【本編完結】星をなくした子   作:フクブチョー

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紅玉の少女の致命的な愛
火を知らぬ少女の運命的な愛
12時をすぎたシンデレラの必然的な愛
星をなくした子の器を満たすのはきっと


108th take 一番星の生まれ変わり

 

 

 

 

 

 

何の気なしに入ったホールだった。カントルを辞めて、作詞作曲する時間がなくなり、ぽっかり時間が空くことが増えて。たまたま絵画コンクールをやっていて。入場料も必要なかったため、ふらりと入っただけだった。

 

様々な絵画が描かれていた。絵に関しては素人だから優劣などよくわからなかった。展示されてる絵は全て綺麗だった。

 

だが、ただ一つ。素人目にも他と違うとわかる作品があった。

 

飾られている絵に規則性はなかった。画材は自由だったようで、油絵もあれば、パウダーを使った絵もあったし、マステとか使ったコラージュ作品もあった。

 

けれど、どんな画材を使った作品にも共通していることがあった。

 

どの作品も煌びやかだった。

 

たくさんの色を重ねていて。目に鮮やかで。見ていて楽しい。わかりやすく美しい作品ばかりだった。

 

なのに、たった一つだけ、黒白だけで描かれた作品があった。

 

なのに、オレの目には何よりも色鮮やかに見えた。

 

滝の絵だろうか。黒一色だというのに、瑞々しい水。飛び散る雫からは風を感じる。真っ白な空白部分に景色が広がっているように見える。水の硬さも、柔らかさも、音さえも聞こえてくるかのような絵だった。

 

───凄い

 

と思うと同時に、これ描いたヤツ、めちゃくちゃ捻くれてるんだろうな、と感じた。多彩な色を使っても良いコンクールだというのに、わざわざ白黒しか使わない絵を選んだ。捻くれてる以外考えられない。

 

「あ。ライブハウスのギター君だ」

 

立ち尽くしていたオレの背後から声が聞こえてくる。振り返った時、後ろにいたのはどこかで見覚えがあるような、無いような。服の上からでもわかる肢体の曲線が特徴的な女だった。

 

「なに?私の絵、見てくれてるの?嬉しい。同じクリエイターとしてわかるよ。たまには専門ジャンルと全く違う芸術に触れないとダメだよねー。脳内で生み出せるイメージには限界あるから」

 

手を伸ばす。作品に触れるかどうか、ギリギリのところで止まった。

 

「水っていいよね。穏やかに流れる時もあれば、人を殺す威力で落ちる時もある。優しく全身を包んでくれる事もあれば、コンクリより固く跳ね返す事もある」

 

作品に触れようとしている女が、オレを見て笑った。

 

「コレは君の芸術を聴いて描いた絵なんだよ。ギターくん」

 

それが、レン先輩とハルさん、ナナさん以外で、印象が強く残っている女。桜庭マキとの出会いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

星野アイ

 

愛するモノ:不明

 

嫌いなモノ:白米

 

アイは白米が苦手だった。日本人ならほぼ毎日摂る主食が、アイは心底苦手だった。

 

その原因は幼少期。母からの愛を受けなかったことに起因する。

 

母親にとって、その少女は子供と呼ぶにはあまりに美しすぎ、そしてあまりに自分と違い過ぎた。

 

まだ一桁の歳の頃だというのに、成人をはるかに超えた男性が、少女を異性を見る目で見つめている姿を見た時、星野あゆみは娘のことをハッキリと異物として扱った。

 

その少女は女性としてあまりに美しく育ち、あまりに魅力的過ぎた。

 

母にとって娘は魔か妖か。少なくとも同じ人間として見ることができず、気味悪がり、そして傷つけた。

 

その行為の一つの中に、白米の中にガラス片が混入していたというものがあった。

 

故にアイは白米が苦手だった。

 

 

 

 

星野アクア

 

好きなもの:才能

 

嫌いなモノ:透明な飲み物

 

飲料としてありふれている、色のついていない透明な飲み物が、アクアは苦手だった。

 

カントルを辞めて、ソロで活動していたある日。楽屋にあった飲み物に刺激物が混入していた事件があった。

 

被害に遭ったのは星野アクア。

 

ある日唐突にライブハウスに来るようになった少年。たった1人であっという間にトップの人気を得た彼を妬むのは当然といえば当然だったのかもしれない。ソロ活動だったというのも、狙われやすい原因の一つだったろう。

 

飲料に混入された刺激物によって、その日歌えなくなったアクアは対バンから降りた。数日後、体調は回復したが、以降ロックの世界からは完全に身を引く事となる。

 

以来、アクアは透明な飲み物が苦手になった。少なくとも備え付けのサーバーの水や、自由に飲んでいいとされる飲料を口にする事は無くなった。自分で購入したモノすら、水を飲むときは少し躊躇するようになってしまう。

 

星野アイと星野アクア。2人の共通点は実に多い。

 

持って生まれた美貌。育んできた才能。周囲からの期待。羨望。嫉妬。全てを一身に受けてきた。

 

しかし、数ある共通点の中で、最も重要なファクターを一つ挙げるとすれば、それは恐らく、親からの愛を受けなかったことだろう。

 

星野あゆみにとって、アイはあまりに異質すぎた。娘として愛するには、少女は自分と違い過ぎた。魔物か妖にしか見えなかった。

 

星野アクアにとって、アイは虚すぎた。写真はある。動画もある。データも揃っている。しかし、そのどれもが現実感がなく、実感がなかった。テレビの中の有名人を見ている気にしかならなかった。アクアの中で母親とは偶像でしかなかった。

 

母と息子は、愛が何かわからなかった。その根本の原因はおそらく、親からの愛が欠如していたことだろう。

 

『絵の具をぶちまけるだけじゃ、絵になんてならないんだよね』

 

桜庭マキがかつて言っていた。絵の具だけでは絵画などとは呼べないと。一部呼ぶ人もいるが、少なくともマキの中でそれは絵画ではなかった。

 

『一つだけじゃなくて、たくさんの色を重ねて、線を描いて、輪郭を作って、ようやく絵と呼べる何かが作れる』

 

けれど、この絵と呼べない色の一つ一つがなければ、色の塊は画にならない。

 

『君が愛がわからない理由はさ。きっと自分を形作る色がなんなのかがわからないからだよ』

 

お互い生まれたままの姿になって、肌を合わせながら、華奢な指でアクアの胸元をなぞる。そこに最初に注がれるべき色が。自分を形作る最初の色がわからない。最初の色を与えられず、歪に描かれた美しい絵画。それが星野アクアだと彼女は言った。

 

雨が降った後の水溜りを、雨と呼ばないように。

 

パレットに作られた一色の絵の具を、絵画と呼ばないように。

 

雨は地上に降って初めて雨であり。

 

絵画はキャンバスに描いて初めて絵画であり。

 

 

愛は、与えて初めて愛である。

 

 

アイもアクアも。人生で一番最初に与えられるべきモノを与えられなかった。

 

故に彼らは愛を知らずに育ってしまう。

 

愛がなんなのか、知りたくて。誰かを本気で愛したくて。

 

2人はたくさんの(うそ)を振る舞った。

 

愛に認められたい。愛が何なのか確かめたい。そのためにあらゆる手を尽くした。何年もの間努力を重ね、愛を唱え続けてきた。

 

その行為そのものが、愛だという事に、最期の瞬間まで気づかなかった。

 

アクアにとって、愛とはなんなのか。まだわかったとは言い難い。

 

しかし星野アイにとって、愛とはなんだったのか。今のアクアならわかる。

 

アイにとって、愛とは求められ、与えるモノ。

 

そして自覚できないモノだった。

 

最期の瞬間に自覚できたのは、彼女が今際の際で、ようやく母親になれたから。

 

自身が親となり、子供に最初に与えるべきモノを与えることができたから。

 

「愛してる」

 

アクアが演じたのは、アイの最期の時。ストーカーに包丁で刺され、息絶える瞬間。息子を抱きしめ、扉越しの娘に、親として最初で最後の贈り物を捧げる時だった。

 

「ああ。やっと言えた」

 

「コレは絶対、嘘じゃない」

 

「愛してる」

 

 

 

 

 

 

 

 

アクアのパフォーマンスが終わり、頬に一筋の雫が落ちる。そんな聞こえるか聞こえないかの僅かな音すら、今はとても喧しい。それほどまでに公民館のホールは静寂に支配されていた。

 

───これが、今のアクアの本気

 

フリル以外、今回の映画について、あらすじすら読んでいない。なのに、今の数分の演技を見ただけで物語の想像が膨らむ。胸が締め付けられる。油断するとこちらも涙を流しそうだった。

 

引き込まれるような魅力的な演技。派手な動きも細かなテクニックも、ほとんどなく簡素だったにも関わらず、伝わってきた情報量は圧倒的だった。

 

───焦点が明瞭。何を見せたくて、何を見せたくないのか。どこまで表現したいのか、どこまでは見えなくていいのか、全てダイレクトに伝わってきた。

 

全身が浮かび上がり、風景さえ変えてしまう共感力。その中でも取捨選択がされていた。

 

抱きしめている息子に対する表現。扉越しで顔が見えない娘への表現。

 

あえて伝わらない部分を作っていた。だからこそ伝えたい部分がより鮮明になっていた。

 

空白部分さえも、アクアが演技で作り出した作品の一部だった。

 

───ドラマとかではあまり見られない、アーティスティックな演技。けど映画ならコレぐらい芸術的な方が確かに映える。

 

いつだったか。聞いたことがある。絵を描く方法は大きく分けて2種類。

 

『影を描く』か『光を描く』か。

 

足し算で色を足して影を書き込むか。全体を色付けた後にあえて白く消す引き算で光を描くかだと。

 

これは演技でも同じことが言える。演技とはつまるところ感情表現に他ならない。なら演じ方は大きく分けて二つ。負の感情を演じるか、陽の感情を演じるか。

 

───コレが、今の私のカムパネルラの本気か

 

泣きぼくろの少女が心中で息を吐く。今のアクアは闇を全面に押し出し、真っ黒に染め上げてから、闇の中にさす一筋の光を演じてみせた。いずれ彼が自分を越えるのはわかっていたけれど、正直ここまで気持ちよく抜かれるとは思っていなかった。

 

───演技内容については採点しづらい。今のはアクアくんの愛の形というより、アイさんの愛の形だろう。独自が持つ哲学の提示が今回のオーディションのテーマの一つだったから、その点に関しては弱い

 

だが、この作品で、アイの主演を決めるオーディションとして争ったならば、アクアの演技は4人の中でダントツだった。

 

───台本をもらっていたとしても、ここまでの再現度を以て演じられたかと言われれば……

 

有馬かなは不可能だったと断言する。自分が憑依型の役者でない事もあるが、コレはそんなタイプ云々の話は超えている。

 

───このアクアの、代役を演じる。たとえ短いカットだとしても、このアイと比べられる…

 

厳しい。難しい。やりたくない。才能という点では間違いなく若手トップに位置する彼女達ですら、そう思わされた。

 

───オーディションに参加する、なんて言ってたけど…

 

真実は違う。コレはアクアからの最終試験だ。

 

「お前らならもうわかっていると思うから言うが。今回の主演にはオレたちの母親……星野アイを演じてもらう事になる」

 

一同、黙り込む。フリルとあかねはもちろん、有馬かなもルビーも気づいていた。アクアが演じてみせたのは、今世間の話題をさらっているアイの最期とあまりにリンクしていたから。

 

「今のを見せた上で、もう一度問う」

 

真っ直ぐに4人の目を見つめる。誰1人視線を外す事はできなかった。

 

「オレの演技を見て尚、代役ができると思える奴はいるか」

 

コレがアクアから出された、最後の試験。今のオレの演技を見て、ビビってないヤツに、オレの代役をやってもらう。そう語っていた。

 

フリルはもう諦めていた。今の自分ではアクアを超えるアイを演じる事は不可能だ、と。この2年でもはや彼は私を遥かに超えたと認めざるを得なかった。

 

有馬かなも無理だった。このアクアを差し置いて主演を務めるなど、畏れ多いとすら感じてしまった。

 

誰よりも聡明で利口な不知火フリルと有馬かなでは、もう手を挙げる事はできない。

 

葛藤しているのはあかねだった。自分の演技で群がる女を全員殺す。その言葉に嘘はないつもりだった。しかし、殺す相手にアクアは入っていなかった。

 

───私もアイさんの研究はした。ほぼ100%に近い精度でメンタルとか思考回路とか再現できる自信はある。

 

けれど、所詮はほぼ100%。限りなく100に近くても、100ではない。

 

たった今見せつけられた。120%以上の精度を持つ、強烈なオリジナル。

 

───才能の系統が似通っているからこそわかる。差が如実に出てしまう。

 

知っていたつもりだった。私なんかよりずっと凄い人だって事は。人生で初めて、演技でも勝てないと思わされた人。そんな事はかなちゃんにすら思わなかったのに。

 

私にとっての神様は、星野アクアだ。

 

天才、黒川あかねだからこそ、わかってしまう。天才では神には勝てない、と。

 

故に今のアクアに対抗できる者がいるとすれば。

 

アクアと張り合えると勘違いできる者がいるとすれば。

 

それは、利口ではない。天才でもない。感情的で物事を考え、自分の想いが何よりも最優先な、普通の人。

 

星野ルビーだけだった。

 

「よく考えた上での結論か?」

 

真っ直ぐに手を掲げる妹に兄が問いかける。その瞳にいつもの身内への甘さはカケラもない。厳しく、容赦のない目だった。紅玉の瞳の少女は真っ直ぐな星の光を真っ向から受け止めた。

 

「考えた」

「今のオレと、比べられる事になるんだぞ」

「わかってる」

「オレと同等の演技が最低条件だぞ。ホントに出来ると思うか?映画どころか、演技すら未経験のお前が」

「思わない」

「なら──」

「でも」

 

兄の言葉を遮る。少しでも兄と目線を合わせるために立ち上がった。

 

「ママの気持ちが誰よりもわかるのは、私達以外いない」

 

自信を持って断言してみせる。事実、自信はあった。過信かもしれないけれど、信じるに値する理由はあった。

 

───私は、ママとせんせーに、人生を救ってもらった。

 

誰もいない、無音の静寂が耳に痛いあの病室で、残りの人生全てを懸けてアイを推した。せんせーを推した。誰よりも2人の情熱的なファンだった自信はある。

 

「ママの苦しみが100%以上わかる人間がいるとすれば、それは私とおにいちゃんしかいない。この映画はママを殺したあの人への断罪の映画なんでしょ?なら私達がやるべきだ。私達以外の誰にもやらせちゃダメだよ」

「それは感情だ。理由になっていない。そんな子供じみた衝動だけでは大人の世界では通用しない」

「うん、それもわかる。だからそこはおにいちゃんに任せるよ」

「………は?」

 

初めてルビーの意図が掴めず、疑問符が上がる。兄の困惑した顔に対し、妹は満面の笑顔で応えてみせた。

 

「稽古次第で充分いけるって言ってくれたでしょ?ならおにいちゃんがせんせーになって、私のこと鍛えてよ。得意でしょ?私のせんせー」

「───細かいところ言えば無限にあるとも言ったぞ」

「いいよ、無限に言ってくれて。全部直してみせる。大人の世界で通用するレベルになるまでやる」

「──仕事となれば、オレは一切甘い顔しねーぞ」

「わかってます!ビシバシお願いします!」

 

キラキラした真っ直ぐな目で兄を見つめ続ける。取り敢えず決意は本物らしいと認めざるを得なかった。天を仰ぎ、息を吐く。もう一度、妹を真っ直ぐに見つめた。

 

「──途中で『やっぱり降りたい』とか泣きごと言っても容赦しないからな。覚悟しておけ」

「はい!よろしくお願いします!せんせー!」

「代役はルビー!全員異論ないな!」

「ないでーす」

「仕方ないわね」

「…………」

 

あっさりと白旗を挙げたフリルと有馬。しかしあかねだけは、まだ少し不満げだった。

 

「ルビーちゃん」

「はい」

「アクアくんの仕事の容赦無さは貴方の想像を遥かに超えるよ」

「わかってます。おにいちゃんが普段は私に甘い事も、知ってます」

「正直なところを言えば、ルビーちゃんよりは私の方がアイさんのこと、理解してるとは思うけど」

 

うっ、と流石にルビーの頬が引き攣る。演技力でも洞察力でも自分が劣っていると自覚しているからこそ、刺さった。

 

しかし、この言葉に比べれば、牽制のジャブですらなかった。

 

「そこまでの決意なら、もう止めない。応援するね」

「ありが──」

義姉(あね)として」

 

凍りつく。ルビーの表情も、部屋の空気も。アクアすら何一つ言葉を発することができなかった。

 

───演技以外でも殺せたか

 

流石女子校育ち、と変な感心をしつつ、アクアはもう一度天を仰いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほぼ計画通り?」

 

フリルに一台。ルビーと有馬合わせて一台。計2台のタクシーを呼び、3人を詰め込む。見送った後、残されたあかねとアクアは2人で一緒に帰路へと着く事になっていた。

 

『アクアくんは、私と帰ろーね』

 

イマカノのこの言葉に反抗できる者はアクア含め、誰もいなかった。

 

あかねの家の前まで送り、2人きりになった時、問いかけてくる。今回の一連のオーディションは、貴方の計画通りだったのか、と。

 

「何のことだ?」

「ルビーちゃんにやらせたかったんでしょ?代役」

「まさか。やらせたくなかったよ。だから片寄さんに役の打診をしてた。コレは本音だ」

 

ルビーにも素質はある。鍛えていけばいずれ役者もできるようになる。それは間違いない。だがそれは今じゃない。最高の脚本。最高の裏方。そして最高のキャストを揃えるつもりでここ数週間東奔西走していた。その主役級のキャストで演技未経験のアイドル上がりを使うなんて、1週間前までは夢にも思わなかった。

 

それに本業のアイドルも今のルビーは結構忙しい。

 

この上で映画の稽古+オレの指導を入れるとなると、そのスケジュールは一時期のオレに迫るものになるかもしれない。しかも実力が伴ってるならともかく、明らかに力不足のあいつがだ。肉体的にも精神的にも追い詰められる事は間違いない。そんな事、私的な理由でも公的な理由でもやらせたくなかった。

 

「なら、なんでルビーちゃんにOKだしたの?」

「オレの演技見た後にお前らが日和ったからだろうが。ルビーより早くあかねが手を上げてくれてたら、オレはあかねに頼んだよ」

 

選択を突きつけられた時、迷ってしまうのは人として当然だ。しかしこの業界は何より決断が大事になる。二の足を踏むようではチャンスは掴めない。いつ、どこで、どんなきっかけでも対応できる準備を心がけている人間だけに、チャンスの女神は微笑む。

 

「それに」

「それに?」

「昔から弱くてな。アイツのあの目には」

 

昔から、ルビーの本気のおねだりには逆らえたことがなかった。今回も過去に数多ある前例の一つ。あいつの我儘に折れたに過ぎない。その後のリカバリーを考えるのが、いつものオレの役目だった

 

悔しそうに。けれど少し嬉しそうに笑う彼氏の横顔を見て、あかねの中にようやく納得が舞い降りる。私は負けたんだ、とやっと思えた。

 

「ま、いっか。私の目的を果たす事は大体できたし」

「目的?」

「アクアくんがスッパリ芸能界を引退できるようになるために、私は力を尽くすよ」

 

満面の笑みを見せながら、彼氏の顔を覗き込む。ホント、洞察力では敵わないな、と言わんばかりに息を吐く。あかねの肩を抱き寄せた。

 

「………悔しいなぁ」

「なにが?」

「私、今回はアクアくんと喧嘩する覚悟でオーディションやったんだよ」

「………だろうな」

「アクアくんに嫌われてもいいから、私が役を獲ってみせるって思ってたのに。結局はあなたの手のひらの上で。あなたは私のこと、ちょっと困った事をした女の子程度にしか思ってない」

 

その通りだった。あかねに対して恨みも憎しみも、わずかな怒りさえ抱いていない。愛しささえあるくらいだ。

 

「悔しいなぁ。あなたに嫌われなくて、ものすごくホッとしてる私が悔しいなぁ。あなたに触れられて、ものすごく気持ちいい私が悔しいなぁ」

「あかね……」

 

あかねはオレの嘘を知っている。オレが何かを隠している事に気づいている。怪しんでいないはずがないのに、オレの嘘を見破ろうとせず、ただ優しくオレを受け入れてくれる。

 

その事が、今はとてもありがたかった。流石に今日あかねを騙せるほど上手に嘘をつく気力は残っていなかったから。

 

「さっきはごめんね。私、怖かったよね」

「あかねを怖がったことなんて一度もない」

「重い女の子でごめんなさい」

「あかねのそういうところ、好きだよ。あかねの想いが心地よかった」

「アクアくん」

 

オレが何かを応える前にあかねが唇を重ねてくる。優しいキスだった。あんなにも激情を持て余している女とはとても思えない。慈愛溢れるキスだった。

 

「私、キス上手になった?」

「ああ。間違いなく」

「アクアくんは最初から上手だったよね」

「そうか?」

「わかるよ、今なら。触れるか触れないかってところから始まって、唇が合わさってからゆっくり舌が入ってきて。歯茎一本一本を丁寧になぞってくれて。時に上顎を舌で撫でる。気持ちよかった。身体が震えた。キスってこんなにいやらしいんだって貴方に教えてもらった」

「………………」

「アクアくんって、今まで何人の女の子と、何回キスしたの?」

「いちいち数えてられない程度には」

「ムカつく」

 

歯軋りの音が耳朶を打つ。優しいキスから一転。今度は貪るようなキスだった。両手で頬を抑えられ、逃げ場をなくし、口内を蹂躙する。乱暴な、それでいて官能的なキスだった。

 

こういうキスを彼女に教えたのも、アクアだった。

 

「好きだよ、アクアくん。私にはアクアくんしかいないし、アクアくんにも私しかいない」

「………あかね」

「愛してる」

 

重ねた唇は、愛情表現でありながら、2人に絡みつく鎖でもあった。

 

 

 

 




最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

アクアの演技はアイを憑依させたものでした。アクアの愛の形はまだ分かっていませんが、アイの愛の形は与えることだったのだとアクアは解釈しています。多分大きく間違ってないと思います。だからこそ最期の「愛してる」は嘘じゃないと自覚できました。

あかねは演技で殺すことができなかったため、方針転換。情で迫り、理で外堀を埋める作戦に切り替えました。果たしてどうなるか。

それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
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