先頭を歩く笛吹男は培った全てで蛇達を動かすだろう
けれど忘れてはならない
その蛇達の心は貴方が奪っていることに
神様は優しくて、残酷だ。
彼の魂が天に昇ってしまい、本来あるはずだったかもしれない魂が吹き込まれた時、私は迷いなくそう思った。
真に母親を得られなかった二人の子供に母を与えておいて、一人はそのままにして、一人からは再び奪った。それは両方から奪うより残酷なことだったかもしれない。
新たに現れた魂も哀れだと思った。子供にとって最も大切な母親の記憶。そして心残りを果たすために残されたはずの前世の記憶。それら全てが消し飛んでしまった。彼は星野アクアであって、星野アクアではない。私はそう感じてしまったし、そしてそれはあの聡明な彼も同じだったと思う。
だから、できる限りのことをした。
あの場所に彼を導き、そして魂の残骸に触れることで、彼を星野アクアという呪縛から解き放ってあげたかった。
それが最善だと、ずっと思っていた。13年前は。
───凄い
13年間、彼のことを見守ってきた。だからわかる。彼はいつも懸命に、妥協なく、全力で生きていた。いつ自分が消えてしまうかわからない恐怖を背負いながら、凛として、胸を張って、完璧で究極な星野アクアであり続けてみせた。
消えてしまった魂とは違う。真に生まれたての子供だったからこそ、持ってしまった使命感と責任感。妹の希望であり、妹の目標であり、そして強い兄であるために、彼は13年間。授かった才能と努力を駆使して進み続けた。
───まあ、あまりに進み過ぎて、ちょっと事故も起こしたけど
それも仕方がない。彼は子供だ。失敗も事故もするだろう。その後も父親のようなことはしていない。なら私としては合格だ。
───それでも、宮崎では一応試してみたけど。
その結果がどうなろうと、もう私にはどっちでも良かった。天に昇った魂と新たに生まれた魂は結構よく似てたから。
ホントは弱いくせに、強がって。ホントは人一倍ナイーブなくせにそれでもあえて茨の道を選んで。しっかり傷ついて。傷つけて。それでも最後には前を向いた。この二人はよく似ていた。だからこそあの魂は同じ身体にあれたのかもしれない。
「ホント、生意気でかわいいよ。君たち3人は」
病室で妹と寄り添い合う彼を見ながら、白い少女は慈愛の息を吐いた。
▼
──寝てたのか、オレは
意識が浮上していくのを感じながら、夢を見ていた気がすると自覚する。時折眠りながら夢を見てたと分かる時がある。夢の内容は空想なことも思い出のリプレイなこともある。そして今回は思い出せないタイプの夢だった。
───……あ
目が覚めると自分でわかる。意識が促す覚醒に特に抵抗することもなく目を開けた。真っ白な天井。殺風景な部屋。13年前の記憶がフラッシュバックする。あの幼い日。僕がオレになってしまったあの時も、天井はこんな無機質な白だった。
あの日から毎朝繰り返してきた確認。いつ消えるかわからない恐怖から少しでも逃れるため、頭の中だけで、喉を使わず、鼓膜を震わせず、声を出す。
───あくあ、アクア。そう、オレの名前は……
「アクア!!」
「おにいちゃん!!」
「アクアくん!」
瞼だけを開き、まだ現実に戻っていなかった意識が強制的に戻される。無機質な光の下に家族と恋人が来ていることに、ようやく気づいた。
「アクア!」
いつも施している最低限の化粧すらせず、血相を変えている妙齢の美女
───ミヤコ
「おにいちゃん!」
まるで迷子になった子供のような顔でオレの首へと縋りつく少女。
───ルビー
「アクアくん!」
外套に身を包んだ少女。舞台衣装だろうか。煌びやかな服装が僅かに覗く。まるで舞台の仕事から無理矢理抜け出してきたかのような姿で、大粒の涙をオレの頬へと落とした。
───あかね
家族と恋人が、病院の個室へと集まっていた。
「……なんでここに」
身体を起こしながら、現状の理解に頭を働かせる。そう、あの時。カミキヒカルを捕らえて、パトカーで連行されたところまで見届けて、そこでオレの意識は途切れている。
───そうか、オレは気を失って、倒れて……
病院に運び込まれたんだろう。そして家族と事務所に連絡がいって……
そこまで考えた時、ゾッとアクアの背中に冷たいものが奔った。
「お前ら、ちが───」
「まったく、あなたが仕事で加減できない事は知ってるけど、倒れるまで頑張るんじゃないわよ」
アクアが起き上がり、何かを言いかけた時、ミヤコの声が重なる。動きかけた口を止め、そのままベッドに座り込んだ。
「過労ですって。点滴打って、ついでに諸々検査して、一日だけ入院させるみたい」
「みたいってなんだよ。医者から聞いたんじゃないのか?」
「さっきまでマネージャーさんがいてね。彼女から聞いたのよ。目が覚めて検査が落ち着いたら事務所に連絡しなさいって」
「…………そうか」
どうやら家族に連絡が入ったのは事務所かららしい。それもそのはず。星野アクアが所属している事務所は少し調べればわかるが、家族への連絡先など簡単にわかるはずがない。病院に運び込まれた時、患者の名前が星野アクアであることなど、一目見れば今や日本国民全員がわかる。そして病院から緊急連絡先に登録しているマネージャーへと連絡が入った。
───家族には上手く誤魔化してくれたか。
真実を話してもいいのだが、流石に場所と相手は自分で選びたい。白河さんの気遣いに心の中で感謝した。
「で、ルビー。そろそろ離れてくれねーか」
目を覚ましてからずっと抱きついて離れないルビーの頭を撫でる。無言の静寂がルビーの答えだった。
「しばらくは我慢なさい。あなたが倒れたって聞いてから大変だったのよ」
「私も途中から聞いてた。『おにいちゃんが、おにいちゃんまで死んじゃう』ってずっと泣いてて。ルビーちゃん見て私の涙は引っ込んじゃった」
しかしそれも無理ないことなのかもしれない。アクアが倒れた姿を目にしたのは2回目。一度目は幼少期。血を流す怪我をした子供を見た時にアクアがパニック発作を起こした。あの時も相当取り乱していた。再び家族を失うかもしれない恐怖で身を震わせていた。
そして今日。今回はパニック発作などではなく、実際に死因になりかねない過労からくる昏倒。あの時以上の恐怖がルビーを襲っていたとしても不思議はない。
「少し二人にしてあげましょうか。ルビー、17時までには帰るのよ」
「アクアくん、後でね」
「ああ」
「待ってる」
病室から二人が出ていく。殺風景な一室は再び無音が支配した。
「おい、ルビー」
「怖かった」
抱きつく腕の力が強くなる。か細い声と吐息が兄の耳をくすぐった。
「ずっと目覚めないんじゃないかって。せんせーが死んじゃったらどうしようって。また私の好きな人が死んじゃうって。怖かった」
「ごめん、さりなちゃん。心配かけた」
「せんせー、聞いていい?」
「ん?」
「ホントに過労で倒れたの?」
ルビーは意外と人をよく見てる。気配りもできるし、察しも悪くない。なにより前例のある事態だ。過労以外の事を想像していたとしても不思議はない。
「───さりなちゃんには、話しておこう」
今回の顛末。この数日、何が起こったか。そしてこれから何をするつもりかを。アクアはルビーに話した。父親と思われるカミキヒカルを逮捕した事。最悪殺人未遂しか立件できないかもしれない事。そうなった時のために映画を撮るつもりである事。全てを話した。
「そんなことが……」
「いつもの仕事こなしながらこれだけのことをやったからな。流石にちょっと身体に無茶させすぎた」
マジで殴られたことだけは伏せたが。倒れたのはカミキを調べるためと罠に嵌めるための過労ということにしておいた。余計な心配させる必要もない。
「約束、守ってくれたね。ちゃんと3年以内で決着つけた。さすがせんせー。私との約束はいつも全部守ってくれる」
「まだ約束は途中だよ。今のままじゃ最悪殺人未遂だけで終わってしまう。これから撮る映画を成功させて、初めて達成だ」
そう。まだこれからだ。映画を撮るにあたってやらなければいけないことは山ほどある。今回は企画からオレが進めなければいけないのだ。ただ渡された台本を演じればいいわけではない。悠長に構えていれば時間はあっという間に過ぎる。だが丁寧に作らなければ日本全国民に知らしめる大作にはならない。急ぎながらも焦らず、計画を立てなければならない。やることは山積みだ。
そして、コレはその第一歩。
「ルビー。話がある」
「なに?」
「オレは映画を撮る。アイとカミキヒカルを主軸に据えた映画を。そしてその主演は多分オレが演る。ルビーが何役に振られるかはわからないが、出番は絶対ある」
「うん。覚悟してる」
「そのために、秘密にしたままではいけない……いや、きっと秘密にしたままでは通せない。オレもお前も、あまりに受け継ぎ過ぎているから」
公衆の面前に晒される。アイとオレたちは否応なく比較される。その時、この共通点を隠したままでは、それこそ大炎上が起こりかねない。そうなったら企画そのものがポシャる可能性もある。そうな
る前に、こちらからバラし、美談にしなければならない。
「アイのことを、公表しようと思う。オレたちが、アイの子供である事を」
それはアクアとルビーの、最大のタブー。墓まで隠し通すと誓っていた事。それを明かすと告げた。死人の墓を掘り返し、美談にし、映画のための道具にすると言った。軽蔑されるのも承知してなお、アクアはルビーにタブーを明かすと告げた。
「アイを主軸に据えた映画に出演する以上、比較は絶対される。オレたちとアイが見比べられることになる。その時他人の空似ではまず通せない。上映期間中にそんなスキャンダルばれたらそんなケチのついた映画絶対売れない。上映すら危ういかもしれない。そうなったらヤツの罪もお前たちの安全も保証されなくなる」
「わかった。いいよ」
「公表したくないのはわかる。オレだってルビーの気持ちを何よりも尊重したいけど───へ?」
現実が受け止めきれず、呆気に取られる。いまオレはひどくアホな顔をしていることだろう。人間予想外すぎる事態に出会った時、思考停止してしまう生き物なのだと。知っていたつもりだったが、17年の人生で初めて体験した。
「ごめんルビー。今なんて言った?」
「だから、いいよって。わかった。ママのこと、公表しよう。でもタイミングは選んでね。流石に明日とかはダメだよ。私だって心の準備する時間はいるから。それとミヤコさんにも共有しないとね」
「いいのか、本当に。アレだけ墓場まで持っていくって言ってたことだろう」
「でもそれが一番私たちのためになって、あの人を追い詰められることなんでしょ?ならいいよ。わかった。せんせーに協力する」
優しく手を握られる。ショックな事を言ったはずなのに、ルビーはニコニコしてオレの手を握りしめた。
「せんせー。あの時と同じ顔してる」
「あの時?」
「せんせーがコンサートのチケット手に入れてくれて、私にプレゼントしてくれた時。何日もかけずり回って。私の担当のお医者さんとかといっぱい交渉して、私のおでかけの許可取ってくれた。しれっとなんでもなかったみたいな顔して、私の病室に来てくれた時と同じ顔」
アクアの記憶にはない。あのアクリルキーホルダーから得られた記憶はさりながそのライブから戻ってきてからだった。
───恐らくさりなはそのライブであのアクキーを手に入れたんだろう。手に入れる前の記憶がないのは当然か。
動揺も狼狽もまったく顔には出さない。黙って、真摯な態度でさりなの話に耳を傾け続けた。
「あの時のせんせーはまるでいまのおにいちゃんみたいだった。いっぱい努力して、手を尽くして、苦労して、人のために。私のために頑張ってくれた、あの時と同じ顔してる」
だからわかるよ、とさりなは兄だった人を抱きしめた。
「すごく苦労したんだよね。あの人を逮捕するために、たくさん傷ついたんだよね。ママのこと、公表するって私に言う時、すごく辛かったよね。私が傷つくと思って、すごく気を遣ってくれたんだよね。ホントに変わってないね。あなたは私が大好きだった、初恋の人のまま」
ルビーの言葉の一つ一つが胸に刺さる。罪悪感など、感じる資格すらないと言うのに。
「勝手に全部抱え込んで、ホントは弱いくせに強がって。いつもちゃんと傷ついて。しっかり苦しんで」
ルビーの思いやりを。想いを。愛を感じるたびにまるで胸にナイフが突き刺さるかのような痛みが奔る。
「それでも前に進もうとする貴方の全てが──」
大好き
目を閉じる。そうしなければ痛みに耐えきれず、眉間に皺が寄ってしまいそうだった。
「だから私は、せんせーの全てを肯定する。せんせーの苦しみも、弱さも、優しさも、全てを肯定してあげる」
貴方が傷ついて、苦しんで、それでも前に進もうとするために必要だと言うのなら、アイのことを公表することも、構わない。
「辛い思いを、するかもしれないぞ」
アクアはできるだけ美談にするつもりだ。実際アイも自分達も被害者だ。美談にすることはそんなに難しくはない。けれど全員が自分達を擁護してくれるわけはない。アイはアイドルとしてはやってはいけないことをした。彼ら双子はその結果の結晶だ。騙されたと言う人もいるだろう。穢らわしいと蔑む人もいるだろう。
「母さんを……アイを侮蔑する人も絶対にいる。オレたちを蔑む人も、絶対出てくる。そうなった時、君はまたこの世界を──」
「この世界がクソッタレなことくらい、私だってとっくに知ってるよ」
でもねせんせー、とアクアが目覚めてから初めてアクアから離れる。立ち上がり、大きく手を広げ、くるっと一度踊るようにターンした。
「私はこの世界がどれだけクソッタレでも、絶対笑える。怒ったり悲しんだり憎んだりすることがあっても、最後には絶対笑えるんだ。なんでか知りたい?」
「ああ」
「推しがいるから!」
ウィンクしてポーズを決めるその姿は、まさに偶像と呼ぶに相応しい眩しさを放っていた。
「推しがいると世界が輝く!このクソッタレな世界丸ごと愛せるようになる!推しを推してる間は、私の命にも意義があるって思える!」
それこそが生きる希望。
「せんせーは私の推し!」
その優しすぎる性格も。その優しさが伝わりにくい捻じ曲がった性根も。傷つきやすいハートも。強がる姿も。弱さを隠すかっこよさも。全てが愛しい。
「ね、せんせー。さりなちゃんって呼んで」
「…………さりなちゃん」
「もう一回」
「さりなちゃん」
「もう一回」
「そろそろ17時だよ、さりなちゃん。暗くなる前に帰りなさい。先生の言うこと、聞けるよね?」
「〜〜〜〜〜っ!!」
声にならない声が上がる。目をキラキラさせて、その場で小躍りし、何度も軽くジャンプする。まさに供給過多の限界オタクと言った振る舞いだ。
「せんせ!好き!結婚して!!」
「社会的に死んじゃうからやめて」
「その返し最高!ずっとず〜〜っと聞きたかった!はぁー…幸せマックス」
「振り幅軽いな。こんなんでマックスゲージなのか」
「そうだよ。せんせーがあの病室に来てくれるだけで。私はいつも幸せマックスだったよ」
無音の静寂がやかましく、耳に痛いあの空間で、扉が開くたびに笑顔になれた。足音を聞くだけで期待した。期待が現実になってくれただけで、幸せマックスだった。
「生きててくれてありがとう!せんせーマジ生きてて偉い!生きてるだけで私幸せ!」
「なんつー手軽な…そんなことで限界オタクになってくれるとは。これ以上ありがたいファンもいねーな」
「でしょ!?せんせーの全肯定オタクなので!」
だから。貴方のすることなら、全てを肯定する。たとえ墓まで持っていくと決めていた秘め事を明かすと言われても、肯定する。
「その代わり、これだけは忘れないでね」
再びアクアの元へと身体を寄せる。抱きつくのではなく、肩に手をかけ、腕を回した。
「私はせんせーが生きてるからこの世界で笑えるってこと。せんせーが死んじゃったら、私にはもう生きる意義がなくなっちゃうってこと」
全てが嘘でできているのではないかと錯覚してしまうこの世界。それでもルビーが……いや、さりながこんなにも天真爛漫な笑顔を見せられるのは、推しがいるから。アマミヤゴロウがいるから。星野アイはいなくなってしまったけど、さりなにとっての最初の希望にして最後の希望が自分を見守ってくれていると信じているから。
「だから、絶対死なないでね。せんせー。私はせんせーの全肯定オタクだけど、それだけは絶対許さないから。もしせんせーが死んじゃったら、私も死んじゃうからね」
アクアを見上げるルビーの顔は、壮絶に美しかったが、同時にアクアには何故か恐ろしかった。
「ばーか。自分の意思とは関係ない病気で死ぬのと、意思を持って行う自殺は訳が違うぞ」
「あ、信じてない?私は絶対やり遂げるからね。メンヘラガチ恋オタクなめんな」
両頬を掴まれ、額が重なる。間近にある紅い星が吸い寄せる引力に、アクアはまるで抵抗できなかった。
「せんせー」
生きて
鼓膜を震わせないその言葉は、合わせた唇から伝わってきた。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
爆弾処理ルビー編終了です。カミングアウトも共有。しかしそれを行うタイミングは……
次回はあかねと談合。その後は例のあの人。そして介入するあの子。導火線に火がついていた爆弾が爆発します。第二幕は後2話くらいで終わると思います。そして物語は最終幕へ…
以下本誌ネタバレ
疫病神ちゃん……いや、ツクヨミさん。今までごめんなさい。もっと愉快犯というか。トラブルメーカーというか。そういう感じだと思ってたのに、まさか見守る系の神様だったとは。拙作のアクアをやたら戻そうとしたがってたのはそういうわけだったのか。インタビューの答え合わせができて嬉しかったです。
それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければモチベーション爆上がりです。時間がかかっても感想には必ず返信します。