【本編完結】星をなくした子   作:フクブチョー

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豪奢な輝きが明るい日
貴方を見守る星が語りかけてくる
星の言葉に耳を傾け過ぎてはいけない
その言葉は貴方と違う世界から放たれるものなのだから


4th take その羽ばたきがもたらすモノ

 

 

 

 

人目を引く方法とは必ずしも一つではない。

 

普段のテレビなどでも自然と目を寄せられるのは声が大きな人とか、大げさな反応をする人など。これらに共通するのはアクションが大きいという事。

しかし、アイドルグループで同じダンス、同じ声量で歌っていても、目立つ者と目立たない者というのが存在する。それは純粋に立ち位置が悪いなど、取るに足りない単純な理由もある。が、入れ替わり立ち替わりが当たり前になった現代の大人数アイドルグループで、センター付近にいる者でも、目が引かれない人間というのは確かに存在する。

 

目を引く人間と引かない人間、この二つの人種にどんな違いがあるか、明確にはわからない。説明すればいくらでもできるだろうが、反論もまたいくらでもできる。

 

しかし、芸能界ではこういう目を引く力の正体をこう呼ぶことが多い。

 

 

オーラと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

役者にとって台本は絶対である。現場の状況次第でアドリブを入れる事もあるが、それでも台本の意志や解釈に沿ったモノでなければいけない。与えられた役割を理解し、役割の中で動きを決める。それが役者に与えられる最初の仕事。

 

「でもモブって事は突っ立ってりゃいいんじゃねーの?」

 

今更役者の基礎中の基礎を話す監督の言葉を渡された台本を弄びながら聞く。駅で暴れるストーカーを遠巻きに見ているだけ。特別な事をする必要は感じないし、しちゃいけない。

 

「ああ。普通はな。だが今回に関しては、今まで教えてきたこと、全部忘れていい」

「なんで?」

「仕事というよりは、お前の力試しの場だからだ」

「力試し?」

「お前、長いこと実戦で本気出してやってねーだろ?」

「…………」

 

言われてみれば確かにそうだ。勘を鈍らせないため、たまに出演する事はあったが、そんなちょい役で本気など出せるはずがない。俯瞰演技はともかく、没入する演技は何年もやっていない。

 

「モブのいいところは多少問題行動したところでハブられるだけで済む。まして今回は女役。偽名まで使うんだ。何しても構いやしねえ。俺が監督だったらめちゃくちゃムカつくけど」

「…………自分がやられて嫌な事はやっちゃいけませんって習わなかったか?こどおじ監督」

「誰がこどおじだ!都心に近い実家あると家出るメリットねーんだよ!クリエイターあるあるだから!」

 

ムキになって説明してくるあたり、引け目は感じているんだろう。ちょっと安心した。

 

「出演者全員、喰い殺してこい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

背中まで伸びた黒髪に女性としては高身長。黒のタイツにブレザーの制服。女優として考えても相当な美貌の持ち主で何よりも特徴的なのは両目に星の輝きを宿したその瞳。

 

「エキストラで呼ばれました。マリンです。本日はよろしくお願いします」

 

マリン。本名アクアマリン。性別男。この役のためだけに作ってきたキャラと衣装である。

 

「ああ、うん、よろしく。トラへの説明はあっちでやるから。向こういっててね」

「はい」

「…………何アレ、偉そー」

 

美少女の背に隠れるようにこちらもサングラスとキャップを被った少女がつぶやく。バンの中にはもう一人同行者がいた。名前はルビー。マリンと名乗った役者の双子の妹。アイドルの卵だ。

 

「売れてねー役者にまで一々配慮してらんねーさ。それよりルビー。あんまり前に出るなよ。マネージャーとして振る舞うっていうから見学させてやってんだから」

「わかってるよ。だからこうして変装してるんじゃん」

「サングラスとれ。逆に目立つから」

「だってこんな美少女がカメラマンとか監督さんの目に留まっちゃったら、女優やってくれとか言われちゃうかもしれないじゃん。ゆくゆくはそっちに進出してもいいけど、今はアイドルに集中したいんだよね」

「…………アホが」

 

自意識過剰、と言ってやりたいところだが、ゼロとは言えない可能性だったため、それ以上のことはいえなかった。

 

「でもいっぱい人がいるんだね。PVなんて全部で10分行くか行かないかでしょ?あんなにいるの?」

「ばーか。ドラマなんてワンカット取るのに数時間かかることだってザラだぞ。監督がいて、演出がいて、カメラがいて、音響がいて、初めて映像は撮れる。コレでも充分少ない方だ」

『エキストラの方ー!集まってくださーい!傍観役の群衆はこちらへー!』

 

メガフォンで集合がかかる。

 

「じゃ、行ってくる」

「頑張れ!お兄ちゃん!」

「ルビー、モブはあんまり頑張っちゃダメなのよ」

 

ミヤコが言うことは正しい。モブが目立つような行為をしてはいけない。役者にとって台本は絶対だ。コレに逆らってはどんなに才能があっても使ってもらえなくなる。

 

───でも台本の範囲なら何してもいいんだよなぁ

 

押しつけられたモブ役。名前もマリンという偽名。そして監督から与えられたミッション。悪戯心が刺激される。

 

「社長、いつでも逃げられるように準備しといて」

「…………何する気?」

「確かめてくる。今のオレがどれだけできるか」

 

集合をかけられた場所へと走る。また何かやらかすんだろうなと悪い意味で信頼しているミヤコは車のキーを回し、エンジンをかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

『皆さんいいですかー!場面設定は女の子に一度フラれたストーカーが再アタックをかけて迷惑がってる場面です!通勤通学中の皆さんはその事態に巻き込まれないよう遠巻きに見るか、見て見ぬ振りして立ち去るかのどちらかでーす。とりあえずなんかそれっぽく振る舞ってくださーい』

「とりあえずそれっぽくだってよ。いい加減な指示だよな」

 

いつのまにか隣に立ってた男が口を開く。モデルだろうか?背は高い。オレが確実に見上げるほどだ。顔もそこそこ。まあオレとは比べ物にならんが。

 

「ああ、ごめん。俺は甲島瀧。17歳。yangyangのモデルでさ。俳優も目指してんの。君は?」

「マリンです。15歳。所属は苺プロです」

「へぇ、苺プロ。ウチの母さんがファンだったよ。確か、B小町だっけ?」

「伝説の先輩です。よくご存知ですね」

「まあね。俺、こう見えてまじめに色々勉強するタイプだからさー」

 

本番が始まるまでのしばらく、時間があるからか。モデルくんのなんとも中身のない会話が続く。コッチも適当に相槌打つが、めんどくさい。ナンパ目的バレバレ。男声ボイス出してやろうかと本気で思ったが、ここで騒がれても面倒だ。

 

「そっかー。でもマリンちゃん15歳ってことは今中学生?高校どこ行くか決めた?」

「陽東高校ですよー」

 

言ってしまった後に少し迂闊だったと気づく。ここまで話すつもりはなかったのに、つい心を無にして喋っていたせいで漏らしてしまった。此処からは少し色々警戒しよう。

 

「あー、陽東かー。俺のモデル仲間も何人か通ってるよ。芸能科がある学校って良いよなぁ。授業とか楽そうじゃね?」

「さあ、まだ入学してないのでなんとも……」

「ね、マリンちゃん。良かったら連絡先交換しない?お互いの学校の様子とか知りたいし。いいっしょ?」

「あはは。ごめんなさい。バッグ、マネージャーさんに預けてて、私今携帯手元にないんで」

「じゃあコレ終わったらでいいからさ。ちょっと二人で出ない?反省会とかもしたいし。ね?」

 

思ったよりしつこい。多少騒ぎになっても男声ボイスでオレ男だよ、と言ってやろうかと本気で思った時、耳をつんざくメガホンのハウリングが鳴った。

 

『失礼。それでは通行するモブの方ー。こちらに集まってくださーい。傍観する方達は此方へ』

「…………チッ。じゃあマリンちゃん、後でね」

「ははは」

 

返事はせずに笑って誤魔化す。出来るだけ位置特定されないよう傍観組の中へと入り込んだ。

 

『では皆さん、ストーカーに絡まれてる女の子を遠巻きに見ている感じで。立ち位置は自由にしちゃってくださって結構です。それでは始めまーす』

 

傍観組は女性がほとんど。その中で背の高い部類に入るマリンことアクアは自然と後ろの方へと追いやられた。

 

カチンコがなる。まずは普通の通学風景。ヒロインの女の子が駅の中を歩き、その後ろにモブたちがいる。さっきのナンパモデルもその中にいた。しばらく通行シーンの撮影が続く。その間にアクアは自分の中の設定を考えていた。普通ならこれはやらなくてもいい事だ。名前有りのキャラならともかく、アクアの今回の役はモブ。ただ突っ立ってるだけでいい仕事だ。いちいち設定など考える必要はない。

しかし、この場にいる全員を、一言も発せず、身動きすら取らずに喰おうと思えば、動いて喋る以外のことは全てやらなければならない。

本来、監督がモブ役に求めるのは周囲に溶け込む俯瞰演技。しかし丸ごと呑み込むために必要とされるのはメソッド演技。メソッド演技とは与えられた役に精神ごと憑依する演技のこと。その為には役の歴史を構築せねばならない。何が好きで何が嫌いか。何を許し、何に怒るか。キャラクターの核を作ることが第一歩。

 

───ストーカーに絡まれる女の子を遠巻きに見る、か

 

制服を着た少女なのだから、親近感が湧くのはわかる。だが会った事もない赤の他人に強い感情は湧かないだろう。メソッド演技で最も必要なのは感情の発露。それがなくては迫力は出ない。

 

───なら作るべきは自分の事情…

 

本当は助けたい。でも何かと天秤にかけたなら、出来ない。そんな板挟みがマリンにとって最も自然に感情が湧く状況だろう。

 

───しかしこの場全てを呑み込もうというなら、普通の感情ではダメだ

 

例えば怒り。それも殺意を伴うような、激しい怒り。もしくは世界が崩壊したかのような絶望感。それをセリフも身振りも無しで表現しなければならない。まったく無茶振りもいいところ。

 

──なんかムカついてきた。

 

怒りの演技の勉強はしてきた。それなりには出来るつもりだ。だがそれはアクションがあってこそ。怒りのポーズ、声、動作があって初めて役者は感情を表現できる。だが、今回はそれら全てが禁じられている。動きはもちろん、声を出すことすらダメ。

 

───こんな状況で、周り全部呑み込むような怒りなんて、どこから生み出せば……

 

 

アハハっ

 

 

葛藤するオレを嘲笑うかのような、無邪気な笑い声がどこからか響いてくる。思わず振り返るが、誰もいない。足早に歩くモブだけだ。

 

───今のは、いったい…

 

 

まだまだね、アクア。そんなんじゃ私の息子は名乗れないわよ。

 

 

───この声を……オレは、俺は、僕は、知っている

 

 

周り全部を呑み込むような怒りの源、そんなの、カンタンでしょ?

 

 

───この声は………この声は………!

 

 

そんなの、『愛』に決まってるじゃない

 

 

 

稀に、こういう事がある。行き詰まって、煮詰まって、雁字搦めになっていた思考回路が、ふとしたきっかけで砂糖菓子のように解けていく感覚が、頭の中で弾ける事が。

 

こうなった後は大抵、絶好調になる。自分で自分を凄いと思う時がある。キャストも、観客も、監督の顔も全部が隅々まで見える。まるで天の星から覗き込んでいるかのように。

 

怒りや焦燥で狭くなっていた視野が一気に広がる。被害に遭った女子高生がナイフ片手に迫ってくるストーカーに手を掴まれそうになるところだ。自然な動作で立ち位置を変える。

 

よくわかる。誰がどこに立っていて、どう動けば人にぶつからないか。カメラからはコチラがどのように写っているか、どこに行けば画角の中に自分が収まるか。どの位置なら自分の顔を写してくれるか。そのベストポジションが、見える。

 

カチンコの音が鳴る。ヒロインの女の子がストーカーに手を掴まれ、脅される。ここでもう少し問答があった後に主人公の少年が助けに割って入る。それまでは現代の、厄介ごとに関わらないようにする事なかれ主義を批判するような撮り方がされる。

 

この間に、憑依りこむ。

 

ストーカーに殺された実母。涙にくれた妹。親代わりを名乗り出てくれた里親。その人たちへの愛。その愛を

 

 

【怒りに変える】

 

 

逆らうヒロインに苛立ったストーカーがナイフを取り出す。ヘタにストーカーに手を出せばそのナイフはオレに突き刺さるかもしれない。それだけでなく、その男の逆恨みは家族にも及ぶかもしれない。

 

───そんな言い訳をして彼女を助けない自分への、殺意に。

 

 

 

 

 

 

 

 

最初に気がついたのは、左右の隣にいた女子だった。理由もなく背筋に寒気が走り、肌が泡立つ。人体には稀にこういう時がある。自分には何も起こってないのに、ゾクッとすることが。

高所から飛び降りる映像を見ると足元がおぼつかなくなる錯覚に襲われるように。隣で大泣きしている人がいたら、なぜか自分も泣きそうになってしまうように。

共感覚と呼ばれる現象。誰もがこの現象を体験したことは一度はあるだろう。欠伸がうつるなどが代表例に挙げられる。役者は特にこの感覚に優れている。

 

モブとはいえ役者は役者。殺意を伴う本物の怒りは一般人よりは伝わりやすい。寒気の発生源を見ると横に立つ美少女の美貌が歪んでいた。怒り、悲しみ、躊躇、決意、それら全てがないまぜになっている表情は恐ろしくも美しい。思わず目を奪われてしまう。握りしめた拳から血が滴り落ちていることに、気づく者はいなかった。

 

次に反応したのはカメラマンだ。今まさにヒロインが襲われていて、ナイフが手のひらを傷つけてしまう。緊迫感を高めなければいけないシーン。だというのに動線が背後に引かれる。唇を噛み締め、拳を握り込み、眉間に皺を寄せ、瞳が暗く輝く少女の変化を捉えてしまっていた。普通に登校していた少女が偶然目にしてしまった非日常。通常の感情から、現状を理解し、見過ごすことしかできない自分への怒りと悲しみ、そして殺意。感情の爆発が不気味な引力を作り出していた。

 

カメラマンとほぼ同時、唖然とした表情でアクアの変化を見ていたのはミヤコだった。明らかにヒロインよりも目立ってしまっている。確かに動いてはいない。言葉も発していない。台本にあることは完璧に守っている。

だが現場のタブーは何一つ守っていない。モブが主役級より目立ってしまうなど、絶対にあってはならないことだ。この一件で協調性のない役者だとレッテルを貼られれば、ヘタをすれば今後誰も使ってくれなくなる。

 

───でも、アクションどころか、声ひとつ出さずに、周囲丸ごとの目を引き寄せた。

 

アクアは元々目を引く存在だと知っていた。独特の雰囲気や何より瞳に力がある。だがこの現象はそんな常人の延長にありうる程度の話ではない。こんなことが出来る人間が他にいるかと問われれば、可能性を感じるのはアイしかいない。

 

ミヤコの脳裏にとある名言が浮かぶ。アイドル界に伝わる、一般人も一度は聞いた事があるかも知れない格言。

 

『目からビーム、手からパワー、毛穴からオーラ』

 

それは身体から出る、人の目を引く引力。目には見えない。実態もない。だが確かに存在する魔力。アイも持ち合わせていたカリスマとオーラ。それら全てがこの場にいる全員の時を奪っている。

 

「やってくれたわね」

 

ミヤコが発したその一言で、時間が動き出す。呆気に取られていた監督が現実に引き戻された。

 

「カ、カット!カット!あの子、あの黒髪制服の女の子を外してくれ!これじゃ主役にまるで目がいかない!たった一人のエキストラに、シーン丸ごと喰われちまう!」

 

監督の指示に周りがざわつく。それも当然。実際に目にしていないほとんどのエキストラには何が起こったかわからなかった。少なくともエキストラが何か問題行動をしたとは思わなかった。それなのに問答無用のNG。不審に思うのも仕方ないだろう。

だが一発NGの犯人が指定されたら流石に目立つ。周囲にいたエキストラ達がアクアから距離を取った。

 

「───えっ」

 

人がハケたその中心。立ち尽くす黒髪の少女は微動だにしていなかった。整った眉は歪んだまま。握りしめた手からは血が滴り落ち、瞳の暗い輝きは恐ろしさと美しさを兼ね備えていた。

素人目で見ても彼女が深い怒りと悲しみに囚われているのがわかる。そして目が引かれる。

 

「え、まさかあの子とヒロインの子、知り合い?」

「あのナイフ、もしかして本物?血も血糊じゃない?本当に切られた?」

「え?事故?ホント?」

 

さっきとは違う意味でざわつき始める。人がハケたからか、アクアとヒロインの前に人の壁は無くなっていた。

 

「…………えっ」

 

立ち尽くしていた少女が歩き始める。ゆっくりと近づき、襲われて尻餅をついていたヒロインの頬にそっと手を寄せ、血のついた手のひらをハンカチで包み込む。

 

「…………ごめん」

「えっ、その……えっと?」

 

赤い塊を拭い去ったその下には、当たり前だが傷跡ひとつない。

 

「あ、良かった。何もない」

「いやそりゃそうだろ」

「えっ、今の演技?」

「アクっ、マリン!」

 

後ろで見ていたマネージャーらしき女性が手をひく。これ以上この場に留まっていては本当に問題になる。女装しているとはいえ、ちゃんとした部屋とかに連れていかれ、尋問されたらバレる。

 

「帰るわよ!ホラ!ルビー!扉開けて!」

「あっ、キミ!ちょっと待って!」

「申し訳ありません監督!失礼いたします!」

 

近くに停めていたバンの中へと引き込み、一気にスタートさせる。エンジンはかけたままにしていた為、車が動き出したのは乗り込んだ時とほぼ同時だった。

 

「あの子……試したんだ。今の自分の全力が、どこまで出来るか」

 

監督が現状を全て理解し終えたのは、車が猛スピードで去った後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

認めていた。お兄ちゃんは凄いって。お兄ちゃんの才能を誰よりも認めているのは私だと思っていた。

 

───でも、甘かった

 

素人目で見てもわかる引力。いつもは眩い輝きを放つ瞳があんなに暗くなって、でも目が離せなくなる。まるでブラックホールを覗き込んでいるかのような感覚だった。動作もなく、声一つ上げられないあの状況で、周囲全部を喰い殺した。

 

───もうカメラは回っていないのに、まだ怒りと悲しみが抜けてない

 

バンに乗り込んでから、お兄ちゃんはずっと無言のままだった。助手席に座った黒髪の少女は外を眺めたまま、茫然としている。

シーンが終わっても役が抜けないというのは役者としてはあるあるの話だとは思う。でもこのレベル、この深度を維持し続けていた。

 

───お兄ちゃん、大丈夫なの?

 

この茫然ぶりはあの時を思い出させる。10年前、病院で自分を見失ってしまった、あの時を。

 

「アクア。いつまで役に入り込んでるの」

 

信号が赤になった時、ミヤコが話しかけると同時にカツラを引っ剥がす。ミラーの中にいた黒髪の少女がいつもの煌めく黄金色に変わったからか、瞳の中の暗い空洞から、いつもの光が戻った。

 

「まったく。何かやらかすとは思ってたけど、現場丸ごとぶち壊すとは思わなかったわ。多分もうあの監督、貴方使ってくれないわよ」

「…………オレってさ」

「ん?」

「同年代の男子と比べれば、そこそこいろんなもの見てきて、いろんなことを知ってきたつもりだったけど」

「そうね。良くも悪くも、あなたは子供の時間が短かったとは思うわ」

「でも、違った。知らない事ばっかりだった。オレってこんなに怒る人間だったなんて知らなかった。怒りの発生源が愛だなんて思いもしなかった」

 

愛がない怒りもあるだろう。詐欺師に騙されたとか、通り魔に襲われたとか、理不尽に怒る事もある。

でも被害に遭った家族や友人、恋人が犯人に抱く怒り。コレは間違いなく愛が発端として起こる。この怒りはもしかしたら被害者本人よりも深く、大きいかもしれない。そんなことも気づいていなかった。

 

「世の中、知らないことばっかりだ」

「怖い?」

「怖いよ。役者なんてやんなきゃ良かった」

 

その言葉にルビーとミヤコ、二人とも背筋が寒くなる。この才能が消える。それは恐らく業界の損失。持たざる者としては、なんとしても止めたい。

 

「でもやるよ。この怖さも嘘にして見せる。(ウソ)を本当に見せることがオレの仕事なんだから」

 

なんと声をかけようか、迷っていたときに、答えが返ってきた。不知の知を知る喜びと恐怖。それを実感し、受け入れた。10年間ずっと役者として修行してきた。いくつか作品にも出演した。しかし、真の意味で俳優アクアが始まったのは今日、この時なのだろう。

 

「ま、一歩目としては上出来か。エキストラだったから所属も本名も教えてないのが幸いだったわね。女装してたのがこんなところで役に立つとは思わなかったわ。でも今後はもう少し周りに合わせてやりなさいよ」

「わかってるよ。トラじゃなかったらオレだってここまで好き勝手はやってないさ」

「…………信用できないわね、このトラブルメーカー」

 

 

 

 

 

 

 

 

そう。確かに今回の件、特に問題にはならなかった。一部で噂になる程度のものだった。アクアがやったことは芸能界という巨大な大海原に小石を投げ込んだ程度のもの。波風が立ったとしても、僅かな波紋。

 

しかし、芸能界とは常に才能を探している。新たなスターを発掘する。ライバルの存在を警戒する。アンテナを張り続けるというのは芸能界において必須の業務だ。たとえ僅かな蝶の羽ばたきだったとしても、耳聡くその音を聴きとる人間は必ず存在する。

 

このネットドラマの現場、そしてあのPVの主演とヒロインが所属している事務所もその波紋が届いた場所だった。

 

「なんか俺のモデル仲間が出てたPVでさ、すげー女の子が現れたんだってさ。思わず写真撮っちゃったって」

「危うくウチの役者が彼女一人に喰われるところだったそうです。幸い、監督がすぐに外したので問題にはならなかったそうですが」

 

モデルだらけのドラマ現場では出演している役者の一人が写真を。事務所ではお蔵入りになったテープを見せている。

 

───チッ、また新しいのが出てきたのかしら

 

───エキストラが外された?一体何したのかな、その子

 

異なる場所にいる二人。ドラマに出演している主演ヒロイン、そして事務所の看板を背負うアイドルのアンテナに噂話が同時に引っかかる。女優有馬かなは写真を。アイドル不知火フリルは映像を見た。

 

「───っ!!」

「───んっ」

 

写真を見た有馬かなに戦慄が奔る。記憶の中のアイツとは違う。黒髪だし、背も伸びてる。何より女の子の格好だ。気のせいかもしれない。でも、有馬かな、芸能人としての勘がこの女子が誰かを告げた。

 

主演の子よりずっと後ろにいる。顔とかはちゃんと全部映る立ち位置にいるけど、それでも目が引かれる。主演の子達の存在が希薄になっていることに、不知火フリルは気づいた。

 

───この引力。暗く、怖い、けれど目が引かれる不気味なオーラ。なによりもこの瞳の輝き…

───強い感情の発露。自分を曝け出す、メソッド演技。一瞬で私の目を奪った。なのにこの子の、顔が視えない。

 

「へぇ、可愛いじゃん。この子、名前なんてーの?」

「…………確かに才能としては恐ろしいものを持ってる子ね。名前は?」

 

モデル仲間が、事務所社長が、この女優の名前を聞く。モデルはワンチャン狙って。社長は新しい才能を警戒するために。

 

「えっと、たしか……あ、マリンって言うらしいぜ」

「マリンと名乗っていました。エキストラだったので所属は聞かなかったそうです」

 

───マリン、マリン……あいつの名前はアクアマリン

 

有馬かなは知っていた。10年前、役者として自分を完璧に負かしたアイツの名前。10年間、ずっと頭の中にいたアイツの名前だ。忘れるはずがない。

 

───芸名かな?それとも本名?今時ならありそうな名前だけど。

 

不知火フリルは知らなかった。それも当然だ。彼女はアクアと面識は一度もなかったのだから。

 

「アクア!アクア!やっと来たわね!星野アクア!何やってたのよ、10年間!まったく、なんて格好してんのよ!落ち目の役者ってなんでもやるわよね!」

「この人、ミステリアスでいいですね。魅力的です。綺麗なのに顔が見えない。女の子か男の子なのかもわからない。完璧に自分じゃないその役を演じている」

 

知っているからこその興味、知らないからこその興味が、かつて天才と呼ばれた役者と、今天才と呼ばれるアイドルを呼び起こした。

 

「ね、鳴滝くん!コイツ今どこにいるか知ってる?コイツどこチュー!?私の一つ下だから今年から高校生よね?どこ行くとか聞いた!?」

「この人、どこの所属かわかりませんか?私、この人に会ってみたいです」

 

10年に一度の才能。それは世代を代表する人間を形容する言葉。〇〇といえばその人だと誰もが知る人間が、その呼称を許される。星野アイもかつてそう呼ばれた。世代代表、10年に一度の才能と。

 

その才能を全て受け継いだ俳優、覚醒した天才、星野アクア。

10年前、子役達の代表として名を全国に轟かせた女優、有馬かな。

現在、マルチタレントとして全国を席巻するアイドル、不知火フリル。

 

10年に一人の三人が、繋がり始めた。

 

 

 




最後まで読んで頂き、ありがとうございます。PV主演のヒロインがフリル様と同じ事務所という設定です。こちらではフリル様との絡みを増やしたいと思ってます。あかねはもう少し後で。それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。
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