降りていないステージに上がってしまうだろう
意味が異なる同じ音を冠する言の葉に気をつけなさい
死神の囁きは嘘をつかず、真実を語らないから
私はずっと演技の勉強をしてきた。
親に勧められて子役の世界に入り、初めてオーディションを受けた。その中には私が最も憧れ、ファンになり、この人みたいになりたいと心から願った人がいた。
「私はアンタみたいなのが一番嫌い」
憧れて、この人みたいになりたくて、勇気を出してこの世界に足を踏み入れたのに、初対面でこの人は、私が真似して身につけた帽子を地面に投げ捨てた。
「私の真似なんかするな」
私が憧れた人は表舞台から姿を消していった。細々と活動しているのだけは知ってたし、しばらく追いかけてもいたのだが、ピーマン体操とか、楽曲とか、演技に関係ないピエロみたいな事に力を入れているのを見て、失望した。
私は、かなちゃんみたいな事はしない。
私が人生で唯一褒められ、才能があると言ってもらえたこの演劇の世界でスポットライトを浴びて見せる。ずっとそう思っていた。
その努力の甲斐あって、舞台劇の世界では一流と呼ばれる劇団ララライに入る事を許され、少しずつ大きな役を貰えるようになり、最近ではエースと呼んでもらえるようになった。
でもそれはあくまで板の上だけでの話。舞台劇の世界はハッキリ言って広くない。エースと呼ばれるようになっても世間にはまるで認知されない。劇団で力をつけ、テレビドラマや全国で放映される映画に出演できるようになって初めて、舞台役者は名前を売ることができる。
───このまま、舞台の上に立ってるだけで、いいのかな
劇団での仕事が良くも悪くも安定し始め、他のことを考える余裕ができ始めた時、マネージャーが話を持ってきてくれた。
「あかね、コレ、やってみないか」
恋愛リアリティショー『今ガチ』。高校生達のリアルな恋愛模様を撮るトークバラエティ。ハッキリ言って気は進まなかった。こういうの得意じゃない自覚はあったし、演劇以外のことをやるのにも抵抗があった。だって私がコレに出るということは、かなちゃんの活動を肯定する事になってしまう。
───やっぱり、私は演劇で頑張りたい……
「トーク苦手なのは知ってるけど、コレならまだやりやすいんじゃないか?キャストもみんなあかねと同年代だし。同業者もいるみたいだぞ、ほら」
マネージャーが冊子を渡してくる。出演者やコンセプトが纏められている資料らしい。ほとんど無意識に手に取った時、ちょうどキャストの一覧のページが開かれた。
「……星野、アクア」
その名前が目に止まる。つい最近見たばかりだ。忘れられるわけがない。
地獄のネットドラマ『今日は甘口で』。基礎もできていないキャスト達の中で唯一演技ができるかなちゃんも周りに合わせて作品が破綻しないためにワザとヘタな演技をしていた。途中で見る気なくなりそうだったけど、かなちゃんが出ているから最後まで見ようと思った。この人なら何かどんでん返しをしてくれるんじゃないか、と思っていたのは元ファンの期待だったのかもしれない。
しかし、終盤に至るまで何の変化もなかった。演技ナメてるとしか思えないモデル上がりで作られたドラマは最後までクソのまま。かなちゃんも大人の都合と番組のために自分を殺し続けていた。
───もう、観るのやめよう。
これ以上観たくない。かつて……いや、多分今も憧れて、復活を心のどこかで待ち望んでいたけれど、これ以上役者として落ちていくかなちゃんを観たくなかった。もうすぐ原作の名シーン。ストーカーと主人公の対決までクソにされるのは嫌だ。停止ボタンをクリックするべくカーソルを動かす。あと3秒あれば、ウィンドウが全てオフになっていただろう。
ピチャン
暗闇の中から響いた水の音。今までになかった演出の妙に思わず手が止まる。音源を見るがまだ何も見えない。薄暗い倉庫の闇に紛れているせいで、そこに誰かいるのだけはかろうじてわかったが、それ以外何もわからない。
だからこそ、目を惹かれる。
───……一体なにが
暗闇から現れたフードの男。その顔は陰で隠れていた。歩くたびに雨水が踏みしめられる。水音で彼の存在感は強調されているのに、未だ顔が見えない。故に目が離せない。止めようと動かしていたカーソルの事など忘れてしまった。食い入るように画面を覗き込んでいる。
───コレは、暗闇のせいだけじゃない
かつてのかなちゃんを周り全て食べちゃう太陽とするなら、彼は全てを闇に塗り潰すブラックホール。人を、目を、意識を惹きつける魔性のオーラを纏い、闇への恐怖と関心を掻き立てる悪魔の演技。ストーカーという悪役。主人公より目立ってはいけない。事実彼は目立っているわけではない。目を引き寄せられるけど、顔すらまだハッキリわからない。
雨水や逆光を利用して存在だけは強調しているけど、それ以外は人の心の闇を演出する事だけに心がけている。
全ては闇の中で主人公とヒロインを輝かせるために。
───この人はやろうと思えばこのモデルも、かなちゃんでさえ闇に塗り潰せただろう
けれどそれをすればドラマが破綻する。だから敢えて抑えている。自分のオーラを周りのためだけに使っている。
シーンは進む。主人公に襲い掛かり、罵倒を浴びせるストーカー。毅然と立ち向かうヒーロー。今までになかった熱が現場に灯る。観ているこちらの手がいつのまにか強く握り締められていた。
『……それでも、光はあるから』
かなちゃんが流す一筋の涙。10秒で泣ける天才子役の得意技。完璧なシナリオと演出だった。その核を担ったのはかなちゃんでも、監督でもなく、名もないストーカー役の少年である事は玄人の目で見れば明らか。
今までになかった唐突な変化。これは監督などの裏方の意図ではない。恐らくこの役者さんの独断。作品のため、かなちゃんのため、何より自分のために、ネットドラマを私物化した。
なんて身勝手。なんて圧倒的。周りを無理矢理引き上げて、自分のレベルに無理矢理合わせた。
チームや現場には、それぞれの水がある。
現場のルール、暗黙の了解、合理性、自由度、さまざまな要素が絡み合い、一つの水を形成する。プロの世界とは常にその水の中で行われる椅子取りゲームだ。
水の中で生きる手段はいくつかある。水が合わないと嘆き、
自分色に水を染めるか。
そんな事ができる人間は少ない。若手でそれができる人間など不知火フリルくらいだろう。天才と謳われる黒川あかねすら、水に適応した上で進化してきた。
しかしもう1人いた。同年代に、自分好みに水を変えられる人間が。
「星野……アクア…!」
この人がリアリティショーに出る。私と同じ役者で、私より長くずっと演技の勉強をしている人が。
会ってみたかった。会って話がしたかった。面識がない人と会話するのって、結構苦手だけど、演技の話なら無限にできる。この人は必ず演技に情熱を持っている人だ。会いたい。会って話したい。貴方はどういうタイプの役者なのか。今後の展望はどう考えているのか。舞台に興味はあるのか。考えれば考えるほど聞きたいことが湧き出ていった。
最初の顔合わせでは気後れして話しかけられなかったけど、直に会って、隣に立つ事はできた。
───綺麗
太陽を眩く反射する艶やかな蜂蜜色の髪。整った顔立ち。煌めくような輝きを宿す瞳。全てが美しい。
そして何より、全てを引き込む、魔性のオーラ。
何もしていない。ただ立ってるだけで目が引き寄せられる。
こんなことを感じさせられたのはかなちゃん以来だった。
そしてリアリティショーが始まった。最初の打ち合わせの時、ようやく話をすることができた。やっぱり子役から長く役者をやってる人で、この10年は下積みに費やしていたらしい。
───もっと色んな話が聞きたいなぁ
しかし、話をする機会はゴッソリと奪われる。なんとあの不知火フリルがアイドルの代打として今ガチに参加を発表したのだ。
初めての撮影の時、誰もが固まってしまった。何を話せば良いのか、誰にもわからなかった。誰もが不知火フリルという大炎に飲み込まれていた。
たった1人を除いて。
「ようフリル、千年ぶり」
気後れした様子など微塵も見せず星野アクアは彼女の前に座り込む。板に水が流れるようなトークでフリルとコミュニケーションを取り、現状の説明を行い、他のメンバー達との交流まで促した。
───凄い
まるで魔法を魅せられているかのようだった。自分とのあまりのレベルの差にただ立ち尽くすしかできなかった。
けれど、立ち尽くしている間にもリアリティショーは進んでいく。フリルさんとアクアさんが中心になってイベントを企画し、実行するのは他のメンバー。2人は盛り上げ役に徹していた。しかしそれ故にカップリングが成立し、アクアさんと話ができる機会はグッと減った。
不知火フリルというスター。そのスターと渡り合う星野アクアという新星。2人が盛り上げる熱に乗って引き上げられていく鷲見ゆき。恋愛リアリティショー『今ガチ』はもう不知火フリルだけで注目される番組ではなくなった。中高生を中心に、ネットバラエティでは社会現象を巻き起こす人気番組へと変貌していく。
けれど立ち尽くしてるだけの私が、目立つはずもなく……
「お前はクビになりてぇのか!?あぁ!!」
大気を震わせる怒声が事務所中に響く。当然私の鼓膜にも届いていた。責められているのは私のお世話をしてくれているマネージャー。
「不知火フリルのお陰で注目されまくってるリアリティショー!大チャンスだってのにこれっぽっちも目立ってない!総出演時間10分もいってねぇんじゃねえか!?ああ!?どういう指導してんだお前は!!」
「ですが社長、慣れない仕事であかねも頑張って……」
「頑張るだけじゃ金にならないんだよ!他にもやりてぇって奴は山ほどいる中で選んでやったんだ!爪痕残せ!星野アクアを見習え!鷲見ゆきに取って代わるくらいのことやってみせろ!」
何も悪くないマネージャーが罵声を浴びせられている。私のせいで。
「マネージャー、ごめんなさい」
「あかねは精一杯やってるんだ。気にしなくていい。防波堤になるのも俺の役目だから」
私のマネージャーは優しい人だ。どれだけ責められても私を責めることなんてしない。でも、その優しさが辛かった。少しくらい私の事も責めてほしかった。でも、今の私は責められるレベルにすら達していないんだ。
「私が、不甲斐ないから…」
申し訳なさで両目から熱い雫が流れる。自分のせいなのに泣いてしまうこの状況すら情けなかった。
「頑張らなきゃ……頑張って、アクアさんを見習って、ゆきちゃんに取って代わるくらい、爪痕残さなきゃ……!」
今ガチ収録中に記録したメモ帳を取り出す。みんなで話し合ったことやアクアさんに相談した内容が書き留められていた。
今求められているのはカゲキなもの
それから私はすぐにアクアさんのことを調べた。彼を見習って、その技術やトークをトレースするために。
フリルとの炎上騒ぎがあり、SNSで出演作が晒されていたこともあり、アクアの足跡を辿るのは難しくなかった。デビューは子役。とあるホラー映画の子供の案内役。かなちゃんが天才子役と呼ばれていた全盛期の映画だったため、少し探せばすぐに見つかった。
それからポツポツと名前もないちょい役で出演していることも知った。マイナー過ぎて出演作全てを見る事はできなかったけど、考察するには充分な情報が手に入った。
「特徴的なのはやっぱりあの瞳。そしてオーラ。どうやって身につけたんだろう?自信からくるもの?でも瞳はともかく、あの魔性のオーラを纏うようになり始めたのは『今日あま』から……なにかキッカケ掴んだのかな?」
図書館やネットカフェで情報を精査する。興味を持った人間や学びたい何かを持っている人の考察は昔からよくやっていた。与えられた役の理解にも使っている。
「トーク力やMCスキルの高さから、友人関係は豊富だと思う。恐らく女性経験も。思春期にありがちな異性への気後れもなし」
考察した内容を紙に書き出し、ペタペタと壁に貼っていく。コレなら一々ページを捲らなくても一目で読める。
「家庭環境はどうだろう……多分悪くはない……でも複雑そうだな。社交的だからわかりにくいけど、人と線を引いてるところがある。少し人間不信のきらいもあり、と」
ペタリ
「愛情の抱き方に何かしらのバイアスあり」
ペタリ
「秘密主義者にして完璧主義者、行動は破天荒に見えて実は計画的、けれど所々で破滅願望のようなものも見受けられる、ファッションは無難だけど知識とセンスはあり流行を追いかけて勉強してる、金銭感覚はどちらかというと浪費傾向、視力は良い、精神的になんらかの障害がある模様、恐らく幼い頃に心的外傷を患ったと考えられる、思春期の間に性交渉を経験した少年特有の性価値観、教育レベルは一般程度だけど地頭は良い、完璧主義と秘密主義は5歳辺りから顕著に見られる、何か強い悪意に晒されたのかな、PTSDの理由もここにあると考えられる、破滅的行動については改善の傾向なし、しかしそれがあの遠慮ない態度と物怖じしない度胸を作り出している」
ペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリペタリ
次々とアクアの情報と推理があかねの自室の壁に貼られていく。その全てが的確で家族や本人すら自覚してないモノまで言い当てられている。第三者がこの光景を目にすれば恐怖を覚えるだろう。それほどの考察力とプロファイリング能力だった。
───でも、今アクアさんからMCの立場を奪うのは難しい…
番組ももう中盤から終盤。ポジションが定着してしまったアクアとMCを争ってもほぼ勝ち目はない。ヘタをすれば不知火フリルも敵に回す。それは避けなければいけない。見習うのはあの人を引き込むオーラとトーク力。そして対立するならアクアではなくゆき。
「……頑張らないと」
そして土日がやってくる。一般人にとっては待望の。しかし黒川あかねにとっては緊張と試練。そして人生の転機となる…
『今ガチ』収録日である、土日が。
▼
「アクたんアクたん」
ケンゴとカードゲームをやっていると声を掛けられる。手にはスマホとカメラ台を持っていた。
「なに?」
「番組公式アカウントに動画アップするから、撮影手伝ってぇ」
「えぇ……めんどくさい、なんでオレ」
「だってダンス動画だし。アクたんならこれくらい踊れるでしょ?」
「そういえばメムは元々ティックトッカーだっけ?」
「そそ、当時は広告収入も投げ銭もなかったからユーチューバーに転身したんだけどさ。アクたんもなんかアップしなよ。せっかくマルチな才能持ってるんだから」
「無理無理。顔も名前も知らねえやつのためにこんなマメにはなれねぇよ。かえってストレスになる。絶対放置する。向いてない」
カントルでもこの手のSNSにはノータッチ。完全にハルさんに任せていた。その代わり作詞を頑張っていたのだからトントンだが。
「ダンスならノブに頼めよ。本職だろ」
「ノブくんは……今ちょっとねぇ」
チラリと視線を向ける。その先にはゆきと絡むノブ。そしてそこに加わるあかねの姿があった。
「………なんかあかね雰囲気変わったな。暗いっつーか、怖いっつーか……でも目が離せないって感じで」
目の色も以前と違う。横顔だけならいつもと同じに見えるのに、正面から見据えると引き込まれる。左目に暗い星の光と引力を感じた。
「まるでアクたん見てるみたいだねぇ」
「………オレ、傍から見るとあんなか?」
「本人はああいうのわかんないんだよねぇ。でもアクたんの方がだいぶ怖いし不気味だけどぉ。簡易トレースって感じかなぁ」
完全なキャラ被りは避けている。当然だ。この手のトークショーで共演者の丸パクリはNG。が、明らかにアクアの面影を感じさせるトークとオーラ。どちらもアクアが長年かけて培ってようやく習得したもので、簡単に真似できるものじゃないはずなのだが。
「………もしオレのキャラを演じているんなら、役者としては優秀だな」
「ノブにアタックかけるあたり、あかねちゃん攻めてるねぇ」
「攻め方自体は間違ってない。女子同士の対立は番組的にも欲しかった絵だろう。キャラも立つし、番組の中心に落下傘降下するわけだから、間違いなく目立つ」
でも本人がそれをいまいちわかってない。根が善人だから、悪役ムーブに徹しきれてない。とゆーか今まで悪役感出してなかったあかねがいきなり悪女をやろうとしても見てる側としてはなんだコイツみたいになってしまう。悪役だと自覚しているからこそ回避できる地雷もあるんだが。その自覚がなければいずれ踏み抜く。
「焦ってるな。エゴサでもしたか。ほっときゃいいのによ、あんなの」
「アクたんはエゴサしてないの?」
「名前も顔も知らない誰かのために役者やってないからな」
「芸術家肌で唯我独尊何様オレ様王子様なアクたんならそれもアリなんだろうねぇ。でもあかねちゃんは真面目だからこそ、意見は全部見てるはず。良いのも、悪いのもね」
そして、今SNSであかねに好意的な評価は少ないだろう。焦る気持ちはわかるが…
「じゃ、アクたん。動画撮るよ。カウントダウンでミュージックスタートさせるから」
「わかったわかった。メム、曲は?」
「これこれ。踊れる?」
「………一通り見せてくれ」
「りょ」
その後SNSで少しあかねのことも話題に上がるようにはなった。
そういやいたわこんな子
あかね別に居てもいなくても同じじゃない?
接し方がアクアの劣化コピー。見てて痛々しい
好意的なモノは少なかったが、話題にすらなっていなかった頃と比べれば確かに前進している。メンバーであれば、その頑張りはわかるモノだったが……
「あかね。最近焦ってる?」
あかねの爪を研ぎ、ネイル加工していたゆきが、誰もが思っていたことを遂に尋ねた。
「放送も終盤差し掛かるしね、気持ちはわかるけど」
「別にそんなんじゃ……私はただ、どうにか目立って、結果を残したいだけで」
「………そっ。でもそうはさせないよ」
ピンセットを軽く振る。ラメの輝きがあかねを襲った。
「私は私が一番目立つように戦う。毎回来ないフリルさんや潤滑油役のアクアよりも目立ってみせる。悪く思わないでね」
強がりでもなく、不遜でもない。結果を残してきたものだから言える言葉に、あかねは気圧され……
「こら」
アクアは丸めた雑誌でゆきの頭を軽く叩いた。
「不必要に煽るな。仲良くしろ。オレやだぜ?女の喧嘩の仲裁なんて」
「みんなのお兄さん役は心配性ね」
「あかねも。あんまりキャラじゃねーことやるなよ?言ったろ?頑張らなきゃ出来ねぇことなんてやらない方がいいって」
「………すみません」
「ね、アクア。ネイルやってあげよっか?」
「男がやったら気色悪いだろ」
「そんな事ないよ。男子でもネイルやってる人いっぱいいるよ?ネイリストのお姉ちゃんも言ってたし」
「お姉さんディーヴァって言ってなかったっけ?」
「昔はね。今も夜にバーとかで歌ってるらしいけど、本職はネイル」
演技でなく心から楽しそうに笑うゆきとアクア。エゴサしてみても2人の評価はあかねとは比べ物にならない。ゆきは可愛いとか性格良さそうとかで溢れている。アクアは直裁でエグい物言いをするから、批判する人もいるけど、それを遥かに上回る高評価がある。
アクアはズケズケ物を言うけど言ってることは正しい。
MEMちょへのフリとツッコミがえぐい。
心の傷にいい感じに塩胡椒塗りたくるのオモロ。
クールで嘘つかないからアクアの言うことは信用できる。
など、有○やマツ○デラックスのような、遠慮のない毒舌ツッコミキャラとしての地位を確立している。
───なんでゆきちゃんやアクアさんとはこんなに違うんだろう。同じ女子、同じ役者なのに…
フリルさんが収録に来ていない日ですら、ゆきと絡んで番組の中心にいるアクアに苛立ちが募る。ピアノも、トークも、演技力も、美貌も持ってて、この上人気まで持っていくのか。ゆきもアクアに乗っかって、あわよくばフリルさんからアクアを取る事も企んでるかもしれない。2人共なんて強欲。なんて傲慢。この人達はきっと今までの人生でこんな劣等感を抱いた事なんてないんだ。器用になんでも出来て、才能と実力に溢れるこの2人は…
「アクア、久しぶりにピアノ弾いてよ。昔お姉ちゃんがバンドでやってた曲なんだけど」
私の身体を押し退けてゆきがアクアの腕に抱きつく。その時、ぷつっ、と何かが切れた。
「やめてよ!」
押し退けてきた腕を押し返すように手を払う。何かに引っかかった感触が僅かにあったが、服か何かだと思った。
「そうやってすぐいろんな男に引っ付いたりしてやり口に品がないよ!アクアもアクアだよ!フリルさんのこと……は……」
激昂するあかねだったが、周囲の空気が凍りついていくことに気づき、言葉が止まる。
爪とは人体で2番目に固い部位である。まして限りなく爪に近い加工品である付け爪やネイルは本来の爪を庇護するため、さらに硬く、鋭利に造られており、人間の頬程度であれば容易に切り裂く凶器となり得る。
目を開くと片腕を大きく広げたアクアの頬から赤い雫が滴り落ち、あかねの指は鮮血で染まってていた。
「いったん撮影止めます!」
「……って」
カメラが止まったことを確認するとアクアが指で血を拭き取り、軽く舐める。痛いと口にして、凍った時間がようやく動き始めた。庇われたゆきがハンカチを取り出し、アクアの血を拭き取る。しばらく誰も言葉を発することができなかった。
「………あかね、怪我ないか?」
「あっ……う……」
「良かった。付け爪が変に引っかかって生爪剥がれるなんて珍しくないから」
「そんなことより!アクア!大丈夫!?ごめんね!私がぼーっとしてたから!」
「なんでゆきが謝る。ヘーキヘーキ。お前が怪我してたことに比べればなんてことないよ」
人に聞こえる音量で会話するのは出演者達のみ。しかし、動き始めた時間の中、関係者達の囁き声は重なり、鼓膜を震わす声量になった。
「俳優の顔にそれは……」
「アクアくん、雑誌の撮影オファー来てるって話じゃなかったっけ?」
「おいおいおい……」
騒然となる現場。加害者を追い詰める空気。やってしまったことへの罪悪感。その全てがあかねの精神を限界に追いやった。
「わた……そんなつもり……ちが……」
「おい、あかね」
「ごめ……でもっ……!」
ぽすん
アクアの手があかねの頭の上に置かれる。綺麗に整えられた艶やかな黒髪をぐしゃぐしゃと掻き回し、鷲掴みにした頭をグラグラ揺らした。
「………少しはぐちゃぐちゃになったその脳みそ、落ち着いたか?」
「アクア……さん」
「言っとくけど慰めねぇよ?爪痕残したいとは聞いてたがリアルに残してどうすんだ。人の忠告聞かないからこうなるんだ。少しは反省しろ」
「忠告…?」
「頑張らなきゃ出来ねぇことなんてやるんじゃねぇよ。ああいう悪役ムーブ、お前に向いてねーんだ。根が正直者で善人なんだから。メムと違って」
「…………え、ちょっと待って。なんか突然コッチが斬られた。どういう意味ぃ!?私だって善人だよぉ!?」
「人のこと実年齢アラサーとか、人生二周目とか、ウソでも言えるキャラじゃねーんだから」
「アクたんは私でオトさないと気が済まないのぉ!?私だってどっちも言ってないからねぇ!?」
カカカと朗らかにアクアが笑った事でようやく全体の空気があかねを責めるモノから、なごやかな状態になる。さすがにあかねは笑っていなかったが、ようやく涙は止まった。
「アクア、さん……」
「ああ、雑誌撮影なら気にするな。元々断るつもりだったんだ。向いてねーから」
もう一度傷を指で撫でる。なめとった血で染まった赤い舌と唇を見たあかねは加害者であるにもかかわらず、その美しさとオーラにぞくりと寒気が走った。
「ケン、どう今のオレ。かっこいくね?」
「それを言わなきゃマジでかっこいーのにな」
「どうだあかね。オレはちょっと怪我しようがかっこいいんだよ。この程度の傷でオレの仕事の心配するなんざ、10年早い」
「ごめん……ごめんなさい…」
「オレに謝る必要ねえって。勝手に首突っ込んだだけだし」
「ありがとうっ、ございます…っ」
「礼を言うのはどっちかっていうとゆきじゃねぇか?庇ってやったのに何にもないし」
「口挟める空気じゃなかったでしょ!?もちろん感謝してるよ!?」
「はい、そんじゃ後は本来怪我させてて、本来謝らなきゃいけない2人で話し合え」
トンと背中を押し、ゆきの方へと追いやる。お互い抱き合ってゆきはあかねへの理解を示し、あかねは涙ながらにゆきへと謝罪した。
▼
「で、そんな立派な傷作ってきたわけだ」
フリルの事務所、泣きぼくろの少女の対面に座るアクアはバツが悪そうに顔を背けている。顔を合わせた時、傷のことを隠そうとしたアクアは頬に貼り付けられたバンソーコーをフリルに無理矢理剥がされていた。超痛かった。
「庇うにしても顔以外で受けられなかったの?腕とか肩とか色々あるじゃない」
「咄嗟だったんだよ、反応するので精一杯だったんだ。寧ろ今思い出してもよくゆき庇えたなと我ながら感心するくらいなんだから」
「でも、傷が治るまではマリンは無理だね」
そう、今日はこのことで謝罪に来ていたのだ。マリンとアクア。別々の人間の同じ位置に同じ傷がある場合、身バレの確率は跳ね上がる。化粧でなんとかならないかなと試したが、ファンデーションを塗った瞬間、激痛が頬を襲い、メイクで隠すのは無理と断念。肌テープとかでも完璧には不可能。もういっそ開き直るかとも思った。同じ位置に同じような傷があっても男と女が同一人物と思われることなどまずない。
けれど、万が一はある。フリルの仕事にマリンが付き添うようになったのは今ガチが始まった時とほぼ同時。そこまでなら偶然で片付くが、もし2人が同じ場所に怪我をしていると誰かが気づいたら流石に偶然では済まされない可能性は高い。マリンとアクアって同一人物じゃない?と噂が立つだけでもコッチはアウト。細心の注意を払う必要がある。
「あーあ、今度私が出る学園ドラマ。文化祭の背景で歌ってる人にマリンねじ込もうと思ってたのにな」
「………なんて恐ろしい事考えてんだお前は」
「仕方ない。私との共演はもっと然るべき場で…………あ」
スマホを覗いていたフリルの口から感嘆詞が漏れる。しかし感嘆というにはどう聞いてもトラブルの色が聞こえた。
「………なんだ、今のヤバそうな『あ』は」
「私達に何かあったって訳じゃないけど……あかねが今ガチのアカウントで謝罪文投稿しちゃってる」
「………あの真面目バカ。オレの時見てなかったのか」
つい力が入って。カッとなって。誰にでも起こりうるありふれた些細な諍い。当事者同士が話し合い、許し合ったのならば本来はそれで終わり。後は他人が口を挟めることではない。
しかし、残念なことに、現実はそうはいかない。あの放送は公共の電波に乗ってしまっている。幾千幾万の目に触れてしまう。大衆の最大にして最後の娯楽である『批判』に飢えている人間達の目に。
そんな人間達の口を綺麗な物語で封じることなど、できるはずがなかった。
「爪痕を残すほどの傷を作ってしまった時、傷付けた人間にも痛みはできてしまう」
未だ胸元に僅かに残る傷跡を服の上から握りしめ、利き手を広げて空に掲げる。かつて裂けたささくれから血が滲んだような気がした。
「まだ痛い?」
「そっちじゃない」
「でも私はもっと痛かったよ」
「それはごめんな」
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。というわけで怪我したのはアクアでした。あかねのアクア考察部分はもっと狂気ある感じにしたかったのですが、小説では難しいですね。最後のフリル様との会話?もちろん怪我したアクアを心配したフリル様だよ!怪我したアクアを見て心優しいフリル様は心にもっと痛い想いをしたんだよ!
話は変わりますが、本誌でフリル様が登場する度にドキドキする筆者。今のところ大きく解釈間違ってなさそうでホッとしてます。それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。時間がかかっても感想には必ず返信します。