それは無意識の海へと沈み込む行為
貴方のなくした星が眠る場所
そのカケラはきっと愛の中に
ソレを初めて見た時、正直俺はホッとした。
音響を交えた稽古が始まってからアクアは注意されることが多くなった。今までカメラ演技ばかりやってきたアイツは演劇の環境に慣れてないらしく、その違いに戸惑っていた。
「星野、止めろ」
ついに止められて、俺のように少し見学してろとまで言われていた。正直ホッとした。アイツでも止められたり見学したりとかするんだって。止められるのが俺だけじゃなくて安心した。
けど、違った。
アイツは実力が足りなくて見学させられてたんじゃない。ただチューニングが合ってなかっただけなんだ。演劇向けに微調整させる為に見学に回されたと、今日アクアの稽古を見て思い知らされた。
『兄さん!なんで!?オレは、貴方を信じていたのに!!』
前半最後の山場。ブレイドの戦闘シーン。盟刀の扱いもある程度学び、盟刀特有の技などが繰り出される場面。風が舞い上がり、雷鳴が轟く。
その全てをまるで星野アクアが支配しているかのような、鳴嶋メルトはそんな感覚に襲われていた。
「…………やればできるじゃないか」
監督は一言、アクアを褒めた。
「ありがとうございます」
「今の感覚のまま、次。刀を折られるシーンから」
───前までと何かが違う。けれど俺にはそれくらいしかわからない
「やばいね、星野アクア」
隣から声が上がる。外れていた不知火フリルだ。軽い口調だったが、どこか固い印象がある。声のせいだろうか?それともいつも笑みを浮かべている不知火フリルが、笑ってないからだろうか。
「アクアは没入型の役者。今まで自分の内面に深く潜り込み、感情を掴み、水面から浮かび上がってた。でも今回の東京ブレイドはファンタジー。いくら内面に潜っても空想を掴むことはできない。アクアが今回役作りで悩むのは必然だと私も思ってた」
「…………じゃあなんで今は出来てんだよ」
「潜り込む先が変わったの」
俺の質問に答えたのは不知火ではなく黒川だった。
「内面に潜るんじゃなくて、創り出したイメージに飛び込むようになった。雨に打たれ、雷を目にして、イメージ力を底上げして、頭の中で創り出した想像に潜り込むようになった。没入の先が変わっただけ。特に特別新しい何かを備えたわけじゃない」
「…………映像、見せてもらったわ。撮ってきてくれてありがとう」
「いえいえ。今ガチじゃフリルちゃんにもトンデモお世話になったからね。たった一つのこと以外ならなんでも融通効かせるよ」
「ん?なんでも?ならアクアの彼女譲って♡」
「ごめんなさい。たった一つはそれ」
「いったい何があったのよ、アイツ。この短期間であんなに……」
「アクアくんが今やってることは芝居というより、思い込みに近いと思う」
子供の頃は誰もが自分がヒーローになれると信じ込んでいる。演技として拙いごっこ遊びでも、その瞬間は自分がヒーローだと思い込んでいる。サンタクロースはいると信じているし、オバケだっていると思っている。
「知ってる?赤ん坊ってね、熱してもない火箸を肌に押し付けられて、信頼しているお母さんが『熱いっ!』て叫んだら泣き出して、本当に火傷の跡が肌に残るの」
思い込みの威力。強く思い込むことは現実になり得る。思い込みには人を殺せる威力があるのだ。
もちろん普通そんなことは起こらない。大人になっていくうちに、常識とかを備えていけば、思い込む力より常識の力の方が遥かに強くなる。熱していない火箸を押し付けられても何も感じなくなる。しかしまだ何も備えていないまっさらな状態なら話は変わってくる。
「アクアくんが今やってる事は、それに近い。イタコさんとかが神を憑依させたと思い込むと、本当に痙攣するみたいに。思い込みの極地」
「スピリチュアルね。まるで新興宗教の勧誘だわ」
「いいセンだね。さすが元天才子役有馬かな」
有馬と俺に疑問符が浮かぶ。何を褒める要素があったのかわからなかった。続いた。
「芝居の起源は神楽。古事記にある神々の物語を舞で表現してみせたことから始まるという一説がある」
「その舞は人智を超えた存在を他者に知らしめるもの。普通の表現力じゃ不可能。目に見えないモノを本気で他人に信じ込ませる説得力が必要。役者と詐欺師は紙一重。ある意味芝居は宗教の勧誘と言っても言い過ぎじゃない」
ごくりと唾を飲む。アクアが今やっている事。俺には凄いぐらいしかわからなかった。しかし、それ以外がわかる奴が俺にわかるように言語化してくれた。だからこそさらに恐怖が湧き上がる。目に見えない、感じることもできないスピリチュアルを他者に感じさせる星野アクア。その魔性のオーラに。
「今年の初め。あのPVを見た時から、私はずっとアクアを見てきた」
───PV?
なんのことだろう。アクアは何かPVに出演してたのだろうか?俺にはわからなかったが、有馬は心当たりがあるらしい。一度頷き、独白するフリルを見つめていた。
「初めての出会いはモニター越し。自分を曝け出すメソッド演技をしていながら、仮面で顔が見えなかった。巨大な何かを隠している人だった。とても興味を持った。初めて人に会いたいって思った。焦がれるって感情を知った」
それからずっと彼を見てきた。彼と一緒に仕事をして、私の仕事を見せて、私のプライベートを見せた。仕事からセックスまで、ありとあらゆる全てに付き合ってもらった。
「自惚れでなく断言できる。星野アクアは私が育てた。間違ってなかったと思ってる。後悔もしてない……だけど、私。今初めて、彼が怖い」
黒の瞳はまっすぐに星野アクアを見つめている。しかし天使の相貌には強張りが浮かび、白磁の肌には冷たい汗が流れている。今ハッキリと不知火フリルは星野アクアに恐怖している。
「私以外に殺されないでね」
独白は終わっていなかった。青ざめた表情のまま、フリルは言葉を紡いでいく。
「この芝居が始まって……ううん。そのずっと前から、何度も何度もアクアに言ってきた。貴方を活かすのも殺すのも私がいいって」
「物騒ね。言わんとするところはわからなくもないけど」
「なんて傲慢だったんだろう」
不知火フリルが傲慢。そんなことが言える人間はこの世界にいないだろう。それを言うには彼女は芸能界という修羅の世界であまりにも高い位置にいた。
「私はアクアのことを見下した事なんてないつもりだった。寧ろ対等に接してきて、誰よりも彼の才能を認めているのは私だと思ってた」
「…………アクアの才能に誰よりも早く触れたのは私よ」
「彼が殻を破る瞬間を見続けてきたのは私だね」
才能を認めている。誰が一番かは譲れないが、それだけはこの場にいる全員が共通している事だった。
「…………でも、本当に認めてたら。本当に対等だと思ってたら。アクアの今の姿を見て、私がこんなに動揺するなんてあり得なかった」
今までアクアの成長に、フリルは歓喜していた。こちらがフる無理難題をこなすたびに成長していくアクアが嬉しかった。私の目に狂いはなかったと安堵していた。
だが今は、今までとハッキリ違う。歓喜の他の感情が渦巻いている。渦巻いて、動揺している。
「ナメてたんだなぁ、私。星野アクアを」
天才と充分に認識していた。天才と見込んだから育ててきた。出会ってから約半年。たった半年でアクアは不知火フリルを追い抜こうとしている。想定外だった。認める。ナメてた。対等だと思っていること自体が、上から目線だった。対等扱いしてやってると言い換えても反論できなかった。
「殺人許可証を持っているのは、私だけじゃなかった」
滑らかな指で自らの細い首筋を撫でる。今彼女は自身に突きつけられたナイフの鋒を感じている。今ガチから今日に至るまで、ずっとアクアが感じていたこと。今日この時、立場は逆転し、ナイフは取られた。一方的に突きつけていた刃は、お互いに突きつけられる事になった。
「やばいね、星野アクア」
同じ立場になって思い知る。首元に刃を押し付けられる怖さ。一歩踏み間違えれば終わってしまう緊張感。今ガチの時からアクアはずっとこの恐怖に晒され続けてきた。晒されたまま、MCを務め、私の無茶振りにも対応した。自身の炎上を解決し、あかねの命を救った。まるで蜘蛛の糸を切れないように手繰り寄せるかのような、危うい道程。それでも彼は歩き切った。歩き切り、今まさに私を追い抜こうとしている。本当に凄いと思う。私が育てたというのを差し引いても。
───この間、白河さんが私のことを恋に狂った乙女って呼んだのは注意喚起のための大袈裟な表現だったんだろうけど…
今はもうその言葉が言い過ぎとは思わない。少なくとも今この瞬間、私が他の男性を好きになることはないだろう。そう断言できるほど、私の目には彼しか写っていない。
───だからこそ…
「負けたくない」
熱が籠る。いつも綺麗で、クールで、飄々としていた不知火フリルに。恐らく人生で初めて、火がついた。心にではない。ケツにだ。人生で初めて追い詰められた。
「負けられない」
自分に特別な才能がない事なんてわかってる。私なんて典型的努力型。秀才の域を出ない、凡人の延長。人より少し器用なだけ。その器用さでメッキを貼り、剥がれそうになったらまた新しいトレンドを取り入れ、舗装し続けてきた。
最も天使に近いとか、人々の理想の具現化とか持ち上げられて、実力以上の場所まで祭り上げられてしまった。ただそれだけだとわかってる。けれど…
「勝ちたい」
彼と対等であり続ける為に。肩を並べ続ける為に。彼を活かす為に。彼を殺す為に。負けたくない。負けられない。勝ちたい。この舞台だけは、絶対に。
「良かった」
驚き、振り返る。いつのまにか姫川大輝も来ていた。彼もフリルの独白を聞いていた。
「正直、不知火のシースはつまらないと思ってた。上手いは上手いし、綺麗は綺麗。だがそれだけだ。星野アクアはもうただ上手いだけで勝てる相手じゃなくなった。綺麗さと醜さを両立させなきゃいけなくなった」
「姫川、さん」
「シースも鞘姫も本当なら戦いなんて好まない。だけど仕える主人の為に、愛する婚約者の為に、剣を取ることを選んだ女達だ。彼女達の行動の根源には愛が存在する」
「行動の、根源…」
「不知火。その感情を忘れるな。もっと星野アクアを憎め、妬め、愛せ。美しく、醜く、みっともなく、星野アクアに恋焦がれろ」
そうでなければ、今のアクアには勝てない。
「お前の10年間、この舞台だけは捨てろ。天使じゃ神には勝てない」
そう言い放ち、稽古場へと戻った。ここからは後半。主演組が交代する。姫川はブレイドに。フリルはシースに。あかねは鞘姫に。そしてアクアは刀鬼になる。
「天使じゃ神には勝てない、か」
文面にすれば当たり前の事象に見える。しかし意味するところは重大だ。あの若手No. 1実力派俳優、姫川大輝が認めたのだ。今のアクアは神の領域だと。
「フリルちゃん。もっと綺麗になるだろうな」
恋に狂った不知火フリルが。今まで世界全てを愛してきた天使が、その莫大な愛をたった1人に捧げる。どんな変化が起こるか、あかねにも想像がつかなかった。
「負けられない」
ここからはあかねも鞘姫だ。今まで健気に、献身的に主人を支えていた立場から、今度は組織のNo. 1になる。まるで逆の立ち位置。なかなかに演じ分けは難しそうだ。
「そうよね。ここからはアクアは敵に回るんだから。アクアの時とは違う受けを考えないと」
ピシャンと頬を軽く叩く。現場を見据える有馬かなに絶望はなかった。寧ろ逆。ワクワクして、あの世界に入りたくてたまらないという顔をしていた。
───みんな、すげぇ
神と戦う。神と共闘する。その認識で稽古に挑んでいる。その認識で誰もが負けないと。自分が勝つと信じている。
───もう嫌だ。この世界……
俺だってあれから九ヶ月、自分なりに頑張ってきた。でもいくら頑張っても、こいつらみたいな連中は少しのきっかけやひらめきで俺の九ヶ月なんて秒で追い抜いていく。
───俺は……俺だって……お前らみたいに…
「鳴嶋、お前はまだ外れてろ」
力が入りかけた足は監督の一言で崩れ落ちる。屈辱感はなかった。寧ろホッとしてしまった。それがまたたまらなく情けなかった。
▼
「───ふぅっ」
第二幕の稽古が始まってしばらく。休憩時間にララライが練習で使ってる部屋とは違うスタジオに座り込む。肌を伝う汗はラフなTシャツにへばりつき、若干気持ち悪かった。
───空想への没入……だいぶできるようになってはきたが…
経験に潜って感情を引き出す時と比べ、段違いに集中力と体力を消耗する。それも当然と言えば当然。今までは掘り下げたら見つかるところのものを使って演技してきた。しかしファンタジーは全く何もないところから創り出し、掴み、持ち上げ、表現しなくてはいけない。一を十や百にするのはそこまで難しくないが、ゼロから一を創ることがこれほど難しいとは正直思わなかった。
───コレを本番はぶっ通しでやんなきゃいけねーのか…
稽古で経験を作れるから、多分創造という点ではマシなんだろうが、本番の緊張は稽古の数倍体力と集中力を持っていかれる。あのテンションを演劇中まるまる保ち続けなければいけないとか、考えただけで若干吐きそうだ。
───あ……
他にも休憩中の人達がいる中で少し目につく。流石はスタジオ。恐らく楽器の調律用だろう。ピアノが備え付けてあった。
丁度いい。ちょっと気分転換させてもらおう。
鍵盤を開き、ペダルの状態を確かめ、座椅子の高さを調整する。フッと軽く指に息を吹きかけた。
さて、何を弾くか……やっぱ『紅蓮の華』か?でも前養護施設で弾いたしありきたりで少しつまらない。
基本つまらないと感じたことはやらない。それがオレのスタンスだ。一緒に休憩室にいる人達が興味深げにオレを見てるから、彼らが知ってる曲を弾いた方がエンターテイメント的にはいいのだろうが、主目的は息抜き。仕事ではない。ならオレが弾きたい曲を弾かせてもらおう。
───そうだな……久々に。
指を動かす。素早い運指がキラキラとした音を紡ぐ。穏やかでいながら華やかで色彩豊か。そういったモノがピアノから溢れてくる。
「うわっ、凄っ、うまっ」
「指の動きめちゃくちゃ早い……よくあんなに早く動かせるね。なんて曲だろ」
聴客のほとんどが曲名を知らない。それも当然と言えば当然。クラシック界では屈指の名曲だが、普通に生活してるだけならまず耳に入ってはこない曲だ。
C.ドビュッシー作。ピアノ独奏曲イ長調。
"喜びの島"
華麗さ、豊かな色彩感、ファンタジックさ、或いは官能的な側面と、非常に多くの表情を持った名作。
しかしこの曲の作曲背景は煌びやかさとは裏腹にひどく身勝手。ドビュッシーは最初の妻であるリリーという存在がありながら、エンマ・バルダックという女性とジャージー島へ逃避行した。バカンス先で新しい恋人とよろしくやりながら作られた曲。
男の身勝手な浮気の中で、傑出した才能によって作り出された名曲。凡人がやったならただの最低男で終わるが、偉大な芸術家にかかれば、浮気も芸の肥やしになる。
楽曲自体浮かれっぱなし。特に終盤の喜びのエネルギーに満ち溢れた様子から、恋に夢中になったドビュッシーの姿を想起させる。
恋に我を忘れたドビュッシー
なぜこの曲を弾く気になったのか、自分でもよくわからなかった。さっき稽古しながら、雨の中であかねがオレを見つめていた時の瞳を思い出したからか。休憩に行く際、一瞬すれ違ったフリルのオレを睨む目が凄かったからか。有馬がかつてオレがとっくに忘れてしまった直向きな目で稽古に挑んでるのを見たからか。
───どいつもこいつも、恋してんなぁ
仕事に。演劇に。オレに。みんながそれぞれの想いを持って舞台に立ってる。みんな上手くて、若くて、自信があって、楽しそうで、キラキラして、それぞれの恋が混ざり合って、一つの音を作り出してる。
───ああ、この舞台がきっと……
みんなの喜びの島なんだ。
最後の一音が弾き終わる。波を打ったかのように静まり返る部屋の中で、オレのため息が小さく木霊した。
「Bravo!!」
「アクアくんすごーい!」
「ピアノ弾けるってあかねから聞いてはいたけど実際弾いてるところ見せてもらえるなんて思わなかった!」
「かっこいい!今度二人っきりで聞かせて!」
拍手がスタジオを埋め尽くす。巻き起こる賞賛の嵐。ああ、たまにこういう目に合わせてくれるから芸術はやめられない。ピアノやってて良かったと思う。オレはたぶん演劇はあまり好きじゃないが、音楽は結構好きだ。
「お前ってピアノも弾けんのかよ」
女性陣からチヤホヤされてから少しあと、影が落ちる。見上げると飲み物片手に鳴嶋が壁に寄りかかっていた。どうやら話しかけられてるらしい。
「習ってたのか?」
「習ってたっていうか……昔バイト先のお姉さんにちょろっと教わった」
「ちょろっと、か」
視線が下に落ちる。なんかあからさまに落ち込んでる。慰めてほしいのだろうか。でも今オレ他人を慰められるほど余裕ない。落ち込む暇があったら見て盗めとか言っちゃいそう。それは流石に可哀想だった。
「いいよな、才能あるやつは。少しの努力で報われて…この舞台だってお前にとっちゃヌルゲーだろ」
「───はぁ?」
流石にイラッとした。オレが知る限り、少しの努力で報われている人など芸能界にはいない。あれほど才能あったハルさんやナナさんですら音楽の道で大成することを諦めざるを得なかった。あの不知火フリルでさえオレとは比べ物にならない努力を重ねている。努力した人が報われるとは限らないのがこの世界だが、成功に近しい成果を得ている人はそれに相応しい努力をしている。
例外はウチのルビーくらいだろうか。あいつも努力がゼロとは言わないが、それでも10の努力で30くらいの成果が返ってきてると思う。生まれ持った星の差というのはあるのだろう。しかし……
「…………言っとくけどオレ、演技の稽古4歳の頃からず〜〜〜っとやってたんだぞ。ピアノだって教わったのはちょろっとだけど、3歳の頃から触ってたし」
「……………え?」
「下積み時代なんかマジで朝から晩まで……小学生の頃からADまがいの事やってきて……12年かけて技術増やしてようやくここまで辿り着いた。けど、このダブルキャストで惨敗したら奈落の底に叩き落とされてまた12年やり直しだ。まして相手は不知火フリルと姫川大輝。オレの人生基本難易度ルナティック。クソゲーのオンパレード……要するにまだ何一つ報われてねーんだよ、オレは」
言ってて悲しくなる。ルビーなんか本格的にアイドル活動始めたのは今年に入ってから。ミヤコやメム。そしてオレが協力したとはいえ、既に公式チャンネル登録者一万人越え。年単位の成長幅で言えばオレなんて比べ物にならない。もってるヤツというのはああいうのを言うのだと知った。
「オレなんていつもギリギリだ。かけたコストに見あったリターンが来たことの方が稀。お前の方がよっぽどローコストハイリターンだと思うぜ」
立ち上がる。息抜きもした。愚痴を吐いた。休憩としては充分だ。ここからは後半パート。刀鬼の稽古に入る。もう一度設定資料読み直して、頭を切り替えなければいけない。
「あ、あのさ!」
呼び止められる。少し鬱陶しく思いながらも目線だけ振り返った。
「…………12年も稽古してきて、思うように結果でなくて、嫌になったりしたこと、ねえの?」
「したさ。なんでオレはこんな世界に入っちまったんだって、呪ったことなんて数えきれねぇ」
くだらない約束をしたかつての俺を呪った。オレの気も知らねーで能天気に生きるルビーを呪った。律儀に星野アクアとして生きるオレを呪った。
そしてアイを呪ってきた。
「でもしょうがねえだろ。それが自分で選んだ道で、それが今の実力なんだし。無理したって結局作品も自分も破綻するだけだ。自分ができることをできる範囲で。その代わり全力で。ベストを尽くして。少しでも作品を良い物にすることしか、オレたちにはできねーし、する必要もねーんだよ」
休憩室を出る。もうこれ以上何か話す気にはなれなかった。
▼
羞恥でしばらく顔があげられなかった。こういう時、なんかしたら入りたい、みたいなことわざあったなとなんとなく思い出す。正しい名前は覚えてないけど、きっとこういう時に使うやつなんだろうなくらいはわかった。
12年。星野が芸能界にしがみついてきた年月。アイツは苦労自慢なんかするタイプじゃない。寧ろ逆。苦労とか努力とか隠す人間だ。嘘じゃないことはわかる。
俺たちいま16歳だから人生の四分の三。アイツはずっと今の俺みたいな気持ちを持ち続けてきた。苦しみ続けてきた。呪い続けてきた。それに引き換え俺はたった九ヶ月。比べることも烏滸がましい時間。差がついて当たり前だった。それを俺はよくも簡単に才能の差などと。
『少しでも作品を良い物にすることしか、オレたちにはできねーし、する必要もねーんだよ』
アイツのこのセリフが耳をついて離れない。思えばあの時からそうだった。アイツはいつだって作品を良くするために全力を注いでいた。俺はそれを見てたはずなのに、言われるまで気づかなかった。
───作品のことなんて考えたことなかった。いつも俺が俺がって、自分のことばかり…
今悩んでるのだって作品のためなんかじゃなかった。上手い人ばかりの中で俺1人が下手だから。目立って、足を引っ張って、カッコ悪くて嫌だから、なんとかしたかった。
───カッコ悪りぃ……マジでカッコ悪りぃな、俺
変わりたい。変わらなきゃいけない。そのために何をすればいいのだろうか。努力はしてきたつもりだった。でも、それだけじゃ足りないのは嫌というほどわかった。
───あ……
去っていく背中が目に入る。俺と同じことを12年も悩み続け、それでも前に進み続けてきた男の背中。きっとアイツなら、答えを知っているはず。
───でも……
人に何かを尋ねるというのは結構難しい。自分の至らなさを吐露することにもなるし、今更こんな事聞いてくるなんてと呆れられるかもしれない。明らかに目上の人にするならともかく、同い年の人間に答えを聞くなんて恥ずかしかった。
───て、バカか俺は!
今更自分を守ってどうするんだ。カッコ悪いのもダサいのもとっくの昔からだ。星野はそんなこと、もう百も承知のはず。これ以下なんてないのに、これ以下を恐れてどうする。
───今の俺がダサいなら、上がるまではとことんダサくあれ!
「あ、あのさ!星野!」
声をかける。一度口を開いて仕舞えば、そこからは意外と簡単だった。
▼
第二幕の稽古が始まり、初日。主要メンバー全員集まってることだし、とりあえず最後までまた通しでやってみようということになった。ブレイドから刀鬼の切り替えできるか不安だったが、刀鬼はブレイドより役に合っててやりやすいのもあり、思ったよりはスムーズに役に憑依りこめた。
「アクア!ごめん、ここなんだけど──」
あの時以来、鳴嶋はオレに質問や相談に来ることが多くなった。なぜオレに?とは思ったが、向上心があるのは悪くない。どんな質問もバカにしたりなどせず、真摯に答える。何がわからないかを言ってくれるから指導もやりやすい。
「メルトくん、すっかりアクアくんに懐いたね」
稽古場から少し外れている時、あかねに話しかけられる。どうやらさっきまでのやり取りを見ていたらしい。
「結構キツイことも言ってるんだがな。役者ってM多いのか?」
「あはは。打ちのめされたことない人の方が少ないだろうしね。いやでも打たれ強くはなるのかも」
「打たれ強い、ね」
「ちょっとアクア!なにビジネス彼女と2人で話し込んでんのよ!次!クライマックス!アンタの最後の見せ場でしょーが!早く来なさい!」
有馬の怒号が飛んでくる。一度息を吐くと壁を支えに立ち上がった。
「行くか」
「うん」
深呼吸し、目を閉じる。クライマックス。東京の最大の難所である無間城での戦闘。新宿、渋谷クラスタ両陣営が入り乱れ、戦うシーン。ブレイドと刀鬼が一騎打ちを繰り広げる中、ブレイドの助太刀をしようと斬りかかってきた一撃に対処しきれず、斬られそうになる寸前、鞘姫が間に割って入り、重傷を負う。絶望する刀鬼だったが、鞘姫が持つ盟刀の特性により、奇跡的に息を吹き返し、安堵と一筋の涙を漏らす。まさにクライマックスの見せ場にふさわしい、ドラマチックなシーン。
───イメージしろ
他者には聞こえないよう、口の中で呟く。
城内の広い和室。
目の前には因縁の敵。
切り結ぶ中、死角から迫る白刃。気配に気づき、振り向いた時にはもう遅い。
斬られる覚悟を決めた瞬間、割って入る影。
その人物が誰かを認識する。その人は自分が誰よりも守らなければいけない人。
守らなければいけなかった人を守れなかった。
守らなければいけない人に護られた。
誰より愛したその人が腕の中で体温を失っていく。
その絶望を、イメージする。
目を開く。自己暗示の先に広がる光景は見慣れたスタジオなどではなく、和装の邸内───
などではなかった。
───え……
どこかわからない。見覚えはない。けれどどこにでもある光景。マンションのリビング。ドアから繋がる廊下。そのドアを開き、玄関口へと誰かが歩く。たぶん女性だ。紫がかった黒髪は背中まで伸び、均整の取れたスタイルは女性らしい丸みを帯びている。
───アンタは、一体……
玄関前に誰かいるのだろうか。扉を開けようとノブに手を伸ばす。その瞬間、ゾッと怖気が走る。
開けるな!
怒鳴ったつもりだが、声が出ているかどうかもわからなかった。
ズブリと。
液状の何かが潰れるような音がする。玄関に立っていた男は二、三言女と話したと思うと走って逃げていった。扉が閉じる。女は力なく崩れ落ち、オレの腕の中に倒れ込んだ。
───なんだ、これは……
頭が痛い。肌が粟立つ。血が逆流しているかのような寒気が走る。目の前の空想がなんなのかわからない。オレの
ぬるり
手が何かで濡れる。血だ。女の腹部から溢れている。人間太い血管や大事な内臓が傷つかない限り、刺されても死にはしない。だが、この女は明らかに壊れてはいけない
すぐに救急車を……!!
立ちあがろうとした時、頬に指が添えられる。見下ろす先にいる血の気のない女の顔に少しずつ焦点が合う。
その人は自分が誰よりも守らなければいけない人だった。
守らなければいけなかった人を守れなかった。
守らなければいけない人に護られた。
誰より愛したその人が腕の中で体温を失っていく。
星の輝きを放つ瞳と、目が合った。
『愛してる』
大人になったルビーが、血の海の中で笑った気がした。
「あ、あぁ……あぁあアああアああ!!!?」
血塗られた
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
今回少し長めでした。でもここまで書ききりたかったので。いかがだったでしょうか?こちらでは記憶をなくしているからこそのパニック発作でした。ここ数話で催眠とか暗示とか強調してたのはこの為です。ちょっとこじつけくさいかなとも思ったんですが、実際解離性障害の治療法で催眠療法とかあるらしいのでアリかな、と思ってます。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。