「本当によかったのか?」
「何の事だ?」
俺の質問に、橙子がとぼけた様子で質問返しする。
「臙条巴の事だよ。わざわざうちで雇うこともないだろうに」
「ああ、その事か」
橙子は煙草を吹かしながら、椅子をくるりと半回転させ背を向ける。
「臙条巴を雇ったのは、合理的な理由がある。そう言ったら信じるか?」
「橙子が言うならば信じるさ。だが内容は教えてくれ」
「等価交換だよ。私はあの少年に素体を与えた。だが無償という訳にはいかない。私は慈善家ではないからな」
「……つまりあれか。橙子は臙条巴を借金で縛り付け、タダ働きさせるつもりか?」
「さすがの私もそこまで鬼じゃない。家賃と食費くらいは支給してやるさ」
「最低賃金下回らないかそれ?」
「命を助けた対価としては安いものだろう?」
くっくっく、といじらしく笑う我が主様。
だがなぁ……。
「本当は別の目的があるだろ」
「……さすがに隠し通せないか」
観念したように、橙子は瞳を閉じ天を仰いだ。
いい加減隠し事はできないと学習してもいいだろうに。まぁ、それはお互い様なんだけど。
「実はな、そろそろここを離れようかと考えている」
橙子の口から、衝撃的な言葉が出てくる。
だが、俺はすんなりと受け入れる事ができた。
「荒耶の件があったからなぁ。それを除いても、ここには長く居過ぎた」
「これ以上残れば未練で身動きが取れなくなる可能性が出てくる。それは、私たちにとっても霧絵たちにとっても悪い結末を招くだろう」
いくら時計塔の目が届きにくい極東の日本といえど、見つかる可能性は零ではない。一か所に留まり続けるほど、可能性は高まっていく。
「私たちが消えても霧絵には生きてもらわねばならん。その為には一人でも多く事情を知っている味方が必要だ」
「連れて行くわけにはいかないからな。さすがに、危険が大きすぎる」
カチリ、とこちらも煙草に火を点ける。
「ただ、式と黒桐の関係性に決着が付くまではいるつもりだ。ま、私の勘ではあと二、三か月と言ったところか」
「なら、それまで趣味は封印だな」
うっ、と橙子の顔が歪む。
「当たり前だろう。今まで通り散財して、霧絵ちゃんに一銭も残さず消えるつもりか?」
「……解った。骨董品に手を出すのはやめる」
観念したのか、苦い顔で橙子は決断を下した。
第一、今更買っても旅には持っていけないのだ。ここは我慢してもらうしかない。
それに、橙子にだけ苦しい思いはさせないさ。
さしあたっては、工房に眠ってる未発表作品を全て売却しよう。むろん、価値が落ちないよう小出しにな。
「という訳で、新たにウチの仲間になる臙条巴くんだ。三人とも仲良くするように」
いつぞやかの霧絵ちゃんの時と同じように、臙条くんを紹介する。
「臙条巴です!よろしくお願いします!」
元運動部らしく、大声で挨拶をする臙条くん。
対する三人の反応は様々だ。
黒桐くんは「よろしくね」と先輩らしく挨拶。
式はうるさそうに耳を抑え。
霧絵ちゃんは目を輝かせていた。
……後日理由を聞くと、弟ができたみたいで嬉しかったとのこと。もしや年下好きなのか?
「臙条くんには、雑用をやってもらいながら建築関係の勉強をしてもらう。黒桐くん、霧絵ちゃん。先輩としていろいろ教えてやってくれ」
解りました、と二人から返事が返される。
「そういう訳で、臙条くんの席はあそこだ。教育係は……今回は霧絵ちゃんにお願いしよう」
「わ、解りました。任せてください!」
ふんすっ、と霧絵ちゃんは気合を入れ、臙条くんを連れて外に出て行った。「まずは掃除からです!」とやけに元気な声が聞こえてくる。
「霧絵ちゃん、大丈夫なの?」
橙子が心配そうな顔をする。
まぁ、大丈夫じゃないか?仕事だってキッチリしてるし、ここ一つ後輩を教育する経験を積ませることも必要だろう。
それに、もし問題が起こっても俺がフォローする。
「その時はお願いするわよ。私はこの有様なんだから」
橙子はワイドパンツの右裾を上げる。現れたのは、膝から下をギプスで固定された右足。小川マンションの戦闘で負った骨折だ。
ここで、蒼崎橙子という魔術師を知る人間から疑問が入る事だろう。『何故魔術でさっさと治療しないのか?』や『義足にさっさと交換しないのか?』と。
その疑問に解説を入れようと思う。まずは前者から。
確かに、魔術には身体の治療に用いられる『治癒魔術』というものがある。といってもゲームに出てくるような、唱えれば即回復!という便利な代物ではない。
人間の自己治癒能力を高める正当なもの、失われた部分を養殖して臓器移植のように治すもの、霊体を繕うことで肉体も癒す外法。このように千差万別ある。
そして、俺と橙子が修めている治癒魔術は自己治癒能力を高めるタイプだ。骨折してから即完治!という訳にはいかない。
ゆえに、橙子の骨折に対する治療方針は『治癒魔術と霊薬を用いて自然治癒に任せる』と相成った。この方法で、通常三か月はかかる骨折を一か月に短縮させた。
後者に関しては橙子からお言葉を預かっているのでここで伝えよう。
『怪我したからって義手義足にすぐ置換する訳ないじゃない。プラモデルじゃあるまいし』
「全治一か月って話なんだから、その間は扱き使うわよ~」
ニヤニヤと酷使宣言する橙子。
まぁ、俺の力不足で負った怪我だからな。甘んじて酷使されよう。
……よく考えたら普段から酷使されてるわ。橙子は使い魔使いが荒いからな。
◆
緊張しっぱなしの出社一日目を終え、臙条巴は終業後のルーティーンとなっている紅茶をご馳走になっていた。
「お疲れ様。仕事はどうだった?」
見事な手つきで紅茶を淹れながら、副所長であるアルスが質問する。
「はい、なんとかやっていけそうです」
「そいつぁよかった。合わない職場なんて苦痛以外の何物でもないからな」
言って、アルスは紅茶に口をつける。その際、ちらりと臙条の顔に目を向ける。
彼の顔は、言葉とは対照的に不安の色があった。
「どうした、浮かない顔して。やっぱり不安なとこあるんじゃないか?」
「あ、いや。仕事は問題ないんです。先輩たちは優しく教えてくれますし、所長やアルスさんにもよくしてもらいましたし。……でも、俺がこんなに恵まれてていいのかって……」
俯く視線はカップの紅茶に映る自分自身に向けられる。その顔は、お世辞にも具合がいいとは言えない。
ふむ、とアルスは思考を巡らせる。
おそらく、一種のサバイバーズギルトみたいなものなのだろう。今までも同様の思考に陥った事はあるが、今日は初出社の緊張などで頭に浮かぶ暇もなかった。そして、仕事終わりに紅茶を飲んで落ち着いたところで浮上してしまった。
臙条巴として生きていく事に迷いは無くなっても、人間としての善性が彼を苦しめているのだ。
「俺は橙子みたいにカウンセラーの資格はないし、専門の知識がある訳でもない。それでも、人生の先輩としていくつかアドバイスすることはできる。聞きたいか?」
アルスの提案に、コクリと臙条は頷く。
「人間はな、いつだって理性で判断できる生き物なんだ。動物のように本能のまま選択する事はない」
「人間は、理性で選択する……」
「そう。本能の赴くままに行動するのではなく、様々な要因を鑑み判断することによって人間は霊長として繁栄する事に成功した。……まぁ、霊長云々については横に置いておくとして、人間が理性で判断する事には一つのメリットがある。それは、後悔できるという事」
「後悔……ですか?」
「そう、後悔だ。例えば、初めて行くスーパーで買い物してレジで精算していると、背後からタイムセールの掛け声が聞こえてくる。目を向けると、そこには買ったばかりの卵が半額で叩き売りされている光景が目に入った。そこで君は後悔するだろう。『もう少し待っておけばよかった』と。……だがな、この後悔はこう言い換えることもできる。『タイムセールの時間を把握できたから、次からは得することができる』。──―つまり、後悔を次に繋げる事ができるんだ」
「次に繋げる……」
「そう。そこが人間の特権だ。単純な事柄なら動物にも学習できる。だが、これをあらゆる選択に応用できるのは人間だけだ。一見関係なさそうな二つの事象を繋げ、より良い未来を創造できる。──―だからこそ、多くの後悔を抱えている臙条くんには素晴らしい未来が待っているんだ」
ハッと顔を上げる臙条。
「荒耶の計画に巻き込まれ、数多くの後悔を重ねてきた君は数多くの判断材料を手にした。判断材料とは即ち武器だ。そして、人生という戦いには武器はあればあるほどいい。心配しなくても、臙条くんは大丈夫さ。それでも不安な事があったら、遠慮なく人生の先輩である俺や橙子に相談するといい」
「……ありがとうございます。少し楽になりました」
「それは重畳。なら、今日はもう上がるといい。それとな……」
アルスがポケットから財布を取り出し、中から一万円札を取り出し臙条に握らせた。
「入社祝いだ。今日はこれで美味いもんでも食べるといい」
「えっ、いやこんな大金──―」
「いいから、受け取るんだ。これから散々扱き使われることになるんだ。今日くらいは贅沢してもバチは当たらん」
「……解りました。ありがたく貰います」
臙条は一万円札をポケットに突っ込むと、帰り支度を始めた。
「お先に失礼します」
そして、ペコリと丁寧にお辞儀し事務所から退出した。
「珍しいわね、アルスがお金をあげるなんて。どういう風の吹き回し?」
臙条を見送るアルスの背後から、女性の声が投げかけられる。振り向くと、蒼崎橙子がニヤニヤと笑っていた。
「これから薄給で働かされるんだ。これくらいの飴は必要経費さ」
「でもポケットマネーから出しているようだけど?」
「……必要経費だ!」
「そういう事にしておいてあげるわ」
駅前のステーキ店で食事を終えた臙条は、ひとり帰宅の途についていた。
思わぬ臨時収入によって得られた満腹感に浸りながら、これからの人生を考える。
臙条巴には借金がある。それも莫大な金額で、一生かかっても払いきれるか解らないほどだ。
しかし、彼は悲観していなかった。
──―自分の原点が臙条巴の偽物であった事は変わらない。その事実は心に暗い穴をぽっかりと開けている。
しかし、それがどうした。と臙条巴は胸を張る。俺が抱いている想いは本物だ。過去への郷愁も、確かに現在の俺が感じている本物なのだ。誰がなんと言おうと、この真実は誰にも否定させない。
それに、新しい人間関係を構築することができた。命の恩人であり上司である蒼崎橙子、頼れる兄貴分みたいなアルス、自らを認めるきっかけを与えてくれた黒桐幹也、お姉さんぶりたがる綺麗な先輩の巫条霧絵、そして──―初恋の相手、両儀式。
人形だった臙条巴が零から築きあげた、臙条巴だけの人間関係。ほぼ零である人生を彩っていく佳き人たち。
きっと、これからの人生は素晴らしいものになる。今はまだ無根拠な自信しかないが、この予感は確かなものだと確信できる。
思考に耽っていると、見覚えのあるアパートが目に入る。臙条巴が一か月ほど居候していたアパート──―つまり、式が住んでいるアパートだ。
といっても、当り前の話ではあるが彼の帰る部屋は式の部屋ではない。黒桐幹也がオーナーである式(臙条は初耳だった)に話を通して借りることになった空き部屋だ。ちなみに、家賃はかなり勉強したとの談。臙条は一生黒桐と式に頭が上がらないだろうと確信した。
ポケットから鍵を取り出す。自分と……できるかどうかは解らないけど将来の家族を守る為の鍵。
──―父さん、母さん。安心してくれ。俺、これから頑張って生きるから。
新しい
次回は閑話となります。
矛盾螺旋編が終わった後、忘却録音編と殺人考察(後)編と続き空の境界編が終了。続いてロード・エルメロイⅡ世の事件簿編に移行しますが、矛盾螺旋、忘却録音、殺人考察(後)、これらのエピソードの間には約1か月ほどインターバルがあります。この間に閑話を入れるかどうかアンケートしたいと思います。
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矛盾螺旋と忘却録音の間に閑話入れろ
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忘却録音と殺人考察(後)の間に閑話入れろ
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どっちのインターバルにも閑話入れろ
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閑話いらねえ!早く事件簿編読みてえ!