先生を救うのに奮戦するリシテアと金鹿の皆をお楽しみください。
プロローグ
色鮮やかな花が咲き誇る庭園、その中で白き少女が一人舞っていた。威勢の良い声で振るう剣閃は一切の淀みを感じさせず、その卓越した技は剣を知らぬ者であっても魅了する。ちょうど昼休憩であったメイド達は、偶然居合わせた自分たちの幸運を喜び、うっとりしたような表情を浮かべていた。
「はえー、戦いの事あまり分からないけど、お嬢様の動きは美しくて惚れ惚れしますね」
「美しいだけでなく実際凄く強いのよ! 私この前お嬢様と他の兵士の皆さんとの鍛錬を見ていたんだけど、屈強な男達が3人がかりでもお嬢様に勝てなかったんだから!」
「本当ですかそれ!? 見てみたかったなぁ」
会話に華を咲かせるメイド達の背後から迫る影、その正体はメイドの中のメイド、百戦錬磨のメイド長である。
「ハイハイあなた達、休憩時間は終わりよ」
突如かけられた声に二人は慌てて立ち上がり、姿勢を正す。
「め、メイド長!? もうそんな時間ですか?」
「す、すみません直ちに」
「走らない! メイドたるもの常に優雅につつましく!」
「「はい!!」」
メイド長の叱咤にメイド達は全力疾走をやめ、服の裾を両手で摘まんで、小走りで去って行った。
「それでも急いでいるのがバレバレよ。速さはもちろん必要だけど急いでいるように見せないようにしないと。あの子達もまだまだね」
メイド長はなかなかに厳しかった。しかし見送るその顔には笑みが浮かんでおり、これからを担う若きメイド達への信頼が見て取れる。
「さて、お嬢様はと……」
目的の人物はなおも集中した様子で剣を振るっていた。ただの反復行動ではない。あの手この手で多彩な技を繰り出す。そう、彼女は戦っていた。己が作りだした仮想の相手と。
「二人が見とれてしまうのも分かるわ。確かに美しいわよね。本番を想像しながらやるのは私達もそうだけど、お嬢様の場合はまるで誰かと踊っているみたい」
剣を待って踊る行為は実在し、それらは一般的に剣舞と呼ばれている。単純に娯楽として見るものであったり、儀式的なものであったりとその用途は様々だ。彼女の剣は踊りのためじゃなく実戦のための剣だ。だが洗練された動きはそれだけで美しい。
その白く美しく輝く髪をなびかせて、躍動する少女を見ているうちにメイド長はふと郷愁にかられた。メイド長は言った。『誰か』と。その『誰か』を考えた時、メイド長は自分の娘を思い出した。
もしも娘があの悪魔の実験から生き残れていたら。もしかしたら今ここでお嬢様の相手としていたのは娘だったかもしれないと。あれだけ仲の良かった二人の事だ。お嬢様が剣を始めたと知ったら、娘も始めていたに違いない。
しかし都合の良い空想はそこまでだった。現実にメイド長の娘はもういない。そして少女の真剣な眼差しの奥に感じる強さは、かつての悲劇を乗り越え、先へと進んだからこそ生まれたものである。
「人生ってままならないものね」
今だからこそ、かつての平穏がどれだけ尊いモノだったか理解できるという皮肉に、メイド長は苦笑せざるを得なかった。
今のフォドラの情勢は芳しくない。目の前にある光景は平穏そのものであれど、一歩外に出るとそこは戦時下なのだから。3年前のあの日、帝国はガルグ=マク大修道院へと挙兵し、大修道院は陥落した。リシテアが今こうしてコーデリア家に帰ってきているのはそうした理由であった。
しかしながらコーデリア家の未来は決して暗くはない。何せコーデリア家には類まれなる頭脳を持つリシテアがいる。本来であれば戦火に呑まれているであろうコーデリア家が、こうしてまだ存在出来ているのはリシテア達、金鹿の学級の生徒達のおかげだ。
かつての小柄な少女はみるみる成長し、今や身長はメイド長を追い越すほどになっていた。目の前にいるリシテアはこうして平穏な時を演出しているが、その頭にどれ程の策が巡っているのであろう。
メイド長は時代を担う人物がどういった人物であるかは分からない。土地を治めるには単に清廉潔白だけではやっていけないからだ。だからと言って非情に徹っしすぎても今度は領民からの信用を失うであろうし、何が正しいかは政治を見ているだけのメイド長には分かりようがない。
それでもリシテアの背中は大きく、頼もしく映った。きっとコーデリア家は、レスター諸侯同盟は大丈夫、そう信じられるほどに。
ただ一つ懸念があるとすれば一人欠けているという事。
「お嬢様の恩人であるベレト様。あの人が帰ってきてくれさえしたら」
リシテアが在籍していた金鹿の学級の教師、ベレトは未だに帰ってきていない。帝国軍はベレトが封じられた森での戦いでいなくなってしまってから、それ程間を置かずに大修道院へとやってきた。まるで彼がいないのを見計らったかのように。
たった一人で何が変わると思うかもしれないが、メイド長は会った事もないベレトの凄さを正確に把握していた。リシテア含む、彼の教え子たちの活躍をまざまざと見せられてきただけに。今やレスター諸侯同盟は大人ではなく、彼らが中心となっている程だ。
ただでさえ驚きの連続である金鹿の元生徒達である。彼らを率いる先生が帰ってきたら、凄い事になるに違いない。
メイド長はきっとそれが近いうちに見れる光景だと信じていた。3年以上の月日が流れたにもかかわらず、リシテア達はまだベレトの事を諦めていない。リシテア達は帝国の進軍を止めながらも、ずっと準備し続けていたのだ。
『ザラスの禁呪』に飲み込まれたベレトの救出、
それが成された時、きっとレスター諸侯同盟は完全となり、戦争を終結に導くのであろう。さらにメイド長は考える。戦争が終わった暁にはお嬢様を恩人である先生と……
「ま、これはまだ気が早いかもしれませんね」
行き過ぎた妄想を反省しつつ、メイド長は祈った。
「見た事もない私達の恩人、ベレト様、必ず帰ってきてくださいね。コーデリア家に来た暁には精いっぱいおもてなし致しますので」
(1) 諦めない者達
時は遡り3年前、ベレトを失った事はそれまで順風満帆であった金鹿の学級にとって、初めての挫折であった。
金鹿の生徒達は直接殺されたわけではないという僅かな希望に縋り、彼の帰りを待ち続けていた。否、待つ事しかできなかったと言う方が正しいか。金鹿の生徒達はそれまで禁呪なんて見た事もなかった。いくら知恵を絞ろうがその破り方なぞ思いつくわけがない。
しかし時間は有限だ。いつまでも待ち続けるわけには行かない。封じられた森が大修道院から近場だったため、食料などの物資も最低限だ。野営をするには準備が足りないし、何より士気が惨憺たる有様、その中で帰る判断が出来たのはなけなしの理性をふり絞った結果であった。
ベレトは優秀な教師というだけでなく、金鹿の生徒達にとって心の支えであった。故にベレトを失った喪失感はとてつもなく、特にベレトに一番懐いていたであろうリシテアの消耗は激しかった。ショックのあまり、回りから手を引かれてないと歩けない程で、もしも連戦なんて事になっていたら、間違いなく命を失っていたであろう。それ以上の戦闘がなかった事は不幸中の幸いであった。
精神的なダメージは指揮を執っていたクロードも相当なもので、『負けた』と思ってしまった事実が重く圧し掛かる。失ってはならないものを失ってしまった。表情に出るのを隠そうとしても隠しきれない悲しみと怒り、叫ばなかったのはクロードなりの精一杯の抵抗であった。
ベレトが闇と共に消えた話は金鹿の学級が帰った直後、ただちにガルグ=マグ全体に知れ渡った。ベレトの勤勉っぷりはガルグ=マグ大修道院では有名であり、ジェラルトだけでなくベレトまで失ってしまった悲しみはガルグ=マグ全体を包んだ。
ベレトの人徳を思えばそうなるのは当たり前の事であったが、予想外というよりも予想以上と言うのが妥当となるか。レアが激昂した事に皆は驚きを隠せなかった。レアのベレトに対する溺愛っぷりは周知の事実であったが、ジェラルトと言う旧知の知人の子という理由だけでは済まされない異様な執着を、クロード達は改めて思い知る事となったのである。
彼女の怒りはとどまる事を知らず、それこそ金鹿の生徒達を断罪しかねない勢いで、セテスが止めていなかったら本気で危なかっただろう。ただでさえベレトの喪失で弱っていた所に、学校内でも立場が悪くなった事が重なり、弱り目に祟り目の金鹿の生徒達が受けた心労は多大なものである。
やけになって全てを諦めてしまいたくなるような絶望、その深い傷を癒すには時間が必要であるが、起きてしまった事を過去のものとせず、崖っ淵でぎりぎりに踏ん張っている者がいた。金鹿の学級の級長、クロードである。
ガルグ=マグへ帰った後、クロードはずっと考えていた。何をどう間違ってしまったのかを。己の無力感に打ちのめされても、けっして自棄になったりはせず、ふって沸いた疑問点をクロードはじっくりと問い詰めた。
そして答えを得た日の夜、クロードはリシテアの部屋の前を訪れた。
「リシテア、何より先生を慕っていたお前が一番きついのは分かるが、時間は待ってくれない。決断の時だ」
「嫌です」
リシテアの返事は簡潔であった。ずっと部屋に籠っていたわりには意志の強さがはっきりとしており、クロードは密かに笑みを漏らす。
「おいおい、話を聞かずに断るなんてあるか」
「先生を諦めるなんて事はできません。例えそれがどれだけ愚かな事だとしても」
クロードとしては発破をかけるつもりであったが、すでにベレトを助けようと策を練っているのが見え見えで、その必要はなさそうだった。
「人を勝手に薄情者にするな。誰が兄弟を諦めると言った?」
リシテアからの返答はなかった。だがクロードは焦らずにのんびりと待つ。彼女の出す答えなぞ分かりきっている。程なくしてリシテアの部屋のドアが開かれた。クロードの予想通りに。
現れたリシテアの目にはうっすらクマが浮き上がっていた。だがそれは泣きはらしていたとかそういう類のものではない。覗く部屋からは大量の本が積み重なっているのが見え、彼女の脇にもそのうちの一冊が抱えられている。
どうやらずっと何かしら調べものをしていたらしい。すでにリシテアは次の行動に移していたのだ。
「思ったより大丈夫そうじゃないか。眼のクマはともかくとして」
「悲しむのは後でもできますから。泣いている暇があったら助ける方法を探します。もはや可能性は低いかもしれませんが確定はしていません。もし……ダメだったとしてもせめて遺体は持って帰りたい」
リシテアのそれはまさに悲壮な覚悟であったが、クロードはリシテアの思う最悪の想定については懐疑的であった。
「そこんところなんだがな? 俺は先生が死んではいないと考えている」
ベレトは生きていると言い切って見せたクロードをリシテアは訝しげに見る。これ以上ない嬉しい情報であるが、それをすぐに信用できるほどリシテアはお気楽な脳はしていなかった。
「何故そこまで断言できるのですか? 先生を助けると言った私が言うのもなんですが」
「リシテア、お前は奴らが『ザラスの禁呪』と言ったものを何であるかを調べていた。違うか?」
「ええ、ですがさっぱりです。私が使う闇魔法に近いものがあるように思えるのですが、有力な情報は探し切れていません。クロードは? ひょっとしてザラスの禁呪がなんであるかを掴んだのですか?」
「いーや、さっぱり。分からんものは分からん」
あっさりと降参したのにリシテアは思わず脱力しそうになったが、頭は切れるクロードの事、言いたいのは別の事なのだろうと思い直し、彼の真意を待った。
「だからさ。俺は視点を変えてみたわけだ。何であいつらはザラスの禁呪なんて大層なものを使ったのか」
「禁呪を使った理由……ですか?」
「だってそうじゃないか。たった一人のためにあんな大それた儀式を行うか普通?」
クロードの意外な着眼点にリシテアは眼を見開いた。話が早くて助かるとクロードは先を続ける。
「俺ら全員一網打尽にするのなら分からなくもない。でも奴らが狙ったのは先生たった一人だ。いくらなんでも代償と対価が見合ってない。普通に殺してしまった方がある意味楽だろうに。不意打ちありきではあったが先生の親父さん、ジェラルトさんの場合はそうしたろ?」
リシテアとしてはまさに目からウロコであった。ザラスの禁呪の凄まじさにばかり気を取られていて、何故それを使ったのか動機の方へ頭が回らなかった。
「リシテアの話によれば、ジェラルトさんは先生よりも強かったんだろ?」
「ええ、先生本人がそう言っていました。実際見たわけじゃありませんが」
ふとベレトと二人で協力してジェラルトを超える約束が脳裏によぎり、それが2度と果たせなくなった事実にリシテアは目を伏せる。しかし今は悲しんでいる時ではない。気を取り直したリシテアは冷静に己が知っている情報を話した。
「先生と同等かそれ以上なのは間違いないかと」
「少し言葉が悪くなるが、ジェラルトさんと同等の強さで『しかない』先生に対して、奴らは禁呪を利用した。その理由は? 二人の違いはどこにあった?」
リシテアは必死に頭を回転させる。実力はどちらとも申し分ない。となると別の理由になる。因縁の深さ? 確かに金鹿の学級は不思議と何度も闇にうごめくものと鉢合わせた。でも初めのうちに限っては、彼らは金鹿の学級を意に介した様子はなかったはずだ。己の使命こ優先していたように思える。
彼らから明確な敵意を感じたのは何時の時だったか……
「え? もしかして……」
辿り着いた答えにリシテアは唖然とする。ジェラルトになくてベレトにあったもの、確かにあった。それはベレトが女神再誕の儀襲撃事件の時に偶然手にしたもの。
「天帝の剣……それがザラスの禁呪を使った理由とあんたは考えているのですか?」
クロードは無言で頷いた。
「それでは禁呪が使われたのは天帝の剣を欲したから? いいえ、その場合であっても先生を生かす必要はない。殺してから奪えばいいだけの事」
答えに近づいているが何かがずれている。そう考えたリシテアは顎に手を当て、禁呪の真意を探る。大前提として闇にうごめくものの目的はベレトを抹殺する事である。ここに間違いはないはずだ。
何故普通の手段を取らなかったのかというと、そうせざるを得なかったと考えるのが打倒である。つまりは、
「あいつらは先生を殺したくても殺せなかった?」
戸惑い気味に呟くリシテアにクロードは指を鳴らし、肯定を意を示す。
「滅茶苦茶な話だが、俺らは英雄の遺産の力の一端を知っている。一番印象に残っているのはマイクランの暴走だが、あれはあくまで失敗例だ。俺らが参考にするべきは『天帝の剣』、あるいは『雷霆』だろう。正しい持ち手が使用した『雷霆』の強さも凄まじいものだった」
「強いのは分かるのですが……」
雷霆の持ち主と言えばカトリーヌであるが、リシテアがすぐに同意できなかったのはカトリーヌもまた地力があるためである。リシテアが訓練場にいた時、たまたま居合わせた彼女と手合わせした事があるのだが、簡単にあしらわれてしまった。
搦め手もしてくるベレトとは違い、カトリーヌのそれは真っすぐな愚直な剣筋であったが、とにかく早いのだ。しかも一撃一撃が重い。ひたすら彼女の剣を捌くだけで精いっぱいで、読み合いまで持ってこれない。
当の本人からは良く何度も私の剣を受けられたねと褒められこそしたが、もしこれが実戦だと考えたら正直生きた心地がしなかった。無論これは彼女が雷霆を持っていない状態での手合わせである。
「正直な話、先生とかカトリーヌさんとかと手合わせしていると素で強いので、どれが英雄の遺産の力なのか分からないんですよね。天帝の剣が鞭のようにしなるのは知っていますけども」
「リシテアは戦場でのカトリーヌさんを見た事はなかったか。まあ俺も見れたのは偶然だったんだが何て説明したもんか……」
クロードの歯切れの悪さを見るに雷霆の力は凄まじくても、説明しにくいものらしい。確かに見てすぐに分かるような能力ならもっと士官学校内で話題になっていてもおかしくない。英霊の遺産を訓練で使うわけにはいかないだろうし、知られていないのも当然と言えるかもしれないが、それにしたって情報が少なすぎる。
今一英雄の遺産の強さのイメージが湧かず、リシテアは首をひねる。
「一言で言えば超高速とでもなるか。カトリーヌさんから紋章が浮かび上がったのを見たんだが、その直後、あり得ない速度での二連撃が放たれた。例えるならそうだな……木の棒を振る感じか?」
「何とも例えが妙ですが、つまりはこう言いたいわけですか? 重さを感じない」
「ああ、まさにそれだ。俺らが訓練用武器から鉄の武器、さらには鋼の武器への乗り換えた時、重さの違いの驚いたよな? 基本的に高威力の武器であればあるほど重さは増し、扱いが難しくなる」
リシテアは苦い顔になる。鉄の剣はまだ良かった。だが鋼の剣の重さと言ったら。それこそ三段飛ばしと言っても良いだろう。だから重さを感じないという一見地味な事でも、実体を知る身からすれば凄い事ではあった。神がかっている程かは疑問であったが。
「まあ重い武器であっても筋力さえあれば早く振る事もできるだろう。先生がそうだしな。でもカトリーヌさんのあれはそういう次元じゃなかった。雷霆の威力は抜群なんだ。ともなれば重量だって相応にあるはず。普通あんな無茶な動きをしたら腕がイかれていてもおかしくない」
武器は重くなれば重くなるほど全身の連動こそが重要となる。腕力だけで振ろうとすればそれこそ肩が抜けるだろう。最初は奇妙に思えた木の棒という例え、なるほどうまいものだとリシテアは唸る。
「リシテア、一つ確認したいんだが、お前の魔法剣はこう、武器を扱いやすくとか軽くなったりするものなのか?」
「全くないと言えば嘘になりますが、結局は元の武器に依存しますよ。剣に魔力を帯びさせる事で威力は格段に上がりますが、これは魔法力が鎧を突き抜けるからであって、速度が増したわけでも、硬度が増したわけでもありません。だから鋼の剣の扱い辛さはそのままですし、あれが訓練用の剣並みに扱いやすくなるとかは流石にないですね」
「だよな。お前はどう思う? 英雄の遺産、雷霆について」
「単純に考えれば軽くても頑丈で、威力があるって事になるのでしょうが、今一ピンと来ませんね。下手に常識に当てはめるよりも別の要因が作用していると考えた方が良いかと。 例えば……」
思考をめぐらせるリシテアであったが、突然口に手を当てたと思いきや、せわしなく視線を動かす。何かに思い至ったのは明白であった。
「リシテア?」
「その、雷霆の話じゃなくて天帝の剣に戻るのですが」
「それでもいい。聞かせてくれ」
「一度、興味本位で先生に聞いた事があるんです。天帝の剣は普通の剣と何が違うのかを。最初はそれこそ先ほど言った鞭のようにしなるなど、視覚的にも分かる部分での話だったんですが、その後にふと言ったんですよね。『普通より先の事が見えているみたいだ』、と」
その言葉を聞いた瞬間、クロードの目が鋭くなる。
「私はこれを感覚が鋭くなるとか、眼が良くなるとか、自己強化の類と思っていたんです。何せ先生は相手の体の動きから次手を判断するのに長けています」
「つまりリシテアは『予期』だと思っていたわけだな」
「ええ、でももしこれが言葉通りの意味だったとしたら? 己の経験や相手の傾向から次を判断するのではなく、本当に次に起こる事が見える『未来視』……」
「リシテア、覚えているか? ジェラルドさんが不意打ちを受けた際、先生はクロニエが行動に移す直前にもう天帝の剣を放っていた。あの謎の男に防がれていなければ、あれは確実に間に合っていたはずだ」
「先生だけが気づいていたのは未来視で凶行を知っていたからこそ。でも未来を見たはずの先生の一撃を防いだって事は、闇にうごめくものは天帝の剣の力について知っている?」
「……リシテア、お前の推察は間違ってないと思う。突拍子もないが、『ザラスの禁呪』を使う理由としてはむしろアリだ。理に適ってる」
先を知る事ができるというチートじみた能力、これでは確かに本人が望まない限りは死ぬ事なんてありえない。
「そうなると『雷霆』だって『天帝の剣』に近い力があるんじゃないか? 『時』が関連しているのなら、あのあり得ない速さは持ち主の『時の加速』とすれば納得できる」
リシテアは唸った。できるできないはともかくとして、理由としてはこれしかない。またクロードの言う通り、能力が非現実的であれば非現実的であるほど、闇にうごめくものが英雄の遺産を恐れているという理由付けの根拠が増していく。
「未来視があると仮定して、先生を攻略しようと考えた場合、選べる選択肢は先が分かっていてもかわしようがない広範囲攻撃になるだろう。無論それも先生がどれくらい先まで分かっているかによるが。でも先生がジェラルトさんの死を防げなかった事を見るに、そう長い先までは見れてないはずだ。もっと先まで見れていたのなら、どうしようもない状況に至る前に止められていたはずだからな」
「今になって思えばジェラルトさん殺害は、先生の予知能力を計る目的だったのかもしれません。つまり奴らの狙いはジェラルトさんではなく初めから先生だった」
情報がそろってきたリシテアは頭の中を整理する。
闇にうごめくものは、当初の目標であった天帝の剣を手に入れる事が出来ず、それだけでなく使い手が現れてしまった。天帝の剣の力の恐ろしさを正しく知っていた彼らは、ベレトの使い手としての能力を量り、そして罠へとおびき出すために父であるジェラルトを殺害。全ての仕込みを終えた彼らは満を持してザラスの禁呪を発動した。
「点と点が……繋がった!」
「しかし『ザラスの禁呪』を攻撃とするならば遺体が全く残らないというのは変だ。またあれだけの闇の奔流だったにもかかわらず、周囲にその衝撃による傷が残ってない。そこから推察できるのは……」
「ワープやレスキューのような転移魔法? でもワープなどと違って『ザラスの禁呪』は逃げられない様に対象を隔離し、拘束する力がありました」
「一言で言えば『封印』じゃないのか? 殺さずとも無力化できる次善策だ」
殺せなくとも動けなくしてしまえばいい。封印と言う言葉はしっくりきた。例えワープの亜種であったとしても、実際に出来るかは別として、孤島とかピンポイントに飛ばしてしまってもいいだろう。要はこのフォドラの地にさえいなければいいのだ。
「問題は私達では立証する術がない事です。推測は出来ても結局『ザラスの禁呪』の原理が分からない事には」
「そこを埋める方法があると言ったらどうする?」
「えっ?」
「俺らが封じられた森に行こうとした時、ずっと反対していた人がいただろ? そして帰ってきた時に烈火のごとく怒っていた人物……」
「それってつまり」
「ああ、レアさんだ。俺らが行く前、あの人は何故あんなに恐れた? 先生が心配だったのは分かる。でもそれは何故だ? 闇にうごめくものが何者であるか、どれ程危険であるかを正しく知っていたからじゃないか?」
クロードの説をリシテアは考える。
「……辻褄は合うかと思います。図書室では意図的に情報を消していたようにも思えますし、一方で闇にうごめくものはそれを快く思っていないようでもありました。ガルグ=マグ大修道院に所蔵されていたはずの天帝の剣がどういったものであるか、奴らが正しく知っているのも妙な話ですし。察するに過去の因縁のようなものでしょうね」
「だろうな。書物に書かれている内容からすると、かなり古い時代から闇にうごめくものは存在していた。レアさんが直接対峙していたかは分からないが、あの心の底から嫌悪した感じ。セイロス教と闇にうごめくもの、両者の間で何かあったと考えても良さそうだ」
「色々分かってきましたが、一つだけ全く解決していないものがあります」
そこでリシテアは一度言葉をくぎった。すぐに言えなかったのはリシテアとしても口にしていいか分からなかったからである。それは誰もが感じている異常さ、しかし誰もがその理由を思い至らない。
「何故、レア様は先生に執着しているのでしょう?」
これだけ熟考を重ねても、レアがベレトに取る態度については一切理由が見当たらなかった。騎士団長ジェラルトの息子である以外、ベレトとレアを繋ぐ情報がないのだ。何せその溺愛っぷりはベレト自身も困惑していた程だ。
鷲獅子戦でも教師であるベレトの参戦を推奨したりなど、公平性をぶん投げるような発言をした事もある。ベレトは丁重にお断りしていたが、士官学校の最大イベントにもかかわらず、暴論を言ってのけるレアにその異常性が現れていた。
「分からない」
リシテアの問いに対しクロードは首を振る。しかしその顔に悩んだ様子はなく、確信があった。
「だがレアさんの先生に対する執着こそが俺達の切り札になるかもしれない」
(2) 一筋の光
金鹿の教室に来る生徒達はまばらであった。ベレトがいなくなってしまった事で、授業は出来ない状況となってしまったためである。時機が時機ゆえ代理の教師も立てられず、何も授業を受けられない状況が続く。
しかしながら仮に代理が来て授業をしたとしても、ジェラルト、ベレトと悲しい現実が積み重なった負担は大きく、まともな授業にならなかったであろう。
そんな意気消沈していた金鹿の生徒達が再度集まったのは、封じられた森から帰ってきてから一週間後の事であった。金鹿の生徒へ招集をかけたクロードは、早速リシテアと話し合った事を皆へと伝えた。
「にわかには信じられんがしかし……」
「筋は通っているんだよねぇ」
ザラスの禁呪や英雄の遺産に対する大胆な仮説、闇にうごめくもの達の動機の予測に対し、ローレンツやヒルダをはじめ、各々が反応を示す中、まず真っ先に質問を上げたのはベルナデッタであった。
「先生が生きているかもしれないのはもちろん嬉しい話なのですが、一つ確認したいです」
「なんだベルナデッタ?」
「私、引き籠りだから良く分かるんですけど、閉じ込められたとして食事などはどうしてるんですか? 特に水に至っては死活問題です。だからベルは十分に用意してから引き籠るわけですが。あの闇が直接先生に危害を加えなかったとしても、孤立した状態で食料なしであるのであれば……だからこそベルは帰る時、その、こんな事……本当は! 本当は言いたくないですけど! もう、無理なんじゃないかって!!」
ベルナデッタの胸が締め付けられるような悲痛な声に皆がうつむく。痛々しい姿に見てられなくなったラファエルは彼女の代わりに尋ねる。
「そこんところはどうなんだクロード君? オデなんかは何にも食えないなんてなったらすぐにダメになっちまいそうだけどもよぉ」
「俺が生存を信じるのにはそれなりの理由がある。今セイロス騎士団の動きが活発になっているのを知っているか?」
「装備を整えた騎士団が出て行ったのは、僕も何度か見ていますが、それと関係が?」
イグナーツの問いにクロードは頷いた。
「ああ、実は彼らがどこへ向かっているか、伝手がある人物にこっそりついていってもらっていたんだが、ビンゴだったよ。向かった先は封じられた森だ」
リシテアを除く皆が驚いた表情を浮かべた。何故なら騎士団が封じられた森に行ったという事は、その理由は十中八九ベレトの捜索だからだ。それはきっとレアの主導で行われている可能性が高く、彼女がまだベレトを諦めていないのが明白であった。
「先生がいなくなった四柱があった広間で何かしら調査をしていたとの事だ。そしてそこには普段見慣れない一団もいたらしい」
「そう言えば騎士団の人達は誰かを護衛しているような感じでした。見慣れない姿だったので覚えています。フードを被っていた人達だったような……」
「それで間違いないぞイグナーツ。彼らはウォーロックにビショップなど上級の魔法職のみで構成された一団で、そこには俺らが見た事がない魔法職も混じっていたそうだ」
「僕達が知らない魔法職? そんなものがあるのか?」
ローレンツが訝しげにクロードを見る。
「一見するとただのビショップなんだが、纏う魔力が違って見えると言っていたな。それこそ俺らから先生を奪ったあいつらに酷似しているらしい。さしずめダークビショップと言ったところか」
「驚いた。セイロス騎士団はそんな者まで抱えているのか……」
ダークビショップという兵種があるという事は、セイロス騎士団が元から闇にうごめくものを知っている証拠のように思えた。士官学校内で普段は見かけないこの者達は、闇にうごめくもの達を知り、対応するために作られた兵種であろう。そこまで思い至ってローレンツはクロードの真意を理解した。
「毒を以て毒を制すという事だろうが、それはセイロス騎士団が闇にうごめくものについて、正しい知識を持っているのが前提だ。つまりクロード、お前は『ザラスの禁呪』の正体について、その謎の一団は何かしらの知識を持っていると、そう言いたいわけだな?」
「ああ、さらに言えばその一団を結成したトップはレアさんだろう。あの人は間違いなく『ザラスの禁呪』が何であるか知っていると俺は思う。それに調査の規模が遺体捜索にしては規模がでかすぎると思わないか? 何か焦っているようにも見える。焦りがあるって事は……」
「先生は生きているという事の裏返しと言う訳か」
「理由はともかくとして、そう考えても良いと俺は思っている。そうでなければこのガルグ=マグ大修道院が手薄になるほどの人をさかないはずだ。その対価にまるで見合っていないからな。だから確証がないまま動くのは好きじゃないが、俺は先生が生きている事に賭ける事にした」
「はは、暇があれば策を練っているようなあんたが『賭ける』なんて言葉を使うなんてね。生きているたって0%が1%になったようなもんじゃないか」
それまで黙っていたレオニーが豪快に笑って見せた。
「でもいいねそれ。気に入ったよ。駄目もとで足掻いてみるのも悪くないさ。先生を取り返せるならね」
「おうともよ。何かできる事があるならオデも頑張るぞ!」
ベレトの生存の可能性に湧き上がった生徒達であったが、ローレンツとヒルダなど、貴族組は複雑な表情をしていた。
「話は分かった。しかしだ。これは……賭けだな」
「だよね。あたしもそう思う」
のりきれていない二人にレオニーは不満げの声を上げる。
「どうしたんだよ二人とも。まだチャンスがあるってんならやるしかないじゃないか」
そこに待ったをかけたのはリシテアだ。
「いえ、レオニー。二人の懸念は正しいです」
「先生を助けるってだけなのに何か問題でもあるのか?」
「セイロス騎士団は先生の救助にもかかわらず、生徒である私達に声をかけませんでした」
リシテアの指摘が痛い所だっただけに、レオニーは苦虫を噛んだような表情を浮かべる。
「そりゃ確かにあの時わたし達は先生を守れなかった。要は信用を失っているって事だよな? でも人手はあって困らないはずだろ。いくらレア様がわたし達を信用していないと言っても、少しでも可能性が上がるのであれば、流石に断わらないんじゃないか?」
「ええ、レオニーの言っている事は合っています。でも理由は信用だけじゃないんですよ。私達が先生を助けるためには『ザラスの禁呪』の正体を知らなければなりません。それは多分闇にうごめくものの正体にも繋がると推測されます。つまりセイロス教が今の今まで隠し通してきた部分を暴くという事になるんです。言うなれば歴史の裏になりますでしょうか? 秩序の裏にあった知られざる歴史、それが権力の源であるのは容易に想像できます。つまり私達が知ろうとしている事はセイロス教の弱点を知る事にもなりかねない。最悪の場合、セイロス教が敵に回ります」
リシテアの説明を受けて、いつもの勝気な様子は鳴りを潜め、レオニーは青ざめる。今のフォドラの中心であるセイロス教を敵に回すという事は、ある意味では人権を失うと同義だ。黙ってしまった皆に対してクロードは補足した。
「全てはレアさんの心次第だな。秩序を維持する以上に先生を助けたいのであれば、俺らにも割って入る隙はあるし、逆に先生よりも秩序の維持を優先するのであれば、俺らに立ち入る隙はないってわけだ」
さらに言えばレアの答えがどちらになろうが、クロード達は自分達で練り上げた仮説をさらけだす事になるため、それが真相に近かった場合、知りすぎた存在としてマークされる事請け合いである。
「まったく本当に頭が痛い話だな。僕個人としてはもちろん騎士団に同行して、僕達の手で先生を助け出したいが、情けない事に即決しかねるぞ」
後ろ盾がない平民も大変だが、ローレンツの言う通り、貴族だって立場があるために難しい。まだ家督を継いでこそいないが、将来は広大な領土の長になる者達ばかりである。己の一存で領民が危険になりかねないともあれば、慎重にならざるを得ない。
「何もしないでレアさん達に任せるというのも一つの手だろうな。先生が助かる可能性もあって、俺らに危険は及ばない。はっきり言ってこれが最良手ではあるだろうな。仮に俺らが同行許されたとしても、あくまで末端、護衛が精々で禁呪の解法の調査に加われる可能性は低いだろう。心情的に納得できるかは別だけどな」
情報はもはや出そろい、残るは決断のみ。
そこから長い沈黙があった。普段前向きであるはずの金鹿の皆が一様に沈む。
それもそのはず、単純にベレトを助ける助けないと言う話ではない。期せずして因縁が出来てしまった闇にうごめくもの、彼らはフォドラの地に混沌をもたらそうとしている。秩序を維持しようとするセイロス教もまた、清廉潔白とは言い難い何かを感じる。ただの士官学校の生徒と言う何物でもないからこそ、流れの中心にいるという事実。
愚かであれたのなら、ただ流され続ければ良かった。しかしベレトと言う存在は、その在り方から、生徒達に当たり前を疑う、考える力を与えてしまった。
真実を見抜く力は磨かれていても、その中で己を貫き通すにはまだ未熟。いくら士官として優秀に育っているとしても、まだ成人に満たない子らにとっては重すぎる決断であった。
その中でリシテアははっきりと己の意思を決めていた。聡明な彼女は皆より早くにこの壁にぶち当たった。どれ程考えようが理詰めではどうにもならない難題であったが、彼女自身の決断は思いの外早かった。
リシテアには分かっていた。本当に迷った時、その時は己の心に従うしかないと。レアがどう出るか分からない以上、未来は不鮮明で危険すら伴うだろう。だが過去の惨劇がリシテアの脳裏に浮かぶ。
もしも妥協した結果が、あの悪魔の実験だったのだとしたら。良かれと思って諦めた結果があの地獄なのだとしたら、リシテアに下がるという選択肢は存在しない。どれ程苦難が待ち構えていようとも、先生を助けるという目標を完遂させる。
だが本人の決意は固い一方で、仲間については迷っていた。リシテア自身はすでにリスクを受け入れているから良いが、本来はクロードの言うとおりに引くのが一番安全ではあるのだ。
ここで声を上げて宣言する事は容易いが、それが金鹿の生徒達の退路を塞ぐような事はあってはならない。下手をすれば一生にかかわってくる問題だ。だからこそ選択は各々がするべきであるのだが、最初の一人に引きずられてしまうのはどうしたってあるだろう。
故にリシテアはもどかしい思いにかられていた。
(私は、どうするのが正解なんでしょう?)
悩んでいるのはクロードも一緒だ。クロードにとってベレトはもはやなくてはならない存在だ。だからこそクロードもまたリシテアと同じく覚悟を決めていたが、金鹿の学級を支配する事は是としていなかった。もしもクロードが本気で一致団結を望んでいたのなら、ここで間髪入れずに自分の決意を表明し、断りにくい空気を作っていただろう。
皆に判断をゆだねるのは聞こえはいいが、それぞれの意見でバラバラになってしまったらもはや収拾がつかない。クロードだってそれは分かっていた。だからこそ本来であれば強引に行くつもりであったのだ。
しかしクロードの心の中で引っかかってた何かがそれを躊躇させた。それはなけなしの良心だったのか。それとも悪役になりたくなかった自己保身故だったのか。
皆が皆、真面目すぎる故に膠着状態に陥ってしまった。考える事を放棄せず、流される事を良しとしなかった故の停滞。金鹿の学級の誰もが思っていた。我を通せるだけの力が欲しいと。十分な力がない以上、手を引く方が正しい。しかし誰もが『それでも』という考えを捨てきれなかった。
そんな中、一人声を上げる者がいた。
「ちょっと宜しくて?」
金鹿の学級に途中から編入してきたフレンである。皆が驚きの表情をもって彼女を迎えた。何故ならフレンは封じられた森から帰ってきてから、一度も金鹿の学級に顔を出していなかった。
今回の話し合いの時にもフレンの出席はなく、彼女がいないまま話は始まったわけであるが、何時にない真剣な表情を浮かべて彼女は現れた。
フレンの登場に一番驚いたのはクロードである。クロード自身、おっとりとして物腰が柔らかいフレンは好ましく思っていたが、レアの側近であるセテスの妹という肩書は重く、もう金鹿の学級へは来れないと思っていた。
フレンが来てくれた事は素直に嬉しい。だがその目的は何であるのか? 彼女の真意が読めなかったクロードは曖昧な表情を浮かべる事しかできなかった。
「今まで来れなくてごめんなさいですわ。わたくしどうすればいいのかずっと考えていたんですの」
「フレンさん、その……大丈夫なんですか? この学級に来て」
一足先に我に返ったイグナーツがフレンを気遣う。彼女の立場は微妙なため、ここに来るだけで勇気がいる行為であろう。それを察しての発言であった。しかしイグナーツの心配を他所に、今のフレンはいつもの加護欲を引き立てる彼女とはどこか違って見えた。
「ええ、わたくしも覚悟を決めましたから」
フレンの言う覚悟が何であるか想像がつかなかったが、強い意志があるのを感じ取れた。何か予感がしながらもリシテアは問い正す。
「何の覚悟、ですか?」
「……理由を問われれば考えてしまうのですが、そうですわね。これを言葉にするなら命を賭す覚悟、とでも言っちゃいましょうか」
茶目っ気ある答えではあったが、真剣味がまるで違う。そこに本気の度合いが伺えた。
「わたくしが、『ザラスの禁呪』とは何であるかお教えします」
金鹿の学級に衝撃が走った。それまでかかっていた深い霧が晴れ、一気に視界が開ける。人生を賭して知ろうとしていた事が、相手の方からやってきたのである。その驚きたるや。
クロードとしてはフレンの立ち位置は知っているし、もしかしたら知っているだろうとは考えていたが、彼女自身から話そうとしてくれた事に驚きを隠せなかった。
「皆さんのご存じのとおり、わたくしの兄は大司教補佐であり、大司教レア様と共にセイロス教を束ねる存在です。故にわたくしも特別な肩書きこそありませんが、中枢にいる一人と言っても過言ではありません。だからこそ皆さんが知らない情報も全てではないにしろ、ある程度は把握しております。ただ情報は『ザラスの禁呪』についてと『英雄の遺産』について、先生の救出に関わるもののみに制限させていただきますわ」
「むしろ気遣いに感謝するよ。個人的には凄く興味がある話だが、今の俺達にとって必要以上の情報は重荷になるしな。俺達はセイロス教と敵対したいわけじゃない。先生を助けたいだけだ」
レアへ直接問いただすイチかバチかのリスクを犯さなくていいのは、現在レアから嫌悪されているであろう金鹿の学級にとって、究極の助けと言っても良い。だがフレンの立場を思うと手放しで喜べるものではない。
「しかし本当に良いのか?」
クロードの問いにフレンは笑みを返した。
「短い間でしたが、この金鹿の学級の皆さんと一緒に勉強して、わたくしはとても楽しかったんですの。特に白鷺杯は素晴らしかったですわ。白鷺杯自体は何度も見てきましたが、ここまで心躍ったのは初めてでした」
今まで見るだけのものを参加できたのが理由の一つ。貴族、平民誰もが楽しめるように尽力したのがもう一つ。あの日、フレンは人の間にある垣根がなくなったように思えた。その中に自分もまた存在している奇跡、心の奥から湧き上がる歓喜の渦、夢心地というのはこういうものなのかと、フレンはその時思い知らされた。
そして彼女はまた、この幸福を守りたいと強く願った。そのためにも一歩踏み込まなければならないとも。
「だからわたくしは思ったんですの。わたくし達も変わらなければならないって」
フレンの言う『わたくし達』とは誰であるのか、『変わらなければならない』とは何に対してなのか、柔和な瞳の奥底は伺い知れない。しかし皆が特別と思っている金鹿の学級を、フレンもまた愛してくれているのだと思うと、それまで沈んでいた心が温かくなるのを感じた。
「先生はきっとわたくし達だけでなく、これからのフォドラに必要な人です。絶対助けましょう」
初めは護衛対象として金鹿の学級に潜り込んだフレン。あまりにも世間知らずでまさに箱入り娘であった彼女だが、胸を張ってトンと叩く姿は可愛らしい以上に頼もしかった。
「ふふ、一度これやってみたかったんですの」
(3) 英雄の遺産
「さて、どこから話しましょうか。話したい事は色々あるのですが……」
話す内容を考えながら、フレンは教壇の上をグルグル回る。何ともマイペースな姿はもどかしくあったが、これこそが彼女自身のペースである。
「まずは答え合わせをしましょうか」
やっと初めの内容を決めたフレンは指をピンと立てた。とうとう明かされる真実を前にして、思わずリシテアは息を呑む。自分たちが今まで考察を重ねてきたものが、合っているのか、それとも誤っているのか、リシテアは知らぬ間に拳をきつく握りしめていた。
「ちょっと待った。答え合わせってもしかして俺達の話を聞いていたのか?」
「ええ、ばっちし聞いていましたわ」
フレンに微笑みを持って肯定された事でクロードはがっくりと項垂れる。
「……話している間、外にも注意を払っていたはずなんだがなぁ」
今回は味方だったから良かったものの、情報漏洩を防げなかったダメージは大きかった。一方クロードを出し抜けたフレンは得意げだった。
「ちょっとしたコツがあるんですのよ」
フレンの意外な特技に驚いた皆であったが、本題こそが重要な今、余計な詮索は後回しだ。フレンもそれまでの笑顔から一転して、真面目な表情に戻った。
「皆さんは何よりも『ザラスの禁呪』の事を知りたいでしょうが、その前に英雄の遺産についてお話しますわ」
禁呪について後回しにされた事で、何人か不満そうな表情を浮かべたが、フレンは「急がば回れです」と制す。
「リシテアさんとクロードさんが話していた未来予知など、英雄の遺産が時に関係するものでないかと言う仮説ですが、半分正解で半分不正解となりますわね。天帝の剣の力が時に関連しているのは合っていますが、一方で雷霆の力は時の加速ではありません。雷霆はどちらかというとインデッハの紋章に近いですわね」
フレンの言葉を受けて金鹿の全員の視線が一点に集まった。
「ひゃああ!! い、一斉に見ないでくださいよ! 気持ちは分かりますけどぉぉ!!」
何せインデッハの紋章持ちはベルナデッタただ一人、そうなるのも無理はない。
「インデッハの紋章は極僅かな時間ではありますが、持ち主に神速を与えると言いますわ」
神速が今一腑に落ちなかったヒルダがベルナデッタに尋ねる。
「あたし不本意ながらも前衛だから、ベルナデッタちゃんが紋章を発動したところ見た事ないんだけど、実際のところどうなの?」
「えっとフレンさんの言う通りではあるようです」
「あるようですって?」
「紋章の発動自体は自覚できているんですけど、それがどう作用しているかが分からない感じとでも言いますか。ベル自身はすっごく集中できて、狙いが定まりやすいってだけなんです。でもベルナデッタ隊の皆さんからすれば、すっごく速くてカッコいい、憧れます! との事で、でへへ」
ベルナデッタの最後の自慢はスルーしてヒルダはなるほどと頷いた。
「そういえばあたしも紋章発動したときって、普段と同じ事をしているはずなのに結果が異なっているかも?」
ヒルダは鷲獅子戦で青獅子と戦った時の事を思い出していた。ディミトリとの勝負している際、偶然紋章が発動したものの、渾身の一撃が防がれてしまった。大きな隙を晒してしまい、焦ったヒルダであったが、恐れていた反撃が返ってこなかった。
斧は強力な分、隙を晒しやすい武器である。体で覚えろとばかりに、訓練で何度もベレトからカウンターを受けていたヒルダは不思議でしょうがなかった。体勢を崩せたわけでもなく、虎視眈々と反撃の隙を狙っていたはずのディミトリが、何故最高のタイミングで何もしてこなかった事を。ベレト相手なら間違いなくやられている。
それまではディミトリの判断ミスと無理矢理納得させていたが、紋章の力のせいだとした方がむしろ納得できるような気がした。
(※ ヒルダの持つゴネリルの紋章は反撃封じです)
ヒルダだけでなく、他の紋章持ちも思うところがあるようで皆思案顔になる。皆の共通点は紋章が発動した場合、己の鍛え上げた技で繰り出す戦技等と違い、普段通りの事をしただけにも拘らず、予想以上の効果を発揮していた事だ。
それまで紋章とはそういうものだと納得していたため、特に問題視はしていなかったが、いざ真面目に考えてみると紋章の及ぼす影響はとても奇妙に見えた。そしてリシテアはその先、フレンが何故今紋章の話題を出したのかを考える。すると答えは自ずと見えた。
「フレンさん、つまり英雄の遺産の持つ力とは、私達の内に宿す紋章と同じなのですか?」
「やっぱりリシテアさんは聡明ですわね。ええ、その認識で合っています。そして紋章の力の本質とは『常識を曲げる力』、『世界におけるルールの改変』ですわ」
「はっ?」
リシテアは思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。とてつもない秘密があるとは思っていたが、予想よりもはるか上の答えでまるで処理が追いつかない。皆が絶句する中、皆の想いを代弁するかのようにローレンツが呟いた。
「クロードとリシテアの予測もとんでもなかったが、それよりも上を行くとは……」
「なんかもう言葉にならないよね。英雄の遺産が凄いってのはそうなんだろうなって納得できるけど、あたし達の持っている紋章もそんな凄い代物だったなんて」
ローレンツの言葉を引き継いだヒルダは乾いた笑みを浮かべる。特に紋章によって生死を彷徨ったリシテアとしては、紋章の凄さを証明されたのは複雑な思いであった。
「自覚ないのは無理もありませんわ。紋章そのものは強力な力ですが、それ以上に問題点もありますし。それを考えるとむしろポンコツですわね」
あげてから思いっきり落とすフレンに皆ずっこけそうになったが、よくよく考えれば納得であった。何せ紋章持ちの当人達が発動すれば運が良い、以上の感情を持っていないのだから。本当に凄かったらまだまだその恩恵にあずかっていても良いはずなのだ。
「問題点は皆さんご存じのとおり、紋章の発動を制御できないという点ですわ。さらに言えば運良く発動できたとしても行われる改変は一瞬ですの。場所も宿主の周囲のみで限定的ですし。本来あってはならない現象でありますからね。すぐに元通りにされてしまいますわ」
「修正力、ですか。まるで娯楽小説みたいです」
率直なマリアンヌの感想に何名か頷く。一際強く反応したのは引き籠り故に娯楽小説も好きなベルナデッタであり、マリアンヌがそういう本も読むんだと意外そうにしていたのがイグナーツである。絵描きのような芸術が好きと言っても、やはり商家の息子らしい。無意識にそれぞれの趣向を追っていた。
「事実は小説よりも奇なりとは言いますが……」
リシテアが頭をかかえる一方で、クロードは呆れと安堵が半々のため息をついた。
「世界ってのはなんだかんだで上手く出来てるんだな。改変能力は実に魅力的だが、だからといって無秩序になってしまうのはごめんだ」
もしも紋章の力の使用が自由で無制限であれば、世はもっと混沌としており、今以上に紋章至上主義になっていただろう。地獄のような光景を思い浮かべてクロードは身震いした。肝心な時に発動してくれない半端な能力に感謝する事になろうとはと苦笑する。しかしながらこれは普通の紋章の場合だ。
「だが英雄の遺産は違うんだな?」
「ええ、英雄の遺産ですが、原理そのものは至極単純ですの。英雄の遺産の大きな特徴として、武器自体に紋章石が埋め込まれている事がありますわ。これはわたくし達の体に刻まれている紋章と同じものです。だから英雄の遺産は武器自体に改変の力がありますの。言うなれば持ち運べる紋章ですわね。ただ使い手を対応する紋章を宿す人に限定するため、持ち運べると言っても自由さはそれほどありませんが。ですが正規の使い手の使う英雄の遺産は、使い手自身が持つ紋章と武器にはめ込まれている紋章との間で相乗効果が発生します。それだけに効果は非常に強力で、さらに使い手が自発的に紋章の力を発動する事も可能となっていますの」
「それがあのカトリーヌさんの異様な強さか。自分の好きな、最高のタイミングで神速を扱えると。常時発動と言う芸当も可能なのか?」
「消耗が激しいためオススメはしませんが、理論上は可能ですわよ」
クロードはカトリーヌの戦いを思い出す。雷霆を使って常時、力を発動していたらそれこそ凄まじい強さとなるだろう。無論適切なタイミングでの利用だけでも十二分に強いが。相手の意表を突くために必要な技術として緩急がある。普通緩急はあえて遅くする事で相手の予期を外し、タイミングをずらすためのものだ。
だが雷霆の場合、その能力で本来の己の最大速度の上を行くため、相手の予測よりも下、ではなく、相手の予測よりも上をいく事で意表を突く。フェイクと本命(トドメの一撃)を併せ持ったまさに秘技、初見殺しも甚だしい。人間を超えた速さを予測できるわけもなく、事前に知らなければ絶対に死んでいる。
クロードはふと思った。武器という形であるのはある意味では枷なのかもしれないと。例えばの話だ。もし神速を与える対象に制限がなかったとしたらどうなるか。戦争で考えるとバリスタ(据え置き式の大型弩砲)などに使われる巨大矢だ。もしこれに神速が乗ればあらゆる壁を突き破る絶対的な兵器となる。
もしも英雄の遺産を研究し、突き詰めればあるいは? クロードは闇にうごめくもの達が異常なほど、英雄の遺産に固辞する理由が分かったような気がした。確かにこれは常識を逸した危険すぎる力だ。
「先生の場合はどうなんだ? 天帝の剣は時に関連すると言っていたが、一体どれ程の力を持っているんだ? 先生は予知能力みたいなものを持っていたようなんだが……」
「天帝の剣は英雄の遺産の中でも特別ですの。予知能力もその一端でしかありません。もしも天帝の剣の真の力を引き出せたとしたら、時を自在に操り、世界を支配するとまで言われておりますわ」
それは分かり安すぎる最強であった。
「時を自在に操る、か。世界のバランスをぶち壊しかねない悪魔のような能力だな。凶悪過ぎる」
悪魔とは言葉選びが物騒で、レアがまた怒りそうであったが、言いえて妙でもあった。世界を意のままに操れるという誘惑はまさに悪魔のささやきである。過ぎたるは及ばざるが如しというが、過剰な力によって支配された世界にクロードが思い浮かんだのは、秩序ある世界ではなくむしろ混沌であった。
誰もが欲する究極の力ゆえに安息は訪れない。ずっと狙われ続けるだろうし、身内にすら妬まれるであろう。事実友好関係を望む上で最も重要なのは対等である事だ。対等が失われた世界にあるのは孤独のみ。恐怖で支配するしか道はない。ここまで来ると最早ない方がましと言えるレベルである。そのような危険なものをベレトは持っている。
「もし先生が完全に天帝の剣を使いこなせるようになったら……」
「その心配は杞憂ですクロード」
懸念するクロードを止めたのはリシテアであった。
「先生は夢に溺れる事はありませんよ」
そう断言するリシテアの目にはベレトに対する絶対の信頼が映っていた。
「もし先生が力に溺れていたとしたら、悲しい過去そのものを変えようとしたはずです。私の二つの紋章の件だって、なかった事にするのが一番いいわけで。それに私の事はともかくとして、先生はジェラルトさんが亡くなった時だって、過去を変えようとかしませんでした。先生は知っているんです。望めば果てがないと。先生は、先生は現実に生きています」
リシテアの仮説にヒルダは耐えかねて顔を覆った。人とのやり取りが得意で、相手の感情を読む事に長ける彼女は気づいてしまったのだ。ベレトが天帝の剣の真の力の可能性に気づいていないわけがないと。つまり彼は悲しみのどん底の中で、ずっと誘惑と戦っていた。できるかもしれない『もしも』を抑え込んでいた。
すぐに叶えられる希望とは何て残酷なのか。ヒルダは思う。もしも自分の家族が不幸に見舞われた時、不幸をなかった事にできるという悪魔の誘惑に抗えるだろうか。答えは出てこなかった。
「複雑だな。先生にとって天帝の剣が手に入った事は決して良い事じゃない。その過ぎた力ゆえに不幸を招いたようなものだからな。しかし先生以外の奴、特にあいつら、闇にうごめくものが天帝の剣を手にしていたらと思うとぞっとする」
統治者としてしばし論点となる個を取るか国を取るかの究極の二択、ベレトが天帝の剣を手にした事はまさにこれに当てはまった。ベレトと言う個を犠牲にして成り立っている『最悪ではない状況』が面白くなく、クロードは顔をしかめた。
「しかしそうなるとあいつらが使ったザラスの禁呪は、その支配者ともなりうる力を封じた事になります。さらに言えば犠牲の伴う方法の是非はともかくとして、奴らは英雄の遺産を持たずにそれを成し得ています」
「当然ですわ。皆さんが闇にうごめくものと呼ぶ者達が使う技、『ザラスの禁呪』は武器の形こそ取っておりませんが、ある意味英雄の遺産の模倣品なのですから」
「やはり……そうなりますよね」
リシテアは過去に無理矢理紋章を付与された経験から、闇にうごめくもの達の目的が紋章を自在に操りたいのであろう事は理解していた。
フォドラにおいて紋章は選ばれし才能と見なされている。仮に闇にうごめくもの達の意図が、紋章の有無で差別されるという、理不尽をなくするという事であれば賛同もできたであろう。それこそハンネマンのように。
だが闇にうごめくものは紋章を解明する事で、その力を独占する事こそが目的に思えた。己の価値を証明するための力、故になりふり構わないし、人を犠牲にしてもなんとも思わない。リシテアにとって闇にうごめくものは憎き相手であったが、一方で禁呪に生贄とされた者達に同情を禁じ得なかった。
「セイロス教と闇にうごめくもの、その過去を全て明かす事は出来ませんが、一つだけ言える事がありますわ。それはかつてセイロス教と闇にうごめくものが敵対関係になって、セイロス教が勝利したという事です」
リシテアがクロードとの会話で話していた『過去の因縁』、それが関係者から立証された瞬間であった。しかしとリシテアは頭を振る。疑問はそれが何時起きたかと言う事だ。
フレンの言う両者の戦いはフォドラにとって大事件と言っても良い。古くからセイロス教はフォドラの調停者である。そこに喧嘩売るという話がまず非常識なのだ。つまり事が起きたのはセイロス教が力を得る前、つまりはセイロス教が生まれた事まで遡る。そこから導き出される答えはただ一つだ。
「それはつまり、英雄戦争ですか?」
「まあ、そうなりますわね」
リシテアの発言に、予め予測できていたクロードを除く面子は絶句せざるを得なかった。しかもあっさりとフレンがそれを認めた事でさらに混乱を招く。
後にファーガス神聖王国、レスター諸侯同盟の独立戦争などありはしたが、そもそものフォドラの在り様を決めたのが英雄戦争であり、英雄戦争後に生まれた価値観をフォドラの人々は共有している。まさに根幹なのだ。
もはや疑問視するのがタブーの領域までになっていた、英雄戦争時代の話まで遡るなど、驚くなと言う方が無理があるだろう。だが英雄の遺産は英雄戦争時にフォドラ十傑と呼ばれる者達が振るったとされており、それ以降は表立って使われたという記録がない。故に闇にうごめくものが英雄の遺産を知る機会は、英雄戦争をおいてほかないのだ。
その時に余程苦汁を舐めさせられたのだろう。己の仲間を犠牲にしてまで、なりふり構わずに天帝の剣を狙ってきたのだ。封じられた森での戦いにおいての闇にうごめくものの本気さが、フレンの話した事の正しさを証明していた。
「しかし、なんだ。フレン君。君は話せないところは話せないと言ったが、それにしては色々と明かし過ぎている気がするのだが……」
次々と明かされる衝撃的な事実のオンパレードを処理するだけでも大変だが、そんな重大過ぎる情報をポンポンと惜しげもなく出すフレンに、本人の覚悟があるとはいえローレンツはいよいよ心配になってくる。フレンはローレンツの気遣いに悲しげに笑った。
「もしかしたら先生がいなくなってしまったのはわたくしの罪かもしれませんから。わたくしもれっきとした金鹿の学級の生徒ですわ。わたくしは学んだはずでした。正しい情報というのがどれだけ重要であるかを。にもかかわらず先生なら大丈夫。金鹿の学級の皆さんなら大丈夫。そのように思い込んだわたくしの慢心ですわ。もし、封じられた森に行く前にちゃんと先生に情報を提供出来ていたら、このような事態は未然に防げていたかもしれません」
鷲獅子戦での勝敗の決め手は強さではなく情報であった。それは金鹿の学級にとって共有している事実であり、だからこそローレンツはフレンの言う可能性もまたありえただろうと考えた。
だがここで重要なのは罪を責める事ではない。むしろローレンツは罪を認め、先に進もうとしているフレンの強さに感嘆した。間違いは誰にでもある。肝心なのは間違った後なのだ。故に称賛を惜しまなかった。
「フレン君、君は貴高い女性なのだな」
「ふふ、『可愛らしい』とはよく言われますけど、『貴高い』ははじめてですの」
言われ慣れない誉め言葉が成長している事の証左の様で、フレンは心底嬉しそうに微笑む。金鹿の生徒にとっては衝撃的な事実の連続であったが、これでやっと下準備は整った。フレンはとうとう核心に触れる事とした。
「さて、話が長くなりましたが、これでやっとザラスの禁呪がなんであるかをお話しできますわ。ザラスの禁呪は闇にうごめくものが使う呼称で、これをわたくし達、セイロス教の方では『時の牢獄』と呼ばれています。かの女神が使用したとされる秘術ですわ」
(4) 女神の力
「『時の牢獄』……女神がなせる技ですか」
ザラスの禁呪の真の名を聞いたリシテアは顔をしかめた。名前からして何かとてつもない力を秘めているのであろう事は理解できる。実際にベレトがそれに飲み込まれるのを見ているし、力そのものに疑いはない。見た目こそ黒ずくめだったが、規模としては女神の成せる技というスケールも納得できる。
問題はその名を聞いても具体的にどんな力なのか想像がつかない事だ。時を止めるなら理解できるが、牢獄とは一体なにを意図しているのか。ベレトの姿がまるごと消えたため、転移魔法の方がしっくりくるのが混乱に拍車をかけた。
フレンもリシテア達の困惑を重々承知の上、さらなる説明を続ける。
「時とは面白いもので、同じ時間を刻むからこそお互いを認知し、正しく見る事が出来ます。ではそれがズレてしまえばどうなるか。違う時を刻むものは触れられず、見る事すらかないませんわ。そして同じ時を刻んでいるのは生物だけにとどまりません。植物はもちろん、星や太陽だって同じ時を刻むものとして存在します。そう、そこには光すらも立ち入る事ができない。つまり時の牢獄とは何も見えない暗闇のみが存在しうる場所。そこで永遠ともいえる時間を隔離される。これが牢獄と言われる所以です」
もう何度驚いた表情を見せればいいのか。馬鹿の一つ覚えのように同じ表情を繰り返す皆であったがそれも仕方のない事である。しかしそんな中でリシテアだけは違った。目を丸くし、口に手を当て、より大げさに驚いた。何せリシテアは気づいてしまった。
「ひょっとしてですがワープやレスキューは転移魔法ではなく、時の魔法と言った方が正しいのですか?」
その魔法を使える選ばれし人である故に。
「ええ、ワープは対象の時間をずらす事で周囲に干渉できない存在とし、指定した位置で元の時間に戻す事で人を瞬時に移動させる魔法ですの。ここまで言えばもう皆さん察しているかもしれませんが、魔法もある意味では紋章と同じです。紋章と魔法、両者の違いは内から力を得るか、外から力を得るか」
「外からですか? 今一ピンときませんが……」
「わたくし達が息をするために必要な空気には、魔法を使う上で必要なものも含まれておりますの。それを魔法の素、魔素と呼びますわ」
今でさえ頭を整理するのに精一杯なのに、新しい情報はどんどん追加される。
「また新しい言葉が出てきたな。流石にお腹いっぱいだよ……」
濃厚すぎるお勉強の時間にレオニーは辟易した。一方リシテアは魔法のプロフェッショナルであるにも拘らず、根本的な仕組みを理解していない事実に気づかされ、複雑な表情を浮かべる。
「リシテアさんのように高い魔力があると言われる人はその魔素を体に効率的に取り込み、また溜め込める量も多い人の事を言います。使える魔法が各々異なるのは紋章と同じく魔素にも種類があり、人それぞれに合う合わないがあるからですわ」
金鹿の魔法第一人者であるリシテアが長考に入ってしまったため、代わりに言葉を発したのはイグナーツであった。
「つまりこう考えればいいんですかね? 空気の中には目に見えないほど小さな紋章のようなものが浮いていて、その中で己の体に合っているものだけを取り込み、体の中に蓄積する事で魔法を使える、と」
「ええ! それで間違いないですわ」
イグナーツが綺麗に話をまとめたのに気を良くしたフレンはビシっと指をさす。しかし元から魔法を使わず、かつ紋章を持たない者達としては今一ピンとこない。その代表者であるラファエルが手を上げる。
「ごめんイグナーツ君、オデ聞いても分かんねぇ」
「んーと、要するにお肉が筋肉を作って、野菜が体調を整えるように、魔力を作る食べ物が空中に浮いている感じかな? 味もしないしお腹も膨れないから、食べ物って言っていいか分からないけども……」
「おお! それならオデも分かる。イグナーツ君頭良いなぁ」
納得を見せるラファエル達であったが、リシテアの表情はなお厳しい。奇しくもイグナーツの例えがリシテアに答えを与えてしまった。
魔素は小さい紋章のようなもの、それが事実だとすれば本来魔法というものは紋章と同格である事を指し示している。初級魔法のファイヤーだって何もないところから火を起こすのだ。これだってれっきとした『ルール改変』だ。
魔法は英雄の遺産程には神がかり的な力は有していないが、ただの紋章持ちと比べたらさほど差はない。むしろ魔法は紋章ほど血統に依存しない事、使うタイミングが選べる事、技術体系として出来上がっている事など、実に洗練されている。特に攻撃魔法の進化は著しい。治癒力を促進するライブなど白魔法という系統もあり、用途に応じて使い分けられるため汎用性も高い。こうして見ると魔法は紋章よりも様々な面で優れており、はっきり言って上位互換と言ってもいいだろう。
リシテアが疑問に思ったのは何故魔法という呼称になったのか、である。魔素が紋章由来なら、魔法は紋章術という名でもおかしくないのだ。何故元が同じにもかかわらず、わざわざ魔法と名前を分けたのか。
リシテアは確信する。それは紋章が先天的な才能のみに限定するのに対し、魔法は後天的な才能もありうるからだと。そもそも魔法は誰でも使える。魔法は紋章と違って使うだけなら人を選ばない。魔力に乏しいため威力は遥かに劣ってしまうが、ラファエルだって使おうと思えば使えるのだ。
紋章のように血統はさほど重要ではないのである。両親に魔法の才能がなくとも子の方が開花する事もあれば、生まれた当初はそうでなくとも突然魔法の才覚に目覚める場合もある。黒魔法の才能が開花したローレンツなどがその最たる例であろう。
これだけ魔法が有能にも拘らず、それでも紋章を上としたのは権力を独占するためなのだろう。貴族たちが己を超え得る新たな芽に恐怖し、真実を濁し続けた結果が今だ。
秩序は確かに必要だ。魔法の力は己を過信するには十分強力であったし、上下を明確にすることは、無駄な戦を避けるためには有効だったのかもしれない。しかし上の立場で居続けるという事は腐敗していくという事に他ならない。
当初は崇高な目的であったかもしれないが、全ての事柄は川のように絶えず流れるべきであって、流れなくなってしまったら水が淀んでくるのは自明の理だ。
そして紋章と魔法の関係の歪さに気づいた者がもう一人、
「私さ。紋章に嫉妬していた部分はあったんだ。選ばれた力ってなんだちくしょーって」
平民であり紋章も持たないレオニーである。
「でもリシテアの体の事を知って、今こうして魔法と紋章の事も知って、何て言えばいいかな? うまく言葉にできないのだけど……そうだな、可哀想って思うよ」
「可哀想、ですか?」
「だってそうだろ? 自分達を守るために守ってきた紋章の価値ってやつが、かえって自分達の首を絞めているんだ。それでも貴族達は必死に紋章を守り続けている。失えば自分の価値がなくなるとでも言いたげに。そんなわけないのにさ。紋章がなくたって私は私だ。ペガサスとの連携なら私が金鹿で一番の自負があるし、力自慢なら誰だってラファエルが一番って思うだろ? あれば便利かもしれないけど、自分を証明するのに紋章はいらないよ。いっその事手放した方が楽だろうさ」
レオニーの言葉には金鹿の全てが詰まっていた。仲間の一人からその発言が出た事に、大いに喜んだクロードはここぞとばかりに己の意見をぶつけた。
「滑稽だよな。どれだけ無能であろうとも紋章さえあれば権力が保障される。逆もまた然りだ。自分が仕事できなかった場合の保険だったんだろうが、紋章が持つ正統性だけが独り歩きして、もはや呪いのようになってる。過去の美しすぎる美談程恐ろしいものはない。ずっと過去に囚われているなんて愚かだと思うぜ。重要なのは今なんだ」
過去に囚われて進めない。クロードが最も忌避するものだ。せっかくこうして未来を語り合える仲間ができたのだ。セイロス教側からも勇気ある者が一歩踏み出してくれた。クロードの望むフォドラの常識の先へと進む環境が出来つつある。こうなったら何が何でもベレトを助けなければならない。
クロードは何よりもベレトを喜ばせてみたいのだから。
「フレン、リシテアが使えるワープが『時の牢獄』と同じものなのであれば、英雄の遺産や紋章がなくとも魔法の力で『時の牢獄』を使う事をできるのが道理だ。だからこそ紋章、魔法、英雄の遺産の関係を話してくれたと思っているんだが、それで合っているか?」
「ええ、そのとおりですわ。ただワープやレスキューと決定的に違う事があります。先にわたくしはワープは時間をずらして戻すと言いましたが、実はこれは正しくはありませんの。といいますのも時間をずらすまでは術者の力ですが、戻る力は修正力によるもの。術者の意思でなく修正力で正しい時間に強制的に戻されるのですわ」
クロードがリシテアに視線を向けるとリシテアは頷き、己の体感を話し始める。
「感覚的な話になりますが、私がワープを使う際、目標の場所に着くまで魔力で抑え込むという感じだったのですが、それはつまり修正力に対抗していたからだったんですね。魔力もごっそり持って行かれるわけです。しかしそうなると『時の牢獄』は修正力を跳ね返す程の強固な牢獄だという事になります」
「ええ、その通りです。『時の牢獄』を再現する上で一番問題となるのは魔法力不足ですわ。『時の牢獄』を維持できるほどの莫大な力をどこから確保するか、そこが肝心ですの。一つは四柱の広間という場所そのもの。儀式の間と呼ばれる場所は基本的に魔素に溢れていて、紋章も活性化しやすい特別な場所ですの。そしてもう一つは……」
「生贄、だな。察するに魔法力だけでなく生命力すら上乗せしてって感じか」
足りない部分を命で補う。心底胸糞が悪い話であった。
クロードは深読みせざるを得なかった。わざわざ女神の奇跡を再現して意趣返しする彼らの執着はどこから来るのかと。英雄戦争はもちろん歴史に残る大決戦で、それだけ犠牲者も出たであろう事は想像容易い。だが敗者の恨みとは何かが違う。彼らの憎悪はより限定的で女神の力そのものに向いているような気がした。
フレンはうつむきながら答えた。
「封じられた森のかつての名はザラスと言います」
「なんだって?」
「このガルグ=マグ大修道院もなく、英雄戦争の時代よりずっと前だったと言います。その時に栄えていた大都市の名がザラス、です」
「つまり闇にうごめくもの達は……」
たった一言であった。かつての地名が分かっただけ。しかしそれだけで充分であった。各々が複雑な表情を浮かべる中、リシテアは冷たく言い放った。
「理解はしました。ですが同情はしませんよ」
「復讐するもしないも個々の自由です。きっとその権利だってあるのでしょう。でも被害者が加害者に対して復讐していいのであれば、復讐するために利用された私だってその権利があります。ジェラルトさんを理不尽に奪われた先生にだって。闇にうごめくもの達が過去に受けた悲劇と、私達の件は全く別です。彼らは恨まれるだけの事をしている」
「そう言ってくださるのですね」
金鹿に在学したのは僅かであるが、フレンはリシテアの背景を知らされていた。フレン自身が今のセイロス教の在り方を決めたわけではないし、闇にうごめくものとの因縁もどうこう出来たわけではないが、それでも元々を作った側として申し訳なく思う部分は少なからずあった。
「確かに今の行き過ぎた紋章至上主義を作り上げたのはセイロス教なのかもしれません。闇にうごめくものにした仕打ちが返ってきているのも事実なのでしょう。でも一方で長い間秩序を守ってきた事も事実なんです。紋章主義も今だから息苦しさを覚えるのであって、過去には必要であった事はちゃんと理解していますよ」
思うにレアは見た目こそ友好的であるが、本質的には人間嫌いであった。しかしフレンとしては真逆だ。他人は信用ならない。それは事実なのだろう。でも悪い人もいるのなら良い人もいる。
目の前にいる者達は野蛮と程遠く、理性的でどうすれば良くなるかを真剣に考えて真剣に生きている。秩序の為に犠牲とされたものを拾い上げ、新たな価値観を生み出している。フレンは一歩踏み出した甲斐があったと、逃げずに立ち向かう事が出来た己の勇気に感謝した。
「ところでフレンさんに聞きたいのですが、私達は騎士団の動きを見て先生が生きていると推測しました。フレンさんがこうして協力してくれる事も先生が生きている証拠だと思っているのですが、どれもが間接的で確証には至っていません。どのような理由か聞いてもいいですか?」
「ええ、もちろんですわ。わたくし達を誘い出し、『ザラスの禁呪』を使って先生を封じて見せた彼らですが、一つだけミスをしましたの。彼らは先生と天帝の剣を引きはがす事が出来ませんでした。人は意外なほど暗闇に対して耐性がありません。ずっと暗闇に閉じ込められている状況は極限状態で、餓死とか以前に心の方が先に悲鳴を上げ、発狂死すると言われています。本来先生はこのような悲劇に見舞われるはずでした」
『死』に良いも悪いもないが、それでもフレンの言う時の牢獄出迎える最期は凄惨たるもので、そうならなかった現実にリシテアは心底安堵した。
「ですが時を操れる天帝の剣の持ち主であれば対抗する術はあります。己の時間を凍結させるのです。時の牢獄は考えれば考えるほど深みにハマる底なし沼。故に思考を無にし、消耗を抑えられれば決して死ぬ事はありません。ずっと寝ていられる状況を作れたらそれこそ半永久的に生きていられるでしょう」
「なるほど、言うなれば冬眠でしょうか?」
冬眠、それは動物達がひたすら睡眠する事によって浪費を抑え、死の季節である冬が開けるのを待つ事を言う。その間は食事はしないし、それ故か排泄もしなくなるという。リシテアの例えは分かりやすかったが、クロードには懸念があった。
「天帝の剣ならそれも可能なのはこれまでの説明で理解したが、先生にそれが使えるのか? 俺達と違って先生は天帝の剣の真の能力を知らない」
そう、普通の人間は冬眠をする事が出来ない。人間が冬眠の代わりに覚えた事が火であり、服を着る事である。動物固有のそれを真似する事ができるわけもなく、やってみようとも思わないだろう。ベレトが果たしてその答えに行きつく事が出来るのか、そこがはなはだ疑問であった。
「先生を信じる他ありませんわね。ですが先生と天帝の剣の相性の良さは抜群ですわ。良すぎたが故に能力を使わずとも戦えてしまった程です。それだけの持ち手、きっと先生の危機を天帝の剣の方が良しとしないでしょう」
まるで武器である天帝の剣がベレトを守るという言い方であったが、紋章は宿主を守ろうとする傾向がある。英雄の遺産が紋章と一緒なのであればない話ではなかった。
「とりあえず時間は十分にあるって事ですね。急ぐに越した事はありませんが」
まだ間に合うという事実に皆の表情に余裕が出来てくる。希望が具体的な形を帯びてきて湧き上がる中、ヒルダが機嫌良く言った。
「完全にやられたと思っていたけど、あたし達もちゃんと一矢報いているんだね。罠にはハマってしまったけど、戦いそのものは完全に押していた。だからあいつらは先生と天帝の剣を引きはがす前に『ザラスの禁呪』を使わざるを得なかった」
それは良いとレオニーとマリアンヌが続く。
「その考え方いいね! やられたと思うよりも邪魔してやったと思う方が絶対良いよ」
「ものは考えようっていうやつですね」
金鹿の学級は闇にうごめくもの達を追い詰めていた。だからこそ希望が繋がった。クロードは最期の問いをフレンに向けた。
「フレン、最後に教えてくれ。レアさんはどうやって先生を救い出すつもりなんだ?」
「集めた魔力を『時の牢獄』の存在する時間に送り込み、牢に直接ぶつけて破壊します。牢さえ破壊されれば先生は何もせずとも修正力で戻ってきますわ」
「だとすれば時間をずらせるワープを使えるリシテアはおあつらえだよな?」
「そしてわたくしはレスキューを使えますの」
「つまりは」
「ええ、先生を救うためには金鹿の学級の手助けが必ずいります。後はレア様次第ですがわたくしに任せてください。お兄様に頼んでなんとかしてみますわ。あ、後皆さんは何も知らない体を装ってくださいね」
「任せろ。それは大の得意だ」
自信満々に胸を張るクロードに回りは呆れた表情を浮かべる。その胡散臭さが頼もしくあるわけだが。そんな和やかな空気の中、冷や汗を浮かべている者が一人いた。
「オデ……そういうの苦手だぞ」
正直さと誠実さと筋肉が売りのラファエルである。本人も嘘が苦手な事を自覚しており、どうしたものかと悩んでいたら、イグナーツが彼に天啓を与えた。
「大丈夫だよラファエル君。何か聞かれそうになったら筋トレしていればいいから」
「おう、分かった!」
(5) 秩序がなくなった日
なまじ知識があったのが良くなかったのかもしれない。物事を学ぶという事は、己の知見を高める一方で視野を狭める事がある。○○はこういうものであるという決めつけが、絶対という根拠のない確信を生み、それが慢心となって襲い掛かってくる。
あの日起きた事はつまりはそういう事であった。
フレンの作戦はうまく行った。フレンの兄であるセテスを経由して、レアを説得したのである。同伴を許されるどころかレアから謝罪をされる始末で、クロード達は戸惑った。どうにもフレンはベレトから習った事をレアにも伝えまくったらしい。
クロードから見れば、レアという人間は温和に見えて回りの言葉にはあまり耳を貸さない人であったが、ご執心であるベレトからの言葉とするフレンの搦め手は上手いと舌を巻いた。こうした手が取れたのはフレンが教会側の人間であるという事もあるが、彼女自身の頭の回転の速さが大きい。人は見かけによらないとはこの事だ。
これですべてが整い、後はベレトを救出するのみ。
気が抜けてしまったのはあったのだろう。不幸な事故続きでやっと見えた光明、レアも、フレンも、クロードもベレトしか見えていなかった。闇にうごめくもの達がまだ潜伏している事自体は考えていたが、彼ら以外の脅威があるなんてまるで考えもしていなかった。
ベレト奪還に望む当日、
まさか帝国が大軍を率いて攻めて来るなんて。
最悪のタイミングであった。ベレト救出に必要とされた魔法力は相当なもので、ガルグ=マグの魔法戦力を全てかき集めてやっとという程だ。しかし魔法職は基本的に足は遅く移動に時間がかかる。だからこそ前日の内に出発していたのだが、そのための護衛も相当に必要で、結果としてガルグ=マグの戦力の3分の1程に膨れ上がった。
金鹿の学級は後発隊で、フレンやレアと一緒に封じられた森へと向かう手はずとなっていたのだが、よりにもよってそのタイミングで帝国の軍勢が現れたのだ。
瞬間的にクロードは敗北を予期した。単純な戦力差からして絶望的なのに、心構えも何も出来ていない。闇にうごめくもの達が出てくるかもしれないと武装はしていたが、戦争で何より重要なのは作戦、より具体的に言うなれば布陣だ。無策な今、ガルグ=マグ大修道院は体勢を崩されたのと同義。このままでは一気に崩れ落ちる。
一体誰がこんな大それた事を? このタイミングを狙ったのか? それとも偶然? ガルグ=マグを狙う理由は? クロードの頭に様々な疑問が浮かび消えていく。どれも答えが出なかったが、彼は一つだけ決めていた。それは逃げる事である。
ベレト救出のチャンスを目の前にして逃げるのは惜しいが、ここで前のめりになってしまうのは愚の骨頂。負けを予感したらまず撤退する。悪い直観は絶対無視するな。それこそがベレトの教えである。
ただ問題はレアである。最善はガルグ=マグを放棄してレアと共に逃げる事。しかしはたして彼女が首を縦に振るか。どう説得するか悩んでいる時の事だった。
「クロード、皆を連れてガルグ=マグを脱出しなさい」
「んな!? それはダメだ。逃げるならあんたも一緒じゃなきゃ」
レアはセイロス教の大司教、ガルグ=マグ大修道院のトップである。レアが捕らえられる、あるいは討たれでもしたら、セイロス教によって保たれていたフォドラの秩序が終わってしまう。それは絶対避けなければならない。
「だからこそですよ。私は最高の囮となるでしょう。私があなた達を逃がします。ベレトの教え子であるあなた達を」
クロードは無償の愛を信じない。だからこそレアの真意を探ってしまう。ガルグ=マグ大修道院に思い入れがあるのは事実だろうし、それを構成する一部である生徒達だってそれなりに思い入れはあるだろう。だが命を賭してまでではない。
「その代わりといってはなんですが一つ約束していただきましょう」
「……なんだ?」
「今回はこのような残念な結果になってしまいましたが、いつか、いつの日か必ずベレトを救ってください。それはあの子と心を通わせたあなた達の責務です」
レアの答えは至極単純だった。すべてはベレトの為になるから。トップであるはずの人物のあんまりな理由にクロードは破顔する。
「はは、あんたは本当にぶれないな。国より先生だ。先生を中心に世界が回っている」
「クロード、あなたも大概だと思いますよ? ベレトの為にどこまでやるつもりです?」
クロードはそれがどうしたと胸を張る。ベレトを助け出すために知ってしまった数々の秘密、見逃されただけであってレアにはバレているであろう事は予想済みだ。レアはベレトに関する情報は何でも知ろうとする狂人だ。だからこそ信じられる。共にベレトに狂った二人だからこそ。
「違いない。だからこそ保障するぜ。先生は俺らが必ず助ける」
「その約束、もしも違えたら、あなたの腸を喰らいつくして差し上げます」
「おー、怖い。それが大司教様の言う事かね」
「冗談じゃありませんよ。何せ私は……」
突然レアの体が光に包まれる。あまりにもの眩しさにクロードは腕で目を覆うが、光が収まった後、ありえない光景を目の当たりにした。
「これは……なんとまあ」
美しい白銀の竜がそこにはいた。
竜はクロードに一瞥をくれると戦火へと飛び去って行った。信じられない光景に呆気にとられた金鹿の学級であったが、クロードは一足早く正気に戻った。十中八九あの竜はレアである。呆けたままでは本当に腸を食い荒らされてしまう。
クロードはきびすを返すと、皆へと指示を飛ばした。
「皆、聞いていたと思うが作戦は変更だ! これから撤退戦を始める。先生を助けられないのは不本意であるが、冷静に先生の教えを思い出してほしい。無策である今、俺らが帝国軍を引けて先生を助けられる可能性は無に等しい。次に備えるため今は全力で逃げる。いいな!!」
皆悔しさをにじませ、思い思いの表情を浮かべるが、反対行動を取るものはいなかった。リシテアも苦渋の表情を浮かべていたが、頭の回る彼女の事、劣勢でどうしようもない状態なのは理解しており、己の管轄である魔法隊へと撤退指示を飛ばす。
結果として最年少の理性的な行動によって触発された者は多く、部隊長それぞれが己の成すべき事をし始める。
あっという間に隊列を組みなおし、進路を反転して、レスター諸侯同盟を目指す事にした金鹿の学級であったが、とうとう正門前でも激しい戦いが始まった。帝国軍の進軍が止まらない。
レアだと思われる竜も空を飛び回り、ブレスで応戦しているが、絶え間ない矢と魔法による波状攻撃で被弾は避けられない状況だ。いくら竜が強力無比な存在であっても、クロード達が魔獣を倒せたように、物量で押されたらどうにもならない。
時間がない事を悟ったクロードは、急ぎでガルグ=マグ大修道院の別の出口へと向かった。全ては次へと繋ぐために。
だがガルグ=マグへの進軍は地上からだけではない。空からもペガサスナイトとドラゴンナイトの混成部隊が襲い掛かった。無遠慮に突撃してくる彼らを魔法で撃ち落しながらリシテアは走る。
その中でリシテアは考えていた。闇にうごめくものではなく何故帝国がガルグ=マグ大修道院を攻めたのかと。一体帝国の誰がそんな事を決めたのかと。
ふと思い出すのはルミール村の出来事。ベレトの接触してきた炎帝と自称する者。リシテアは疑問に思った。何故今になってあの謎の者の存在が気になるのか。炎帝は闇にうごめくもの達と一緒に行動していた。だが炎帝は己の事を奴らとは違うと言っていた。実に苦しい言い訳だ。
しかしそんなにあからさまな嘘をつくか? 何故ベレトに弁明し、あろう事か協力を持ちかけた? 支離滅裂な行動にこそ答えがある。炎帝の言っている事が本当なのだとしたら? 本当なのだとしたら炎帝はどこの所属だ? 何のために闇にうごめくものと行動を同じくする?
瞬間、背筋が凍った。
リシテアが、コーデリア家が陥れられた時、現れた怪しい集団は帝国からやってきた。どれ程深い関係かは分からないが闇にうごめくものは帝国に根を張っている。つまり炎帝が闇にうごめくものと違うと言うのなら、炎帝は帝国側の人間なのではないか? しかも相当に権力を持っている。極論を言ってしまえば皇帝だ。
もし闇にうごめくものの協力者が皇帝なのだとしたら、帝国がガルグ=マグを攻めるという今の不可思議な状況に説明がつく。ついてしまう。
そして今の皇帝は……
「クロード!」
「どうしたリシテア!?」
「後で話したい事があります。すっごく良くない話です!」
「それをここで言うかね普通!」
「本当に最悪な話なので、是が非にでも生き延びてください!」
「そこまで悪いとなると逆に聞いてみたくなった! 皆、意地でもここを抜けるぞ!!」
クロードは皆を鼓舞し、ひたすらに矢を放つ。一方でリシテアも接近してきたドラゴンナイトに対し、剣を抜いて魔力を込めた一撃で相手の鎧ごと斬り捨てる。
「近づけば勝てるなんて甘いです! 誰に師事していると思っているんですか!! 『灰色の悪魔』の弟子を舐めないでください!!」
リシテアは金鹿の学級と共にひたすらに突き進んだ。
いつか必ず戻って来ると心に決めながら。
金鹿の学級がガルグ=マグ大修道院を後にし、レスター諸侯同盟の地を踏んだのはそれから二日後の事であった。
それからあっという間に時間が流れた。ガルグ=マグ大修道院を攻め落とした帝国は当然ファーガス神聖王国やレスター諸侯同盟にも手を伸ばした。それも当然である。秩序を壊し、新たな秩序になろうとするのであれば、フォドラの頂点に立たなければならない。
戦争状態になった今こそ、リシテア達は師であるベレトの力を欲したが、ベレトが封じられた森は落とされた大修道院の近くであり、どこに帝国兵がいるか分からない場所だ。現状ではとても立ち入れる場所ではない。それに封印を解くための魔法力も不足している。
故にリシテア達レスター諸侯同盟に属する者達は、ベレトの事を後回しにし、自分たちの力で帝国の進軍を止めなくてはならなかった。
限りなく不利に近いところから始まった戦いだが、幸運にもフレンから与えられた情報は対帝国にも大いに役立った。何せ帝国が闇にうごめくものと通じている事、しかもその通じている人物こそ帝国の新しい皇帝、エーデルガルトらしい事が分かったのだから。
リシテアのすっごく良くない話を、無事五体満足で受け取ったクロードはアップデートした情報を元に対抗策を講じていく。そうして元金鹿の学級の皆が全力を尽くしたおかげで、帝国にレスター諸侯同盟の領土には踏み込ませていない。その最たる証拠があれから3年経った今、コーデリア家のリシテアがこうして健在な事だ。
コーデリア家はレスター諸侯同盟の五大諸侯の一つであるが、帝国領に一番近い所にある。もし攻められた際最初に戦火が訪れる場所だ。そこでリシテアは一人剣の鍛錬をしている。それはすなわち余裕の表れである。
もちろん頭では今後どうするか、帝国がどう動くかとフル回転しているが、今すぐに攻められる状況ではない。金鹿の学級はそのように仕向けた。それこそまさに今、その状況の維持のため尽力しているところで、リシテアは最後の仕上げの時を待っていた。
「うひぃぃぃぃぃぃ」
噂をすればなんとやらだ。コーデリア家の正門の方が何やら慌ただしくなる。それもそのはず、道を覆いつくすほどの人の波が一気に集まったのであれば騒がしくもなろう。
「今帰りましたよぁー。もう疲れましたぁぁぁぁ。引き籠りたいぃぃぃぃ」
何とも情けない声にリシテアは笑みを漏らす。引き籠りたいと堂々と宣言するのはただ一人、ベルナデッタ隊の帰還であった。
彼女は今、部隊ごとコーデリア家に居候していた。リシテアは相変わらずのベルナデッタに笑みを浮かべると、ねぎらいの言葉をかける。
「ご苦労様でした。その様子だとうまくいったようですね」
「もっちろんですよぉ。相手のペガサスナイト部隊を追い払ってやりました!」
「流石はヴァーリ家の方。鮮やかな手並みでした!」
ベルナデッタの後ろから興奮気味にやってきた男は帝国軍の服を着ていた。しかしリシテアは慌てる様子もなく、当たり前の事のように振る舞う。何せベルナデッタは帝国軍の軍旗を掲げていたし、なんならコーデリア家にもかかげられている。
「レスター諸侯同盟に属するコーデリア家ですが、我がコーデリア家は帝国軍の味方です。私リシテア=フォン=コーデリアが、ベルナデッタ=フォン=ヴァーリと共にここを死守して見せましょう」
「ええ、私達に任せちゃってください!」
「何と頼もしい言葉! あなた達の活躍は本国にいるエーデルガルト様へと必ず伝えます」
こうしちゃいられないと男は付き添ってきた部下達へ、帝国本土へと帰る指示を飛ばす。彼らが帰るところを港で見届けた後、リシテアとベルナデッタは対外的に装った笑顔の仮面を外した。
「リシテアさん、狸っぷりに磨きがかかりましたか?」
「ベルナデッタこそなかなか演技が堂に入ってましたよ」
「いい加減慣れましたしねぇ。今回は真面目な方だったので騙すのは気が引けましたけど」
「その代わり紛れ込もうとした奴が何人かいましたけどね。今回はこっちが本命だったのでしょう。即処分しましたけど」
「やっぱりもう上には私達の真意がバレていると思った方が良いですか」
「ええ、ですが『道』がない事にはどうしようもありません。私達としては残された時間を有意義に使わせてもらいましょう」
かたくるしい話はここまでとベルナデッタは大げさに背伸びをする。
「そのためにもまずは食事で英気を養わないと!! コーデリア家には先生直伝レシピがあるから毎回楽しみですよ」
「今日は帰還日という事でベルナデッタの好物を頼んでおきましたよ」
「おお、リシテアさんならやってくれると信じてましたよ!」
今は戦時中であるが、それでも息抜きは必要である。学生時代の訓練後の食事を思い出しながら、和やかな空気で二人は港を後にした。
(6) エーデルガルトの誤算
「ヒューベルト、ファーガス神聖王国、いえ、今は公国だったわね。ファーガス公国はどうなっているの?」
「入念に準備しただけあって、コルネリアが実権を握る事に成功したとの事ですが、ディミトリの処刑に失敗したとの事です」
「一体どういう事?」
「ディミトリに付き添っていたダスカー人を覚えていますか?」
「ええ、ドゥドゥーだったかしら?」
「彼がディミトリを逃亡させたと」
「全く見上げた忠誠心ね」
呆れたといった様子でエーデルガルトはため息をつく。終わりゆく者になおも仕えるのは余程の愚か者か。その一方でそこまで慕われるディミトリを羨ましくも思った。
「しかしコルネリアも甘いわね。確かに王族を亡き者にするためには形式は重要かもしれない。罪を着せるのが有効であるのも認めるわ。でも理由なんて後からいくらでも付けられるのよ。死人に口なしなのだから」
実際エーデルガルトの兄妹達はそうだった。非道な実験をされたにもかかわらず、世間にはただの病死とされた。誰だって立て続けに死ぬのはおかしいと思っていたはずなのに、いつしかその疑念は消え去って当たり前の事実となった。
「ええ、まったくです。さっさと毒殺なり事故死なり、命を奪ってしまえばよかった」
「実際ディミトリの逃亡でどれくらい影響が出そう?」
「ファーガス公国の正規兵はコルネリアの手中にあると思っていいでしょう。ですが各領主達が持っている私兵に関しては違うと思っておいた方が間違いないかと」
「反旗する恐れありという事ね」
決して小さくないミスに頭を叩くエーデルガルトであったが、その表情に焦りはなく、むしろ余裕があった。
「でも誤差の範囲よ」
生き残ったとはいえディミトリの危機的状況は変わっておらず、国を持たない今の彼が帝国を倒すだけの力を得る事は不可能だ。
ディミトリが帝国と戦うためにはまず先に国を取り戻すのが不可欠。仮にディミトリが支持者と合流できたとして、反旗を翻したとしてもその戦力はファーガス公国全体から見て2割、良くても3割程度のものであろう。
だがファーガスの盾とも言われるフラルダリウス公爵などが加勢したら、例えこの戦力差でもコルネリアが負ける事もあるかもしれない。
エーデルガルトはそれを身をもって知っている。士官学校の生徒であった時、あのグロンダースの地で行った鷲獅子戦で。例え一人であれど将の強さとはそれほどのものなのだ。しかし知っているという事は対策も練れるという事。
エーデルガルトはすでに手を打っていた。
「備えあれば憂いなしと言うけれど、まさかこんな形で役に立つとはね」
「おっしゃる通りで」
アドラステア帝国はこの後、ファーガス公国と友好関係を結ぶ方向性で話は進んでいる。もちろんその友好条約は建前だ。その真意は帝国軍がファーガス国内を自由に動けるようにするためのもので、今後出没するであろうコルネリア政権へ反対する一派を、逆賊として一網打尽にするために用意されたものであった。
そう、エーデルガルトは元から不穏分子は想定しており、潰す予定だったのだ。そこにディミトリが加わったとしても些細な事だ。確かに士気は高まるかもしれない。だがそれがどうした? エーデルガルトは兵を出し惜しみするつもりはない。圧倒的物量で完膚なきまで潰す。力なき理想なぞ恐れるに足らずだ。
討伐が終わったその後にもはや邪魔者は存在しない。エーデルガルト個人は血縁が全てとは思わないが、世論は正統な血筋こそを後押しする。ディミトリさえいなくなれば神聖『王国』としての再起はあり得ない。
コルネリアも王家の血筋は引いてはいないが、流行り病を直したという、まるで聖女のような活躍は民衆の受けがいい。彼女が実権を握っている今がそれを物語っている。政治と遠い所にある故の彼女の人望に勝てる者はいないだろう。後はゆっくり気づかれない様、内からファーガス神聖王国としての力を奪っていけば良い。
ファーガス神聖王国の解体はもはや必然だ。多少の問題こそはあれど所詮はさざ波、順調と言っていいだろう。問題があるのはむしろもう一国、レスター諸侯同盟の方だ。
「アミッド大河の方は?」
「残念ながら進展なし、です。大河を挟んで拮抗状態が続いています」
「やはり正面は無理。裏から回るしかない、か……」
兵力で勝る帝国が足踏みしているには訳がある。アミッド大河は広大のため、渡るには船が必須だ。船を確保して運ぶのも労力だし、集めたからと言って渡りきれる保証もない。何せ大河の上はどこにも隠れるところがないのだ。十中八九、矢でハチの巣にされるであろう。ペガサスナイトなんてもってのほかだ。
だからこそ古来からアミッド大河にかかる、ミルディン大橋は軍事的に最重要拠点であった。帝国設立以前からあるその謎の橋は巨大そのもので、軍の行軍にも耐え得るほどだ。ここを抑える事さえできれば補給路も確保されるし、アミッド大河を安全に渡れる。
その最重要軍事拠点を、
あろう事かレスター諸侯同盟は破壊した。
かくして帝国は侵攻ルートを失い、アミッド大河は難攻不落の地となった。確かに攻めを考えないのであればこれ以上の手はない。
「私も偉そうにコルネリアの事を責められないわね。あの時、一番逃がしてはいけない人物を仕留めそこなったのだから」
ミルディン大橋破壊の実行犯は分かっていない。だがエーデルガルトには察しがついていた。このような大胆な行動を起こすのは彼しかいない。
「クロード=フォン=リーガン……恐ろしい相手です」
ヒューベルトの言葉にエーデルガルトは深く頷く。
「ええ、私の覇道にとって一番の障害、それはまさしく彼よ」
エーデルガルトは思い返していた。炎帝の仮面を取り、皇帝としてガルグ=マク大修道院を攻めた時の事を。
全ては計画通りに行っていたはずだった。
圧倒的な数でガルグ=マクを攻め、見事落として見せたエーデルガルトであったが、強行したツケは小さくはなかった。挙兵を感づかれない様、秘匿性を高くしておく必要性から、戦争を起こすために最も重要な大義名分の説明が十分でなかったのだ。
アドラステア帝国は聖者セイロスの助力を受けたヴィルヘルム一世が建国したとされ、
成り立ちからしてセイロス教との関係は密接であり、この三国に分かれるフォドラにおいて最も信仰が根強い。
さらに言えば他のファーガス神聖王国やレスター諸侯同盟も、それぞれ独立戦争の後セイロス聖教会の仲介によって建国となっているため、フォドラの国々とセイロス教は切っても切れない関係であった。
言うなればセイロス聖教会はフォドラの裁定者であり、秩序を担う存在なのだ。故に皇位を継承したエーデルガルトであっても、セイロス教を討つと言う言葉は暴論に等しい。それは単純な信仰の問題だけでなく、他国と敵対する行為でもあるからだ。
セイロス聖教会を討つという事は、アドラステア帝国こそが次の秩序となる事と同じ。すなわち覇道の宣言に他ならない。いくら帝国の重鎮達が神聖王国と諸侯同盟に良い感情を抱いていないとしても、全面戦争をするリスクを考えると二の足を踏むのは当たり前の事であろう。
それでも最初の挙兵が成功したのは、エーデルガルトがセイロス教の影響が少ない若手を重用したのが一つ。摂政であるアランデル公が重鎮達を抑えたのがもう一つ。重鎮達を説得したわけではないのがポイントだ。アランデル公の行ったのは情報封鎖、異論が出る前に挙兵を強行したのが真相である。
だからこそエーデルガルトはガルグ=マクを落とした後、一度内政に手を付けざるを得なかった。知らされていなかった重鎮達の反対を鎮静化しなければならなかったのである。
だが反対の声もすぐになくなるであろう事は分かり切っていた。エーデルガルトからすれば挙兵できた時点で勝ちが確定しているのだから。謀られた重鎮達が後でどれだけ騒ごうがもう遅い。賽が投げられてしまった今、帝国に残された道は覇道しかない。腹の内はどうであれもはや重鎮達は協力せざるを得ないのだ。
権力があるという事は責任もあるという事。知らなかったでは済まされない。今から休戦はあり得ないし、戦争に負けてしまっては間違いなく責任を取らされる。そして戦犯の末路は死罪に他ならない。
かくしてエーデルガルトの目論見通りに重鎮達は動き、彼女は僅か一節で見事戦争反対派を黙らせる事に成功した。
ここまで来てしまえば後は統一まで突き進むのみ。ファーガス神聖王国については内通者がすでに入り込んでおり、中から瓦解するのが確定しているため、無理して攻める必要はない。後はレスター諸侯同盟を叩くだけで全てが終わる。そのはずであった。
だがここで予期せぬ出来事が発生する。エーデルガルトが晒した、たった一節だけの隙、その間にミルディン大橋が、何者かによって爆破されたのだ。広大なアミッド大河を抜ける道を壊された影響は大きく、進軍ルートを潰された帝国であったが、ここでさらに厄介な事情が追加される。
レスター諸侯同盟は同盟と言うだけあって、一枚岩ではない。リーガン公爵家、グロスタール伯爵家、ゴネリル公爵家、コーデリア伯爵家、エドマンド辺境伯家からなる五大諸侯で権力が分散されている。
それらがすべて敵であるならいっそ楽であるのだが、親帝国派、反帝国派が存在している所が面倒くさい所で、橋の爆破によって明確に二分された諸侯同盟は同盟内で争うようになった。五大諸侯の中で親帝国派となっているのは、グロスタール伯爵家とコーデリア伯爵家だ。
両伯爵家は帝国領からアミッド大河を挟んで近い所にあり、帝国軍が橋の修復をしている間、反帝国派を抑える事になったわけだが、それは同盟側からの橋の修復は一切できないという事でもある。
ミルディン大橋は歴史ある建造物で、それこそ帝国設立前からある骨董品とも呼べる代物だ。構造からして今の建造物とまるで違い、完全な修復に至るまでかかる時間は早くても数年かかると推測された。
してやられたとエーデルガルトは思った。エーデルガルトは権力が分散している分、レスター諸侯同盟がまとまるには時間がかかると思っていた。だからこそ統制が整う前に潰し切る事こそが重要であったのだが、まんまと時間を稼がれてしまった。
ミルディン大橋を破壊したのはレスター諸侯同盟の総意では決してないだろう。爆破した何者かの、すなわちクロードの独断だ。クロードは奇しくもエーデルガルトと同じ手法を取ったのである。先に事を成してしまってから、後で全体をまとめる。
首都デアドラに帰って、そこから五大諸侯会議を開いて、と呑気にやっていたら、すでに帝国軍はレスター諸侯同盟内へと侵攻していただろう。諸侯同盟にとって最も必要なのは『時間』、それを見越しての一手であった。
現在帝国軍は橋の修理に尽力しているが、これだけの巨大な橋を修復するのは初めての事で、当初の予定は大幅に遅れ、難航しているのが実情だ。3年もの時を要しても、進行具合はようやく7割行ったか行かないかくらいとの事。悪戯に時間だけが過ぎる現状はなんとも歯がゆい。
エーデルガルトにはクロードの考えが見えていた。グロスタール伯爵家とコーデリア伯爵家は帝国に協力している体を成しているが、これはそう見せかけているだけだと。きっと橋の修復に終わりが見えてきた時、両伯爵家は反帝国派に鎮圧されたとなるはずだ。実際は親帝国派と言う隠れ蓑を脱ぎ去っただけであるが。
そうして諸侯同盟は一体となる。この時点で戦力が拮抗、あるいは優勢と見れば、修復が完了したミルディン大橋を奪取するであろうし、まだ不足しているとみればもう一度破壊して時間を稼ぐだろう。
エーデルガルトは不快感から眉間にしわを寄せた。
「本当に忌々しいわね。相手の考えが分かっているのに、それに対して有効な手段が打てない」
「中から壊すのも難しいでしょう。何人か『なりすまし』を送りましたが、彼らからの連絡は軒並み途絶えています」
「トマシュとモニカの件でバレているでしょうし、警戒されていても無理はないか。いくら天帝の剣を封じるためと言っても、金鹿の学級には手の内を見せすぎたわ」
エーデルガルトにはクロードを殺せるチャンスは二回あった。ベレトと偶然出会ったあの日、そしてガルグ=マクを襲撃した日だ。一回目に関してはベレトさえ現れなかったら、十中八九うまく行っていただろう。だが二回目の時は運などではない。ただでさえ厄介だったクロードはベレトの教えを吸収し、あの絶望的な状況を己の実力で逃げ切って見せた。
話によれば帝国軍の奇襲に対し、真っ先に行動してみせたのが金鹿の学級だったらしい。さらには橋を破壊するという特大の置き土産まで残した。つくづく殺し損ねた事が悔やまれる。エーデルガルトは思わず呟いた。
「まるで師を相手しているみたいね」
「エーデルガルト様」
それに対しヒューベルトは非難めいた声を上げる。
「分かっているわ。くだらない郷愁なんていらないと。でもねヒューベルト。師の教えを受けたのはクロードだけじゃない。私達だって確かに教わったわ。あの鷲獅子戦で。師は私達の甘さを完膚なきまで叩き切ったわ。だからこそ今がある。そう思わない?」
ヒューベルトは答えなかった。それがまぎれもない事実であった故に。あの時甘さを痛感したからこそ、今一度計画を練り直したのだ。だからこそ神聖王国の方はうまく行った。諸侯同盟とは五分五分と言ってもいいだろうが、もしもあの苦い敗北がなければより悪い状況になっていたかもしれない。クロードはそれほどの相手だ。
「良いじゃない。クロードが師を受け継ぐものなのだとしたら、これ以上倒し甲斐のある相手はいない。私はクロードを倒し、そして師を超えるわ」
クロードだけではない。戦略を受け継いだのがクロードだとしたら、師の技を受け継いだのはリシテアだ。二人の直接対決は武術大会の時に一度きりだ。その時はエーデルガルトが勝利したが、次だって勝って見せる。
そう、師を知るのは私だけでいい。
エーデルガルトは暗く微笑んだ。
とにかく疲れました。私は疲れたぞぉぉぉぉぉぉ! 今回かなり独自ネタを入れましたが、ちゃんと楽しめましたでしょうか?
二次創作を書いているはずなのに一次創作を書いているような苦しさ。皆さんもご存じのとおり、原作だとザラスの禁呪から空白の五年間の説明は多くなく、というか正直説明不足で分からない箇所が沢山あります。それを必死に穴埋めしていたら凄く時間がかかりました(汗)
特に個人的に納得いっていないのは、先生が二回目の崖から落ちて五年間寝ていたところなのですが、これは勝手にゲーム的な都合でこうなったのかなと考えております。帝国の襲撃をプレイヤーに見せるには、その時ベレトがいなければいけないので(※ さらに言えば帝国ルート、教団ルート分岐のためにもベレトは必要)、一回目のザラスの禁呪で強引に復活しなければならなかったのかなと。
物語としては一回目の封印で五年封印されていた方が展開として素直で、生徒が先生を助け出すっていうシーンをやりたかったので今回ここまでやりきりました。ザラスの禁呪、汚名返上です。
しかしザラスの禁呪の種明かしを考え続けた結果、英雄の遺産は何か、紋章は何か、さらには魔法は何かまで言及せざるを得なくなり、フレンが完っ然に説明お姉さんになってしまった(汗)
ローレンツのそこまで話していいの? は作者自身の疑問でもあります。でもこれくらい説明しないと進めなかったんだ! 些か無理矢理感はあるかと思いますが、こじつけでもまとめきったのはやってやった感。今までにない達成感がありました。
凄く難産でしたが、難しい部分を書ききれて良かったです。