【本編完結】星をなくした子   作:フクブチョー

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穴蔵の底に沈んだ星をなくした子
白兎が導く道はたった一つ
薄い氷で出来たその道を貴方は歩くと決める
天使の祝福と悪魔の呪縛だけを頼りに


80th take 薄氷の道

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………もしもし、あかね?ああ、今病院。話はいろいろ聞けた。その関連でもうちょっと調べたいことができたから帰るの遅くなる。先に休んでおいてくれ──そうだな、今夜はルビーたちと一緒に休むといい。オレは大丈夫。ありがと。それじゃあ」

 

病院の屋上。携帯が使えるエリアに赴いたアクアは帰りが遅くなることをあかねに告げた。今は泣き疲れて眠っているフリルと、病院の面会時間ギリギリまで、アイツと一緒にいてやりたかった。

 

───ホント、どうなってんだよ。この旅行は

 

息抜きの慰安旅行のはずだったのに。息抜きの片手間に自分探しをする程度の旅だったはずなのに。

 

事件に巻き込まれて、衝撃の事実を突きつけられて。肩の荷を下ろすための旅行が、新たな爆弾を二つも背負い込む羽目になってしまった。

 

───どこで間違えたんだ、オレは……

 

自分の足跡を振り返る。ありとあらゆる場面で最善を尽くしてきたつもりだった。それがこのザマだ。どこかで間違えたとしか思えない。

 

───あの嵐の夜にフリルと行為に至ったことか?その後あかねと付き合ったことか?そもそもフリルと出会うべきではなかったのか?アイツがオレに興味を持ったのは『今日あま』ドラマとPVがきっかけらしい。ならアレに出演した事が間違いだったか?それとも───

 

「オレの存在自体が、間違いなのか」

 

自分の手のひらを見つめる。そうだ。オレが生まれてしまった事が間違いなんだ。母の記憶をなくし、多分それだけじゃない何かもなくし、僕は僕じゃなくなってしまった。本来の僕なら、星野アクアなら、もっと上手くやれたんじゃないか?こんな才能のない僕じゃなくて、本当の星野アクアなら。 

 

「はは……だとしたら、僕はとんだピエロだな」

 

星野アクアらしさを求めて、星野アクアを演じてみて、12年。その結果が、この無様。僕が必死に生きた12年は、色んな人を不幸にするだけだった。

 

「あはは……あはは……」

 

『あはははは!!』

 

嘲笑が響き渡る。壊れたレコードのようにその笑い声は何度も何度も繰り返された。

 

「僕の存在が、間違いだったんだ」

 

「そんな事はないよ」

 

笑い声が止まる。振り返るとそこに立っているのは白髪の少女。歳は10歳に辿り着くかどうかと言ったところ。周囲にカラスが飛んでいるせいだろうか。どこか浮世離れした、背筋が寒くなるような雰囲気を纏った少女だった。

 

「君は常に正しい。最善の道を歩いてるよ。君でなければこんなに上手く立ち回れてはなかっただろうね。君は本当によくやってる。見てて感心するくらい」

「学校でカラスが鳴いたら家に帰れって教わんなかったか?日が暮れる前に失せろガキ。今のオレに話しかけんな」

「こわーい。でもあたし、お兄ちゃんに渡さなきゃいけないものがあるんだ。それを渡したら帰るよ。はい、コレあげる」

 

少女の手から投げ渡される。反射的にキャッチし、視線を落とす。アクリルキーホルダーだ。何かキャラクターのイラストが描かれている事はわかった。

 

「コレは………アイの?」

 

古びたアクリル板にはイラストの他に『アイ無限恒久推し!!』と印字されていた。ライブの物販。もしくはガチャなどで手に入れられるようなキーホルダーだった。

 

「グッ!?」

 

世界の修正作用か、感応現象か。

 

それとも少女の力か。

 

アクリルキーホルダーの正体が分かった瞬間、頭痛がアクアを襲う。それと同時に脳内に流れ込む───

 

 

存在しないはずの記憶

 

 

天童寺さりなと書かれた病室。簡素な個室でテレビを眺める2人。1人は医者だ。白衣を纏った黒髪メガネの男。歳は二十代後半と言ったところだろうか。ベッドに横たわる少女とテレビを見ている。

 

もう1人は入院着にニット帽を被った少女だった。恐らくこの病室に入院している子だろう。10歳は超えているだろうか。痩せ細っていて正確な歳はわからないが、恐らく彼女は結構な難病だ。ニット帽は強い薬の副作用によって必要になったんだろう。ガンだろうか?抗がん剤の副作用で髪が抜けると聞いた事がある。医学に関しては素人のアクアでも、なんとなく分かった。

 

───この子が、さりな……あの看護婦さんが言ってた……苗字は天童寺っていうのか……って事はこの男が……

 

 

アマミヤゴロウ

 

 

少女と仲良くしている医者。時に抱きつかれたり、「好き!」とか「結婚して!」とか言われている。男は『社会的に死んじゃうからやめて』と、かわし、『16歳になったら考えてやる』と言っていた。

 

───どこかで、聞いたな

 

何度も好きと言ってものらりくらりかわし、思わせぶりな態度をとる。そんなことを言っていた。それを聞いたのは、確か……

 

───っ。

 

流れ込んでくる記憶の最後。病室で2人なのは変わらない。だが決定的に空気が違った。少女の痩せ方はさっきまでの比ではなく、衰弱という言葉では表せないほどの状態だった。もう薬に耐えられる体ではない。他人の手を借りなければ食事はおろか排泄すらままならないだろう。どうしようもないほどの末期。今にも事切れそうな少女に寄り添うのは眉間に深い皺を寄せるアマミヤゴロウ。

 

せんせぇ……これあげるよ

 

最期の力を振り絞って、少女は手を上げる。痩せ細った小さな手が何かを掴んでいた。

 

体調良い時……一回だけ、B小町のライブに行った事があって……その時のガチャで出たんだぁ

 

アマミヤゴロウの手に渡されたのは、デフォルメしたイラストと共に『アイ無限恒久推し!!』と描かれたアクリルキーホルダー。

 

私だと思って大事にしてね

『───わかった。ずっと大事にする。ずっとだ』

えへへ…

 

役目を果たした左手は男の頬に添えられた。

 

せんせ。だぁいすき。もし……生まれ変わっても、きっと……

 

「───っはぁ!!はぁっ!!はぁっ!!」

 

少女の手が力なく滑り落ちたのと、アクアが現実に帰ってきたのは、ほとんど同時だった。

 

───なんだ今のは……誰かの記憶?誰の?オレの?オレの中に眠っていた何かが、このアクリルキーホルダーをきっかけに目覚めた?でもなんでアマミヤゴロウと天童寺さりなの記憶なんだ?2人とも星野アクアと接点なんてない……天童寺さりななんてオレが生まれる前に死んでるはずだ。100歩譲ってアマミヤゴロウは星野アクアとなんらかの関わりがあったのかもしれないが、天童寺さりなはオレのなくした記憶となんの関係もないはず…

 

本当にそうか?オレはもしかして、とてつもなく大きな前提を。とんでもない何かをなくしていないか?

 

オレがなくしたのは、母親の記憶だけではないのか?

 

「うーん、やっぱ全部は無理かぁ」

 

思考の海が中断される。白髪の少女の呑気な声が、アクアの集中を醒ました。

 

「ま、そりゃそうか。魂が宿っていたモノに触れられたならともかく、そんなんに込められた魂じゃそれが限界だよね。むしろキーホルダー程度でよくそこまで視られたね。豊かな感性に優れた頭脳。未知の事象に対する分析も的確。虚構(ファンタジー)への耐性が高いのは役者故かな?流石は天才。一番星の生まれ変わり」

「どこでコレを手に入れた?」

「カラスが咥えてたのを偶然拾っただけだよ」

「お前……一体何者だ?」

「うん、興味深い質問だね。あたしが何者か?それを決められるのはあたしじゃなく、貴方しかいないと思うよ」

 

すっと小さな手を持ち上げ、こちらを指差す。年端もいかない子供の穏やかな笑みは微笑ましいもののはずだが、アクアから見れば挑発的に映った。

 

「貴方が自分が何者か、答えられないようにね」

 

ゾクリと肌が泡立つ。今の一言はあまりにアクアの核を捉え過ぎていた。

 

「お前っ、何をどこまで知ってる!知ってる事全部話せ!包み隠さず!」

「それを捜すのが、貴方の役目。貴方の道の半ばの一つ」

 

周囲にいたカラス達が突然羽ばたき出す。少女に詰め寄ろうとしたアクアの前をカラス達が塞いだ。

 

「貴方はちゃんと歩いてる。全てを救う、最善の道。だけど半歩踏み間違えれば全てを破滅の奈落に落とす、薄氷の道をね」

 

カラスの羽が舞う。突風が屋上を襲う。羽と風に目を閉じる。再び目を開いた時、もうその場には誰もいなかった。

 

「…………全てを救う道。だけど半歩踏み間違えれば全てを奈落に落とす、薄氷の道」

 

手に持ったアクリルキーホルダーを握りしめる。もうなんの記憶も流れ込んではこなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………アクア」

 

日が傾き始めた病室。窓枠にもたれ掛かり、外を眺めていた背中に声がかかる。夕陽を背負い、蜂蜜色の髪の少年が振り返った。

 

───綺麗

 

思わず見惚れた。夕陽に照らされた横顔。憂に満ちた表情。どこか寒気を感じさせる陰。その全てが星野アクアを彩っていた。まるで天使と悪魔の両方が取り憑いているかのようだった。

 

「起きたか」

 

その一言で現実に帰ってくる。同時に顔を伏せる。大泣きしたまま眠ってしまった。目が腫れぼったい。彼に比べ、今の自分はお世辞にも綺麗と呼べる顔をしていないだろう。

 

「何俯いてんだよ。話したいから、こっち見ろ」

「………目が腫れてるから、顔見せたくない」

「弱ったお前も可愛いよ。顔見たいから、こっち見ろって」

 

───ずるい

 

そんな言い方をされては従わざるを得ない。イヤイヤながらも、フリルは顔を上げた。

 

「…………これからどうする?」

 

不安に瞳を揺らしながら、アクアに尋ねる。目線は逸らさないまま、星の瞳の少年は大きく息を吐いた。

 

「事を知ってしまった以上、色々無視はできない。この旅行の後、社長と連絡取るよ」

「…………社長、貴方に何か言ったの?」

「このことについては一切何も。ただ、事務所移籍しろ、とは言われた」

 

空港で呼び出された時に言われた言葉の意味がようやく分かった。確かにコレを無視できるほど、アクアは良識を捨てていない。

 

「…………社長は多分、アクアを──」

「フリルの長期休養は間違いない。その空いたデカすぎる穴をオレで補填しようってんだろう」

「そこまで分かってるなら……」

 

止めようとする言葉がでかける。大手事務所の大看板の穴を埋める。それはもう殺人的スケジュールになるだろう。その大変さとキツさはフリルが誰よりも知っている。アクアならこなせるかもしれない。こなしてしまうかもしれない。だからこそ心配だったし、止めたかった。

 

「それに、いいの?今の事務所の、ミヤコさんへの恩は?」

 

ほぼ初対面の頃、軽く移籍を誘った時、アクアは苺プロの社長に恩があると言って拒否した。その人に恩を返すまで移る気はない、と。一度口にした言葉を曲げる男ではない事はフリルもよく知っている。彼に不本意な事は少しでもさせたくなかった。

 

ゆっくり大きく首を横に振る。心配するな、と目線が語った。

 

「移籍金はしっかり払って貰うつもりだ。プロとしての恩返しはそれで充分だろう。一個人としては恩を返す機会なんてまだまだあるさ。移籍しても親子までやめるわけじゃないんだからな」

 

口の端に笑みを浮かべるアクアは嘲笑しているようにも、悲しんでいるようにも見えた。

 

「オレのことよりお前のことだ。今後どうするんだ?出産までずっと入院するのか?」

「ううん。今回は検査入院なだけ。1箇所に長く留まり続けるのも危険だから。安定期にも入ったし、もう少ししたら退院する。その後は東京に戻って、雑踏に隠れる。社長のコネで、小さいけど腕が良くて口の堅い産婦人科医にアテがあるんだって。この事を知ってる人間は極力少なくするつもり」

 

この病院では偽名で通したし、顔もできるだけ隠した。宮崎で彼女を不知火フリルと気付けるのはアクアだけだろう。流石に出産時は顔も隠せないし、産婦人科医には正体を明かすことにはなるが、社長の知り合いならまだ安心できる。

 

「そうか。良かった。東京にいるなら仕事の合間にでも様子は見れるだろう」

「…………アクアは、この後どうする?」

「だからお前のとこの社長に連絡取って──」

「そんな先の話じゃなくて、今の話」

 

今は夕方の16時。あと一時間で通常の面会時間は終わる。申請すれば病院に泊まることもできるらしいが、流石にそこまではできない。今日中に帰らなければ、あかねに何か勘付かれるかもしれない。

 

「面会時間ギリギリまでは、いるよ」

「明日には帰るんだよね」

「ああ」

「…………また、しばらく会えないね」

 

ベッドの上で視線を落とす。こんなに弱っているフリルは初めて見たかもしれない。

 

「ねえ、アクア。あと一時間、一緒に寝て欲しい」

 

ベッドの布団を捲り、スペースを空ける。意図を察したアクアは流石に躊躇の顔色を見せた。

 

「ここに居ると、不安なの」

「不安…」

「1人で静かな場所にいると良くないことばっかり考えて。ちゃんと産めるのか。産めたところで、その後は?考えれば考えるほど、不安になる。四方八方から壁が迫ってきて、押しつぶされそうになる」

 

言っている事はよくわかる。不安じゃないはずがない。将来を考えないはずがない。この聡明な少女なら尚更だ。

 

「貴方を病棟の廊下で見つけた時、悲しかったけど、すごく嬉しかった。閉じていた世界が、パァッと開いた気がした。ここ数日で初めてまともに呼吸ができた気がする。隣を横切ったのも、半分わざと。気づいてほしくないと思うのと同じくらい、気づいて欲しかった」

「フリル…」

「貴方は明日帰っちゃう。明日から貴方はあかねの彼氏に戻っちゃう。それを止める権利は私にはないし、止めようとも思わない。今のアクアにあかねは必要だと私も思うから」

 

母を殺した黒幕。その存在についてはフリルもある程度知っている。あかねほど詳しく話してはいないが、アクアがアクアの家族の身の安全のため、そいつを逮捕しようとしていることも察している。その為に人格をほぼ100%トレースできるあかねの能力や個人の情報を追いかけ、適切に推理できる頭脳は必要だ。アクアも同じことができないとは言わないが、手が欲しい時も必ずある。1人で追いかけるには殺人犯はあまりに危険なターゲットだ。何かあった時のための保険。アクアを殺したところで、次があるとアピールするのは殺人犯への有効な防御であると同時に攻撃でもある。あかねの存在はまだ必要だ。

 

「あかねと別れて、なんて言わない。この事もあかねには絶対秘密。でも、だからこそ、せめてこの一時間は。この一時間だけは、私だけのアクアになって欲しい」

 

そう言われては、貸し借りには厳しく、責任おばけのアクアに拒否など不可能だった。フリルが空けたスペースへ身体を滑り込ませる。お互い向かい合って横たわっていた。アクアは自身の腕を枕に。フリルはベッドの枕を使って。

 

しばらく無言の時間が続いたが、少し変化が起こる。ゴソゴソと動いたと思ったら、フリルが携帯を取り出したのだ。

 

「ね、アクア。見て」

 

薄暗い中でスマホのディスプレイを差し出してくる。映っていたのは写真だった。

 

春から夏にかけて。恋リアでアクアとフリルがカップルとして振る舞っていた頃の写真。どれもアクアとフリルが写っているものだった。

 

「動画作った時に色々もらったんだ。懐かしいよね。ほら、コレとか初回の放送の時。私とアクアがテーブル越しに向かい合って座った時の」

 

出演予定だったアイドルの代打として、唐突に降って湧いたメジャーリーガーに立ち向かうことができたのはアクアだけだった。

 

「コレは男女混合バスケで1on1やった時の。コレはカラオケ対決で勝負した時。コレは───」

 

次々に写真がスライドされていく。

机を向かい合わせにしての勉強会。

海のロケでやった、波打ち際で追いかけっこ。

避暑地の登山でフリルの手を引くアクア。

アクアがフリルを背中から抱きかかえ、2人で見上げた打ち上げ花火。

アイスを一口ずつ交換し合うワンシーン。

バンでオレが寝ている写真なんてのもあった。

 

フォルダの中いっぱいに収められたアクアとフリルの足跡。高一の春と夏。写真の中のフリルはいつも笑顔だった。同世代の仲間達と。人生で初めてできた親友と、全力で青春を楽しんでいた。

 

「コレは…………コレはね……この時は……この時は」

 

段々とフリルの声に湿り気が篭る。洟を啜る音が間に入るようになる。写真をスライドすればするほど。思い出を思い返すほど。フリルの目に涙が溜まっていった。

 

「───この時は、こんなことになるなんて、夢にも思ってなかったなぁ…」

 

洟を啜りながら、目元を拭う。フリルの頬にアクアの手が触れた。

 

「私、一目惚れだった。アクアの瞳に吸い込まれたあの時から、私は貴方に恋をしていた」

 

自覚したのはもっと後だったが、振り返ってみて、いつアクアに恋をしたかと問われれば、フリルには初めて出会った、あの瞬間しかなかった。今までずっと、数えきれないほどされる立場で、自分自身少しバカにしていた恋をしてしまった。アクアに、落とされた。

 

「あの時から、毎日楽しくて。貴方と出会ってから。全部が新鮮で。毎日ドキドキしてた。毎日ときめいてた。何も特別なことしてないのに肌は艶めいて、視力1.0は良くなった。トキメキが体に良いなんてこと、初めて知った」

 

『今ガチ』の写真が終わり、秋から冬。東ブレの舞台稽古をしている時期の写真へと移る。

 

初めて本読みをした日。もらった台本を持って、一緒に撮った写真。あかねが入っていたのもあったが、フリルとアクアの2人だけの写真もあった。

 

「渡された台本、役者の表現力に全振りのキラーパス台本でびっくりしたよね。演じるの難しくて、何度も監督さんに怒られたっけ」

 

本読みの段階で何度も注意された。その度に役作りに悩み、頭を抱え、七転八倒した。そんなアクアの様子もカメラに収められている。

 

「この時は秋の観光地に撮影に行って。みんなそれぞれの役の格好して写真撮ったよね」

 

ダブルキャストの主演組だけで番宣の番組に出演した時の写真。オレは刀鬼。フリルはシース。舞台ではありえないツーショットを撮った。そのデータをフリルはこっそりもらってたのだ。

 

「雨の中、アクアが残る、とか言い出して。あかねも一緒に付き合って。私も残りたかったけど許してくれなくて。仕方なく写真だけもらった」

 

あかねがフリルから預かった一眼レフ。雨の中、刀を振るオレが写っていた。データ化した写真と動画をスマホに移していたらしい。濡れぼそったオレのアップがディスプレイに映っていた。

 

「帰ってきた後の稽古で、アクアめちゃくちゃ上手くなってて。私、人生で初めて戦慄して……それで……それで……」

 

そのすぐ後、オレが倒れた。その日以降のフォルダの写真は一枚もなかった。

 

アクアとフリルが2人で写っているモノは。

 

そこから先のフォルダはオレだけで埋め尽くされていた。稽古するオレ。休憩するオレ。清涼飲料を飲んでるオレ。風に当たっているオレ。グロッキーになってるオレ。いつの間にこんなに撮られていたのか。ありとあらゆるオレがディスプレイに映し出されていた。

 

その写真から、悲しさと辛さが滲み出ているような気がしたのは、カメラの向こうのフリルが泣いてるような気がしたのは、オレの気のせいだろうか。

 

最後まで見通した後、フリルはアクアへ、より一層身を寄せる。身を寄せ、抱きつき、キスをする。何度も何度も。一生懸命。まるで覚えたての頃のように。

 

拙い、けれど懸命に何度も。首筋に。胸板に。腹部に。唇をつけ、舌を這わせる。まるで媚びるようなキスだった。

 

あの不知火フリルが。クールで、プライドが高くて、強く、美しい不知火フリルが。涙を流し、媚びるキスをしていた。

 

ベッドの中でフリルと目が合う。キラキラと輝く緑翠の瞳には何かをせがむような色が見えた。

 

アクア

 

鼓膜を振るわせない声が聞こえた。唇を合わせる。服を脱がせあったのはほとんど同時だった。が、最後の理性がアクアを止めた。

 

「いいのか?」

「アクアは私としたくない?」

「オレの欲求じゃなくて、お前の身体の心配を──」

「今の私は、汚い?」

 

フリルから僅かに震えが伝わってくる。否定の意思を込めてフリルを抱きしめ、キスをした。止まった手が動き出す。白磁の肌が夕闇で艶かしく輝いていた。

 

「恥ずかしいから、あんまり見ないで」

 

初めての夜でも、堂々としていた。自身に恥じるところなど何もないと胸を張っていたあの不知火フリルが。今は恥ずかしそうに顔を逸らし、腹部を手で隠していた。あの夏に何度も見た白磁の肌。相変わらずため息が出るほど美しい。唯一の夏との違いはその張った腹部だけだった。

 

「綺麗だ」

「ウソ」

「綺麗だよ、フリル」

 

身体を労るように愛撫を続ける。腰をくねらせ、喘ぎ、身体をアクアに押し付けながら、フリルは身体を弓なりにしならせた。

 

張ったお腹が、よく目立った。

 

「アクア、そんな顔しないで」

「…………ごめん」

「私、嬉しいの。貴方の子を宿せた事、本当に嬉しいの。言ったでしょ?いつかお母さんになりたいって。お母さんになって、生まれてくる子供をいっぱい愛してあげたいって。夢が叶った。アクアに叶えてもらった。最高だよ。将来とか、これからとか、全部なしにするなら、こんなに最高な事ない」

「フリル……」

「だから、そんな顔しないで。申し訳なさなんかで私を抱かないで。愛して、抱いて。抱いてあげて。お願い」

 

アクアを強く抱きしめ、唇を押し付ける。キスの深度は次第に深くなり、腿に押し当てられたフリルの下腹部からしっとりとした湿り気を感じた。

 

「…………大丈夫なのか」

「大丈夫。もう安定期に入ってるから。激しくしなければ」

「優しくする」

 

最初はスムーズだったが、すぐに圧迫感が立ち塞がる。割って入る事はできそうだったが、苦悶に歪むその眉を見てしまうと、やっぱり少し心配だった。

 

「いいの」

「でも…」

 

首を横に振る。そうじゃない、とフリルは涙を目尻に溜めながら小さく呟いた。

 

「気持ちよくなりたいわけじゃない」

 

その通りだった。アクアもフリルも、今は快楽など求めてはいなかった。ただ、お互いを確かめ合いたくて。お互いを体に刻み込みたくて。抱き合っているだけなんだ。

 

アクアが動く。連動してフリルもアクアの背中に爪を立てた。

 

一時間はあっという間に過ぎ去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

面会時間が終わり、シーツなどを片付け、アクアは病院を後にする。

 

「アクア」

 

シーツで体を隠しながら、薄暗い部屋で呼びかける。翠の瞳は真っ直ぐにこちらを見据えていた。

 

「わかってると思うけど、この事、誰にも言っちゃダメよ。あかねにはもちろん、ミヤコさんにも。本当なら私はアクアにすら話すつもりはなかったんだから。でもこうなっちゃったら仕方ないから、アクアにも協力はしてもらう。まずは口止め。誰にも言っちゃダメ。アクアの家族にもね」

「…………わかってる」

 

わかっていた。オレにすら秘密にしていた事。オレにすら言うつもりがなかった事。オレが知ってしまったのは事故だ。偶然が重なって、感性が働いて、気づいてしまっただけのこと。フリルが望んだことではなかった。これ以上状況が悪くなることも望むはずがなかった。

言われなくてもそのつもりだったが、念のため、という事だろう。コイツも基本石橋は叩いて渡るタイプだ。情報なんてどこから漏れるかわからない。知っている口は一つでも少なくしたい。

 

「言い方悪いけど、スキャンダルを漏らすのは身内のリークがほとんど。そしてその身内の中にも格差はある。格差が高い方から漏らす事はほぼない。漏らす事があるとすれば、身内の中で、格差が低い方」

 

フリルの事務所と苺プロ。どっちの格差が低いかは言うまでもない。タレコミをしたら苺プロの方はもしかしたら利益が出るくらいかもしれないくらいだ。フリルの立場からすれば、アクアの身内であろうと警戒しないわけにはいかなかった。

 

「…………気を悪くしないでね」

「してないよ。当然の警戒だ」

「───さっきは酷い事いっぱい言って、ごめんなさい」

「酷いこと?」

「アクアなんてこの子に関係ない、とか」

「……気にすんな」

「…………また、会えるよね?」

「必ず」

 

別れの言葉はそれだけだった。バイクを転がし、レンタル屋に返すと、その後は夜道を1人で歩いた。ホテルまでは距離がある。かなり時間はかかるだろう。夜道の独り歩きは危険だと分かっていたが、どうでもよかった。女との情事の跡を消すのは汗を流すのが一番良かったし、別に誰かに襲い掛かられて殺されたとしても構わなかった。むしろ心のどこかではソレを望んでいたかもしれない。死んでしまえば、それ以上考えなくて良くなるから。ウィッグも外し、帽子とメガネもとっぱらい、素顔のまま歩いた。

 

けれど、望んだ事は少しも起きない。僅かに街灯がアスファルトの道路を照らすだけの、静かな田舎の道だった。

 

何も考えたくない。けれど考えてしまうのが星野アクアの頭脳。今回の死体遺棄は黒幕の手によるものだとするなら、相手は星野アクアについてかなり詳しく知っている事になる。

 

ならば今回のフリルの一件も知っているだろうか?

 

───いや、ないな

 

恐らく知らないだろう。こっちを知っているならもっとシンプルに安全に脅す方法が幾らでもある。わざわざ死体遺棄現場を移すなどという危険を冒してまで回りくどい警告をするはずがない。フリルの件は知られてないと思って間違いない。

 

───山道1人で歩いて何もしてこないところを見ると、恐らく尾行を撒くことにも成功している。あれだけ細心の注意を払ったのだから当然といえば当然だが。

 

ならこれからオレがすべき事は、一刻も早く黒幕を暴き出し、真実を明らかにし、黒幕の身柄を抑える───事ではない。

 

───オレは警告を受けて引くという決断をしたように見せかけた。だがソレは文字通り見せかけ。そして黒幕も恐らくその可能性は考慮にあるだろう

 

ならばしばらくは泳がせるはず。その時に余計な行動をして刺激しても厄介だ。しばらくは通常業務を続けよう。

 

───それが恐らく一番安全。オレにとっても、あかねにとっても、フリルにとっても。動くとすれば相手が緩み始める時期………半年から、一年ってところか。

 

そして、全てが終わって、ほとぼりが冷めたら、あかねとは───

 

「アクアくん!」

 

名前を呼ばれ、思考の海から戻ってくる。ホテルの入り口の前で部屋着姿のあかねが駆け寄ってきた。

 

「あかね……なんで……」

「だって、アクアくん今夜帰ってくるって言ってたでしょ。病院から歩いて帰ってきたの?大変だったでしょう。汗いっぱいかいてるね。今日はもう早くお風呂入って休んで──」

「そうじゃない。こんなところで1人で待ってるなんて危ない事…」

「大丈夫だよ。ホテルの前なら人目もあるし、監視カメラだってついてるんだから。滅多な事はできないって」

「それでもっ…」

 

それでも、もうとっくに日は暮れて、辺りは真っ暗だ。今日は先に休んでていいって言ったのに。それなのにあかねは、こんな危険な場所で、ずっとオレを待ってて。

 

「アクアくんが好きだからだよ。アクアくんが思ってるより、私自身が思ってるより、ずっとずっと、私はアクアくんが好きなんだよ」

 

あかねが待っている時のことを想像する。ルビー達は撮影で出かけていた。同行もできず、あかねはホテルで待機を命じられた。アクアを見送ってから、ずっとここで待ってた。暗闇の中から殺人鬼が現れるかもしれない。背後から急に襲われ、背中にナイフが突き立てられるかもしれない。そんな幻想の恐怖に晒されながら、あかねはオレが帰ってくるのを、ずっと待ってた。

 

あかねがそうしている間、オレはフリルと共にいた。あいつの肌に触れ、肌を重ね、あいつのことばかり考えていた。黒幕を捕まえて、全てが終わったら、とさえ……それなのに。

 

───オレは……オレは……

 

「ごめん」

 

あかねを抱きしめる。あかねも背中に手を回し、優しく撫でた。

 

「謝る必要なんてないよ。謝らなくていいんだよ。だって、だってアクアくんは、ちゃんと……ちゃんとぉ……」

 

あかねの声に涙が混ざる。鼻を啜る音と共に、嗚咽が響いた。

 

「帰ってこないかと思った……アクアくんがあのままどこかに行ってしまいそうな気がした……1人で行かせちゃったこと、すごく後悔した。だから、怖くて。怖くて。それで、それだけで……それ以外のことなんて、どうでもよくて……」

 

堪えきれない涙と声がこぼれ落ちてくる。抱きしめる力を一層強くした。

 

「帰ってきた。帰ってきたから。オレはもう、どこにも行かないから」

「アクアくん……アクアくんっ」

「好きだよ、あかね。オレは恋愛感情まだよくわかってないけど、それでも心から言える。オレはあかねが好きだ」

「私も。私だって。私の方がずっと、アクアくんのことが好きです」

「けっこう前から、とっくにそのつもりだったけど、改めて言葉にする。聞いてくれるか?」

「はい。聞きたいです。聞かせてほしい。アクアくんの口から」

 

手を握り、跪く。2人の視線が同じ高さで交わった。

 

「改めてお願いします。ビジネスじゃなく、オレと正式に付き合ってください」

「私で、よければ」

 

キスをする。誓いのキス。決意のキス。覚悟のキス。

 

あかねは守る。フリルも、その子のこともなんとかする。オレの大事なもの全て救ってみせる。オレが今歩いている、全てを救う道。半歩の踏み間違いで全員を破滅の奈落へ落とす薄氷の道。歩き切ってみせる。最後にどうなるかはまだわからないが、誰1人泣かせない。誰もが笑って終われる最期に辿り着く。

 

そのためならなんだってしよう。恩ある人に背を向けて事務所の移籍もしよう。大手の力を借りてフリルとその子を守れる環境を手に入れよう。仕事とプライベートを両立させ、あかねの彼氏を務めよう。どんな手を使ってでも黒幕に辿り着き、皆を危険から遠ざけてみせよう。

 

 

完璧で究極の星野アクアを、演じ切って見せよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君はホントに、お母さんそっくりだね」

 

綺麗で、強くて、独りよがりで、欲張り。全てを救うか、全てを破滅させるか、薄氷の道を選んで歩く。

 

「一番星は歩き切れなかった。運ばれた魂は向いてなかった。全てを受け継いだ生まれ変わりはどうなるかな?」

 

カラスの羽が闇夜に舞った。

 

 

 




最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
今回めっちゃ長くなった。分けようかとも思ったんですが、どうしてもここまで書き切りたかったので。多分次話はいつもよりちょっと短いです。
フリルの真実を知り、あかねの献身を知り、疫病神になくした記憶の断片を見せられて、星野アクアはその血の宿命が深くなりました。全てを救うというのは母親の血。そのためならなんでもしようとするのは父親の血。半身は天使で半身は悪魔。その白と黒の侵食が深くなり、均衡を保ったまま、飛べない翼が生えてきたって感じです。薄氷の道を歩き切れるのか、踏み外し奈落は落ちるか、筆者すらまだわかってません。最後までお付き合いしていただけたら嬉しいです。




以下本誌ネタバレ





まさかの疫病神ちゃん、ネタキャラ化。
ずっとミステリアスで超然としてたのに、まさかアクアと漫才するキャラになるとは思ってませんでした。今話で疫病神ちゃん出すのは確定事項で、その行動指針とかは解釈一致で安心しましたけどね。まさかこんなに煽りに弱い神様だったとは……いや、神話で見ても神様って結構煽りに弱くて、あんま寛大じゃないな。それにしてもここまでガッツリ関わってくるとは思わなかった。神視点で見守ってるだけかと思ってたのに。

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