星をなくした子   作:フクブチョー

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天の災いにあたる豪雨の中
曇天の空に星が昇る
雲間からさす一筋の光に頼りすぎてはいけない
神と悪魔に大きな差などないのだから


25th take 貴方に溺れて

 

 

 

 

 

 

 

アクアは水が好きだった。身体を包む清涼感と浮遊感。身体を沈めたときに起きる空気の音の心地よさ。水はときに優しく、ときに冷たく、時に固く、いくらでもその形を変えて自分を包み込んでくれる。

 

偽りだらけの自分を覆い隠してくれるようで。水の中でだけは全てのしがらみから解放されたようで。

 

雨も好きだった。見えにくくなる視界。誰もが視線を伏せ、雨具で視界はさらに狭くなる。常に視線を気にする生活を送っているが、雨の日はその緊張から解き放たれるようだった。

 

けれど、こんな事を思う人間は多いはずもなく。

 

「私雨ってキラーい。髪型崩れるし、服もダメになるしー」

 

いつの日かの梅雨。外に降りしきる雨を見て、ルビーがこんな事をぼやいていた。間違いなく今時の女子の意見の多数派に属する感想を。

 

「ね、お兄ちゃんも嫌だよね、雨」

「…………ま、好きなやつは少数派だろうな」

「だよねー」

 

コミュニケーションの基本。他者の意見を否定しない。骨の髄まで染み込んでいる対人能力はほぼ自動的に発動してしまう。この時から、アクアは雨のことを少しずつ嫌うようになり始める。誰かが求めるアクア、誰かが理想とするアクアであるために。

 

他者から見れば少数派な、変わったモノを好きであった場合、正直に好きだと他人に言うことの怖さを知った。

好きなモノを好きでい続けることの難しさを知った。

 

それでも、アクアは未だこう思い続けている。

 

自ら死を選ぶ時が来たとしたなら、溺死がいい、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外を打ちつける雨あられ。ガタガタと鳴る窓の音は豪雨の強さを物語っている。今外を出歩けば比喩でなく命に関わるだろう。まあ最近暖かくなってきたし、そういう時期だといってしまえばそれまでだが。この大雨のおかげでせっかく仕事もオフになったと言うのに。

 

「…………体調悪いんなら、オレじゃなくちゃんとしたマネージャー呼べよ」

 

まだ雨が比較的マシな時間、黒髪の美少女に呼び出されたアクアはバイクを使ってフリルのマンションに訪れている。ドアを開くと、アイツは青い顔してベッドに横たわっていた。常備しているらしい薬と水を一杯用意し、運んでやる。フラフラと薬を飲み、壁を背に座り込んだ。

 

「んっ……ふぅっ……はぁっ」

「ホントに辛そうだな、大丈夫か?」

 

ちょっと色っぽいが。さっき熱を測ったら平熱より少し高かった。

 

「私、気圧の変化に弱くて……天気悪い日とかには頭痛くなるタイプなの」

「偏頭痛だな。女性には結構いる」

「結構いるって知ってるくらいには女の子の知り合い多いのね」

「なんか飲む?」

「はぐらかされた。紅茶で」

 

ケトルのスイッチを入れる。コイツと知り合ってから、なんだかんだこの手の話はあまりしてこなかった。オレが過去の話をするのが苦手だと察していたのだろう。そういうの察するのはオレも結構得意だが、フリルはオレの比ではない。それなのに、今回は切り込んできた。2人きりだからか、それとも相当に体調悪いのか、どちらかだ。

 

「しかし生活感のない部屋だな。家具はデカいベッドとテーブル、TV、あとゲーム機だけ。食い物飲み物も日持ちする系のやつしかないし」

「此処は偶にしか使わないからね。住居バレとかした時用の緊急避難場所の一つ。他にもいくつかあるよ。アクアは持ってるの?」

「ねえよ。お前ほど売れっ子でも、大手事務所所属でもねぇんだから」

 

まあ泊めてくれる相手や一晩くらい雨風凌げる場所の当てなら幾つかあるが。そういう意味では緊急避難場所は持っているとも言えた。

 

「アクアも結構バケモノね」

「なんだ急に。失礼だな」

「新人で私のマネージャーこなせてる人、貴方が初めて」

「あいにく新人じゃねーんだよ。下手したら役者業よりこっちの方が経験値高いかもしれないくらいだ。ミスだって山程してきた。だから今、多少上手くやれてるってだけだ」

「あはは。下積み長かったらしいもんね」

 

その一言にどきりとする。この女、オレのことをどれくらい調べたのだ。まあ過去の出演作くらいまでは知っていると思っていたが……ヘタをすればカントル時代の事もバレてるかもしれない。

 

「オレのことは調べたってわけだ」

「もちろん。一番近くに置く人の経歴を知らないわけにはいかないでしょ?」

 

紅茶が入ったカップを置く。一口含むと、美味しいと漏らした。当然だ。コーヒーも紅茶も淹れ方はナナさんに叩き込まれた。不味いはずがない。

 

「ピアノはベースの女の人に教わったの?ナナ、だっけ?」

 

やはり調べられていたか。まあマリンがバレてるのだからそっちの誤魔化しが効かないのは想定内だ。

 

「違うよ。知り合いのジャズバーのマスターに習ったんだ。あのバンド仲間から技術的なことは何も学んでない」

「じゃあ学んだのは女の扱いかな?」

「ノーコメント」

「ロクでもないんだろうなぁ、アクアの女性歴」

「お前だってどーせ人のこと言えねーだろ」

「あら失礼ね。私はまだ処女だよ」

「ウソぉっ」

 

心から漏れた叫びが部屋の中で響き渡る。しばらくの間、部屋の中には雨音しか聞こえてこなかった。

 

「ははは……アクア、ここからは慎重に言葉を選べ?」

 

カップを持つ手に力が入ったのがわかる。大人しく「ごめんなさい」と謝る。美麗な指から力が抜けたのを確認し、ホッと息を吐いた。

 

「…………あ、『今ガチ』のこと、やってる」

 

薬が効いてきたのか、さっきよりは楽になった顔をしている。何の気なしに点けたTVからは今最も注目を集めるリアリティショーという題目で『今ガチ』の事が取り上げられていた。その理由はもちろん……

 

【なんとあの不知火フリルさんも参加されているのです!】

 

「ふふ、今最も注目されてるって。やっぱり私が参加して良かったでしょ?」

「一長一短だ。少なくともオレにとっては」

 

ゆきやMEMちょは今やノーリスクでフリルの名前に乗っかれてるから得しかないだろうが、オレは未だこの爆弾相手に番組を回している。ハイリスクハイリターンの司会進行役は常に気が抜けない。

 

【不知火フリルさんのお相手として注目を集めているのが、イケメン俳優と話題の星野アクアさん。甘いマスクと高いトーク力でメンバーの潤滑油を務め、不知火さんも彼のサポートに回っている場面が多く見られます】

 

───あかねのことは触れてこない、か

 

まあ無難だな、とは思う。下手に擁護しても批判しても飛び火をもらう。なら触らぬ炎上に祟りなし、で偏向的報道をする方が大怪我はしない。

 

【まさに美男美女カップル。2人とも16歳とは思えない落ち着きで、番組内ではメンバーのお兄さんお姉さんといった感じです】

【フリルさんもですが、星野さんも凄く冷静というか、大人ですね】

「………大人、かぁ」

 

リポーターの言葉にフリルが反応する。不快に思ったのか、テレビの電源をリモコンでオフにする。オレもだが、コイツはオレよりさらに言われ慣れてる言葉だろうに。

 

「アクアはさ、大人ってなんだと思う?」

「そんなことよりお前体調大丈夫なのか?」

「あんまり。だからお喋りして。喋ってる方が気がまぎれるから」

 

膝を抱えてベッドの上に座り込む。ただでさえ白い肌がより一層白くなっており、少し気味が悪いほどだ。しかしそんな病的な姿さえ、儚げな美しさに映る。

 

これは美人だからだろうか?それとも不知火フリルだからだろうか?

 

美しいから不知火フリルなのか。不知火フリルだから美しいのか。

 

答えの出ない問いにアクアは考えることをやめ、フリルの横に座る。恐らく両方正しく、両方違うのだろう。

 

「大人、か。良くも悪くもいろんな大人見てきたが……歳食ってるだけの子供もいるんだよな」

 

敬語が使えないやつ。常識備えてないやつ。未だ親の庇護下で生活してるやつ。色々いた。勿論そうでない人もたくさんいたが、この人に比べればハルさんやナナさんの方が大人だな、と感じた事は多かった。

 

「いるよね。芸能界は特に。何か欠落したまま促成栽培で成長しちゃった人。私達も人の事言えないんだろうけど」

「ませたガキだと言われれば否定はできねぇな」

 

15、6歳の少年少女が自分の倍以上の年齢の人間に大人と形容される。褒め言葉にも聞こえるが、ともすれば生意気とも取られかねない。

 

「子供とオレ達を油断してる人から見れば大人で、見下してる人から見れば生意気なガキ。赤の他人がオレらを大人と褒めてくれるのは結果を出してる間だけだ。結局印象の問題で、明確な答えや根拠はないとオレは思う」

「結果や実績だけじゃなくて、他人の評価。なるほど、アクアらしい。現実的かつ冷淡な意見だね」

「オレらしい、か」

 

どうもこの言葉は苦手だ。星野アクアを演じているせいもあるのだろうが、オレは自分らしさというのがよくわかっていない。オレがよくわかってないことを他人がわかってる。こういうケースは実は多いけれど、不安になる。オレは正しくオレをやれているか。オレらしいと言ってくれているうちは大丈夫だが、らしくないと言われた時が怖い。

 

「私はね、経験した失敗の数だと思う」

 

ネガティブに落ち込みそうになったところを現実に引き戻される。いけない、悪い癖だ。考え込み始めたら止まらなくなる。この女に弱み見せたら何に利用されるかわからない。隙を見せてはいけない。

 

「学生の間ってさ。犯罪でもない限り、どんな失敗しても学校とか法律とかに守ってもらえるじゃない?」

「…………まあ、社会人に比べたら色々考慮してくれるな。実名で報道しなかったり」

「でしょ?勿論限度はあるけど、子供のうちにする失敗はたいてい取り返しはつく。人も、生活も、仕事も」

 

仕事してる学生は少なくねえかなぁと思うが、高校生でバイトしてる人間なんて山ほどいる。学生に与えられる責任は少なく、失敗が前提の場合も多い。確かに守られている事もあるだろう。

 

「アクア、さっき言ってたじゃない?山程ミスしてきたから今多少上手くやれてるって」

「…………言ったな」

「私はさ、あまり失敗ってしたことないの」

「自慢か」

「事実だよ。オーディションがダメだったくらいのことはあるけど、そんなの失敗なんて呼べないし。それを遥かに超える成功を収めていればオーディションに落ちたことは良かったことだとさえ思える」

「…………かもな」

 

塞翁が馬、ではないが、一つのオーディションには落ちたけど、さらにデカい仕事のオーディションには受かった。そんなことは芸能界ではよくあること。オーディションとは役者の相性を見るお見合いのようなモノ。実力と合格はイコールではないのだ。

 

「人、学校、仕事、そして──恋愛。私はそのどれもほとんど失敗せずにここまで来てしまった」

 

人から見れば幸せなことかもしれないが、本人が不安になる気持ちもわかる。経験していないことを恐怖するのは人間として当たり前だ。まして今高い位置にいる人間なら特に。

 

「失敗したいな」

 

は?と思った時には遅かった。両肩を抑え込まれ、体重を預けられる。そのままベッドに倒れ込んだ。

 

「…………なんのつもりだ」

「失敗したいなって」

「種類が悪い。マジで冗談じゃすまない。お前が誰と恋仲になろうとセックスしようとファンへの裏切りなんて、オレは微塵も思わねぇけど、世の中オレみたいに冷めたやつばかりじゃない。前にも言ったろ。誰もがオレと同じ反応してくれると思うな」

「あはは、アクアって破天荒に見えて意外と優等生だ」

 

その一言に少しムッとする。ついこの間、あかねにも言われ、とうとうフリルにまで言われてしまった。

 

自分で言うのもなんだが、オレは今まで結構無茶をしてきた。『今ガチ』は勿論、『今日あま』でも、あのPVでも、その他色々なところで。安全な道を歩んできた事はないつもりだ。

 

 

本当に?

 

 

頭の中で声が響く。あの声とは少し違う……気がする。女性の声にも男性の声にも、マリンの声にも聞こえた。

 

お前はいつも考えていたじゃないか。『今日あま』はクソが前提のドラマ。あのクソ具合に多少無茶して失敗したところで大きな咎めなんて掛からない。その上であの行動を取ったじゃないか。有馬を救うため、そして己の存在をアピールするために。

 

───違う、オレは作品を良くするために……アイツの10年を無駄にしないために

 

PVはどうなの。結果的に私の声が聞こえてきたのは偶然だけど、それ以前から貴方は全て食い殺すつもりだった。それも名前のないモブ役だったからできた事でしょう?

 

───それは……でも

 

今ガチだってそうだろ?ほぼ無名の今なら炎上しようがどうでもいい事だ。フリルに比べたらお前のリスクなんてゼロに等しい。そんな事よりフリルに乗っかって名前を上げることの方が遥かにメリットは大きかった。

 

───だけど……そうだとしても

 

貴方は常に負けないところでゲームをしている。自分1人は安全圏にいて、意のままに人を動かす快感を楽しんでいる。

 

───違う……オレだっていつも命懸けで…

 

首筋に指が添えられる。見上げた先にいるのは黒髪の美女。ここ数週間で見慣れた顔……のはずなのに。

 

 

「貴方の命懸けなんて、私に比べたら、おままごとよ」

 

 

血の気のない顔で妖艶に微笑み、覆いかぶさっているのが、荒天で体調を崩したフリルなのか、なんらかの致命傷を負ったマリンなのか、それとも別の誰かなのか、わからなかった。

 

両肩にのしかかる腕を掴み、力任せに引き倒し、のしかかる。それだけで精一杯。まるで何キロも全力疾走したかのようだ。それなりに鍛えて、体力にもそこそこ自信のあるこのオレが、動けない。荒い息が治らない。大汗かいてるのに身体が熱くない。気持ちが悪い。吐きそうだ。

 

「女の子一人押し倒した程度で、随分辛そうね。合意のセックスしかしてこなかった優等生に、私を襲うなんてことは無理だったかな?」

 

頭の中で何かが散る。カッと熱くなると同時に真っ白になった。強引に肩を掴み、顎を指で持ち上げた。

 

「んっ、…痛……んむ」

 

唇を奪い、濃厚に舌を絡ませる。相手のことなど考えない。いつものアクアではあり得ない。ただ、自分の欲望を押しつけるようなキス。縦横無尽に動かしながら、それでも身につけたテクニックは無意識に、そして艶かしく口内を這い回り、お互いの身体に快楽を刻み込む。

 

「…………っは……はっ、ははっ。新発見。キスってもっと神聖なモノかと思ってたけど、凄くやらしいね」

 

今度はフリルから身体を起こし、首に腕を回し、唇を合わせてくる。フリルのぎこちない舌使いに応えるように、アクアも黒髪の少女の細い身体を、折れろと言わんばかりに強く抱きしめる。苦悶の声を漏らしながらも、フリルは一切逆らわなかった。

 

 

 

 

 

 

 

ピグマリオン効果というモノをご存知だろうか。

 

1964年に行われたローザンサールらによる実験によって証明された効果である。

とある小学校のクラスでランダムに数名の生徒を選び、この生徒たちは成績が向上する才能があるという嘘の情報を教師に伝えたところ、教師から生徒への期待感、それによる教え方の変化が生じた。一般の生徒より優遇された彼らは本当に成績が向上し、成長に大きな影響を与えたとされている。

 

また、ジェーンエリオットによって、生徒に差別を体験させる教育が実施されたことがある。茶色の瞳を持つ子は青い瞳の子より優れた傾向にある、と話し、茶の瞳の生徒を優遇した。

すると差別を受けた生徒の成績は大幅に下がり、優遇された生徒の成績は本当に上がった。

 

つまり周囲から馬鹿だ、劣等だと言われ続けた人間は本当に劣等になり、優秀だと言われた人間は本当に優秀になる。思い込みの威力を証明する実験だったということ。

 

これは成績に限らない。血液型性格判断のように、根拠のない通説が現実になるという事例はどんな世界でも無数に存在する。

 

無論芸能界も例外ではない。根も葉もない噂が真実以上の力を持つという点において、これほど顕著な世界も他にないだろう。

 

そして、黒川あかねは今、学校などという小さな箱庭はおろか、ネットという年齢、性別、あらゆる垣根を越えて発言が許される場所で批判を浴び続けている。

 

『あかねと同じ中学だけど、アイツマジ嫌われてた』

 

『性格クソ悪い。仕事だーとかマウントとって早退することなんてしょっちゅう』

 

『単純にブス』

 

こんな事を四六時中言われ続け、寝ても覚めても批判の幻聴が己を苛む状況下で、性格が荒むなという方が無理な話。そして心の変化は表面に出る。ろくに眠れず、食事もまともに摂れない現状で、今のあかねが美しいはずもない。

 

───はは、私ってホントにブスだ

 

鏡の中に映る、髪もボサボサ。頬もこけ、目の下に濃いクマのできた自身の顔の酷さに笑ってしまう。

顔を洗い、力なく自室へと戻る。薄暗い部屋の中で立ち上げたPCには自身の閲覧履歴に沿ったホームページが表示される。

 

ユーチューブには自己中女あかねVSゆきと大文字で書かれたサムネイルが。

SNSにはあかねの炎上の詳細、出演作などが晒し上げられ。

 

───アクアさん…

 

ネットニュースにはアクアが表紙を飾った雑誌についての記事や今ガチにおける立ち回りの賛辞。あの事故を利用して脚光を浴び、賞賛を受け、さらに美しくなった星の輝きを瞳に宿す少年の微笑が大写しになっていた。

 

───ずるい…

 

私のせいで怪我をした。けれど私のおかげで彼はさらに注目を浴びることになった。初めはマイナスから始まった評価が今や不知火フリルと渡り合うほどの名声を博した。私のせいで。私のおかげで。

 

恨むのはお門違いとわかってる。理不尽なことも重々承知している。けれど、憎まずにはいられなかった。そうしなければ今の私に生きる原動力がなくなってしまう

 

 

ヴン

 

 

携帯が振動する。今ガチメンバーからの心配のLINKだ。時折メッセが送られてくるけど、返信する気は起きなかった。安全圏から、上から目線で心配だけされても何の救いにもならない。

 

───はは、ホントに性格悪いな、私

 

『ごはん買ってくる』

 

ちゃんとメシ食べてる?というノブのメッセに答えているような、答えになっていないような、よくわからないメッセを返す。外は雨だったが、特に気にならなかった。今のブサイクな私が多少濡れようが風邪ひこうがどうでもよかった。

 

家族に黙って家を出て、最寄りのコンビニへと歩く。顔を隠すために一応フード付きの雨ガッパだけは着て行った。

 

「ありがとうございましたー」

 

コンビニの店員というのも大変な職業で、こんな台風が直撃している日でも仕事に来なければいけないらしい。買い物を済ませ、歩きながら、今度生まれ変わったらコンビニの店員だけはやめておこうなんてことを、漠然と考える。

 

「───きゃっ」

 

大きな道路の上を通る歩道橋。足場の悪いその橋の上で一際強い強風が全身を叩きつける。持っていた傘の骨はバキバキに折れ、倒れ込んだ先に落ちたコンビニ袋からは買った商品がバラバラにばら撒かれていた。

 

───もう、拾うのもめんどくさい

 

今まで機械的に体を動かしてきたけど、別にお腹なんてすいてないし、何か食べたいとも思わなかった。

 

「───もういいや」

 

疲れた。考えるのも、恨むのも、憎むのも。なにも考えたくない。真っ白になりたい。私の炎上はきっと番組が終わっても消えない。芸能界人生に一生尾を引く。いや、芸能界だけじゃない。引退したとしても囁く人は絶対にいる。もうどうせ人生終わりなんだ。なら、もう──

 

 

ヴー

 

 

倒れ込んだ先にあった携帯が震える。今度はメッセじゃない。コールだ。わかる。一度の震えでなく、ずっと震え続けていたから。携帯が手に届かない位置なら無視したかも知れなかったが、少し手を伸ばした先に薄い板の電子機構はあった。この謹慎期間、携帯だけは常に手元に置いていた。震えるたびに内容を確認していた。だからか、ほとんど無意識に震えるスマホを手に取る。

 

表示には星野アクアと記載されていた。

 

出るかどうか、少し迷ったが、取ることにする。死ぬ前に一言くらい文句を言ってやろうと思ったのだ。この人に一生消えない傷を作って、この天才に私のことを刻み込んで、それから死のう。私の生きた証を、この人にだけは残してやろうと思った。

 

『お、ホントに出た』

 

電波でも悪いのだろうか。少し雑音が多く、聞こえにくい。けれどはっきりと耳に響く能天気な声。こっちの状況をまるでわかっていない軽い声。苛立ちの炎が強くなる。もう敬語など、使う気になれなかった。

 

「なに?貴方みたいな優秀な人が、私なんかに用なんてないよね?」

『はっ、この世の終わりみたいな声でそんなこと言われても挑発には聞こえねぇよ』

 

見透かされてる。この男はいつもこうだ。飄々として、安全圏にいるくせに見えてるものは全て見えてて、安全圏の中から踏み込んでくる。でも大衆からは危険を顧みず堂々と振る舞っているようにしか見えないだろう。だから評価されるし、だから負けないんだ。この人は。

 

「話すことないって言ったよね。そんな高いところからしか喋れないんならさ」

『そうか。でもお前がいるところも結構高いところだろ。なんせ歩道橋の上だ。大抵の人間は見下ろせるんじゃねぇか?』

 

一瞬、何を言われたかわからなかった。歩道橋?なんで私が今いる場所を知ってる?どこかから見てるの?一体どこから…

 

俯いていた顔を上げ、周囲を見渡す。すると、真正面に黒い何かが見えた。この大雨の中、視界も悪く、はっきりとは見えない。けれど目を引き寄せる強烈なオーラを放つその物体は少しずつ、けれど確実にこちらへ近づいてくる。

 

「な……んで…」

「『なあ、あかね』」

 

スピーカーから聞こえてくる擬似音声。そして鼓膜を直接震わせる肉声が両耳からほぼ同時に飛び込んでくる。歩きながら、黒い塊は会話を続けた。

 

「『アレから色々考えたんだけどさ』」

 

なんで貴方が此処に?どうして私が此処にいるってわかったの?なんでこんなところにまできたの?この嵐の中を?

 

「『オレは目の前で溺れてる人がいたら救命道具持ってくし、山で遭難した人がいたらレスキュー呼ぶよ。だって飛び込んだらパニクって一緒に溺れるかもしれねぇし、素人が山の中探しに入ったらオレまで遭難するかもしれねーだろ?』」

 

そう、彼はいつも正しい。常に最悪を想定し、それを避けるべく最善の行動をとる。なのに…

 

この嵐の中、私を探しにきた?台風が直撃してるこの状況で外に出たら比喩抜きで命の危険があるのに?ずぶ濡れになって、風邪ひいて仕事に穴を開けるかもしれないのに?そんな最悪の可能性を貴方が考えていないはずはない。それなのに、なんでこんな馬鹿(わたし)みたいな事を?

 

聞きたいことはたくさんあった。けれどその全てが喉をつかえて出てこない。動揺と、恥ずかしさと、歓喜で、身動きが取れなかった。

 

そうこうしているうちに黒い塊は目の前に立っていた。しゃがみ込み、私のところまで視線を合わせ、顎に手を添える。大雨の中、薄暗く視界も悪い中、全身から色香を匂い立たせる星野アクアがアップで迫る。そっと腰に手を回され、そのまま優しく抱きしめられた。

 

「でも、目の前に神様が現れて、お前が飛び込む以外、救うことはできないって言われたら、その時は飛び込むさ。あかねを助けるためなら」

 

耳元で甘く、優しく囁かれる。同時に鼻腔を埋め尽くす、男の匂い。ここまで走ってきたのだろうか。立ち昇る熱気と汗は雄独特の獣性となって自身を包み込む。あかねの脳髄を蕩けさせるには充分すぎた。もう夢か現かわからない。けれどそんなことどうでもよかった。ただ、今はこの心地よいトリップに酔っていたかった。

 

───男の人に抱きしめられたの、初めて…

 

優しく、けれど力強い抱擁。気がついた時、私はアクアさんの首に腕を回していた。

 

───暖かい…

 

大抵の人間は、雨が嫌いだ。

 

整えられた髪も雨に降られれば台無しになるし、化粧も崩れる。服は傷むし、濡れる感覚は不快感に満ちている。

 

けれど、あかねはこの瞬間、雨が好きになった。

 

濡れて冷えた身体が抱擁によって暖められる。彼の熱が、鼓動が、ダイレクトに伝わってくる。雨だからこそはっきりとわかる感覚。凄い。知らなかった。男の人の身体がこんなに熱いなんて、誰も教えてくれなかった。

 

落ち着いたと判断したのか、アクアは抱擁を緩め、立ち上がり、手を差し伸べる。

 

「行こうぜ、溺れに」

 

濡れそぼった蜂蜜色の髪は雨に晒されてなお、くすむことは無く、鈍く高貴な輝きを放ち、星の光の瞳はまっすぐに私を捉える。

長いまつ毛。整った顎のライン。頬に未だ残る傷跡。いつもより少し艶っぽい頬。何より、雨に濡れていることさえ忘れさせる、魔性のオーラ。

 

───綺麗……

 

神様みたいだって思った。

 

もう人生終わったと思っていた私に、生きていいと、一緒に溺れようと言ってくれるこの人を。

 

闇の中にあってなお暗く、しかしだからこそ輝く光を放つ、闇の中にあるからこそ惹かれる星を背負うこの人を…

 

 

神様みたいだって、思った。

 

 

 

 

 




最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
やってしまった……アクアとフリルの濡れ場。けれど書きたかったシーンなので後悔はしてません。フリルがアクアをここまで煽ったのは理由があります。結論だけ言ってしまうとあかねのせいです。
人生経験16年のアクアが知る自殺を止める方法は2つのみ。そのうちの一つを今回は実行しています。詳しくはまた次回。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。時間がかかっても感想には必ず返信します。

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