有り余るその才で全てを守る準備を始めるだろう
崩れるとしたらそれはきっと敵の侵略ではなく
知っていた。
オーディションに落ちた時とか。
気の進まないことをやってしまった時や嘘をついてしまった時とかに。
アイツが他人の家の前にずっと立ち尽くしているのを、オレは随分前から知っていた。
一度だけ、アイツが他人の家の前から立ち去ってから、その家の表札を見たことがある。けれどすぐに忘れてしまった。
その家の持ち主の苗字は、オレが知らない人間のものだったから。
▼
「…………大丈夫か?」
何から話すべきか、迷った末にアクアはまず心配の言葉をかけた。心からの配慮だったが、ルビーにはあまり届かなかったらしい。兄の心配に対し、ぶっきらぼうな声で応えた。
「なにが?」
「MVの素材、見せてもらった」
「どうだった?」
「いい画が撮れてたよ。新曲も聴いたけど良かったし、編集次第でバズるんじゃないか?」
コレはお世辞ではなかった。元々ビジュアルの良さは折り紙付きの三人。カメラ映りは文句なく良かったし、撮影している方も技術の高さが伺えた。何よりも特筆すべきは表情。演者の作り物でない生の感情を引っ張り出し、カメラに映える形へ昇華していた。この辺りは有馬達というより撮る側の腕だろう。モチベーターであることも映像監督の務めの一つだ。
「ただ、1人だけ監督の意志に沿っていない演者がいた。監督の影響を受けず、場の雰囲気に合わせることもせず、自身の感情を溢れさせている奴がいた」
強い視線がルビーへと向く。両目から眩い輝きを放つ青い瞳が、暗い輝きを吸い寄せる赤の瞳と、向かい合った。
「凄かった。思わず目が吸い寄せられた。お前からオーラってやつを初めて感じた。ちょっと前はオレもあんな感じだったらしい。やっぱり血は争えねーな」
「…………お兄ちゃんの真似をしたつもりはないよ。するとすれば、多分これから」
「…………?」
頭の上に疑問符を浮かべる兄ににっこりと笑いかける。誰が見ても完璧な、美少女の微笑み。けれどアクアだけは背筋が寒くなるような恐ろしい何かを感じずにはいられなかった。
「すでに名前が売れてる何かに乗っかって、才能ある人たちを取り込んで、自分を売り込んだ手法」
ドクンっとアクアの心臓が一つ大きく鳴りひびく。天使の笑顔のまま、妹の言葉は続いた。
「私、お兄ちゃんのこと、ずっと凄いなって思ってた。私なんかと違って、ママの全部を受け継いでて、その才能をフル活用して。必要なもの全部手に入れてた。凄いなって思ってた。ちょっとズルいってさえ。私はこんなにママみたいになることを望んでるのに、全然望んでないお兄ちゃんはどんどんママみたいになってくんだもん。凄いって憧れると同時にちょっとやっかんでた」
でも、そんな才能溢れるアクアでさえ、ここまで辿り着くのに12年の時を要した。
「お兄ちゃんほどの才能があっても、それだけじゃ売れなかった。飛躍するには自分以外の力を必要とした」
ルビーが何のことを言っているのかはよくわかった。星野アクアの名前がこの一年で急速に売れたのは、すでにビッグネームになっている勝ち馬に乗っかったから。ティーンの話題を席巻した炎上騒動を、まるっと乗っ取ったから。
不知火フリルと黒川あかねを取り込んだからだ。
下地はあった。才能もあり、努力もしていた。しかしそれだけでは売れないのが芸能界。どんな才能も人目に触れられなければ無価値。不知火フリルが突如今ガチに現れ、番組の注目度が跳ね上がったところに便乗した事で星野アクアの名前は良くも悪くも世間に知られた。
あかねによる炎上が巻き起こった時、多数派閥だったサイレントマジョリティをアクアの陣営に取り込み、アンチにも擁護にも動画という形で星野アクアの才能を見せつけた。
新星の登場を世間に知らせた。彼の天才を、世間が知った。
無論それが全てではない。アクアが積み上げてきた11年がなければできない事だったし、本人に才能と実力がなければそんなメッキはすぐに剥がれる。本物だったからこその舞台『東京ブレイド』の成功だ。
しかしあの2人を利用しなかったかと問われれば、答えはNOだった。
「私も、もう足踏みはしてられない。私もすぐにお兄ちゃんみたいに……ううん。それ以上にビッグにならなきゃいけないの」
「……………お前、そんな生き急ぐタイプだったっけ?」
「いつも急いでるよ。アイドルでいられる時間は短いのなんて、お兄ちゃんなら知ってるでしょ?もうただアイドル活動してるだけじゃ足りない。それがこの一年でよく分かった」
アクアに教えられた、と言外に含んだ言葉が聞こえた気がした。
「分かったとして、お前は今後どうするつもりなんだ?」
「そうだな……まずはリーク癖ある人を見つけるよ。暴露だ晒しだやってる人は今時ゴロゴロいるし。そういう人見つけて、燃やしてくれそうな人とコネ作って、話題を作ってもらう」
「危険なやり方だ。一歩間違えればお前が燃え上がるぞ」
「だから私はきっかけ作りに徹するよ。不満と私怨、そしてマウント取りたがってる人に火種を置いておくだけ。そうすればあとは勝手に燃え上がってくれる。火炙りにされてる人に安全圏から石を投げてくれる人に紛れて、最後は聖女を演じてみせる。正当な手段で、話し合いのテーブルに着くところまで、穏便に持っていく。とまあこれが理想だけど、そうそう上手くいくとは限らないから、私はあくまできっかけ作りに専念する」
手段としては間違ってない。炎上とは火種を提供した人間はフォーカスされない。実際に燃え上がった人間だけが石を投げられる。ナイフを使った殺人で、ナイフを売った人間は罪に問われない。問われるのは実行犯のみだ。
「アクアは、何か気に入らない?あなたのやり方を真似てるだけなのに」
「オレのやり方って決めつけてんのはともかく、別に何も不満はねーよ。お前がそれでいいならオレに文句言う資格も権利もねーしな。だが同時に未練もなくなった」
「未練?」
「お前は、オレの希望だった」
終始俯いていたルビーが顔を上げる。16年間兄妹をやっていて初めて聞いた言葉だった。ルビーにとってはアクアこそが希望で、信じて頼る背中だった。自分の希望はいつだって兄で、兄にとって自分は手のかかる妹くらいにしか思われていないと思っていた。
「他人にも、自分にも嘘をつかず、嘘は嫌だといつも胸を張って言ってて、その言葉の通り綺麗にまっすぐアイドルを目指している姿は、オレにとって希望だった。それは、オレにも母さんにもできなかった事だから」
闇に染まりきっていない少女の心臓がギュッと締め付けられる。誰よりも天才を認め、誰よりも尊敬していた兄に、希望だと認められていたことの嬉しさと、全て過去形で表現される事の悲しさが、ルビーの心臓を締め付けた。
「お前なら、できるかもしれないと思ってた。オレにも、母さんにもできなかった、この世界で綺麗にまっすぐ売れる。お前なら、できるかもって」
「…………買い被りすぎだよ。お兄ちゃんやママみたいな天才に出来なかったことが私なんかにできるわけないじゃん。勝手に買い被られても迷惑」
嬉しさと悲しさと後悔が、ルビーの口から心にもない言葉を溢れさせる。
「無理なんだよ。この世界で綺麗にまっすぐ売れるなんて」
アクアだって人を利用して成り上がった。アイだって男がいることを隠し、子供を産んだことを隠していた。煌びやかに見えるこの世界で、綺麗でい続けることなんて、不可能だ。
「…………オレな、実はフリルの事務所から移籍を誘われてる」
「…………え?」
「前々から何度か打診はされてたんだが、舞台が終わってから、結構本格的に」
「…………ふーん」
不知火フリルの事務所といえば業界でも最大手。苺プロとは比べ物にならない。この勧誘を断る芸能人なんて普通いない。ルビーの胸中には賞賛と嫉妬と後悔が渦巻いた。
「受けようか、実はまだ迷ってた」
「…………なんで?」
「オレが推してるアイドルが、オレが活動してる事務所にいたから」
眩い星の輝きを放つ瞳が、真っ直ぐにルビーを捉える。赤い瞳の少女は思わず目線を逸らした。
「オレにできなかったことを、本気でやろうとしている子がいたから。その子の行く末をずっと近くで見守りたかったから。迷ってた」
「……………」
「でも、その未練もなくなった。今回の勧誘、受けることにする」
「そうだね。それがいいよ。私がお兄ちゃんの立場でもそうすると思う。別に苺プロに拘る必要なんてないし。私も昔は苺プロ以外のオーディション受けまくってたしね」
心にもない言葉が出てしまう。自分の本音を。やりたいこと、やりたくないことを仮面で隠す術を知ってしまった少女は、ペラペラと嘘をつくことができる様になってしまっていた。
「でも、その前に。最後に一つだけ、お前に聞きたい」
「…………なに?」
「アマミヤゴロウって、お前にとってなんなんだ?」
ドクンと心臓が大きく鳴る。表面に出さない様に必死に堪えたが、そんなものがこの妖怪の兄に通用しないことは、誰よりもよく知っていた。
「お前の態度が変わったのは。お前にオーラが纏われる様になったのは、あの事件の直後からだ。そういう変化のきっかけは大概精神面に原因がある。わかるよ。オレもそうだったから」
自分以外の何かが心に干渉したからこその変化。そのことを兄はよく知っていた。
「アマミヤゴロウって、お前にとって何者なんだ?」
しばらく黙り込む。いくら兄でもこの話をするかどうかは流石に躊躇いがあった。信じてもらえるか不安だった。この場面で嘘をつくとは思わないはずだけど、今の私はかつての私とは違う。今の私は兄に対して嘘をつく様になってしまっている。信じてもらえないかもしれない。この期に及んで嘘をついて誤魔化そうとしてると思われて、軽蔑されるかもしれない。
───いいか、別に
自分で言うのもなんだけど、私は結構ブラコンの部類だと思う。
兄の事を尊敬してるし、信頼してるし、大好きだ。だってこの人には私が大好きだった2人の面影を感じるから。
綺麗で可愛くて強くて無敵で天才のママ。
モラリストで偽悪ぶってるけど、ホントのところはバカ優しいせんせー。
星野アクアからは
───だから…
「…………お兄ちゃんになら、話してもいいか」
小さな声で呟かれる。ほとんど変わらない声量で続いた。
「アクアと同じ様に、私が前世の記憶を持ってる事までは、知ってるよね」
「…………」
「私ね、前の人生で、結構大変な病気で入院してて。結局そのまま死んじゃったんだけど。でもその時すっごくお世話になったせんせーがいたんだぁ。優しくて、ずっとそばにいてくれて、いつも励ましてくれて…」
アイドルになるきっかけをくれて。頑張って生きようって思わせてくれて。
「生きる意味をくれた人」
アマミヤゴロウ。私のせんせー。私の希望。私の星。私の神様。
「なんで、死んじゃったのかなぁ。殺されちゃったのかなぁ。なんで私が好きになる人は、みんな死んじゃうのかなぁ」
ママも殺され、せんせーも殺された。ママはナイフで刺されて。せんせーはあんなに暗くて寂しい場所に置き去りにされて。
「教えてよお兄ちゃん。なんでも知っててなんでもできる貴方ならわかるでしょ?神様は、なんで私なんかを生まれ変わらせたの?不幸しか運ばない、私なんかを」
ボロボロと涙がこぼれ落ちる。嘘ではない。演技でも仮面でもない。本当の悲しさから溢れる涙だった。
「絶対に探し出してやる」
紅い瞳の中の暗い星が一層暗く輝く。悲しみしかなかった表情から怒りと憎しみとそれ以外の黒い感情が色濃く現れた。
「ママとせんせを殺したやつを見つけ出して!仇をとる!そのためならなんだってやる!誰だって利用する!嘘だってつく!もっともっと上り詰めて!生まれてきたことを後悔させてやるんだ!」
激昂する妹に対し、兄は終始穏やかだった。眩く輝く星の瞳で、泣き崩れる妹を優しく抱きしめた。
「オレも、考えたことがなかったかと言われれば、嘘になる」
耳元で優しく、甘く囁かれる。荒れだった紅い瞳の少女の心がほんの少し和らいだ。
「母さんの無念を晴らす。母さんの仇を取る。八つ裂きにして、生まれてきたことを後悔させてやる。そういうことを考えたこともあった」
───お兄ちゃんは知ってたんだね。随分前から
自分はあの子供に教えられたこと。自殺した実行犯以外にもう1人黒幕がいたこと。兄は知っていたんだ。随分前から。
「でも、考えるたびに頭をよぎった。そんな事をしたオレを、母さんは喜んでくれるかって」
ギュッと唇を食いしばる。妹がずっと目を逸らしていた事。ずっと見ない様にしていた最も脆い部分を、聡明で優秀で強い兄は正面から向かい合っていた。
「どれだけシミュレーションを重ねても。幾つルートを辿っても。母さんは喜んではくれなかったよ。悲しそうに笑って、ごめんねって謝るばかりだった」
実際に言葉にされて、そのイメージがルビーにも鮮明に浮かぶ。人を騙して、嘘をついて、利用して、黒幕に辿り着いて、そいつを八つ裂きにしたところで、ママは喜ぶだろうか?きっと喜ばない。褒めてはくれない。アクアほど分析に長けてなくても、それくらいは分かった。分かるくらいには母を愛していた。
「そんなのアクアの想像でしょ!喜んでくれるかもしれないじゃん!褒めてくれるかもしれないじゃん!愛してくれるかもしれないじゃん!」
わかっているのに、嘘が出てしまう。兄を否定してしまう。自分なんかよりよっぽどママに近いところにいるこの人を、否定してしまう。ムキになるのは私だけで、ずっと冷静で正しく美しいこの兄が、初めて嫌いになりそうだった。
「そうだな。想像だ。ルビーが言った通りになる可能性だってある」
憎しみのこもった目を向ける妹に対して、兄は穏やかな態度を崩さなかった。
「けど、少なくとも、オレは君がそんな事をしても喜ばないよ。さりなちゃん」
一瞬、頭が真っ白になる。
苛立ちも憎しみも全て吹き飛んだ。涙も止まってしまった。衝撃が少女の心を揺らす。自分の名前を呼ばれた事が、少女にとっては愛も憎悪も何もかも吹き飛んでしまうほどの衝撃だった。
「やっと病室から抜け出して、やっと自由に生きられる様になったのに。また心を殺して、世の中を憎んで。君にそんな事をされても、オレはちっとも嬉しくないよ。さりなちゃん」
───なんで……
全ての感情が吹き飛ぶ。なんで?としか言えなかった。
「…………なんで私を、さりなって呼ぶの?なんで病院の話、知ってるの?」
俯いていた顔が上がる。信じられない。でも信じたい。希望と絶望がないまぜになった表情で、兄だった人を妹だった少女は見つめた。
ポケットに手を突っ込み、何かを取り出した後、ルビーの手を取る。その手に握られているのは、アクリルキーホルダー。
「…………なんで、アクアがこのキーホルダーを持ってるの?」
忘れもしない。忘れられない。最期のあの時、貴方に渡したキーホルダー。それが今、アクアから少女の手に渡された。
「なんでって。知ってるだろう?君がくれたんだから」
「…………え?」
「ずっと大事にするって、約束したじゃないか」
そう、約束だった。約束してくれた。憶えている。忘れるはずがない。
「ずっと、君だと思って、大事にしてたんだよ。さりなちゃん」
声にならない声と共に兄だった人の胸へと飛び込む。細身に絞った身体に縋りつき、妹だった少女は肩に顔を埋め、泣き叫び続けた。
▼
は?と言いたくなるのを必死で抑えていた。
「アクアと同じ様に、私が前世の記憶を持ってる事までは、知ってるよね」
「…………」
ルビーの独白が始まってから、オレはずっと困惑していた。
───前世の記憶?何を言ってるんだコイツは。オレと同じ様に?オレは前世の記憶を持っていた?そのことをルビーと共有していた?
聞きたいことは山ほどあった。けれど、全てを飲み込む。ここでルビーが想定していないリアクションを取るわけにはいかない。黙って話の続きを待った。
そして語られる、昔の自分の話。大病を患い、病院で過ごし、そして死んでしまった。ずっと病室で1人だった時間を、一緒に過ごしてくれた人がいた。その人がアマミヤゴロウだと、告白した。
話を聞きながら、アクアの頭脳は回転する。あの不気味な少女の話。渡されたキーホルダー。流れ込んできた記憶。アマミヤゴロウと仲良くしていた天童寺さりな。
そして一つ、思い出す。たまにルビーが落ち込んだりした時、誰かの家の前に立ち尽くしていた事。呼び鈴を鳴らす事もなく、家人に会うわけでもない。ただ立つしかしていなかった事。
そしてその家の表札が、天童寺であった事。
バラバラに散っていた点と点が、線になって、繋がった。繋がってしまった。
───綺麗に筋は通る。けどあまりに荒唐無稽な前提。今時のネット小説サイトに溢れかえってる様な筋書き…
事実と認めるのは抵抗があった。合理的でリアリストでスーパードライ。神様や神話を信じていない無神論者のアクアは余計に。けれど少なくともルビーはこの話を真剣に話している。自分が前世を憶えていると本気で思っている。
「ママとせんせを殺したやつを見つけ出して!仇をとる!そのためならなんだってやる!誰だって利用する!嘘だってつく!もっともっと上り詰めて!生まれてきたことを後悔させてやるんだ!」
───これはもう、オレが何を言ってもダメだな
涙を流し、声を荒げるルビーを見て、母さんが望んでいないとか、復讐なんて自己満足に過ぎないとか、そういった正論を言っても決してルビーには届かないだろうと気づく。オレだけじゃなく、ミヤコや有馬が言ってもダメだ。ルビーにとってアイやアマミヤゴロウは神に等しい。神の言葉でなければ今のルビーは止められない。
───可能性は、ある。分の悪い賭けだが、やってみる価値はある。
ルビーの話を聞き、そしてあのキーホルダーから流れ込んできた記憶から。ルビーが他人の家の前で立ち尽くしていた理由もなんとなくわかった。アクアはルビーの前世が誰かについて、大枠予想がついていた。
けれどコレは大きな賭けだった。
だってアクアはアマミヤゴロウについて、ほとんど何も知らない。彼について知っていることといえばあの看護婦さんから聞いた話と、アクキーから流れ込んできた、さりなとのやりとりの記憶のみ。正直星野アクアを演じるより難易度は高い。性格も何もかもまるで掴めていない。
───でも、やるしかない
人の言葉では兄だろうと親だろうと今のルビーには届かない。なら神の言葉を聞かせるしかない。前世の記憶が自分にあり、そしてオレにもあると思っているのなら、通じるはず。なりすます事は出来る。
全てを救う薄氷の道。全てには当然ルビーも含まれているはず。
オレなら、出来る。
「…………少なくとも、オレは君がそんな事をしても喜ばないよ。さりなちゃん」
ルビーの激昂が止まる。そこからオレは努めて穏やかに。そしてさりなとアマミヤゴロウしか知らないはずの事を。2人の大事な思い出を語る。つい昨日知ったばかりのことを、まるで最初から憶えていたかのように口にした。
ポケットからアクリルキーホルダーを取り出す。そのままルビーの手にそっと握らせた。
「ずっと、君だと思って、大事にしてたんだよ。さりなちゃん」
泣き叫びながらルビーがオレの胸に飛び込む。賭けに勝った事に、オレは内心で胸を撫で下ろした。
▼
「せんせぇ!せんせぇーーーー!!」
会いたかった会いたかった会いたかった会いたかった会いたかった。
その想いだけを込めて叫び続ける。せんせーは何も言わず、けれど優しく私を抱きしめ、頭を撫で続けてくれた。
「ずっと見守っててくれてたんだね………こんなに近くで」
嬉しさが込み上げる。少し遅れて怒りも。
「どうして!?どうして今まで言わないでいたの!?」
アクアと兄妹をやって、16年。アクアはずっと黙っていた。自分のことは何も話さなかった。
「だって確証持てなかったし……流石にファンタジーが過ぎるっていうか、実際口にするにも勇気が必要だったっていうか。もし勘違いなら精神病院叩き込まれても文句言えないし──」
「ばかぁ!!」
胸元を叩く。けれど力は全く込められなかった。
「私頑張ったんだよ?B小町のアイドルって名乗れば、せんせーなら見つけてくれるって思ってさ。イベントでもライブでもせんせーが居ないか、いつも探してたんだから!」
「ああ、観てたよ。ずっと」
「せんせーが見てるかもって思って、いつも全力で頑張ってた」
「知ってる。よく頑張ったな」
「病院に連絡しても行方不明で、結局私の方から宮崎まで行って。そしたら何?あんなところで死んじゃって…」
「ごめん。辛い思いをさせた」
手を握る。見慣れたアクアの手。指先が硬い。ピアノやギター、ドラムをやってるアクアの指は幾度も剥けて、皮が張って、硬くなっていた。アクアも頑張っていた。努力していた。知っていた。私なんかよりずっと努力してきた人なことくらい。せんせーに謝ってほしくなくて、首を横に振った。
「痛かったよね?辛かったよね?寒かったよね?私の方こそごめんなさい。ずっと見つけてあげられなくて…」
「さりなちゃんは悪くないよ。殺した奴が悪いに決まってる。さりなちゃんが責任感じる必要なんてない」
「そうかなぁ?」
「そうだよ。そうに決まってる」
───ああ、せんせーだ。この人は間違いなくせんせーだ。
リアリストで、モラリストで、根っこのところがすごく優しい。変わってない。せんせーの匂いがする。大好きだったあの匂いに、また会えた。
「だけど、私はあの頃とすっごく変わっちゃった」
ひどいことをしようとした。とんでもない嘘を吐こうとしてた。
「ママみたいにならなきゃって、辛かった。ママみたいに上手に嘘をついて。お兄ちゃんみたいに早く売れなきゃって」
「バカだな。オレや母さんと比較する必要なんてないのに」
「アイドルって全然楽しいことばかりじゃなくて。やな事いっぱい経験して。私もやな事考えちゃう時もあって。昨日からずっと汚いことばっか考えて」
「頑張りすぎだよ。そんなに頑張らなくていいんだよ……でも、頑張らせちゃったのはオレだな。ごめんな」
「ママのこと忘れられたら楽なのにとか何度も考えた。お兄ちゃんがいなきゃよかったのにとかも、ずっと」
「オレだってそうだよ。何度も考えた。母さんがいなかったら、もっと楽しくやれたのにって」
「ファンを見ると時々ママを殺した人の顔がよぎって、怖かった。せんせーの死体を見た時からずっと眠れなかった」
「オレのせいだな。ごめん、さりなちゃん。ごめん」
私の汚い部分の告白を、せんせーは全部受け止めてくれた。受け止めて、優しく私の背中を撫で続けてくれた。
「アイを追うことなんて、もうしなくていい。オレももう苺プロからはいなくなるんだ。オレにコンプレックスを抱く必要なんてない。やっと病室から出て、自由に生きられるようになったんじゃないか。これから君は、君の人生を生きていいんだ。嘘なんてつかず、真っ直ぐに。君だけの人生を」
「…………でも、ママのことは?」
「そっちはオレがちゃんとやる。ケジメはつける。黒幕には然るべき報いを受けてもらう」
「でも私も!私だって!せんせー1人に手を汚してほしくなんてないよ!」
「そんなつもりはない。言っただろ?そんなことしても母さんは喜ばない。ケジメはつける。報いは受けさせる。けどそれはオレの手によるものではあってはならない。ヤツを裁くのは法だ。法に裁かせる。そうでないと、オレもそいつと同じ場所に堕ちてしまう」
言ってることはわかる。モラリストのせんせーらしい結論だとも思う。だけど……
「法律とか裁判とか、あまり信用していいのかって…」
勝てるとは限らないし、時々変な裁判のニュースが流れることもある。自分たちが信じる正義が、法廷でも正義であるとは限らない。驚くほど理不尽な結果になることだってある。
「言い逃れできない証拠を揃えるつもりだ。でもオレもまだそいつを追っている最中でな。だからもう少し待ってくれ。なんなら期限をつけてもいい。3年以内にはケリをつける」
刑事事件の時効は15年。それまでには決着をつけるとせんせーは言う。3年。長いようで短い時間だ。
「長いと思うのはわかる。オレを信用できないのも。けど一度でも手を汚せば、君は帰って来れなくなる。目をキラキラさせながら、真っ直ぐに夢を見ていた君に。オレが推していた君に」
ドクンと胸が高鳴る。初めてだ。前世から数えても。せんせーが私を推していると、ハッキリ言ってくれたのは。推してくれると約束はしてくれたが、あれはあくまで約束。推していると言ってくれたわけではない。
その一言だけを求めて、ずっとアイドルを続けてきた。やっと聞けた。胸の高鳴りを抑えることはできなかった。
「あの時のままで。アイよりも輝いていたあの時の君のままで、いてほしい。誰のためでもない。アイのためでもない。オレのために」
ああ、せんせー。それ以上言わないで。そんな嬉しくなることを言わないで。嬉しくて、幸せで、どうにかなってしまいそうになるから。
「これからも、オレの推しの子でいてくれ」
壊れた。
この時、私の中の何かが壊れた。
そして壊れた残骸の中に、ただ一つ壊れないままキラキラと輝いている思い出が光を取り戻した。
───せんせ。私、忘れてないよ
あの時の言葉を。あの時のもう一つの約束を。
───16歳になったら、結婚してくれるって言ったよね?
正確には真面目に考えると言ったのだが、何かが壊れた乙女の
───せんせ?私もう16歳になったよ?
兄に抱きつき、兄に抱きしめられ、興奮と恍惚で火照る少女。
血のつながった兄に向けてはいけない顔をした──
女の顔をした、妹だった女の子の壮絶に美しい表情は、兄には見えなかった。
▼
「流石だなぁ」
冬の寒空の下、どこかの屋外でカラスと戯れる少女は感心と呆れの両方の意図を込め、賞賛する。
「全てを救うために、君の魂に全く刻まれていない人間を演じる。ダメ元で渡したあのキーホルダーに残った僅かな魂の残骸を頼りに。君にしか思いつかないだろうし、君にしかできないだろうね。本当に凄いと思うよ。最善だ。君が復讐を選ばないなら。全てを救うつもりなのなら。間違いなく最善の好手を打った」
しかし、ただ一つ。穴があるとするなら…
「君はもっと自分のことを振り返るべきだよ。いつまでも自分に才能がないなんて、思ってたらダメだ」
アクアは自分が才能がないと思っている。あかねや有馬。ルビー、フリル、そしてアイが持っている何かが無い。ただスペックで誤魔化しているだけだと本気で思っている。
「そんな事はないんだよ。君は全てを受け継いでる。足りないんじゃなくて、あり過ぎて欠落してるのさ」
かつて、一番星がそうだったように。彼女も沢山の人に愛されすぎて。
君の何気ない一言が人を堕とす
君の笑顔が
君の
誰も彼もを虜にしていくことを。
気づけなければ、きっといつか薄氷の道は耐えられなくなる。
「愛されれば愛されるほど、君が背負うべき業が増えていくんだから」
▼
程なくして、B小町のMVが完成し、ネットやユーチューブなどにアップされる。
キャストや裏方たちの尽力のおかげか。はたまた人ならざる何かの力か。新曲のMVは大きな注目を集め、新生B小町の知名度を大きく高める契機となった。
そしてもう一つのビッグニュース。
世間には特に関心を集めなかったが、芸能界では衝撃を与える事となった。
星野アクアの電撃移籍。
苺プロから最大手へと移った期待の新星は芸能界の注目を一層集める事となり、結果的にアクアの業界内における名声と期待値をさらに高める事となった。
そして、半年の時が過ぎる。
アクアとルビー、そしてフリルが2年生。有馬やあかねが3年生に進級。
それぞれの活動が、大きく動き始める一年となり───
「よく頑張ったな。お前も、この子も」
「あなた、抱いてあげて。あなたの子よ」
新たな星が生まれる一年が、始まろうとしていた。
星をなくした子、第一幕。完
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
第一幕完結しました。いかがだったでしょうか。次回からは第二幕。真犯人追求編がスタートします。半年後の世界。諸々の爆弾を全部背負ったまま薄氷の道を歩むアクア。芸能界で知名度を得たアクアが半年で得たコネと情報網を駆使し、真犯人に迫る。果たして辿り着けるのか、それとも……
とまあこんな感じで大筋は考えてるのですが、詳細はまだ全然詰められてません。多分第一幕が一番長いと思います。でも第二幕からはオリジナル要素が増えると思います。そのため第二幕はスタートまで少し時間がかかるでしょう。それまでどうかお待ちください。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。