プロローグ 獣の紋章
紋章、それは権力の象徴であり、選ばれし者のみが得られる栄光である。だがその紋章の中でも例外が存在する。人々から嫌われし紋章、それは獣の紋章と呼ばれる。
紋章とは本来持ち主に何かしら利益をもたらすものである。しかしながらその効果はまちまちであるし、あるなしで極端な差は生じない。結局はその人本来が持つ地力に勝るものはないのだ。紋章なくとも武の才あったヒルダの兄、ホルストなどまさにそうであろう。
しかしどこから来るのか、根拠のない不思議な力は人間を超えた何かになれると人々に錯覚させる。もはや盲目的ともいえる信仰であるが、それがあっても獣の紋章は忌み嫌われていた。
獣の紋章は周囲に不幸を招くと言われている故に。
「安らかにお眠りください」
そう言葉を発したのは今や美しい女性へと成長したマリアンヌであった。彼女の目の前にはつい今しがた倒した巨大な獣が倒れていた。異常なまでに巨大化したそれは魔獣と呼ばれ、普通の獣とは違う存在だ。
普通の獣であれば亡骸はそのまま残り、肉が腐って骨となる。だが魔獣は光の粒子となって消える。それの意味するものは偽りの体を持っているという事。光が消え去った後、その場に一振りの剣が残された。英雄の遺産の一つ、ブルトガングである。
マリアンヌは徐にそれを手に取った。戦う際は魔法メインのマリアンヌであったが、紋章が一致しているせいか、不思議とその剣は手に馴染んだ。しかしながら喜びは特に感じない。このブルトガングこそが、獣の紋章が不幸を招くと言われる事となった直接的な理由であったから。
獣の紋章の本来の名はモーリスの紋章。歴史から抹消された11人目の英雄である。英雄の遺産は力を与えると同時に代償も与える。
それが理性を失い、獣となって暴れる事となる魔獣化だ。魔獣化はそもそも紋章がない者、紋章持ちでも英雄の遺産が求める紋章と一致しない者が、英雄の遺産を扱うと起こるとされるが、適合者だから完全に安全と言うわけではない。
もしもの危険性はあるのだ。手にしたマリアンヌはその危険性をひしひしと感じていた。ありえないほどの一体感、一言で言えばそうなるであろう。マリアンヌはベレトの教育によって武器の扱いにくさと言うのを熟知している。自分好みの武器はどういったものであるかも理解している。
このブルトガングはマリアンヌ自身が経験したものから、遠くかけ離れているのにかかわらず、当たり前であるかのようにそこにいる。マリアンヌはまるで自分が何かに侵略されているようだと思った。違和感がないからこそ、どこまでも深みに落ちていく。危険だと警鐘を鳴らす。
「過ぎた力は人を滅ぼす……と言いますが」
いくら馴染んでいたとしても、どこかで身の危険を感じる事はあったはずである。それでも使い続けた。英雄としてあるがために。獣の紋章は不幸の呪いなのではなく、人の心の弱さが生み出した悲劇でしかなかった。
「理解してみたらどうって事ない話でしたね。ただの、悲しい話です」
先ほどまで亡骸があった場所を見つめ、マリアンヌは呟いた。粒子となって消えた獣は十中八九モーリス本人であろう。残されたブルトガングがその証拠だ。
モーリスが魔獣化してしまった事によって、彼の紋章は呪われた獣の紋章と呼ばれるようになり、マリアンヌはその不幸を生まれながらにして背負った。しかしながら不思議と憎しみは湧いてこなかった。その代わりに感じたのは憐みであった。
「私はただの人で十分ですよ」
マリアンヌはそう呟くと踵を返す。人生とは不思議だとマリアンヌは思った。生まれ持った不幸は絶望を感じるのに十分で。でも今のマリアンヌは生まれ持った不幸をどうって事はないと考えている。マリアンヌ自身何も変わっていない。獣の紋章は今もなお彼女の体に宿っている。変わったのは心の持ちようだ。
マリアンヌはかつてリシテアが言った言葉を思い返す。『今の私が好きだ』、彼女はそう言った。なるほどと思った。今のマリアンヌはとても充実している。
どう足掻こうが根底は変えられない。しかし孤独であったはずの自分に、志を共にする理解ある仲間ができた。守りたいと思うものが出来た。重要なのは今この時なのだ。どれだけ過去が不幸であろうとも、今が良ければすべて帳消し。そう言い切れるほどに。
もちろん世の中良い事だけではない。良い事と同じくらい悪い事もある。元金鹿の生徒達にとってもはや恩師ともいえるベレトがいなくなり、直後に大きな戦争が始まった。
しかしマリアンヌは思う。それでも最悪ではないと。
ベレトは封印されただけで死んだわけではないし、レスター諸侯同盟は負けたわけではない。仲間達は皆生存しており、今目的に向かってそれぞれの役割をこなしている。このブルトガングもその一つだ。
とある事情で必要になった英雄の遺産であるが、それが結果としてマリアンヌが抱えていた問題の解決へと向かったのは、思いがけない幸福であった。人を救おうとしたら自分が救われた。あまりにも出来すぎな話であったが、それを素直に受け入れるだけの図太さをマリアンヌは手にしていた。
彼女が学生時代に世話をしていた馬、ドルテはまだ健在だ。近場で待たせていたドルテにまたがると、彼女は一息ついて帰路に就く。
「後は先生を救うのみですね」
うつむきがちの儚い少女であったマリアンヌであったが、今の彼女にその面影はない。まなざしは強く、彼女はしっかりと前を見据え、馬を進めた。
(1)金鹿の躍動
レスター諸侯同盟はいわゆる戦時下にある。しかしながら帝国から同盟に通じるミルディン大橋を壊すという反則に近い手によって、交通手段をぶち壊した事から、直接的な戦いには至っていないという、『冷戦』とも呼べる特殊な状況であった。
なるべく早くに攻めたい帝国であったが、船でアミッド大河を超えるのは至難の業である。この大河は雨が降れば氾濫するのはしょっちゅうであるし、そもそもの流れも強いため、危険度が非常に高い。さらに言えばレスター諸侯同盟は弓の使い手が多いのも理由の一つだ。
船の上では足場も悪く、隠れる場所もない。大河内で狙い撃ちにされたら、如何に訓練された兵士達でもひとたまりもない。焦って無理を通したら、無駄に兵を浪費するだけとなってしまうだろう。
レスター諸侯同盟でアミッド大河に近い所に位置するコーデリア家は、帝国の協力者となっている。コーデリア家はヴァーリ家の子女であるベルナデッタと共に、橋が修復されるまでの防衛を担っているが、それはただのブラフであるとエーデルガルトは当の昔に見抜いていた。
しかし相手に知られているのはコーデリア家のリシテア達も承知済みである。諸侯同盟側であるのがあからさまであっても、それはお互いをよく知る当人同士の話である。確固たる証拠がない限り、いくらエーテルガルトが皇帝であっても、表立って糾弾する事はできない。娘が裏切者であるにもかかわらず、ヴァーリ家が未だに健在なところからもそれが分かる。
リシテアとベルナデッタはただ協力者を名乗っているだけではなかった。二人は防衛のため修復工事に参加できないという形を装っているわけだが、橋の修復を阻止しようとした諸侯同盟軍を撃退しており、有言実行とばかりに仕事をしてみせた。
これはもちろん八百長であるのだが、戦闘を間近で見た視察団にまったく気づいた様子はなかった。ここでの肝はベルナデッタが狙撃が得意という事。巨大な長弓でロングレンジ射撃を見せ、実際は当たってないのに、崩れ落ちたように見せる。
視認が難しい程の遠距離のため、戦っているという見せかけは容易だ。展開としてあまりにも一方的であるが、同盟軍側が無理して突っ込めばハチの巣にされるし、同じ弓で応戦しようにもベルナデッタの長弓に対しては射程の差で勝てない。
犠牲を厭わなければ物量押しで抜かれる危険性はあるが、後に正規の帝国軍と戦う事になるのを考えると、同盟軍側としては内戦での兵の浪費はなるべく抑えたい。さらに言えばコーデリア家とグロスタール家の兵も戦力として欲しいと思っている。それが深入りしてこない理由だとリシテアは視察団に説明した。
とんだ茶番であるが、視察団は若者で構成されており、このもっともらしい嘘を暴くための知恵がない。彼らはエーデルガルトの支持者であり、彼女の命令を従順に聞いたが、経験が圧倒的に足りていなかった。
リシテアとベルナデッタはエーデルガルトに付け入るスキを与えなかった。
大河を挟んで完全に分断された現状況は停滞感を生み、実に異質な戦争であった。無論、だからといってただ手をこまねいているわけではない。戦えなくともできる事はある。帝国と諸国同盟、両者ともにいつか必ず訪れる戦いに向かって力を蓄える事に尽力した。
諸国同盟にとって一つ良かった事がある。レスター諸国同盟と違ってファーガス神聖王国の方は、エーデルガルトの放った者の暗躍によって、内側から瓦解した。そこで王族であるディミトリを処刑してしまえば完璧であったのだが、ディミトリを逃がしてしまったのである。
最後の芽を摘めなかった失態の影響は思いの外大きく、ファーガス領内で反乱分子を生み、ほぼ詰みではあるが完全に帝国の支配下に置かれるまでには至っていない。レスター諸侯同盟にとってはこれが非常にありがたかった。
帝国軍は反乱軍鎮圧のために力をさかなければならないし、寝首をかかれないよう様、鎮圧しきるまではファーガス側からは諸侯同盟への進軍はありえない。時間稼ぎはもちろんの事、帝国側は少なからず戦いによって消耗する。
ファーガス神聖王国からのヘイトは全て帝国に向いているので、その間レスター諸侯同盟の方はじっくり力を蓄える事が出来る。この貴重な時間を逃す手はない。
戦争の準備をするのは主に五大諸侯の役割で、クロードのリーガン公爵家、ヒルダのゴネリル公爵家、ローレンツのグロスタール伯爵家、リシテアのコーデリア伯爵家、マリアンヌのエドマンド辺境伯家が担っている。
グロスタール伯爵家とコーデリア伯爵家は新帝国派を装っているので、主に外交によるバランサーである。パルミラとのいざこざがあるにしろ、帝国から遠い地のため、比較的安全なリーガン公爵家、ゴネリル公爵家が主に兵士の訓練を。残されたエドマンド家はその商才を生かして、戦争に必要となるであろう物資を貯蓄していた。
その結束力は、レスター諸侯同盟が発足して以来一番と言われているが、戦争と言う危機があってこそのものであるのが実に皮肉である。しかしながらクロードら時代を担う子世代にとってはその限りではなく、騎士学校からの信頼関係によって培われたものだ。
立場的には本来関与しなくても良い平民のラファエル、イグナーツ、レオニーなどが五大諸侯をそれぞれ手伝っている事がその証拠だ。
彼らの仕事は平民故、フットワークが軽いメリットを生かしたものがメインであった。物資の輸送の護衛や、手紙などでは知らせる事が出来ない重要な情報の伝達係、帝国から送られてくる『成り済まし』の処分等々、実に多岐にわたる。また彼らは優秀な人材のスカウト係でもあった。
仕事柄、レスター諸侯同盟領内の至る所で動き回る彼らはスカウト係に最適で、彼らは五大諸侯から直接認可を受け、それぞれが必要としている人材を送る権限を例外的に与えられていた。
スカウトを受けるのは戦争に参加するという事であるから、忌避感を感じる者はもちろんいる。しかしながら平民でありながら五大諸侯から信頼を受け、重宝されているラファエル達は、平民にも出世のチャンスがあるという証人である。
平民なのに『クロード君』ど親し気に呼ぶ様子なのは、彼らにとっては当たり前でも他の一般人にとっては衝撃でしかない。人格面でもぐう聖とも呼ばれるラファエル、気遣いのイグナーツ、姉後肌のレオニーと揃っており、その実力だって折り紙付きだ。
強者の空気を携えている彼らを見て、このチャンスにかけたい、それ以上に彼らについていきたいという者達は後を絶たない。
今、レスター諸侯同盟はそれぞれの歯車ががっしりとかみ合っており、驚異的なスピードで成長を続けていた。しかしながら帝国の力は強大。諸侯同盟の未来は、今ある時間で差をどれ程埋められるかにかかっている。
そして今後を左右するであろう要因はもう一つある。闇にうごめくものによって発動されたザラスの禁呪によって、時の狭間に幽閉されているベレトの存在である。今レスター諸侯同盟がここまで潤滑に回っているのは、彼が育て上げた若手の躍動による。
特に初手のミルディン大橋の破壊という奇策は、圧倒的劣勢を一気に五分までに引き戻すほどの効果があった。今でさえ大人を引っ張るほどの勢いで活躍する金鹿組、もしもその師が戻ってきた時、一体どれ程のものになるのか。
何とも面白い事に、当時の生徒達以外、誰も会った事がないはずのベレトの存在は、レスター諸侯同盟内で伝説級の存在となっていた。あくまで誇張された話と疑う者もいるにはいたが、一度でもクロード達を見てしまえば嘘と言い切る事はできない。
故に彼の奪還に異論を唱える者はおらず、戦争の準備と同じくらい重要なものと位置づけられており、奪還に向けての作戦は着実に進んでいた。
ベレト奪還の作戦を担うのはフレンである。その隣には無事逃げる事が出来たセテスもいた。彼女らは多忙な他の面子の代わりに、安全なゴネリル領でベレト奪還に必要なものを集めていた。
ベレト奪還に必要なものはザラスの禁呪、もとい時の牢獄を壊すだけの魔法力と、その魔法力を牢獄がある時間がずれた空間へ送り届ける術である。
要するに魔法に長けた人物を集め、ベレトが囚われている空間に殴り込みをかけると言う事であるが、一つ大きな問題があった。時間がずれた空間では修正力が働くため、すぐに元の時間に戻そうとする力が働いてしまうのだ。
リシテアのワープや、フレンのレスキューは対象の時間をずらし、あらゆるものから影響受けない空間を移動する魔法であるが、異相にいられる時間はほぼ一瞬である。それでも魔法力をごっそり消費するのだから修正力は実に強大だ。ただの人が修正力に抗って、異相にいるのを維持するには魔法力がいくらあっても足りない。
闇にうごめくもの達は、足りない分を彼ら自身を生贄にする事によって補った。魔法力+生命力の合わせ技で、牢獄を作り上げたわけであるが、フレンとしてはもちろん同じ手段を使うわけにはいかない。
そこでフレンが目を付けたのは英雄の遺産であった。英雄の遺産がなぜ特別なのか、それは世のルールを改変する力があるからである。厳密的に言えば魔法もそれにあたるのであるが、英雄の遺産の持つ改変力は群を抜いており、それらは元に戻そうとする修正力に対して抵抗する術となる。これで時間は十分に稼げるはず。
フレンが頭で描いている救出プランは以下の通りである。
1.ワープでベレトのいる異相を探し出し、救出隊を送り込む。
2.異相到達後、英雄の遺産を持つ者で異相空間にいられる時間を確保する。
3.檻に魔法力をぶつけて破壊し、ベレトを確保する。
4.レスキューによって異相にいる皆を元の場所へと戻す。
実際レスキューがなくても檻さえ壊せたら、修正力によって戻ってくる可能性は高いが、より確実な一手にするために保険はあるべきだろう。
しかし予想できないのは修正力の影響がどれ程の物なのかである。いくら思考を重ねようとも前例がないためそこだけは未知数だ。力が正確に計る事が出来ない以上、英雄の遺産はあればあるほど良いし、対抗する力が増せばその分成功率があがる。マリアンヌが危険を冒してまでブルトガングを取りに行ったのは、そういった事情であった。
「雷霆、テュルソスの杖、フライクーゲル、フェイルノート、そしてブルトガング……」
「まだあの英雄戦争の生き残りがいたとはな。英雄に担ぎ上げたのは我々だが、複雑な心境だ」
セテスは苛立ちと悲しみの狭間で顔をしかめた。何せ英雄戦争とは嘘の歴史である。英雄戦争の真の姿とは、闇に蠢くものと協力関係にあった盗賊、ネメシスが『はじまりのもの』である女神ソティスの遺体を盗み出し、世界に反逆した戦いである。
その時彼の手にしていた武器こそ天帝の剣、その正体は女神の遺体から取った骨から作られたもの。すなわち天帝の剣とは女神の体そのものであり、天帝の剣以外の遺産も女神の眷属たちの遺体から作られた物なのだ。
反逆者たちは女神の眷属たちを次々に虐殺し、その都度、遺体から新たな武器を作り上げ、世界を欲さんとフォドラの地に血の雨を降らせた。
その反逆者たちを鎮圧したのが、最後の女神の眷属たるセイロスと、彼女が率いる建国間もないアドラステア帝国であった。解放王ネメシスは邪神を討ち取ったわけではない。ネメシスこそが災いを招く者として討ち取られたのだ。
つまりネメシスの仲間であったフォドラ十傑とは英雄ではなく、反逆者の集団でしかなかった。そんな彼らが死後に英雄となったのは人の世にとってはその方が都合が良かったからである。神が正義を勝ち取ったのではなく、人が自身の手で正義を勝ち取ったという形が、支配する上で最も収まりが良い。
こうして大罪人達は英雄へと昇華されたのである。そして女神と女神の眷属から作られた武器達は英雄の遺産と呼ばれるようになった。
ブルトガングを内包していた獣は、フォドラ十傑と一緒に戦っていた隠されし十一人目、モーリス、己もまた女神の眷属であるセテスにとっては宿敵の一人だ。同朋を殺された恨みはあるが、こうしてマリアンヌに討伐されるまで1000年以上もの間、理性を失った獣として生き残ってしまっていた彼は哀れでならない。
感情の行き場のないセテスに対し、フレンは笑って見せた。
「お兄様、こんな時を吹っ切るための魔法の言葉がありますわ」
「魔法の言葉、かい?」
「過去は過去、今は今! ですの」
フレンもまた金鹿の一員だ。前を向く姿勢は変わらない。朗らかに言いのけたフレンに対し、セテスは目を丸くしたが、納得したように頷くと彼もまた笑みを見せた。
「確かに。大事なのは今だ」
「わたくし達は今を生きてますの。生きている者の特権としてずうずうしく生きるべきですわ」
何とも頼もしくなったフレンに、セテスは嬉しさを隠せない。金鹿への編入を進めた己の判断が間違っていなかった事を改めて認識したセテスは、思わずフレンの頭に手を乗せていた。
「フレン。私は、お前を金鹿の学級に入れて正解だったのだな」
「ええ! でもレディの頭に手を乗せるのはいただけませんわね」
「おっとこれは失礼した」
慌ててセテスは身を正す。兄妹という関係を決めたのは自分であったのに、思わず父としての顔が出てしまっていた。でもと考え直す。
しょうがないじゃないか、娘がこんなにも輝いているのだから。
娘の成長を見て喜ばないのは親じゃない。
レアの居所は知れず、ガルグ=マグは陥落。だがもはや底は見えた。後はもう這い上がるだけだ。セテスは気持ちを引き締めるとフレンに問いかけた。
「これで英雄の遺産は五つ目となる。時の牢獄を破壊するに足りそうか?」
「ええ、悪くない賭けだと思いますわ。それに他の英雄の遺産を集めるには……」
「うむ、他の英雄の遺産はすべて他国にある。乗り込んでまで取りに行くのは流石に現実的じゃないな」
「はい、この五つが今取れるだけの最大だと思います。それに運良くさらなる遺産を手にしたとしても、紋章一致者がいない事には使えませんし」
「となると、もしマイクラン討伐後に修道院に保管してあった、破裂の槍を回収できたとしても使えないか」
「もったいない話ではありますけど、そうなりますわ。下手に利用して魔獣化なんて事になりましたら、それこそ大惨事になります」
ベレトを救う任務の責任は重大だ。元金鹿の生徒達は先生であるベレトの再会を心待ちにしている。フレンだってその一人だ。随分後からの入学ではあったが、それでも生きている限り付き合っていきたいと、そう思えるほどの愛着を金鹿の学級に持っている。
「早く、先生を助けなければいけませんね」
だからつい言葉にしてしまったわけだが、セテスにとってその言葉は気にかかるものだったようで。
「ところでフレン?」
「なんですの?」
「フレンはその、彼の事はどう思ってるんだい?」
セテスの質問に最初きょとんとしていたフレンであったが、その意図を理解すると不愉快そうに頬を膨らませる。
「随分と無粋な質問ですわね。流石のわたくしも怒りますよ?」
「ぐぬぅ」
フレンの軽蔑の視線にセテスは口ごもる。
しょうがないじゃないか、娘の好きかもしれない異性の話を聞いて、心配にならないのは親じゃない。
どうにもガルグ=マグ大修道院陥落後のセテスは、また過保護になりつつあるようである。
「それに金鹿の学級の方々の中には、先生を一番待っている方がいますもの」
「……そうか。そうだったな」
セテスの脳裏に紋章に翻弄された白髪の少女の姿が浮かぶ。彼女が不幸になった遠因はセイロス教にある。戦争終結後にフォドラを治めるのはレアに一任し、隠遁していたセテスにとって言えた義理ではないが、それでも幸福になってほしい。
己の運命を切り開こうと奮起しているリシテアはそう思える人であった。
「さて、もう少しでレオニーさんが来ます。リシテアさんに送る伝令を用意しておきましょうか」
(2)良い女達
「久しぶりだねリシテア」
「レオニーもお元気そうで」
久々の旧友との再会に自然と顔がほころぶ。レオニーは現在諸侯同盟領を渡り歩いているわけだが、リシテアのコーデリア家は建前上は親帝国派なので、ばれるリスクを考えると早々会う機会はない。
しかしだ。逆に言えば証拠さえ残さなければ良いのだ。二人がばれずに会う事ができた理由はずばりワープである。リシテアの魔法部隊の中にはリシテア以外にもワープを使える者がおり、レオニーは外から直接リシテアの私室に送ってもらったのである。
こうすれば例え帝国が密偵が紛れ込んでいたとしても、コーデリア家の門をくぐる事がないのでバレない。また帰りはリシテア自身がワープを使えば良いだけの話である。
「いや、随分と身長伸びだね。見違えたよ」
「健康的な生活送ってますからね」
何せ学校時代のリシテアは148cm、それが今や160cmに届こうとしている。レオニーは女性としては元から168cmと長身の方だったが、学生時代の時にすでに身長の伸びに関しては止まっており、一方的に差を詰められたといった印象である。
レオニー以外だとマリアンヌも160cmを超えており、共に追い抜かれる事は免れたわけだが例外が一人いる。ヒルダである。ヒルダはもはや完然にリシテアに抜かれており、リシテアと面会した際にはかなりのショックを受けていた。
穏やかな空気の中、ふっとレオニーが構えるとリシテアもそれに反応する。瞬時に空気が変わり、緊張が訪れる。にらみ合う両者であったが、お互い表情を崩すとそのまま構えを解いた。
「外交ばっかりやっているから鈍っているんじゃないかと思ったけど、大したもんだね。むしろ強くなってるじゃない」
「戦いになったら私も戦前で指揮を執りますからね。怠けてなんかいられませんよ」
「本当はこのまま女を磨くための鍛錬と行きたいところだけども、今は仕事優先しないとね。とうとうマリアンヌが英雄の遺産を見つけたとの事だよ」
レオニーからもたらされた朗報にリシテアは満面の笑みを見せる。
「本当ですか! やりましたね。これで五つ……フレンさんはなんて?」
「成功確率は半分以上だって。悪くないと思うがリシテアはどう思う?」
レオニーの問いにリシテアは頭を悩ませる。
「……難しいところですね。平時であれば何度でも成功するまで試せばいいのですが、封じられし森はガルグ=マグに近い所にあります」
「ガルグ=マグが落ちた今、あそこら辺は誰も統治していない無法地帯。今一番不安定な場所ではあるか。そう何度も行けるわけじゃないのは確かだね」
三年前の襲撃でガルグ=マグ大修道院を落として見せた帝国であるが、そのまま占領する事はしなかった。というのも三国の中心というのが防衛に向かないのだ。単純に考えても三分の二が敵地に面しているわけで、流石の帝国もファーガス神聖王国、レスター諸侯同盟による二国から攻められる状況はきつい。
ガルグ=マグを拠点として維持し続けて無駄に消耗するのは愚策であり、ここを拠点とするには最低どちらかの一国を抑えないと成り立たない。
「帝国に完全に占領されていないだけ、まだましではあるのですけどね。ただファーガス神聖王国の現状を見るに時間の問題ではあるかと」
「ディミトリ率いる反乱軍が鎮圧されたら、北側からの進軍はなくなるから、帝国はガルグ=マグを拠点とするのに憂いがなくなる。となると守り固められて先生を助けるどころじゃないね。それを考えると危険ではあるけど今が最善となるか?」
「ええ、長引かせるとかえって確率が下がってしまうのは明白です。やるならまだ帝国が神聖王国にも目を光らせなきゃならない今でしょう」
「でも戦闘はさけられないだろうな。占領はしてなくとも見張りは必ずいるはずだ。そこにある程度の規模で行かざるを得ない以上、うちらの動きは絶対ばれる」
安全に事を進める方法にレオニーは頭を悩ませる。そんな彼女にリシテアはおもむろに言った。
「戦闘をさける方法はありますよ」
「なんだって?」
レオニーは驚きを隠せなかった。レオニーはリシテアが確信なく言うわけがないと知っている。リシテアが言うからには彼女の頭の中に方法はちゃんと存在するのだ。レオニーにはそれがなんであるか、全く見当がつかなかったが。
「ただしこれが使えるのは一回のみ。言うなれば切り札ですね」
「随分思わせぶりだな。リシテア、あんたクロードみたくなってるぞ?」
「それは心外ですね!」
割と本気で嫌そうなリシテアを見て、レオニーは思わず笑いそうになった。別に犬猿の仲でもないし、しょっちゅう議論をかわすくらい仲が良い金鹿のブレイン二人であるが、同じ賢き者同士でも、ずる賢いが先に来そうなクロードと一緒にされるのは我慢ならないらしい。
「で、その方法は何なんだ? ここで口にしたって事は、別に今私に話しても問題ない内容なんだろ?」
「ええ、もちろん。レオニーにはこの事をクロードに伝えてほしいんです。そして決断を仰いでください」
リシテアの発言に対し、レオニーは疑問を持った。確かにクロードは金鹿のリーダーであり、諸侯同盟のトップとなっている。重要な案件を上に持っていくのは正しい。理屈ではそうであるのだが、本音の部分は違う。
「そこはリシテアが決めるべきじゃないのか? 一番先生を助けたがっていたのはあんただろ?」
別に思いの強さこそが重要というわけでもないが、それでもベレトとリシテアの二人のやり取りを間近で見てきたレオニーにとっては、リシテアこそ決定するべきだと自然に思っていたのだ。
さらに言えばリシテアは魔法の天才故、間違いなくベレト奪還作戦で肝となる実行部隊となる。彼女の主観こそが一番重要と思うのはあながち間違いじゃないであろう。
「だからですよ。私じゃどうしても前のめりになってしまいそうで。感情で判断しかねません。自分が正しいか判断がつかないんですよ」
苦笑しながら言うリシテアの答えにレオニーは感心したように頷いた。かつてのレオニーなら何を弱気なと思ったかもしれないが、将としての頭角も出てきた彼女としては、己を客観視できているリシテアの冷静さは実に頼もしい。レオニーはそこに懐かしい面影を見た。
「前言撤回」
「はい?」
「リシテア、あんた先生みたいだね」
するとリシテアは嬉しそうにはにかんだ。今度は正解だったらしい。
「オーケー、分かった。難しい事は全部クロードに任せちゃいな。男なんだからそれくらいの甲斐性は見せてもらわないとね。あんたは先生を助ける事にのみ集中するといいさ。良い男を迎えに行くのは良い女の役目というものだからね」
レオニーの発言に別に深い意味はなかった。いつもの彼女の理想の女性としてのあり方を力説したに過ぎない。しかしリシテアはそうは取らなかったらしい。
「れ、レオニー! 私、先生の事を慕っているのは確かですが、あくまで先生として尊敬しているのであって、別に先生の事を異性としては……」
「ほほう?」
「あ……」
リシテアが墓穴を掘ったと自覚した時には後の祭りであった。これほど過剰に反応してしまっては脈ありと言ってしまっているようなもの。リシテア自身、憧れだと思っていたが、それだけでは説明できない何かがあるのは確かなのある。
もうごまかしようのない状況で、リシテアは観念したようにレオニーに告げた。
「正直、分からないんですよ。私の場合、恋愛とか考える余裕がなかったですから」
「ここまであっという間だったからねぇ」
寿命の件もあって、恋愛なんてしないでこの世から去ると思っていたリシテアである。寿命の問題が一応解決した後も、帝国が開戦した事によって、その対応に追われ続けた。
十分に考える時間なんてものはなく、答えを与えてくれそうなベレトも今はいない。そうして宙に浮いたまま今に至る。
レオニーはそんなリシテアに一石を投じた。
「私はありだと思うけどね」
「え?」
「なんて言うかさ? 先生が帰ってきても、もう金鹿の学級はないわけだから、立場的には先生じゃないだろう? もちろん私達は先生を頼りにしているし、先生が私達を助けてくれる前提で考えると、似たようなポジションにつくのは想像に難くない。戦時中だから軍師になるのかな?」
「ええ、そうなるのが自然でしょうね」
「どんな立場であろうと私達にとって、先生は先生のわけではあるけど、それは私達の考えであって、今後の立場は同士というか、対等というか」
「はあ……」
「ああ、もう小難しい説明は苦手だね! 率直に言うよ! 今のリシテアが先生の横に立っていても、なんも違和感ないなって。そう思っただけさ」
レオニーの思わぬ指摘にどう答えていいか分からない様子のリシテアに、レオニーは指さして言った。
「リシテア、あんた良い女になったよ」
「そう、でしょうか?」
「ああ、間違いないね」
リシテアは元が小柄な故、可愛いなどは言われ慣れていた。でもそれはほとんどが身内で、他は貴族同士のお世辞くらいしかない。こうして仲間から認められ、褒められるのは他にはない喜びがあった。
「ありがとうございます」
かつては反発したかもしれないが、今のリシテアは素直にお礼を言えるくらいには大人になった。大人になりたいと思っている内は子供、それをつくづく実感した瞬間であった。
「恋愛に関しては私もまだあんまりというか、全く経験ないからさ。良いアドバイスとかはできないけれど、先生を助けるのは確定事項として、その後、もしリシテアが本当に先生の事が好きだと思ったのなら、応援するからね」
「全く本気にしますよ?」
「いいよいいよ。本気にしちゃってちょうだい」
かんらかんらと笑うレオニーであったが、ふと表情を切り替え、真剣な表情でリシテアに問うた。
「で? その切り札ってのは何なんだい? 私はクロードに何を伝えればいい?」
(3)楽しい同窓会
レスター諸侯同盟グロスタール領、そこに懐かしい顔ぶれが揃った。威厳を得るためなのか、顎髭を生やしたクロードを初め、バラの装飾を鎧に施し、THE貴族を体現したようなローレンツ、動きやすさを重視したのか、開放的な服装に長い髪を後ろにまとめたヒルダがいる。
肉体美により磨きがかかり、さらなるパワーをつけた(しかも柔軟性もある!)ラファエル、かつての少年っぽさが鳴りを潜め、精悍さがましたイグナーツ、淑女たるものはこうあるべきを体現したかのようなマリアンヌがいる。
ぼさぼさが当たり前だったベルナデッタの髪は、お前誰だと言われるくらい整えられており、優雅にペガサスから降り立ったレオニーは髪を伸ばしたせいか、前よりも女性である事を強く意識させた。
フレンは変わらぬ姿でいつものように微笑んでおり、その横にいるセテスはフレンに悪い虫がつかないよう、必死に見張っていた。
皆姿格好は変わっていたが、かつての金鹿の学級が持っていた空気は何も変わらない。個別に会う事はそこそこにあったが、こうして元生徒達が全員揃うのは久しぶりの事だ。リシテアは皆の姿を確認すると、喜びを隠そうともせずにその輪の中へと入って行った。
「金鹿の同窓会へようこそってところかな?」
クロードが茶化したように言うとリシテアも冗談で返す。
「残念ながら寝坊している人がいるようですけれどね」
「やっぱり担任がいないとどうにも締まらないよな。遅刻した先生はどうしてくれようか」
リシテアは一度思案顔になったが、士官学校での日常の一幕を思い出し、それを要求として告げた。
「やっぱりあれですね。私達がおなか一杯食べられるだけの食事を作ってもらいましょう」
「そいつは良い。安易に俺たちの胃袋をつかんだ罰だな」
金鹿一の大食漢、ラファエルがうっとりした様子で語る。
「先生特製、丸ごとローストチキンが食いてぇなぁ」
「スパイスとか絶妙なんですよね。どうやってああもうまく臭みとか消してるんだろう? ただあの首を切り落とすのはちょっとしたホラーですけど……」
動物を絞める事自体は何も珍しい事ではない。商家であるし、イグナーツもその経験はある。ただ金鹿の生徒全員の胃袋を満たすだけの量となれば別だ。塵も積もればなんとやら。淡々と無表情でさばくベレト、その下で段々と増えていく首なしで動き回る鶏達。なかなかの地獄絵図に、肉が苦手になりかけたイグナーツであった。
「全く緊張感がないねぇ」
「固いよりは良いさ」
やれやれと頭をかくレオニーに、ローレンツがふっと笑って髪をかき上げる。人が集中していられる時間はそう多くはない。いざと言う時に全力を出せるようオンオフが重要なのである。だらけすぎは流石に問題であるが。
金鹿の学級のメンツだけではなく、そこには数多くの兵が集まっていた。集まった理由は他でもない。とうとう満を持してベレト救出作戦が行われるのである。救出作戦というには規模が大きく、それこそ戦争に行くのかというレベルであったが。
別に集まりすぎたとかそういうわけではない。大きくなりすぎるのは不本意ではあったが、必要ではあったのだ。
リシテアがレオニーに告げたように、この作戦で戦闘自体は起こらないと推測されてはいるのだが、万が一はあるし、武装は必要だ。
また救出作戦を行う魔法部隊の規模は、魔法力があればあるほど成功確率が上がるため、国境の防衛についている以外のメンツをかき集めたものでかなり大きい。その大きく膨れ上がった魔法部隊を守れるだけの護衛も必要なわけで。
そんなこんなである程度の巨大化は避けられなかったというのが真相である。しかしながらこうして実際に集まった光景を見るのはなかなかに悪くなかった。
集まった兵たちは多種多様でそれぞれの領主に仕える者達、ベレトがいなくなってからもベレトが助かるならと尽くしてくれたジェラルト傭兵団、ラファエル、レオニー、イグナーツがスカウトした平民の姿も見かける。さらにはフレンとセテスに仕える教団の騎士団までもがいた。
その何でもありといった光景はかつての金鹿の学級を再現しているかのよう。遠い懐かしき光景にリシテアは目を細めた。
再会の喜びもあって、場の空気は和やかそのものであったが、その中でめちゃくちゃ忙しそうにしていたのはヒルダである。彼女の前には長蛇の列ができていた。
「それは水と食料かな? チェックするからちょっと待ってね。数は……うん。確認取れた。じゃあそれは輸送隊の方に持って行ってね。あ、君たちは○○魔法隊? 得意なのは氷系か……それじゃあリシテア隊じゃなくてマリアンヌ隊に合流してね」
今回の行軍で必要となる物資のチェック、参加する兵達の人数を確認しつつ振り分け、ヒルダは持ち前の愛嬌をふりまきつつ、円滑に進めていく。
ある程度の規模になると人も物も仕分けが難しくなってくるわけで、筋書なしで合流を許してしまうと収集がつかなくなる問題が生じる。そのためにヒルダは窓口としての役割を請け負い、次々合流してくる人、物を一列に並べ、逐一に記録を取り、各々が適切な場所へ行くように指示をしていた。
これは単に混乱を防ぐだけでなく、数として正確なデータも取れるため、戦略を練るためにも極めて重要な仕事である。兵力、物資の算出をアバウトにやってしまい、後になって足りませんでしたは笑えない。正確に判断するには正確な情報こそが必要なのである。
メイン武器が斧であり、その武の才能からずっと前衛であるヒルダであったが、ここまでスムーズに進行する能力は、武力とは全く別の裏方の才能である。かつてのヒルダは後方支援希望が良いとずっと言っていたが、ここに来て裏方としての実力を証明して見せたわけである。
しかしこのヒルダ、ここから裏方に下がるという意思はまるでないというのが面白いところ。実際戦いになったら文句を言いつつも、ヒルダは真っ先に前線へと飛び込んでいくのだろう。
人を使って楽に生きたいと言っていたヒルダであったが、そのために必要な魅力はそのままリーダーシップに置き換わり、人を使って楽をするために自分の責任を全うする。その姿は優秀な将そのものである。
何せ今ヒルダがしている事は誰かが指示したわけではない。彼女が必要として率先して行った事である。言わなくても勝手にやってくれるヒルダは頼もしく、クロードはほくそ笑んだ。
「さてさてこのままヒルダだけに頑張ってもらうわけにはいかないな。旧交を温めるのはここまでとするか」
周囲を一瞥すると、クロードはわざとらしく咳をし、盟主としての己の仕事をし始めた。
「皆、今回の奪還作戦はレスター諸侯同盟の未来を左右する重要なものだ。先生、俺らの師を知らない人にとっては何をそんなに大げさなと思うかもしれない。それはしょうがない事だ。むしろ会った事もない人を妄信する方が信用ならないと俺は思うね」
クロードのいかにもな言いっぷりに金鹿の皆から笑みが漏れる。これも変に固くなりすぎないようにするいつもの手だ。良い感じに肩の力が抜けた兵達に対し、クロードは一気に熱を注ぎ込む。
「だから俺達を見てほしい! 先生から学んだ俺達こそが、今後帝国との戦いにおいて先生が必要となる証拠だ。少しでも俺達の事を凄いと思ってくれるなら、それは良き縁、良き師に恵まれたからに他ならない。先生がいなかったらこの場は間違いなくなかった! レスター諸侯同盟はとっくの昔に帝国に侵略されていた! 俺達を育てた先生はかの鷲獅子戦で、戦力としては五分である二国と戦い、戦略を持って俺らを圧勝に導いた知将! 先生を取り戻せば勝利への道は開かれると俺は信じている!! 故に全力を尽くしてくれ。他の誰でもない、我々レスター諸侯同盟の未来のために!!」
「「「おおーーーっ!!」」」
「まったくうまいものだな。髭生やしたときは違和感しかなかったが、こうしたところを見るとそれも貫禄に見える」
「あれもいつものはったりなんでしょうが、口はよく回るししっかりハマってますよね」
どうにも一言多いローレンツとリシテアであったが、その表情は柔らかった。
こうして金鹿のガルグ=マグへの行軍は開始された。正確にはその近辺にある封じられた森である。念には念をという事で武装はしてあるが、現状でレスター諸侯同盟内での交戦はないだろう。
気を抜くのは言語道断だが、それでも固くなりすぎるのは良くない。リシテアは今後帝国と戦う上でのデモンストレーションとして、全体の動きを見つつ、実際の行軍はどういったものなのかという経験を蓄えていった。
もちろんリシテアの内心では、ベレトの救出に関しての不安もあったが、ベレトを救うのは通過点に過ぎない。むしろ救ってからこそが本番だ。リシテアも含め、皆ベレトが帰ってきたら強力な味方になってくれると信じている。ベレトはそういう人だ。
しかしだ。彼の事を信じはすれど、体や心の方はどうなっているか分からない。いくら時を止めているといえども衰弱はしているだろうし、闇は心を蝕む。少なくとも万全ではないだろう。体はすべての資本だ。それをリシテアはベレトから叩き込まれた。
彼が本調子でなかった場合、リシテアはベレトが回復するまで守らなければならない。最悪を想定すると、ベレトの回復が間に合わず、彼の助力なしで戦争を迎える可能性だってあるだろう。
リシテアはその覚悟はすでに決めている。ベレトには助けられてばかりであった。恩返しをしようにも当時のリシテアは未熟すぎて、ベレトの大切な人は失われてしまった。さらにはベレト本人すらも。
ふとレオニーの言葉を思い出す。今や先生と対等になったと。横に並んでも違和感がないと。それを鵜呑みにできるほどリシテア自身自惚れてはいない。まんまとザラスの禁呪を発動させてしまった負い目はそう簡単には拭い去れない。それでもと思う。
(今度こそ先生を守るんです。今度こそ、私の手で!!)
運命の時は迫っていた。
(4)切り札
リシテアの言っていた一度きりの切り札。それの正体はなんであるか。封じられた森に近づいた今、その真相を明らかにしよう。
真実に至るカギは二つ、
1.コーデリア家は表向き親帝国派である。
2.コーデリア家にはヴァーリ家の子女ベルナデッタが協力している。
そう、その答えは……
「お母様!」
「ベルナデッタ!」
レスター諸侯同盟の内情を知るため、コーデリア家とヴァーリ家で密会、これこそがリシテアの言う切り札であった。親帝国派であるためコーデリア家が来るのは自然であるし、ベルナデッタがコーデリア家の協力者としている故、ヴァーリ家が代表として来るのも理にかなっている。
エーデルガルトはともかくとして、他の帝国の重鎮たちからは怪しまれない。親帝国派という立場をフル活用した作戦であった。
当時は慌てていたのもあって、レスター諸侯同盟に一緒に逃げてきてしまったベルナデッタ。そのまま帰るのも気まずいし、レスター諸侯同盟との戦争に駆り出されるのも嫌だった彼女が取った行動が、そのままコーデリア家に居候する事であった。
一方でレスター諸侯同盟としてはスパイになる事を疑わなければならない立場である。しなしながらコミュ障のベルナデッタにそんな器用な事はできないと断言できてしまった事から、特に問題ないと判断された。むしろ親帝国派を装うのに丁度良いとまでされたのは良い事なのか。
彼女の人柄に対する信頼? がなせる業であった。
「身だしなみに無頓着だったあなたがここまできちんとしているなんて。見違えたわ」
「わ、私も貴族ではありますから」
なんともレベルの低い会話に周りは失笑気味である。
「それに」
「それに?」
ヴァーリ伯爵夫人は大きくなった娘を見定めるように目を凝らす。ただ身長が伸びただけではない。すぐに分かるのは体つきの違い。かつてのやわな体はどこへ行ったのか、しっかりとした筋肉がついており、姿勢も素晴らしい。バランスが良い証拠であった。
特にヴァーリ夫人が気に入ったのはベルナデッタの視線と手の位置だ。この再会を楽しみつつも視線は時折遠くを見つめており、手はいつだって武器と近い位置にある。立ち位置だって帝国の弓兵の射線に入らないよう、必ずヴァーリ夫人の裏にいる。夫人が動いたらその都度安全な位置へ陣取る。
この母との再会であっても警戒心は解いてない。それが夫人にはたまらなかった。
「強くなった」
「ええ、ベルは戦えるようになりましたよ」
嬉しそうにはにかんだベルナデッタにヴァーリ夫人は手を伸ばす。そして抱擁と見せかけてアームロックをかました。
「ちょっ!!?」
「でもまだまだね!」
「いだ! いだだだだだだっ!!!」
ベルナデッタも油断していたわけではない。ヴァーリ夫人の意図に気づいてとっさに抜けようとしたが、抜けると思った瞬間、夫人の方が逃すまいと加速したのである。絶妙な緩急にリシテアはほうっと感嘆の息をもらした。
繰り広げられる母娘の争いに絶句する一同。一方でクロードは爆笑していた。何せこのヴァーリ伯爵夫人、引きこもりのベルナデッタを寝ている間に袋詰めにし、ガルグ=マグ士官学校に送りつけたスパルタママである。普通のわけがない。
「いきなり何するんですかっ!?」
「私はあなたの母よ。褒めたら調子乗りすぎるのは分かってるんだから」
「ぐぬ、ありそうなだけに反論できない!」
まるでコントのような母娘の再会で、ヴァーリ伯爵夫人の兵達と、諸侯同盟の兵たちの緊張がゆるむ。これを意図してやったとしたらなかなか強かである。
何はともあれここが頃合いとばかりにクロードが前に出た。
「レスター諸侯同盟盟主クロードだ」
「ヴァーリ家伯爵夫人、○○よ」
ヴァーリ夫人も快く応じる。
「今回は協力に感謝する」
「私も娘の無事を確認したかったし、丁度良かったわ」
お互い不自然なほど和やかな顔であった。しかしその目は笑っていない。勝負はここからであった。
「しかし甘いのではなくて? 娘と友人だからと言って、ヴァーリ家が味方に付くと?」
「いいや? だからわざわざこれだけの規模で来たんだ。あんただってそうだろう? うまく進めはそれに越した事はないが、最悪を想定して戦う準備はしてある。そっちも騙し討ちでヴァーリ家をつぶそうとしている可能性を想定していたはずだ」
「当然の事よ」
「しかし数は揃えられなかったようだな。例え選りすぐりだとしても数の差を超えるのは容易じゃないぞ?」
「そちらは規模が大きくても、魔法部隊が大半、実際の戦いになればどうかしらね? 偏った力はハマれば強力だけど、ひとたび瓦解すれば脆いものよ」
「心配は無用だ。うちの部隊長どもは優秀でね。今回のような偏った編成でも問題なしさ。それでも試すというのならご勝手に」
バチバチと火花を散らす二人であるが、これも必要な事であった。力なき者に信用は生まれない。相手の力量を正しく見極めるために、二人はお互いを揺さぶり続ける。
その中でヴァーリ夫人は奇妙な感覚を覚えていた。
一見クロード率いる同盟軍の配置は素人そのものだ。魔法部隊の前に前衛職が陣取るのはセオリーであるが、横長に布陣しているために薄くて厚みがない。面で攻撃したいゆえの布陣であろうが、いくら何でも防御面が弱すぎる。
どれほど兵の数が多くてもこれでは有効活用しているとは言い難い。中央を一転突破してしまえば間違いなく崩れる。
しかしとヴァーリ夫人は考え直す。クロードの言う部隊長が優秀と言うのは嘘ではないだろう。統率が取れているし、何より兵の士気が高い。だがまだどこかに違和感がある。他に何かあると夫人の感は告げていた。
(真実を隠すのに最も有効なのは別の真実で覆ってしまう事。辿り着いた事に満足してしまって、その裏を見なくなるから。つまり部隊長の優秀さという情報は隠れ蓑に過ぎないというわけね。それでは本命は何かしら?)
ヴァーリ夫人は今一度同盟軍の布陣を見渡す。そしてリシテアと目が合った。リシテアがその意図を察して慌てて目をそらすがもう遅い。
「ところで同盟軍の魔法部隊は本当に魔法部隊なのかしら?」
それは確信をついた問いであった。
「目ざといねぇ。我が同盟軍の虎の子を見つけるとは。魔法部隊で合ってるよ。ただし……」
「ただし?」
「近接戦闘もできる」
それまで薄い壁にしか見えてなかった同盟軍が途端に厚くなる。単純計算でも倍の厚さになったのだ。一気に攻略が難しくなったヴァーリ夫人は思わずうなった。
「どうりで。つまり我が兵達で中央突破を図ったら……」
「逆に袋たたきだな。うちの魔法剣士部隊の強さは折り紙付きだぞ。鎧を貫通する魔法剣に防御不可の遠距離攻撃までセットだ。こんなの経験した事ないだろ?」
クロードは慌てた様子もなく種明かしをする。すべてを明かした上で、堂々と振る舞うクロード、彼はヴァーリ夫人にやれるのものならやってみろ、暗にそう告げていた。
長い沈黙があった。苛烈なやり取りから一転しての静寂に辺りに緊張が走る。
すると突然ヴァーリ伯爵夫人は大声で笑い出した。
「ふふふ、あーっはははは!! 若いのにやるわねぇ。髭なんてこさえちゃってさ」
「形から入る口でね」
両手を挙げて大げさに演技するクロードの意図を察し、ヴァーリ夫人はなおも楽しそうであった。
「似合わないと思わせるのも作戦のうちって事ね。でもそうね。なんでもやり始めというのものはそういうものよ。時が経てば自然と馴染んでくるわ」
「俺もそう願うよ。相手になら思惑通りだが、味方にまで胡散臭く思われるのはね」
「それは単なる日頃の行いよ」
「そいつは手厳しい」
クロードを認めたヴァーリ夫人であったが、親交を深める時間はさほどない。ヴァーリ家との密会は戦闘を避けるための口実であって、本命はベレトの救出作戦なのだから。
「確認だけど、今回あなた達は担任を救出するためにここに来たわけよね。私達にできる事はある?」
「今回の救出作戦には魔法こそが必要だから、申し出はありがたいができる事はないな。ただ邪魔をされないよう周囲の警戒をお願いしたい。誰も支配していない無法地帯は、これ幸いとばかりに盗賊とか多くなるしな。それに可能性は低いだろうが、闇に蠢く者は神出鬼没だ。もしもはあるかもしれない」
「闇に蠢く者ね」
「信じないか?」
「私自身は見た事ないからなんとも。ただいると仮定したら腑に落ちる点も多々あるわ」
ふとヴァーリ夫人が思い出したのはエーデルガルトである。あの戴冠式は異例であった。なぜあそこまで急いだのか。王の血筋の直系はエーデルガルト以外亡くなっていたし、ライバルと呼べるものはいない。ならば戴冠式は急がずに士官学校を卒業してからでも良かったはずだ。
それでも戴冠式を行ったのは十中八九ガルグ=マグ大修道院を攻めるためであろう。しかし皇帝になった直後に攻めるなんて手筈が良すぎた。いくら皇位継承権があるとしても、継承前のエーデルガルトに戦争の準備できるほどの求心力なんてあるわけない。
あの時ヴァーリ伯爵含む帝国の伯爵達にガルグ=マグ襲撃の情報が伏せられていた。そして都合よく出世に燃える若手だけが集められ、兵として集まった。何か別の力が働いていたのは間違いなかった。
「闇に蠢く者は他人に成り済ます事ができるのよね?」
「ああ、ガルグ=マグ士官学校には二人、戦争が始まってからもレスター諸侯同盟に潜伏しようとしていた奴は何人も見てる。その都度処分したが」
「そう簡単に分かるものなの?」
「ああ、ちょっとしたコツがあるんだ。成り済ましが完璧なのは見た目だけなんだ。記憶まで模倣できるわけではないから、何個か質問すればそれでボロが出る。何年も潜伏されていたとかになれば判別も難しいだろうが、少なくとも成り済まし初期の段階では完璧にはほど遠い。つまり俺達にとっての問題は、他人そっくりに成り済ますなんて事はあり得ない、という先入観だったわけだ」
「初めからそういうものとして考えていれば対策可能という事ね」
「容易ではないができなくはない。しかし成り済ましについて聞いたって事は、何か心当たりが?」
ここでヴァーリ夫人が初めて明確に悩んでいるのを表情に出した。その態度こそ心当たりがあるという証拠であったが、逆に言えばヴァーリ夫人程の傑物が表情に出してしまう程、状況が良くないという事もでもある。
「確証はないからここでは言わないわ。余計な先入観は与えたくない。ただ我がヴァーリ家が、こうしてレスター諸侯同盟に協力する理由の一つであるとは言っておこうかしら」
「今の帝国は……どこか危うい」
たった一言であったが、その言葉には強い実感が込められており、クロードにはそれがまぎれもなく本音であるように感じられた。
クロニエやソロン、二度にわたって成り済ましに騙されたからこそ理解できる。何時どこでも裏切られているかもしれないという疑心暗鬼に駆られる不愉快さ、はっきり言うと最低だ。常にその可能性を疑うのはとても労力がいるし、言うなれば恒久的な呪いをかけられているかのよう。
クロードが思うに、ヴァーリ夫人が疑っているのは余程の人なのだろう。そもそも一番上のエーデルガルトがはっきりと黒なのだ。しかもエーデルガルトの場合、誰かが入れ替わったわけではなく、彼女自身の意思で行動している。己の覇道を成し遂げるために。
エーデルガルトの掲げる未来は素晴らしいものだ。人種、身分など関係なく実力で評価される世界。厳しくとも平等なそんな世界。それはクロードの掲げる、人と人との間にある壁をなくした世界に通じるものがある。
きっとお互いの理想の世界は間違っていないのだろう。だが世界を変えるためには、その理想が正しいか間違っているか以前に、そうなるまでの過程が重要になってくる。エーデルガルドの行った武力による統一はまさに劇薬だ。最も早く、最も効果的で、最も危うい。
クロードとしては闇に蠢く者という大きな闇を抱える帝国が、このフォドラを正しく導けるかは甚だ疑問であった。闇に蠢く者の妄執は過去の復讐だけでなく、次の支配者になる事にも向けられているように思える。そんな危険分子を見過ごすわけにはいかない。
「エーデルガルトは急ぎ過ぎた」
それがクロードの結論であった。疑いようもなく、ガルグ=マグ大修道院を攻めたタイミングは最高であったであろう。しかしそのために代償を払いすぎている。確かに闇に蠢く者の持つ力は魅力的だ。だがそれは本来の帝国の力ではない故、後の災いの種になる。もし戦争に勝ったとしても、闇に蠢く者達との間で権力闘争が起きてしまえば、帝国は中から崩される事になる。そこに彼女の求めた理想の世界はない。
そう、エーデルガルトは先に彼らを切り捨て、自浄する事こそが必要だった。同じ覇道を目指すにしても、裏切るかもしれない悪魔の力ではなく、信用できる者の力で為すべきであった。
それが出来ていれば、こうしてクロード達がヴァーリ伯爵夫人に会うなんて隙はできなかったはずなのだから。エーデルガルトの苛烈な生き様にどこか無常を感じながら、クロードは続ける。
「この戦いはエーデルガルトを討ち取るまで続くと俺は思っている。それはつまり帝国領にも踏み入るという事だ。平和的に解決は理想的だが今や夢物語だ。賽はとっくに投げられてしまった。あんたにとっちゃとっくの昔に知っていると思うが。それでもこの場に来てくれたという事は覚悟の上という事なんだろう。だから俺もそれに応えたい」
ヴァーリ夫人は間違いなく己の人生をかけている。それが分かっているからこそ、クロードもいつもの仮面を取っ払い、己自身の言葉を紡いだ。
「俺達の目的はレスター諸侯同盟を守る事、闇に蠢く者の掃討こそが目的で、侵略のためではない。しかしながら多大な犠牲は避けられないだろう。帝国も、同盟も等しく。きっと血塗られた道になる。だからこそ約束する。勝利の暁には帝国に平和をもたらすと。それが勝者の務めだ」
「青すぎる理想ね。魅力ある夢想家ほど厄介なものはない。でも騙されてあげるわ。娘をここまで成長させてくれた恩師とその仲間達だもの。ヴァーリ伯爵夫人としてではなく、私個人としてあなた達に賭けるわ」
「任せてくれ。あんたの選択、決して後悔させない」
クロードはあえて断言して見せた。鋼の意志を見せるために。クロードの覚悟を受け取ったヴァーリ夫人は頷く。そしてどこか悲しそうに尋ねた。
「帝国こそが強く、正しい。そう言えれば良かったのに。もしあなた達を育てた恩師が黒鷲の学級に来ていたら、立場は変わっていたのかしらね?」
「運命を左右するほどの存在、そう確信したからこそ、俺は真っ先に先生に声をかけたんだ」
「そこまで肩入れする程の存在か。どんな人なのか早く見てみたいわね」
「まもなく会えるさ。楽しみにしていてくれ」
とうとうベレト救出作戦が始まる。
(5)時の狭間へ
外交が終わると今度こそリシテアの出番だ。クロードからの指示を受け、リシテアはベレト救出に向けて準備に取り掛かる。兵へ配置を伝える彼女の手には英雄の遺産の一つである雷霆が握られていた。今回のためにカトリーヌから借りてきたものだ。
英雄の遺産を使うためには対応する紋章がいるが、雷霆に必要な紋章はカロンの紋章であり、リシテアの持つそれに合致している。
しかしリシテアが雷霆を扱うには問題があった。何故ならリシテアは士官学校の生徒の時から己の紋章を封じていたのだから。
リシテアには闇に蠢く者達の実験で、彼女自身が持つ本来のカロンの小紋章の他に、グロスタールの紋章が与えられている。しかしその実験は非完全なもので、グロスタールの紋章はリシテアの体に馴染む事なく、異物として捉えられており、力を与えるどころか大きな負担を与え、寿命をも蝕む呪いにしかならなかった。
もしも紋章の暴走が再度起きてしまったら、今度こそ生きていられないかもしれない。それ故リシテアは本来はガルグ=マグ大修道院で、囚人用に使われていた紋章を封じる手錠をアクセサリーと変換して利用していた。己の本来の紋章も使えなくなる事を承知の上で。
リシテアが雷霆を使うという事はその封印を解くという事だ。そして暴走は魔力の枯渇で起きる。ベレト救出するためにはワープが必須で、ワープは大量に魔力を消費してしまう。あまりにも危険であった。
故に初めはリシテアではなく、雷霆の本来の持ち主のカトリーヌがそのまま使用する案もあった。しかしカトリーヌは魔法の才能に乏しいし、ワープ使用者が直接英雄の遺産を持つと持たないのでは、成功率に大きく影響が出る。
安全にカトリーヌで行くか、リシテアの命が持つ事にかけるか、覚悟を決めなければならない状況だった。
ここで現れたのが紋章学者、ハンネマンである。彼こそが紋章封印リングの作成者であり、リシテアの寿命問題を暫定的に解決してくれた救世主であった。彼の新発明品が答えの出ない問題に風穴を開けた。
ハンネマンの最終目標は自由な紋章の着脱、紋章を選ばれし者だけの特権ではなく、すべての人が等しく使えるようにする事。その過程として生まれたのが選んだ紋章だけを封印するリングだ。ハンネマンは紋章封印リングに紋章を識別する機能を加えたのである。ここまで出来れば選んだ紋章だけを封印するなぞたやすい。
これが緊迫していた会議に運び込まれた時、リシテア含む全員があんぐり口を開けていた。ハンネマンとしては別にこのタイミングを意図していたわけじゃなく、完成したらたまたまリシテア達が悩んでいただけだったのだが、あまりにもピンポイント過ぎて、興奮した金鹿組にもみくちゃにされるのであった。
これによりリシテアはグロスタールの紋章だけを封印し、本来彼女が持つカロンの紋章だけを使う事ができるようになった。リシテアにとって紋章は己の人生を壊した象徴である。しかしながら自分が英雄の遺産に合致する紋章を持っていた事は、まぎれもなく幸運であり、未来へ進む彼女は忌まわしき紋章の利用をためらわない。
紋章があろうがなかろうが、私は私、リシテア=フォン=コーデリアなのだから。
フレン曰く、英雄の遺産はお互いに反応し合うという。今回英雄の遺産は五つこの場に集まったわけだが、それぞれの持ち手は英雄の遺産達がいつもと違っているのを感じており、まるで再会を喜んでいるかのようにすら思えた。そのように感じたのは、フレンにより英雄の遺産の真実を知らされていたからである。
英雄の遺産はただの武器ではなく、女神の眷属達の遺体から作られたもの。そしてベレトの持つ天帝の剣はその長たる女神そのものだ。女神を助け出すためなら英雄の遺産は喜んで協力するだろう。
フレンの予想のとおり、英雄の遺産はこれから何をするのか察しているようにやる気に満ちている。目に見えない何かが震えているのを感じるのだ。そしてそれはリシテアも一緒であった。その異様な空気はかつてベレトが封印された時と一緒である。何かが起こりそうな、そんな予感。前回は悪い予感であったが今回は違う。
ヴァーリ夫人はもちろんベレトが封印された時の事は知らないが、それでも目の前の光景が普通でない事はひしひしと感じており、固唾を飲んで見守っていた。周りの兵士達もその空気に飲まれているのか、圧倒されている。理屈にならない何か、第六感が刺激されるのだ。
(これは……これならばいける!)
リシテアは儀式の場の中央に陣取ると、リシテア以外の英雄の遺産の持ち主である、クロード、ローレンツ、ヒルダ、マリアンヌは四柱の位置へと移動する。レスター諸侯同盟中からかき集めた魔法部隊はその周囲を囲んだ。リシテアは皆の顔を順番に見る。それぞれ力強く頷いたのを確認した後、リシテアは胸に手を当て、目を閉じた。
(先生、今助けます)
覚悟を決めたリシテアは目を見開くと、雷霆を高らかに掲げた。それに合わせて四人も各々の英雄の遺産を掲げる。
「行きます!」
雷霆を触媒に魔力を込めると、リシテアはワープの前段階、時間のずれた空間へのアプローチを試みる。時間のずれた世界とは異相、異なる世界と言っても良い場所だ。何故ならこの世の生物はお互い同じ時を歩むからこそ認識できる。時間がずれてしまえば例え同じ場所にいても認識できないのだ。
リシテアがベレトを助けるためには、彼が封印されたであろう時の狭間の世界を見つけなければならない。言うなればそれはチューニング作業だ。リシテアは細心の注意を払い、時間の流れを事細かに変え、英雄の遺産が強く反応する方へと近づける。
時間の流れを変えるのは世界のルールに抗う改変の力だ。世界はただちに修正しようとするため、それに抗う魔法の行使者の消耗は尋常じゃない。リシテアがいかに魔法力に恵まれた才能を持っていても、ワープは何度も使えないし、今のような異相を探し当てるなんて芸当は本来は不可能である。
不可能を可能としているのはそのものが改変の力を持つ英雄の遺産だ。英雄の遺産達が修正力に抗っているからこそ、リシテアは探す方に専念ができる。過去にリシテアは異相を探し出す特訓として雷霆だけで試しており、英雄の遺産の抵抗力の凄さを知っていたが、今回はその英雄の遺産が五つもある。
リシテアの想像以上に体の負担がなく、思った以上に持ってくれそうだと安堵するが、それでもひたすらに続く闇は不安を増長させる。この闇が一体どこまで続くのか。焦りが見え始めたその時であった。
闇の中からいきなり巨大な何かが現れた。得体のしれない何かは増長をし続け、リシテアは混乱する。しかし雷霆が強く輝いた事で我に返った彼女は反射的に叫んだ。
「ここです!!」
その叫びに周りの魔法部隊の中でワープを扱える者達が呼応し、儀式の場へと魔力を注ぎ込む。そしてその場にいる全員を異相へと転移させた。
気が付くとリシテアは巨大な箱のような物に囲まれていた。火を使ってないのに光を放つ柱や、用途が分からない鉄の塊が道の至るところに鎮座している。程なくしてリシテアは巨大な箱が建物であるという事に気づいた。
透明度の高いガラス張りの窓から見える箱の中は、見た目は違えども沢山のテーブル、椅子、などが置いてある場所は食事する所を連想させたし、カウンター越しに会話できるような店のようなものも散見される。
つまりその箱は人が生活する場なのだ。大きな鉄の塊は馬を必要としない荷馬車なような物であろうか? リシテアが知る物とは全く異なる技術で作られた街、それが得体のしれない何かの正体。事前にフレンから話を聞いていなかったら理解するのにまだ時間がかかったであろう。
封じられた森は何を封じていたのか。その答えこそ目の前に広がる未知の技術の街。女神へ反逆し、負けた者達の末路。闇に蠢く者達の憎しみの根源。
「これが……ザラス。封じられし古代都市」
空は闇に覆われ、辺りに人の姿はなく、無機質な街だけが残されてる光景は異様だ。生きている人達は成す術なく絶望を抱えて、闇に消えていったのだろう。停滞の闇がもたらす孤独は人をたやすく狂わせる。
リシテアは思った。この街はまるで化石のようだと。殻だけ残された記憶の残滓。
過去の壮大な歴史に圧倒されそうになるが、そうしている間にも魔力は消耗していく。元の時間軸と今の異相の中では負担が段違いだ。檻を破壊する魔力も加味すると、いくら英雄の遺産があれども、ここに残れる時間はそう多くはない。
「リシテア」
「ええ」
クロードの呼びかけに答えたリシテアは、街ごと異空間に閉じ込める女神の力に空恐ろしさを覚えつつも、雷霆の剣が示す場所へと足を進めた。
「皆、こっちです」
リシテアははやる気持ちを抑えつつ、皆を先導する。空まで伸びる箱のような建物はどこまでも続き、代り映えしない景色に不安がよぎるが、英雄の遺産を信じ、黙々と進む。すると突如としてそれまであった道が途切れた。奥は何も見えずに暗闇が広がっている。その闇はどこか不自然で、まるでそこにある何かを隠しているようであった。
「リシテアさんこれって」
「はい」
マリアンヌの問いにリシテアが頷く。雷霆が闇に対し明確な敵意を持っている。それに他の英雄の遺産が呼応するかのように震えた。リシテアは確信を持って言った。
「これが先生が捕らわれている『時の牢獄』です」
時を経て再会したすべてを拒絶する闇、脳裏にベレトが飲み込まれた時の事が流れた。あの時リシテアの、金鹿の学級の全力は届かなかった。リシテアは身がすくむのを感じた。妄執の闇は今もなお憎しみを糧にベレトを封印し続けている。世界の元に戻ろうとする力すらも押しのけて。
今度こそ手が届くのか。この深い闇を打ち破れるのか。
リシテアは思わず手に持つ雷霆を強く握った。彼女の不安を感じ取ったのか、声をかけたのはローレンツだった。
「大丈夫だリシテア君。僕達はあの時とは違う。あの時は何も分からなかった。だが今はあの闇が何であるか知っているし、そのために準備もしてきた。先生が言っていたではないか。正しい情報こそが勝利を呼び込むと。それが間違っていた事なんて一度もない。臆する事はないぞ」
ヒルダがそれに続く。
「そうだよリシテアちゃん。一つずつ積み上げてきた自分達を信じるの。考えても見て。あたし達は辿り着いたよ。この場所まで。かつてのあたし達ならここまで来れなかった。ここまで来れた事こそが成長の証明。後は最後の仕上げをちゃちゃってやっちゃうだけじゃない」
リシテアが周りを見返すとマリアンヌとクロードも頷いた。
「リシテアさん、過去は過去、今は今です。あなたが私に教えてくれたんじゃないですか。自信を持って!」
「俺から言わせればここに来た時点で相手の方はチェックメイトだ。英雄の遺産が五つに魔法の精鋭部隊、全員揃ってる。さっさと決めちまおうぜ」
「皆……ええ! これで終わりにしましょう。先生は返してもらいますよ!!」
リシテアが雷霆を時の牢獄へと突き立てる。それに四人が続いた。フェイルノート、テュルソスの杖、フライクーゲル、ブルトガングが次々と突き刺さると、実体がないはずの闇の塊が悲鳴をあげた。
この闇は儀式によって生まれた。生贄を利用してるため、人の命すら吸っている。形なきものが声を上げるのは不気味であるが、すでにその背景を知っているので恐ろしくもなんともない。恐怖とは未知から生まれるのだ。
やっとルールの外の世界から締め出して、同じ土俵まで引きずり出せた。ここからは真っ向勝負である。
リシテアが叫んだ。
「魔法部隊の皆さん! ありったけをぶつけてください!!」
心得たとばかりに魔法兵が各々の最大魔法を次々と放つ。溢れんばかりの魔力の奔流が一塊となり、闇の中へと飲み込まれていく。一見すると無効化されたように見える事から、部隊の何名かが怯むが、リシテアは味方を鼓舞する。
「怯まず続けて! かつてはただ弾かれていた! でも今は中へと通っている! あの時とは違う! 確実に効いています!!」
そう、ベレトが取り込まれた時、闇はあらゆる物理、魔法を通さなかった。でも今は違う。突き刺さる英雄の遺産が闇の鉄壁の守りを打ち消し、魔法が撃ち込まれるたびに闇がそれを飲み込む。
まるで効かんと言わんばかりであったが、リシテア達は攻撃の手を緩めなかった。それが虚勢であると手に取るように分かったからだ。人間は危機に陥ると、それを隠そうとする。闇の行いがまさにそれだ。人の命を使ったのが仇となった。
「くっくっく、分かりやすくて何よりだよ」
フェイルノートを突き立てたまま、クロードが不敵に笑って見せる。徐々に闇が追いつかなくなってきたのを確認したからだ。闇の勢いは衰えていき、それまで見えなかった奥が所々見えるようになる。
リシテアの言う通り、闇に魔法は効いているのだ。このまま闇の再生力を上回り続ければ勝利は目前である。
「いける! いけるぞ! このまま押し切れぇ!!」
クロードが叫ぶ。一層苛烈さを増す魔法の攻撃に、闇はまるで意識があるかのように抵抗し、闇を集めて厚い壁を構築しようとする。その隙をリシテアは逃さなかった。闇に対抗するために覚えた理学、白魔法の最高峰のアプラクサスを収束する闇の中へと叩き込む。
「これで最後です!!」
集まった闇はリシテアの特大級のアプラクサスを飲み込んで見せたが、突然それまで生物かのように動いていた闇の動きが完全に止まった。
すると闇から所々光が漏れだし、急速に膨れ上がる。とうとう内の光が抑えきれなくなると、闇は断末魔とともに激しく爆発し、辺りに閃光が走った。
(6)奪還
光が収まった後、何故かリシテアは一人になっていた。辺りの景色もそれまでの無機質のものから変わっており、石柱が立ち並ぶ、荘厳な神殿になっていた。彼女の目の前には玉座が見え、今いる場所は謁見の間のようであった。
玉座には誰かが座っているように見え、リシテアは恐る恐る近づく。だがその正体を理解すると一気に駆け足になった。
「先生!!」
焦がれていた人の姿を見つけ、玉座への階段を駆け上がる。ベレトは天帝の剣を携えたまま、玉座の上で目を閉じていた。リシテアはゆっくりとその頬へと触れる。仄かな温もりがあった。ベレトの顔へと近づき、耳を凝らすと呼吸音も聞こえる。
「良かった。生きてる。生きててくれた!」
髪の色が緑色になっているのは気になった。リシテアが気づくのが遅れたのはそのせいだ。知りたい事は色々あるが、何よりもベレトは生きている。感極まったリシテアはベレトを包み込むように抱きしめる。全身でベレトが生きているのを確かめるかのように。
その矢先であった。場違いな幼い声が聞こえたのは。
「いい加減待ちくたびれたぞ」
幼い見た目のわりに古風な口調であった。今のベレトと同じ緑色の髪は何か関連があるように見え、着ている服も普通ではなく、深い紺色のドレスに豪華な装飾品に包まれており、高い品位を示していた。
敵意はなさそうであったが、この場にいるだけで只者ではない事は明らかだ。得体のしれない少女にリシテアは警戒を強める。
「あなたは……?」
リシテアの質問を何も聞いていないといったようにスルーしつつ、少女はマイペースにベレト救出作戦についての採点を始める。
「遅かったのは減点だが、ちゃんと助けに来たのは誉めてやろうかの。模倣品であるとは言え、時の牢獄を壊して見せたのは見事じゃ」
リシテアの感が最大限の警鐘を鳴らす。少女はリシテア達がやっとの事で壊した時の牢獄を模倣品と言って見せた。すなわちこの少女はオリジナルの時の牢獄を知っている。そこまで知識があるとすれば該当する人物は限られてくる。
(この少女はひょっとして……でもまさか……)
リシテアの困惑を他所に少女は言葉を続ける。
「こやつは優秀であるが、所詮一人の人間じゃ。どれ程優れていようが一人じゃ生きてはいけん。だからお主が守ってやれ」
「わ、私がですか?」
元よりそのつもりではあったが、知らない他人からのいきなりの抜擢にリシテアは戸惑う。
「こんな何もない退屈な場所で、こやつを守り続けていい加減疲れたわ。交代じゃ。わしは少し寝る」
「あんたが先生を?」
「そりゃわしの大切な器じゃからのう。あー、案ずるでない。別に奪おうとは思っておらん。こやつといると退屈しないからのう。わしは言うなれば同居人じゃ」
「器? 奪う? 同居って? ……同居?」
終始ペースを握られっぱなしでリシテアはより混乱を深める。
「あー、お主が心配する事はないので安心せよ」
「こっちは何が何だか分からないんですが! 勝手に話進めないでください!」
何か妙な勘違いをされたと理解したリシテアは、思わず強い口調になってしまう。しかしそれも目の前の少女を喜ばせるだけであった。初々しいのうとのたまう少女に、あんたは何歳だと問いかけたくなるリシテアであったが、相当の実力者である事は確かなので必死に我慢する。
ただ彼女の次の一言はリシテアの心に強く響いた。
「今度は手放すでないぞ」
先ほどとは違い、からかいが微塵もない真剣なまなざしを向ける少女。どこまでも本気な少女に対し、リシテアは臆する事なく言い切って見せた。
「もちろん、今度こそ離すものですか。先生は私が守ります!」
「うむ、頼んだぞ」
リシテアの答えに満足げに頷くと少女の姿は消えていった。それに合わせて神殿も消えていく。神殿はベレトを守る殻で、助けが来た今その役目を終えたのだ。リシテアはそう思った。そしてきっとあの少女の正体は……
(始まりの始祖、女神ソティス……彼女が先生を守ってくれていた……)
我に返ると周囲は元の無機質な場所、ザラスへと戻っていた。ただ違うのは温もりを感じる事、ベレトがリシテアの腕の中にいる。その事実に安堵するとクロードのはしゃいだような声が聞こえた。
「やったなリシテア! なんか髪の色変わっちまっているが間違いなく先生だ。相変わらず訳の分からなさがかえって安心するな」
「ええ、本当に。とんでもない人に守られているようでしたし、この人に常識は通用しないです。でも無事救出しました。もうこんな所に長居は無用です。すぐにでも帰りましょう」
リシテア達が直ちに英雄の遺産へ送っていた紋章の力を断ち切ると、それまで押さえつけられていた修正の力が、本来いるべきでない場所にいるリシテア達を、正常な場所に戻そうと動き出す。
それは暴力的ともいえる力であったが、リシテア達は動じる事なくそれに身をゆだねた。
このままでも元の世界に帰れるが、ふと修正力とは違う何か別の力がリシテア達を優しく包んだ。それが何かを察したリシテアは微笑む。
(フレンさん、うまく見つけてくれたみたいですね。しかし先生、元から人たらしでしたが、女神までたらしこんでいるなんて。でもそれも先生らしいです)
フレンのレスキューによって元の場所への道が開けられる。目先に広がる光を見てリシテアは優しくベレトへと囁いた。
「さあ先生、もうすぐ帰れますよ。起きたら話したい事いっぱいあるんです」
光が二人を祝福した。
封じられた森では残された仲間達が、リシテア達の帰還を今か今かと待ちわびていた。
皆緊張の面持ちで待っていたが、フレンが慌ただしく動き出した事で、大きく事態が動いた事を理解する。高まる期待と不安、その瞬間を心待ちにした。
「皆さん、帰ってきますわよ! レスキュー、行きますわ!」
四柱に囲まれた儀式の場に光が収束し、その中から人の姿が現れる。次々と帰還する魔法部隊の中、ひときわ目立つ白髪を目にしたレオニーはたまらず叫ぶ。
「リシテア! 先生は!?」
レオニーに気づいたリシテアはゆっくりと振り返ると、得意げにピースサインを出した。
「私は良い女ですよ? 成功しないわけないじゃないですか」
辺りにどよめきが走り、リシテアはその証拠とばかりに胸に抱えたベレトの姿を見せる。直後、歓声が沸いた。
「はは、余裕じゃないか! 流石は私が認めた良い女だ!」
リシテアの憎い返しにレオニーは笑みを見せる。
「やっだな! とうとうやったど!! 先生が帰ってきた!!」
「ここまで長かったですね。でもやり遂げる事が出来た! 僕達の手で!」
「でも安心したら腹減ったなぁ。先生の料理食いてぇ」
「ふふ、ラファエル君は相変わらずですね。でも自分も久々に皆囲った食事は食べたいかも。きっと格別でしょうし」
「だろぉ?」
気が抜けて空腹を訴えるラファエルに、安堵の表情のイグナーツ、
「ぐっふっふ、これで夢の引きこもり生活へ一歩近づきましたよ! 優秀な先生さえいれば相対的に私の負担が減るはず!!」
届かない夢を追い続けるベルナデッタ、反応は様々であったが皆一様に喜んでいた。
「案の定お祭り騒ぎだなぁ。先生の人徳、ここに極まれりってか?」
リシテアより遅れて帰ってきたクロードは呆れ顔であったが、それでも口角が上がっており、喜びを隠しきれてはいない。
「しょうがないでしょ。先生はやっぱり特別だもん」
「何せこんなにもバラバラな面子が一つになっているのだからな。これも先生の教えあってこそだ。昔の僕なら考えられん」
ヒルダとローレンツが言うように、ここまで出自がばらけている軍は他に例がない。その礎を築き上げたベレトの存在はやはり代えがたい。士官学校の頃から金鹿の学級についていた兵士達は、生徒と同じくベレトを敬っていたし、ずっと同盟軍を手助けしていたジェラルト傭兵団の中には涙を流す者もいた。
一方ガルグ=マグ陥落後に入った兵士達に関しては、そのほとんどがベレトの事を知らなかったが、それでも己のリーダー達の喜びが伝染し、共に感情を爆発させる。
異様な熱気に圧倒されたのはヴァーリ夫人率いる帝国軍だ。士気の高さは戦力に直結する。士気の高さの恐ろしさを知りつくしているヴァーリ夫人は、ベレトと言う者が持つカリスマ性に恐怖を覚えた。
「どんな化け物が出てくるかと思いきや、随分と可愛い坊やじゃない」
ベレトは確かに容姿端麗で人の目を引く。だが姿を見るだけではその真偽は確かめられない。この青年のどこにこれほど人を引き付ける力があるのか。
(正直ベルナデッタに救われたわね。私だけじゃ絶対に気づけなかった。この同盟軍を敵にしたら、ただじゃすまないでしょう)
ベルナデッタを黒鷲から引き抜き、育て上げてくれたベレトに心の中で感謝を告げると、ヴァーリ夫人はクロードの元へと向かう。
「作戦成功おめでとう。本音を言うと、人一人のためにこの密談というカードを切ったのは半信半疑だったけれども、実際の彼を見て理解したわ」
「ああ、誇張じゃなく先生が戻ってきたら同盟軍は百人力だ」
「私はここから帰ったら皇帝に予定通りに報告するわ。親帝国派のはずのコーデリア家とグロスタール家は裏切っていたと」
「ああ、それでいい。裏切りの証拠は同盟領を攻めたいエーデルガルトが最も欲しているものだ。裏切りの証拠は値千金だ。これでヴァーリ家が疑われる事はなくなるだろう。後は娘がコーデリア家にいるため、ヴァーリ家としては娘と戦う事を避けたいと続けてくれ。ただし娘の助命を乞う事はしない。戦いの結果、娘が死んでも仕方ない事として諦めるとも。そうすれば同盟軍との戦いにヴァーリ家が出なくても良くなる」
ヴァーリ夫人は考える。一見するとそんなうまい話はないと思う所だ。帝国としても戦力は欲しい。無理やりにでも動員をかける事は可能ではある。しかしもしもヴァーリ家が同盟軍に寝返っていたらどうなる? ベルナデッタがコーデリア家にいる以上、エーデルガルトはその懸念をかかえたまま戦わなければならない。
だからこそ内に不安を抱えたまま戦うよりも、いっそ不参戦を貫いてくれた方がいい。ヴァーリ家はこの戦いにおいて、いない方がましなのである。クロードの策はそこまで見越しての事であった。
「本当に腹立たしいくらい頭が回るわね。少しくらい詰めの甘さを出してくれないと可愛げがないわよ?」
「帝国にも平和をもたらすと啖呵を切ったんだ。精一杯有能さをアピールするさ」
「期待しているわ」
後の段取りを確認し終えたヴァーリ夫人は娘であるベルナデッタに声をかけた。
「ベルナデッタ、私はもうあなたを守ってあげられない。でもあなたはきっとそれを承知の上で今の選択をしたのでしょうね」
「……お母様」
「戦いはきっと熾烈を極めるわ。それでも必ず生き延びなさい。そして帰ってくる事」
「はい! 必ず。いずれ平和になった世界でお会いしましょう」
ベルナデッタの言葉に満足げに頷くと、ヴァーリ夫人は兵を率いて去っていった。夫人を見送ったクロードは振り返ると、今作戦最後の指示を待つ兵へと告げた。
「さあ、俺らも帰ろう。ここから忙しくなるぞ!」
エピローグ 再会の時
ベレト救出作戦後、金鹿の学級の面子は各々の場所へと帰っていった。本格的な戦争に向けて準備をするためである。ベレト救出に払った対価は、コーデリア家とグロスタール家が親帝国派ではなく、帝国を裏切っていたという情報だ。
これでエーデルガルトは本腰を入れてレスター諸侯同盟へ、侵略する事が可能になる。それまでの小競り合いと違った全面戦争だ。ただまだミルディン大橋の修復は終わっていないため、そこをどうするかが目先の勝負どころとなるだろう。
侵略から守るために修復を阻止するのか、むしろ修復と同じタイミングで打って出て帝国に攻め込むのか。その決断をするためにもベレトの復活が望まれていたが、そのベレトは現在コーデリア家にいた。
コーデリア家にとってベレトはどん底だった人生を180度替えた恩人である。リシテアがベレトを担ぎ込んできた時はもうお祭り騒ぎで、皆恩を返す時が来たと躍起になった。できうる限りの最高の待遇でもてなそうと計画しているわけだが、ベレトはまだ深い眠りから覚めておらず、現状は部屋を提供するだけに留まっている。
また元傭兵と聞いていたため、初めコーデリア家の面々は、ベレトの事をどちらかというと、がっちりとしたいかつい見た目を想像していた。それが蓋を開けてみればびっくり、予想に反して細身の美青年だった事に驚き、そのミステリアスな雰囲気と相まって、特にメイド勢は浮足立っているのが丸わかりであった。
一方でリシテアは思いのほか普通であった。周りが浮かれすぎていると、かえって冷静になるみたいなものであろうか。今後大きな戦いが控えているという理由もある。喜びすぎて攻められたの気づきませんでしたは笑えない。
しかし見た目が冷静に見えるだけで、行動はなかなかのものである。まずリシテアは己の執務室からテーブルを持ち出し、仕事をベレトの寝ているところで行うようにした。ベレトが気になりすぎて、支障が出るのであれば問題であるが、仕事の効率はむしろ上がっているのが面白いところだ。
一緒にいるという安心感がリシテアをリラックスさせているらしく、例えベレト自身が寝ていようが関係なしに良い影響を与えているのは先生の鏡である。
「帝国との戦いは純粋な力勝負になるのでまだ分かりやすいのですが、やはり問題は闇に蠢く者達ですね。封じられた森で見たザラスの街、あそこを詳しく調べられれば、あいつらがどのような技術を持っているのか分かるのですが……」
敵の正確な情報を掴むため、本音を言うともう一度調べに行きたい。だが封じられた森は国境付近、二度目は危険を伴う。ガルグ=マクを同盟軍の拠点にできればあるいは。リシテアは熟考を重ねる。
先生であるベレトの意見が欲しい。リシテアがそう思った時の事であった。ふとベレトのいる方から何かが擦れる音がした。寝返りでも打ったのだろうか? それまでも音がする度に期待し、目が覚めた様子はなくて落胆するを繰り返してきたリシテアは、また同じと大して期待もせずにベレトへと視線を向ける。
しかし今回に限っては違っていた。ベレトはベッドから起き上がっており、ぼんやりと辺りを眺めていた。焦がれていた光景を目の当たりにしてリシテアは息をのむ。ベレトは初め、何が何だか分かってないといった様子であったが、段々と瞳に意思が灯っていき、とうとうリシテアへと視線が合う。
「君は……」
「先生、目が覚めたんですね! 私が誰だか分かりますか?」
「君は……リシテア……」
名前が呼ばれたのが嬉しく、リシテアは破顔する。ずっと不安だったのだ。体は無事だったけど心がどうかは目覚めてみるまでは分からない。でも結果はご覧の通りだ。ベレトはちゃんとリシテアを認識している。心はそこに残っている。
本当の意味で再会を果たせた感動にリシテアは言葉に詰まる。ベレトの感情ないように見えて、情に溢れている声は遠い昔の記憶のままであった。かつての幸せだった学生生活が蘇り、その目には涙すら滲んでいた。
だがベレトの次の一言で雲行きが変わる。
「の……」
「の?」
なんか余計な一文字が追加され、リシテアの目が点になる。ベレトは一体どこへ行こうとしているのか。しかしその後の彼の答えは納得であった。
「姉?」
「姉、ですか? なるほど、そう来ましたか」
沈黙に耐えかねて、ベレトが再度リシテアへ確認する。
「……違うのか?」
戸惑うベレトがどこかおかしくてリシテアは笑いをこらえきれなくなる。
「ふ、ふふふふ」
何せベレトと別れて以来、リシテアは大きく成長し、特に身長が伸びている。親戚と思われても不思議ではない。姉と間違われるのは妙にくすぐったく、リシテアは何か悪戯に成功したみたいであった。
「惜しかったですね。私はリシテアの姉ではなくリシテア本人ですよ」
「リシテア? 本当に? それにしては……」
「そもそも私に兄弟はいませんよ? 知っていたでしょうに」
「それはそうなのだが……」
寝起きのせいなのか、ベレトは頭の動きがまだ鈍いようであった。一方で無理もない話でもある。起きたら四年経ってましたは誰だって想像できないであろう。このままではベレトが可哀想なのでリシテアは種明かしをする。
「先生は四年間寝ていたんです。四年も経てば成長もします」
「四年? そんなに……そうか、俺はソロンのザラスの禁呪に」
「ええ、先生を助けるのに皆協力して頑張ったんですよ」
封じられた森での一戦を思い出したベレトは皆と言う言葉に反応する。あの戦いはそれからどうなったのか。
「そうだ。皆は? 皆は無事なのか?」
「心配ご無用です。皆ピンピンとしてます。私達は先生の教え子ですよ。そう簡単にはくたばりませんよ」
「良かった……」
安堵した様子のベレトを見てリシテアは心が満たされる。生徒第一のスタイルは寝起きでも変わらないようで。ベレトの一つ一つの反応が嬉しく、愛おしい。
「この四年の間で色んな事がありました。先生も知りたい事だらけでしょうが、すべて話すには日が暮れてしまいますし、目覚めたばかりの先生にはきついでしょう。後ほど今がどうなっているかゆっくり説明しますので、まずは回復に努めましょう。とりあえず飲み物は飲めそうですか?」
ベレトがリシテアに返事しようとした矢先、くぅとお腹の虫が鳴る。飲み物と言う言葉にしばらく飲まず食わずだった事を自覚した彼の体は、言葉よりも先に空腹を訴えた。ばつの悪そうな顔をするベレトにリシテアは笑みを見せる。
「ふふ、夕ご飯の時間はまだ先ですが、何か摘まめる物も持ってきますね」
部屋から退出するリシテアを見送り、ベレトは妙な感覚に捕らわれていた。相手が本当にリシテアであるのは会話して理解したが、今のリシテアは生真面目な彼女そのままに。気配りができ、心にゆとりがある魅力ある女性になっていた。
教える度に多くを吸収し、同じ理論派に属するリシテアは会話していて楽しい生徒であったが、それとはまた違った感覚にベレトは首をかしげる。一体どうしたものかと思い悩んでいると、何か忘れものでもあったのかリシテアがひょっこりと顔を出した。
「一つ言い忘れてました」
「なんだろうか?」
「お帰りなさい先生!」
言いたい事を言い終えたリシテアは満足げに去っていった。一方で残されたベレトは、それまでも感じていた妙な感覚が、リシテアの一言で劇的に強くなってしまった事に困惑するのであった。
止まっていたベレトの時が再び動き出した。
というわけで今回はベレト奪還まででした。今回はスカウトした生徒が何のしがらみもなく五年後の戦争に参加できている背景とか、本編では描写していない部分を深堀してみました。そうしたらヴァーリ家との密談とベレトの奪還作戦を合わせるというアイディアが生まれ、それがいろんな問題を同時に解決してくれそうなので、そのまま突き抜けてしまえと書き切った次第です。
ベルナデッタ母は、ベルナデッタを問答無用で士官学校へ送り込んだエピソードから膨らませ、女傑というイメージで描いてみたのですが、皆様のイメージには合いましたかね? 自分は無双は未プレイなので、もしも無双の方でヴァーリ夫人が出ているのであれば申し訳ありません。この作品ではこういうキャラとして考えていただければと思います。
後リシテアが成長してくれたので、ようやくレトリシ要素が少しずつ入れられるようになってきましたね。作風的にベッタベタには書けないと思いますが、それでも段々と増えていくと思います。
次は初陣と煉獄の谷あたりかな? やっと第二部の戦いが始まりそうです。それではまた次回お会いしましょう。今回もお読みいただきありがとうございました!!