【本編完結】星をなくした子   作:フクブチョー

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愛がなければ憎しみなく憎しみがなければ愛もない
父を憎んでも母を愛してもいない星をなくした子
その身に宿す血を尊ぶことも疎む事もない彼はあり続ける
半身は天使で半身は悪魔


71st take 愚者の贈り物

 

 

 

 

 

「よしっ、上手くできたっ」

 

エプロン姿でキッチンに立つ青みがかった黒髪の少女は自分で作った料理の出来栄えに満足の息を吐く。テーブルには所狭しとクリスマスディナーのディッシュが並べられていた。ローストチキンにローストビーフ。リーフサラダにデミグラスハンバーグ。ラザニア、ラムチョップ。冷蔵庫にはケーキも用意してある。

 

───ちょっと、張り切り過ぎちゃったかも

 

完成した料理の数々を見て、ちょっと後悔する。アクアは決して少食ではないが、大食漢というわけでもない。二人でこの量は食べきれないかもしれない。あかねはまだ感情の加減というものがあまり上手ではなかった。

 

───好きな人ができたのも、彼と過ごすクリスマスも、初めてだから

 

異性とデートするのも。キスするのも。彼が初めて。何をしたらいいか。どうすれば正しいのか。男女の遊び方もわからない。

 

───私は、彼となら何をしてても楽しい

 

ただ隣を歩いているだけの時も。貴方の横顔を見つめて過ごすゆっくりとした時間も。全て楽しい。全て嬉しい。貴方といられるのなら場所も時間も構わない。関係ない。

 

───けど、貴方は多分そうじゃない。

 

貴方は私が気後れするくらい女の人に慣れてて。きっと片手の指では数えられないほどの女性達と付き合いがあって。色んなことをしてきた。色んな遊びをしてきて、色んなことを経験してきたはずだ。

 

多分、あまりよくないことも。

 

やってはいけない、世間一般で悪とされる行為。しかし思春期はそういったものに憧れ、そういうものが堪らなく楽しい時期がある。アクアくんはリスク管理が上手いし、自分から危険に首を突っ込んだりもしないけど、そういう楽しい悪いことの経験はきっとある。だからあの嵐の夜、私を救うこともできたのだ。

そんな経験をしてきた彼にとって、私との付き合いは退屈だろう。穏やかで、平穏で、踏み込まない男女の関係。お互いの立場を考慮した、決して事故が起きないよう注意を払い続けている。キスはたまにするけど、それ以上のことは何もしない。秘密の共有はしてるけど、心の奥の底の底は見せてもらえてない。

 

───拒絶、というよりは私がいつでも引き返せるよう、逃げ道を作ってくれてるんだ

 

私が苦しい時、痛い時、彼は助けてくれた。痛み止めをくれて、炎を消してくれて、生き方を教えてくれた。それなのに。

 

───私はまだ、何もできてない

 

『貴方に守られてばかりの黒川あかねじゃないんだから』

 

一度彼が倒れた翌日、私がいったセリフ。どの口がほざくと笑ってしまう。私がいつ彼を守れたというのか。守ってもらうのはいつも私ばかりで、救われたのも私だけだ。負の感情が自身を苛む。悔しい。情けない。寂しい。彼に会いたい。一緒にいたい。

 

───寒い

 

ふっと外を見る。チラホラと白い六花が宙を待っていた。

 

───せめて今日は。今日だけは…

 

喜んで欲しい。楽しいと思って欲しい。美味しいと言って欲しい。褒めて欲しい。その一心で向かったキッチンであかねは持ち前の集中力を発揮した。彼とのディナーのために手間暇かけることになんの労も躊躇いもなかった。アクアの笑顔が見られるのなら。

 

───気に入ってくれるといいな

 

髪を纏めていたリボンを解く。身支度を整えるため、ドレッサーへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「オレ全然覚えてねぇんだよ。自分が宮崎にいたことなんか。でも妹は結構覚えてるみたいでな」

 

クリスマスイブ。寒さに身を震わせながらも煌びやかな装飾が人を照らす。恋人達が心待ちにする季節であると同時に年の瀬が近いことを告げるイベントでもある。世間一般に漏れず、アクアも恋人との時間を楽しみ、そして年の瀬を感じていた。年末年始の計画。舞台の慰安と仕事を兼ねた家族旅行。場所は宮崎。アクアが生まれた場所で、なくしてしまった時間がある場所でもある。そしてそれが他者に、特に妹に露見することを星野アクアは恐れている。

 

「だから迷ってる。行くべきか行かざるべきか。なんかヤな予感もするしな。オレの勘は結構当たる。ヤなヤツは特に」

 

白い息が立ち込める。彼にかかれば溜め息すらも絵になる。白くぼやけた煙の先にある憂いの満ちた表情はあかねの心臓を跳ねさせた。

 

「イヤならやめておけば……もしアクアくんさえ良かったら──」

 

私達の家族旅行に来ない?、と言おうとして、少し躊躇する。流石に少し勇気が必要だった。躊躇っている間にアクアくんが口を開いた。

 

「このやな予感がオレのみの危険ならやめるんだがな。誰に降りかかる不幸かわからない。もしルビーやミヤコ、有馬に及ぶ危険だとすれば無視はできない」

 

アクアは自分の危険には無頓着だが、家族や知人への危険には敏感だ。常に最悪を想定する彼にとって、最悪は自分の破滅ではなく、自分が大切にする人の破滅。閉じていた目を開く。星の瞳から迷いが消えているのを見た時、あかねはアクアの答えにもう察しがついていた。

 

「ありがとう、あかね。話してみてスッキリした。やっぱ行ってくる。自分の知らない過去を探ることで、新しい何かを知ることもできるかもしれない」

 

───そうなる、よね。

 

出来ることなら引き止めたい。記憶のない場所へと訪れる。なくした過去を掘り返す。きっと胸に余る想いを沢山するはずだ。真実は福音も残酷も平等に伴い、様々な形で試練として現れる。アクアが強いのは分かっているが……

 

───彼が強いのは知ってるけど、それでもこの人は年相応の弱さも持っている。

 

だから迷ったし、今もこんなにやつれてる。不安だ。怖い。彼一人で行かせたら、何か良くないことが起こりそうで。私の知らない星野アクアになってしまいそうで。

私はどんな形のアクアくんでも好きでいられるとは思う。彼の芯が。人間性が。あのわかりにくい優しさや誠実さが変わっていなければ、どんなに変わっても愛せる自信はある。けれどアクアくんは、自分が変わってしまうことを恐れている。なくした記憶を思い出して、自分が自分じゃない何かに変わってしまうことを恐れている。直接聞いた訳ではないが、わかる。それくらいには長く彼と付き合い、見つめ、愛してきた。

 

───なら、私が今するべきことは…

 

勿論恐怖はある。アクアくんが恐れるモノは多分私にとっても恐いモノだろう。そんな何かが待ち構えているかもしれない場所に行くのは怖い。けれど、あの夜。彼が倒れたあの夜に、恋人と恋敵に誓ったから。昇るも堕ちるも共に行く、と。たとえ頼まれなくとも、地獄の果てまで付いていく、と。この人を守り続ける。多分、一生。

 

「なら私も付き合うよ。アクアくんの、自分探しの旅」

 

ぎゅっと手を握る。案の定動揺し、「来るな」と言ってきたが、自ら危険に首を突っ込もうとしている男の説得ほど説得力のないモノはない。最後には折れて私の同行を許可してくれた。但し、一つだけ条件を課せられる。私の両親の許可を得ること。変なところ義理堅く、誠実なのは実に彼らしくて笑ってしまった。

 

「じゃあ私からも条件一つ。お父さんとお母さんの説得、アクアくんも付き合ってね❤︎」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バイクのエンジンを切る。眼前には立派な門構えの大きい家。ガレージには立派な外車が止まっており、白塗りの家は明らかに億を超える資金で建築されている。門扉の表札には黒川と書かれていた。

 

そう。アクアはあの後、黒川家に招待されていた。理由は二つ。年末年始のアクア達の旅行、あかねの参加をご両親に許してもらうこと。もう一つはクリスマスパーティにアクアも呼び、食事を一緒にすること。家族水入らずのパーティに他人の自分が参加することに遠慮し、アクアは後者は断ろうとしたのだが。

 

「じゃあその代わりアクアくんに宮崎旅行キャンセルしてもらって、私達のハワイ旅行に参加してもらうね」

「いや、それは──」

「どっちも断るはダメ。どちらか一つ、選んで」

「…………卑怯な」

 

と言う訳で、あかねの旅行の許可をもらいに行きがてら、黒川家でクリスマスディナーをご馳走されることとなった。

 

「…………デカい家だな」

「そう?普通だよ」

 

金持ちあるある。周りもブルジョワばかりだから基準が自分になって感覚がおかしくなってる。ロックの世界もいまや中流家庭が多数派だが、それでも劣悪な家庭環境出身者は一定数いた。あかねが普通なら彼らは地獄では済まない。最低限健康的で文化的な生活の真実をあかねが知る日は生涯来ないだろう。

 

「アクアくん。バイク、こっちに入れちゃっていいから」

 

機械仕掛けの門が一人でに立ち上がる。高級外車に万が一にもぶつからないよう細心の注意を払いながら、アクアは自身のバイクを停め、チェーンをかけた。

 

「フゥ」

「緊張してる?」

「何事も初体験は緊張するさ」

 

女の家に上がり込むのは無論初めてではない。泊めてもらうことも。しかしそういうのはたいてい保護者の目を盗んでやってたか、一人暮らしをしている女が相手だった。両親にまともに挨拶などした事はない。まして交際していると宣言している女性のご両親。多分今ガチの一部始終も見られている。悪感情は抱かれないよう力を尽くしてきたつもりだったが、やはり不安なモノは不安だ。

 

「大丈夫!お父さんもお母さんもアクアくんのこと悪くなんて思ってないから!」

「気休めでもありがとう」

「本当だって。お母さんなんか最近アクアくんの大ファンで大変なんだよ?舞台の感想アクアくん凄かったばっかだし。プロフ全部チェックしてるし。もう娘より推してるくらいなんだから」

「お父さんは?」

「そっちも大丈夫。私の娘はやらん、なんてこと言うタイプの人じゃないよ。自分の意思も簡単には曲げないけど、他人の意思も無理矢理曲げたりしない。そんな人」

 

譲れない部分はある。けれど娘が認めた相手であるなら話し合いのテーブルには立ってくれる人だそうだ。大人との交渉であればアクアはうんざりするほど経験がある。少しだけ心に余裕ができた。

 

「さ、上がって上がって」

「お邪魔します」

 

躊躇いながら黒川家の敷居を跨ぐ。真っ先に感じたのは違和感だった。

 

───人の気配がない

 

アクアは音には敏感だ。人間生活している以上何らかの音を発する。会話だったり、家事をする音だったり、テレビなどの娯楽を楽しんでいる音だったりする。人の気配というものが何なのかは人によるだろうが、アクアにとっては人の気配とは音だった。

 

───これだけデカい家なら部屋が複数あっても驚きはしないが。2階とかにいるのか?

 

「アクアくん。リビングはこっち。手洗い場もあるから」

 

逡巡しているとあかねが家の中を案内してくれる。招かれるままに部屋へと入ると、真っ先に食欲をそそる匂いが飛び込んできた。テーブルを眺めるとそこには所狭しと並べられたクリスマスディナーの数々。

 

───うっ。ローストチキンにローストビーフ。ラムチョップにボンレスハム。

 

どれも一目で完成度の高さを感じられる出来栄え。手間暇かけて作ってくれたのだろうとわかる。だからこそアクアは引け目を感じていた。チキンはともかく、血の味がするビーフ系が食べられないことに。

 

───これは、食えないとは流石に言い難い。

 

今ガチの打ち上げではこの手の肉も普通に食べてたから余計に……ご両親もこの後来るんだし。最悪丸呑みして……[カチャン]カチャン?

 

鍵が落ちるような音が聞こえ、違和感を感じたアクアは振り返る。すると扉の前のあかねが、ドアノブを背に隠した状態で立ち尽くしていた。

 

「あかね?」

「ごめん、アクアくん。私、一つだけ嘘ついてた」

「嘘?」

「お父さんとお母さんもね、今日はクリスマスデートしてて、ウチにいないんだ」

「…………………」

 

アクアの聡明な頭脳と経験はもう概ね真実へ辿り着いていた。誰が悪いかと問われれば間違いなくアクアが悪いのだろう。彼女の方にここまでさせてしまったのだから。不安を解消してやれなかったアクアのせいだ。その事を分かった上で、それでも思ってしまう。

 

───コイツ、やり口がオレに似てきたな。目的のためなら形振り構わなくなってきやがった。

 

「はじめよっか。二人だけのクリスマスイブ」

「…………お手柔らかに」

 

逃げ道を閉ざされた今、抵抗は無意味。変に逆らうと拘束されかねない。微笑を浮かべ、星の瞳の少年はテーブルへとついた。

 

 

 

 

 

 

 

「…………食べないの?」

 

二人でテーブルに向かい合って座り、シャンメリーが注がれたグラスを合わせ、ディナーが始まる。最初は楽しかった。たわいない話から、演技談義。パンやチキンを口にしながら談笑を続けていた。突然だった。私がローストビーフにナイフを入れて、アクアくんの分を取り分けてから、彼の表情が凍りついた。

 

───アクアくん、お肉好きなはずなのに。

 

今ガチで一緒だった時、アクアくんはどんなお肉も美味しそうに食べていた。それなのに今は凍りついている。ナイフもフォークも微動だにしない。美しい無表情の奥で輝く暗い星の輝きがあかねの不安を煽った。

 

「………食べないの?」

「食べるよ。取り分けてくれてありがとう」

 

大根おろしを使った和風ソースで味付けし、口に運ぶ。しばらく咀嚼すると、喉を嚥下させた。

 

「美味い」

「良かった」

 

ほっ、とあかねが胸を撫で下ろした、その時だった。ガタッと椅子が音を立てる。口元を抑えたアクアが蹴飛ばすように立ち上がり、そのままキッチンの流しへと向かう。えづく声と共に大きく咳き込み始め、ついには飲み込んだはずの肉を吐き出した。

 

「ゲホッ、ゴホッ、オェエッ」

 

コックを捻る。水を流しながら、アクアは赤い肉を吐瀉し続けた。

 

「アクアくん!?」

 

呆気に取られていたあかねだったが、我を取り戻した瞬間、彼の元へと駆け寄り、背中をさする。しばらく咳き込んでいたが、胃が拒否していたモノを全て出したのか、ようやく落ち着きを見せ始めた。

 

「ごめんなさい、生焼けだった?それとも味が濃かった?ごめんなさい、ごめんなさい」

「…………………違う、あかねのせいじゃない」

 

涙声で謝るあかねを安心させるように口元を拭った蜂蜜色の髪の少年は笑顔を見せた。

 


「───最近、あのフラッシュバックから、肉が苦手なんだ。特にローストビーフとか生ハムとか、血の味がする系の肉が……」

 

そこまでの説明であかねは事情を察する。血の匂いが。血の味が。生々しくあの光景を思い起こさせた。なくした記憶が揺さぶられ、心の傷を容赦なく抉った。魂が忘却を選んだほどの拒否反応。肉体が拒否を示すのは当然と言えば当然だった。

 

「言ってくれれば──」

「嘘ついてるって思われたくなくてな。この間まで平気な顔して食ってたのに……」

 

あかねに連れ込まれて始まった二人きりのイブの夜。確かに騙された感はあったが、あかねが自分のためにディナーを作っていてくれたことは素直に嬉しかった。だからちゃんと最後まで付き合いたかった。嘘をついてると思われて、あかねとのイブを面倒くさがって、適当に理由つけて逃げようとしているとは思われなくなかった。だから───

 

「いけるかな、と思ったんだが……残して、ごめん」

 

ゾっとあかねの背筋に寒気が奔り、血の気が引く。そしてほぼ同時に羞恥で顔が赤くなった。

 

───浮かれてた自分が恥ずかしい…

 

両親が家にいない事を告げてから家に誘っても、私といつでも別れられる距離を保っているアクアくんは拒否るかもしれないと思った。だから内緒にして、旅行を口実にして、断れない状況を作ってからアクアくんを招き入れた。浮かれて作った料理を並べて、逃げ道を塞いで、彼の優しさと責任感につけ込んで、今の状況を作ってしまった。

 

───こんな思いをさせるために、彼と一緒にいるのではないのに…

 

守りたくて。この人の傷に寄り添いたくて。才能があって、賢くて、少し自暴自棄なところがあるこの人は何かを間違えれば良くない道に転がり落ちてしまいそうで。そうならないよう彼の手を取り、たとえそうなってしまっても地獄の底まで共に行くために一緒にいようと決めたのに。

 

───私は、自分のことばっかりだ。

 

「ごめんなさい、アクアくん……ごめんなさい」

「あかねは悪くないよ。オレが勝手にやって勝手に無様晒しただけだ。オレのほうこそごめん。すげぇ失礼なことした。あかねの両親がいなくて良かったよ」

「ごめんなさい」

 

彼の肩に頭を預け、謝り続ける。私の涙が収まるまで、アクアくんは私を抱きしめ、頭を撫で続けてくれた。その感触がたまらなく嬉しく、心地よかった自分に、さらに罪悪感が湧いた。

 

 

 

 

 

 

───ここまでかな

 

あかねの頭を撫でながら、そんな事を思う。もう引き続き夕食を、なんて空気ではなくなった。あかねの食欲も失せてしまっただろう。クリスマスイブ。ここから始まる性の6時間だったが、どうやら穏便に過ごせそうだ。意図的ではないが、アクアの望む形に収まりそうで、吐き気でモヤついていた胸が少し楽になった。

 

───あ、忘れてた。

 

目前であかねの髪を撫でていたからか、もっと早く渡す予定だったものを思い出す。

 

「…………アクアくん?」

 

彼女を慰める手が止まったからか。泣き腫らした顔で見上げてくる。先程まであかねを撫でていた手は自身の胸ポケットにつっこまれていた。

 

「あーー……あかね。覚えてるうちに、渡しとく」

 

リボンのついた包みが取り出される。本来ならデートの別れ際に渡すつもりだったのだが、色々重なって遅れてしまった。多少流れは強引だが、仕方ない。

 

「これって……」

「クリスマスプレゼント。あかねに───許可も取らず目の前で開けるのは非人道的じゃねーか?」

 

目の前で包みを解かれ、中身が晒される。できればオレの前以外で開けて欲しかった。あかねの性格上、どんなモノでも喜んでくれるだろうけど、ダメ出しされる可能性もゼロではないし、ダメなものでも喜んでくれるかもしれない。ちょっと緊張した。

 

「…………綺麗な、緑」

 

プレゼントを軽く持ち上げながらあかねが小さく呟く。バレッタ。髪をまとめる為のアクセサリー。全体はグリーンで、中心は緑を帯びた小さなブラックパールが集中しており、パールの周囲はパールと同じくらいの大きさのダイヤ……らしきイミテーションで飾られている。明かりに透かすと黒を帯びる緑のリボンが一体となっている。あかねの青みがかった黒髪によく映える色だった。

 

「貸して」

 

手を差し出す。渡したプレゼントを手に取ったアクアはあかねの後ろへと回り、青みがかった黒髪を指で梳き、ハーフアップに纏めた。

 

「あかね、髪伸ばし始めたの最近だったから、髪留め(こういうの)あんま持ってなさそうって言うか、少なくともオレは見たことなかったから」

 

いつも背中近くまで伸びたロングヘアを下ろしていた。それか編み込んでいるか。風の流れのままに揺れる青みがかった黒髪も美しかったが、こういうのがあってもいいだろう。あかねの髪の長さで編み込みを毎日やるのは結構大変だ。

 

「髪の色と合わせて緑を選んだんだが、予想通り良いな。黒髪にはエメラルドがよく映える」

 

セットが終わる。スマホを取り出して自分を見ようとしたあかねへ鏡を手渡した。カメラでも確かに見れるが、こういうのを確認するならやはり鏡だ。

 

「…………素敵」

「だろ?」

「………嬉しい」

「そりゃ良かった」

 

ずっと泣いていたあかねにやっと笑みが戻る。しかし目尻には再び涙が滲み、顔をくしゃくしゃにしたと思ったら、オレの胸にグッと頭を預けた。

 

「───今ガチで炎上した時…」

 

小さな声で呟く。黙って続きを待った。

 

「もともと私のことをいらないって言ってた人も、応援してくれてたような人も一斉に私のことを批判して、たくさん悪口を言って、世界全部が敵みたいに思えた」

 

みたい、ではなく実際敵だっただろう。もしかしたら本人すら。あの時あかねの本当の味方をしていたのは今ガチに参加していたあかね以外のキャスト六名だけだ。

 

「何もかもささくれて、全部が灰色に見えた世界を、貴方が救ってくれた」

 

その言葉にはイマイチ納得がいっていない。オレはあかねを救ったのだろうか。オレが個人的にやったことなど、結局あの雨の日に隣にいたというだけで、残りは大衆の意見をコントロールできるマスメディアや不知火フリルを利用しただけだ。別にオレでなくても出来ただろうし、あかねほどの実力と才能があれば一度くらい落ちてもいずれは上がってきたはずだ。

 

「貴方に会えて良かった。あの夜から今に至るまで、そう思わなかった日はなかった」

 

その一言にアクアの胸は締め付けられる。いつかその言葉にオレが、誰よりもあかねが追い詰められる日が来るのではないかと、思わずにはいられなかった。

 

「なのに私は貴方から貰ってばかりで、私は貴方に何もあげられてない。貴方がうちに来ることに浮かれて、プレゼントの一つも用意できなかった」

「別に、何か見返り求めてあかねと付き合ってるわけじゃねーんだぜ?」

 

嘘だ。求めている。まだ支払ってもらうタイミングではないというだけ。見返りは求めている。

 

「それでも。あの時、歩道橋の上で、私を助けてくれたことに、何の打算もなかった。そうでしょ?」

 

どうなんだろう。打算はなかったのか。オレはただ、人が死ぬのが嫌だっただけじゃないのか。自分以外の誰かの死を目にするのが耐えられなかった。それならあの時あかねを助けた行為は十分に打算だ。自分の心を軽くするという、打算に他ならない。

 

「だからせめて、私が今あげられるもの、全部あげたい」

 

急に立ち上がる。そのまま腕を引かれて、鍵を開け、階段を上がり、『あかねの部屋』と可愛らしく描かれた扉の前に連れて行かれた。

 

「───っ」

 

押し倒される。オレの上に馬乗りになったあかねはボタンを外そうと手をかけた。

 

「待った」

 

あかねの手を取る。すでに少し鎖骨が見えていた。

 

「なんで止めるの?私じゃダメ?キスしてくれたの、やっぱり気の迷いだった?」

「気の迷いを疑いたいのはオレのほうだ。罪悪感と何かを返したいって焦りでテンパってんじゃないのか?そういうのの勢いでやっちまうと後悔するぞ」

 

経験があるからこその忠告。説得のための言葉だったが、逆効果。またあかねの目からポロポロと涙が落ちる。悔恨ではなく、本当の悲しみの涙だと、なんとなくわかった。

 

「フリルちゃんとはキスしてたくせに」

 

ドキッと心臓が跳ねる。舞台の初日。緞帳の陰でフリルに襲われ、抵抗する気力のなかったアクアはされるがままを許してしまっていた。あのタイミングで現れた事から見られたかも、とは思っていたが、やっぱり見られていた。

 

「アレは……」

「わかってるよ。パニック発作後のトリップ中で抵抗する力なんてなかったんでしょ?だから私も見なかったことにしようって思ってた。でもフリルちゃんにはしなかった抵抗を私にされたら、やっぱり言いたくなっちゃうよ」

 

理解ある彼女であろうとしていた。アクアは理解ある彼氏を務め続けてくれていたら。いつだってあかねの都合、あかねの仕事を優先し、あかねとの交際には誠実であり続けた。そのことに甘えていた自覚はあかねにはある。観劇の際、フリルに諭されたあの時から、ずっと。

 

けど、それでも。

 

「私だってわかんないよ。この思いが本物なのか。気の迷いなのかなんて……」

 

───こんなに誰かを好きになったのも、心の底から愛したのも、初めてだから。

 

それでも、たとえこの思いが気の迷いだとしても。

 

「貴方に触れるのも、貴方に触れられるのも好き。嬉しくて、暖かくて、心地良い。それは本当……それだけじゃダメなの?アクアくん」

 

潤んだ眼で真っ直ぐに見つめられる。目の奥で暗く輝く光に思わず見惚れた。

 

「…………そいつは殺し文句だな」

 

視線を逸らし、蜂蜜色の髪を掻きむしる。諦めたように大きく息を吐くと、覚悟の光を宿し、あかねを見据えた。

 

「ここがラストチャンスだぞ」

 

引き返す事ができる最後の地点。ポイント・オブ・ノーリターン。ここからはお互いひどく絡まり合い、もう綺麗に解くことはできなくなる。2人の関係を断つ日が来るとすれば、どちらか、あるいはどちらも大きく傷つくことは避けられない。ここが最後の機会だ。

 

脅すような口調で言い放った言葉だったが、青みがかった黒髪の美少女は笑った。

 

「そういうの、私はもうとっくに通り過ぎてる。ラストチャンスはアクアくんの方」

「わかった。オレも腹を括る」

 

ジャケットを脱ぎ、ブラウスのボタンを外す。アクアも鎖骨が露わになった。

 

「───来い」

 

あかねが倒れ込む。どちらからともなく合わせた唇は今まで2人がしてきたどんなキスより熱く、深く、拙かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

暖房も何もつけていない小さな部屋は冬の寒さで閉じ込められている。けれど寒くなんてない。あの人の体温が、私を包み、私の中に染み込んでいく。

 

意図せず息が荒くなる。ただキスして、絡み合い、抱き合っているだけなのに肺は酸素を求め、心臓は早鐘を打つ。

 

「交代」

 

仰向けに倒される。細身で締まった肢体が私を押しつぶす。暴力的に口内を蹂躙する熱く大人なキスは私の心をあっという間にドロドロに溶かした。

 

 

「行くぞ」

 

 

死んだ。

 

 

この夜、私の中の何かが死んだ。

 

 

そして、灼熱の中で、生まれ変わった。

 

 

自分の命より大切なものができてしまった、黒川あかねに。

 

 

 

 

 




最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
ついにアクアとあかね、メンゴ達成。今までぼかしてましたがようやくはっきり。クズとアイのハイブリッドを心がけたつもりでしたが、いかがだったでしょうか。ズルズルと深みにハマり合う2人を待ち受けるのは果たして…宮崎編でも色々やります。多分人の心ないとかサディストとか言われると思いますが、どうかお付き合いください。


以下本誌ネタバレ






知ってしましたよ。8月号のSPU◯の表紙見た時から。知ってましたけどね。アクルビのビジュが良すぎて辛い。双子カプ絵になりすぎる。色々やりたくなる。いい事もひどい事も。拙作では難しいと思われてる?いくらでも手はあります。筆者が人の心をなくせば。
そしてミヤコさんは解釈一致が過ぎて辛い。経営者と母親の板挟みで苦しむ姿が鬱くしくて、美しすぎる。ミヤコさんヒロインで書きたくなる。流石に倫理が邪魔して難しいですが。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
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