今日は珍しく、黒桐くんが遅刻した。
「すいません、遅刻しました」
剣道の竹刀袋のようなものを壁に立てかけ、大きく深呼吸する黒桐くん。
……おいおい、その袋の中身、超やばい気配纏ってるけど大丈夫なのか?
黒桐くんに駆け寄った式もその存在に気付いたのか、彼に質問をぶつける。
どうやら、式のお世話係で秋隆という人物からの預かり物らしい。
黒桐くんから内容物について訊いた式は、今まで見たこともないくらい顔を輝かせて、竹刀袋を手に取り紐をほどく──―っておいおい!ガチのマジでやべーやつじゃないか!
「待て式、それは古刀だな。五百年前のものをここで取り出すな。結界がまるごと切られたらどうする」
橙子が式を制止する。
危ない危ない、歴史を積み重ねた刀、しかも九字まで彫られているとなれば対神秘において効果的な礼装になってしまう。そんな代物迂闊に取り出すと、結界が断ち切られて工房に封じ込めているあれが溢れ出してしまうところだ。
式に危険性を伝えると、彼女は慌てて袋に戻し始めた。式も、あれと対峙するのはごめんというやつなんだろう。俺だってそうだ。
「ところで黒桐、今朝の遅刻の理由はなんだ?」
「すみません。例の小川マンションの件を調べるのに手こずってしまったもので。住人のリストとあらかたの情報は集められました」
驚いた。昨日の今日で調べ物を終わらせたのか。
十二月まででいいと言ったのだが、こんなに早く持ってくるとはな。
そこも、彼の美徳なんだろうけど。
「……まさかここまで早く調べるとはな。いいよ、聞こう」
橙子が説明を促す。
黒桐くんは、鞄から資料を取り出し、机に並べながら説明を始めた。
……うわぁ、一晩で調べたわりには無茶苦茶情報量多くないか?航空写真どころか設計図、マンション建設の経緯、住人の情報、家族構成、勤め先、果ては前の住所までとか……。
驚くを通り越して引いてしまう。
黒桐くん、真面目に今からでも物探し専門の探偵に転職しないか?きっと業界No. 1になれるぞ。
しかし、彼はこの成果でも満足していないようだ。なんでも半分程度の住人しか調べられなかったとか。いや、半分でも十分凄いぞ。
「トウコ、今のリストちょっと」
橙子が住人名簿を見ていると、なにか興味でも惹かれたのか式が覗き込む。
「……だよな、こんな珍しい名前、二つとない」
なにか合点がいったのか、式は橙子に足になるものを貸すようお願いした。それならバイクがある、と橙子は答える。
すると、式は革ジャンを羽織り、古刀を持って地下ガレージへと向かう。
「──―式!」
黒桐くんが式を呼び止める。その声は、不安の色を帯びている。
「? なんだよ幹也。オレ、なにか悪いモノでも憑いてる?」
「……いや……なんでもない。夜にアパートに行くから、その時にしよう」
「なんだ、ヘンなやつ。解った、夜だな。その時間までには戻るぜ」
颯爽と式は事務所を出て行く。
彼女を見送る黒桐くんの背中は、言いようのない不安に震えているようだった。
一時間後、橙子が黒桐くんを連れて小川マンションへと向かった。
俺と霧絵ちゃんはお留守番だ。四人で行く必要はないし、なにより霧絵ちゃんをひとりにしておく訳にはいかない。
「あの……」
仕事が一段落し、手持無沙汰になったので早めのティータイムにいそしんでいると、霧絵ちゃんがおずおずと手を挙げた。
「アルスさんは、橙子さんについていかなくてもよかったんですか?」
「使い魔なのに、工房から離れる主を見送ってもいいのか?ということかな」
「はい。小川マンションの件が、わたしに霊体を与えた魔術師と関係している可能性があるなら、アルスさんも橙子さんについていくべきなんじゃないかなって……」
驚いた、彼女は小川マンションの事件概要を聞いただけで察してしまったらしい。以前から頭のいい子だとは思っていたが、そこまで頭が回るとは思わなかった。
しかし、そうなると霧絵ちゃんはいらぬ罪悪感を抱えていることになる。
「心配いらない。こうして分担行動するのが、現状の最適解だからね」
「最適解、ですか」
「ああ。現状最も防がなくてはいけないことは、霧絵ちゃんに危害を加えられることだ。やつが再度君に関わる可能性は低いだろうが、万が一ということもある。目的が解らない以上、唯一接触した霧絵ちゃんをひとりにする訳にはいかない。それに、俺が橙子たちについていかないことも、彼女たちを守ることに繋がるんだ」
「ついていかないことが……ですか?」
「ああ、魔術師というものはな、神秘の露呈を防ぐために一般人には極力関わらないんだ。それが、拠点に立ち入った人間でもな。スルーせざるを得ないんだ」
「そうなんですか?魔術師なら、記憶を消すとか簡単にできるんじゃ……」
「神隠しや狐憑きが通用した昔ならいざ知らず、現代では異常があれば徹底的に調べつくされる。記憶を消された本人ではなく周囲がだ。運よく見逃される可能性もあるが、本人が唐突に思い出す可能性も否定できない」
「……つまり、仮に小川マンションが魔術師の拠点だったとして、一般人である黒桐さんを連れて行けば……」
「おいそれと手出しはできない、という訳だ」
やっぱり、霧絵ちゃんは頭がいい。今の説明だけで黒桐くんを連れて行った理由にたどり着くとはな。
「まぁ、この想定が杞憂で何事もないのが一番だけどね」
淡い期待を抱きながら、空のカップを見つめる。
願わくば、何事もありませんように……。
しかし、その願いは無情にも打ち砕かれてしまう。
その日の夜、俺は橙子からとある事実を告げられた。
黒桐くんが調べきれなかった住人が捏造された架空のものだったこと。小川マンションに文明社会と魔術協会、二つの目線を欺く究極の結界が張られていたこと。そして、この二つから導き出される結論──―荒耶が小川マンションに関与している事実を。
翌日、橙子が黒桐くんに捏造された住人について説明しているとき、そいつはやってきた。
「黒桐、霧絵。そいつを持って壁際に立て。指には嵌めるな。すぐに客がやってくるが一切喋るんじゃないぞ。そうすれば客はおまえたちに気づかず立ち去る」
鬼気迫る様子で、橙子は机から姿隠しの指輪を取り出し二人に渡す。クソ、昨日の今日で侵入者とはな。小川マンションを調査したのがきっかけか?
二人が慌てて壁際に立つ。直後、コンクリート製の床を踏み鳴らす甲高い足音が聞こえる。
それは迷うことなく事務所前までやってきた。そして、ひとりでに扉が開かれる。
扉の向こうには、赤いコートを着た金髪の美男子が立っていた。
そいつを、俺は知っている。
ああ、まさか荒耶だけでなくお前も敵になるとはな。
「やあアオザキ!それにアルスも!久しぶりだね、ご機嫌いかがかな?」
時計塔時代、俺の弟弟子であり橙子の同期でもあった、コルネリウス・アルバが現れた。
「コルネリウス・アルバ。シュポンハイム修道院の次期院長の貴様がこんな僻地に何の用だ」
歓迎していない素振りを隠そうともせず、橙子がアルバに問いかける。
「ははは、そんなの決まってるだろう。キミたちに会うためさ!ロンドンでは世話になったからね、忠告しに来たんだ」
それとも私の好意は迷惑かい?とアルバは笑顔で嘯く。
そんなこと欠片も思っていないだろうに、よく口から垂れ流せるな。
橙子の冷たい目線も気にせず、アルバはマシンガンのように軽い言葉を並べていく。
日本は僻地ゆえ協会の監視がぞんざいだとか、日本独自の組織は閉鎖的だとか……本題に入らず無駄話ばかり口にする。
冷めた目でアルバを眺めていると、グルン、と顔がこちらに向けられる。どうやら、矛先がこちらに回ってきたようだ。
「キミはいつまで時計塔に戻らない気でいるんだ、アルス?仮にもロード・バリュエレータの一番弟子であるアルス・キュノアスがいつまでもアオザキに付き合って逃亡生活を送るなぞ、魔術世界における大いなる損失だ!積み立ててきた功績があれば逃亡を手助けした罪なぞ帳消しできるだろうに」
「そいつは無理な相談だな。使い魔が主を見捨てる訳にはいかないだろう?」
「使い魔……?なんのこと──―ッ!?」
顔を驚愕で歪ませ、俺と橙子を交互に見るアルバ。
さすがに、繋がれたパスを見逃すほど耄碌していないようだ。
「なんということだ……七代続いたキュノアス家の当主、加えて
「そんなもの、とっくの昔に捨て去ったよ。今の俺は、蒼崎橙子の使い魔、ただのアルスだ」
俺の宣言に言葉を失うアルバ。
追撃するように、橙子が口を開く。
「無駄話をしに来たのならばお帰り願おう。私たちの工房に無断で侵入したのだ。殺されないだけありがたく思え」
「くっ……。無断で侵入した件ならば、それはお互い様だろう。キミだって、昨日連れと一緒に侵入してきたじゃないか」
「ほう、あのマンションはおまえの工房だったのか。それは認識を改めねばならないな。私はてっきり、荒耶によるものだと思っていたよ」
「ほう、そこまで見抜いていたのか。だが見縊るなよアオザキ。あれは私の技術あっての世界だ。私の力がなければ成立しない異界なのだよ」
自らの実力を誇示するかのように、アルバは声を荒げる。
「そうかそうか。で、本題はなんだアルバ。わざわざ自慢しに来たわけでもあるまい?」
「フン、相変わらずだねアオザキ。……よかろう、アルスも焦れているようだから、本題に入ろうじゃないか。キミたちの本拠地にいるのも疲れるからね。つもる話は私の世界にて続けようじゃないか。──―太極は預かったぞ」
告げられた言葉に、俺たちは衝撃を受けた。
彼は宣言したのだ。太極──―つまり、両儀式を拉致監禁したと。
「太極の中に太極を取り込んだのか……。本気で根源へと至るつもりか?やめておけ。その行為は抑止力を招くものだ。世界か霊長か、どちらかは解らないが、アレを退けることを成し遂げた者はひとりとして存在しない。自ら破滅に飛び込むか、アルバ」
「抑止力?ああ、それなら問題ない。アレは道を開く行為には目敏いが、元から開いているモノを辿る行為には関知しない。解決済みの問題なんだよアオザキ。それでも、事は慎重に進めるがね。リョウギというサンプルは丁重にもてなすさ」
視界の端で、黒桐くんの目が見開かれる。
いかん、式の名を出されれば──―
「お前!式になにをしたんだ!!」
予想通り、黒桐くんは叫んでしまった。
橙子とアルバ、二人同時に黒桐くんに振り向く。
橙子は、なにやってるんだ莫迦、と言わんばかりに顔を顰め。
アルバは、呆然と黒桐を見つめる。が、すぐに新しいおもちゃを見つけた子どものように顔を喜悦で歪めた。
「なんだ、昨日の少年ではないか。弟子は取っていないと聞いていたが、ちゃんと取っているじゃないか。──―ああ、そうか。フジョウキリエの姿がないと思えば、そんなところにいたのか」
アルバが虚空に文字を刻みはじめる。
あれは──―エイワズ!退去のルーンか!
刻み終えると、霧絵ちゃんを包み込む力が無効化される。
「はっはっは!わざわざ礼装で隠れさせるとは、ずいぶんと大切にしてるじゃないか。愉しみが増えてしまったな!」
「二人は弟子でも何でもない……と言ったところで無駄か」
溜息を漏らす橙子。
「用件はそれだけか。わざわざ報せを持ってきたのは感謝するが、私たちが協会に報告するとは思わなかったのか?」
「そんなツマラン真似、キミたちがするわけなかろう?それに、やつらが遥々イギリスからやってきてもニホンの魔術組織との折衝も含め一週間以上かかるだろうよ!」
ひとしきり笑うと、アルバは踵を返す。
「それでは、また。キミたちも準備があるだろうが、早めの再会を楽しみにしているよ」
足取り軽やかに、赤い弟弟子は伽藍の堂から立ち去って行った。
「橙子さん!今のはどういう事だったんですか!?」
「簡単な話だ。式が小川マンションに拉致監禁されたのさ」
食い入るように詰め寄る黒桐くんを、橙子はさらりと受け流す。
その際、彼女はチラリとこちらに視線を向けた。
視線に込められた意図を察し、三階の工房に足を運ぶ。
扉を開け、新たに増設したクローゼットを開ける。
そこには、蒼いコートが掛けられていた。俺の戦装束だ。
それを身に纏うと、今度は橙子の私室に向かう。目的は、これまたクローゼットだ。
クローゼットを開くと、
オレンジ色の鞄を取り出し、事務所へ戻ると、ちょうど彼女も準備を終えたようだ。胸ポケットにしまってある煙龍の箱を黒桐くんに預けていた。
「橙子」
「ご苦労。これで準備は整ったな」
黒桐くんたちに背を向け、地下ガレージへと向かう。
「アルスさん!橙子さん!」
今まで沈黙を守っていた霧絵ちゃんが、俺たちを呼び止める。
「無事に、帰ってきてくれますよね?……わたしたちを残していかないですよね……?」
彼女の瞳は、不安に溢れていた。霧絵ちゃんは理解しているのだろう。これから俺たちが死地に向かうことを。
彼女の不安を払拭するかのように、努めて明るい声音で宣言する。
「大丈夫、夜までには式を連れて帰ってくるさ。霧絵ちゃんと黒桐くんは、美味しい紅茶の準備でもしてのんびり待っていてくれ」
「……約束、ですからね……」
「ああ、約束だ」
今度こそ、俺たちは地下ガレージへと向かう。
式を取り戻す。その覚悟を胸に、死の蒐集家と赤い魔術師の待つマンションへ突入するために。
次回、小川マンション。
矛盾螺旋編が終わった後、忘却録音編と殺人考察(後)編と続き空の境界編が終了。続いてロード・エルメロイⅡ世の事件簿編に移行しますが、矛盾螺旋、忘却録音、殺人考察(後)、これらのエピソードの間には約1か月ほどインターバルがあります。この間に閑話を入れるかどうかアンケートしたいと思います。
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矛盾螺旋と忘却録音の間に閑話入れろ
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忘却録音と殺人考察(後)の間に閑話入れろ
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どっちのインターバルにも閑話入れろ
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閑話いらねえ!早く事件簿編読みてえ!