試練を前にした星をなくした子のための奮励歌
なくした星に語りかけ過ぎてはいけない
死神がどこで耳を傾けているかわからないのだから
「アンタってさー!黒川あかねとはいつまで付き合うわけ!?」
クリスマスの20時台、バーのカウンター。本来であれば大人たち。少なくとも二十歳以上の人間が嗜む場所と時間に、明らかに10代後半程度の男女が腰掛けている。1人は赤みがかった黒髪をショートボブに切り揃えた美少女。年齢は17歳だが、明らかにそれより幼く見える。頬を紅潮させ、男に絡んでいる姿はどう見ても悪酔いしてるねーちゃんだが、彼女が手にしているのは紛れもなくソフトドリンクだった。
そして絡まれているのは薄暗い店の中でも眩く輝く蜂蜜色の髪をアシメに整えた青い瞳。何よりも星の光を宿す瞳が特徴的な美少年。
有馬かなと星野アクア。同じ芸能事務所に所属する俳優とアイドルだった。
「番組終わって半年くらい経つじゃない!そろそろ番組への義理も、ファンへの気遣いも果たした頃でしょ!いつ別れんのよ!」
「今のところ別れる気ねーよ。一緒にいて不快じゃないし。むしろ気は休まるくらいだし。別れる理由が特にない」
「理由がないだけじゃダメよ!こういうのはなあなあでズルズル付き合う方が相手にとって良くないんだから!変な気遣いは男のエゴ!スパッと別れを切り出すのが時には優しさなのよ!」
───オレンジスカッシュでよく酔えるなコイツ。ある意味安上がりで羨ましい
変な感心をしつつ、少し考える素ぶりをする。有馬の言っていることも一理はある。けれどアレだけ真っ直ぐ自分のことを好きだと言ってくれた、自分も憎からず想っている女の子と、別れたいとは思えなかった。
「アンタって黒川あかねに恋愛感情あるの!?」
「あるよ………多分、きっと、恐らく」
「自信ない感じじゃない!あいつ今いないんだから素直に言ってもいいのよ!?キスもHもしない交際に意味なんてねぇ!くらいのこと!」
「なんてこと言うんだお前は。それはマジで思ってねーよ」
男女で付き合う理由は人によって様々だ。好意だったり、打算だったり、ステータスのためだったり、色々。本人同士が納得しているならそれらに貴賎はないとアクアは思っている。しかし少なくともアクアはキスやHをしないという理由で別れる気は起きなかった。
───ていうか昨日ついにしちゃったしなー…
ペリエを口にしながら心の中で独りごちる。昨夜行為に至ったことに後悔はない。もしあの状況で何もしなければ流石にあかねの心はオレから離れてしまっていたかもしれない。繋ぎ止めておくためには必要だったと思っている。しかし出来れば避けたい行為だったのも事実だった。
「気づいてる?舞台始まってから、アンタの雰囲気ずっと重いのよ。何かに縛られてるっていうか。納得いってないっていうか。アンタが自分に厳しいのは知ってるし、いい事だとも思うけど、緩める時は緩めないといつかはち切れるわよ。そういうガス抜き、上手くしてくれるのが彼女ってものでしょ?アンタにとって黒川あかねが気を張ってなきゃ付き合えない相手なら、少なくとも関係の名前は変えたほうがいいと思う」
───………酔っぱらいのくせに痛いとこ突くじゃねーか
摂食障害。睡眠不足。結局のところ何も解決していない。女と別れれば解決する問題とも思えないが、一度真剣に考えなければいけないことかもしれないとは思わされた。
「アクア?」
「そうだな。お前の言うことも一理ある。年末年始の休みでちょっと考えるよ」
「…………アンタ、この年末年始、宮崎行くかどうか、決めたの?」
「ああ、行くよ。ちょっと気になることもあるしな」
「よしっ、ザマァみなさい黒川あかねパート2!」
「2?1回目のザマァなに?」
あいつも来るよ、と言おうとしたがやめる。酔っ払っている今のコイツにこれを言ってしまえばシラフの百倍めんどくさそうだ。
「2泊3日の長期滞在よ!準備とかできてるの!?キャリーケースとか持ってる?」
「持ってるよちゃんと」
カントルでバンドしていた時、ツアー活動の一環で長距離移動もした。役者には地方ロケも多い。芸能活動には必需品と言っていいアイテムだ。持っていないはずがない。
「その辺のボロいキャリーケースじゃダメよ!キャリーケースは私達の相棒よ!容量大きくて運びやすい。色も綺麗なの選ばなくちゃ!」
「そこそこデカいやつだから心配ない。それよりジェノベーゼ早く食べろよ。冷めるぞ。マスターのは冷めても上手いけど」
「あらジュニア。褒めてもナッツくらいしか出ないわよ」
ミックスナッツが盛られた小皿が、差し出される。マスターと談笑しながらナッツを摘む姿はどう見ても常連のそれで、いつもでは見られない表情と色気に、有馬かなはパスタと共にごくりと生唾を飲んだ。
「───食べたわね?ナッツ」
「…………しまった。孔明の罠だったか」
「実はね、今日ピアノで来るはずだった子が急遽休んじゃって」
「素人マンにやらせていいんですか」
「若いイケメンが弾くってだけでプライスレスよ」
「…………バイト代は貰いますよ」
「今日のお代、チャラにしてあげるから」
「…………オレの、まだありますか?」
「もちろん。ちゃんと取ってるわよ」
「曲は?」
「お任せで」
ハァと大きくため息を吐く。蜂蜜色の髪を掻きむしると、カウンターの席を離れた。
「有馬、ごめん。ちょっと1人にする。一曲終わったらすぐ戻るから。変な客に絡まれたらマスターを頼ってくれ。マスター」
「わかってる。しばらくこの子から離れないわ」
カウンターの奥へと向かう扉が開く。貴重品を持ったアクアは足早にその先へと向かった。
「…………えと、なんの話、ですか?」
「観てれば分かるわ」
それ以上は何も言わず、カウンター越しに有馬のそばに立つ。その視線はステージに備え付けられたピアノに釘付けになっていた。
───アイツがまともに敬語使ってるの、初めて見たかも
プロデューサーや脚本の先生に敬語使っているのは見た事あったが、なんの打算も体面もなく、心から相手に敬意を払って話す敬語を、アクアの口から初めて聞いた。大人と話す時、いつも着けている凛々しい仮面を外し、柔和な笑顔や困り顔をするアイツを初めて見た。
───知らなかった
あの表情も。あんな喋り方も。知らなかった。出会いは10年以上前で、再会してからそこそこ密に付き合ってきたが、あんなアクアは初めて見た。知らなかった。
───まだ、私の知らないアイツがいる
会えなかった12年。一体アイツはどんな人生を送ってきたんだろう。どんな人と出会い、話し、怒り、笑ってきたんだろう。あいつが普段ひた隠す、努力の12年。一体誰と過ごし、どんなことを話し、どんな関係を結んできたんだろう。
知りたい。けれど聞けない。聞いて仕舞えば、多分あいつは私から離れてしまうから。
だから待つ。アイツが話してくれるまで。アイツが話したくなるまで。それまでは今のグチを言い合える関係を保つ。ビジネス彼女には出来ないことをやる。それが私の戦い方。
───けど、それでも、どうしても知りたくなった時は…
ステージに繋がる扉が開く。現れたのは煌めく黄金色の髪をバックに纏め、細身の肢体を燕尾服で包む、スポットライトの光を眩く反射する、青い瞳の美少年。
───アイツは、パーティの時も学生服着てくるような奴で……どっちかって言うとラフなスタイルを好んでて。いかにも令和男子って感じの格好しか見たことなかったけど
黒のジャケットに純白のワイシャツ。黒のネクタイ。モノトーンな燕尾服。
だからこそ際立つ、星野アクアが放つ、強烈な輝き。
この日、有馬かなは目撃する。
出会えなかった、隠されてきた、12年。その一端を。
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───2年ぶり、くらいか
この服を着て、この店でステージに立つ。バンドマンをやっていた頃、ここでバイトしていた時以来だ。今日はピアノのみのソロステージだが、ジャズプレイヤーたちと一緒にやった事もあった。その度にマスターが成長期のオレのサイズに燕尾服を調整してくれた。
最後に此処に来たのは『今日あま』収録後。スランプに陥っていた時期だ。あの時一応採寸してもらってサイズは合わせているため、ぴったりの着心地になっている。
───これ着ると、やっぱり背筋が伸びるな
パリッとした服の感触が、無意識のうちに佇まいを正させる。これから人に見られるという明確な意識。頭のてっぺんからつま先まで気を抜けない感覚。程よい緊張感と圧迫感が、アクアの背筋を伸ばさせた。
ピアノが備え付けられた壇上へ立つ。酔客の視線が集中する。笑顔で彼らに応えながら、グランドピアノの前へ立った。
白と黒。モノトーンで彩られた単純な色彩。だからこそ美しい。音が鳴らないように鍵盤へと触れる。2年前と変わらない感触に口元が綻んだ。
───あ……
触れた途端、感じた。わかった。多分、コイツに触れるのは、今日が最後だ、と。
アクアは、別れがなんとなく分かる時がある。何かに触れることが、これで最後だと感じる時が。楽器だったり、女だったり、その時によって様々だが、慣れ親しんだモノや好意を持っていた人が相手の場合が多い。その何かと別れ、訣別し、新たな舞台へと発つ。そんな岐路を感じる時があった。
今夜もその一つ。何度も弾かせてもらったこのグランドピアノとの別れを、なんとなく感じた。
───なら。オレが君に捧げるべき曲は……
曲目が決まる。本当なら試運転してからにしたかったが、流石に無理だ。チューニングは弾きながらやるしかない。座椅子に座る。指にフッと息を吹きかけた。
旋律が奏でられる。曲目は……
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「ショパン。ピアノ協奏曲第一番ホ短調」
アクアの演奏が始まり、十数えるくらいの時間が経った頃、マスターの口からポロリと溢れる。私はわからなかったが、多分今アクアが弾いている曲の名前だろう。アイツ、ショパンなんか弾けたのか。
「有名な曲なんですか?」
「知ってる人はね。ピアニストなら一度は弾きたいと思う憧れの曲よ」
マスターが曲について説明してくれる。1830年。音楽家としての飛躍のため、ショパンが故郷のワルシャワを発つ前に開いた告別演奏会のために作られた曲。
本来序章は管弦楽のみで始まるのだが、アクアはそこもピアノで演奏している。重厚で力強い演奏から、どこか甘く悲しい旋律に変化した。
「故郷を発とうとするショパンがこの曲に込めた気概を感じる提示部。『浪漫的』で『静穏』。『半ば憂鬱な気持ち』と『楽しい無数の追憶』」
ショパンが友人への手紙に書いた、この曲のテーマ。楽しく、切なく、大人になっていく自分への希望と悲しさをアクアはピアノで見事に表現してみせた。
「あの子、どこかに旅にでも行くのかしら?それとも誰かと別れでもした?ちょっと見ない間に随分色っぽくなっちゃって。男子3日会わざれば、よねぇ」
マスターの言葉は有馬に届いていない。艶めく旋律。美しい音と共に唄うアクア。指が魔法のようにひらめき、飛び、踊り、跳ねる。
───カッコいい…
星の輝きを放つ目を閉じて曲に入り込む姿はカッコよかった。色っぽかった。綺麗だった。今まで見たことないアクアだった。アクアの音楽が、アイツのオーラが、あっという間に人を引き込んでいく。
また曲調が変わる。弾けるようなスタッカート。しっとりとしたメロディから今度はダンスでも踊りたくなるような旋律へと変化し、ギャップとコントラストが聴客の興味を煽った。
「第3楽章。rondo vivance。ポーランドの民族舞踊を基にしたロンドよ」
アクアがこの曲を選んだ理由の一つ。それはこの第三楽章のロンドがある事。ここはバー。音楽の生演奏をやっていることは常連には周知の事実。しかし客の全員がクラシックに造詣があるわけではない。故に聞いているだけで楽しくなるような、ショパンを知らなくても踊りたくなってしまうような、そんなメロディも必要だと判断した故の選曲だった。
繰り返される主題の旋律。段々とメロディは終わりを感じさせる旋律を奏で始め、アクアの手元は忙しく動き、眉間には皺がより、頬から汗が伝う。
───難しそう…
素人でも分かるほど技術的な難所だとわかる。終盤のコーダ。しかしなんとか弾き切った。
アクアが鍵盤から手を離す。しかしピアノからは旋律が続いている。右足がペダルの最深部を踏み続けていた。
「────っ」
徐に右手を天に掲げ、大きく広がる。グッと閉じた瞬間、ペダルから足が離れ、旋律も止まった。
「bravo‼︎」
一瞬の静寂。カウンターから放たれた力強い一言。その声を皮切りに店中から湧き上がる拍手と賛辞。ブラボーの嵐。私もほとんど無意識に席から立ち上がり、手を叩いていた。
───?
壇上、アクアと目が合う。拍手に応えながら、私にしか見えないように左手で何かサインのようなモノを送っていた。
「有馬ちゃん、こっち」
「はい?」
「『裏から出る。待ってろ』だって。普通に出てきたらまたあの子、人に囲まれちゃって大変だから。ちょっとは手加減して弾けばいいのにね」
そう言われてみると、確かにステージの出口らしきところに人が集まり始めている(特に女が)。
常連は演奏者が此処から出てくるのが常だと知っている。簡単に言って仕舞えば出待ちされてる状態だった。
マスターにカウンターの向こう側へと入る勝手口を開けてもらい、そのまま案内される。非常口と思われる真っ白な廊下で、ネクタイを緩めたアクアが佇んでいた。
「ジュニア。お疲れ様。いい演奏だったわよ」
「疲れた……あんな長い曲、久々に本気で弾いたから」
「だからいつも抜くところは抜けって言ってるのよ。あんな常に全力疾走じゃ疲れるに決まってるじゃない」
「やるとなったら手加減できないタチだ」
「ほら、着替え一式纏めといてあげたから。今日はもうそのまま帰りなさい。有馬ちゃんも、いいわね?」
「あ、えっと……」
「ジュニア、タクシー呼ぶ?」
「いいよ、ちょっとほてった体冷ましたいし。駐輪場まで歩いて帰る」
ジャケットを脱ぎ、コートを羽織る。タキシードのまま外を歩いたら目立つが、季節柄上着を着て仕舞えば下に何着てるかなどわからない。私服はマスターがまとめてくれたバッグに入れた。
「有馬、行くぞ」
「あ……ハイ」
空いた手で有馬の手を引く。なんかいつもより従順でちょっと違和感を覚えたが、特段気にせず、非常口から出ていった。
「───ホンットあの子は。モテる自覚あんのかないのか、よくわかんないわ……この法治国家で流血沙汰はそうないと思うけど、女性関係でトラブル起こす日もそう遠くなさそうね」
演奏の間、ずっと有馬かなの恋する乙女の顔を見続けていたマスターはため息を吐き、店に来ている客の相手へと戻った。
▼
夜の東京。クリスマスの飾りで彩られた街を2人の男女が歩く。1人は機嫌良さそうに鼻歌を唄いながら。もう1人は頬を赤く染め、俯きながらも、男の隣を歩き、チラチラとその横顔に視線を送っている。
「アンタってさ」
沈黙に耐えきれなくなったのか。それとも別の理由か。白いファーの帽子を被る少女が口を開く。蜂蜜色の髪の少年は鼻歌を止め、視線だけ少女に向けた。
「ああいうの。どこで覚えたの?」
「ああいうの?」
「ピアノとかもそうだけど!女の子にこっそりサイン送ったり!食事できるバーとか知ってたり!そこの常連だったり!女の子の扱いに手慣れすぎてるっていうか!秘密の関係に親しみありすぎっていうか!高校生離れしすぎよ!一体今まで何人の女の子転がしてきたの!?」
「うるせーな。芸能事務所で生まれ育って業界人に囲まれて12年も過ごせば自動的にこうなる(嘘だが)」
「ならないわよ!少なくともルビーはアンタみたいに異性慣れしてないもの!」
「仮にもアイドルだ。アイツはアイツなりに考えて距離とってきたんだろう。オレも積極的に関わりはしなかったが、避けもしなかった。そういうのも芸の肥やしになるから」
その言葉にうっ、と黙り込む。色恋や異性が絡まない作品などない。役者は経験のないことを演じなければいけないこともあるが、それでもやはり経験していることの方が圧倒的に演技しやすい。ましてアクアは憑依型。経験から創造するメソッド演技の熟達者。体感することは多いに越したことはない。この辺のことを言い訳に持ってこられると、有馬かなは反撃しにくく、そしてそうなることを星野アクアも知っていた。
「ピアノはガキの頃、ジャズバーに連れていかれた時にちょろっと。そっからはたまに人に教わる時もあったけど、ほぼ独学」
「あれだけ弾けて、独学?」
「全然だよ。今日の演奏なんて聞くに耐えねぇ。特に後半。うろ覚えの部分もあったし、あの曲コーダはめちゃくちゃ難しいから、結構端折っちまった」
聞く人が聞けば『ショパンへの冒涜』と言われても何も言い返せない。練習もなしに完璧に演奏できる曲ではなかった。
「…………そっちの道に進もうとか、思わなかったわけ?」
「ないない。オレなんて素人に毛が生えた程度だよ」
「アレで?そうなの?」
「そうだよ。オレに教えてくれた人なんて、オレの10倍上手かった」
大袈裟ではない。ナナさんはオレの10倍上手い。だけど上には上がいて、下からは抜かれそうになって、その繰り返しに耐えきれなくなって、ロックの世界へと来た。
「それに、オレのピアノはその場のノリとかで結構アレンジとか加えちまうし。ライヴ感を大切にして、その時その時の、天気ひとつで変わってしまう音や楽器たちの中で、最高の演奏を求めてしまうから……クラシックには向いてないって言われた」
格調の高いクラシックやそのコンクールにはそれぞれの正解があり、解釈がある。故に評論やアナリーゼが大切になってくるのだが、些か堅い。ロック出身で自由な音楽を好むアクアには、確かに向いていなかった。
「アンタさ、この旅行の後、独立でもするつもりなの?」
「?」
「マスターが言ってた。あのショパンは訣別の曲だって。故郷を離れ、新天地へと向かう者の、決意と郷愁。未来への期待と過去の追憶の曲なんだって」
「………………」
ガリガリと頭を掻く。そういうのを、まるで考えなかったといえば嘘になる。この場で嘘をつくのはなんとなく嫌だったアクアは、マスターのおしゃべりをちょっと恨んだ。
「今度の宮崎旅行、アンタには何か、思うところがあるの?」
「さあな。何が待ってるか、わかんねーから行くんだよ。きっとこの旅行が、オレの人生の岐路の一つになる。なんとなくそんな気がするから」
上機嫌に演奏の余韻に浸っていたアクアの横顔が引き締まる。何かに縛られているような、何かが取り憑いているような、少し前までのアクアと同じ顔になってしまった。
───余計なこと、聞いたかしら
少し後悔する。さっきまでは満足と興奮とそれ以外の何かで紅潮していたほどだったのに。急速に冷えた。クリスマスの夜に相応しい顔になってしまった。
そんな顔をさせたかったわけではないのに。
ただ、もし訣別の内容が、黒川あかねとの別れだったらいいなって思って。ちょっと聞いてみたくなっただけだったのに。
「有馬。何やってる。早く乗れ」
ヘルメットを投げられる。両手で慌てて受け止めた時、もうアクアはバイクのエンジンを吹かしていた。
「バ、バイクで帰るの!?」
「?問題あるか?」
「アンタ免許持ってんでしょうね!」
「当然」
「…………」
「心配しなくてもお城みたいな建物に連れ込んだりしねーよ。ちゃんとお前の家の前で退散する」
「そっ、そんな心配してないし!」
「ならさっさと乗れ。オレの腕が信用できんというならタクシー呼んでやるが」
「…………」
「ちなみにあかねはオレのバイクの後ろに乗ったことあるぞ」
「乗る」
絶対に自分を曲げない感を出しているが、実は直角に曲がる女、有馬かな。
アクアの腕というより、『身体が密着しちゃう』とか『どこに手を回せばいいの!?腰!?腰でいいの?!』などといった、恋する乙女的理由で躊躇していた彼女だったが、その一言で迷いは吹き飛び、カクンと曲がった。
▼
都内某所墓地。目立たない場所にひっそりと立つ墓石。2人の男女が線香の前で手を合わせている。2人とも容貌は凄まじく整っており、一目で血縁だとわかるほどよく似ている。星野ルビーと星野アクア。この墓石の下に眠る女性の双子の子供達だった。
「ママ、約束通り来たよ。2人で」
妹は母に語りかける。舞台が始まる前、偶然兄と一緒になってお参りした時、約束した。舞台が終わったら2人で来る、と。
「───お兄ちゃんの舞台は無事終わりました。批判する人もいたけど、概ね好評。姫川さんに負けはしなかったと思う」
芸術は食べられない食事のようなもの。合う合わないは絶対避けられないし、賛否両論はあって当たり前。その中でアクアはほとんどの人達から天才と認められる仕事を果たした。
今年のうちはミヤコさんがあえてオファーは引き受けなかったけど、来年からアクアの仕事は増えるだろう。
「ママ、お兄ちゃんは頑張ってます。誰よりも凄い役者になる。ママとの約束を果たす日も、多分そう遠くないと思う」
「オレだけじゃない。B小町の活動も結構順調だ。ユーチューブの登録者数は2万超えたし、新曲も出来た。オレも聞いたけど、いい曲だったよ。バズるかどうかはコイツ次第だが」
くしゃりと兄が妹の頭を撫でる。ちょっと眉を顰めながらも、妹は兄の手を受け入れ、身を寄せた。
「今時はキューベースやプロツールで調整しまくる。オンチギリ卒業程度でも聴ける仕上がりにはなるさ」
「お兄ちゃんってホント自分にも他人にも厳しいよね。せめて妹には優しくしてよ」
これでも結構妹には甘いのだが、基本的に甘やかされて育った美少女ルビーに辛辣な言葉をぶつけるのは有馬以外では兄くらいしかいなかった。
「今度、そのMVの撮影で2人で宮崎に行ってきます。懐かしいよね。私たち生まれてからずっと東京だったし」
本当に懐かしそうに語る妹に兄の眉が若干引き攣る。母に語りかけるのに夢中になっている少女はその変化に気づかなかった。
カァ
一瞬の静寂、カラスの鳴く声が空気を切り裂く。冬至は過ぎたとはいえ、日が落ちるのはまだまだ早い。空を見上げるともう夕日が世界を染め上げていた。
「帰るか」
「うん。また来るね」
最後にもう一度、墓の前で手を合わせる。線香の匂いが鼻をくすぐった。
───舞台が終わってから、お兄ちゃんはちょっと辛そうです
口には出さず、心の中でだけ語りかける。兄の変化に最も近くで見てきた妹は当然気づいていた。
───疲れてるっていうか、憑かれてるっていうか。憑き物があるのは知ってたけど、それが重くなっちゃったって感じ。私なんかよりずっと早く立ち直ったと思ってたけど、やっぱりまだ引きずってるみたい。
だから、お願いします。
───これからママと同じ道を進むだろうアクアを、どうか見守ってください
今まで兄に守られてきた妹は、今日初めて、兄を守る願いを込めた。
「宮崎か」
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
幕間劇は終わり、次回からついに舞台は神話の国へと移ります。待ち構えるのは希望か、絶望か。なくした星か、死神か。最後の一言はもちろん死神。一応伏線。できれば覚えておいてください。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。