神に魅入られた星をなくした子は許されるだろう
新星が集う舞台の中心に立つことを
死神の足跡が残る場所だとしても
私は今日、アビ子先生のマンションを訪れていた。噂で、彼女が雇っているアシを全員クビにしたという話を聞いたからだ。作家仲間曰く───
『何度言っても絵柄合わせてくれない』
『背景で感情表現がまるでできていない』
など、漫画家としては尤もな、けれどある程度は譲歩しなければいけない理由からだった。
───そんなことしてたら、あの子本当に死んじゃう
漫画家も芸術家。作家の自殺は少ない話ではない。売れない漫画家が絶望して首を吊るケースが多いが、売れている漫画家も例外ではない。ヒット作家でも、周囲からの期待に耐えきれず鬱になってリタイアした人は何人か見てきた。はたから見れば贅沢な悩みかもしれないが、鬱になる人の気持ちも痛いほどわかる。アビ子先生がそうならない保証はなかった。
───漫画に関しては妥協しない子だから、厳しくなるのはわかるけど……
アシスタントとはベテランを除けば基本的にまだ作家の卵。中長期的なスパンで育てなければいけない人材。妥協が必要な時期は必ずある。
人間関係の構築のために、星野アクアとの付き合いを進めたが、今のところ上手く行ってはいないらしい。
───けど、漫画のクオリティは高いままね
自身の弟子の作品だから、東京ブレイドは全巻揃えている。週刊誌の最新話も全てチェックしている。最初はセンスに頼りきった目新しさが売りの作品だったけど、連載が続くほど物語として面白くなっている。ファンの意見や期待に応えつつも、自分の描きたいモノを描くというエゴはブレていない。
───読者人気に押されて、刀鬼とつるぎのカップリングが目立ち始めた十二巻見た時は、どうかと思ったけど…
今は完全に持ち直している。一人でやっているなら凄いことだ。
考え事をしているうちに部屋の前に到着する。LINKで部屋を訪ねることを伝えると、『鍵開いてるので入ってきてください』と返信があった。
「アビ子先生、お邪魔するわよー」
部屋を開けて少し驚く。売れっ子作家が自分の生活を後回しにするなど当たり前のこと。自分の部屋も決して綺麗とは言い難い。ならアビ子先生はもっとだろう、と覚悟して部屋を訪ねたのだが、思ったよりは綺麗だった。廊下も最低限歩ける程度には床が見えるし、ゴミ袋は各所に散らばっているが、ちゃんと分別されて、適度に掃除もしていて、不衛生にならないようにはなっている。
───私が来るから掃除したのかしら
そう思いながら作業場へと向かうと机に向かっていたアビ子先生が慌てて振り返っていた。
「先生、すみません。あまり大きな声は出さないであげてください。ホントについさっき休まれたところなんです」
人差し指を一本立て、小声で話す彼女を見て、ようやく気づく。作業部屋の片隅で毛布にくるまり、息を立てている少年がいることに。薄暗い部屋の中でも、その艶やかな蜂蜜色の髪は目に眩しく、一層眩い星の輝きを放つ瞳は今は閉じられている。眠っている姿はいつもよりかなりあどけなく、年相応の少年の可愛らしさと美しさを兼ね備えていた。
少年の名前は星野アクアと言った。
「彼、来てたのね」
「ホントにヤバい時とかにアシスタントやってもらってます。今回来てたのは別件が主な理由だったんですけど、私の惨状見て手を貸してくれて…」
「───これ、彼が?」
原稿の一つを手に取る。目を通すとほぼ同時にゾッとした。
───なんて書き込み量
週間で、しかも1人のアシと作家でやる密度ではない。しかしアクアは彼女の要求に完璧に応えている。背景、トーン、ベタ、全て文句のつけようがない。アビ子先生の作品を理解しているからこその仕事だと作家の目で見れば一目瞭然だった。
「アクアさん絵も上手なんですよ。連載前から色々相談してたのもあって私の漫画のことめちゃくちゃわかってくれてますし。その辺のアシより五十倍優秀です」
「……一人で描いてるらしいわね」
「アクアさんの五十倍使えないんで」
「いつから1人でやってるの?」
「先月……いや、アクアさんが来る前から数えれば二ヶ月前からですね」
「寝てるの?」
「一日三時間は睡眠時間とってるのでまあなんとか。昨日はデッドギリギリだったので寝てませんけど。アクアさんも休まれたのは原稿終わったの確認してからでしたね」
「…………でも貴方は今も寝てないのね」
「来週はカラーもありますし、単行本作業も控えてますしね」
「舞台の脚本は?」
「そちらはもうほとんど終わってます」
「そうなの?意外ね」
「アクアさんの要件はそっちがメインだったんですよ」
チラリとパソコンが備え付けてある一角に視線を送る。すると少し前までなかったカメラやスカイプのマイク。クラウドのテキストデータなどが残っていた。
「脚本家さんと私の間を取り持つために色々設置していただきまして。ホントに助かりました。私液タブ以外の機械の取り扱い、疎いですから。知ってますか先生。最近の劇って幕はモニターなんですよ。ステージアラウンドって言って、客席が回転したりもするんです。劇って学校の演劇の延長ぐらいしか思ってなくて、もし私が脚本全部書いてたら大失敗してたと思います」
「…………貴方が歩み寄ったの?人に?」
少し信じられない。私も人のことは言えないが、彼女はそういうのに関してめちゃくちゃ欠けてる。自分から能動的に起こした行動とは思えなかった。
「そうしないと死ぬって言われたんで」
眠っているアクアへと目を向ける。その目の中には私でもわかるほどのわかりやすいハートマークを輝かせていた。
「私に死んでほしくないって、言ってくれたんで」
「…………そうなの」
「普段の凛としてるアクアさんもかっこいいですけど寝顔はまだあどけない16歳って感じですね。めちゃくちゃ可愛くないですか?この世に天使がいるなら多分こんな顔ですよ」
───思ったよりよくない状況かもしれない
ツラツラとのろけを口にするアビ子先生の姿を見て、少し危機感が生じる。
アクアさんが手を貸してくれているお陰でキツいスケジュールでありながらもなんとか進行出来てる状態になってしまっている。対人コミュニケーションも彼女なりに努力してるようだが、全てアクアありきになってしまっている。
───もちろんアクアさんが悪いわけじゃない
先生のコミュニケーション能力を高めてくれと頼んだのは自分だし、そのために手を尽くしてくれているのもわかる。けれどアビ子先生にとって、異性の理解者というのはおそらく人生初だろう。同性を含めれば私がいるが、同性では出来ないこともあるし、同性には抱かない感情もある。
元々初対面の人間には臆病だが、一度気を許せば依存してしまうタイプだ。このままではアビ子先生はアクアから離れることができなくなるかもしれない。
「アビ子先生、アクアさんに彼女がいることは──」
「知ってますよ、もちろん」
食い気味に、しかし意外と冷静な口調で答えが返ってきた。表情も穏やかで、依存しているようには見えない。
「恋愛の勉強して、芸の肥やしにするための交際だって言ってました。俳優星野アクアに必要な事なんだって。なら私はいくらでも待ちますよ」
「…………アクアさんが言ったの?待っててくれって」
「いいえ、一言も」
「だったら──」
「いいんです」
私の言葉を遮る。真っ直ぐに彼を見つめる瞳には希望と現実と覚悟がこもっていた。
「アクアさんが誰と付き合っても、誰のことを好きであっても関係ありません。私はアクアさんが好きです。いつか振り向いてくれるまで、たとえ振り向いてくれなくても、想い続けます。いつかこの気持ちが叶うか、風化してしまうまで」
───驚いた
星野アクアに対して、ここまで成熟した気持ちを持っているとは夢にも思っていなかった。事恋愛に関しては自分より達観しているのかもしれない。本気の思いとは人をここまで成長させるかと感心すると同時に不安になる。こんなアンバランスな成長をしていると、いつか根っこから崩れ落ちてしまうような気がした。
───まったく、罪作りな男の子ね、アクアさん
天使の寝顔を見下ろしながら心中で嘆息する。本人は特別なことはしていないつもりだろう。相手のため、何よりも自分の目的のため、行動しているに過ぎない。私自身アクアさんに悪感情はない。むしろ好意さえ持っている。あのドラマを救ってくれたこの人に恩義を感じずにはいられなかった。
彼が無自覚に振り撒く魔性の鱗粉は周囲を虜にしてしまう。どんな人でも好きになってしまう人間。創作の中では見かけるが、現実で目の当たりにする日が来るとは思わなかった。
「───吉祥寺先生?」
2人の視線が集中したからか、それとも別の理由か。星の輝きの瞳が開かれる。眠る前まではいなかった人物を認めたアクアは目を擦り、一度咳払いすると立ち上がって会釈した。
「ごめんなさい。起こしちゃいましたか」
「職業柄、視線には敏感でして。いらしているとは驚きました。何か飲み物でもお持ちしましょうか?」
「いえそんな。今日はアビ子先生の様子を見に来ただけですから」
「…………あれ?先生まだ作業されてたんですか。原稿は上がったって」
「あはは……まだ単行本作業とか巻頭カラーとか残ってまして」
「言ってくださいよ。手伝ってから寝ましたのに」
「いやいやそんな!ただでさえアシスタント以外にも掃除とか色々やってもらったのに!」
「あんな不衛生な部屋で仕事なんてできませんよ。半分オレのためでしたのでそっちは気にしないで結構です。あとどれくらい残ってるんですか?」
「あ、なら私も手伝うわ」
「いやホントいいですって。2人とも座っててください」
「言ってる場合じゃないでしょ」
「オレらに遠慮するくらいならちゃんとしたアシ雇ってください」
ぐうの音の出ない正論をかまされ、黙り込む。しばらく3人とも筆を動かす音しか室内に響かなかった。
「終わったー」
夜が明け、鳥の鳴き声が響く頃、原稿及びその他諸々を受け取りに来た担当に全てが詰まった封筒を渡す。2人のプロ作家が床に倒れる中、少し眠った俳優は朝日を浴びて大きく伸びをしていた。
「毎度疑問なんですが……今週こそヤバい、ってほぼ毎週思いながら、なんだかんだ間に合ってしまうのはどうしてなんでしょうね」
「わかりみしかない」
「お二人ともプロだということですよ。持つべき責任とプライドをお持ちなんです」
「吉祥寺先生のところも酷かったですもんね。朝9時始まりの深夜4時終わりとかザラで……」
「うわ」
「アクアさん、うわとか言わないでください。今日あまの時は本当にごめんなさい。今は割とホワイトよ……私のかつての職場環境をブラックだと思うなら貴女も少しは私を反面教師にしたらどう?」
とりあえず仕事の山場が終わったため、ようやく今日吉祥寺先生がここに訪れた本題へと移る。作家同士のプライベートな話のため、聞かない方がいいかと逡巡していると吉祥寺先生の方からアクアへと話が振られた。
「アクアさんはアシの仕事経験あるんですか?」
「いえ全然。絵の描き方は中学の頃美術部の先輩に習いましたが、漫画家の職場には鮫島先生の所が初めてです」
「この仕事体制、アクアさんはどう思います?」
「多少クオリティに妥協してでも人間として文化的な最低限度の生活を送った方が良いかと」
「その通りね。先生、聞いてる?」
床に布団を敷いているアビ子先生へと声をかける。少し渋い口調で返事を返した。
「私だって編集に言ってるんですけど、アクアさんレベルのアシ送ってくれないんで……きっと大御所に回してるんですよ」
「アクアさんレベルを全員に求めるのは要求高過ぎよ。少なくともコレは間違ってるわ」
正論だ。徹頭徹尾非の打ち所がない。だからこそ人は抗いたくなる。
「私やアクアさんがいなくなったらどうするの。私だって自分の連載あるし、アクアさんだってコレから舞台に専念しなくちゃいけない。作品のクオリティを人質に、真っ当なコミュニケーションから逃げるのには限界あるわよ」
「…………先生、言い過ぎでは」
「言わないとわからない子なんですよ。アクアさんが甘やかしすぎです」
ピクリとアクアの整った眉が動く。才能に甘いのはアクアの欠点であり、本人もそれを自覚している。何も言い返せなかった。
「…………どうやったら人と上手く出来ますか?」
「歩み寄りなさい。メディアミックスは他人との共同制作。自分1人でできないことの集合体だってことはもうわかってるでしょ。長期連載も同じことよ。ある程度は任せないと」
「…………でも、任せた結果があの惨劇じゃないですか」
あの惨劇が何を意味するか、アクアと吉祥寺には一瞬で理解する。2人ともあの地獄のネットドラマが甦った。
「…………そりゃ私だってまだまだ上手くできないことの方が多いわよ。業界じゃまだまだ小娘扱いされるし、根は陰キャだからコミュ力高くはないし。でもみんなそれぞれで一生懸命やってるのは知ってる。割り切るところは割り切らなきゃ」
「………私は『今日あま』のドラマイヤでしたよ」
寝ぼけ眼の奥から一筋零れ落ちる。朝日に照らされたその雫はとても美しく見えた。
「先生の作品は……もっと、すごいのに……」
吉祥寺の脳裏にかつての彼女の姿が過ぎる。初めて職場にアシとして入って挨拶した時、今日あまの単行本を抱えてきた時のことを。
「『今日あま』世界一面白いです!先生みたいな漫画家になるのが夢です!」
似たような事を言ってくる人は何人もいたけど、お世辞か、おべんちゃらが殆どだった。同業者で心からこの言葉をくれたのはこの子だけだった。
「好きな作品が汚されるのがイヤなこと……私が誰よりもよく……知ってる、つもりで……」
疲労からか、それとも泣き疲れたのか、夢現に言葉を口にしながら眠りへと落ちる。弟子のあどけない様子を師は慈愛の目で見つめ、頭を撫でた。
「尊敬されてるんですね、先生は」
「不器用な子でしょう。思った事を口に出しちゃうんです。根は悪い子じゃないんですけど」
「そういう子ほどほっとけないというか、見捨てる気が起きないですよね。オレにもそういうバカがいますよ」
「女の子ですか?」
「もちろん。男なら甘ったれんなでおしまいです」
女の影を隠そうともしない。こういう人種との付き合いは吉祥寺も少ないので彼の態度が誠実なのか不誠実なのかよくわからなかった。
だが、だからこそ聞いておかなければいけないことがある。
「アクアさんは今回どうしてこの子を手伝いに来たんですか?」
「東ブレの舞台脚本が出来上がったと聞きましてね。いずれ渡されるものですが、先に見れるものなら見せていただこうと。そしたらあの惨状でしたので。流石にアレを放置できるほど冷酷じゃありませんよ」
部屋の片隅に置いてあった冊子を手に取る。何も表記はされてないが、おそらくはアレが台本なのだろう。
「そういうの、役者さんに渡される前に見ちゃっていいものなんですか?」
「ダメです。アシ代がわりの報酬ですから先生も、この件はどうかご内密に」
人差し指を口の前に立て、ウィンクする姿がこれ以上ないほど様になっている。こういう動作をさせればアクアさんより似合う人は日本でも数少ないだろう。
「黙ってる代わりに一つ教えてもらえますか?」
「内容次第ですが、どうぞ」
「アクアさんはアビ子先生の事をどう思ってるんですか?」
緊張感を持って尋ねる。答えによっては、私が紹介しておいてなんだが、この子との縁を切らせてもらうつもりだった。
「才能ある尊敬すべき先達と思っていますよ。好意もあります。ですが恋愛関係になるつもりはありません」
「そのこと、アビ子先生には言ってるんですか?」
「もちろん。私に恋愛感情抱くアクアさんなんて解釈違いだってフラれてます」
屈託なく笑って答える。役者の嘘を見抜けるほど人間観察力に自信があるわけではないが、私なら後で本人に裏を取るくらいのことはこの聡明な少年なら気づいているだろう。バレるような嘘をつくとは思えない。とりあえずは納得した。
「では先生。本日はお疲れ様でした。あとはよろしくお願いします」
冊子片手に部屋から出ていく。玄関を開ける頃にはメガネと帽子とマスクで色んな意味で何もかもキラキラした顔面を覆い隠していた。
「…………あの人を好きになる人は、大変ね」
捉えどころがなく、話す言葉一つ一つに誠意があるのに今一つ真意を掴めない。光は目に届くのに手は決して届かない星の光のようなあの男の子を、吉祥寺も嫌いにはなれなかった。
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昼休み、高校生達が友人や部活仲間、恋人と昼食を共にする時間。学生の休み時間で最も楽しい時と言っていいだろう。そんな時間を屋上で過ごすという生徒は少なからずいた。しかし今年度が始まり約半年。今では二名の生徒を除いて誰も訪れなくなっている。なぜならこの場所が2人の若手トップ芸能人のテリトリーであることは既に有名だったからだ。
「またボッチ飯?」
校舎裏を覗き込むのは背中まで伸ばした滑らかな黒髪を秋風に靡かせ、髪をかきあげた指の奥の泣きぼくろが艶っぽい美少女。名前は不知火フリル。屋上の主の1人にして、世代No. 1タレント。
もう1人は星野アクア。次の舞台東京ブレイドでは主演を務める1人だ。
「最近また周りがうるせーからな。こういうところじゃねーと落ち着いてメシも食えない」
そう、数日前、テレビや雑誌で東ブレの舞台について大々的に発表があった。それもそのはず。東京ブレイドといえば、今日本の漫画界で最も上り調子と言っていい漫画。その舞台化というだけで話題性は充分なのに主演はあの不知火フリル。さらにダブルキャストのおまけ付き。入学して半年近くが経ち、アクアに慣れてきた一般科の生徒が色々聴きたくなるのは当然だった。
「大変だねー、一般科」
「お前も似たようなもんじゃねーのか」
「私はちゃんと仕事絡み以外の友達学校にいるから。親友はアクアだけだけどね」
手に下げた袋を開く。出したのは一瞬で食べ終わるようなエナジーバーだった。
「それだけで足りるのか。スタイルに気を使ってるのはわかるが、食べないと芸能活動できねーぞ」
「そう思うならアクアがお弁当作ってよ」
「…もしかして体調悪いのか?」
単純に時間が足りない以外の理由があるように感じた。ファンデーションの色がいつものより濃いヤツを使っている。本当は体調悪いのではないか、と察するには充分だった。
「………舞台の稽古時間作るためにスケジュール詰め込みすぎちゃってねー。体内時計狂ってて調子悪くて。食欲あまりないの。生理周期不安定くらいはいつものことなんだけど」
「2人だからってそういうこと大っぴらに言うな。こんなとこ来てないで休んでろ」
「うん、でも今日はちょっと話したかったから」
手に持っていた冊子を広げる。つい先日、自分も貰いに行った。舞台東京ブレイドの脚本だった。
「台本きた?」
「ああ、もちろん。一通り目は通したが……なんというか……」
「トガッた脚本だったよね。説明セリフはゴリゴリに削られ、「動き」だけでどうにかしなきゃいけないシーン目白押し。役者の演技に全投げの、いわゆるキラーパス台本」
原作者や脚本家、クリエイターが団結して作られた台本だとこういうことが起こりがちになる。ストーリーとしては文句ない。キャラも立ってるし、話としては面白い。その代わり失敗したら全部役者のせいにされる無茶振り台本。
───正直、アビ子先生が脚本家と本気でコミュニケーション取るなら、こういうこともあり得るとは思っていたが……
演じるのは相当難しいだろう。しかもオレとフリルはダブルキャスト。難易度は単純に通常のキャストの倍では済まない。
「私は嫌いじゃないんだけど、これだけ身体張る台本だと、あの記事の通りの事になりかねない」
そう、この台本が降りてくる前、少し騒動があった。記者挨拶をほっぽり出してオレとフリルに会いに来た姫川大輝。記者連中が追っかけていないはずはなく、オレとフリル、あかねと姫川、4人が揃い踏みしているところを撮られていた。
【演劇『東京ブレイド』主演でダブルキャストを務める4名が邂逅!若手トップを決める戦いが舞台の上で勃発か!?】
こんな記事が出回り、すでに舞台東京ブレイドはかなり世間の注目を集めている。あの後フリルに電話がかかってきたのはこの記事についてのことだったらしい。
成功すれば一気にオレとあかねの知名度は上がるだろう。だが失敗すれば一気に手のひら返し。地の底以下にまで堕ちる。そんな地盤でこのキラーパス台本。しかもオレの仕事は咬ませ犬。状況はかなり厳しい。
「いよいよ来週だね、顔合わせ」
「ああ、わかってる」
「勝てそう?私に」
「わからない」
姫川に、と聞かない辺り性格が出ている。自分に勝てるなら姫川にも勝てるだろうと、過信でない自信から出る言葉だった。
「でも勝つよオレは。前半影打編だけで、東京ブレイドの主演はオレだと思わせてみせる」
それが今回のオレの仕事だ。
不安も、恐怖もある。だからこそ胸を張り、星の瞳を輝かせる。その輝きを見たフリルは満足そうに笑った。
「何か掴んだっぽいね。あの後あかねと何かあった?」
「あかね個人とは別に。養護施設でごっこ遊びして感情演技のレッスンしただけだよ」
「なるほど、子供って感情丸出しだもんね。感情表現に関しては、私なんかより良い見本かもしれない」
エナジーバーを齧る。味気ない食べ物のはずなのに、コイツが食べるとやたら美味そうに見えるから不思議だ。
「期待してるからね。私以外に殺されないで」
「お前こそ、あかねに喰われるなよ」
コツンと軽く拳をぶつける。それからは無言でお互い昼食を済ませる。その後しばらく無言だった。隣に座り、壁にもたれかかり、秋の風に身を任せていた。冬が迫り始めている風は少し寒く、2人の距離は無意識に縮まり、いつの間にか指が触れ、絡み合い、優しく、けれど強固に握りしめられていた。
「…………アクアの手は温かいね」
「お前が冷たいんだ」
「私実は末端冷え性なの」
「偏頭痛持ちだったり、意外と弱点多いよな」
「人目につかない所はね」
みじろぎ、肩に頭を預けられる。手を離す気にはならなかった。
「……あったかい」
「……心が冷たいからな」
黒髪の少女がクスッと吹き出す。こんなフリルの笑顔をアクアは初めて見たかもしれない。
「貴方って意外と変な迷信信じてるのね」
「そうか?ジンクスとかけっこう気にするタイプだぜ?」
「心の冷たい人はこんな冷たい手を暖めてはくれないよ」
「…………」
なにも言い返すことができなかった。泣きぼくろの少女はしてやったりと言わんばかり笑い、一層体重を預けてくる。少し前のオレなら肩を抱くくらいはしたかもしれない。
───けど、今のオレはあかねの彼氏だから…
だから今はこの冷たい温もりに身を任せるのが精一杯だった。
お互い身体を預けあったまま時間が過ぎていく。するとフリルは多忙から。アクアは先日のアシの疲れからいつのまにか眠ってしまい、午後の授業は2人ともまるまるサボった。
▼
「ララライって硬派なイメージだったけど、よくもまあ2.5受けたわよね」
やる事やっていれば一週間なんてあっという間に立つ。顔合わせ当日を迎え、同じ苺プロに所属するタレントである有馬かなと星野アクアは一緒にスタジオへと向かっていた。
「緊張してる?」
「はっ、誰が。芸歴何年だと思ってんの。アンタこそブルってんじゃないの?なんたって初主演だものね」
「そうだな。この結果次第でオレの芸能人生めちゃくちゃ変わるだろう。外様のオレはアウェイだし。緊張がないと言えば嘘になる」
えっ、と軽く声が上がる。この男が弱音を口にするところを有馬は初めて見た。驚くのも無理はないのかもしれない。
「その、気にする事ないわよ、ララライ主体って言っても半分は外部のキャストなんだし!前半はあんたブレイドで私もフォローできるから!少しずつ慣らしていけば……」
「でも楽しむよ。この緊張も、恐怖も、足が震える感覚も、全部楽しんでみせる。噛ませとはいえ、10年以上かけてようやく掴んだ主演だ。ワクワクがギリ勝ってる。心配すんな」
星の瞳が一層眩く輝いている。口にした言葉に嘘も虚勢もないと、有馬だけはよくわかった。
「失礼します」
スタジオの扉を開く。すでにほとんどのキャストは集まっていた。そして流石は東京ブレイド。若手実力派No. 1姫川大輝。世代最高の天才不知火フリルをはじめ、有馬かなの目から見ても錚々たるメンツが揃っている。
ただ1人を除いて。
「影打編でブレイド役を、真打編で刀鬼役を務めさせていただきます。苺プロ所属、星野アクアです。よろしくお願いします」
「同じく苺プロ所属。つるぎ役を務めさせていただきます。有馬かなです。よろしくお願いします」
運命の歯車と自らの力、そしてこの世ならざる何かによって導かれた新星達。
世代No. 1を決める舞台に、役者が揃った。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。間に合った。今週は無理だと思ってたのに間に合った。皆様の感想や評価コメントのおかげです。全部目を通させていただいております。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。