【本編完結】星をなくした子   作:フクブチョー

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罪なき貴方は星のよう
罪深き貴方は太陽のよう
未来の貴方へ当てて書く手紙
受け取るのは天使か悪魔か


87th take 15年後の君へ

 

 

 

 

 

 

 

ゴールデンタイムのバラエティ。星野アクアがレギュラーを務める番組。その中の企画の一つにある人気コーナー。

 

『やれんの課、ワンチャン!』

 

世界に数多ある達人芸。SNSなどに動画としてもUPされる事が多くなったこのご時世。本当にやっているものもあれば、合成などによるフェイク動画も溢れている。フェイクと見紛う達人芸は本当に可能なのかという証明を行う企画。

 

達人にやり方を教わり、実際にチャレンジするこのコーナー。主体となって挑戦するのは星野アクア。

 

歌って踊れて演技もできて。ギターもピアノもドラムも弾ける。この男一体何が出来ないんだと言われている彼が、難易度激高の達人芸に挑むというのがこの企画のコンセプト。

 

正直番組側の意図としては苦戦する星野アクアを撮りたかったのだろう。失敗して、何度もチャレンジして、苦労の末にようやく達成する姿を期待していたのだろう。

 

しかし、その期待は初回から見事に裏切られる。

 

『お、来た』

 

ダイススタッキング、アーチェリー、テーブルクロス引き、ヨーヨー、コインバランシング、その他諸々etc.。星野アクアはあっという間に達人芸を習得していき、そのチャレンジを成功させてしまう。

 

こいつは普通じゃない。それはわかっていたことだが、まさかここまで空気を読まずになんでもやってしまうとは思っていなかった。

 

番組の意図ではないが、そのセンスの良さと実際に繰り広げられる達人芸の凄さに視聴者達は湧き、コーナーの人気は跳ね上がる。

 

バラエティのお約束を守らない。手加減というものができない事がついに身内以外にもバレてしまう。バラエティの法定速度無視の男。コーナー内で着いたあだ名が『スピードスター・星野アクア』。

 

番組への配慮も忖度も一切しないリアルガチ。クールでそつなくなんでもこなすキャラクターはアクアの名声をさらに高めることとなった。

 

「お疲れ様でした」

 

収録が終わり、未成年のアクアは先に帰らされる。と言っても22時を回ってる時間だが。流石に朝からぶっ通しの三本録りは身体と脳に来る。まして手抜きできない男、星野アクア。疲労度は半端じゃない。

 

「アクアさん、お疲れ様でした」

「白川さん、ありがとう……様子は?」

「問題ありません。何かあればLINKでお知らせします」

 

予定日はもう今週末。超過する事もままあるが、逆に早まる事も普通にあるらしい。少し神経質にもなる。

 

「今日はこのまま──」

「アクアくんっ」

 

スタジオから出てきた瞬間、駆け寄ってくる影。時折タチの悪いファンが出待ちしている事もあるため、関係者しか知らない裏口から出るようにしている。そのためこの人影は不審者というわけではない。アクアの撮影スケジュールを把握していても不思議のない人物だった。

 

「あかね……迎えに来てくれたのか」

「うん、今日夜から急に雨降ってきたし。私もついさっきまで近くで撮影してたから」

「こんな夜遅くに1人で出歩くなよ、危ねぇな」

「心配してくれるの?ありがとう、嬉しい」

「今日は一人で帰れ。オレは車で帰る」

「わー!わー!ごめんなさい!ホントについさっきまで撮影で出てきたばっかりだから!もうしません!許して!」

 

2人のやりとりを見て、白河は心の中で薄ら寒いものを覚える。フリルとの関係を持ちながら、黒川あかねと真っ当な男女交際を続けている。あかねとのやり取りの間に彼女への後ろめたさも、フリルへの申し訳なさも微塵も感じ取れない。冷酷な男というならまだわかる。人としての感情が欠落していて、何にでも責任を持てないクズというなら、こういう事もできるのだろう。

 

しかし星野アクアは違う。

 

マネージメント期間はまだ半年にもならない短い時間だが、彼は人として真っ当な感情を持っている。フリルへの申し訳なさも、あかねへの後ろめたさも持っている。移籍してから身を粉にして事務所とフリルに尽くしていることは知っているし、あかねにも不自由は多少あっても不満にまではならない範囲でフォローを入れてるのは見ている。だからフリルは未だアクアを心から愛しているし、あかねもまた、このようにアクアとイチャつく事ができるのだろう。

 

人として真っ当な感情は持っている。なのにおくびにも出さない。あの天才女優黒川あかねに演技を感じさせず、唯我独尊不知火フリルもアクアとの関係を切ろうとしない。

 

気味が悪かった。ロボットのような人間と割り切って見れる方がまだ理解の範疇だった。この男は一体どれだけの仮面を使いこなすのか。本当の顔はなんなのか。神なのか、悪魔なのか、わからなかった。

 

「白河さん」

 

声をかけられ、ようやく意識が現実に戻ってくる。一度大きく深呼吸し、仕事モードに切り替えた。

 

「あかねのこと、送っていきます。今日はこのままバラシでお願いします」

「わかりました。傘は──」

「要りません。一本で大丈夫です」

「なんであかねが答えんだよ」

「んふふふ」

「笑って誤魔化すな」

 

取り出しかけた傘を収める。一歩下がって、頭を下げた。

 

「わかりました。今日はお疲れ様でした。また何かあれば連絡を入れますので、携帯は注意して見ててください」

「ありがとうございます。白河さんも、お疲れ様でした」

「失礼します」

 

雨が降りしきる中、夜の街を一組の男女が寄り添いあって歩いていく。その背中が、白河にはまた、薄ら寒いものを感じさせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「最近雨多いよな」

「私、雨好きだよ」

「なんで?」

「アクアくんが私と一緒に溺れてくれた日のこと、思い出せるから」

「それはまた……」

「好き」

「…………」

「好きだよ」

 

雨音に混ざって時折車が水溜りを跳ねる音がきこえてくる。静かな夜の街を歩きながら、たわいない……というには少し重い雑談をする2人は遠目から見れば理想的なカップルにしか見えない。彼女は彼氏の肩に頭を寄せ、腕を絡める。彼氏も彼女の方に傘を傾け、濡れないように配慮しつつ、常に車道側を歩いている。理想的。まさに理想的な彼氏彼女の姿だ。

 

───あの旅行から……というよりあの大晦日の夜から、あかねはオレにくっつく事が増えた。

 

それまではお互い一線を引いていたというか。理想的な彼氏彼女をお互いが演じている感があったのだが。あの夜、秘密を共有し、抱き合って、キスをして、繋がりあったあの夜から、何かが壊れた。

 

膝の上で寝てみたり、同じソファに座っていたら首筋を甘噛みしてみたり、手を握り合っていると、時折、自分の腿あたりに自ら持って行ったり。とにかくスキンシップの量がめちゃくちゃ増えた。

 

そして──

 

「好き」

 

事あるごとにオレに好きだと言うようになった。

 

───イブの時には感じなかった何か。以前と決定的に違ってしまった何かが、あかねの中で生まれてしまった。

 

これがいい事なのか、悪い事なのか、アクアには判断がつかなかった。黒幕に迫るという意味ではいい事だろう。今のあかねならオレへの協力を惜しむことは絶対にない。それはヤツにたどり着くためにはとても重要なファクターのはずだ。

 

けれど、私的に考えればどう見てもいいことではない。

 

オレ自身が抱えてしまった秘密。秘密で繋がってしまった絆。オレとあかねの距離が近くなればなるほどこの秘密は重さを増す。

 

全てを救う薄氷の道。重さが増すほど危うくなる。

 

───その時は黙って死ぬだけさ

 

それまでオレはただ頑張って歩き続けよう。命をかけて、死ぬまで頑張って。オレの嘘を真実にする。オレの嘘が誰の目から見ても真実にしか見えないようにし続ける。

 

あかねも、フリルも、ミヤコも、ルビーも、全員騙して、完璧な星野アクアであり続ける。それしかオレに許されるいきかたはない。

 

「好きだよ、あかね」

「私も、好き」

 

あかねの家にたどり着くまで、オレ達は好きだと言い続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アクアくん、明日も仕事?」

「まあな。朝から撮影三本録り。あかねは?」

「9時から府中のスタジオ」

「お互い結構早いな」

 

黒川家の前まで辿り着くと、それぞれの情報を交換し合う。次にいつ会えるか、照らし合わせ、スケジュールを組むのが2人で会えた時の恒例だ。

 

「アクアさん、帰るんですか?」

 

玄関まで見送りに来てくれていたあかねの母親から心配そうに見つめられる。柔らかな笑顔で応えた。

 

「ウチでご飯くらい食べていきませんか?なんだったら泊まっていっても」

「ありがたいですが事務所の迎えが来る予定になってますので。お心遣いだけで」

「でもアクアくん、ほっとくとすぐコンビニとかのお弁当ばっかになるでしょ?料理できるんだから、ちゃんとしたもの食べなきゃダメだよ?」

「わかってる」

「あ、女の人に頼っちゃダメだからね!そういうことならいつでも私に連絡して!また作りにいくから!」

「はいはい。近いうちに、お願いしますよ」

「ちなみにアクアくん、今度は何食べたい?」

「………ガッツリ系?」

「わかった。楽しみにしててね」

 

一度手を振り、背を向けると肘を掴まれる。振り返ったら、青みがかった黒髪の少女は目を閉じて頬を指でトントンと叩いていた。

 

「…………」

 

頬に唇をつける。満足そうに笑った。

 

 

ピコン

 

 

電子音が思いの外大きくなる。携帯を取り出すと、マネージャーからのLINKメッセージが画面に浮かんでいた。

 

「───っ」

 

一瞬、アクアの顔が険しくなる。気になったのか、あかねが心配そうに覗き込んできた。

 

「どうしたの?何かあった?」

「いや。ちょっとスケジュールが巻きになったみたいだ。今日はもう帰るわ」

 

あかねに携帯を見せる。浮かび上がったメッセージは確かに業務連絡の内容だった。

 

「仕事?大丈夫?」

「ああ。大丈夫だよ。じゃあまた。おやすみ」

「うん、おやすみなさい」

「アクアさん、またいつでも来てくださいね」

 

親子の見送りを背に、アクアは足早にタクシー会社に連絡をとり、大通りへと向かった。

 

アクアさん、忙しそうね。大活躍してるのは知ってるけど

……………………

あかね?どうかしたの?

ん、ううん。なんでもない。私も明日朝から仕事だし。今日はお風呂入ってすぐ休むね

ええ。すぐ用意するわ

 

扉越しに漏れ聞こえてくる2人の声を聞きながら、アクアはタクシーが来るのを苛立ちながら待っていた。

 

『今週末の予定が巻きです。スケジュール調整を』

 

白河さんからのメッセージ。予定が巻き、という言葉は普通に考えれば仕事に関することだと誰もが思うだろう。

 

しかし、アクア達の間でのみ、『予定』という文字が入る時、その意味は激変する。

 

それはフリルの陣痛が始まったという暗号だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もどかしくエレベーターが降りてくるのを待つ。到着してもドアが閉じるのが遅くてイライラする。こんなに気が急くのは人生で初めてかもしれない。苛立ちと焦りでどうにかなってしまいそうだった。

 

「…………来たわね」

 

部屋の前にやっと辿り着くと社長が扉の前で待ち構えていた。流石にこのやり手の女傑も青ざめた顔をしている。来るとわかっていた時が来ただけだと言うのに、2人ともいつもの冷静さは完全に失われていた。

 

「フリルは?」

「今は落ち着いてるわ。貴方は?仕事ちゃんと終わらせてきたんでしょうね」

「当然」

 

扉を開こうとノブに手をかける。開けようとした手に社長の手が重なった。

 

「男が見るには結構キツイ現場よ」

「オレが逃げるわけにはいかないでしょう」

「見ると決めたなら途中で退出は許さないわよ。見ずに通すか、最後まで見届けるか、どちらかにして」

 

答えの代わりに扉を開く。駆け足で廊下を歩き、部屋に入ると、あらかじめ聞いていた、事務所とコネのある産婆さんと、大きなベッドとクッションにもたれ掛かるフリルがいた。

 

「アクア」

「フリル」

 

すぐそばに駆け寄り、手を取る。眉間に皺がよっていた。不安と焦りと恐怖がないまぜになった表情だった。

 

「来てくれたんだ」

「当然だ。陣痛来たのはいつ頃だった?」

「多分23時半くらい」

「破水は?」

「大丈夫」

 

フゥと一度息を吐く。どうやら深刻な状況になる前に間に合ったらしい。

 

「不安か?」

「…………うん」

「何が不安だ?言ってみてくれ」

「…………全部、かな」

 

今から来るであろう壮絶な痛み。子供を産むと言うことに対する現実。そしてこれからの生活。全て不安だ。全て怖い。どうしていいかわからなくなる。

 

「いっ…」

 

お腹を抱えて背を丸める。痛みで息が荒くなる。すぐに産婆さんが様子を見た。

 

「…………まだ全然ですね」

 

出産となると子宮口が10センチは開くのを待たなければいけない。先行きはまだまだ長そうだ。

 

「ぅっ…!ふぅーーーー!ふっ、はぁっ………ああぁっ!!」

 

ベッドに備え付けられたバーを握り締め、痛みに耐える。その隣でアクアはずっと座り続けていた。

 

「…………アクア、寝てていいんだよ?」

「…………寝れるか」

 

かろうじて笑みを作ってこちらを見つめる少女に笑みを返す。確かにど深夜だが、このフリルを見て、眠れるはずがない。

 

「オレのことより自分の心配してろ。今は大丈夫なのか?」

「陣痛って波みたいに現れては静まるを繰り返すの。今は大丈夫」

「今の陣痛の感覚は?」

「7分くらいです。フリルさん、今のうちにトイレも済ませておいてください」

「トイレ、行けるか?」

「大丈夫。陣痛が治ってる時はほんとにいつも通りだから。疲れてはいるけどね」

 

ベッドから立ちあがろうとするフリルの手を掴んだ。

 

「ありがとう」

「やめてくれ」

 

こんな事でしか手助けできない自分が、情けなくて仕方がなかった。

 

トイレを済ませ、ベッドに横たわる。一定間隔で響く、フリルの叫び声はアクアにとって火に炙られるような時間だった。

 

「…………やっぱ、人に見られても病院で産んだ方が良かったんじゃないのか?」

 

陣痛の波が引いた時、話しかける。フリルは苦しい時、何か他のことをして誤魔化したいタイプだ。あの嵐の夜、絆を身籠ったであろうあの時もそうだった。喋っている方が気が紛れるから陣痛が治っている時は話しかけてほしいと言われていた。

 

「今時無痛分娩とか、痛くないやり方も…」

「できるだけ自然に産んであげたい」

 

クッションにしがみつきながら、けれどハッキリと答える。続いた。

 

「この子は本来私たちの間にできちゃいけなかった子。不自然な形で作られてしまった絆。だからこそこれ以上何か手を加えたくない。自然な形で産んであげたい。痛みも辛さも怖さも全て受け止めたいの。だから──っ、」

 

再びクッションに顔を埋める。痛みが襲ってきたのだろう。取ろうとした手を遮られる。産婆さんがアクアの手首に手を添えていた。

 

「過度な痛みは脳のリミッターを外します。手を握ったりしたらそのまま握りつぶされるかもしれません。お気持ちはわかりますが、ここからは見守るだけで」

 

そこから先は苦行の時間だった。

 

フリルにとっても、アクアにとっても。

 

「痛い」と臆面もなく泣き叫ぶフリル。いつもの凛とした美しい澄まし顔は見る影もない。眉間に皺を寄せ、歯を食いしばり、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっている。バーを握りしめた手は真っ白だ。相当強い力で握り込んでいるのが一目で分かる。

 

そしてアクアもずっと顔を歪めていた。フリルが痛いと泣き叫ぶたびに身体が震え、唇を食いしばり、組んだ腕に力が入る。この位置からでもハッキリとわかる下半身からの出血。痛みに耐えながら呼吸をなんとか整えようとする、こんなにもフリルが苦しんでいるのに自分にできることは何もない。頑張れなんて口が裂けても言えない。ただ見守ることしかできない。歯痒さと後悔が常に心を苛み続ける。まるで身を引き裂かれるかのような痛みをアクアも感じていた。

 

───してはいけないことだった

 

今まで何人も女を抱いてきた。欲の捌け口にした事もされた事もあった。初めては中1。レン先輩が相手だった。最初は躊躇があったけど、回数を重ねるごとに躊躇はなくなり、いつのまにかコミュニケーションの手段の一つとなっていた。

 

どの相手がこうなっていても、おかしくなかった。

 

気をつけていたけれど、避妊に絶対はないし、安全日と言われた時は着けない事もあった。慣れの怖さを侮っていた。

 

「あ゛ぁあ゛あ゛あ゛っ、う、う、う、ま、っっ、ぁああああ!!」

 

本気の陣痛が始まった時、その叫び声は今までの比ではなかった。

 

───オレは、なんてことを……

 

背筋が震える。最低だ。本当に最低だ。母さんは16歳でオレ達を産んだ。父親は幾つだったか、まだわからないが、犯罪者なことは間違いない。どちらもロクなもんじゃない。最低最悪。父も母もオレも。

 

───本当に産まれてきていい子なのだろうか、絆は。

 

最低の母と最悪の父。その両方を引き継いだオレ。そして産まれてくる子も間違いなくその血を継いでいる。

 

───やっぱり僕は、死んだ方が良かったのかもしれない

 

あの夜、僕が僕でなくなった頃に、何かをなくしてしまったあの時に、あのまま死んでいた方が良かったのかもしれない。そうすればこんな事にはならなかった。あの時一緒に殺して貰えば良かった。僕も、アイも。

 

「どうして、こんなことになっちゃったんだろう」

 

自責と後悔で全身が引き裂かれていた時、小さな一言が響く。閉じていた目を開く。涙と汗でぐちゃぐちゃになったフリルが呟いた一言だった。

 

───弱気になってる……アイツが

 

「やっぱり産んじゃいけない子だった……身籠っちゃいけなかった……もう死にたい……殺して……私も、この子も、殺してください…」

 

全員が愕然となった。現実を受け入れるのに誰もが抵抗し、凍りついていた。あの不知火フリルの弱音を聞いたのは誰もが初めてだったから。

 

 

ただ、1人を除いて。

 

 

「…………ア……クア?」

 

グリップを握っていたフリルの手を取る。痛み以外の感覚にフリルが呆気に取られる。涙で潤んだ目が、星の瞳に吸い込まれた。

 

「ダメ、だよ……手なんか握っちゃ……アクアが、ケガ──」

「いいよ、握り潰して」

 

常日頃から鍛えている不知火フリルの握力。脳のリミッターが解除された状態ならオレの手を握り潰すくらい容易だろう。それでもいい。構わない。

 

「ダメ……私は、死んでもいいけど、アクアは……」

「お前もダメに決まってんだろ」

 

同じことを考えた。誰かオレを殺してくれと思った。コイツも同じことを考えてると、あの一言でわかった。その瞬間、怖気が走った。オレは死んでもいいけど、フリルとこの子はダメだ。それだけは許容できなかった。

 

「今のオレがお前達に出来ることなんて、何もないけど。今この場でオレは後悔ばっかしてるけど。オレに出来ることは、これからのお前達を守ることだけだ」

 

だから、今は無事に産むことだけを考えてくれ。

 

「他のことは何も考えなくていい。オレのことも、これからのことも。全部オレがなんとかするから。オレが守ってみせるから。だから今は、自分のことだけ、考えてくれ」

 

握った手が震える。何もできない情けなさで。それでも目は真っ直ぐに向け続けた。目を逸らすことも、閉じることもしなかった。侵してしまった罪を。オレがこの人につけてしまった傷を。見届けることだけが、今のオレに出来る唯一のことだったから。

 

涙と鼻水と汗でぐちゃぐちゃになったフリルがようやく少し笑った。

 

陣痛開始から約十五時間。アクアが手を握ってから約八時間ほどが経った後に、フリルの出産が終わる。3000グラムほどの女児が、無事に誕生した。

 

八時間。握りしめた手は一度たりとも強く握り込まれることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

この人は、本当に太陽みたい。

 

人生で一度も経験したことのない痛み。さっきまで死を望むほどの激痛が、今はもうそこまで気にならない。そんなものより、この手に感じる力強さと暖かさの方が大事だった。この手に集中したかった。

 

怪我を覚悟で手を握ってくれて。こんな醜い私から一瞬たりとも目を逸らさなくて。真っ直ぐに見つめられる星の瞳に、私の方が萎縮してしまいそうだった。

 

───ああ、この瞳だ。

 

この瞳に私は一目惚れした。夢中になって、恋焦がれて、知りたくなって、手に入れたくなった。太陽のようなこの人に近づきすぎて、こんな事になってしまったけど、後悔は一度もしたことはなかった。

 

今日、この瞬間までは。

 

人生で経験したことのない激痛。家はお金持ちで、私もお嬢様で、基本的に甘やかされて生きてきた。苦労は同世代の女子の五億倍してきたと自負してるけど、こと物理的な痛みからは隔離され、守られてきた人生だった。

 

痛みというものに免疫のない私は、泣き叫んだ。臆面もなく涙を流し、鼻水を流し、冷や汗で服をびしょびしょにした。

 

この時初めて後悔した。アクアに近づくんじゃなかった。恋なんてしなければよかった。失敗なんて求めなければよかった。太陽に近づきすぎて、地に叩き落とされる痛みがこれほどなんて思ってなかった。

 

アクアに恋をしていると自覚してからの日々は、決して楽しいだけじゃなかった。結構辛いと思うことも多かった。

 

あかねとだって、本当の親友になりたかった。

 

子供なんて、できなければよかった。

 

家族に、子供ができたことを報告するのも嫌だった。

 

アクアのこと、好きにならなきゃよかった。

 

───そもそも私、本当にアクアのこと、好きだったのかなぁ

 

役に入る時、恋人役の俳優のことを好きになりかけてしまうというのはよくあることだった。軽率にプライベートでも付き合ってほしい、とか思っちゃうこともあった。

 

もしかしたら、アクアもその1人だったのかもしれない。普通の女子高生みたいなことをやりたくて恋愛リアリティショーに参加した。恋にも興味があった。アクアのことを好きになろうと努力しなかったかと言われれば嘘になる。

 

何かを演じる時は結構自己暗示にかかっていることは多い。アクアはその究極系だろう。作品の質を求められる時。周りからいろいろな指示をされる時。まるで目隠ししながら暗闇の道を走らされるかのような場面で、憑依した役が答えを教えてくれる。ゴールまで導いてくれる。

 

自分の中で別の人格が作り上げられる人。

 

それが作品に貢献できる役者。本物の『芝居』ができる役者。

 

───アクアも、そうだったのかなぁ

 

蓋をしていた。溜め込んでいた不満と疑念が痛みによって解放される。

 

どうしてこんな事になってしまったんだろう。

 

やっぱり産んじゃいけない子だった。

 

身籠っちゃいけなかった。

 

アクアなんか、好きじゃなかった。

 

もう死にたい。殺して。私も、この子も、殺してください。

 

思っちゃいけない言葉が頭に浮かんでくる。実際声に出してしまったかもしれない。けれどどうでもよかった。今はこの痛みから逃げ出せるならなんでもする。死んで解放されるなら私は躊躇なく死を選んだと思う。一度解放されて仕舞えば、いやでも気づく。

 

私はアクアとの付き合いに、こんなに不満と疑念を抱えていたんだ。

 

───誰か、私を殺し……え?

 

手に何かが来た。柔らかく、力強く、熱い。痛み以外の感覚を久しぶりに感じた。驚いて目を開ける。涙で歪んだ視界が晴れた。

 

「…………ア……クア?」

 

アクアが私の手を取っていた。

 

「ダメ、だよ……手なんか握っちゃ……アクアが、ケガ──」

「いいよ、握り潰しても」

 

良いわけがない。アクアが手をケガしたら仕事ができなくなる。ギターが弾けなくなる。ピアノも弾けなくなる。歌も歌えなくなる。ドラマも出れなくなる。

 

人前に出れなくなってしまう。それはダメだ。せっかく才能を開花させて、世間に認められて、アクアの十二年が報われようとしているのに。そんな事になってしまってはいけない。私が耐えられない。

 

「ダメ……私は、死んでもいいけど、アクアは……」

「お前もダメに決まってんだろ」

 

口調は穏やかだったけど、目つきは鋭かった。怒ってる。アクアが心の底から怒ってる。初めてだ。私がからかって、アクアが怒る、なんてことはあったけど、表面的だった。心からの怒りをぶつけられたのは、多分初めてだった。

 

「今のオレがお前達に出来ることなんて、何もないけど。今この場でオレは後悔ばっかしてるけど。オレに出来ることは、これからのお前達を守ることだけだ」

 

アクアも、私と同じことを考えてた。こんな事になってしまい、後悔していた。けれど、それでと、今自分にできることをずっと考えていた。

 

───手、震えてる

 

握られた手が震えている。私の震えじゃない。アクアの震えだ。罪の意識、後悔、あらゆる負の感情がアクアを苛み、この強い人を震えさせている。その事が悲しいと同時に少し嬉しい。

 

震えていても、星の輝きを放つ瞳だけは、真っ直ぐに私を見つめていた。

 

───やっぱり、違った。

 

アクアは違った。自己暗示なんかじゃなかった。考えてみればそうだった。自己暗示は役が解ければあっさり解ける。少なくとも今まではそうだった。番組が終われば相手役の俳優への気持ちなんか、一瞬で冷めた。でもアクアへの想いは番組が終わってもまるで冷めなかった。むしろ時間が経てば経つほど、この人に夢中になった。熱中した。のめり込んだ。

 

───やっぱり私は、この人が好きだなぁ

 

もし過去をやり直せたとしても、これからの顛末を全て知っていたとしても、多分私はこの人に恋をするだろう。この瞳を目にして、私がこの光を求めないはずがない。

 

あかねと親友になれなくても。

 

子供ができてしまっても。

 

この痛みを体験しなければいけないと知っていても。

 

私はこの人に、何度でも恋をする。

 

───ああ、この瞳だ。

 

この瞳に、私は焼かれ、焦がれ、そして溺れたんだ。

 

口元が綻ぶ。痛みは相変わらず。むしろどんどんひどくなってる。けれどもう怖くはない。死にたいなんて、もう思わない。死んでしまえば、もうこの光を見る事ができなくなってしまう。それは嫌だ。

 

握られた手を握り返す。力は込めすぎず、怪我をさせない範囲で。けれど、この人の柔らかさと熱は感じる事ができる力で。

 

手から伝わる熱と、手に込める力に、集中する。集中し続ける。そこから先はよく覚えていない。産婆さんの指示に従って、大きく息を吸って、何度もいきんだことは覚えている。気がついた時、もう私達の絆が私の腕に抱かれていた。

 

───凄い

 

おくるみに包まれた我が子を抱いて、その生命の尊さと美しさに敬意を覚える。

 

───柔らかくて、小さくて、けど、とても強い子……私達の絆

 

ありがとう。生きていてくれて。生まれてきてくれて。

 

決して強くならないように、抱きしめる。ほとんど同時に私の肩が温もりに包まれた。アクアが、私も子供も抱きしめてくれていた。

 

「よく頑張ったな……お前も、この子も」

「アクア、抱いてあげて。貴方の子よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んー。ねえ、あなた。ちゃんと映ってる?」

「おう、バッチリ。しかし急に記念撮影したいなんて言い出すとはな」

「こういうの残しておくのも良いでしょ?いつかこの子が大きくなった時、これ見ながら一緒にお酒でも飲みたいじゃない?」

「…………悪くないな」

「でしょ?ホントは私が全部撮りたいんだけどね。この後あなたにもインタビューするから。その時は私が撮るね」

「はいはい。んじゃ回すぞ。10秒前ー」

 

3

 

2

 

1

 

『ハッピーバースデー。ついに産まれましたー。いやホントに頑張りました。私もこの子も』

『大暴れだったな』

『しょうがないでしょ、めちゃくちゃ痛かったんだから。鼻からスイカどころじゃないよ。破瓜した時の五百倍は痛かった』

『もうちょっと他の例えねーのか』

『基本的にお嬢様なので。物理的な痛さからは遠ざけられてきた人生だったのですよ。私の子にしてはあんまり小顔じゃなかったみたい。あなたのせいね』

『ははは』

『あと、言っとくけどどっちの痛みもあなたのせいだからね』

『それを言われると弱いな。申し訳ありませんでした』

『痛みも喜びもあなたからなら全部大切だけどね』

『出産を終えた今の気分は?』

『…………幸せです』

 

やっと、私が生まれてきた意味を見つけられたような気がしたから

 

私はアクアのことを心から愛していると気づかせてくれたから

 

貴方が教えてくれたから

 

『まだ貴方は目も見えなければ、何を言ってるのか、わからないだろうけど。すぐに目が見えて、声が聞こえて、話もできるようになる。一緒にこのビデオを見れる日もいつかきっと来る』

 

その時には、きっと全てを話すから。貴方の父と母は、ちょっと愚かだったこと。貴方が普通の子供とは少し違うことを。ちゃんと話して、ちゃんと謝って、ちゃんと感謝を伝えるから。

 

『大好きだよ。これから末永く見守らせてください。いつか私達の元から巣立つその日まで。たとえ巣立っても、私達は貴方が帰る宿木であり続けるから。だからそれまで元気に、健康に育ってくれることを祈ってます。母として今貴方に願うことは、それだけです』

 

 

 

 

 




最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
絆、爆誕。色々ありましたが無事に産まれて本当によかった。果たしてこれからどうなるかは筆者すらわかってませんが、どうかよろしくお願いします。今回は本誌ネタバレなしです。とゆーか今回の話がほとんど本誌ネタバレみたいなものですけどね。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
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