の塔で愛を誓い合った男女は必ず成熟するという。
偶然にも女神の塔にいるのは先生と生徒とはいえ、一組の男女であるのだが、恋の色など一切見えてこない。らしいといっちゃらしいのだけど、この仲の良さで二人とも鈍感なのはどこか納得いかない。
ちなみにクロードの名誉のために補足しておくと、彼は好き好んで聞き耳を立てているわけじゃない。色々と裏で探っている彼であったが、今回は純粋に先生をねぎらおうと探しに来ただけであった。
流石に女神の塔に探しに行くのは抵抗があったが、もしそこにいるのであれば、いらん噂がたたないよう離れた方が良いと伝えるつもりだった。その結果出くわしたのが二人の訓練だったわけだ。
こんな場所にもかかわらず二人は相変わらずだなと思い、これに割って入るのは無粋だとして帰ろうとしたクロードであったが、リシテアがドーラを放ったのを見て思いっきり慌てた。何せドーラは飛び道具だ。かわされた飛び道具はどうなる? 何かに当たるまで直進する。つまり歴史的建造物であろう女神の塔に当たる。結果、歴史的建造物が破損する。
武器さえあればそれで弾いたりなどできたであろう。だが今のクロードは着飾っているだけで武器らしい武器はない。だから
クロードは己自ら当たりに行った。魔力みなぎるリシテアのドーラに向かって。
金鹿の学級の未来を守るために。
この時の彼はまぎれもなく漢であった。
「リシテアの奴、どんだけ魔力ため込んでんだか。全然立てないんだが。というかだな。訓練所で人に当てる危険性は考えているのに、何故建物の事は考えないんだか……」
名誉の負傷をしたクロードはげんなりしながら空を見る。ちょうどクロードは屋上入口にいるため、彼らが帰るときにばっちり出くわすだろう。顔を真っ赤にして文句を垂れるリシテアが目に浮かぶ。クロード自身動けないからこの未来は確定だ。
「何て理不尽……でも放置されたらされたで困るんだよなぁ」
クロードの苦悩などいざ知らず、ベレトとリシテアは会話に没頭する。
「先生のそれ、ジェラルトさんにも効きますかね?」
「分からない、が試してみる価値はあると思う。だから都合さえつけば近い内に申し込んでみるつもりだ」
「期待してますよ! 私は壊刃を超えた灰色の悪魔を超えるんですから!」
リシテアの言葉にベレトは強く頷く。二人は師弟の関係であるが、一方で道を究めんとする同士だ。互いに高め合って強くなっていき、大きな壁を超える。リシテアはそんな未来を夢見た。
ジェラルトが凶刃に倒れたのはそれから10日後の事であった。
闇が、とうとうその邪悪な牙をむいた。
ベレトがジェラルトを超える日は訪れなかった。
FE風花雪月のSSを書くのが難しい理由は、基本的に闇にうごめく者のせいだと思う。pixivで初稿を書き終えたとき、凄く時間がかかり、難産だったのを覚えております。その理由は作中でベレトとリシテア達が語っていた通りのもので、一部の時点で本編の「闇うご」の連中の動きがわりと ? で、私自身もどうしたものかといった状態だったんですよね。
本を入れ替えてどうなるんだよ! とか、姿ばらす必要ないじゃん! まだ潜伏してようよ! とか、考え始めれば堂々巡りで。(相手が賢過ぎれば本編で詰んじゃうわけですが(苦笑))
そこら辺の疑問がなんとか形になった事でやっと先へ進められました。
他ですとやぱり鷲獅子戦は書いていてめちゃくちゃ楽しかったです。大人数を動かすのは大変でしたが、ここまでの大規模は戦いは書く方も「超っ! エキサイティン!!」で、テンションマックスでした。
あの高台を使わない手はない! 一話で出番なかったイグナーツの活躍もようやく書けましたし、ワープを有効利用するにはどうすればいいか? など、詰め込みたい事全部詰め込んだ感じです。
その結果として、余り良いところがなかった他の学級ですが、それほど地の利は大きいという事で納得していただければと。その圧倒的地形効果を数値化すると、高台に陣取っていたベルナデッタで命中と回避補正+50、火力+3、射程+2くらいのイメージですかね?
ベレトの空いた手も使って戦うというスタイルはスマブラから取りました。スマブラですと弱攻撃で普通に殴ってますし、昔からあの独特の構えが面白いと思っていたので。
それに対して魔法と剣で戦うリシテアですが、彼女の強さを具体的に言うと、ジャブがストレート並みに威力があり、しかもガードの上から貫通するボクサーって感じです。普通にえぐいです。
白鷲杯は最後の日常なので結構遊ばせてもらいましたw 実際ラファエルを踊り子にした人っているのだろうか?
次回からは思いっきりシリアスになりますが、第一部終了を目指して進めたいと思っております。今回もお読みいただきありがとうございましたー!!