魔法が解けた少女の耳に届くだろう
2人の出会いは物語を加速する
良いか悪いかはわからないが
前も後ろも真っ暗。何も見えない。何も感じない。進むも地獄、下がるも地獄。それが芸能界。少なくとも私にとってはそうだった。
私が光り輝いていた時はなんの不安もなかった。頑張れば頑張っただけ、大人達は褒めてくれた。
けど光とは永遠には続かない。電球のフィラメントが切れてしまうように、輝きにはリミットがある。
けれど、私が辞めようと思う度に、私の先で輝くモノがあった。
4歳の頃、私は光り輝いていた。人とは2種類いる。輝ける人間と、その光に縋る人間。私は前者。周りの大人も、同年代の子役も全部後者。そう本気で思っていた頃に出会った光。私以外で初めて自力で輝ける人間を見た。それも私のようにただ単純に眩いだけじゃない。不気味で、暗くて、でも引き込まれるオーラ。生まれて初めて完璧に負かされた黒い光。
あの光もきっと今、戦っている。この前も後ろも真っ暗な世界で、ただ一人、自分の輝きだけを頼りに進んでいる。なら私が先に根を上げるわけにはいかない。
あの光があるから、私は戦ってこれた。あの頃からずっとアイツが頭の中にいたから、進み続けることができた。
でも、あれ以来、直にアイツと会うことはなかった。
やめちゃったのかもしれない。役者とは本当に一寸先は闇。進むのが怖くて普通の道に戻ってしまったとしても私は何一つ責められない。むしろ手遅れになる前によく決断したと誉めるかもしれない。退くのも勇気なんだ。わかっている。
わかっているけど、それでも。
───アイツが辞めたのなら、私も、もう…
ネットドラマ。『今日は甘口で』の現場。杜撰な脚本。大根だらけの役者たちに埋もれている有馬かなは、漠然とそんな事を考えていた。10年ぶりの主役級の大仕事。気合いを入れられたのは最初だけ。台本渡されたのも本番直前。いざ始まってみれば役者らしい役者は自分以外一人もおらず、無名の役者なのかと思っていたら全員モデル上がり。大根役者という呼称すらおこがましい大根素人集団。オリキャラ無理矢理詰め込みまくった脚本にも問題はあるが、それ以上に変に鼻にかけたようなカッコつけ演技をするクソ大根共が問題過ぎる。コレなら棒読みの方がまだマシだ。
そんなヘタ以前の素人集団に自分がぶち込まれた理由はわかっている。作品を破綻させないための最低限の演技力。一応かつて全国に名を響かせたネームバリュー。つまりは宣伝のためのダシ。私はこの大根どもの踏み台にされているのだ。
見学に来てくれていた原作者の失望したあの顔。そしてこの大根達もあの顔を見ているハズなのに、改善の意思はまるで見られない。監督やプロデューサーもろくに指摘しない。演技とはこんなにもどうでもいいものだったのだろうか。私が人生を賭けるほど夢中になった芸術は、この世界では無価値なのだろうか。
考えれば考えるほど、虚しくなる。努力すればするほど自分を殺さなくてはならなくなる。このままでは私は役者どころか、自己を持った人間でもなく、商品になってしまう。
───そうなる前に、もう…
「なんか俺のモデル仲間が出てたPVでさ、すげー女の子が現れたんだってさ。思わず写真撮っちゃったって」
それでも芸能界で生きてきた感性が、無視できない情報を拾ってしまう。
───チッ、また新しいのが出てきたのかしら
撮ったという写真を覗き、驚愕する。10年間、ずっと脳裏で輝き続けていた灯火。忘れるはずがない。見間違えるわけがない。
「アクア!アクア!やっと来たわね、星野アクア!何やってたのよ、10年間!まったく、なんて格好してんのよ!落ち目の役者ってなんでもやるわよね!」
ディスプレイの中に、光はいた。10年間、戦い続けていた光はあの頃よりも強い輝きになって帰ってきた。
▼
高層マンションのとある一室。一人暮らしにしては大きいソファに少年が腰掛けている。若い。どう見ても10代後半という歳頃。高層マンションに一人で住むにはちょっと色々合わない男子。金のアシメヘアに星の輝きを放つ瞳が特徴的な美少年だ。読書をしながら湯気のたつ紅茶を口に運んでいた。
読んでいるのは女性向けの小説で、キャリアウーマンと歳下後輩男子との秘密の恋愛模様が描かれている。今読んでいる所は奇しくも主人公の女性と後輩男子が一夜を過ごした後、朝食を共にしている場面。彼女達の朝食メニューは和食だった。
「…………卵かけご飯食べたい」
「なんでそういうこと作り始めちゃった後に言うかなアクアくん……うわ最悪、私も食べたくなってきた」
アクアの独り言にシャツ一枚にエプロンのみというラフな部屋着姿の女性が答えた。
女性は少年よりは歳上だろう。二十代に差し掛かるかどうかといった見た目。ウェーブのかかったブラウンのロングヘアを簡易に纏め、格好はラフなのに服の上からでもわかるほどハッキリと優美な曲線を描いている。
少年の名前は星野アクア。本格的に芸能界へと進出を始めようとしている少年。美女の名は寿ななみ。クラシックの第一線からは退き始めているピアニストだ。
「ごめんごめん。ちょっとこの本読んでて思っちゃっただけで。パンケーキも好きですよ」
「人の本勝手に読まないで、もう」
読んでた本を取り上げられる。部屋に備え付けてある本棚へと戻された。
「…………ミドジャン?ナナさん、ああいうの読む人でしたっけ」
本棚に並べてある雑誌の一つに目が止まる。明らかに他の本とは趣向が違っていて、少し浮いていた。
「買わされたのよ。親戚が表紙やってるの。グラビア」
「へぇ〜……うわ、さすがの血統。可愛いじゃないですか」
グラビアには大文字で期待の新鋭、寿みなみと書かれている。水着姿が大写しになっており、顔の良さもさる事ながら、スタイルの良さに目がいく。
「おっぱいだけならナナさん負けてんじゃないですか?」
「負けてへんし!私の方がおっきいし!」
「?なんで唐突に関西弁?」
「…………あの子のがうつった。みなみ、なんか最近エセ関西弁にハマってるらしくて」
「はは、可愛いですもんね、方言女子」
「もーいいでしょ!ホラ、返して!」
「えー、もうちょっと見たい」
「紙の女なんか見なくても、昨夜散々本物見たでしょ!」
「グラビアにはグラビアの良さがあってですね」
「ちょっと、もう!アクアくん!」
取り上げようとするななみとソファの上でもみあっていると、携帯の振動音が鳴った。液晶ディスプレイにはルビーと書かれている。
「妹さん?」
「ですね」
「朝食作ってる間に終わらせてね。パンケーキは温かいうちに食べてこそよ」
頬に軽くキスをするとななみはキッチンへと戻る。アクアもソファから立ち、部屋の奥へと移動した後、電話を取った。
「もしもし」
『お兄ちゃん?いまどこ?まだ監督さんのところにいるの?』
「ああ、スランプの相談してたら遅くなって。泊めてもらった」
『ふーん。なら良いけど。わかってる?今日日曜だよ』
「わかってる。晩御飯はそっちで食べる」
『約束だよ!仕事や勉強で泊まりで出かけることがあっても、日曜は家族でご飯!絶対だからね!』
「わかってるって」
『ちなみに何食べたい?』
「卵かけご飯」
『え、なんで?』
「美味いじゃん」
『美味しいけど!好きだけど!せっかくみんなでご飯なんだからもうちょっと良い物ねだりなよ!』
「その辺はルビーに任せる。じゃあな」
電話を切る。そして途中から会話を盗聴してたナナさんを押し退ける。途中から二人の耳は携帯一枚挟んでくっついていた。
「ずいぶん可愛い家庭内ルールがあるのね、星野家は」
「家族とのつながりを何より大切にしてる妹ですので」
「双子だっけ?アクアくんと似てる?」
「顔は似てますが、性格は全然。二卵性ですし」
「なら良い子ね。家族に嘘ついてお姉さんの家で泊まっちゃう男の子に似てないなら」
「今回に関してはオレが連れ込まれたんだけど」
「う、うるさいな!ほら!ご飯にするで!パンケーキ冷めてまうやん!」
「はいはい」
「あ。あとアクアくん、電話で言ってたけど、今スランプなの?」
「相談したいのはその事です。後でゆっくり、お話しします」
パンケーキは普通に美味しかった。
▼
「周りに合わせた芝居ができない?」
朝食が終わり、人心地ついた後、アクアは今ぶち当たっているスランプについて、ななみに話していた。
「…………一瞬訳わからなかったけど、よく考えたら音楽の世界でも聞く話ね。一人のレベルが高すぎて周りと合わないってヤツ」
ソロのコンクールならともかく、複数で演奏する場合、最も大切なのはアンサンブル。ハーモニー。要するに調和だ。バランスが取れている必要がある。それが崩れて仕舞えば、どんな名曲も駄作に堕ちる。
「今まではできてなかったって訳じゃないんだ。寧ろオレはそっちの方が得意だった。けど、あのPVでオレの中で何かが壊れた」
「いるのよね。ある日突然何かを掴んで急成長する人。音楽も演劇も一緒か」
ずっと下にいた人間が一気に上をぶち抜く。そういうことが芸能の世界ではある。スポーツだと身体の成長を待たなければならないため、子供は大人にまず敵わない。が、音楽や演劇は感性の世界。何か一つのピースがハマればプレイヤーは別人に変貌する。その変化が良いものか悪いものかはわからない。しかし良いものであれば子役でも大人の役者を喰うことはできる。芸能の世界において、大人と子供は対等なのだ。
対等だからこそ調和が大事。調和とは古代ギリシャでハルモニーと呼ばれ、【調和の根本原理は数の関係によって成り立つ】と謳われた。調和をより深く探求するために、古代ギリシャでは4つの学問が生まれる。天文学、幾何学、数論、そして音楽。
そこからまた分かれる数多の分岐の中に芸能があった。つまり芸能の祖とは音楽であるとも言える。演技と音楽に共通項が多いのはむしろ当然と言えるかもしれない。かつてムジカと呼ばれた芸能の祖は調和の根本原理そのものを指している。理論的に調和の真理を探求するための学問が音楽だった。
「
「博識ね。プレイボーイには教養も必要なのかしら」
「役者にはと言ってください。マスターに教わったんですよ」
神の作りし調和を学ぶための学問。それが音楽であり、芸能だというのなら、芸能の本質とは調和にあると言っても過言ではない。
だからこそ良くも悪くも特別扱いはしてもらえない。いくら飛び抜けた実力を持っていても、調和しないなら無用の長物。傑出した才能が呪いになる場合もある。今アクアは身に余る自身の才能に潰されかけている。
───凡人の、抜かれる側の人間だった私には、わからないな
上には置いていかれるし、下には抜かれる。競技者としての私のピアノ人生はそれの繰り返しだった。だからあの世界から逃げて、楽に音楽ができるロックにのめり込んだ。格調高いクラシック界に比べ、ロックの世界は下品で、不良や半グレの転落場な事も多かった。今思い出せば、あそこにいたのは恥ではないけど、負けの証だったなとは思う。
───でもあそこにいなければ、アクアくんと出会うこともなかった
一眼見て、アッチ側の人間とわかった。常人と異なる感性を持ってて、その感性は地を這う凡人を尻目に天高く飛翔する翼になる。そんな可能性を秘めた側の人間だと。
そして今、その感性に振り回されている。自分に巨大な翼があることは自覚した。扱い方も実感した。けどどこを目指して飛べば良いかが、わかっていない。才能に自分自身が追いついていないタイプの典型だ。凡人とは学び方が逆なのだ。凡人はどこまで飛ぶか、目標を決めてから練習を繰り返し、飛び方を学習する。それまでに何度も墜落し、失敗するだろうが、落ちても痛いで済む範囲でしか飛べないから危険はない。そうやって飛翔と着地を学んでいく。
だがアクアは天才ゆえに、練習しなくても空高く飛翔できてしまった。そして練習してないから低空飛行も、着地の仕方もわかってない。このままでは空高く舞い上がった場所から垂直落下するだろう。
「聞いた話だっていうなら、ナナさんならわかりますか?こういう時、オレは何をしたらいい?」
「…………そうね。幾つか対策はあるよ。今のアクアくんみたいに芸能から離れるっていうのも、一つの手だと思う」
こういう相談の相手に自分を選んでくれたことは少し嬉しい。私もアーティストの一人だと、この天才が認めてくれていたのだから。
「でもね、結局そういう時は弾くしかないのよ。いろんな人と弾いて、弾いて、弾いて弾きまくる。感覚を掴めるようになるまで」
低空飛行している奴らの高さまで降りる方法を見つけるためには、結局彼らと飛ぶしかないのだ。それまではいろんなところにぶつかるだろう。共演者とぶつかり、監督とぶつかり、演出家とぶつかり、そして自分とぶつかる。怪我なく習得することは不可能だ。なんとか垂直落下だけは避けながら特訓するしかない。
「もう練習できないほど疲れたなら、そこから離れれば良い。その時はいつでも私に会いに来てよ。羽を休める場所くらいにはなってあげる。でもまた飛びたくなったら練習しなさい」
だって、貴方は……
「誰かのために、そこまで懸命になっているんでしょう?」
私ではない誰かのために。私は結局私のためにしか弾けなかった。でも貴方たちは自分以外のために、芸能に命を懸けられる。そう、懸命とは読んで字の如く、命を懸けること。でもそれが利己的では人は惹かれない。当然だ。自己愛者を人はスターと呼ばない。我欲でない懸命こそが、無条件で顔も名前も知らない人々を惹きつける。
自分のために頑張る人と誰かを支えるために頑張る人。大衆がどちらを応援したくなるか、論ずるまでもないだろう。
家族のため、ファンのため、支えてくれる人のため。人によっては綺麗事と吐き捨てられるモノに本気で命を懸けられる感性。その気性こそがスター性と呼ばれるモノの正体なのだ。
「ありがとう、ナナさん。貴方に相談してよかった」
柔らかで人の心を掴む微笑。そのあどけなさと可愛らしさに心がキュッとなると同時に少しイラッとする。手の届く距離にあるというのに、私はこの笑顔を手に入れられない。動揺するのはいつも私で、彼は余裕綽々だ。イラッとした。イジワルしたくなった。口角が妖しく歪む。我ながら悪い笑顔してるんだろうな、とわかった。
「感謝してる?」
「…………ここで素直にしてますと答えるのは非常に怖いのですが」
「感謝してるなら、アクアくんのピアノ、聴かせてよ。少しは弾けるんでしょ?」
「妹の歌の練習の伴奏でちょっと齧った程度ですよ!バイエルとソナチネくらいしかアルバム終わらせてないし!」
子供の頃からあのジャズバーに訪れていた。子供にお小遣いをあげる感覚でマスターから簡単にピアノの基礎は教わった。レッスンテキストももらった。だから中学時代、バンドやってる良くない先輩と関われたし、キーボードをやった事もある。けどもう最後に鍵盤に触ってから一年は弾いていない。指が衰えまくっているのはわかっている。ああいうのは毎日やらないと失われていくのは本当に一瞬なのだ。
「その二つ終わらせてるなら一般レベルじゃ充分だって。一番得意なやつでいいから。ね、お願い。一曲だけ」
「嫌だよ。なんでわざわざピアニストの前でサビきった腕披露しなきゃいけねーんだ」
「大丈夫。ヘタでも間違っても笑わないから。なんならレッスンしてあげるし!」
彼の細い手首を掴んで、ある部屋に無理やり引っ張る。そこそこ防音してあるその一室には黒塗りの大きなピアノが鎮座していた。
「ほらほら、感謝してるんでしょ?」
「感謝が後悔に変わりそうです」
「いいじゃない、一曲くらい」
部屋の扉を閉め、座り込む。私が動かない限り、このドアはもう決して開かない。
「さあ、存分に。maestro」
もう逃げられないと悟ったのか、大きく一つ息を吐いたアクアは、渋々椅子に座り、鍵盤を開いた。
───うわぁ、よりによってソレかぁ
少し辿々しい手つきで紡がれる音の羅列はどんな曲を奏でてているか、ななみには一瞬でわかった。とゆーか、誰でもわかるだろう。それほど有名な曲。
「WoO59かぁ。実際に弾いてるの見たの、何気に久しぶりかも」
「ちょっと話しかけないで……集中させてくださいっ…今必死に思い出しながら弾いてるのでっ」
鍵盤と睨めっこしながらだけど、それでも必死に、精一杯、メロディを紡いでいる。誠実にピアノに向き合ってる。
その辿々しさとそこそこ聞ける範囲のヘタクソ加減が可愛い。
───コレを狙ってやってて、狙ってこの曲選んだなら、とんでもないタラシだなぁ
「ほら、もっとリットかけて。なんとなくで弾いちゃダメ。ピアノは一人でオーケストラよ。ちゃんと音を聞きながら弾く」
「黙ってて!あークソ!全然指思うようにまわんねえ!なまりきってる!やっぱこういうのは毎日やらねーとダメなんだよなぁ」
Beethoven,Ludwig van:Bagatelle WoO.59
'Für Elise' a-moll
ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン作。ピアノ独奏曲イ短調。
"エリーゼのために"
恋多き天才作曲家ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェンが心を寄せていたテレーゼ・マルファッティのために作曲されたとされている
───けれどあの偉大な天才作曲家が、たった一人のために作った曲である事も事実
贈られた女はめちゃくちゃ嬉しいだろう。惚れてまうやろう。やっぱり音楽できる男はモテるよそりゃ。
そしてジャンルは違うが、この天才もまた、今私のために一生懸命ピアノに向き合っている。私のためにこの曲を弾いている。リズムもテンポもグダグダ。もはやベートーヴェンっぽい別のナニカなベートーヴェン。
コレを"ナナさんのために"とか言ってアクアくんが弾いたら大爆笑してしまうかもしれない。
───でも、嬉しいな
私のために懸命になってくれるのが嬉しい。ヘタを自覚していて、少しでも良くしようと頑張ってくれているのが嬉しい。だからこの人には手を貸したくなってしまう。守ってあげたくなってしまう。
「あー、アクアくん。一回やめよう。私が隣で弾いてあげるから」
「文句言わないんじゃなかったんですか」
「文句じゃないよ。レッスン。ハーモニーを学ぼう?調和ってのは思いやりよ。もっとピアノに寄り添って。今のアクアくんじゃピアノが可哀想だわ」
「音楽の調和学んで演技に活かされますかね?」
「活きるかもしれないじゃない。ピアニストの役やる日が来るかもよ?」
隣に座って、実際に弾きながら、レッスンしていく。そして寒気が走る。一つのアドバイス、一度の見本でめちゃくちゃ良くなる。まるで見えない手に導かれているかのように。
ああ、なるほど。確かに愛されてる。芸事の神か偉人か、目に見えない何かに。そりゃ凡人はついてこれないはずだ。
───いつか日本中がこの子の名前を知る日が来るんだろうな
そんな事を漠然と思う。だから今はこの時を噛み締めよう。私だけのためにピアノを弾いてくれている、この時を。
▼
練習しよう、そう決意しても、できないのがリアルの事情。
ナナさんと相談して、ようやく気づいた。オレは傷つくことが怖かったんだ、と。このまま演ればオレは絶対現場とぶつかる。役者に大切なのはコミュ力。問題を起こしてはならないと10年間かけて刷り込まれ続けてきた。わかっていたからこそぶつかる事を恐れ、逃げた。
でもそれじゃダメだった。芸能なんて結局ギャンブル。ルビーじゃないが、リスクが怖くて行動はできない。問題なのはどこまでリスクをかけられるか、だ。多少の怪我や火傷は覚悟しなければならなかった。
ナナさんに会えてよかった。やっぱり本物のアーティストと話をすることは貴重だ。こどおじ監督よりはるかに為になるアドバイスだった。オレは甘かった。覚悟もした。練習しようと思った。だけど……
「苺プロも五反田スタジオも所属アーティスト、オレしかいねぇ」
オレの特訓は人とやって初めて意味がある。低空飛行してる連中から低空飛行のやり方を学ばなければならないのに。オーディションをうけても良いが、一応高校受験を控える身。まだ生活全部を芸能全振りにするわけにもいかない。
「だからってなんでお兄ちゃんピアノの練習してるの。モテたいの?」
「毎日少しでも触らねーとダメなんだこういうのは」
「前から息抜きとかでたまに弾いてたけど。想像以上に指動かなくて焦った?」
「そんなとこ」
苺プロのスタジオにはキーボードが置いてある。一応かつてはアイドル事務所なだけあり、作曲スペースもあるからだ。かつて前社長やアイもこの部屋で曲や詞を作っていた。次会った時に笑われないためにも、かつての全盛期程度にまでは腕を戻しておきたい。
「てゆーか演技の練習したいなら私がいるじゃん。私を参考に勉強してもいいよ」
「素人以前はすっこんでろ、自称アイドルの一般人」
「はぁ!?」
「はは。確かに。端役とはいえ、いくつか作品に出演してるアクアに比べて、ルビー実績0だもんね。一般人と言われても反論はできないわ」
「だからってそんな言い方無いじゃん!コッチは善意で協力申し出てるのに!」
「焦ってるのよ、アクアも。なにせ学生の自分は学生の間しかないから」
そう、学生だからできない演技もあるだろうが、学生だからこそできる演技もあるはずだ。そして、その経験はいずれ学生でなくなっても必ず生きる時が来る。オレに残された時間はあと三年。無駄にしている余裕はない。
「でもね、アクア。ルビーの言うことも案外鋭いわよ」
「?どういう意味?」
「貴方の悩みってようは役のバラエティを増やしたいってことでしょ?」
ちょっと違うと思うが、確かにそうかもしれない。今オレは120点か50点の二種類しか出来ない状態になっている。普通の感情の出し方がわからなくなっているのだ。なら役のバラエティを増やすというのは一つの解決策かもしれない。
「芝居が迫真すぎて輝きが強くなりすぎる。それでは出演者を喰ってしまう。主演をやるならそれでも良いけど、脇役となるとそうはいかない」
「だから低空飛行のやり方を学びたいのに、ここには低空飛行できるやつすらいねーし」
「そこがちょっと間違ってるのよ。大体貴方、役者の素人とプロの違い、言える?」
改めて言われると即答はできなかった。役者には免許も試験もない。いや、オーディションはあるけど、オーディションに落ちるなんてことはプロでもいくらでもある。
「…………経験?」
「あら、子役は全員素人?」
「実力?」
「プロより上手いアマチュアなんていくらでもいるわよ」
「…………知名度?」
「じゃあアクアも素人ね」
「あはは!」
「ルビーにだけは笑われたくねー」
と思ったが反論はできなかった。確かにプロと素人の差など明確に説明はできない。
「誰でも人生、大なり小なり演技してるの。技術や経験値なんて大した差じゃない。役者で生涯を生きる覚悟がある人をプロと呼ぶと私は思っているわ。でもプロだって素人を演じる事がほとんどなのよ」
「社長…」
「大抵の人間が貴方の言う低空飛行で生きてるわ。ならそれをトレースすれば良いのよ。誰でも良い。人の物真似テキトーにしまくって」
仕草も、目視も、笑いも全て心が脳に命令して行う動作。つまりは心の表現。形を真似れば心が見える。
「心が見えたら感情も見えるでしょ?残りの中学生活、人間観察に費やして。芝居がリアルなのが問題だというなら中途半端に抑えようとするんじゃなくて、突き抜けたリアルを目指しなさい。大丈夫、その程度で掴めるほど人って浅くないのよ。相手によって態度も性格も変わるのが人間なんだから。練習時間も機会もいくらでもあるわ」
それからは監督の所へは一切行かず、ひたすら学校生活に力を入れた。受験勉強。面接対策。有名進学校に進路を希望している人、就活している人、いろんな人に張り付いて仕草を、目線を、感情を真似た。
少しずつ、少しずつだけど、他者への理解が直ってきた、と思う。この人はこういうことがあった時、どの程度怒るのか。人前では隠すタイプなのか。陰で物を殴るのか。中学3年間でやったコミュニケーション能力を培うレッスンをより深いレベルで再履修することで、あの頃の感覚を少しずつ取り戻してきた、と思う。
───けど、少し油断すると、『愛』が湧く
怒り、悲しみ、嘘、本音、その根底に愛があるという事は、深く人を知ることでより一層の確信へと変わってしまった。もうオレの演技から愛を取り除くことは出来ない。でもそこは問題じゃない。どんな作品にも愛や恋は関わる物だ。問題なのは使い方。
───こればっかりは本番の壇上でないと掴めない。脇役ならどの程度の深度が適切か、実戦で、監督やカメラマンや共演者に指摘してもらわないと、改善もできない。
そしてあっという間に訪れた受験当日。この試験が終わったら、本格的にオーディションとか受けるか、と考えながら試験問題に手を付ける。流石に偏差値40の高校受験。この程度の問題なら片手間で解けたし、面接は得意だ。本名が
「どうだった?」
「多分平気」
「そこは多分つけてほしくなかったなぁ」
「うるさいなぁ、お兄ちゃんは?」
「名前でちょっと引かれた」
「あはは!確かに、アクアマリンはちょっと凄いよね」
「ルビーも大概だけどな」
試験が終わった後、人気のない学校の廊下でルビーと合流する。高校受験は基本的に土日に行われるし、学校自体は休み。受験生以外の学生はいないのだから人気がないのは当然だ。
だから今日、校舎に在学生がいるのは何かしらの用が学校か、受験生にある人間だけだろう。
その後者にあたる人物が足早に廊下を駆け、肩を並べて歩く男女の男の方の背中を掴んだ。
「やっと見つけた!星野アクア!」
高校の制服にベレー帽が特徴的な童顔の少女が、アクアの肩を引っ張り、振り向かされ、二人の視線が合う。
かつて天才と呼ばれた少女と、先の未来で天才と呼ばれる少年。
まず二人。
芸能界という舞台で旋風を巻き起こす役者達の内、まず二人が、壇上に揃った。
最後まで読んで頂きありがとうございます。ようやく役者が揃い始めます。スランプ中のアクアは地獄の現場『今日あま』でどう戦うのか。
てゆーか今回なんでこんなに音楽要素盛り込んでるんだろう。あと筆者もピアノは少し齧っており、筆者もソナチネ終わらせてリタイアしました。あるあるです。わかる人はわかると思います。合唱コンクールで伴奏やった時が人生で一番モテた時かもしれない。
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