死神は星をなくした子の傍らから離れるだろう
偽りの真実に目を眩まされた蛇達は野に放たれる
たとえ笛吹男がいなくなろうとも
カミキヒカルの逮捕。この経緯に至るまでを説明するためには、少し時間を遡らなければならない。
「アクアくんっ」
授賞式の2日後。なんとか時間を作ったアクアとあかねはマンションで落ち合っていた。事務所が用意しているモノの一つ。フリルも持っていた緊急避難所。この一年でアクアも用意してもらえるだけの立場になっていた。
「手に入れられたか?」
「うん。ララライOBのリストだけ、なんとか」
USBが手渡される。保存してあるファイルには100名以上の名前が書かれているとあかねが説明した。
「ごめんね。これ以上の詳しいリストは流石に外に持ち出せなくて」
「東京人口1200万人から百数名程度まで絞れたんだ。充分だよ。ありがとう」
あの白薔薇の贈り主がララライのOBであることは間違いないらしい。ならこの中に必ずいるはずだ。
「──でも、あの花の贈り主がアクアくんの探し人だって決めつけるのはよくないんじゃ…」
「もちろんあるぞ。その可能性も。むしろそっちの方が高いくらいだ。このリストの中に母さんを殺したやつがいる可能性を数値にするなら、客観的に見てまあ10%いかないだろうな」
ノートパソコンを立ち上げながら、蜂蜜色の髪の青年はなんでもないことのように口にする。
「だったら──」
「けど1%でも可能性があるなら調べ尽くす。完璧なゼロになるまで、このリスト上の人間を徹底的に洗う」
客観的に見て、この中に黒幕がいる確率は10%以下。白薔薇の贈り主と黒幕が同一人物である可能性を加味するならもっと低い。けれどそれは手持ちの情報が少ないというだけのこと。今までは1%の手がかりすらなかった。しかしようやくとっかかりを掴めた。獲物が爪の先にかかったなら、残り90%を埋めるのはそう難しくない。
「…………アクアくん」
挿そうとしていたUSBをあかねが抜き取る。そのまま胸にギュッと抱きかかえた。意図を図りかね、アクアが疑問符を上らせる。答えはすぐにわかった。
「隠し事が悪いなんて言わない。私のことを思って黙ってくれてるのも知ってる。けど、これは答えてほしい。このデータを渡すのは、アクアくんの答え次第」
「なに?」
「アクアくんのお母さんは、アイさんなんだね?」
確信のある質問。一瞬みじろぎしたが、星の瞳の少年に動揺は少なかった。10秒ほど無言の時間が続いた後、認めるように目を閉じる。嘘をつかれなかったことの安堵に、恋人は大きく息を吐いた。
「父親について、アクアくんが今のところ掴んでる情報は?」
「姫川さんがオレと異母兄弟ってことぐらい」
「…………姫川さんのお父さんって、確か──」
「母親と無理心中したらしいけど、別にそれはなんの証拠にもならない。抜け道はいくらでもある」
黙り込む。あかねも言ってる途中で気づいたことだった。
「なら優先的に探すのは、まあ40歳以上のおじさんだよね。17歳の父親っていうならさ」
胸元に抱えていたUSBをPCに挿し、ファイルを開く。年齢順で整理されており、見る者に優しいファイルだった。
「まあ。そうかもな」
「絶対そうだよ!若い役者さんを囲うならお金と権力がある程度ないとできないし!ほら、この人なんて絶対あり得ないよ!姫川さんの父親って考えるなら当時11歳だもん」
「はは。確かにそれはすげぇ話だな。てことは初体験最年長で11歳か。オレでも中学超えてからだったぞ」
「───アクアくん?」
「…………なんでもないです」
怖い笑顔が彼女から向けられ、両手を上げる。確かに余計な一言だった。
「50歩100歩って言葉知ってる?」
「聞いたことはある」
「もう。まあ、私も強く言えないかもだけど。高校生は充分早い部類だもんね」
「そうか?今時三人に一人はしてるって聞くけど」
「少なくとも私の倫理の中では早いよ」
「そういえばあかねもお嬢様だったな」
「家族に嘘ついて男の人と外泊もしたことあるし、ピアスも開けちゃった。私もすっかり不良少女になっちゃった。アクアくんのせいだね」
「あかねは今の自分、嫌い?」
「嫌いじゃないから、ムカつく」
あかねからUSBを受け取る。少し話し合いや推理の検証は行われた後、あかねのためにタクシーを呼んだ。
「また何か分かったら連絡するね」
「ああ、ありがとう。それとあかね、コレ」
握った手を差し出される。疑問符を浮かべながら手を広げると、一枚の硬貨が落ちてきた。
「ちょっと早いけど、クリスマスプレゼント」
「…………なにこれ?500円玉?」
「──に見せかけたGPS」
思わず取り落としそうになる。動揺するあかねを支えるように抱きしめ、手を握った。
「事務所のコネで作らせた。オレも持ってる。というかウチは所属タレント全員持ってるんだけど」
「ど、どうしたのコレ」
「まあ誘拐とかされた時の護身用だな。あかねもこれからは小型スタンガンくらい持っといた方がいいぞ」
握った手が開く。硬貨らしきものを再びアクアが手に取った。
「位置情報がこのアプリに送られるようになってる。あとでURL送るからあかねもダウンロードしておいてくれ。ヤバい時はここを3回叩けばアプリのアラームが鳴る」
「なんで、こんなモノ……」
「ここからは良くも悪くも黒幕に近づくことになる。用心するに越したことはない。できるだけサイフに入れておいてくれ。オレも別に積極的には見ないけど、位置知られたくない時は、自宅にでも置いておいてくれればいいから」
「…………分かった」
スマホを取り出し、すぐにアプリをダウンロードする。諸々の登録を済ませると、アクアの携帯にも、あかねの携帯にも、お互いの位置情報が表示されるようになっていた。
「アクアくん、最後に一つ、聞いていい?」
「答える保証はしないが、どうぞ」
「そんなに急ぐ理由は何?」
「………………」
あのパーティ以来、アクアは明らかに焦っていた。今までも悠長にしていたとまでは言わないが、特別焦ってもいなかった。正直アクアが本気で調べようと思えば半年前の時点で容疑者を絞るくらいはできたはずだ。
それなのに。今まで急いでいなかったのに、あのパーティから急に急ぎ始めた。焦りは視野を狭め、危機に鈍感になる。アクアの身を危険に晒しかねない。あかねは心から愛しく思う彼氏を心配していた。
それは、星の瞳の少年も同じだった。
「あかねが危険だからだ。オレの推理が正しければ、ヤツが映画賞に来たのは、恐らく品定めだ」
「品定め?」
「あくまでも推理だけどな」
この13年で重ねたアクアなりのプロファイル。自身との共通点。それは彼も才能ある女性を好むという事。具体的なデータは姫川愛莉と星野アイの二人だけだが、趣味嗜好など、二人もいれば充分わかる。
「映画賞に出てたのも、あかねに花束を送ってたのも、おそらく青田買いだろう。映画賞をとれるほどの有望なララライ俳優と繋がりを作り、実際に目にしたかった」
11本の白薔薇の花言葉。『大切にしたい宝物』。一見良い意味にしか取れないが、【大切にする】という言葉の意味は人によって大きく変わる。慈しむことだけが【大切にする】という事ではない。
自分以外の誰の手にも渡らないよう、手を血に染める事だって、人によっては【大切にする】という意味になってしまう。
あかねは黒幕の標的になりうる。それだけの美しさと才能を持っていた。
「あかね、くれぐれも無茶はするなよ。移動する時はできるだけタクシー使ったり、マネージャーに迎えにきてもらえ。単独行動はできるだけするな。どうしても必要な時はオレを呼べ。いつでも必ず駆けつける」
「アクアくんも。無茶はしないでね。死ぬ時は私たち二人一緒にだよ。私を一人残したりしたら、許さないから」
最後に一度、強く抱きしめ合い、キスをする。タクシーはすでにマンションの前に来ていた。
───あかね
───アクアくん
一人になった時、二人の中で同じ言葉が湧き上がる。
ごめん、嘘ついた
そう。アクアも、あかねも、お互いに嘘をついていた。
アクアの嘘はパーティの名簿が手に入れられなかったということ。
あかねの嘘はOBのリストしか手に入れられなかったということ。
アクアは大手事務所の権力とコネ。そして主演男優賞受賞者の立場を使い、硬軟織り交ぜた交渉で、出席者名簿を手に入れていた。
あかねはララライ身内にしか見ることができない稽古確認の非公開リストの中に白薔薇の贈り主がいることを金田一から聞いていた。
あかねからもらったOBリストと手に入れた名簿を照らし合わせ、共通する名前を見つけ出すのは、文明の利器を使えば一瞬だった。
あかねの嘘は非公開の稽古映像を見たこと。その時、気づいてしまった。今まで確認した状況証拠と演技法。白薔薇の共通点。そして、才能。あかねが再現したアイの感情を以てすれば。
そして、最愛の彼氏と瓜二つの顔を見てしまえば、特定に至るまでそう時間はかからなかった。
【カミキヒカル】
二人がこの名前に辿り着いたのは若干あかねが先だったが、1日程度なら誤差の範囲。ほぼ同時と言ってしまっていいだろう。
つまり、捜査の段階。スタートラインはほぼ同じだった。
そして、自分たちが持っている情報をすべて明かして仕舞えば、特定にはすぐ至るだろうことも二人ともわかっていた。
だから嘘をついた。黒幕に辿り着くまで時間がかかるようするために。お互いが持っている情報を完全に共有はしなかった。
全ては、恋人よりも早く黒幕に辿り着くために。
───これ以上、あかねを危険に晒す訳にはいかない。相手は自分の身を守るためなら手を血で染めるのも厭わない人物だ。対策はさせたが、絶対じゃない
───アクアくんは、今のところ復讐なんてする気はなさそうだけど、実際に対面した時、どうなるかなんて誰にもわからない。感情が理性を追い越して、直接的な行動に出てしまうかもしれない
そんな事はさせない
この件は、自分だけでどうにかする
この結論に至ってしまったのは、二人の能力があまりに高すぎた故の傲慢だったのかもしれない。
しかし、現時点で二人ともまだ推理の段階。外れている可能性も大いにある。客観的に見て、確率は10%以下。これはアクアの本音だった。
だが、名前の特定が出来てしまえば、残りの90%を埋めるのはさして難しくなかった。
二人ともそれぞれの手法で行う情報収集。どちらが先にゴールへ辿り着くか。水面下での勝負が始まる。
スタートラインは同じ。お互いの能力も、推理力も、洞察力もほぼ同等。しかし、カミキヒカルの逮捕までこぎつけたのは、アクアの方が先だった。
理由はいくつかある。一つは最悪の想定の差。
あかねはアクアが自分に嘘をついているとは思っていなかった。最大の隠し事は母親がアイであるということ。それ以上の隠し事などないと思っていた。故にアクアが名簿を手に入れていない、と思っているあかねは、アクアがカミキヒカルに辿り着くのはまだ先だと判断した。
しかし、アクアはあかねが嘘をつくことを読んでいた。というか気づいていた。リストを開いて、「対象は40歳以上だ」と言い出した時から、嘘をついていると気づいていた。あいつは芝居じゃなく嘘をつく時、いつも饒舌になる。その舌の根に蹲ってる秘め事を隠すために。
最悪の場合、あかねが【カミキヒカル】側に付いている可能性まで考えていた。これはあかねを信じていなかったというわけではない。むしろ逆。信じているからこそ疑いの対象から真っ先に排除したかった。信じるという言葉は疑いが前提にある。疑い、その嫌疑を晴らすことができてこそ、信じると言える。
だから自分の捜査を進めるのと同時に、あかねの足跡も調べていた。あかねがカミキについて調べ始めたのはここ最近の短期間。あかねは自分と違い、12年以上演技にのみ打ち込んできた芸能活動だ。捜索範囲も情報収集の対象もかなり限定されている。金とコネをフルに使えば、調べるのはそんなに難しくはなかった。
その段階であかねがガチで捜査していることもわかり、カミキ側に付いている可能性は消える。そしてあかねが得た情報と自身が得た情報を照らし合わせる事で、捜査の速度と精度も上がる。
そして最大の理由。それは培ってきた時間の差。
先も述べたが、あかねがカミキについて調べ始めたのはここ最近の短期間。捜索範囲も情報収集の対象もアクアに比べればかなり限定されている。
それに比べ、アクアは曲がりなりにも13年、父親探しをやっていた。最初の動機は自分のことや、なくしてしまったアイの記憶を補填するためだった。今ほど必死ではなかったが、それでも何年にもわたって探していた。人と接し、コミュニケーションの輪を広げ、夜の街や歓楽街にも根を張り、いつでも情報を吸い出せる下地を13年かけて作り上げていた。
そう、一応行方不明だった、斎藤壱護にたどり着いた時のように。顔と名前がわかって仕舞えば、この狭い東京で誰がどこにいるか、すぐにわかる程度には、アクアの巣は広がっていた。
「ジュニア。来たわよ、例の男。女の人と一緒に」
芸能関係者がよく使う店にアクアが配った多くの手配書。その中から複数のヒットが届くのに時間はかからなかった。芸能界に一歩でも足を踏み入れれば、東京という街は極端に狭くなる。
───目撃証言が一番多いのは鏑木Pから教わったヤサか……やっぱりこういうのは変わらないし、変えられないモノだな
一緒にいる女も名前は偽名くさかったが、顔は分かった。女優やアイドルなら顔さえ分かれば名前もすぐに分かる。特にカミキが関係を持っているのは既に売れてる芸能関係者。平たく言ってしまえば才能ある女だったから、わかりやすかった。どうやら複数同時に進めてるらしい。
複数の女性と関係を持っているのも、才能ある女性が好みなのも共通してるが、こうと決めたら一人に決め打ちして落としにかかるアクアとは少し女の口説き方は違うようだ。
───中でも、一番ヤバそうなのは、彼女か。
リストアップされた中で、最も命の危険がありそうな女性にマークが入る。片寄ゆら。今や日本を代表する女優の一人。そして最近では山歩きがブームらしく、SNSには多くの写真や動画がアップされている。
───死体を遺棄するならどこにする?尋ねられたとしたら、オレなら海か山と答えるだろう。
そして黒幕も同じ答えに至るはず。時間がないと判断したアクアは事務所のコネをフル活用した。
「こんばんは、ゆらさん」
「あ。シノくん!ちょっとぶり。今日もかっこ可愛いね」
「ゆらさんも相変わらずお綺麗で。お忍びルック見るのも久々ですね。帽子もメガネも超似合ってます」
既にドラマで共演経験があった片寄ゆらとコンタクトを取ることは容易で、二人はプライベートで飲む機会を増やす。
「やっぱりゆらさん、お酒強いですね」
「ふふん。日本酒には美白効果があるんだよ」
「なるほど。道理で今でも高校生役ができるはずだ」
「もー、やめてよシノくん。アレ結構恥ずかしかったんだから」
「照れてるゆらさん可愛い。いつも凛として綺麗だから見落としそうになるけど、本当はお茶目で、すごく可愛い人」
「もうっ!そんなことばっかり言ってるとおばさん本気にするよ!」
「本気にしてくれないと困ります」
「───っ!!」
「あ、でもやっぱり本気になられても困るかも。ゆらさんに本気で好かれたら、オレなんてすぐ骨抜きにされるでしょうし」
「もーっ!!今晩時間ある?バ○アン行くよ!」
13年かけて培ってきた女たらしスキルを短期間で遺憾なく発揮。カミキヒカルより後からスタートした片寄ゆらの攻略だったが、複数同時に接するカミキの進捗はどうしても遅い。こうと決めたら決め打ちして落としにかかるアクアと速度の差が出るのは当然。追い抜くのはそんなに難しい事ではなかった。
そしてアクアは、欲しかった情報に辿り着く。
「この予定、誰かに教えたりしましたか?」
「えっと、確かミキさんに…」
「ゆらさん。一つお願いがあります」
罠を仕掛ける当日。アクアは今ガチの際に繋がりを持った警察に連絡し、自分を見張ってもらうように頼む。芸能プロダクション社長の不祥事の可能性があるとタレコむと、警察は5、6名を連れて見張りをしてくれた。
ゆらに頼み、借りた山歩きの衣装を纏う。頭には防弾用のカツラ。服の下には防刃ベストを着けて。片寄ゆらに扮したアクアはわざと人気の少ない登山コースを選んだ。
そして来る、運命の時。
衝撃が世界を揺らす。岩の上に倒れたのは演技ではなかった。死にはしていないが、頭部の衝撃はアクアに多大なダメージを与えた。グラグラと揺れる世界は油断すれば意識を失いそうにさせる。なんとか唇を食いしばり、痛みで意識を繋ぎ止めた。
「価値ある君の命を奪ってしまった僕の命に、重みを感じる」
勝利を確信した男の油断。歪んだ愛情と快感が鼓膜を揺らした時、アクアは拳を握り込んだ。
「その一言が聞きたかった……13年間、ずっと」
これが初めての犯行ではないという言動。余罪も追求することができる下地。自白という形で取れた。たくさんの警官を証人にして。この一言が聞きたかった。ただの殺人未遂だけで捕まえたくはなかった。だからわざわざ殴られ、死んだ演技までやったのだ。
立ち上がった時、カミキヒカルは既に組み伏せられ、手錠をかけられていた。これ以上危険はないと知ったアクアはウィッグを取り、男の前にしゃがみ込んだ。
「星野アクアか」
「初めまして。そしてさようなら、父さん」
▼
「なるほど、僕はまんまと嵌められた訳だ」
後ろでに手錠をはめられた状態でカミキヒカルが立ち上がる。見下ろすように立ち尽くすのは星野アクア。瓜二つの容姿の二人が対峙する姿は、他者の目には少し気味が悪かった。
「宮崎で僕の警告は受け取っていたと思ったんだけどね」
「アレも余計だったな。アレがなければオレもここまで急ぎはしなかったかもしれないのに」
生殺与奪の権を握っているのは自分だと告げるような警告。アレはアクアに恐れよりも焦りを生み出させた。
「君は僕への復讐なんて、考えていないと思っていたんだけど」
「考えてないよ、今でも。アンタと関わり持たなくていいなら、それが一番だと思ってた」
これは嘘ではない。アクアの本音だ。関わらずに生きられるのなら、それが一番だと思っていた。
「関わってきたのはアンタだ」
関わってきた。脅してきた。おびやかしにきた。いつ実行犯に回ってもおかしくなかった。だから動いた。自衛のため。何より大切な人たちを守るために。動かざるを得なかった。関わらざるを得なかった。その結果が今日だ。
「なるほど。思ったより君は臆病で攻撃的だったか。でも、迂闊だったね」
両手を拘束されながら、自らを嵌めた息子を見上げる。その目には怒りも憎しみもなかったが、故に気味が悪かった。
「僕なら殺人未遂じゃなく、既遂の現行犯で逮捕したよ。未遂と既遂じゃ罪の重さはまるで違う。確かに余罪があるようなことを言ってしまったのは事実だけど、疑わしきは罰しないのがこの国の法律だ。最悪君は僕をこの殺人未遂でしか立件できない。そうなったら、君たちの安全が保証されたとはとても言えないと思うけど?」
そう。2010年に刑事訴訟法が改正され、殺人罪に時効はなくなった。が、流石に時間が経ち過ぎた。アマミヤゴロウの殺しも実行犯でないのなら、もはや証拠はほぼ残っていないだろう。立件は難しい。他の殺人罪についても、100%立件できるかと言われれば、それは不明だ。となると最悪今回の殺人未遂しか罪状は問えないかもしれない。殺人未遂の量刑はおおよそ5年から15年。殺意がある事は言質が証拠として取れているため、確実に罪には問えるだろうが、それでも最悪懲役5年で終わってしまうかもしれない。
「よかった」
怒るか、焦るか。少なくとも動揺するかと思っていたカミキだったが、自分の指摘を受けても星の瞳の少年は何一つ動揺せず、穏やかに笑みを浮かべた。
「何がおかしい」
「アンタとオレは違うってことがわかったから」
この殺人未遂しか立件できないかもしれない可能性についても、常に最悪を想定するアクアは当然読んでいた。読んだ上で、今回の手段をとった。
「アンタにはわからないかもしれないけど、誰かに傷つけられるのも、傷つける側に回るのもゴメンなんだよ。オレは」
基本アクアは関係が薄い人に関しては冷酷だ。大切な人を守りたい。そのためならそうでない人はいくらでも利用はできる。
だが、それでも。直接的に誰かを傷つけたことは一度もなかった。自分以外の誰かが怪我をすることさえ嫌だった。見たくなかった。
確かに今回カミキを殺人未遂ではなく、既遂で逮捕する事はできた。片寄ゆらを犠牲にすれば、可能だった。殺人罪は一人殺せば懲役10〜15年。悪質なら一発で無期懲役や死刑もあり得る。確かに未遂とは量刑のレベルが違う。
だが、そのために片寄ゆらを見殺しにする事は、アクアにとっては共犯も同然の行為だった。
───オレに、それはできない
カミキとアクアの、趣味嗜好は似ている。2人とも才能ある人が好きで、その光を自分のものにしたがる性癖を持っている。
けれど、決定的に違う。自分のものにするというベクトル。大切にしたいという花言葉の意味。アクアとカミキには、決定的な違いがあった。それが分かったことが、星をなくした子は嬉しかった。
「ありがとう。アンタのおかげで、オレはアンタと違うと思うことができた」
その一言が聞けたことに、心から感謝はする。しかしだからと言ってこの男が許せるかはまた別の話。この男の罪を殺人未遂一つだけで終わらせるわけにはいかない。
「だから、映画を撮るよ」
「映画?」
「そう、映画。アンタの半生を綴った映画。事実をもとにした、アンタとアイを主軸に据えた映画。アンタの被害も加害も、全てを記した映画を撮る」
調べられる限り全てを調べ、証拠を揃え、過去を明らかにする。創作も当然入るだろうが、8〜9割は事実となる映画を撮る。
「誰もが知ることになる映画。興行収入は年間を超えて通算クラスでトップを叩き出し、動員数も過去最高にしてみせる。トップニュースで話題になり、社会現象を巻き起こし、ブルーレイも出して、地上波でも放送される。日本全国民。最高のキャスト。最高の脚本。最高の音楽を揃えて。若い世代だけじゃない。数世代に渡って観られる。主題歌も数多の音楽シーンでグランプリを授賞する。そんな映画を撮ってみせる」
主演は当然オレが務める。他のキャストも、オレが考えうる最高の布陣を用意する。
主題歌もオレが歌う。今のオレならグローバルチャートで一位を長期間に渡って独占することだってできる。作詞作曲も基本はオレがするが、ハルさんとナナさんの才能も頼ろう。
脚本家はアビ子先生や吉祥寺先生にも協力してもらおう。オレがプロットを立てて、演出や魅せ方はアビ子先生たちの才能を借りる。
オレがこの13年で培ってきたもの。自身の努力。技術。スペック。築き上げてきた人脈。コネクション。移籍した大手事務所の力。全て使う。全てを駆使する。妥協は一切許さない。100年後にも残るような傑作を作ってみせる。
「アンタを、この国で生きていけなくする」
そんな映画を、撮ってみせる。
「実名でやれたらそれがベストだが、流石にそこまではできないかもしれない。だけどこの国の暇を持て余したSNSの住人たち。特に特定班は優秀だ。状況証拠を揃えれば少年Aが誰かくらい、突き止めるだろう。アンタの過去の罪も、警察ではなく、一億二千万の国民が明らかにしてくれる。そうなった時、たとえ公的に罪として裁かれなくても、もうアンタに居場所はなくなる。少なくとも日本には」
その方が死刑より辛いかもしれない。世間に爪弾きにされ、働く場所も、住む家にさえ難儀する生活。常に後ろ指を指され、人の目を気にして、肩身を狭くして生きる。そんな生活の方が、死刑より辛いかもしれない。
「そして、その作品を最後に、オレは芸能界から姿を消すよ」
青ざめていた男の目が、剥き出しになる。それほど今アクアが口にした事は衝撃的だった。その映画を撮ることができれば、アクアは芸能界を引退すると言ったのだ。
「そんなに驚くことじゃないだろう。オレが芸能界に興味ないことも、演技が好きじゃないことも、知ってるだろう?」
そう。それはアクアと親しい人間ならば、誰もが知っていること。しかしだからと言ってそう簡単に手放せるかは別の話。
13年もの間、血の滲むような努力をしてきた。13年間、この美しくも醜い場所で戦い続けた。男娼じみたことだって、何度もしている。13年。13年もかけてようやく辿り着いた芸能界の頂点。金も地位も権力も女も、もはやアクアが望めば大抵のものは手に入る。常人なら手放せない。たとえ好きじゃなくても、目の前の利益に釣られ、切り捨てることなどできない。
だが、この男は残念ながら、それができる。できてしまう。
星野アクアが芸能界にいる理由は二つ。
一つはこの男の罪を裁くため。それはおそらく今言った映画が撮れれば達成されるだろう。
もう一つは自身が犯した罪の罰を果たすため。
この2年でもう成人男性の生涯賃金程度は稼いだ。今のオレなら、あと一年でもう一人分くらいの生涯賃金は稼げるだろう。その全てをフリルに渡す。絆を育てるため、そしてフリルが不自由なく生きていくために全額を費やす。それがオレのできるフリルと絆への償い。
事務所への義理も果たした。オレはフリルがいなくなったデカい穴を埋めるための人柱。この一年でその穴埋めは充分に勤め切った。不知火フリルも遠くないうちに芸能界へ復帰する。オレがあの事務所に属する意味も意義もない。
あかねに関しては、どうなるだろうか。オレが俳優でなくなったら、あかねはオレから離れるだろうか。それでもいい。そこからはただの星野アクアの話だ。マルチタレント星野アクアには関係ない。
そう。オレはやっとなれるのだ。ただの星野アクアに。誰からも愛される必要なんてない。少なくとも名前も顔も知らない人達の前で、仮面をつける必要はなくなる。
ずっと望んでいたものに、オレはようやくなれるのだ。
「アンタの裁判が終わり、実刑が下されるまで5年?10年?よく知らねーが、それまでには全てに決着が着いている。アンタがシャバに出てくる時、オレはもう舞台から降りている。それでもオレを狙うなら好きにしろ」
半回転して背を向ける。もうこれ以上コイツと話す事はない。カミキヒカルも、警察官に連れられ、パトカーの中へと押し込められた。
───とりあえず、終わったか
カミキがいなくなり、ようやく背筋から力を抜くことができる。いつ襲い掛かられても良いように身構えていた身体から緊張が解けた。
───いや、まあ大変なのはこれからなんだが
映画を撮る。口にするのは簡単だが、実際動くとなると途方もない時間と金を必要とする。企画作って、Pに渡して、監督に話つけて、と。幸いコネはあるし、メドは立っているが、それでもこれからやらなければいけないことを考えるだけで気が遠くなる。
───それに、今日一日オフにするために結構無茶したからなぁ。あと、防弾メット越しとはいえ、頭殴られたから一応病院にも行っときたいし。今回のこと、事務所に報告しないわけにもいかないし。ああ、マジで気が遠く……あれ?
急にぐらりと視界が揺れる。比喩でなく気が遠くなり始めた。それも当然と言えば当然。あのパーティからずっと、普段のスケジュールをこなしながらカミキヒカルを追っていた。ただでさえ睡眠時間なんて碌に取れていないのに、ここ数日はほとんど眠っていない。加えて防弾ヘルム越しとはいえ、頭という急所を、文字通り人を殺す勢いで殴られている。心身ともにダメージはもはや限界を超えていた。そしてカミキがパトカーに連れ去られたことで、張り詰めさせていた緊張の糸が切れた。
前のめりに倒れる。薄れゆく意識の中で、万が一の時のためにあらかじめ呼んでいた救急隊員に抱きかかえられた事だけは、なんとなく分かった。
▼
「おめでとう、星野アクア」
救急車に運び込まれる蜂蜜色の髪の美少年を遠くから見守りながら白い少女が息を吐く。
「キミなら成し遂げるだろうと思ってた。本当に流石だよ。こんなに早く、的確にやり遂げるなんて、神様にも想像できなかった」
けれど、これが本当に好手だったかは、まだわからない。
「消えてしまった魂ならこれが最善だったんだと思う。彼は復讐に向いてる人じゃなかったから。一刻も早く決着をつけて、彼は彼の幸せを望むべきだった」
けれど、キミは違う。
「キミなら、復讐の道を選んでもうまくやれた。もっと冷徹に振る舞って、恋人も、家族も、妹も、かつて好きだった人も、血を分けた我が子も。全て突き放して、切り捨てて、みんなに嫌われたとしても、新しい人生の先で、幸せを掴めた」
でも、それはもうできない。恋人も、家族も、妹も、かつて好きだった人も、血を分けた我が子も。全てを諦めず、切り捨てず、みんなに愛されてしまった。愛で雁字搦めになったまま、一つ目の鎖を破壊してしまった。
「残る鎖は今回みたいに簡単に破壊できない。残っている鎖には、全部君への愛が詰まってる。半身に天使の血を宿すキミに、これからの鎖はきっと壊せないだろうね」
故に鎖を壊すのは。壊せるのは、キミ以外の誰かになる。キミのように全てを愛せる人じゃない。自分を愛していて、何よりキミを愛していて。他のことなんてどうでもいいと思っている誰か。全てを救う力も才能も持っていない誰か。
キミ以外の、誰かになる。
「ここから先は、神様にもわからない物語」
どうなるのか。薄氷の道を。母親と同じ道を辿るのか。死神になりうるのは本当にカミキヒカルだけなのか。それとも……
壊した鎖を愛していた人が、死神になってしまうか。
「楽しみにしてるよ。本当に。君は、私の推しだから」
カラスの羽が、救急車の中に舞い落ちた。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
推理および捜査編終了です。いかがだったでしょうか。ストーリーに無理のない範囲で上手く纏められたと思ってます。無事映画を撮る理由にも繋げられましたし。ここから一番しょぼい爆弾の後処理が始まると同時に他の爆弾たちの導火線に火がつき始めます。果たして薄氷の道は耐えられるのでしょうか。筆者すらわかってません。キャラたちに取材を重ねながら、イメージをLIVEで描写していきますので、皆様、筆者と一緒に観劇してください。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。