星をなくした子   作:フクブチョー

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母になる火を知らぬ少女の仮面
冷徹は貴方を愛しているから
暖かさは子を愛しているから
涙は自分を許してあげられないから


79th take 関係ない

 

 

 

 

 

 

 

「…………やったわね」

 

不知火フリルが所属する事務所。その社長室。人を招くこともある場所のため、立派な机と椅子が設えてあるその部屋に、妙齢の美女とマネージャーらしき女性が1人。そして翠がかった黒髪に泣きぼくろの少女が佇んでいた。

 

「言い訳はしません。私が軽率でした。申し訳ありませんでした」

「だから言ったのよ!星野アクアとは関わりすぎない方がいいって!どうするんですか社長!こんなことになって!」

「喚かないで。ただでさえ頭痛いんだから。大声出しても何も解決しないわ。フリルにも、その子にも良くない。まずは一旦落ち着きましょう。話はそれからよ」

 

社長に諭され、マネージャーも一旦怒りの矛先を下げるが、社長とて冷静というわけではなかった。やまない頭痛に頭を抱え、珍しく苛立ちを露わにして机に肘をかける。トントンと叩く指は不機嫌さを隠そうともしていなかった。

 

「取り敢えず星野アクアと連絡取るわ。その事務所とも。事の顛末を共有して打開策を──」

「それはやめてください」

 

ずっと頭を下げていたフリルが顔を上げる。それをされるくらいなら、自らの破滅も厭わない。そんな覚悟を宿した目でフリルは社長を見据えていた。

 

「わかってるでしょう?貴方だけで解決できる問題じゃ──」

「私だけで解決できる問題です。シングルマザーなんてこの世にいくらでもいます。父親を知らない子供も。勿論頼るところは頼ると思いますけど、アクアを頼る必要はありません」

「貴方、自分が何を言ってるか、わかってるの?」

 

今回の顛末を聞いたから知っている。苺プロ事務所はおろか、星野アクアさえもフリルの妊娠については知らない。そしてこれからも知らせるつもりはないと、フリルは言っているのだ。

 

「才能の妨げになるならなんだって切り捨てるべき。彼にそう言ってきたのは私です。お願いします。この事にアクアを関わらせないでください。彼は何も悪くないんです。私が誘惑して、私が挑発したんです。私の失敗です。私のせいです。だからお願いします。彼を巻き込まないでください」

 

もう一度深く頭を下げる。だけでなく膝を折り、跪こうとする。その直前に社長がフリルの肩を支え、その行為を止めた。

 

「フリル。私も子供を持つ身よ。そして旦那とは随分前に別れたわ。確かに父親がいなくても子供を育てる事はできる。けどそれは貴方が頼る相手が父親から事務所や貴方の両親に変わるというだけの話なの」

 

経験者だからこそわかる実情。1人の人間を一から育てる大変さ。いかに不知火フリルが聡明とはいえ、その理解はまだまだ甘いだろう。だからこそ話はしなければいけない。

 

「星野アクアに負担をかけない分は私達や貴方の両親へ向かう事になるわ。貴方1人のワガママのせいでね。貴方はそれに耐えられる?」

「…………できるだけ家族にも事務所にも負担はかけません。こういう非常時の為に稼いでるお金です。そういった仕事をしてる人に頼めば──」

「全く知らない大人に面倒を見られるというのは子供にとって大変なストレスよ?お金をもらうプロと言っても信用できるかどうかはまた別の話。児童保育で虐待があったなんてニュース、幾らでもあるでしょう?」

 

プロに頼るというのも悪いとは言わない。それができるだけの稼ぎはフリルには十分過ぎるほどある。しかしどんな道を選んだとしても、危険はある。頼らなければいけない時は来る。恥に身を小さくしなければいけない時も。

 

「その時、貴方は子供と星野アクアを、恨まないことができる?」

「……………………」

 

黙り込む。二十数えるほど沈黙が部屋を支配した後、フリルは社長を見据え、「わかりません」と答えた。

 

「できます、なんて断言できるほど私は出産も子育てについても知りません。今この場で断言する事はできません」

「ならもう…………おろせば」

「それだけは絶対にしません」

 

躊躇いがちに口にしたマネージャーの言葉を今度は断言する形で否定する。続いた。

 

「私の失敗で出来てしまったコトです。私が断罪されるのは構いません。ですがこの子には何の罪もないんです。命を授かった以上、産んであげたい。産まなければいけない。それが私が果たすべき最低限の責任だと思ってます」

「その決断に後悔する事はないわね?」

「はい。それは断言できます」

 

社長とフリルが真っ直ぐにお互いを見つめ合う。その眼光に折れたのは社長だった。

 

「わかった。協力するわ。星野アクアにも知らせない」

「社長!!」

「女性タレントを抱える事務所である以上、こういった事態は想定内よ。そのケアに対してのノウハウも持ってるわ。私たちは貴方の味方であり続ける事は約束しましょう」

「ありがとうございます。この恩は必ず返します」

「ただ、病院は東京の所を使うのはやめなさい。人目があるし、どこから噂が漏れるかわからないわ。地方で良い病院探しましょう」

「お世話になります」

「それと、フリル。一つだけ約束しなさい」

「…………内容次第ですが」

「私から星野アクアに直接教える事はないけど、彼が自主的に知ってしまった場合、彼にはウチに移籍してもらうわ。いいわね?」

 

その約束に、フリルはイエスと答える事はできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「良かったんですか?」

 

空港からの帰り道。フリルのマネージャーを務める白河が社長に尋ねる。何のこと?と、とぼけることはしない。流石に今回のはとぼけていい事じゃない。

 

「運命よね。あの子が一時的に入院してる場所に、今、このタイミングで旅行に行くなんて」

「私はそういう不確かなの、あまり信じてないんですけど。運命を信じるなら呪いも福音も全部信じなきゃいけなくなりますから」

「私は全部信じてるわよ。だから私たちはあの子に出会えたし、あの子は星野アクアに出会えた。そして子を授かった」

 

運命だろう。祝福だろう。呪縛だろう。あの2人は。

 

「なら、出会って然るべきよ。あの2人は。この三日間の内のどこかで」

 

それぐらいでなければ、うちの事務所の誰も納得しないだろう。不知火フリルの妊娠も。星野アクアの移籍も。出会わなければそれまでの男だったという事。今後一切フリルには関わらせないし、近づけもしない。

 

───けどそれはあの子嫌がるだろうし、結局あの子のためにもならないから

 

「信じてるわよ、星野アクア」

 

貴方の運命力を。貴方の天才を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ベッドとテーブルが備え付けられた個室。そこが不知火フリルに与えられた病室だった。表記には本名でなく偽名が使われている。『星野あかね』と書かれたプレートの部屋の中で一組の男女がいた。

 

座椅子に座るのは両手を顔の前で組み、膝の上に肘を立てている。黒髪にキャップ。マスクで顔を隠しているが、その奥で光る星の瞳は誤魔化せない。

 

星野アクア。身内の仕事に便乗し、宮崎に旅行で来ている実力派若手俳優。殺人事件となくした記憶の調査のため、この病院に訪れていた。

 

もう1人は少女だった。背中まで伸びた黒髪は光に透かすと淡い緑を帯びる美しさ。翠色の目には強い力が宿り、白磁の肌に墨を一滴落としたような目元と口元の泣きぼくろが艶っぽい美少女。

 

不知火フリル。日本国民なら知らない人はまずいないと言われるほどのマルチタレント。

 

少し膨らんだお腹を大事そうに抱え、フウと息を吐きながらベッドに座る。それからしばらく無言の時間が2人を支配した。

 

「…………いつからだ」

 

沈黙に耐えきれなくなったのか、それとも別の理由か。独り言のような小さな声でアクアが呟く。主語も述語も目的語も何もかも足りていない言葉だったが、この少年をして妖怪と称される少女には全てちゃんと伝わった。

 

「最初はね、心臓の病気だと思ったの」

 

軽い口調で言葉を紡ぐ。続いた。

 

「アクアが舞台稽古で初めてパニック発作を起こして、倒れた時。あれを見た時、私の心臓がまるで潰れちゃったみたいに痛くなって。耐えきれなくて吐いちゃって。あの後アクアは一晩寝たら治ったみたいだったけど、私の方はぜんぜん治らなくてね。仕事の後、病院に行った」

 

症状をマネージャーに話したら、東京の、心臓外科では名医と呼ばれる人がいる病院に直ぐに運び込まれたらしい。

 

「そしたらそのおじいちゃん先生がね──」

 

『恋の病だね』

 

「───って言い出して」

 

終始俯いていたアクアの顔が上がる。何言ってんだコイツと表情が語っていた。

 

「私も何言ってんのこの人、って思ったよ。でもね──」

 

 

 

 

 

 

「そんな名前の心臓病があるのでしょうか?」

 

病院の診察室。若干眉を顰めつつも、真剣に質問するフリルに対し、田沼というネームプレートをつけた医師もまた真剣に答えを返した。

 

「普通に好きな人にドキドキする症状のことだね」

「ドキドキではないんです。寧ろ逆で。心臓止まりそうになったっていうか。ギュッと潰れちゃいそうになったっていうか」

「種類が違うだけで発生源は同じだよ。恋から来る心肺の心配だね」

「でしたらなんですか。私は恋のせいで彼が倒れたら心臓が痛くなって吐いてしまうくらい体調を崩してしまったと?」

「はい。ご心配なく。私は貴方のような症状の方、初めてじゃないから。慣れたものだよ。数年ぶりではあるがね。最初の30年の衝撃に比べればいかほどでもないよ」

 

その後もいくつかやり取りはあったが、最終的に全て恋の病で収束させられた。

 

「わかりました。状況を整理しましょう。最近何をしていてもその特定の男子が頭によぎる、と」

「はい、そうです」

 

ご飯を食べていても、この味アクアが好きそう、とか考えるし、面白いことがあったら、アクアと共有したいと思うし、くだらないことでも話がしたいと思う。

 

「最近彼に仲の良い女の子ができて、形式上ずっと隣にいるみたいな関係になって、それを見てると胸がモヤモヤする、と」

「だからそうですって」

 

あかねと恋リアでカップルが成立した。あの後の打ち上げでも、別れの夜でも、平気なフリをしていたが、モヤつく感情を消し去る事はできなかった。

 

「そして彼が急に倒れた姿を見たら、心臓が止まるかと思う程彼が心配になって。今まで他人に見せた事ないくらい動揺して、激昂して、体調を崩してしまった、と」

「だからそうだって言ってるじゃないですか」

「それはね、恋だよ」

「違うって言ってるでしょう。別に彼がやってる事に不平も不満もありませんし。お互い納得した上で今も親友やってるんです。恋なんて浮ついた感情じゃありません。絶対心臓の病気です。先生、気を遣ってくれてるんですよね?良いんですよ、本当のことを仰ってくださって。穴の一つや二つ開いてるって言われても私は驚きませんから」

「だったらもう死んでるかな」

「フリルさん、私外で待ってますので、終わったら呼んでください」

「白河さんまでなに。私が恥をばら撒いてるみたいな顔して」

「私、もうこの病院来れませんよ。せっかく評判のいいところで結構使わせてもらってたのに。もう最悪」

「とにかく、絶対心臓の病気です。CTでもなんでもいいので隅から隅まで検査してください」

「最新機材を使うとなるとお金かかるよ?」

「事務所に投げますんで大丈夫です」

「フリルさん!?」

 

 

 

 

 

 

「って感じで、私が症状を説明すればするほど『恋の病だね』って言うし、こんなこと初めてなんですって言ったら『じゃあ初恋だね』って言われた」

「ホントに名医なのかその人」

「わかんないけど、私はヤブだと思った」

 

でもせっかくの機会だから、とこの際頭のてっぺんからつま先まで隅々診察してもらうことになったらしい。

 

そして、発覚する、最悪の真実。

 

「三ヶ月だって、言われた」

 

───三ヶ月……て事は今は四ヶ月から五ヶ月の間

 

オレが稽古で倒れたのが10月下旬。あの嵐の夜から。フリルと関係を持った期間が7月から8月。そして今は12月末。

 

タイミングは綺麗に合う。合ってしまう。

 

───そういうことだったのか。

 

いつからか、フリルに抱いてた謎が解ける。彼女がアクアと距離を取るようになったのも、アクアが倒れた次の稽古からだ。今までのように近くにいたら勘のいいアクアはフリルの変化に気づくかもしれない。精神的な変化も、肉体的な変化も。だから距離をとった。多少不審に思われても、これ以上アクアに情報を与えないことを優先したのだ。

 

「私たちぐらいの歳だと、安全日なんてあってないようなモノなんだって。ゴムも、絶対じゃないらしいし」

 

気をつけていたつもりだった。

 

そういう事故が起こらないよう、女と関係を持つときは気をつけていた。両手の指で数えられるくらいの女を抱いてきたが、今までそんな失敗をした事はなかった。

 

だからこその油断。慢心。あの夜、何の準備もしてなかったのに、行為に至ってしまった。一回ぐらいとタカを括ってたのかもしれない。それにフリルならちゃんとアフターケアするだろうと思ってたし。

 

───いや、違う。そうじゃない。

 

盲目的に思い込んでいただけだ。まさか自分がそんな事になるはずない、と。

 

───考えてても仕方がない

 

アクアの思考が後悔から少し前へと進む。これからどうなるか。どうすべきか。フリルはどうしたいのか。真っ暗だが時間は止まってくれないし、こうしている間にも時計の針はどんどん進む。考えなくては。いつも通り。これからのことを論理的に。筋道を立てて。最悪に備えて。

 

「言っとくけど、これからどうしようとか、アクアが考えなくていいから」

 

そしてそう思考が回るだろうと読んでいるのが目の前に座る美しい妖怪だった。少し膨らんだ腹部を撫でながらフリルは冷たい目でアクアを見下ろした。

 

「この事にアクアなんて関係ないから。間違っても責任取ろうとか、あかねと別れようとか、考えたりしないでね。キモいから」

「───関係なくなんて……いや、関係ないのか?」

 

アクアの中で少し疑問符が立ち上る。時期的に合うというだけで、もしかしたら相手はオレとは限らない、という思考が浮かんだ事に妖怪が気づく。すると冷たい目から一転。怒りの目に切り替わる。冷徹の仮面をつけていられた時間は数秒だけだった。

 

「貴方以外に指一本触れさせたことなんてない!貴方がこの子の父親!それは間違いない!でもそんなことどうでもいいことなの!」

「だったらどうでもよくなんか──」

「うるさい!私の中にいるの!産むのは私!私の子!アクアなんか関係ないんだよ!何にもできないくせに!」

 

ベッドから立ち上がり、激昂する。宥めるようにアクアも椅子から立ち、フリルの肩に手を添えた。収まりはしなかったが、振り払ったりもされなかった。

 

「だってそうでしょ?アクアも私も未成年だから親権は持てない!持つのは母方、つまり私の実家!アクアは責任なんて取りたくても取れない!なら相談するだけ無駄じゃない!」

「フリル……」

「貴方にわかる?!お腹に子供がいるってわかった時の絶望!だけど貴方の子を宿した事の喜び!希望も絶望もごちゃ混ぜになって!世界が崩れ落ちそうになった、心臓が凍りついたかと思った、あの感覚!わからないでしょ!?わからない貴方に、私達のことなんて関係ないのよ!」

「…………わかった。フリル、わかったから。落ち着いてくれ」

「どうしよう!?どうしようアクア…私子供出来ちゃった…こんな事になるなんて思ってなかった。信じて。貴方を騙すつもりなんてカケラもなかった。あの日は本当に大丈夫な日のはずで。すぐに薬とか、飲めば良かったのに。あの嵐の中バイクで出て行った貴方のことが心配で。ずっと携帯握りしめてた。貴方の連絡をずっと待ってた。アクアからあかねが無事だってLINKが来た時には、安心して眠っちゃった」

 

フリルの口からあの夜の顛末が震える声で語られ始めた。フリルの怒声が勢いをなくしていき、声に涙が混じる。フリルの膝が崩れ落ち、倒れ込みそうになる。咄嗟に抱き抱えるが、オレの態勢も崩れた。2人とも座り込むような形になる。フリルは倒れ込んだ勢いのままに、オレの胸元へ額を押し付け、オレの腕の中に収まった。あまり力は込めずに、けれどしっかりと抱きしめる。

ずっと気丈に振る舞っていたんだろう。事が発覚してからも、社長たちから問い詰められた時も。ずっといつもの、凛として美しい不知火フリルであり続けたのだろう。五ヶ月間貼り付けられていた仮面が星野アクアを前にして、今、剥がれ落ちた。

 

「一晩経って、あかねもアクアも病院に運び込まれたって聞いて、すぐに駆けつけた。あの時はただでさえ恋リアに無理やり出てたツケで、スケジュールパンクしそうになってて。仕事に戻ったら、身体のことなんか忘れちゃってた」

 

切り替えの早さはフリルの長所でもあり、短所でもあった。しかし仕方ないことだろう。この世界、切り替えが下手なやつは生きていけない。

 

「生理不順なんていつものことだった。1日2時間睡眠だってザラだし、昼か夜かわかんない生活してるんだから、当然だって。全然疑問なんて持たなかった。病院で検査してもらうまで。先生は優しかった。こういう事もあるよって。初めてじゃないって。先生もその子供も孫も17で出来ちゃった婚だったんだって。それ聴いて私、初めて笑えた。それ以降は全然笑えなかった。笑えないまま、舞台の稽古やって。本番迎えて。一ヶ月公演した。東ブレの世界観が和装で良かった。十二単も巫女服も身体のラインは出にくいから、誤魔化せた」

 

気づかなかった。そんな爆弾抱えて公演やってたなんて、思いもしなかった。あの時オレはオレのことで精一杯で。幻想の中のアイと戦う事しか考えてなくて。

 

「舞台が終わって、お腹も大きくなってきて。一度病院で診てもらった方がいいって話になって。人目の少なくて私のこと知ってる人も少ないだろう宮崎の病院を紹介してもらった。それから少ししたくらいでアクアから連絡が来た。宮崎旅行に一緒に行かないかって。私すごく悩んだんだよ?アクアがこっちに来るなら、会いたいって。会って話がしたいって。でも出来なかった。会うわけにも話すわけにもいかなかった」

 

なんで、と言葉が喉元まで競り上がる。なんでもっと早く話さなかった、と。なんでもっと早く会いに来なかった、と。喉元まで競り上がった言葉を飲み込む。まだフリルの独白の最中だ。遮ってはいけない。最後まで吐き出させなければならない。

 

「だって、だって……こんなこと知っちゃったら、アクア困るでしょ?アクアなら責任取ろうとするでしょ?貴方の才能を妨げるものならなんだって切り捨てるべき。そう言ってきたのは私。私が貴方の足枷になるわけにはいかなかった。足枷になんてなりたくなかった。だから我慢して……我慢して我慢して我慢して我慢して。会いたいのも、話したいのも、声を聞きたいのも、貴方に触れたいのも、全部我慢してきたのに……」

 

胸元に湿り気が集まる。ボロボロと大粒の涙を流し、アクアの胸に顔を埋めた。

 

「なんで、来ちゃうの。なんで、会っちゃうの。なんで、気づいちゃうの……私達は」

 

───初めて見た

 

コイツが子供のように泣いている姿を。涙を止めようとしてるのに、興奮して、逆にもっと止まらなくて。涙が止まらなくて、同時に鼻水も出てきて。涙腺も、相貌も、何もかも崩れ落ちた不知火フリルを、初めて見た。

 

美しい、と思った。

 

コイツはずっと綺麗な女だった。涼しげな目。筋の通った鼻。薄い唇。白磁の肌に、一点の墨を落としたかのような泣きぼくろ。綺麗な女だった。顔も。声も。立ち姿も。無表情がデフォだが、無愛想ではない。話をしても面白いし、一緒にいて飽きない。欠点も弱点も見当たらない。綺麗な女だった。こんなに綺麗な女がいるのかと本気で思った。

 

今は全てが崩れている。

 

いつも涼しげな目元は歪められ、筋の通った鼻からは水気の多い粘度のある液体が涙と混ざり、流れ落ちている。白磁の肌にはシワがより、いつも余裕綽々の無表情はグチャグチャだ。大衆の理想からはかけ離れている。

 

しかし、アクアの目には、今のフリルが美しく見えた。仮面も全て取り払って、素の不知火フリルを曝け出している。女優でもアイドルでもない、不知火フリルそのものを美しいと思った。

 

「ごめん、フリル。ごめん」

「ごめんなさい、アクア。ごめんなさい」

 

抱きしめる腕の力を強くする。フリルもオレの胸元で握りしめていた手の力が強くなったと、服のシワの度合いで分かった。

 

「本当に貴方に話すつもりなんてなかった。この事に貴方に責任なんて取らせたくなかった。だって私が悪いんだから。私のせいだから。アクアはあの時ちゃんとやめろって言ったのに。失敗したいなんてバカなこと言った私に、種類が悪いって忠告してくれたのに。挑発して、誘惑した。私のせいだ。貴方が忠告した通りの失敗になっちゃった」

「お前だけのせいじゃない。最終的に行動に移したのはオレだ。あれが挑発なのはわかってた。お前にはお前の理由があって、オレを利用するためにああいう事してきたのもわかってた。なのにカッとなって、後先考えずに行動した、オレが悪い。オレのせいだ」

「話をするのが怖かった。貴方におろせって言われたら私、従っちゃいそうで。けどそれだけは絶対にしたくなかった。だってアクアと私の子だよ?絶対可愛いに決まってる。百億が一、客観的には可愛くなくても、私にとっては世界一可愛い。だってアクアと私の子なんだから。卵子と精子が出会う確率って知ってる?五億分の一だって。着床するまで含めればもっと低い。そんな奇跡みたいな確率の結果、私の下に来てくれた命。貴方と私の子。絶対に堕ろしたくなかった。今日エコーで見てね?先生が多分女の子だろうって。耳ももう聞こえてくる頃なんだって。心音も聞いた。ドッドッドッて。心臓動いてた。頑張って生きてた。私の中で死なせたくなかった」

 

早い段階で告白されていれば、オレは堕ろした方がいいと言っていたかもしれない。少なくとも提案はしただろう。オレの将来、フリルの将来。諸々考えれば、なかった事にするのが最も安全とも言える。しかしこんな涙を見てしまえば、もうそんな事言えるはずもなかった。

 

「産みたい……」

「フリル」

「産みたいっ」

 

ずっと伏せていた顔が上がる。潤む眼は強い輝きを放ち、真っ直ぐにアクアを見つめていた。

 

「絶対迷惑かけない。貴方の足枷にはならないから。この子は私が守る。私が1人ででも育てていく。だから……だから──」

 

フリルの声が止まる。いや、オレが止めたのだ。その薄い唇にオレのそれを重ねる事で。

フリルは驚いた顔をして、一瞬、身体を硬直させる。だがすぐに力が抜けて、そのまま体重を預けてくる。唇を甘く噛み、舌を入れる。舞台の公演初日以来のフリルとのキス。あの時はオレがされるがままだったが、今はフリルがそうなっていた。キスの深度が深くなるほど胸に走る甘い痺れ。このキスが麻酔でしかないことはオレもフリルもわかっている。今の痛みを誤魔化すだけの麻薬。わかった上でオレ達はこの麻酔を求め、麻薬に身を委ねた。

 

「1人で、なんて言うなよ」

「アクア……」

「そりゃ、お前に比べればオレの負担なんか軽くて、オレにできることなんて何もないのかもしれない。けど、それでも1人で、なんて言うなよ。オレも、オレも一緒に、守らせてくれ」

「…………アクア──アクア──アクア──うぁああああっ!!!」

「ごめんな。ごめんなフリル……ごめん」

 

お互いの肩に顔を埋め合い、慟哭の音を潰し合う。右肩の温もりだけが、2人の救いだった。

 

 

 

 

 

 

 




最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
先日マイページを見てびっくり。1話で感想数50件超えてた。予想通りという声もあれば、予想外だったという声もあり、作者としては冥利に尽きるの一言。一つ一つ目を通させていただいております。ありがとうございます。時間がかかっても返信は必ずします。もう少しお待ちください。
さて、話を戻します。今回は弱いフリルと壊れかけのアクアがテーマ。ずっと気丈で、美しく、事務所ですら凛としていたフリルが、アクアと二人になった時だけに見せる弱さと弱さ故の尊さと美しさが題目でした。いかがだったでしょうか。そして弱いフリルを受け入れながらも、謝るしかできないアクア。アクアも弱さを見せれる相手がいればいいのですが。自覚してないだけでもう壊れかけです。次話で自覚します。壊れかけの星をなくした子に追い打ちをかけるのは……
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。

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