海を名に冠する少年はなくした星の影を追いはじめるだろう
なくした星の秘密を差し出すと良い
夕暮れの陽が限りなく本物の星に変貌してくれるから
『今ガチ』収録後の楽屋。ディレクターや監督に挨拶を済ませた後、黒川あかねは出演者たちに用意された控室に訪れている。変装用のニット帽と黒縁眼鏡を外し、来週からの復帰をメンバー達にも報告していた。
「まだちょっと怖いけど……次の収録から復帰する。Dにもそう伝えてきた」
「良かったぁ」
MEMちょが心から喜びの声を漏らし、ゆきは深く安堵の息を吐く。ちらりと奥で佇む美少年に目をやったが、星の瞳の少年は特に大きな反応は見せなかった。
「でも無理して出なくてもいいからね───あっ、違うの!今のはヤな意味じゃないから!私としては無理してでも出て欲しいんだから!」
「わかってる、ありがとう」
「確かに今のは聞きようによっては嫌味くさいな」
日本語というのは本当に難しい。気を遣っての言葉が真逆に取られる事もある。ましてSNSでは口調やトーンなどもわからない。日常では何でもなく溢れている言葉が炎上のきっかけになりうるのが今のビッグデータ時代だ。
「…………前にあかね、オレのマネしてた事あったろ?」
「え?……あ、うん。やっぱり気づいてた?」
「当然。アレは悪くなかったと思う。キャラ付けは自分を守る鎧になるし、素を叩かれるよりダメージも軽い。だが共演者の真似をしたのが良くなかった。中途半端にオレの真似しても劣化コピーって言われんのがオチだし、かといって共演者のやり方丸パクリしても叩かれる」
実際あかねのアレをオレの真似だと気づいた連中はSNSの中にもいた。キャラ付けするにしてもあっさりと誰かのマネとバレるようではダメだ。
「でも、それじゃあどんな役を演じればいいんだろう?」
「そうだな……演るならこの場にいる誰か以外。それもあまり素の自分が演じて無理が出ない虚像」
「んー、具体的な像が欲しいねぇ。キャラ設定で躓けばまた元の木阿弥になりかねないし」
しばらく四人とも考え込む仕草を見せると、MEMとゆきの目がアクアへと集まる。なんだ、と言わんばかりに眉を顰めると二人とも椅子を持って身体を寄せてきた。
「ね、アクたんはどういう女が好み?」
「うわ、なんかコッチきた」
「だって今この場にいる男君だけだし。よく考えてみれば仮にも恋愛番組でアクアのタイプ聴いたこと無かったからね」
収録中、アクアは司会進行役だったし、フリルにべったりな事もあり、アクア本人の恋愛観を聴く機会は無かった。確かに気になるところだった。あかねも興味深げに身を乗り出している。
「好みのタイプ、ねぇ。そう言われても、オレそういうのよくわかんねぇんだよな」
「もう、アクアって人の秘密は暴こうとするくせに自分の事は語らないよね。それってずるくない?」
「結構秘密主義だよね。ミステリアスなところもアクアくんの魅力だとは思うけど」
「そんなんじゃねぇって。マジでわかんねぇんだよ」
笑いながらヒラヒラと手を振る。腰掛けていた椅子の背もたれに身を預け、大げさに肩をすくめた。
「好みのタイプ?優しい人?明るい人?賢い人?そういうのが好きって人間の気持ちはわかるし、否定はしないけど、少なくともオレはそれだけで人を好きにはならない」
なぜなら、そういった表面的なものはきっかけ一つであっさりと裏返るから。
「勿論それは悪い事じゃない。当たり前だ。どんな聖人君子でも常に人に優しくあれるはずがない。怒る時だって冷酷になる時だってあるだろう。抜群の頭の良さを誇る人だってその冴えはいずれ失われるだろう。そうなってしまった時、お前らはその人の事、好きじゃなくなるのか?」
「それは……」
実際は程度によるだろう。一見優しそうに見える人が嗜虐性を持っていたとしても、常識の範囲内であれば嫌うところまではいかない。けれど同棲を始めてうまくいかず、破局に繋がったというカップルは多い。長く時間を過ごして『あの人は変わってしまった』と良く言われる。が、実際はそれぞれの見る目が変わり、見えなかったものが見えるようになったのだ。
「人を好きになる理由に貴賎はない。だけど一側面だけ見て好きだの嫌いだの、オレには言えない。どんな人間だってどこかしら病んでて、人に言えない何かは持ってる。大切なのはそれから逃げずにうまく付き合えているかどうか。ちゃんと上手く付き合えてて、病んでもなお揺るがない芯があれば、オレは他のことは求めないよ」
ハルさんもナナさんもフリルも人間性に難はある。けどそれ以上のポリシーとプライドを持ってる。人を人たらしめているのは品性だとアクアは思っている。それを無くしてしまえば、人は少し賢しい猿に堕ちる。
「人の美しいところも醜いところも、それを隠す行為すらも、すべて含めて『愛しい』と思える相手を、オレは好きって呼ぶんだと思う」
もうアクアをずるいと言える人間はこの場にいなかった。アクアの恋愛観は厳しくも現実的で、平等だった。
「それでもあえてタイプを言えってんなら───」
そう、この一言を聞くまでは。
「好きになった女の子がタイプかな?」
「最低」
「パリピの常套句TOP3出たな」
「ちょっと前までいい話してたのに一気に胡散臭くなった」
「なんだよ、誠実に答えたのに」
「誠実に答えてるからこそタチが悪いんだよ」
アクアの言った事がウソだとも詭弁だとも思わない。けれど、だからこそアクアの本質が見えてくる。多くの女性と関係を持ってきた男だからこその恋愛観と持論だとわかってしまう。
人は誰かを好きになった時、その人の過去まで気になってしまうもの。この男は自覚無自覚関わらず、一体どれだけの女を泣かせてきたのか、想像もつかなかった。
「ま、アクアがその辺クズなのはある程度わかってた事だし今は置いておきましょう」
「おい、ひでぇ言い草だな。オレはいつだって誠意を持って──」
「今はあかねの事が本題でしょ?キャラ付けするにしてもわかりやすい目標は必要なの。もう好みのタイプはいいから、アクアの理想言ってみてよ。タイプはなくても理想くらいあるでしょ?」
「理想ねぇ」
「難しく考えなくていいわ。歳下と歳上ならどっちか、とか。パッと思った方を出していって」
ふむ、と少し考える。理想とタイプなんて似たようなものじゃないかとも思うが、ここで抽象論で煙に巻くのは流石に心象が悪い。過去付き合いのあった女達の共通項を挙げてみる事にした。
「そうだな、顔は……オレと同等以上なら文句ねぇかな」
「うっわ最悪」
「ルッキズムの権化」
「…………私、いきなりダメだぁ」
「なんだよ、いいだろ理想なんだから。顔で決めるなんて言ってねーし」
「それでも、ねぇ」
「アクたん自分の顔鏡でちゃんと見てる?」
美形揃いの芸能界でも顔面偏差値だけならアクアは屈指だ。この顔と同等以上を求めるのは理想が鬼高いと思っても仕方ない。
「この狭い空間に三人もいるんだ。そんなに高いハードルでもねぇだろ」
唐突な一撃に三人の心臓が跳ねる。この男にしては直接的に褒めてきた。容姿への賞賛など、今まで何度もされてきた三人だったが、人を滅多に褒めないアクアからと自覚すると流石に戸惑ってしまう。
「…………たまにこういう事言うから、この男は」
「やー、正直顔は好みだし、能力は抜群だし、なんだかんだ性格も悪くないんだけどぉ、私の手には負えないなぁって思っちゃうよねぇ」
「──私が、アクアくんと、同等以上……」
ヒソヒソと密談する二人に、メモ帳片手にポカンと虚空を見つめるあかね。テーブルに肘をついたアクアが大きくため息をついた時、三人とも戻ってきた。
「いちいち中断するならもうやめるぞ」
「ごめんごめん。続けて」
「…………そうだな、あと何かしら才能がある人が好きかな」
「才能?やっぱり演技とか?」
「別にこだわらねぇよ。音楽でも、ダンスでも、なんでも。素質があって正しい努力をしてて、自分の夢に向かって歩いてる人」
ハルさんもナナさんも才能があった。夢に向かって努力してた。ああいう人たちと一緒にいるのは楽しい。向いてない人間が無茶な努力をしているのは見てて痛々しいけど、自分に無いものを持ってる人には強い敬意を表してきた。
「才能ある人が好きってことはパフォーマンスもクオリティを求めるってこと?」
「そうだな、高いに越したことはないが……発展途上な事もあるだろうから、パフォーマンスには『可能性』を感じさせてくれればいいかな」
「ふーん、なるほどね」
「あとたとえ今はクオリティ低くても自信は持ってる人がいいな。自分を信じている人は目に力がある」
「そりゃアクたんが自信家嫌いなんて言ったら、今世紀最大のおまいうだからねぇ」
「は?オレはいつだって謙虚だろうが」
「自覚がないのが一番危ないのよ」
「ははは…」
アクアの心からの自身への評価にあかねだけは笑いを返す。確かにアクアは自分のことを天才とは思っていない。しかし自分への評価とは他人が決めるもの。あの不知火フリルにさえ物怖じしない立ち振る舞い、そして人を惹きつけるオーラの源は自信しかないということをこの場にいる全員が知っていた。
「───ま、パッと思いつくのはそんなところかな」
「顔はアクアと同等以上、何かしらの才能があって、それに伴う実力も持ってて、自分に自信のある人、かぁ」
「結構難しいですね、抽象的です」
「…………アクたん、もしかしてフリたんどストライクなんじゃないのぉ?」
しばらく黙って考え込んでいたメムの言葉に女性陣がアッとなる。確かに不知火フリルならほぼ全ての条件を超高水準で満たしている。
───だとしたら、私なんかじゃとても……
メモ帳を手にするあかねの目から光が失われていく。どう見ても不知火フリルはアクアに特別な感情を持っている。恋愛感情とは少し違うかもしれないが、それでもきっとアクアからフリルに告白すれば恐らく彼女はOKするだろう。まずはお試しからだとしてもそこから本気になる可能性は非常に高い。そう確信できるほど、星野アクアの『可能性』は高い。
不安になり、横目でチラリとアクアを見る。すると星の瞳の少年は辟易したように眉を顰め、手を振った。
「無理無理。あんな危ない怖え女、オレの手には負えねぇ。恋愛ってのはどちらかが圧倒的な強者なのは良くない。恋愛対象にするなら出来るだけ対等な、どっちも不満を言い合える関係でいたい」
「あはは、確かにフリたんとそういう関係になったら気は休まらなそうだねぇ。アクたんも人の事言えないとは思うけど」
「心外だな。オレはいつだってフェアなつもりだが?」
「それは認めるよ。でも本人はそのつもりでも付き合う方は気後れしたりするんだよ。アクアほどのスペックの相手なら特に」
不思議そうに首を傾げるアクアだったが、あかねはゆきの言ってる事がよくわかった。才能とは時に人を虜にするが、畏怖の対象にもなる。天才を自覚していないアクアは今まで何人も無意識のうちに人を追い込んできた事だろう。
「まあどのみちフリルさんを真似するのはダメだよね。共演者はNGに引っかかる」
「んー、その条件で考えるとぉ、他に思い当たるのは──」
口を窄め、天井を見つめながらメムが再び思考を張り巡らせる。
「───B小町のアイ、みたいな?」
ドクン
人知れずアクアの心臓が跳ねる。同時にゾクリと背筋に寒気が走る。メムが出した名前は、理想の女子像を聞かれ、思考の中にいなかった人物だった。アクアがさっき述べた理想にアイを連想した部分などカケラもなかった。アクアが過去付き合いのあった女子。歌手のはるか。ピアニストのななみ。ドラマーのレン。いつか付き合いのあった絵描きの女。ルビー。有馬かな。思い浮かんだのはこの辺りの女性陣達だった。アイのことなど、今の今まで忘れていた。それなのに……
「アイって確か……」
「聞いたことあるね。昔死んじゃったアイドルの…」
「そうそう、画像探す〜」
───確かにほぼ全てが当てはまる
顔の良さ。才能。可能性。自信。強い瞳。どれもアイは持っている。それはオレが誰よりも良く知ってたはずなのに。
───それでも、オレは無意識のうちに、理想像をアイの中に見ていた……
背筋が寒くなる。恐怖で心臓が冷える。さっき述べたオレの理想は本当にオレの意志か?オレの頭が絞り出した答えなのか?それとも……
オレが忘れた星野アクアの意識が、オレを支配し始めているのか
ゾクリと身体が震える。表に出さないよう必死に押し殺し、唇を噛む。それでも冷たいものは身体の中から消えない。
───オレには、もう時間が残されていないのかもしれない
今まで何度か思ったことだったが、こうもリアルな感覚として感じたことはこの12年で初めてのことだった。
心臓が早鐘を打つ。汗が冷たい。眩暈がする。吐きそうだ。あのフリルと肌を重ねた時以来の感覚。しばらく目を開けることすらできなかった。
「───アクたんってば!!」
ブラックアウトしかけた意識が戻ってくる。目を開けると三人とも心配そうにこちらを覗き込んでいた。
「やっと気づいた。どうしたのぉ?さっきから何度も呼んでるのに」
「顔色悪いよ?大丈夫?」
「…………なんでもない。少し疲れただけだ」
ヒラヒラと手を振る。水を一杯口にすると次第に心音も正常な鼓動を取り戻していく。身体の中の冷たさがスッとひいていった。
「で、なんの話だっけ」
「だから、アクたんの理想がB小町のアイなんじゃないかって話」
「よく知ってるな、ちょい前のアイドルだろう」
「いやいや、B小町はみんなの憧れだったんだよ?少なくともアイドル目指してた子にとっては」
「へぇ、そうなんだ……うわ、確かに超美少女。人気出るのもわかるなぁ」
メムが検索した画像をゆきとあかねが覗き込む。その間にいつのまにかメムがアクアの隣に腰掛けていた。
「アクたんこそよく知ってたねぇ」
「オレは知ってるに決まってるだろ。事務所の大先輩だ」
「ああ、そういえばアイも苺プロだったね……え、てことはアクたんもしかしてアイに会ったことあったりする?」
「あるらしいが、覚えてねぇ。その頃オレ4歳だったらしいし」
「そりゃそっか」
アイのことを追求された時にする完璧な言い訳。メムも納得した様子で椅子に座り込み、身体を沈めた。
「…………だが、ウチにビデオは腐るほどあったからドルオタの妹と映像やデータは死ぬほど見た。確かにオレが知る限りピカイチのアイドルだろう……不知火フリルを除けば」
「チッ、忘れなかったか。もしその一言なければフリたんに言いつけてやろうと思ってたのに」
「なんて恐ろしいこと考えてやがるんだ」
「ピカイチ……あのアクアくんが」
滅多に人を貶す事も褒める事もしないアクアがピカイチと称した。そこまで心酔するアイドル。色々な意味で興味が湧いた。負けたくないと心から思った。
「…………わかった。アクアくんの理想の女の子、やってみる」
「おお、やれやれー!」
「アクアを落とせー!」
「お手並み拝見させてもらおう」
この時、アクアを含め、誰もが楽観視していた。あかねを守るキャラ付け程度になればいい、と。MEMちょの天然おばかキャラやゆきの健気でいい子キャラ。上手くできてもアクアの毒舌クールくらいのレベルだと思っていた。
みくびっていたのだ。リアリティショーでは本来見られない能力。変貌の才能を。
▼
学校の屋上。昼休み、携帯食糧を齧っていると昇降口の扉が開く。指定の制服にリボンのついたベレー帽を被る、赤みがかった黒髪の少女だ。名前は有馬かな。かつて一世を風靡した天才子役で、今は自称アイドル。現れた人物を見て、一瞬身構えたアクアはフッと息を吐き、再び壁に身体を預ける。有馬かなもアクアの隣にハンカチをひき、座った。
「珍しいわね、アンタがそんな味気ないゴハン食べてるのなんて」
「今日はフリルのバイトオフの日だからな。もう自分のためにメシ作る気力はねぇよ」
いざ作るとなると二人も三人も手間的には変わらないが、栄養バランスだのカロリー計算だのは考えなければならない。わざわざ自分のためにその辺りの面倒な事をやろうとは思えなかった。
「お前、昼メシは?」
「もう済ませたわよ」
「どーせまたあんなウサギの餌みたいなメシ食ってんだろ。ちょっとはカロリー取らないとパフォーマンス上がらねーぞ。食う?」
「私なんてそこまでシビアに糖質制限やってない方よ。食べないと戦えないってのは私だってよく知ってるしね」
前も後ろも真っ暗な芸能界。不安に押しつぶされてご飯が食べられなくなった人間や不眠症になってしまう人間など、山ほどいる。睡眠不足、摂食障害から鬱病になってリタイア、なんてこと数えきれないほど前例がある。無理でも食べて、無理でも寝なければ芸能界では戦えない。
「…………動画、見たわよ」
ボソッと呟かれた一言に少し動揺する。別に悪いことしたわけじゃないけど、なんか微妙に責められてるような気持ちになった。
「上手くなったわね、アンタ。少し前まで色々規格外過ぎて扱いにくい役者だったのに。伸びる奴を見たことはあったけど、アンタほど短期間で大幅な変化を見たのは初めてだわ」
「短期間で大幅?10年以上この世界にいるんだぞ。めちゃくちゃ育ち遅いだろ。早熟ってんならオレこそ有馬以上の奴をお目にかかったことねぇけどな」
「…………アクアって意外と自己評価低いわよね」
「高くも低くもねぇよ。普段高いフリしてるから低く見えるだけだ」
「…………そうよね。高いフリしなきゃ、やってらんないわよね」
やっぱり人は自信のある人間が魅力的に映る。カメラの中にいる人間が気弱では話にならない(稀に例外はいるが)。大衆には明るく元気なキャラで売っている人が裏では根暗なんてのは良くある話。自信がなくともあるフリをするのが芸能人の義務だ。
「───っ」
甲高い破砕音。思わず震えた。多分ガラス的な何かが割れたのだ。少し興味を惹かれ、立ち上がると、身体が引っ張られる。有馬がアクアの制服の袖を掴んでいた。
「見ない方がいいわよ」
「悪いな、オレはそう言われると見たくなるタイプだ」
袖が解放される。下を見るとやっぱりカップが割られていた。顔は見えないが、近くに女子生徒がいる。恐らく彼女が意図的にやったんだろう。しばらく立ち尽くしていると、しゃがみ込み、泣き崩れた。
「───アレは……」
「オーディションか何かに落ちたんでしょ」
いつのまにか隣に来ていた有馬がアクアの独り言に答える。続いた。
「ウチの学校にはたまにいるのよ。人目のつかないところで泣いたり吐いたりしてる奴」
「…………まあ、わかる」
努力しても努力しても上手くならず、むしろヘタになっているような気さえしてくる。努力の量に対して結果がまるで吊り合わず、どうしていいかわからない。そんな経験はアクアにもあった。少し前のあかねの軽いバージョンだ。
興味が失せたのか、背を向け、手摺りにもたれかかり、紙パックのコーヒー牛乳を口にする。有馬はまだ階下を眺めていた。
「ま、人目につかないところって言っても、見てる人はいるけどね」
「…………お前もか?」
「意図的に見ようとはしないけど、たまに」
今日、アクアが屋上に来たのはなんとなくだったが、有馬がここに来たのはもしかしたらオレに会いに来たのではないのかもしれない。
「落ち込んでる人見てると、私はまだ大丈夫だって、思えるじゃない?」
コーヒー牛乳むせそうになった。芸能人なんてみんな大なり小なり病んでるモノだが、あの有馬かながこんな卑屈な病み方をしているとはちょっと思わなかった。
「…………フン、どうせ性格悪いわよ」
「何も言ってねぇ。気持ちはわからなくもねえし」
下を見て安心するな、と大抵の人は言うけれど、下を見ることで自身の精神の安定に繋がるならアリだとアクアは思う。メンタル崩すのも持ち直すのも自分のせい。やり方を他人にとやかく言われる筋合いは無いはずだ。
「少し前の黒川あかねも酷かったんでしょうね。持ち直したの?」
「まあ、なんとか」
「そう……よかったわね」
「あんま思ってなさそうだな」
「うるさいわね、アンタだって上にいる人間に落ちてほしいと思うことくらいあるでしょ?」
「オレは上にまだまだ幾らでも詰まってるからな。一人二人落ちたところであんま変わらねーよ。他人の失敗気にできるほど余裕ねえし」
コレはアクアの本音だった。自分のことで精一杯で、他人の情報などあまり気にしていられないし、実のところ興味もない。そんな暇があれば自身を向上させることにリソースを割くべきだと考えていた。この辺りはフリルの影響だろう。彼女も凄まじく前向きで合理的だ。
それに……
───明日オレが生きてるかもわからねえのに、そんな先のこと考えるなんて、今のオレにはできない
あの時の寒気。忘却の彼方にある星野アクアの意識がオレの無意識に入っていたあの恐ろしさはまだ身体の中から抜けきっていない。この間は久しぶりに眠りにつくのが怖かった。
「羨ましい」
「は?」
「…………アクアは自分がいい演技する事以外で悩んだ事ないのね」
「そんな事はないけど」
「ねぇ、アンタはないの?アイツさえいなければ、とかちょっとは堕ちてこい、とか思ったこと」
「………あるよ、一応」
シャーデンフロイデ。他人の失敗や不幸を喜ぶ感情。認めたくはないが、人間なら誰もが持っている負の側面。思ったことがないといえば嘘になる。星野アイ。オレが忘れ、オレが目標に掲げる天才アイドル。彼女がいなければ、オレはここまで自分を凡才と自覚する事はなかったのではないか。彼女のおかげで成長した部分もあるが、コンプレックスになってしまったところも多くあった。
───しかしそれにしてもちょっと意外だったな。
あの有馬かなが黒川あかねにここまでのコンプレックスを持っているとは。
「あかねって、もしかして凄い?ララライにいるんだから上手いんだろうとは思ってたけど」
「…………あー、あんたカメラ演技の人だからアイツの演技見た事ないのか。黒川あかね。劇団ララライの若きエース。演劇界隈では天才と名高い舞台女優よ」
▼
土日のがらんとした校舎に人が集まる。今日から本格的にあかねが復帰し、七人が揃った今ガチの収録が始まろうとしている。
「皆さんご迷惑をおかけして真に申し訳ありませんでした!頑張りでお返ししたいと思っています!よろしくお願いします!」
カメラが回る直前。全員の前で青みがかった黒髪の少女が深々と頭を下げる。周囲のまばらな拍手が鳴り終わるまで平身低頭の姿勢を崩さなかった。
「…………一生懸命なのは結構だが、また頑張りすぎるなよ。オレの言った事忘れてねぇだろうな」
挨拶を終え、自然な足取りでアクアの隣に佇んだあかねに囁く。すると思ったより気負いのない表情で微笑みを返してきた。
「勿論。ありがとう。気をつけるよ」
「ならいいけど」
「…………でもね」
「カメラ回しはじめまーす」
あかねが何かを言いかけたと同時にカメラマンの声がかかる。背筋に力を入れ、仕事モードに意識を切り替えた、その時──
「頑張ってる方が楽なんだよね、私」
一瞬、手があかねの肌に触れる。その瞬間、肌が粟立つ。まるで熱を持った光に手を触れたような感覚。指先からヒリつくような感覚が全身に広がっていく。
───オレは一体何に……
触れたんだ、と思い、あかねに振り向く。
えっ、と声が出そうになった。
淡い燐光があかねの全身を取り巻いている。所作の一つ一つに目が吸い寄せられる。生欠伸、カメラへの手振り、本来ならあまりやってはいけない仕草。どれもフリルとは違う、完成された美しさは感じない。けれど目が離せない。ポップで、可愛らしく、不思議な引力があった。アクアのような不気味さも、フリルのような熱もない。だが白く眩しい光。
フリルを太陽の熱。アクアを深海の闇とするなら、あかねはスポットライトの光。
「アクアっ⭐︎」
今まで数多の人間をその不気味なオーラとカリスマ、何より星の輝きを秘めた瞳で圧倒してきた星野アクア。この日、初めて自分の目で他者のソレを見た。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
不知火フリルは俯瞰型で、自分と違うタイプの才能の持ち主だったのでそこまで動揺しませんでしたが、あかねはアクアと同系統の憑依型役者で、自分以上の才能の持ち主かもしれないと思っているのでビビってます。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。時間がかかっても感想には必ず返信します。