【本編完結】星をなくした子   作:フクブチョー

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幸福と煉獄は表裏一体
夕焼けの少女と火を知らぬ少女は星をなくした子の愛を求める
それは悪しき慣習が蔓延る伏魔殿で生きるための甘露
甘露は昇天への妙薬か堕落への麻薬か


92nd take 麻薬の魔力

 

 

 

 

 

「…………」

 

LINKの画面を開く。30分ほど前に送ったメッセに既読はまだついていない。珍しいことじゃない。私だって仕事中でアクアくんからのメッセージを見逃してしまったり、疲れて寝ちゃってて、気づいたのは次の日の朝だった、なんてことはよくある事だ。

 

だから、私は気にしない。

 

今、アクアくんがどんな事情で携帯を見ることができていないんだとしても。

 

アクアくんの既読がつきにくいのは、深夜な場合が多いことも。

 

私は知ってる。

 

アクアくんがフリルちゃんに惹かれていたこと

 

ずっと前から。アクアくんのことを研究して、トレースしようとした時から、気づいていた。

 

アクアくんは多才で、器用で、賢くて、なんでもできて。見上げられてきた。

 

あいつは特別だと陰口叩かれるのが日常で。見上げられ、妬まれ、恨まれ、期待されるのが当たり前の日々だった。

 

そんな日常の中では、いつのまにか自分とその他とは明確に線を区切ってしまうようになってしまうのは必然だったのだろう。その他を同じ人間として見ていなかった。見ることができたのは何かしら自分に負けない才能を持つ人だけだった。

 

そんな時、自分を遥かに見下ろす存在に出会った。

少なくとも同世代では、人生初だった。

 

不知火フリル。自分と同じマルチな才能を持ち、たくさんの軸を持ち、その全てで自分を軽く凌駕する存在。

 

美人で、才能あって、自信がある。目に強い光を持ってて、めんどくさい女が好みのアクアくんにはきっとど真ん中ストライクだったんだろう。

 

男と女の友情はあるところにはあると思うけど、少なくとも今ガチにおけるフリルちゃんは、典型的な『お友達から始めましょう』戦略で。異性としてのアプローチがありありで。親友以上の関係を求めていた。そんな二人に友情のみが成立するはずはなかった。

 

フリルちゃんはアクアくんに恋をしていた。きっと一目惚れだった。アクアくんの才能と星の瞳を見て、あっという間に溺れていった。わかる。私もそうだったから。

 

アクアくんはフリルちゃんに惹かれていた。人生で初めて出会った対等な立場で接してくれる同い年の異性に少しずつ魅了されていた。

 

それでも、アクアくんはあの時フリルちゃんじゃなくて私を選んだ。多分フリルちゃんにはない才能を持ってる私を。人生で二回目。自分より優れているかもしれないと思った同世代の異性を。

 

アクアくんが好きでもない芸能界にいる目的を果たすために。

 

それが悪いことだとは私は微塵も思っていない。人付き合いで打算が発生しないことなんてあり得ない。私だってアクアくんに打算を求めている。

 

アクアくんは、すごく優しい。

 

殺人的スケジュールの中で私と会う時間をなんとか作ってくれるし、構ってくれる。LINKも既読放置なんてしない。時間がかかっても、絶対に返事はくれる。

 

私のよくない事情にだって理解を示してくれる。あの夜、ホステスまがいのことをした私に醜い感情をぶつけるなんてことも一切しなかった。深夜2時を越えての帰宅になっても、嫌な顔ひとつせず迎えに来てくれた。アクアくんのマンションまで一緒に帰った。夜が明けるまでの数時間、ずっと抱きしめてくれた。キスしてくれた。抱いてくれた。おじさん達に触れられそうになって、なんとか避けたけど、それでも鳥肌がたった。私の冷え切った心と身体を暖めてくれた。

 

良い彼氏をやってくれてる。幸せだ。アクアくんの彼女になれて、私は今、人生で一番幸せだ。生まれて初めての本気の恋。アクアくんのことが好きで好きで仕方がない。私は確信してる。コレが多分最初で最後の恋だって。こんなに誰かを虜にする魅了の魔力を持つ人なんて、金輪際現れないだろうから。

 

だから、私は構わない。

 

フリルちゃんと同じ事務所にアクアくんが入っても。

 

フリルちゃんの活動自粛がそのタイミングと重なることも。

 

私は構わない。気にしない。深く詮索しない。

 

───だから、お願い

 

隠すなら最後まで隠し通して。嘘をつくなら絶対に私にバレないようにして。知ってしまったら、私は行動せずにはいられない。アクアくんを責めることも傷つけることもできないけど、多分他の何かをしてしまう。その何かは私にもわからないけど、それはきっとアクアくんから離れないようにするための何かだとは思う。アクアくんが私と別れられなくなる何か。その優しさと責任感につけ込む何かを、私はしてしまう。

 

私はもう、アクアくんと別れられない。

 

だって知ってしまった。星野アクアが彼氏でいることの幸せ。

 

感じてしまった。彼の優しさ。思いやり。その感情を向けられることの嬉しさ。

 

味わってしまった。あの人に抱かれた快楽。痛み。苦しさ。悦び。味わってしまった。繋がってしまった。壊されてしまった。

 

どれか一つでも知らなければ、感じなければ、味わうことがなければ、訣別することはできたかもしれない。どれか一つでも欠けていれば、身を引くこともできたかもしれない。

 

けれどもう無理だ。全て知ってしまった。感じてしまった。味わってしまった。麻薬使用者の再犯率はほぼ100%。私ももう甘い麻薬()に全身どっぷりと浸かってしまった。

 

もう私に、星野アクア以外の人を愛することはできない。

 

明日も、明後日も、今年の冬も、次の春も、あなたの彼女でいたい。あなたと一緒に年を越したい。

 

その年で一番最後に会う人も次の年で一番最初に会う人もあなたであってほしい。これから先、一生。

 

───だから、お願い

 

隠し通して。嘘をつき続けて。嘘も貫き通せば真実だ。あなたの嘘を少しずつ真実に変えていって。私はそういうの、嫌いじゃない。優しいあなたの嘘が好きだから。あなたの嘘を受け入れたいから。

 

「お願い、アクアくん」

 

返信が来てもいないのに、握りしめた携帯は震え続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『深掘れ、ワンチャン!』

 

それは 地上波ではできない倫理的にギリギリを攻めるチャレンジ的番組。元々は『やれんの課、ワンチャン!』という凄技への挑戦や一般人が関わりのある業界やイベントへの潜入を行うゴールデンの人気企画を元にしたオマージュ的番組。

 

その元となった『やれんの課、ワンチャン!』のエースを務めているのは星野アクア。この半年で日本全国に存在を認知された天才俳優。彼の最大の特徴は万人を惹きつけるオーラと持って生まれた美貌。そして多才さである。

 

歌って踊れて演技もできて、ピアノ、ドラム、ギターなどの楽器もできる。元々弱点など見当たらないキャラクターではあった。そこに加え、ネットやsnsで溢れる達人芸をあっという間に習得していくその姿は完璧で無敵な星野アクアのイメージを強く後押しし、フォロワーを爆増させた。

 

しかし、星野アクアにも弱点があることが衆目に晒される。それは家族であり、双子の妹でもある星野ルビーの存在だった。

 

なんでもソツなくこなすアクアの姿に視聴者が見慣れ始めた頃、テコ入れとして投入されたのが星野ルビー。

 

クールで毒舌。冷静で聡明な正論マシーンである碧玉の少年。

 

快活で天真爛漫。情熱的で少しおバカな紅玉の少女。

 

対照的な二人の美男美女双子カップルは非常に絵になり、アクアのみならず、ルビーもついに万バズを会得するに至り、二人は共演の機会も増えていった。

 

そして今年の夏。8月に行われた夏コミで、アクアとルビーは遂に肩を並べ、同じステージに立った。

 

去年再結成された、新生B小町と新進気鋭の実力派女優、黒川あかねをバーターに添えて。

 

星野アクアは今年大ブレイクを果たしたドラマ『リバーシ・アイドル』の主人公のコス。そしてルビー達は他のメンバーのコスで参加し、ステージ上で三曲、歌い踊った。一曲目は正体を隠し、二曲目に入る前にアクアとルビーのネタをバラし、三曲目の前に黒川あかねが正体を明かした。

 

星野アクアの歌唱力とダンススキルはもはや言わずもがな。一般大衆の多くは知らなかったであろうルビー以外のB小町も培ってきた全てを出した。

 

そしてにわか仕込みのアイドルだった黒川あかねはアクアのフォローと大衆の面前で行われたキスで数多の歓声と悲鳴を呼んだ。

 

この行為が少し批判を呼びもしたが、二人は一年以上交際を続ける公式カップル。ビジネスだけではできない仲の良さは概ね好印象を大衆に与える。

 

ゴールデンタイムに放送された夏コミにコスプレで潜入するという企画は大成功を収めたと言えるだろう。

 

しかし、光があれば、影があるのが世界の摂理。

 

夏コミに参加していた『深掘れ、ワンチャン!』。奇しくもコスプレイベントをテーマに企画を組んでいた彼らは一人のレイヤーの呟きによって炎上してしまう。

 

内容は主に本番前日になってのコスチュームの変更。そしてセクハラじみたインタビューについて。

 

ネット局のDは殆どが昭和を経験している人物。しかも倫理観もハラスメントも地上波とは比べ物にならないくらい劣悪。その価値観を持ったまま、令和の番組を作ってしまうとこういう事になってしまうのは必然だった。

 

もう誰もがこの番組は終わりだ、と思われたところに一つの企画が持ち込まれる。

 

それは炎上の元になったDに禊をさせるというもの。

 

謝罪を企画にするというのは非常に危険な綱渡りだ。もし相手に非があったとしても謝罪の形を間違えて仕舞えば今度は被害者が燃え上がる。

 

夏コミに参加していた芸能人として、星野アクアにもゲストとしてオファーが来ていた。しかし、事務所はこれを拒否。今更ネット局のバラエティなんかに星野アクアを出すメリットは殆どない。しかもこんな飛び火をもらいかねない番組への参加が許されるはずもない。後にアクアもこの説明を聞いたが、反対意見はまるでなかった。

 

しかし、未だ発展途上のタレントはそうはいかない。

 

ルビーをはじめとするB小町はゲストとして参加を決定。被害者女性と共にインタビューやコメントを受けることとなり、本人達の意見を伝えることとなる。

 

『私は謝罪を求めているわけではありません。もうこのようなことが起こらないように、原因の究明と体制の改革を求める次第です』

 

───ビビッてんな

 

PCで眺めていたアクアはレイヤーの態度を見て嘆息する。軽く調べただけだが、SNS上ではメイヤはかなり強気で攻撃的だった。イベントがあるごとに暴露や晒し行為を行い、SNSでアップし、ファンに攻撃させていた。その時の大衆を煽る言葉は非常に強いものが多かった。それも当然と言えば当然。強い言葉でなければ人は反応してくれないし、燃料たる火力を得られない。

 

はっきり言ってメイヤという人にアクアは好意的感情は持てなかった。リークとは大抵、不満と私怨をぶつけるストレス発散と「オレはこんなことまで知ってる」「業界の裏にも詳しい。一般人とは違うんだ」などという見栄(マウント)。そして火炙りにされている人に安全圏から石を投げるその他大勢で成り立っているイベントのようなものだ。

 

中世の昔、魔女裁判やギロチン処刑とはイベント。大衆の娯楽の一つだったらしい。この令和の世になっても人の本質はまるで変わっていない。

 

───だが、今このメイヤはあくまで個人としての悪感情ではなく、コスプレ界を良くするためのツイートだったというスタンスでいる。

 

全部嘘とは思わないが、実際に顔と名前を公共の電波に晒す段になって、日和って方針転換したのは間違いなさそうだ。

 

けれど、テレビにはセクハラじみた行為はあり、レイヤーが下に見られるということもあるのは事実だった。実際『コスでHしたことある?』とか『露出趣味なの?』とかの質問をされたことは真実らしい。

 

そのインタビューを聞いたルビーはメイヤの隣でうんうんと大袈裟に頷き、腕を組んでいた。

 

『わかるなぁ。セクハラかどうかは置いておいて、私も答えにくい質問されることはしょっちゅうだもんね』

『たとえば?』

『初恋の人は?とか、ファーストキスの相手は誰?とか』

『あー、確かにアイドルには答えにくい質問ですねー』

『私はどっちもおにいちゃんなので問題ないんですけど』

『それはそれで別の問題が発生せーへんか!?』

『普通にアイドルやってる仲間や友達は答えるの辛そうだなって思うことは多いです』

『事前確認やオファーの際のやりとりで信頼関係を築くことができて、お互いリスペクトがあるって分かれば私も許容できます。けれど下ネタを振ってくる人の大半はそんなリスペクトはありません。その方が面白そうだから。下品な答えを答えさせたいから。そんな意図を持っているとしか聞こえませんでした』

 

出演者側の都合は完全に無視した直前のコス変更。コスプレイヤーを明らかに軽視した企画内容と質問。メイヤが言っていることもあながち的外れというわけでもなかった。

 

その後はDの謝罪と番組側の内情の説明。そして版権問題のインタビューが行われ、番組が進行していく。

 

ちなみに版権問題でアビ子先生にインタビューしていたのは有馬だった。

 

『…………そちらにも事情があることはわかりました。今は最初ほど憤りがあるわけでもありません。再発防止の姿勢さえ見せていただければ、ツイ消しをしても構わないと思っています』

 

───大人しく収めたか

 

ここで下手にゴネたら今度は自分が燃える可能性がある。ここで大人の対応を見せれば下手な火傷は負わず、安全圏のまま番組を終了できる。流石に何度も晒しをやってるだけあって、引き際は理解しているようだ。

 

『それでは最後にDさんからとある深掘り謝罪をもらって禊といたしましょう!果たして許してもらえるのか!?深掘れ、ワンチャン!!』

 

スモークが焚かれる。スーツ姿のDでも現れるかと思い、眺めていると、出てきたのはなんと鞘姫のコスをしたDだった。

 

「うわ、絵面汚っ」

 

イヤホンを共有し、隣で番組を見ていたフリルから声が上がる。腕の中では絆が眠っていた。

 

「馬鹿馬鹿しいけど上手いな。謝罪をコミカルな形にすることで『やりすぎ』とか『資格がない』とか騒ぎそうな人たちを封殺した」

「Dが自作したコスだって。レイヤーの苦労も知ることができたってアピールできるし、レイヤーへのリスペクトを持てるようになったって説得力もでる。丸く収めるには確かに上手い」

 

しかし隣で絆を起こさないようにクスクスと小さな笑いが零れるのを抑えることはできなかった。

 

「けど絵面が酷いなぁ。あなたのクオリティ鬼高のコスに見慣れちゃったせいかもしれないけど」

「コスって言うな。メイクと言え」

「普通男のおじさんが女装したらこんなもんか」

「衣装もメイクもヘタなんだよ。和装なのに、ボタン見えるところにつけてるし、付け方も雑。この分じゃ縫製もガタガタだろ」

「あなたはミシン使ったことあるの?」

「衣装作りはやったことないな。バンドマン時代も、そういうの仲間に任せてたし」

 

どこのツテかは知らないが、ステージ衣装はいつもハルさんが持ってきてくれていた。オレがあのバンドでやっていたのは作詞と演奏(たまに作曲)だけだった。

 

「この企画、考えたの誰だと思う?ルビー、だけじゃないよね?」

「だけじゃないだろうな」

「もしかして、あなた一枚噛んでる?」

「まさか。この放送があること自体知ったのは最近だ。多分苺プロの先代社長がプロット組んだんだろう。詳細詰めたのは鏑木さんかな」

 

あの二人が考えそうな回路と落とし所だ。一見ふざけてるが芯をくってるし、ルビーの立ち回りも悪くなかった。Dに恩を売るには十分過ぎるだろう。

 

───少し前なら、ルビーが企んだかとも思ったが……

 

『せんせー、これくらいなら、私のこと嫌いにならない?』

 

目を閉じる。『やれんの課』の方でオレと初めて共演した時のあいつの態度。オレを利用して番組に出演した時、心底怯えた目をしていた。あの目をしていたやつが、他人やDを取り込むような、オレ以外の人間を利用するような手段を取るとは思えなかった。

 

「売れるかな、ルビー」

「売れるだろうな。きっと」

 

元々下地は出来つつあった。オレとの共演のおかげで名前も知られ始めた。そして業界視聴率が高いこの番組で炎上を収めた。使いたがるDは増えるだろう。

 

だが、それはあくまで個人。星野ルビーに限った話。

 

───オレは三年と言ったが……

 

思ったより早いかもしれない。B小町の崩壊は。ルビーに悪意がない分、尚更。

 

───っ、

 

アクアの意識を思考の海から引き上げたのは小さな声。今を懸命に生きる小さな命の涙だった。

 

「起きちゃった。キズナー?お腹すいた?」

 

泣きぼくろの少女が、パジャマのボタンを外す。胸の前に切り込みがあり、授乳がしやすい仕様になっていた。

 

「人間って不思議だよな。ちょっと前まで出なかったもんが普通に出るようになるんだから」

「あなたも飲みたい?」

「遠慮しとく」

「良かった。飲むって言ってたら怒ってたかも。絆の大事なご飯だもんね」

 

懸命に母に縋り付く娘の姿を見て、思わず笑みが漏れる。

 

───オレも他人の心配してる場合じゃない、か

 

劇場版リバドルの撮影はもう始まっている。半年後には公開予定だ。撮影をしながら、バラエティのレギュラーもこなして、音楽活動も続けなければならない。年末まで予定はびっしりと埋まっていた。

 

───次にこんな穏やかな時間が過ごせるのは、一体いつになるやら

 

お腹いっぱいになった絆の背中を優しく摩り、ゲップをさせるフリルの肩を抱き寄せる。一瞬驚いた顔をしたが、すぐに少女は微笑を浮かべ、絆を寝かせると、内縁の夫へと身体を寄せた。

 

「明日からリバドルの撮影だっけ?」

「またしばらく苦労をかける。絆のこと、一緒にできなくてごめん」

「全部理解して、納得した上であなたを愛したし、絆を産んだ。あなたが隣にいてくれるだけで、私にとっては奇跡。たまにこうして抱きしめてくれれば、充分」

 

絆を身籠った時から、フリルは覚悟していた。最初はアクアにすら伝えず、自分一人で産み、育てるつもりだった。運命と才能の導きで知られてしまったけれど、その覚悟は変わらなかった。

 

それでも今日に至るまでどれほどアクアに救われてきたか。妊娠中も、出産の時も、子育てをしている時も、アクアの存在がどれだけ支えになってくれたことか。今こうして優しく抱きしめてくれていること自体、フリルにとっては得難い奇跡。多忙を極める中、なんとか時間を作って会いに来てくれていることは自分が誰よりもわかっている。

 

───あなたの才能の妨げになるなら、なんだって切り捨てるべき。そう言ったのは私なのに、私は結局あなたの優しさに甘えてしまってる。あなたの罪悪感につけ込んでしまっている

 

アクアははっきり言って善人ではない。自分の目的のためなら使えるものはなんでも使う。その手段の中には結構非難されるようなモノもある。女好きとまでは言わないけど、タラシだし、女の敵と呼べる部分もある。

 

けれどまるっきりの悪人でもクズでもない。そうであったなら、きっとアクアもフリルももっと楽だっただろう。こんなにアクアのことを好きになることもなかった。子供ができることもきっとなかった。できたとしても、もっと楽な道を選べた。

 

けれど選ばなかった。二人とも。一番大変な、けれど全てを手に入れられる道を選んだ。

 

普段は合理主義の現実主義者。冷徹にすら見える思考回路と行動原理。けれど、その冷たく眩い仮面の奥には、愛という熱い血が流れている。

 

───絆を産むことを許してくれるなら、それだけでいいと思っていた。だけど……

 

知ってしまった。時間を作って会いに来てくれるあなたに、「おかえりなさい」と言える幸せ。

帰ってきた時に、優しく抱きしめてもらえる喜び。

感じてしまった。絆が夜泣きをした時、一緒に起きてくれて、眠ってていいと言ってもずっと私に付き合ってくれる優しさ。

眠りから覚めた時、あなたの顔が近くにあって、その日の一番最初に「おはよう」と言える幸せ。

 

全て知ってしまった。身体で感じてしまった。いつかの幼い日に夢見た女の子の幸せ。とっくの昔に諦めたはずの、人並みの幸せ。

 

知らなければ耐えられたかもしれない。感じなければわからなかったかもしれない。

 

けれどもう、幸せの味を知ってしまった不知火フリルに、アクアから離れるという選択はできなかった。

 

───ごめんなさい、アクア。ごめんなさい

 

あの病院で出会った時から、何度めかもわからなくなるような謝罪を心の中で言う。実際に言うとアクアは多分怒る、というか自分が悪いと逆に謝られるから、口には出さない。けれど心からの謝罪と労わりの気持ちを込めて、アクアの体に寄り添った。

 

あなたの傷が、こんなに深いとは思わなかったの。私の傷が、こんなに手遅れだとは思わなかった。あなたの傷がこんなに甘いとは思わなかった。あなたが傷を舐めてくれるのが、こんなに嬉しいとは思わなかった。

 

こんなにあなたに溺れてしまうなんて、思わなかった。

 

 

ヴン

 

 

振動音がする。二人とも視線が音源へと向く。二人ともいつ連絡が来てもいいように仕事用の携帯は見える位置に置いている。そして今、連絡が来たのはアクアの私用の携帯。

 

画面には黒川あかねと表記されていた。

 

アクアが動き出すよりも早く。泣きぼくろの少女の手が閃く。アクアの手の届くはるか先に電子の板は転がっていった。

 

ごめんなさい、あなた。ごめんなさい。

 

心から謝罪の気持ちが溢れた。こんな乱暴な。一歩間違えれば携帯が壊れ、あかねとの関係も破綻してしまうかもしれない暴挙をされたにも関わらず、アクアは怒りも動揺も見せず、内縁の妻の頬に優しく手を添えた。

 

───離れるべきだってわかってる。この人のことを本当に思いやるなら、私から解き放ってあげなければいけないとわかってる。それがアクアのためであり、私のためであり、絆のためでもある。わかっているけど。わかっているのに。

 

私は、あなたの麻薬()を求めずにいられない。

 

首に腕を回し、夫に全体重を預ける。二人がけのソファだが、男女が寝るとなると狭い。身を寄せ合い、絡み合い、二つの身体が一つに重なって、なんとか収まりを見せた。

 

───あたたかい

 

あの冬の病院。私の仮面が決定的に壊れて。私が一番弱くなったあの日から。あなたの暖かさに抱きしめられたあの日から。熱が心の奥底に沁み込んで、いつも小さな火種になって、私を守ってくれている。

 

あの時からお互い心に大きな傷を負って。心身共に弱ってて。傷を舐め合ってここまで来た。根本的な治療はせず、麻酔だけで誤魔化し続けて。結果致命傷に至るまで深くなった(キズナ)麻酔()がなければ死んでしまう。少なくとも私は、そんなところまで来てしまった。

 

「好きよ、あなた」

 

絆が再び夜泣きで目を覚ますまで、二人はお互いを貪り合った。

 

 

 




最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
半年間でアクアはスターになり、ルビーはスターへの下地が完成し、泥沼の女性陣たちはジャブの打ち合いが終わりました。次回からは第二幕も佳境。舞台は映画賞授賞式。ついに星をなくした子と死神が触れ合う距離まで近づきます。すぐ近くに来ていたことを知ったアクアの行動は。その行動により動く事態は。そして傷で成る絆の存在にいち早く辿り着くのは……

とまあこんな感じで大筋は考えてるのですが、詳細はまだ全然詰められてません。キャラ達に取材を重ねて詰めていきたいと思っています。ただ、ここから15年の嘘までの展開は結構早いかな、と予感してます。最終幕まで、どうかもう少しお付き合いください。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。
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